エッセイ風
2005年05月25日
歴史を学ぶということ。
昼休みに後輩に話したことを簡単に再現しつつ…あ、ちなみにここでいう歴史は政治史や外交史ということです。
俺は将来やりたいことは歴史研究…でも、なんでだろ? これって結構しっかり考えておくべきことなんだろう。俺の場合はやりたいことは「戦後日本」、この問題意識だけは多分一生変わることはないと思う。だからといって、人にこれを説明する時にただ「戦後日本に興味があるから」というだけでは不十分。その先にある「なんで?」という疑問に答えなければならない。その「なんで?」に答える意味で俺は以下の2つを挙げたい。
・俺たちが生きる「今」は「過去」の積み重ねの上に存在している。その「過去」を学ぶということが歴史を学ぶということの1つの意味だろう。
・歴史を学ぶ、つまり「過去」を学ぶということは、過去の政治指導者や外交指導者を見ることによって、政治や外交の本質に迫ることでもある。つまり「過去」を学ぶことで「今」を学ぶわけだ。
上の文章だけでは不十分なので簡単に解説。
1つ目については分かりやすいと思う。例えば今の朝鮮半島問題を考えるうえで、朝鮮戦争や米中接近後の7.4共同宣言や94年の核危機などを踏まえなければその理解はとても十分とはいえない。そうならないためにも歴史をしっかりと学ぶということだ。我々は自分が考えている以上に歴史を知らない、だからもっと学ばなければならない、ということ。
2つ目は少し分かりにくいので、この間ある先生が言っていたことを無断借用して説明したい。例えば今小泉政権の対朝鮮外交や対中国外交が議論を呼んでいる。この小泉政権の外交交渉や政府内部の検討が30年経てば原則全て公開される。その時にその歴史資料を読めば、今は見えない小泉政権の外交のコアな部分が浮かび上がってくる。ここに再現される小泉政権は今は見ることのできないものである。今、佐藤政権や田中政権の外交文書が開き始めている。この佐藤政権や田中政権の外交のコアな部分に迫ることが出来れば、政治家や外交指導者の思考法に迫ることが出来る。それは即ち、外交や政治の本質に迫ることなのである。
もちろん、歴史を見れば全てが分かるというわけではない。外交や政治の本質は時と共に変わっていくものである。しかし何が変わったのかを見るためにもその前をみなければならないのだ。
外交の本質に迫るということは簡単なようで難しい。今の俺たちは結局新聞やテレビの情報に基づいて、今の国際情勢を論じている。これをみんなが無自覚にやっているから恐ろしい。本当に批判したいのならば、本当の姿に少しでも近づく努力が必要なのだ。これって丸山真男のいうところの「市民」になるための第一歩なんだろう。そう、自分の頭で考えるためには極力自分の頭を使う訓練が必要。だから、ここでも歴史を論じるのにE.H.カーやマルク・ブロックの引用はしていないわけだ。
あ、でもちゃんとE.H.カーやマルク・ブロックを見ることも大切です。
な~んてことを今日ちょっと考えた。ま、ここでは触れてない問題もたくさんある。例えば歴史と理論の話とか。理論と歴史の話に興味がある人は是非以下の文献を読んで欲しい。俺の入ゼミの課題文献だったりする。お薦めです。
・C.エルマン、M.F.エルマン編(渡邉昭夫・監訳)『国際関係研究へのアプローチ 歴史学と政治学の対話』(東京大学出版会)
俺自身は理論を学ぶんでも歴史を学ぶんでも、根本にあるものがそう違うとは思わない。むしろ違うべきではないと思う。じゃあなんで根本にあるものが違うのに表現方法が違うのか? それは美学の違いなんじゃないかな~。歴史家の美学については以下の文献でもどうぞ。
・ジョン・ルイス・ギャディス(浜林正夫、柴田知薫子・訳)『歴史の風景 歴史家はどのように過去を描くのか』(大月書店)
以上。
俺は将来やりたいことは歴史研究…でも、なんでだろ? これって結構しっかり考えておくべきことなんだろう。俺の場合はやりたいことは「戦後日本」、この問題意識だけは多分一生変わることはないと思う。だからといって、人にこれを説明する時にただ「戦後日本に興味があるから」というだけでは不十分。その先にある「なんで?」という疑問に答えなければならない。その「なんで?」に答える意味で俺は以下の2つを挙げたい。
・俺たちが生きる「今」は「過去」の積み重ねの上に存在している。その「過去」を学ぶということが歴史を学ぶということの1つの意味だろう。
・歴史を学ぶ、つまり「過去」を学ぶということは、過去の政治指導者や外交指導者を見ることによって、政治や外交の本質に迫ることでもある。つまり「過去」を学ぶことで「今」を学ぶわけだ。
上の文章だけでは不十分なので簡単に解説。
1つ目については分かりやすいと思う。例えば今の朝鮮半島問題を考えるうえで、朝鮮戦争や米中接近後の7.4共同宣言や94年の核危機などを踏まえなければその理解はとても十分とはいえない。そうならないためにも歴史をしっかりと学ぶということだ。我々は自分が考えている以上に歴史を知らない、だからもっと学ばなければならない、ということ。
2つ目は少し分かりにくいので、この間ある先生が言っていたことを無断借用して説明したい。例えば今小泉政権の対朝鮮外交や対中国外交が議論を呼んでいる。この小泉政権の外交交渉や政府内部の検討が30年経てば原則全て公開される。その時にその歴史資料を読めば、今は見えない小泉政権の外交のコアな部分が浮かび上がってくる。ここに再現される小泉政権は今は見ることのできないものである。今、佐藤政権や田中政権の外交文書が開き始めている。この佐藤政権や田中政権の外交のコアな部分に迫ることが出来れば、政治家や外交指導者の思考法に迫ることが出来る。それは即ち、外交や政治の本質に迫ることなのである。
もちろん、歴史を見れば全てが分かるというわけではない。外交や政治の本質は時と共に変わっていくものである。しかし何が変わったのかを見るためにもその前をみなければならないのだ。
外交の本質に迫るということは簡単なようで難しい。今の俺たちは結局新聞やテレビの情報に基づいて、今の国際情勢を論じている。これをみんなが無自覚にやっているから恐ろしい。本当に批判したいのならば、本当の姿に少しでも近づく努力が必要なのだ。これって丸山真男のいうところの「市民」になるための第一歩なんだろう。そう、自分の頭で考えるためには極力自分の頭を使う訓練が必要。だから、ここでも歴史を論じるのにE.H.カーやマルク・ブロックの引用はしていないわけだ。
あ、でもちゃんとE.H.カーやマルク・ブロックを見ることも大切です。
な~んてことを今日ちょっと考えた。ま、ここでは触れてない問題もたくさんある。例えば歴史と理論の話とか。理論と歴史の話に興味がある人は是非以下の文献を読んで欲しい。俺の入ゼミの課題文献だったりする。お薦めです。
・C.エルマン、M.F.エルマン編(渡邉昭夫・監訳)『国際関係研究へのアプローチ 歴史学と政治学の対話』(東京大学出版会)
俺自身は理論を学ぶんでも歴史を学ぶんでも、根本にあるものがそう違うとは思わない。むしろ違うべきではないと思う。じゃあなんで根本にあるものが違うのに表現方法が違うのか? それは美学の違いなんじゃないかな~。歴史家の美学については以下の文献でもどうぞ。
・ジョン・ルイス・ギャディス(浜林正夫、柴田知薫子・訳)『歴史の風景 歴史家はどのように過去を描くのか』(大月書店)
以上。
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2005年05月24日
心を動かされる。
NHKのHi-Visionで小野田寛郎の特集番組をやっていた。
小野田寛郎は1974年にフィリピンのルバングから帰国した「最後の日本兵」として知られている人で、現在はブラジルで農場を経営している。NHKの番組紹介は以下のとおり
戦前、戦中、戦後を生き抜いた小野田寛郎。太平洋戦争終結から29年後、フィリピン・ルバング島から帰還した「最後の日本兵」である。しかし帰国した小野田を迎えたのは、あまりに変わりすぎた日本社会と日本人。不信感と絶望感を募らせ、牧場を経営しようとブラジルへ渡る。「一個人として生きる力を日本に見せつけるために」原野や異文化を相手に格闘の日々を送り、現在は、1800頭もの牛を牧場で育て、ブラジル名誉州民権も得ている。
そして今、彼は残された時間を「日本の子どもたち」のためにささげようとしている。「どんな時代、どんな状況でも生きていける強さをもってほしい。」生きることの大切さ、人間としての責任感を教えることを人生最後の仕事と決めたのだ。フィリピン、日本、ブラジル・・・それぞれの時代とどう向き合い、どう生き抜いてきたのか、小野田寛郎のインタビューを軸に振り返る。
本当によく出来た番組。インタビューを中心にしつつも、要所要所で当時の映像を盛り込み、時代背景の説明もされている。映像メディアならではのいい構成だ。なぜ、29年もジャングルに留まり続けたのか? なぜ、日本帰国後1年余りでブラジルへと旅立ったのか? といったことや、現在の彼の活動を通して、その哲学へと迫っている。
それにしても彼の人生は壮絶だ。日本の敗戦という事実を知りながらも、自らの判断でそれを信じない。ここには陸軍中野学校出身という経歴も影響しているようだ。そして戦友3人でジャングルへ潜伏、当初はアメリカ軍と後にフィリピン軍と交戦しながら29年にわたってジャングルで生活を続ける。潜伏生活の晩年に相次いで戦友が死亡し、復讐心に燃えるも、ある日本人の青年に会ったことをきっかけにして帰国。この帰国までの経緯がまたすごい。かつての直接の上官による「帰還命令」がその条件だったのだ。戦後29年間も彼は戦争を生き続けた。
彼は自ら生粋の自由主義者であり民主主義者であったという。しかし、自分は兵士になった。だから、兵士としての自分の生き方を貫いたのだ。帰国後のインタビューで、つらかったことは「戦友を失ったこと」。うれしかったことは「今(帰国)まで一度もありません」と答えている。
帰国後彼の元へ全国から見舞金が寄せられた。しかし彼はこれを全額靖国神社に寄付した。結果、「軍国主義者」といった誹謗中傷が行われるようになった。彼はこれをきっかけにブラジルへ旅立った。自分は何も変わっていない、周りが変わった、30年前にはみんな何を言っていたのか。彼はそう思ったという。なぜ、自分が非難を受けなければならないのか。こうして「喧嘩」をするなら、ここでは生きていけない。彼はそう考えてブラジルへ旅立った。53歳の時である。
周りのせいにして文句を言うのではなく、自らが飛び出していく、逃げているわけではない、新たな挑戦をするためにブラジルという新天地へ飛び立ったのだ。この前向きな姿勢に感動した。小野田寛郎のいうこと全てに同意するわけではない。しかし、この前向きな姿勢、80を越えてなお現役で活動する「生きる力」に心を動かされた。
いや~、久々にNHKのいい番組を観た。
小野田寛郎は1974年にフィリピンのルバングから帰国した「最後の日本兵」として知られている人で、現在はブラジルで農場を経営している。NHKの番組紹介は以下のとおり
戦前、戦中、戦後を生き抜いた小野田寛郎。太平洋戦争終結から29年後、フィリピン・ルバング島から帰還した「最後の日本兵」である。しかし帰国した小野田を迎えたのは、あまりに変わりすぎた日本社会と日本人。不信感と絶望感を募らせ、牧場を経営しようとブラジルへ渡る。「一個人として生きる力を日本に見せつけるために」原野や異文化を相手に格闘の日々を送り、現在は、1800頭もの牛を牧場で育て、ブラジル名誉州民権も得ている。
そして今、彼は残された時間を「日本の子どもたち」のためにささげようとしている。「どんな時代、どんな状況でも生きていける強さをもってほしい。」生きることの大切さ、人間としての責任感を教えることを人生最後の仕事と決めたのだ。フィリピン、日本、ブラジル・・・それぞれの時代とどう向き合い、どう生き抜いてきたのか、小野田寛郎のインタビューを軸に振り返る。
本当によく出来た番組。インタビューを中心にしつつも、要所要所で当時の映像を盛り込み、時代背景の説明もされている。映像メディアならではのいい構成だ。なぜ、29年もジャングルに留まり続けたのか? なぜ、日本帰国後1年余りでブラジルへと旅立ったのか? といったことや、現在の彼の活動を通して、その哲学へと迫っている。
それにしても彼の人生は壮絶だ。日本の敗戦という事実を知りながらも、自らの判断でそれを信じない。ここには陸軍中野学校出身という経歴も影響しているようだ。そして戦友3人でジャングルへ潜伏、当初はアメリカ軍と後にフィリピン軍と交戦しながら29年にわたってジャングルで生活を続ける。潜伏生活の晩年に相次いで戦友が死亡し、復讐心に燃えるも、ある日本人の青年に会ったことをきっかけにして帰国。この帰国までの経緯がまたすごい。かつての直接の上官による「帰還命令」がその条件だったのだ。戦後29年間も彼は戦争を生き続けた。
彼は自ら生粋の自由主義者であり民主主義者であったという。しかし、自分は兵士になった。だから、兵士としての自分の生き方を貫いたのだ。帰国後のインタビューで、つらかったことは「戦友を失ったこと」。うれしかったことは「今(帰国)まで一度もありません」と答えている。
帰国後彼の元へ全国から見舞金が寄せられた。しかし彼はこれを全額靖国神社に寄付した。結果、「軍国主義者」といった誹謗中傷が行われるようになった。彼はこれをきっかけにブラジルへ旅立った。自分は何も変わっていない、周りが変わった、30年前にはみんな何を言っていたのか。彼はそう思ったという。なぜ、自分が非難を受けなければならないのか。こうして「喧嘩」をするなら、ここでは生きていけない。彼はそう考えてブラジルへ旅立った。53歳の時である。
周りのせいにして文句を言うのではなく、自らが飛び出していく、逃げているわけではない、新たな挑戦をするためにブラジルという新天地へ飛び立ったのだ。この前向きな姿勢に感動した。小野田寛郎のいうこと全てに同意するわけではない。しかし、この前向きな姿勢、80を越えてなお現役で活動する「生きる力」に心を動かされた。
いや~、久々にNHKのいい番組を観た。
at 23:23|Permalink│Comments(1)│
2005年05月18日
変わらぬ日常。
最近、実感するのは俺の変わらぬ日常。というか変わらないから日常なのか??
友人達が様々な悩みを抱え苦悩しているときも、留学準備に走り回っているときも、就職活動をしているときも、俺は常に読書(あとたまに映画やスポーツ見たり音楽聞いたり)。俺の生活に変化があるときは、論文を書いているときくらいだろうか。あ~、でもこれもちょっと忙しくなるくらいで「道」が変わった訳じゃないな。
座右の銘は、かなり前から「継続は力なり」と「寛容と忍耐」。後者は池田内閣の標語ですが(爆)
あまりに変わらない、というか1つのことが長続きするのは俺の強みでもあるし弱みなんだろう。基本的に人より悩みが少ない。だから人の悩みに真摯に向き合うのがちょっと苦手だし、悩んでいる人に対してうまく接することも苦手。こんな俺が哲学をするのがありかなしか、ということは置いておこう。俺の周りには、生きてそして考えるというプロセスそのもので哲学をしている友人が何人かいる。たま~~に、あー彼らから見て俺ってどうなんだろ、と思うこともあるけど、まあここまでうまくやってきたんだろうし、まいっか、とまた普段どおりに戻る。これの繰り返し。
友人が
価値観の相異の克服は可能か?(ま、永遠のテーマ)
今のところの考え=無理。ただ異なる価値観の根底にあるものを考え抜いてから無理といいたい。でも結局無理。少なくとも今の俺には。そんでもって無意識に価値観の押し付けをする人にどう対処するかが最近の課題。
てなことをblogに書いていた(無断引用)。耳が痛い。でも、政治を学ぶってことはこういった価値観の相克をどうするのか、ってことでもある。
まずは周りの人間とうまくやっていこうと思います。
なんてことを発作的に考えた水曜の朝。今から大学へ。また変わらぬ日常の始まり。
友人達が様々な悩みを抱え苦悩しているときも、留学準備に走り回っているときも、就職活動をしているときも、俺は常に読書(あとたまに映画やスポーツ見たり音楽聞いたり)。俺の生活に変化があるときは、論文を書いているときくらいだろうか。あ~、でもこれもちょっと忙しくなるくらいで「道」が変わった訳じゃないな。
座右の銘は、かなり前から「継続は力なり」と「寛容と忍耐」。後者は池田内閣の標語ですが(爆)
あまりに変わらない、というか1つのことが長続きするのは俺の強みでもあるし弱みなんだろう。基本的に人より悩みが少ない。だから人の悩みに真摯に向き合うのがちょっと苦手だし、悩んでいる人に対してうまく接することも苦手。こんな俺が哲学をするのがありかなしか、ということは置いておこう。俺の周りには、生きてそして考えるというプロセスそのもので哲学をしている友人が何人かいる。たま~~に、あー彼らから見て俺ってどうなんだろ、と思うこともあるけど、まあここまでうまくやってきたんだろうし、まいっか、とまた普段どおりに戻る。これの繰り返し。
友人が
価値観の相異の克服は可能か?(ま、永遠のテーマ)
今のところの考え=無理。ただ異なる価値観の根底にあるものを考え抜いてから無理といいたい。でも結局無理。少なくとも今の俺には。そんでもって無意識に価値観の押し付けをする人にどう対処するかが最近の課題。
てなことをblogに書いていた(無断引用)。耳が痛い。でも、政治を学ぶってことはこういった価値観の相克をどうするのか、ってことでもある。
まずは周りの人間とうまくやっていこうと思います。
なんてことを発作的に考えた水曜の朝。今から大学へ。また変わらぬ日常の始まり。
at 09:22|Permalink│Comments(0)│