エッセイ風

2006年05月22日

音楽生活。

疲れが抜けない今日この頃、やっぱり老けたんだろうか。そんな俺を癒してくれる一枚↓

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東京スカパラダイスオーケストラ(ゲストボーカル:甲本ヒロト)「星降る夜に」…ハイロウズの無期限活動中止以来のヒロトの声に感動。どうやら、7月にはソロでの活動も始まるみたいだ。

それはそうとiPODを手に入れてから音楽生活が大きく変化した。同じものでもメディアが変わると云々というメディア社会論の話を地で行くようなことだが…。家にあるこれまで買ったCDを手当たり次第に入れたり、友人とシェアしたりしているうちに気付けば5000曲近くが入ってしまった。で、せっかく入れたから聞かないとな~、と思って何年ぶりかに聞いてみる曲多数。10時~22時で大学にいることが多かった4月は、とにかく音楽聴きまくってたからものすごい量の音楽を聴いたことになる。そもそも聴くジャンルもばらばらだし(特に洋楽)…ちょっと入れるのがはばかられるアルバムも何枚も入っている。それなのにある友人とは8割近くの曲が同じである。輩である証だろうか。

「星降る夜に」は購入後2週間にして、iPODだけで20回くらい聴いている。

というわけでiPOD生活を満喫しているわけだけど、やっぱり不満も。まずはみんなが挙げるバッテリー。クリッカーとバックライトを常時切って置いた状態で大体10時間ちょっと持つといったところだろうか。前使っていたMDは1回の充電で30時間以上は使えた。あとは音。別にそれほどこだわりがあるわけではないけど、やっぱりクラシックを聴くのはちょっとつらいかな。家のコンポでゆったり聴いた方がいい…当たり前か。

ま、何はともあれ音楽生活満喫中。ちなみに3月くらいからこのブログの副題は全てiPODに入れてある曲の題名。分かる人には分かる曲なんだが…。

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2006年04月22日

NO MUSIC NO LIFE?

大学院に入学してから2週間、まあ色々と考えたりするわけです。

とりあえず、友人の大半が消えた大学で過ごすのにiPODは必須アイテム。毎日、充電が必要なほど使っている。先週のサンボマスターに続き、今週は真心ブラザーズのニューアルバムが発売された。これがまたいい。

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前作から5年も経っているだけにどんなアルバムになるのかなと思っていたのだが、結局直球の真心らしい作品。ややフォーク色が強いかもしれない。ただ…何というか、今まで以上に愛愛愛と言っているので恥ずかしい。何だろうサンボの愛よりも恥ずかしい。

そんなわけで先週今週はこの2枚のアルバムが中心だが、ずっとずっと同じものばかりでは飽きるので色々と聞いている。スチャから、チャック・ベリー、ルイ・アームストロング、といったところまで。たまに秀樹も聞いてる。今日は気付いたらヨーヨーマを聞いていた。

こんな生活をあろ2週間も送っていれば、多分iPODに入っている4500曲全て聞けるだろうな~。

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2006年04月02日

つぶやき。

『ダ・ヴィンチ・コード』を一気に読んだ今日、ふと思ったことを徒然なるままに書いてみたい。



小泉政権は2001年4月26日に発足した。あと3週間あまりで小泉首相の在任期間は5年を超える。小泉政権が発足した時、俺は高校3年生だった。漠然とではあるが、大学では政治の勉強をしようかな、と思いつつ部活の合間に政治の本を読んでいた頃である。当然、森首相の退陣表明後の自民党総裁選には注目していた。国民からの高支持率と亀井静香の「風見鶏的な動き」に支えられて小泉政権は発足した。

小泉政権が発足した当初は、いくら支持率が高かったとはいえこれほどの長期政権になるとは誰も考えなかっただろう。気が付けば、あっという間に俺は大学生になり、そして今はもう大学院生になりかけている。物心が付いた時には中曾根政権が終わりかけ、それ以後は短期政権が続いていた。これに慣れていた俺にとっては、一つの政権が続くということそのものが驚きでもある。政治や外交について学んだ学部時代は全て小泉政権であったということだ。

この間、首相官邸や外務省のHPはこまめにチェックし、一般の学生以上には小泉政権の外交に注目してきたつもりである。しかし、この小泉政権の外交を評価するとなるとそれはとても困難である。一般的に小泉政権の代行は対アジア外交を中心に批判されている。例えば首脳間の交流が停止している対中外交を挙げて小泉外交を批判することは容易であろう。また、一向に成果が上がらない対北朝鮮外交を挙げて批判することも出来る。

しかし、そう簡単に批判するだけでいいのだろうか、とも思ってしまう。

首脳間に信頼関係を築いた対米外交は一定の評価に値する。現在の日本の国際政治における立場を考えた時に強固な日米関係は何よりの資産となるものだ。

また、小泉外交は少なくとも国民が考えている何倍も情報を精査した上で行われているし、国民世論におもねっているわけではない。例えば、1回目の北朝鮮訪問を行うにあたって小泉首相は事前に新聞に出ているだけで100回近く外務省の担当者である田中均と面会している。また、インド洋やイラクへの自衛隊派遣は国民の支持が高いとは言えない政策であるが、小泉首相は断固としてこれを実行した。

中国や韓国との関係も必ずしも、小泉政権のみが悪いとも言い切れない。靖国神社への参拝問題はともかくとして、その他様々な問題が複合的に絡まりあっているからである。

じゃあ、現状肯定でいいのか、といえばそれは違う。アジア外交は間違っても成功しているとは言えないし、対米外交も懸案を数多く抱えており順風満帆とは言えない。

それでは、どうすればいいか。俺の結論は、今は評価は下さない、ということだ。なぜなら今の自分にはそれを評価する能力も材料も無いからだ。

怒涛のスピードで流れる現在進行形の歴史を評価することは非常に難しい。少なくとも今の自分には荷が重い作業だ。これを30年以上にわたって行い、その同時代の評価の大半が今なお輝きを失わない高坂正堯は本当にすごいと思う。まずは過去の歴史を出来る限り客観的に評価すべく(あくまで出来る限り)、資料を読み、外交史に関する理解を深めたい。そのためには国際政治や日本政治を勉強するだけでは足りない。もっと深く、権力とは何か、政治とは何か、といった問いをも考えなければいけないのだろう。

これが大学院での課題。あー、しんどい。でも結構面白そうだ。

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2006年03月25日

またひとつ卒業。

今日はサークルの追いコンがあった。

ちょっとだけ感傷的な思い出話。

結局、俺の大学生活はこのサークルに入ってしまったことによって決まったといっても過言ではないだろう。元々はボートを続けるつもりだったんだけど…政治学の勉強をしたいと思って政治学科に進学した以上はちょっと勉強もしよう、ということで試しにこのサークルに入ったのが大学1年の4月。初めて参加した勉強会は授業よりも面白かった。

あれよあれよという間に、三田祭に向けて論文を書くことになり、夏休みは図書館で資料をひたすらコピー。ちなみに大学1年の時はABM条約脱退をめぐるブッシュ外交について論文を書いた。レポートであって論文にもなっていなかったと思うのだけど、ここで学問に手を出したのは決定的なことだった。1年生の俺が日吉代表になったくらい人不足が決定的だったサークルをすぱっと辞めるわけにもいかず、三田祭後には来年度の研究幹事として論文集に関する責任者を務めることに決定。気付けばオリエン活動をして後輩達を迎え、論文集のテーマである「中国」についてとにかく色々な本を読みまくっていた。

そして三田祭論文に向けて勉強会を開き合宿などをしていると…ボート部がインカレ優勝。俺の友人の何人かは主力として優勝クルーに乗っていた。その時は素直には友人を祝福出来ない何かがあった。やっぱりボートを続けるべきではなかったのだろうか、と。とはいえ、もう三田祭直前。締め切りが目の前に迫っている論文を書き上げなければならない。そして論文を書き終えて、友人達がボートで頑張ったのだから自分は自分の進んだ道を頑張らなければいけないな、と考えた。幸いサークルは2年からの入会者や、多くの1年生に恵まれ活発な活動をしていた。

そして、色々と悩みながらも田所ゼミに入り、国際政治の勉強を少しだけして、3年の後期はゼミ員たちの就職活動を横目に見ながら進学を決めて今に至る、というわけだ。もし、大学1年の時にサークルに入っていなければ今の自分とは間違いなく違う自分がいるはずだ。もしかすると、あの日あの時の選択が一生の道を左右してしまったのかもしれない。

そんなサークルについても一応今日で卒業。そのまま慶應の大学院に進学するのだから、これからもちょくちょく顔は出すのだろうけど、やっぱり今までとは少し違う。素直に、多くの後輩に卒業を祝ってもらえたことがうれしい。

サークルがどんな形であれ続いてくれることだけを望む。

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2006年01月16日

単純なこと。

世の中、複雑なことだらけなようで意外と単純なもの。

例えば、友達がなぜ友達かといえば、それは(変な意味じゃなく)その友達のことが好きだからだろう。そうではない友達は本当の友達ではない。

例えば、彼女となぜ付き合っているかといえば、それは彼女のことが好きだから。そうじゃないなら、続かないと思う。

例えば、なぜ日本がアメリカと同盟関係にあるかといえば、それはその方が日本にとって「いい」から。まぁ、政治上はその「いい」が何かが問題になるんだけど…。

例えば、論文は何のために書くかといえば、それは分析に基づいた自分の主張を誰かに伝えるため。知的マスターベーションでは論文にならない。

じゃあ、論文を書くときに一番大切なことは何か、それは自分の主張を分かりやすく伝えるということ。ということは、まず自分の主張が何か、そしてそれを伝えるためにはどういった構成がいいか、と考えることが論文執筆の基本ということ。

そう、こんな単純なことがあと4日間の課題。

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2005年10月31日

歴史を学ぶということ。

今読んでいる入江昭の回想録の題名と同じだが「歴史を学ぶということ」について、ここ数日また考えている。これはまあ病気みたいなもので、ふとしたことをきっかけについつい考えてしまう。結果、ゼミ試験の課題で書評論文を書いたときも取り上げたのはC・エルマン、M・F・エルマン・編『国際関係研究へのアプローチ 歴史学と政治学の対話』。カーの『歴史とは何か』もかなり読み込んだし、ギャディスの『歴史の風景』なんかも読んだ。この病気はすぐ治まるんだけど、結局完治することはない。今回のきっかけはやはり現代ロシア論特殊研究?だろうか。今日は「清沢洌」がテーマだったのだが、先生のコメントはやはり「歴史」の捉え方を鋭く付いてくる。「現代の問題意識に立脚せずに歴史を見ても意味はない」と先生は言いきる。やっぱりそうなんだろうな、と思いつつも、いやでもそんなことはないだろ、その研究のrelevanceはどうやって保証されるべきなのか、歴史を見る上で主観の問題をどう考えるのか。などと頭の中はぐるぐる回る。

そんな俺の疑問や迷いに、ある種のヒントを与えてくれる文章が昨日書評した細谷千博『日本外交の座標』で見つけたので紹介したい。「歴史家としてのジョージ・ケナン」という論文の中でケナンの歴史学に対する考えを紹介した箇所である。

「もとよりトータルな客観性などというものは存在していない。歴史的著作はすべて、著者の理知的・感性的世界の反映であり、著者の属する時代、また成長の一段階の投影である。歴史の作品は、対象とした時代を露わにするのみならず、生みだされた時代を表現している」(「文学としての歴史」)。
 このように「トータルな客観性」への到達を否定し、「主観性」の作用を自覚しつつ、ケナンは歴史家の道は、「客観性」の目標への無限の努力以外にないことを次のように説いている。
「トータルな客観性が到達不可能だからといって、その探求が無意味であることを意味しない。……肝要なことは、この探求の努力をやめない点にある。真実を認識し、把握する努力の過程で、いやしい、低俗な主権性に打克つ闘いをやめない点にある。また歴史家の脇にいつも座っていて、けしからぬ助言をしようとするあのエゴという小妖精を超絶しようとする努力をやめてはならない点にある」(「文学としての歴史」)。


これは、歴史をやる上での心構えとして非常に大切な指摘だろう。それからもう一点、入江昭の回想録から…

どの本でも、著者のいわんとすることがひとつある(もちろん、それがなければ読む意味がない)。本を読むということは、このひとつのことを理解することであり、そのためには長時間をかけて一冊一冊丁寧に読む必要はないというのが先生の助言だった。……図書館に山ほどある研究書を、ひとつひとつ時間をかけて読むことは物理的に不可能である。……歴史を学ぶということは、歴史学の動向を理解することである。極端にいえば、ヒストリオグラフィー(歴史研究、解釈)なくしてヒストリー(歴史)はありえない、ということにもなる。

以上2つは、今後長い間繰り返し読むことになるであろう文章。どちらも当たり前のことを言っているに過ぎない、ともいえるが、俺にとってはそれだけではない「何か」がある。ふ~む、こうやって「歴史学」と折り合いをつけても、俺はもうひとつ「政治学」とも折り合いを付けなくてはならない。道のりは険しい。

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2005年10月12日

外国語学習。

自己分析をしてみると、俺は慶應の付属校教育の長所と短所を見事に吸収してしまったように思う。長所は、レポートなどのように自分から問題設定をして調べることに対する抵抗感が全くないこと、文章を書く習慣が付いていること、歴史や文学にとどまらず知的好奇心が強いこと、などだろうか。短所は言うまでもなく語学。俺にとっては第一外国語は無い。第二外国語が英語、第三外国語が中国語だ。なぜなら両方とも大学入ってから勉強を始めたから。

そんなわけで語学には苦労している。英語は必要だと思ったのは大学2年、始めたのはほぼ大学三年になるくらい。大学院への進学が決まった最近になってようやくリーディングは少しだけ出来るようになった。中国語は1年の時にオールCをたたき出し、2年は少し勉強、3年は全くやらず、4年になってから外国語学校でまた始めた。そういうわけで、今頃になって毎週3回外国語学校で中国語の勉強に追われている。今期からは会話の授業が増えたため、スピーチの原稿を作ったり、即興で話したりしなければいけなくなったのだけど、いいことが1つ。中国語で会話の勉強をしていると英語はものすごく簡単に思える。実際、中国語で詰まっても同じことを英語なら説明できる。う~ん、素晴らしい効果。この勢いで英会話に挑戦しようかな、と夢想してしまう。

語学はtoolというのは指導教授の口癖だが(トゥールって発音してる)、本当にそう思う。それだけになかなか学習意欲が湧いてこない。周りを見回すと比較的女の子の方が語学学習には積極的な気がするんだけどなんでだろ。どうしたら語学学習の意欲が湧くのか教えてほしい。最近英語の勉強は少しだけ楽しくなってきたけど、やっぱり日本語で面白い本を読んでる方がよっぽど楽しい。小説なら学術書ほど頭を使わないから尚いい。

あ~、語学勉強してると頭が痛くなってくる。久々にサッカーを観て頭休めて寝ます。

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2005年10月11日

とりとめもなく。

後期になって大学から4年生がほんとに減った。前期はけっこういろんな人に大学であったんだけど、そんなことあまりない。顔を合わすのはけっこう決まった面子だ。で、代わりに三田祭前ということなのか、図書館を中心に跋扈するのは喋りながら徘徊する3年生。居心地悪いぞ! なんて毒づきたくなる。そんな後期だけど、今日は偶然にも語学のクラスが同じだった友人に遭遇。ヨット漬けだったらしく夏には全然会えなかっただけにうれしい。真面目な話からくだらない話まで、だらだらお茶をしながら話しているとあっという間に時間が経つ。こんな時間が大学院にいけば、どんどん無くなるのかな~、なんてふと思ってしまう。老けたな、と実感する瞬間。

一応今日の本題、郵政民営化関連法案の話。「郵政解散」から2ヶ月、前回の投票ではわずか5票差での可決だった郵政民営化関連法案が本日の衆議院本会議で200票という大差で可決された。前回、欠席をした自民党議員は選挙で郵政民営化を掲げて戦ったのだから当然今回の投票では賛成票を投じた。しかし、である。前回は反対票を投じたため、自民党公認を得られず無所属で選挙戦を行い当選した13人の議員のうち、反対票を投じたのは平沼赳夫ただ一人、欠席も野呂田芳成一人、残りの11人は賛成票を投じた。率直に言って、この11人は政治家としての信頼し難い。常にぎりぎりの選択を強いられる総理大臣の地位に付けたいとはとても思えない。賛成に転じた議員たちの口から出るのは「選挙で郵政民営化賛成の民意が示されたから」ということばかり。こんな議員に一国の政治を任せようという気にはならないだろう。もっとも、今回の件をきっかけに政治家として一皮剥ける人がいないとも限らないのだけど…。その点、国民新党・新党日本の議員達は信頼できる。ちなみに、以上の話は俺が郵政民営化賛成なのか反対なのかということとは全く関係ない。

今回の件で俺が危惧するのは「3分の2という数字が一人歩きを始めた」ということ。これは小林良彰教授がテレビでも指摘していたことだ。小選挙区が300議席あるということによって今回の与党の圧勝がもたらされた。小選挙区の得票数では、与党が得たのは49%である。選挙では事実上「郵政民営化の是非」が争われたわけで、この数字に着目すれば国民の51%は郵政民営化反対(正確には小泉政権の掲げた郵政民営化反対)ということも出来る。しかし、議席数では与党が3分の2を占め、それをもって「民意は郵政民営化賛成」として郵政民営化反対を掲げて戦った無所属議員の多数が賛成に回ってしまう。これが仮に憲法改正の話であれば、国民投票での過半数の賛成が必要となるので、一定の歯止めがかかるわけだが。

ん~、民主主義って何だろね。ちなみに以上は、俺の憲法改正への賛否とも全く関係無い議論です。

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2005年07月10日

テロの話。

周知の事であるが、先週の木曜日、ロンドンでテロが起こった。当然この事件は世界に大きな影響を与えている。グレンイーグルズ・サミットの主要議題であるアフリカ&温暖化など以上に、テロとの闘いが大きく取り上げられている。このサミットで、アフリカに対する支援を各国が約束したことなど、一部の国際政治ウォッチャー以外はすぐに忘れてしまうのだろう。今回のテロについては多くの友人や後輩がblogで何らかのコメントをしている。

テロリストに対して大きく憤りを感じる。でも、ロンドンのテロが大きく取り上げられていることについて若干の違和感を感じないわけでもない。そもそも、こうやって先進国の、それも国際政治に感心を強く持つ層の間でテロが話題になることそのものが、テロリストに踊らされていることなのだ。言うまでもないことだが、ロンドンのテロと9.11テロは異なる。3000人と50人、死者の数も大きく異なる。でも、世界ではもっと多くの人間が地域紛争で命を落としている。やるせない。

9.11が起こった時、俺は高校3年生。夜、ニュースを見ていた、そして「あの映像」を生で見た。翌日、高校にはある種独特の雰囲気があった。どの授業でもテロの話に。生まれてこの方平和そのものだった俺達が「戦争」を初めて身近に感じた、といったところだろうか。後知恵ではなく9.11の前と後で違う空気。何と言っても、俺の担任(60年安保世代・左翼・平和主義者)は事件後間もなく、ショックで10日程高校を休んだ。でも9.11は俺にとってリアルではなかった。3000人が死んでも、日本人が26人死んでも、馴染みのないニューヨークという場所。生まれてから一歩も海外へ出たことのない人間の限界? じゃあ東京でテロが起こればそれで何かが変わるのだろうか。

とはいえ、俺達の世代にとって9.11の衝撃は何にも代え難い。友人や後輩の中には、9.11をきっかけに政治を学ぶことになったという声が少なくない。大学1年の時、サークルの論文集の統一テーマが「テロと国際政治」となったことも至極当然のことだったのかもしれない。ちなみに俺は9.11テロ後のブッシュ政権の対外政策をABM条約の脱退との関係から分析した。そんな俺達にとって「テロ」とは他の言葉とは違う響きがある。

そして、今回のロンドンのテロ。テレビを見ていると無責任な発言が目に付く。過激であればいい(=数字が取れればいい)司会者、国際政治のイロハも分かっていないコメンテーター、傲岸不遜に「テロを防ぐ方法があるなら教えてほしい」と言い放つ政治家…。彼らにとって今回のテロはリアルではないのだろう。でも、それが無責任の言い訳になっていいということはない。ああはなりたくない。

俺の「変わらぬ日常」が続く。

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2005年06月14日

閑話休題。

最近、真面目に頭を使いすぎた。閑話休題。

◇めぞん一刻の話
昨日・一昨日と2日連続で朝4時半まで粘って読み切ったのが、この「めぞん一刻」。もう読むのは4回目だ。くらい作者は高橋留美子。「うる星やつら」「らんま1/2」「犬夜叉」と描くもの全てがヒットしている高橋留美子だけど、俺は断然「めぞん一刻」が好きだ。やっぱり青年誌(スピリッツ)に連載して多ということも関係してるのかな~。このマンガ、読み終わると「結婚」と「管理人さん」という言葉が甘美な響きを持って聞こえてくるから不思議だ。ラブコメということで結末は当然予想できるんだけど、そこへ行くまでの「プロセス」で読ませる、というところがこの漫画のすごい所だ。全てが惣一郎さんに行き着くからうまくまとまってるのかなー。多分、この漫画を読んでつまらないと感じる人はそういないと思うんだけど…愛に飢えてる人と童貞係数が高い人に特に薦めたい。

◇向田邦子の話
毎週火曜「私のこだわり人物伝」(NHK教育)が面白い。今月のナビゲーター(?)は爆笑問題の太田光、テーマは「向田邦子~女と男の情景」だ。第1回「浮気をされても腹は減る」、第2回「男は女にかなわない」、第3回「ダメな男をかわいがる」…と、各回の題名からして面白い。来週が第3回なんだけど…あらゆる面で男に勝る女がなぜダメな男を愛してしまうのか、がテーマだと。この題名からピンときたら、リンクを開くか、向田ドラマを観よう!「めぞん一刻」みたいなラブコメじゃ満足出来ない、なんてことを言っている人の度肝を抜いてくれること間違いなし。一昨年公開されていた「阿修羅のごとく」はキャストもいいしお薦め。

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