アウトプット(?)
2005年12月11日
早慶戦(笑)。
11月に参加したインカレ国際セミナーでの発表について、このblogで「早慶戦」が行われている…のかな。留学先からわざわざコメントをくれたということもあるし、ちゃんと答えます。正確には、俺は某東大生と共同で大枠を考えているので、慶應東大タッグVS.早稲田、という図式。以下、分かりにくくなるから正確には「俺たち2人」で考えたことは全部一人称で書くことにします。
「早慶戦」が行われたのは→11月29日の記事
◇
インカレ国際セミナーで俺が参加したのは「東アジア安全保障共同体」について論じるのが目的の分科会。セミナーの目的として、最終的に「政策提言」を行うということが設定されていたので、そこへ持っていけるように議論を行った。セミナー全体は、何というか「理想を持って東アジア共同体について論じましょう!」的なノリだったのだが…俺の参加した分科会は安全保障について論じるわけで、現実の安全保障環境や認識を確認するところからスタートしていった。
ここで俺が提起した一番のポイントは、東アジア安全保障共同体という「結果」は確かに望ましいかもしれないが、その「結果」のために今ある秩序(具体的には日米安保とか)が壊れてしまうのは、万一の時のために掛けた保険の保険金で破産するようなものである、ということ。ここを抑えておかなければ、安全保障政策の担当者には何を言っても響かないだろう。
こういった経緯もあって、俺の議論はリアリズムが根本にあるわけだ。が、重要なのはここから。俺の議論は、リアリズムの論理からリベラリズム的な議論に持っていっている、ということ。がちがちのネオリアリズム的なところから「東アジア安全保障共同体」について論じたら俺たちが出したような結論にはならないだろう。ここは強調したおきたい。
以前の記事と重複するけど、俺が出した議論は↓
?東アジアで安全保障問題を考える際に最も重要なのは米中関係であり、中国と米国が根本的に単独行動主義の国である、という点で将来的な対立の可能性があるということを常に意識しなければならない。
?現在の秩序は米国主導で成り立っている。一方、中国は(この秩序に挑戦する可能性を持ちつつも)米国主導の現行秩序の中で行動している。
?以上のような戦略環境にある東アジアにおいて、「同床異夢の戦略的共存」が成立している今は、協調的安全保障を推進する戦略的好機にある。
ということ。俺の議論は、かなり早い段階でここまでは考えられていた。で、ここから日本がどのように動くべきか、ということについての政策提言を行ったわけなんだけど、それは↓
?日本は今までと同様緊密な日米同盟関係を維持すべきである。
?以上、挙げたような戦略環境の中で日本は、(最終的に最も重要な)中国ではなく、韓国・ASEAN諸国・オーストラリア・ニュージーランドなどとの提携を行うべきである。
で、その理由&シナリオは↓
?日米安保を堅持することによって、最低限今ある秩序は維持することが出来る。
?日本・韓国・オーストラリア・ニュージーランドは、共にアメリカの同盟国であり、その連携はアメリカにとっても望ましいものとなる。また、ASEANの一部も同様である。これらの国は中国やアメリカと異なり単独行動主義の国家ではない(=ある先生の言葉を借りれば「ミドルパワー」)ので、多国間主義には親和性があり、提携先としては成功可能性が高い。
?中国に対してその周辺国が多国間主義の攻勢をかけると中国としては、?自らの多国間主義の競争に参加、?単独行動に出る=軍拡、という選択肢があるが、周辺国の連携の背後にアメリカとの同盟があるため、軍拡のコストはとても高くなる。よって中国も多国間主義の競争へ参加し、東アジアに協調的安全保障の仕組みの萌芽が生まれる。
ということ。これが全体的な流れ。だから俺としては、この議論をリアリズムの議論、として捉えてその政策的有用性を論じないということの意味がよく分からない(これは会場にいた何人かの先生に対する批判になるのかな)。まとめると、リアリズムのコンテクストで最終的にリベラリズムのテクストを出したのが今回の「政策提言」ということになるわけだ。
◇
以上が発表の骨子なんだけど、これの根本的な弱点が「アメリカ」にあることは間違いない。あとは頭越しに「米中接近」という危険性があるんじゃないか、というのも弱点。この点は俺たちの間でも議論になった。結論としては、アメリカの同盟国が連携する、というのが今回の提言の重要なポイントとして考えることにして、その問題は実質的には棚上げしたわけだ。もっとも、アメリカと中国が根本的に単独行動主義、というところに議論の力点を置くとその両方に対して効果的な政策を提言することは非常に難しいと言えると思う。だからこそ、今回は米中間のある種の均衡状態を利用する、という形の提言を行ったわけだ。
う~ん、何かかなり難しい話になってきたような…。
以上の話を踏まえて、リアリズム・リベラリズム・コンストラクティビズムという話をすると…それは若干次元が異なるような印象がある。この3つについての分かりやすい分類は、春学期に国際政治経済論特殊研究で読んだ、Jack Snyder,"One World, Rival Theories"という論文だと思うんだけど、これって学問上の話なんじゃないのかな~、と俺は最近感じている。
つまり、何かを分析・説明する際には有用だけど、政策を作る際にこの枠組みはあまり有用じゃない、と俺は感じている。それよりは同じ3つの分類でも、高坂正堯の力(≒軍事力)・利益(≒経済力)・価値、という分類の方がしっくりくる。高坂の議論はこの3つとも欠いてはいけないという議論である点が重要。3つを統合したした上で何が言えるか、こそが高坂の論考の興味深い点だ。加えて言えば、俺にとってはリアリズム・リベラリズム・コンストラクティビズムという区分よりは、英国学派の議論の方がしっくりくる。
この辺の話はまたの機会に。
◇
とまあ、ここまでだらだら書いてかいてきたけど、かなり面倒だし分かりにくいので、卒論を書き上げたら友人と共著で「東アジア安全保障共同体と日本」について論文を書きます。というか早く書き上げてコピーライトをしっかりしておきたい。ネットからの無断引用がほんと多いらしいからね。
最後に一言だけ。この議論にはもちろんいくつか穴はあるんだけど、その穴にある程度目をつぶって、その先を見据えた有意義な戦略論が出来ればいいな、と思ってます。これもどこかで聞いたような言い方だけど(笑)。
まぁ、乞うご期待、ということで。
「早慶戦」が行われたのは→11月29日の記事
◇
インカレ国際セミナーで俺が参加したのは「東アジア安全保障共同体」について論じるのが目的の分科会。セミナーの目的として、最終的に「政策提言」を行うということが設定されていたので、そこへ持っていけるように議論を行った。セミナー全体は、何というか「理想を持って東アジア共同体について論じましょう!」的なノリだったのだが…俺の参加した分科会は安全保障について論じるわけで、現実の安全保障環境や認識を確認するところからスタートしていった。
ここで俺が提起した一番のポイントは、東アジア安全保障共同体という「結果」は確かに望ましいかもしれないが、その「結果」のために今ある秩序(具体的には日米安保とか)が壊れてしまうのは、万一の時のために掛けた保険の保険金で破産するようなものである、ということ。ここを抑えておかなければ、安全保障政策の担当者には何を言っても響かないだろう。
こういった経緯もあって、俺の議論はリアリズムが根本にあるわけだ。が、重要なのはここから。俺の議論は、リアリズムの論理からリベラリズム的な議論に持っていっている、ということ。がちがちのネオリアリズム的なところから「東アジア安全保障共同体」について論じたら俺たちが出したような結論にはならないだろう。ここは強調したおきたい。
以前の記事と重複するけど、俺が出した議論は↓
?東アジアで安全保障問題を考える際に最も重要なのは米中関係であり、中国と米国が根本的に単独行動主義の国である、という点で将来的な対立の可能性があるということを常に意識しなければならない。
?現在の秩序は米国主導で成り立っている。一方、中国は(この秩序に挑戦する可能性を持ちつつも)米国主導の現行秩序の中で行動している。
?以上のような戦略環境にある東アジアにおいて、「同床異夢の戦略的共存」が成立している今は、協調的安全保障を推進する戦略的好機にある。
ということ。俺の議論は、かなり早い段階でここまでは考えられていた。で、ここから日本がどのように動くべきか、ということについての政策提言を行ったわけなんだけど、それは↓
?日本は今までと同様緊密な日米同盟関係を維持すべきである。
?以上、挙げたような戦略環境の中で日本は、(最終的に最も重要な)中国ではなく、韓国・ASEAN諸国・オーストラリア・ニュージーランドなどとの提携を行うべきである。
で、その理由&シナリオは↓
?日米安保を堅持することによって、最低限今ある秩序は維持することが出来る。
?日本・韓国・オーストラリア・ニュージーランドは、共にアメリカの同盟国であり、その連携はアメリカにとっても望ましいものとなる。また、ASEANの一部も同様である。これらの国は中国やアメリカと異なり単独行動主義の国家ではない(=ある先生の言葉を借りれば「ミドルパワー」)ので、多国間主義には親和性があり、提携先としては成功可能性が高い。
?中国に対してその周辺国が多国間主義の攻勢をかけると中国としては、?自らの多国間主義の競争に参加、?単独行動に出る=軍拡、という選択肢があるが、周辺国の連携の背後にアメリカとの同盟があるため、軍拡のコストはとても高くなる。よって中国も多国間主義の競争へ参加し、東アジアに協調的安全保障の仕組みの萌芽が生まれる。
ということ。これが全体的な流れ。だから俺としては、この議論をリアリズムの議論、として捉えてその政策的有用性を論じないということの意味がよく分からない(これは会場にいた何人かの先生に対する批判になるのかな)。まとめると、リアリズムのコンテクストで最終的にリベラリズムのテクストを出したのが今回の「政策提言」ということになるわけだ。
◇
以上が発表の骨子なんだけど、これの根本的な弱点が「アメリカ」にあることは間違いない。あとは頭越しに「米中接近」という危険性があるんじゃないか、というのも弱点。この点は俺たちの間でも議論になった。結論としては、アメリカの同盟国が連携する、というのが今回の提言の重要なポイントとして考えることにして、その問題は実質的には棚上げしたわけだ。もっとも、アメリカと中国が根本的に単独行動主義、というところに議論の力点を置くとその両方に対して効果的な政策を提言することは非常に難しいと言えると思う。だからこそ、今回は米中間のある種の均衡状態を利用する、という形の提言を行ったわけだ。
う~ん、何かかなり難しい話になってきたような…。
以上の話を踏まえて、リアリズム・リベラリズム・コンストラクティビズムという話をすると…それは若干次元が異なるような印象がある。この3つについての分かりやすい分類は、春学期に国際政治経済論特殊研究で読んだ、Jack Snyder,"One World, Rival Theories"という論文だと思うんだけど、これって学問上の話なんじゃないのかな~、と俺は最近感じている。
つまり、何かを分析・説明する際には有用だけど、政策を作る際にこの枠組みはあまり有用じゃない、と俺は感じている。それよりは同じ3つの分類でも、高坂正堯の力(≒軍事力)・利益(≒経済力)・価値、という分類の方がしっくりくる。高坂の議論はこの3つとも欠いてはいけないという議論である点が重要。3つを統合したした上で何が言えるか、こそが高坂の論考の興味深い点だ。加えて言えば、俺にとってはリアリズム・リベラリズム・コンストラクティビズムという区分よりは、英国学派の議論の方がしっくりくる。
この辺の話はまたの機会に。
◇
とまあ、ここまでだらだら書いてかいてきたけど、かなり面倒だし分かりにくいので、卒論を書き上げたら友人と共著で「東アジア安全保障共同体と日本」について論文を書きます。というか早く書き上げてコピーライトをしっかりしておきたい。ネットからの無断引用がほんと多いらしいからね。
最後に一言だけ。この議論にはもちろんいくつか穴はあるんだけど、その穴にある程度目をつぶって、その先を見据えた有意義な戦略論が出来ればいいな、と思ってます。これもどこかで聞いたような言い方だけど(笑)。
まぁ、乞うご期待、ということで。
at 23:41|Permalink│Comments(3)│
2005年11月29日
!。
一昨日のエントリーに対するコメントで後輩から「老婆心」という言葉を頂きました…!。ま、元から後輩とは思ってないんだけど、ちょっと面白い。さすが2年の時に合同ゼミ相手の4年に説教しただけのことはある(笑)。
「老婆心」云々のところについてはそんなに心配ないからご安心を(個人的メッセージ)。このブログには書いてないけど、自分とは異なる意見(色々な意味で)には誰よりも目を通しているし、常に自分を相対的に見ることが出来るように心がけているから。『国際関係論とジェンダー』とかね。反面教師の○○さんの本もちゃんと何冊も読んだし。最近の目標は、「可能な限り人に分かる言葉で話すこと」、つまり専門家にしか通用しない言葉を出来る限り使わないということ。
ちなみに読書をする際に最近心がけているのは、自分の専門分野(日本外交&国際政治)に関して「5分10分で要旨を理解すればいい本と、じっくり読む本を選別出来るようになること」だ。これは入江昭の本を読んで以来のこと。最近ようやくこのこつが分かってきた。もっとも、これは人によって違う基準なんだろうし、誰かに教えるつもりもないんだけどね。読まなければならない本は大学院に入れば莫大な量になるわけで、そこにづお対処するか、これは何とかなりそうだ。
軌道修正。ちゃんとコメントしないといけないのは、
分科会の報告を振り返ると、主に中国にたいするステイタスクオを「願望」するアカデミズム、スペシャリストによって、日本外交に対する政策に問題が生じている。それを踏まえた上で、戦略的政策を考察しなければならないのではないか。
こういった内容だったと思うが、では「あの報告」の背景にはアメリカのステイタスクオを願望する背景が潜んでいるのではないか?と自身は考えています。すべての前提において日米関係は「現状」であることを仮定しているのではないか?もし、中国を「変数」として捉えるならば、なぜアメリカは「変数」として捉えないのか?捉えているならば、報告に含めて欲しかった。ぜひその点に関して聞いてみたいところであります。
という部分について。一応、話に補助線を付けておかないといけないと思うので簡単に週末の議論を紹介する。分科会テーマは「東アジア安全保障共同体を目指して」ということで議論が行われた。で2泊3日の議論後、俺と友人の意見を95%反映した報告を限られた10分という時間の中でやったわけです。というわけで、もちろんそれに合わせた分量の報告になった。
具体的な流れはちゃんとしたレポートを友人と共著で書こうと考えているので省略するが、議論の前提となる国際政治認識は…
?東アジアで安全保障問題を考える際に最も重要なのは米中関係であり、中国と米国が根本的に単独行動主義の国である、という点で将来的な対立の可能性があるということを常に意識しなければならない。
?現在の秩序は米国主導で成り立っている。一方、中国は(この秩序に挑戦する可能性を持ちつつも)米国主導の現行秩序の中で行動している。
?以上のような戦略環境にある東アジアにおいて、「同床異夢の戦略的共存」が成立している今は、協調的安全保障推進する戦略的好機にある。
と、どこかで聞いたことがある議論、というか俺の大学院での指導教授の議論にかなり乗っかっている。でも、ゼロから2人で考えた結果としてこの結論になったというのは重要。ようやく「ミドルパワー外交」論の入り口に立つことが出来た、といったところかな。
再び軌道修正。そこで引用したコメント「『あの報告』の背景にはアメリカのステイタスクオを願望する背景が潜んでいるのではないか」についての俺の意見は↓
米中関係そのものを考える上での、理論的問題関心という意味ではその通りだと思う。でも、現在の国際秩序は我々が考えている以上にアメリカ主導でつくられたのも事実であり、またそれは現在も持続している。この持続は中長期的なもの(中国の「現状維持政策」とは時間的な長さが全く異なる)。「あの報告」が現在を起点にした戦略について考えていることを考えれば、アメリカのステイタスクオを前提とすることは当然のこと。
ということ。ついでに1つ付け加えると、報告の重点はこの現状認識の先にあるわけで、そちらこそ個人的には重要だと思ってるんだよね。あと、アメリカ主導の国際秩序が失われる、ということはそうそう無いと言い切れる。もちろん「アメリカ主導の国際秩序」の定義によるわけだけど。アメリカを考える際に重要なのは、アメリカ主導の国際秩序の崩壊よりも、それにさえ反対することのあるネオコンが政策を動かしたケースの見極めなんじゃないかな。とはいえネオコンの過大評価も禁物。ブッシュ政権の政策形成過程をウッドワードの『ブッシュの戦争』『攻撃計画』や春原剛『米朝対立』あたりを参考に考えてみても、それなりに「合理的」な思考をしているんじゃないだろうか。
以上の話は具体的にどういった報告をしたのかが分からないとほとんど意味が分からないかもしれない。卒論&授業の発表に目途が付いたら、ここでの話も含めてレポートの形にまとめます。
◇◇◇
今日の地域研究論特殊研究?では、比較政治学と地域研究の関係、認識としての2元論と3元論の問題、西洋で生まれたデモクラシーを尺度に途上国を見ることの問題、などなど非常に興味深いテーマが議論になった。これは時間が出来てからちゃんとしたコメントをします。
「老婆心」云々のところについてはそんなに心配ないからご安心を(個人的メッセージ)。このブログには書いてないけど、自分とは異なる意見(色々な意味で)には誰よりも目を通しているし、常に自分を相対的に見ることが出来るように心がけているから。『国際関係論とジェンダー』とかね。反面教師の○○さんの本もちゃんと何冊も読んだし。最近の目標は、「可能な限り人に分かる言葉で話すこと」、つまり専門家にしか通用しない言葉を出来る限り使わないということ。
ちなみに読書をする際に最近心がけているのは、自分の専門分野(日本外交&国際政治)に関して「5分10分で要旨を理解すればいい本と、じっくり読む本を選別出来るようになること」だ。これは入江昭の本を読んで以来のこと。最近ようやくこのこつが分かってきた。もっとも、これは人によって違う基準なんだろうし、誰かに教えるつもりもないんだけどね。読まなければならない本は大学院に入れば莫大な量になるわけで、そこにづお対処するか、これは何とかなりそうだ。
軌道修正。ちゃんとコメントしないといけないのは、
分科会の報告を振り返ると、主に中国にたいするステイタスクオを「願望」するアカデミズム、スペシャリストによって、日本外交に対する政策に問題が生じている。それを踏まえた上で、戦略的政策を考察しなければならないのではないか。
こういった内容だったと思うが、では「あの報告」の背景にはアメリカのステイタスクオを願望する背景が潜んでいるのではないか?と自身は考えています。すべての前提において日米関係は「現状」であることを仮定しているのではないか?もし、中国を「変数」として捉えるならば、なぜアメリカは「変数」として捉えないのか?捉えているならば、報告に含めて欲しかった。ぜひその点に関して聞いてみたいところであります。
という部分について。一応、話に補助線を付けておかないといけないと思うので簡単に週末の議論を紹介する。分科会テーマは「東アジア安全保障共同体を目指して」ということで議論が行われた。で2泊3日の議論後、俺と友人の意見を95%反映した報告を限られた10分という時間の中でやったわけです。というわけで、もちろんそれに合わせた分量の報告になった。
具体的な流れはちゃんとしたレポートを友人と共著で書こうと考えているので省略するが、議論の前提となる国際政治認識は…
?東アジアで安全保障問題を考える際に最も重要なのは米中関係であり、中国と米国が根本的に単独行動主義の国である、という点で将来的な対立の可能性があるということを常に意識しなければならない。
?現在の秩序は米国主導で成り立っている。一方、中国は(この秩序に挑戦する可能性を持ちつつも)米国主導の現行秩序の中で行動している。
?以上のような戦略環境にある東アジアにおいて、「同床異夢の戦略的共存」が成立している今は、協調的安全保障推進する戦略的好機にある。
と、どこかで聞いたことがある議論、というか俺の大学院での指導教授の議論にかなり乗っかっている。でも、ゼロから2人で考えた結果としてこの結論になったというのは重要。ようやく「ミドルパワー外交」論の入り口に立つことが出来た、といったところかな。
再び軌道修正。そこで引用したコメント「『あの報告』の背景にはアメリカのステイタスクオを願望する背景が潜んでいるのではないか」についての俺の意見は↓
米中関係そのものを考える上での、理論的問題関心という意味ではその通りだと思う。でも、現在の国際秩序は我々が考えている以上にアメリカ主導でつくられたのも事実であり、またそれは現在も持続している。この持続は中長期的なもの(中国の「現状維持政策」とは時間的な長さが全く異なる)。「あの報告」が現在を起点にした戦略について考えていることを考えれば、アメリカのステイタスクオを前提とすることは当然のこと。
ということ。ついでに1つ付け加えると、報告の重点はこの現状認識の先にあるわけで、そちらこそ個人的には重要だと思ってるんだよね。あと、アメリカ主導の国際秩序が失われる、ということはそうそう無いと言い切れる。もちろん「アメリカ主導の国際秩序」の定義によるわけだけど。アメリカを考える際に重要なのは、アメリカ主導の国際秩序の崩壊よりも、それにさえ反対することのあるネオコンが政策を動かしたケースの見極めなんじゃないかな。とはいえネオコンの過大評価も禁物。ブッシュ政権の政策形成過程をウッドワードの『ブッシュの戦争』『攻撃計画』や春原剛『米朝対立』あたりを参考に考えてみても、それなりに「合理的」な思考をしているんじゃないだろうか。
以上の話は具体的にどういった報告をしたのかが分からないとほとんど意味が分からないかもしれない。卒論&授業の発表に目途が付いたら、ここでの話も含めてレポートの形にまとめます。
◇◇◇
今日の地域研究論特殊研究?では、比較政治学と地域研究の関係、認識としての2元論と3元論の問題、西洋で生まれたデモクラシーを尺度に途上国を見ることの問題、などなど非常に興味深いテーマが議論になった。これは時間が出来てからちゃんとしたコメントをします。
at 22:22|Permalink│Comments(2)│
2005年11月08日
地域研究論特殊研究?発表。
地域研究論特殊研究?発表。まぁ、発表といっても課題論文の内容を簡単に紹介して終わりなので、今回は転載しません。課題論文は、Guillermo O'Donnell, “ILLUSIONS ABOUT CONSOLIDATION”。ダールのポリアーキー論などを下敷きにしつつも、その限界を指摘。具体的には、非西洋社会においてはポリアーキー論で取り上げられるようなフォーマルなルールだけでなく、インフォーマルなルールにも着目しなければ民主主義の定着(確立)は理解できない、ということ。極めて分かりやすく、そして説得的な議論。ただ、政治文化論的に、全てをインフォーマルなルールの存在で説明してしまう、という危険性も付きまとう議論であることも確かなんだろう。ちなみに論文の題名の「ILLUSIONS ABOUT CONSOLIDATION」は「非公式な制度が『制度化』されている」という状態。表面上ポリアーキーが機能していても、それがインフォーマルなルールに基づいているのであれば、それは民主主義の定着とはいえない、ということ。
結局、発表はこの論文の骨子(インフォーマル・ルールの重視)だけを簡単に紹介するだけにした。いつも発言する何人かが、授業に来ていなかったということもあって、ほとんど議論にならず。というわけで、熟読の成果は生かせなかった。わざわざ特殊研究のような授業を受講するなら、毎回何か発言するつもりで読んできてくれればな~、と思う。
今、書いていて感じたのだけど、democracyをどう訳すかというのはなかなか難しい。デモクラシーとカタカナで書いてもいいのかもしれないけど、やはり日本語に訳さなければ社会には根付かない。民主主義、民主制、民主政、どれがいいんだろうか。
一応、今日の発表が終わって、ひと区切り。あと1ヶ月ほどは特に課題もないので、卒論に向けて頑張ることにしよう…明日から。発表やレポートみたいな目前の課題をこなし終えた直後は何もやる気がしなくなる気がする。今日の午後はそんなところか。
発表終了後、ピザーラのカフェで友人達と話し、大銀杏の下で某中国研究のゼミの友人達と話し、品川に行ってクラスの友達と1ヶ月ぶりに話し(彼とはこういう関係らしい)、その後は某中国研究のゼミの飲みに混ざりに三田へ戻り、気付けば11時。くだらない話から、大学院の過ごし方、KKV(キング・コヘイン・ヴァーバ)の話まで、色々話す。これで一日終了。
クラスの友達と話していたときに話題に上ったのが「コミュニケーション能力」。仕事をしていく上で、その能力がどれだけ重要か、ということをきっかけにその話題になった。今日はとにかく色んな人と話したけど、これはコミュニケーション、図書館にこもるよりはよっぽどいいし、比べられないくらい大切なことなんだろう。
結局、発表はこの論文の骨子(インフォーマル・ルールの重視)だけを簡単に紹介するだけにした。いつも発言する何人かが、授業に来ていなかったということもあって、ほとんど議論にならず。というわけで、熟読の成果は生かせなかった。わざわざ特殊研究のような授業を受講するなら、毎回何か発言するつもりで読んできてくれればな~、と思う。
今、書いていて感じたのだけど、democracyをどう訳すかというのはなかなか難しい。デモクラシーとカタカナで書いてもいいのかもしれないけど、やはり日本語に訳さなければ社会には根付かない。民主主義、民主制、民主政、どれがいいんだろうか。
一応、今日の発表が終わって、ひと区切り。あと1ヶ月ほどは特に課題もないので、卒論に向けて頑張ることにしよう…明日から。発表やレポートみたいな目前の課題をこなし終えた直後は何もやる気がしなくなる気がする。今日の午後はそんなところか。
発表終了後、ピザーラのカフェで友人達と話し、大銀杏の下で某中国研究のゼミの友人達と話し、品川に行ってクラスの友達と1ヶ月ぶりに話し(彼とはこういう関係らしい)、その後は某中国研究のゼミの飲みに混ざりに三田へ戻り、気付けば11時。くだらない話から、大学院の過ごし方、KKV(キング・コヘイン・ヴァーバ)の話まで、色々話す。これで一日終了。
クラスの友達と話していたときに話題に上ったのが「コミュニケーション能力」。仕事をしていく上で、その能力がどれだけ重要か、ということをきっかけにその話題になった。今日はとにかく色んな人と話したけど、これはコミュニケーション、図書館にこもるよりはよっぽどいいし、比べられないくらい大切なことなんだろう。
at 23:45|Permalink│Comments(0)│
2005年10月27日
西洋外交史特殊研究?発表。
結局、大崎に泊まり、そのまま大学へ向かう。
2限、西洋外交史特殊研究?。H・ニコルソン『外交』の第1章~第5章。俺は討論者の役回り。レジュメは作らず口頭で発表。一応論旨&コメントは以下のとーり。
◇◇◇
?ニコルソンは一般的に用いられる「外交」という言葉を、その立法的側面に重きを置く「対外政策」と、その執行的側面に重きを置く「外交」に分類している。そして後者の分析を本書では行うとしている。しかし、現代のように首脳外交も発達し、また栗山尚一のオーラルヒストリーなどからも分かるように外務官僚の意識も変わってきている(局長以上の特定職の公務員は、政治家と意見が対立した場合、辞表を出して自分の信念を貫くべきと栗山はいう)状況において、ニコルソンの分類は適切なのだろうか。
→もう1人の討論者も「立法的側面と執行的側面」という分類についてコメントしていたが、俺の議論は若干彼の議論とは違う。俺の議論は、このような分類をする意味合いは十分あるのだろうが、現代において外交そのものが変質した状況を考えると、この分類はやや「時代錯誤」ではないか、ということ。このような文脈の違いがいまいち理解されていなかったようだ。また、授業中はあまり話すことが出来なかったが、俺がこだわりたかったのはニコルソンの議論の前提となっている「民主的統制」について。本書では、ニコルソンの本心がどこにあるにせよ文章の上では立法的側面についての「民主的統制」の必要性は認めている。ニコルソンの議論は、「民主的統制」というある種の「ウソ」に基づいた議論であり、この前提がある限り議論には明かな無理が出てくるのではないだろうか。国民による外交の監視は、大きな枠で政府の暴走を止める、という以上になることはないのではないか。それ以上詳細な外交テーマに関する統制は、学問やジャーナリズムの仕事だろう。
?本書は、西洋において発達した「外交」を扱っている。しかし19世紀半ば以降国際政治の世界は東アジアをはじめとして西洋の外へも広がった。そして現在は世界中に広がったともいえるだろう。そして東アジアには東アジアなりの、中東には中東なりの「外交」(西洋的な意味の外交ではないにしても)の発展があり、それが西洋流の「外交」をどのように受容したのか、ということを見なければ現代における「外交」の理解は一面的になってしまうのではないだろうか。
→こちらは、それほど考えた問題提起ではない。ニコルソンの議論の内側に入るのではなく、
やや離れることによって得られるものがあるのではないか、という知的な試み。これについては、俺の問題意識を逆さまにした考えがあることを先生がコメントしてくれた。西洋が東洋に進出したことによって東洋が変わるというのが俺の問題意識だが、逆に西洋が東洋と接触したことによって西洋自身が変化した、ということだ。非常に興味深い視点。
◇◇◇
諸事情によりこの記事は修正しました。よってオーノ君及び俺のコメントとのつながりが無くなってしまいましたがご了承下さい。
2限、西洋外交史特殊研究?。H・ニコルソン『外交』の第1章~第5章。俺は討論者の役回り。レジュメは作らず口頭で発表。一応論旨&コメントは以下のとーり。
◇◇◇
?ニコルソンは一般的に用いられる「外交」という言葉を、その立法的側面に重きを置く「対外政策」と、その執行的側面に重きを置く「外交」に分類している。そして後者の分析を本書では行うとしている。しかし、現代のように首脳外交も発達し、また栗山尚一のオーラルヒストリーなどからも分かるように外務官僚の意識も変わってきている(局長以上の特定職の公務員は、政治家と意見が対立した場合、辞表を出して自分の信念を貫くべきと栗山はいう)状況において、ニコルソンの分類は適切なのだろうか。
→もう1人の討論者も「立法的側面と執行的側面」という分類についてコメントしていたが、俺の議論は若干彼の議論とは違う。俺の議論は、このような分類をする意味合いは十分あるのだろうが、現代において外交そのものが変質した状況を考えると、この分類はやや「時代錯誤」ではないか、ということ。このような文脈の違いがいまいち理解されていなかったようだ。また、授業中はあまり話すことが出来なかったが、俺がこだわりたかったのはニコルソンの議論の前提となっている「民主的統制」について。本書では、ニコルソンの本心がどこにあるにせよ文章の上では立法的側面についての「民主的統制」の必要性は認めている。ニコルソンの議論は、「民主的統制」というある種の「ウソ」に基づいた議論であり、この前提がある限り議論には明かな無理が出てくるのではないだろうか。国民による外交の監視は、大きな枠で政府の暴走を止める、という以上になることはないのではないか。それ以上詳細な外交テーマに関する統制は、学問やジャーナリズムの仕事だろう。
?本書は、西洋において発達した「外交」を扱っている。しかし19世紀半ば以降国際政治の世界は東アジアをはじめとして西洋の外へも広がった。そして現在は世界中に広がったともいえるだろう。そして東アジアには東アジアなりの、中東には中東なりの「外交」(西洋的な意味の外交ではないにしても)の発展があり、それが西洋流の「外交」をどのように受容したのか、ということを見なければ現代における「外交」の理解は一面的になってしまうのではないだろうか。
→こちらは、それほど考えた問題提起ではない。ニコルソンの議論の内側に入るのではなく、
やや離れることによって得られるものがあるのではないか、という知的な試み。これについては、俺の問題意識を逆さまにした考えがあることを先生がコメントしてくれた。西洋が東洋に進出したことによって東洋が変わるというのが俺の問題意識だが、逆に西洋が東洋と接触したことによって西洋自身が変化した、ということだ。非常に興味深い視点。
◇◇◇
諸事情によりこの記事は修正しました。よってオーノ君及び俺のコメントとのつながりが無くなってしまいましたがご了承下さい。
at 22:01|Permalink│Comments(3)│
2005年10月06日
日本外交史特殊研究?発表。
大学院での指導教授の授業で発表。先生の著書の内容報告&問題提起を担当。内容報告は割愛して、問題提起だけコピペ。下線は問題提起というか「議論になるかな~というとこ」に引いてあるので、特に重要だとかそういうことではない。
今回の発表で、先月の面接以来の課題である大学院での研究計画に一定の目途が付いた。先生からも授業後にそれなりのコメントが貰えた。もう少し詰めてからちゃんと見て貰おうと思う。
◇◇◇
【問題提起】
<総論>
「ミドルパワー」という概念について論じることは筆者の意図ではないと思うが、やはり本書を理解する上ではこの概念の検討は避けては通れない。「日本はミドルパワーではないが『ミドルパワー外交』をしている」というように筆者の主張を理解することが重要なのではないか。
国力が「中級」より大きいとしても、そのことと外交資源をミドルパワー外交につぎこむということは決して矛盾することではない。とりわけ重要なのは、アジア侵略の歴史を背負い国家像の分裂に引き裂かれる日本外交に、大国外交の選択肢は実質的にないということである。そもそも大国外交は、歴史と伝統および価値に支えられたユニラテラリズムを特徴とし、軍事力を最後の拠り所とし、大国間政治や安全保障の領域を中心とした国際システムの基本構造を左右する。それに対し、大国が規定する国際システムを所与とし、かつ大国との全面的対立を外交上の選択肢として放棄しつつも、それ以外の領域で一定の主体性を保持しようとする外交が、ミドルパワー外交なのである。(25頁)
・かつて筆者は70年代前半までの日本外交研究のための理念型として、日本外交を「対米協調・対米自主・対米独立」の三つの路線を提示したが、「ミドルパワー外交」は対米協調路線とどこが異なるのか(添谷芳秀「戦後日本外交の構図」『法学研究』第65号第2巻、1992年2月)
・イギリスやフランスは~パワー、~パワー外交なのか?
→(日本より経済力や人口では劣る)フランスがイラク戦争時の議論でアメリカに「ノン」を突きつけられたのは、足場としてヨーロッパがあり、勢力圏としてアフリカを持ち、外交の最終的担保としての軍事力(=核)を持っていたからであった。(山田文比古『フランスの外交力』集英社新書)
→「フランスに大国の政策が必要なのは、フランスがもはや大国ではないからである。フランスがもはや大国でない以上、フランスは、大国としての政策を持たなければ、もはや無に等しい存在に堕してしまう」とドゴールは言ったという。(同上)
・日本の国力が仮に「大国」(ミドルパワー以上と言い換えてもいい)であるとすれば、日本の受動的な動きは国際システムを左右するのではないか。70年代の日中国交正常化、日中平和友好条約のソ連から見た意味をどう考えるか。
→もしそうであるとすれば、1970年代のように大国間関係が流動的な時代には日本外交は選択の幅が狭められ、身動きが取れないということになるのではないか
<各論>
・本書ではなぜ吉田路線を戦後日本が選択したのかという点に関連して「日本にとっての不幸は、戦後日本外交の基軸となった憲法九条と日米安保条約は、全く異なった国際政治情勢の下でそれぞれ不可避のものとして選択せざるを得なかったことにあった」(61頁)と述べている。その上で、「吉田が行ったのは、何か創造的なものをつくりあげると仕事いうよりは、国際政治情勢と日本の国論がひどく混乱するなかで、護るべきものを護るということであった」(同上)としている。
→吉田路線の選択は、戦後日本にとって避けることのできない「必然」だったのだろうか。もしそうであるならば、吉田の評価はどうあるべきなのだろうか
・本書の副題は「戦後日本の構想と選択」であるが、それならばアジア外交における様々な(実現しなかった)構想も検討対象になるのではないか?
→渡辺昭夫や井上寿一がその重要性を指摘している、敗戦直後の「戦後問題研究会」(大来佐武郎・大内兵衛・宇野弘蔵・山田盛太郎・東畑精一などが主要メンバーとなり右から左まで様々な人間が集まった)の研究成果『日本経済再建の基本問題』などは、その後の大平の環太平洋連帯構想へ繋がったという点からも重要だと考えられる。これはその他の実現しなかった構想などとは異なった構想といえるのではないか。(渡辺昭夫・編『戦後日本の対外政策』有斐閣、4-31頁、井上寿一「戦後外交の軌跡」『外交フォーラム』2004年11月号~2005年5月号)
・福田ドクトリンと環太平洋連帯構想を比較検討しなければ、70年代後半から80年代にかけての日本のアジアにおける外交の本質は理解できないのではないか
(デタントを受けて)始まった新しい役割への模索から日本外交が到達した答えが1977年の福田ドクトリンであり、1980年の大平構想(環太平洋連帯構想)であった。この両者は互いに矛盾しないながらも、その重点の置き方やニュアンスにおいて対照的なふたつのアプローチを、それぞれ代表していた。その意味で、この二つを比較することで当時の日本のアジア外交に存在していた選択の幅がどのようであったかを知ることができる。(渡辺昭夫『アジア・太平洋の国際関係と日本』東京大学出版会、113頁)
・また、日米関係かアジアかという選択を超えて、ニュージーランドとオーストラリアとのミドルパワー連携を含む広範な連帯を掲げた環太平洋連帯構想は、中曽根外交以上にミドルパワー外交として評価できるのではないか
・本書において中曽根外交の評価は非常に高い。しかしながら本書が評価する対米関係は中曽根が退陣する80年代後半は経済摩擦を中心に悪化していたのではないだろうか
→冷戦終結後に日米関係の危機が叫ばれながらも「もった」のは中曽根外交における日米関係の制度化が進んでいたからだということもできるが、評価が別れるところだろう。また大平の環太平洋構想から続くアジア太平洋での経済協力の進展を評価することも可能である。(五百旗頭真・編『戦後日本外交史』有斐閣、222-224頁)
今回の発表で、先月の面接以来の課題である大学院での研究計画に一定の目途が付いた。先生からも授業後にそれなりのコメントが貰えた。もう少し詰めてからちゃんと見て貰おうと思う。
◇◇◇
【問題提起】
<総論>
「ミドルパワー」という概念について論じることは筆者の意図ではないと思うが、やはり本書を理解する上ではこの概念の検討は避けては通れない。「日本はミドルパワーではないが『ミドルパワー外交』をしている」というように筆者の主張を理解することが重要なのではないか。
国力が「中級」より大きいとしても、そのことと外交資源をミドルパワー外交につぎこむということは決して矛盾することではない。とりわけ重要なのは、アジア侵略の歴史を背負い国家像の分裂に引き裂かれる日本外交に、大国外交の選択肢は実質的にないということである。そもそも大国外交は、歴史と伝統および価値に支えられたユニラテラリズムを特徴とし、軍事力を最後の拠り所とし、大国間政治や安全保障の領域を中心とした国際システムの基本構造を左右する。それに対し、大国が規定する国際システムを所与とし、かつ大国との全面的対立を外交上の選択肢として放棄しつつも、それ以外の領域で一定の主体性を保持しようとする外交が、ミドルパワー外交なのである。(25頁)
・かつて筆者は70年代前半までの日本外交研究のための理念型として、日本外交を「対米協調・対米自主・対米独立」の三つの路線を提示したが、「ミドルパワー外交」は対米協調路線とどこが異なるのか(添谷芳秀「戦後日本外交の構図」『法学研究』第65号第2巻、1992年2月)
・イギリスやフランスは~パワー、~パワー外交なのか?
→(日本より経済力や人口では劣る)フランスがイラク戦争時の議論でアメリカに「ノン」を突きつけられたのは、足場としてヨーロッパがあり、勢力圏としてアフリカを持ち、外交の最終的担保としての軍事力(=核)を持っていたからであった。(山田文比古『フランスの外交力』集英社新書)
→「フランスに大国の政策が必要なのは、フランスがもはや大国ではないからである。フランスがもはや大国でない以上、フランスは、大国としての政策を持たなければ、もはや無に等しい存在に堕してしまう」とドゴールは言ったという。(同上)
・日本の国力が仮に「大国」(ミドルパワー以上と言い換えてもいい)であるとすれば、日本の受動的な動きは国際システムを左右するのではないか。70年代の日中国交正常化、日中平和友好条約のソ連から見た意味をどう考えるか。
→もしそうであるとすれば、1970年代のように大国間関係が流動的な時代には日本外交は選択の幅が狭められ、身動きが取れないということになるのではないか
<各論>
・本書ではなぜ吉田路線を戦後日本が選択したのかという点に関連して「日本にとっての不幸は、戦後日本外交の基軸となった憲法九条と日米安保条約は、全く異なった国際政治情勢の下でそれぞれ不可避のものとして選択せざるを得なかったことにあった」(61頁)と述べている。その上で、「吉田が行ったのは、何か創造的なものをつくりあげると仕事いうよりは、国際政治情勢と日本の国論がひどく混乱するなかで、護るべきものを護るということであった」(同上)としている。
→吉田路線の選択は、戦後日本にとって避けることのできない「必然」だったのだろうか。もしそうであるならば、吉田の評価はどうあるべきなのだろうか
・本書の副題は「戦後日本の構想と選択」であるが、それならばアジア外交における様々な(実現しなかった)構想も検討対象になるのではないか?
→渡辺昭夫や井上寿一がその重要性を指摘している、敗戦直後の「戦後問題研究会」(大来佐武郎・大内兵衛・宇野弘蔵・山田盛太郎・東畑精一などが主要メンバーとなり右から左まで様々な人間が集まった)の研究成果『日本経済再建の基本問題』などは、その後の大平の環太平洋連帯構想へ繋がったという点からも重要だと考えられる。これはその他の実現しなかった構想などとは異なった構想といえるのではないか。(渡辺昭夫・編『戦後日本の対外政策』有斐閣、4-31頁、井上寿一「戦後外交の軌跡」『外交フォーラム』2004年11月号~2005年5月号)
・福田ドクトリンと環太平洋連帯構想を比較検討しなければ、70年代後半から80年代にかけての日本のアジアにおける外交の本質は理解できないのではないか
(デタントを受けて)始まった新しい役割への模索から日本外交が到達した答えが1977年の福田ドクトリンであり、1980年の大平構想(環太平洋連帯構想)であった。この両者は互いに矛盾しないながらも、その重点の置き方やニュアンスにおいて対照的なふたつのアプローチを、それぞれ代表していた。その意味で、この二つを比較することで当時の日本のアジア外交に存在していた選択の幅がどのようであったかを知ることができる。(渡辺昭夫『アジア・太平洋の国際関係と日本』東京大学出版会、113頁)
・また、日米関係かアジアかという選択を超えて、ニュージーランドとオーストラリアとのミドルパワー連携を含む広範な連帯を掲げた環太平洋連帯構想は、中曽根外交以上にミドルパワー外交として評価できるのではないか
・本書において中曽根外交の評価は非常に高い。しかしながら本書が評価する対米関係は中曽根が退陣する80年代後半は経済摩擦を中心に悪化していたのではないだろうか
→冷戦終結後に日米関係の危機が叫ばれながらも「もった」のは中曽根外交における日米関係の制度化が進んでいたからだということもできるが、評価が別れるところだろう。また大平の環太平洋構想から続くアジア太平洋での経済協力の進展を評価することも可能である。(五百旗頭真・編『戦後日本外交史』有斐閣、222-224頁)
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2005年09月24日
総選挙に関する若干の考察。
ゼミの合宿&大学院試験も終わってひと段落ついたので、以前からの予告どーり、今回の総選挙に関する若干の考察をします。今回は政治学的な考察をするというよりは、新聞に識者がコメントをするようなノリで書いてみました。もっとも、まとまった文章というよりは、ばらばらのコメントの寄せ集めみたいな感じだけど…。お前は識者か!というつっこみは受け付けませんので悪しからず。何か考えるところがあればコメントをつけて下さい。
◆◆◆
・はじめに
9月11日に投開票が行われた今回の総選挙。結果は改めて指摘するまでもなく政府与党の圧勝。自民党は296議席を獲得、公明党の31議席と併せて衆議院の3分の1を占めるという空前の勝利である。これに、郵政法案に反対した議員の議席を加えれば潜在的な与党は350議席を超えることになる。このような結果になった今回の総選挙を我々はどのように考えればよいのだろうか。
・小泉の勝利
まず考えたいことは自民党の勝因である。果たして今回の選挙で勝ったのは自民党なのだろうか。これは広く指摘されていることであるが、今回の選挙は「小泉の勝利」である。まず、その戦略。小泉がやりたい郵政民営化に自民党内から反対者が出たために、衆議院は5票という僅差で通過、参議院では法案が否決されてしまった。結果、小泉は衆議院を解散・総選挙に打って出た。森前総理は「観測気球」を上げていたという話もあるが、今回の解散には基本的には大多数の与党議員は反対した。その結果はどうか。圧勝である。また、派閥間政治という観点からも今回の選挙結果は面白い。まず、郵政反対派が党から出た(出された)ことによって、いくつかの反主流派閥は衰退した。さらに、小泉の出身派閥である森派や主流派の山崎派や二階グループは議員数を増やした。また、派閥に入っていない新人議員が大量に当選したことによって、80人とも言われる「小泉チルドレン」が生まれた。これによって、小泉は従来以上に派閥に気を使う必要が無くなったわけだ。
・進む中央集権化
今回の総選挙は歴史に残る選挙であるといえよう。それは「小選挙区制」の定着であり、それに付随する中央集権化の進展である。今回の選挙の直接的な特徴は自民党の圧勝であるが、これをもたらしたのは「小選挙区制」である。現在、日本の衆議院選挙は300の小選挙区と180の比例代表の並立制である。従来、小選挙区制になっても政策論争ではなく「ドブ板選挙」が活発化しただけではないか、と言われてきた。しかし、今回の選挙ではこの定説は覆されたと言えるだろう。それは「刺客」が成功を収めたことと、都市部を中心に民主党から自民党へ多くの議席が移ったことによって説明できる。「刺客」の成功例として、小池百合子が圧勝した東京10区を挙げるのは容易であるが、それ以上に注目したいのは富山3区(綿貫民輔)や山梨2区(堀内光雄)である。これらは圧倒的な地盤と知名度を誇って、従来の選挙では綿貫・堀内がそれぞれ圧勝してきた選挙区である。前回の選挙で民主党候補に10万票以上の大差で圧勝した綿貫は今回「刺客」に2万票近くまで詰め寄られた。また、山梨2区は前回民主党が対立候補を立てることが出来なかったくらいに堀内の地盤が強い選挙区であったが、今回は「刺客」に900票差までに詰め寄られた。以上2つの選挙区はいわば従来の「旧保守」ともいえる選挙区である。このような選挙区においても小泉旋風が吹き、自民党後方が善戦したという事態は、選挙における中央集権が確実に強まっていることを意味する。結局、執行部から公認を貰えなければどれだけ看板と地盤とカバンがあっても苦戦するということが今回証明されたわけだ。もちろん地方での選挙と都市での選挙は異なる、しかしその結果についてはかなり近づいてきている、ということが重要なのだ。
・公明党との関係
自民党が圧勝した結果指摘されているのが、自民党と公明党との関係である。結論からいえば、両者の連立が解消することは当面無いだろう。一番大きな理由は参議院である。現在自民党は参議院で単独過半数を持っていない。つまり公明党と連立を組まなければ、参議院で重要法案を通すことが難しい。また注目すべきは、今回の選挙での得票数である。ここでは大まかな数字しか挙げないが、今回自民党が小選挙区で獲得した票は約3300万票、一方比例で獲得した票は約2500万票である、公明党の比例で獲得した票は約900万票である。公明党が小選挙区で8人を当選させたことを考えると、今回の選挙で明らかになったことは自民党候補の公明党への依存がさらに深まっていることである。毎日新聞の記事に寄れば、比例での公明票が全く小選挙区で自民党に入らなかったとしたら、小選挙区での自民の獲得議席は126議席になるという。今回の結果からは93人マイナスとなる。圧勝の影に公明党の存在があることは自民党の選挙責任者はよくわかっているだろう。よって、このような選挙結果となっても公明党との協力関係は基本的に変わらないと考えられる。
・民主党の今後
ここまで自民党の圧勝を中心に話を進めてきたが、民主党についてもコメントしておきたい。今回の結果を見て、民主党の今後に対する不安感が一挙に広まっている。政権交代は「当分起こらない」という意見もある。しかし、私はこの見方は正しくないと思う。なぜなら、今の制度が小選挙区比例代表並立制だからである。比例での議席が大きく変化することはない。問題は小選挙区である。小選挙区での民主党への得票数を100とした場合、自民党への得票数の約130である。実際の議席、民主党が52、自民党が219と比べるとそれほど大きい差ではない。もし自民党政権に対する批判が大きくなった時、民主党が自民党の1.3倍の得票を得ることがない、とは言い切れないだろう。民主党がいかに政党として成熟していないとしても、自民党のオルタナティブになれる政党は現在民主党しか存在しないのである。むしろ前回の水ぶくれから今回引き締まった分、民主党の中核となる議員の存在は際立った。今回の選挙で小選挙区を通った民主党議員こそ中核となる存在だろう。その中核の議員がこの不利な状況でどのように政治を行うかに民主党の将来はかかっているといえるだろう。
・おわりに
最後に、今回の選挙の政治的影響について。今回の選挙では、小泉の想定以上に自民党が圧勝したことは間違いない。東京で、比例名簿の人数が足りなかったことなど象徴的である。想定以上の圧勝の結果、小泉の政治基盤は限りなく強化されたといえる。外交上はこれによってイニシアティブをとり易くなったし、また内政においても自民党内をまとめればある程度思い切ったことも可能になっただろう。問題はポスト小泉である。ポスト小泉の自民党総裁は、非常に不利な立場におかれる。なぜなら小泉が先送りした重要かる政治的に難しい問題が山積しているからである。財政再建とそれに伴うであろう消費税引き上げ、憲法改正、対アジア外交などがそれである。どの道を進んだとしても今回の選挙を超える勝利は難しいだろう。今後の政治は、ポスト小泉を考えながら政策課題を見ていく必要がある。なお、憲法改正をめぐっては大規模な政界再編が起こる可能性もあることを最後に指摘しておきたい。
◆◆◆
・はじめに
9月11日に投開票が行われた今回の総選挙。結果は改めて指摘するまでもなく政府与党の圧勝。自民党は296議席を獲得、公明党の31議席と併せて衆議院の3分の1を占めるという空前の勝利である。これに、郵政法案に反対した議員の議席を加えれば潜在的な与党は350議席を超えることになる。このような結果になった今回の総選挙を我々はどのように考えればよいのだろうか。
・小泉の勝利
まず考えたいことは自民党の勝因である。果たして今回の選挙で勝ったのは自民党なのだろうか。これは広く指摘されていることであるが、今回の選挙は「小泉の勝利」である。まず、その戦略。小泉がやりたい郵政民営化に自民党内から反対者が出たために、衆議院は5票という僅差で通過、参議院では法案が否決されてしまった。結果、小泉は衆議院を解散・総選挙に打って出た。森前総理は「観測気球」を上げていたという話もあるが、今回の解散には基本的には大多数の与党議員は反対した。その結果はどうか。圧勝である。また、派閥間政治という観点からも今回の選挙結果は面白い。まず、郵政反対派が党から出た(出された)ことによって、いくつかの反主流派閥は衰退した。さらに、小泉の出身派閥である森派や主流派の山崎派や二階グループは議員数を増やした。また、派閥に入っていない新人議員が大量に当選したことによって、80人とも言われる「小泉チルドレン」が生まれた。これによって、小泉は従来以上に派閥に気を使う必要が無くなったわけだ。
・進む中央集権化
今回の総選挙は歴史に残る選挙であるといえよう。それは「小選挙区制」の定着であり、それに付随する中央集権化の進展である。今回の選挙の直接的な特徴は自民党の圧勝であるが、これをもたらしたのは「小選挙区制」である。現在、日本の衆議院選挙は300の小選挙区と180の比例代表の並立制である。従来、小選挙区制になっても政策論争ではなく「ドブ板選挙」が活発化しただけではないか、と言われてきた。しかし、今回の選挙ではこの定説は覆されたと言えるだろう。それは「刺客」が成功を収めたことと、都市部を中心に民主党から自民党へ多くの議席が移ったことによって説明できる。「刺客」の成功例として、小池百合子が圧勝した東京10区を挙げるのは容易であるが、それ以上に注目したいのは富山3区(綿貫民輔)や山梨2区(堀内光雄)である。これらは圧倒的な地盤と知名度を誇って、従来の選挙では綿貫・堀内がそれぞれ圧勝してきた選挙区である。前回の選挙で民主党候補に10万票以上の大差で圧勝した綿貫は今回「刺客」に2万票近くまで詰め寄られた。また、山梨2区は前回民主党が対立候補を立てることが出来なかったくらいに堀内の地盤が強い選挙区であったが、今回は「刺客」に900票差までに詰め寄られた。以上2つの選挙区はいわば従来の「旧保守」ともいえる選挙区である。このような選挙区においても小泉旋風が吹き、自民党後方が善戦したという事態は、選挙における中央集権が確実に強まっていることを意味する。結局、執行部から公認を貰えなければどれだけ看板と地盤とカバンがあっても苦戦するということが今回証明されたわけだ。もちろん地方での選挙と都市での選挙は異なる、しかしその結果についてはかなり近づいてきている、ということが重要なのだ。
・公明党との関係
自民党が圧勝した結果指摘されているのが、自民党と公明党との関係である。結論からいえば、両者の連立が解消することは当面無いだろう。一番大きな理由は参議院である。現在自民党は参議院で単独過半数を持っていない。つまり公明党と連立を組まなければ、参議院で重要法案を通すことが難しい。また注目すべきは、今回の選挙での得票数である。ここでは大まかな数字しか挙げないが、今回自民党が小選挙区で獲得した票は約3300万票、一方比例で獲得した票は約2500万票である、公明党の比例で獲得した票は約900万票である。公明党が小選挙区で8人を当選させたことを考えると、今回の選挙で明らかになったことは自民党候補の公明党への依存がさらに深まっていることである。毎日新聞の記事に寄れば、比例での公明票が全く小選挙区で自民党に入らなかったとしたら、小選挙区での自民の獲得議席は126議席になるという。今回の結果からは93人マイナスとなる。圧勝の影に公明党の存在があることは自民党の選挙責任者はよくわかっているだろう。よって、このような選挙結果となっても公明党との協力関係は基本的に変わらないと考えられる。
・民主党の今後
ここまで自民党の圧勝を中心に話を進めてきたが、民主党についてもコメントしておきたい。今回の結果を見て、民主党の今後に対する不安感が一挙に広まっている。政権交代は「当分起こらない」という意見もある。しかし、私はこの見方は正しくないと思う。なぜなら、今の制度が小選挙区比例代表並立制だからである。比例での議席が大きく変化することはない。問題は小選挙区である。小選挙区での民主党への得票数を100とした場合、自民党への得票数の約130である。実際の議席、民主党が52、自民党が219と比べるとそれほど大きい差ではない。もし自民党政権に対する批判が大きくなった時、民主党が自民党の1.3倍の得票を得ることがない、とは言い切れないだろう。民主党がいかに政党として成熟していないとしても、自民党のオルタナティブになれる政党は現在民主党しか存在しないのである。むしろ前回の水ぶくれから今回引き締まった分、民主党の中核となる議員の存在は際立った。今回の選挙で小選挙区を通った民主党議員こそ中核となる存在だろう。その中核の議員がこの不利な状況でどのように政治を行うかに民主党の将来はかかっているといえるだろう。
・おわりに
最後に、今回の選挙の政治的影響について。今回の選挙では、小泉の想定以上に自民党が圧勝したことは間違いない。東京で、比例名簿の人数が足りなかったことなど象徴的である。想定以上の圧勝の結果、小泉の政治基盤は限りなく強化されたといえる。外交上はこれによってイニシアティブをとり易くなったし、また内政においても自民党内をまとめればある程度思い切ったことも可能になっただろう。問題はポスト小泉である。ポスト小泉の自民党総裁は、非常に不利な立場におかれる。なぜなら小泉が先送りした重要かる政治的に難しい問題が山積しているからである。財政再建とそれに伴うであろう消費税引き上げ、憲法改正、対アジア外交などがそれである。どの道を進んだとしても今回の選挙を超える勝利は難しいだろう。今後の政治は、ポスト小泉を考えながら政策課題を見ていく必要がある。なお、憲法改正をめぐっては大規模な政界再編が起こる可能性もあることを最後に指摘しておきたい。
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2005年08月09日
「郵政解散」に思うこと。
今日は長崎に原爆が投下されてから60年だ。そして3日前は、広島への原爆投下から60年。ということで、例の如く「8月ジャーナリズム」(佐藤卓己『8月15日の神話』参照)が真っ盛りかと思いきや、今年の焦点は永田町での政局にあった。結局、昨日8月8日の参議院本会議で郵政法案は否決、小泉総理は即衆院解散を決断、解散詔書が天皇陛下から出され、それを河野衆院議長が読み上げ、衆議院は解散となった。以下、「郵政解散」について若干の考察と感想を述べていこうと思う。なお、俺は当面は基本的に「政治活動」に関わるつもりも、床屋政談をするつもりもないので、以下で政治的主張はするつもりはないです、悪しからず。
◆◆◆
・はじめに
今回の「郵政解散」には、政治学を学ぶものにとって興味深い点が数多くある。その中のいくつかを指摘し論じることが本稿の目的であり、いずれかの政党の善し悪しや、郵政問題そのものを論じることが目的ではない。政治学を学ぶものの視点から、巷で語られる「郵政解散」論から抜け落ちたものを指摘してみたい。
・三権分立
昨日今日のニュースで多くの議員が口にした「三権分立」。初めにことわっておくが、日本は(少なくともアメリカ型の)三権分立では決してない。日本が三権分立だというのは中学高校の公民教育における代表的な誤りである。日本は大統領制ではなく議院内閣制を採用している。議院内閣制は権力分立ではなく権力融合の体制である。立法権と行政権の融合によって政治を行う体制となっている。だからこそ、立法権と行政権の間に乖離が生じた場合、憲法上の手続きに従って総理大臣は議会を解散することが出来るのである。このことは次に論じる「参議院問題」と大きく関係している。
・参議院問題
今回の解散における最大の問題はやはり「参議院問題」だろう。解散反対派の亀井静香代議士が再三指摘していたのも「衆議院を通った法案が参議院で否決されたから衆議院を解散するのはおかしい」ということだ。この亀井氏の主張には一理あるのだが、選挙でのインパクトには欠けるだろう。小泉総理は「衆参一体で国会」と考えて、国会で否決されたから国会を解散して国民の信を問う、という主張をしており、これは圧倒的に分かりやすく国民にも受け入れられるだろう。ここで問題にしたいのは「分割政府」である。前項で指摘したように、議院内閣制は権力融合の体制である。その融合にひびが入った場合、首相は議会を解散することが出来る。しかし参議院には首相の解散権は及ばない。つまり、首相と参議院との間にひびが入った場合、それを修復することを(解散総選挙に打って出るという形で)短期的に行うのは難しいということである。これだけでも参議院問題は重要なのだが、他にも様々なケースで参議院は重要になる。例えば、衆議院選挙で与野党逆転が起こったとしても、与野党間の政権交代が起こるとは限らない。それは参議院の議席は変わらないからだ。首相指名に関しては衆議院が優先することが憲法に定められているので大きな問題はない。しかし一般の法案の成立に大きな影響を与えるのは間違いない。つまり今回の衆議院選挙で仮に民主党が単独過半数を獲得したとしても、参議院のことを考えると公明党もしくは自民党の一部と連立を組まざるえない、ということだ。また、参議院選挙で与野党逆転(もしくはそれに近い事態)が起こることもある。これは実際に89年の参議院選挙で起こったことである。結果、自民党は法案の成立のため民社党と公明党に大きな譲歩を重ねることになった。ちなみに参議院問題が初めて認識されたのも89年のこの選挙である。このような参議院問題は、憲法改正においても主要な争点となるべき重要な問題であるのだが、先行研究は少ない。とりあえず今年の年報政治学に掲載されている、竹中治堅「『日本型分割政府』と参議院の役割」がお薦め。9月11日の選挙後、もし与野党逆転(もしくはそれに近い事態)が起きたときに参議院がどうなるか、非常に興味深い。本稿の一番下に現在の参議院の会派別勢力を載せておいたが、民主党は公明党と連立を組んでも参議院では少数だ。さてさてどうなるのだろう。
・選挙制度
次に考えたいのは選挙制度の問題。よく「90年代前半の政治改革で何が変わったんだ、何も政治は変わっていないじゃないか」というような議論があるがこれは大きな間違いである。あの改革が無ければ、小泉政権は生まれなかっただろうし、今回の郵政解散のような事態は発生することはなかった。周知の通り、90年代に日本の選挙制度は大きく変わった。簡単にいえば、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制への移行である。その後の定数削減などもあり、現在では全国300の小選挙区及び180の比例区(これは地域ごと)によって衆議院選挙は争われている。それまでは政党に所属していたとしても、1つの政党から何人もが同じ選挙区で争ったので、候補者それぞれはあくまで自分の顔が看板であった。しかし今はそれぞれの候補は選挙区でただ1人の自党の候補者なのである。結果、派閥の力の減少及び党執行部の力の上昇が起こったことは間違いない。小泉政権の党運営は改革以前では考えられないほどの「ごり押し」である。この小選挙区下での選挙では何が起こりうるか。それは与野党の一挙逆転である。もちろん比例区が180あるので、イギリスやカナダのような大きな逆転が起こるとはいえないが、従来の中選挙区制では起こり得なかった与野党逆転が起こり得るわけだ。具体的にいえば、今回の選挙で自民が分裂選挙を戦うのを尻目に、民主党が漁夫の利を得るのは大いにあり得る。このような選挙制度改革が何をもたらしたかといえば、それは政党の変質である。どの政党も政権交代を視野に入れた活動を行うようになっている。そういう意味で、現在の自民党と民主党を55年体制下の自民党と社会党とのアナロジーで見るのは間違っている。強調したいのは、社会党と民主党との違いではなく、55年体制下の自民党と現在の自民党の違いである。55年体制下の自民党は、派閥政治を行うことで疑似政権交代を行ってきた。国民としても、それを受け入れていたといえるだろう。例えば田中政権後の三木政権の成立などその好例である。しかし今は異なる。現在はこのような疑似政権交代は国民に受け入れられないだろうし、制度そのものがよりドラスティックなものになっているのだ。
・選挙の話
で、選挙の話。当然興味深いのは、郵政法案に反対した37人と棄権・欠席した14人の選挙区。自民党執行部が郵政法案に反対した37人に公認を与えないのは確実。この37の選挙区(比例区当選者もいるが、公認が出なければ選挙区からの立候補となる)がどうなるか、郵政民営化の賛成派か、反対派か、それとも民主党か、非常に興味深い。また意外と面白いのが棄権・欠席の14の選挙区、小泉はどう出るか。ところで二大政党といっても、現在自民党と民主党は74の議席差、公明を入れると108の議席差がある。これを逆転するには、他の政党の議席に変化がなく、現有議席を民主党が全て確保したとしても、37の選挙区で自民党に勝たなくてはならない。37という数字の偶然がなかなか面白い。ちなみに公明も含めて与野党逆転するには54選挙区での与野党逆転が必要となる。
ちなみに現在の各会派の勢力は↓
【衆議院】
250自民
34公明
176民主・無クラブ
9共産
6社民・市クラブ
3無所属
2欠員
――――――――
480合計
【参議院】
114自民
24公明
84民主・新緑
9共産
6社民・護憲
5無所属
――――――――
242合計
◆◆◆
以上、偉そうなことを色々書いたけど、要は選挙が楽しみということ(かな?)。この選挙で民主党の真価が問われるんだろう。ついに小泉は公約の「自民党をぶっ壊す」を実行しようとしているわけだ。残念ながら俺の東京5区は民主党が議席を持っていて、しかも比例復活当選の自民党議員は山崎派の郵政改革賛成組ということで面白くない。えー、ちなみに俺の個人的政治信条については、直接聞いてくれればそれなりにちゃんと答えます。
◆◆◆
・はじめに
今回の「郵政解散」には、政治学を学ぶものにとって興味深い点が数多くある。その中のいくつかを指摘し論じることが本稿の目的であり、いずれかの政党の善し悪しや、郵政問題そのものを論じることが目的ではない。政治学を学ぶものの視点から、巷で語られる「郵政解散」論から抜け落ちたものを指摘してみたい。
・三権分立
昨日今日のニュースで多くの議員が口にした「三権分立」。初めにことわっておくが、日本は(少なくともアメリカ型の)三権分立では決してない。日本が三権分立だというのは中学高校の公民教育における代表的な誤りである。日本は大統領制ではなく議院内閣制を採用している。議院内閣制は権力分立ではなく権力融合の体制である。立法権と行政権の融合によって政治を行う体制となっている。だからこそ、立法権と行政権の間に乖離が生じた場合、憲法上の手続きに従って総理大臣は議会を解散することが出来るのである。このことは次に論じる「参議院問題」と大きく関係している。
・参議院問題
今回の解散における最大の問題はやはり「参議院問題」だろう。解散反対派の亀井静香代議士が再三指摘していたのも「衆議院を通った法案が参議院で否決されたから衆議院を解散するのはおかしい」ということだ。この亀井氏の主張には一理あるのだが、選挙でのインパクトには欠けるだろう。小泉総理は「衆参一体で国会」と考えて、国会で否決されたから国会を解散して国民の信を問う、という主張をしており、これは圧倒的に分かりやすく国民にも受け入れられるだろう。ここで問題にしたいのは「分割政府」である。前項で指摘したように、議院内閣制は権力融合の体制である。その融合にひびが入った場合、首相は議会を解散することが出来る。しかし参議院には首相の解散権は及ばない。つまり、首相と参議院との間にひびが入った場合、それを修復することを(解散総選挙に打って出るという形で)短期的に行うのは難しいということである。これだけでも参議院問題は重要なのだが、他にも様々なケースで参議院は重要になる。例えば、衆議院選挙で与野党逆転が起こったとしても、与野党間の政権交代が起こるとは限らない。それは参議院の議席は変わらないからだ。首相指名に関しては衆議院が優先することが憲法に定められているので大きな問題はない。しかし一般の法案の成立に大きな影響を与えるのは間違いない。つまり今回の衆議院選挙で仮に民主党が単独過半数を獲得したとしても、参議院のことを考えると公明党もしくは自民党の一部と連立を組まざるえない、ということだ。また、参議院選挙で与野党逆転(もしくはそれに近い事態)が起こることもある。これは実際に89年の参議院選挙で起こったことである。結果、自民党は法案の成立のため民社党と公明党に大きな譲歩を重ねることになった。ちなみに参議院問題が初めて認識されたのも89年のこの選挙である。このような参議院問題は、憲法改正においても主要な争点となるべき重要な問題であるのだが、先行研究は少ない。とりあえず今年の年報政治学に掲載されている、竹中治堅「『日本型分割政府』と参議院の役割」がお薦め。9月11日の選挙後、もし与野党逆転(もしくはそれに近い事態)が起きたときに参議院がどうなるか、非常に興味深い。本稿の一番下に現在の参議院の会派別勢力を載せておいたが、民主党は公明党と連立を組んでも参議院では少数だ。さてさてどうなるのだろう。
・選挙制度
次に考えたいのは選挙制度の問題。よく「90年代前半の政治改革で何が変わったんだ、何も政治は変わっていないじゃないか」というような議論があるがこれは大きな間違いである。あの改革が無ければ、小泉政権は生まれなかっただろうし、今回の郵政解散のような事態は発生することはなかった。周知の通り、90年代に日本の選挙制度は大きく変わった。簡単にいえば、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制への移行である。その後の定数削減などもあり、現在では全国300の小選挙区及び180の比例区(これは地域ごと)によって衆議院選挙は争われている。それまでは政党に所属していたとしても、1つの政党から何人もが同じ選挙区で争ったので、候補者それぞれはあくまで自分の顔が看板であった。しかし今はそれぞれの候補は選挙区でただ1人の自党の候補者なのである。結果、派閥の力の減少及び党執行部の力の上昇が起こったことは間違いない。小泉政権の党運営は改革以前では考えられないほどの「ごり押し」である。この小選挙区下での選挙では何が起こりうるか。それは与野党の一挙逆転である。もちろん比例区が180あるので、イギリスやカナダのような大きな逆転が起こるとはいえないが、従来の中選挙区制では起こり得なかった与野党逆転が起こり得るわけだ。具体的にいえば、今回の選挙で自民が分裂選挙を戦うのを尻目に、民主党が漁夫の利を得るのは大いにあり得る。このような選挙制度改革が何をもたらしたかといえば、それは政党の変質である。どの政党も政権交代を視野に入れた活動を行うようになっている。そういう意味で、現在の自民党と民主党を55年体制下の自民党と社会党とのアナロジーで見るのは間違っている。強調したいのは、社会党と民主党との違いではなく、55年体制下の自民党と現在の自民党の違いである。55年体制下の自民党は、派閥政治を行うことで疑似政権交代を行ってきた。国民としても、それを受け入れていたといえるだろう。例えば田中政権後の三木政権の成立などその好例である。しかし今は異なる。現在はこのような疑似政権交代は国民に受け入れられないだろうし、制度そのものがよりドラスティックなものになっているのだ。
・選挙の話
で、選挙の話。当然興味深いのは、郵政法案に反対した37人と棄権・欠席した14人の選挙区。自民党執行部が郵政法案に反対した37人に公認を与えないのは確実。この37の選挙区(比例区当選者もいるが、公認が出なければ選挙区からの立候補となる)がどうなるか、郵政民営化の賛成派か、反対派か、それとも民主党か、非常に興味深い。また意外と面白いのが棄権・欠席の14の選挙区、小泉はどう出るか。ところで二大政党といっても、現在自民党と民主党は74の議席差、公明を入れると108の議席差がある。これを逆転するには、他の政党の議席に変化がなく、現有議席を民主党が全て確保したとしても、37の選挙区で自民党に勝たなくてはならない。37という数字の偶然がなかなか面白い。ちなみに公明も含めて与野党逆転するには54選挙区での与野党逆転が必要となる。
ちなみに現在の各会派の勢力は↓
【衆議院】
250自民
34公明
176民主・無クラブ
9共産
6社民・市クラブ
3無所属
2欠員
――――――――
480合計
【参議院】
114自民
24公明
84民主・新緑
9共産
6社民・護憲
5無所属
――――――――
242合計
◆◆◆
以上、偉そうなことを色々書いたけど、要は選挙が楽しみということ(かな?)。この選挙で民主党の真価が問われるんだろう。ついに小泉は公約の「自民党をぶっ壊す」を実行しようとしているわけだ。残念ながら俺の東京5区は民主党が議席を持っていて、しかも比例復活当選の自民党議員は山崎派の郵政改革賛成組ということで面白くない。えー、ちなみに俺の個人的政治信条については、直接聞いてくれればそれなりにちゃんと答えます。
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2005年07月14日
1970年代の東アジア国際関係を考える。
今日で中国語の試験は終了、どれも意外と出来たというか…語学はやればやるだけ結果が出ることがわかりうれしい。
今日は、午前中2つの特殊研究を自主休講し、東アジアの国際関係特殊研究?のレポート(約8000字)を執筆。
レポートの題名は「東アジアの国際関係(1969年~1972年)~「国際秩序変動期」の視点から~」。大層な題名を付けたが、reserch paperでもなく「問題意識の整理」が目的。国際政治史を概観した時に、短期的かつ集中的に様々な秩序変動が起こり、その変化が後の歴史に大きく影響を与える「国際秩序変動期」が存在することを指摘し、その1つとして「1969年~1972年」を取り上げる、という形をとった。「国際秩序変動期」は主として大戦争の終結後によく現れる。アイケンベリーが『アフター・ヴィクトリー』で取り上げている、4つの戦後(ナポレオン戦争後、第1次大戦後、第2次大戦後、冷戦後)などをイメージすると分かりやすいだろう。この「国際秩序変動期」の東アジア版を今回は取り上げた、というのが建前。東アジアにおいて国際秩序変動期はいつか? 第2次大戦後では3つの時期がある。第1は1949~1951年、中国の共産化及び中ソ同盟と朝鮮戦争勃発による米中対立。第2は1969~1972年、中ソ間の軍事衝突による中ソ対立の激化、ニクソン・ドクトリンの発表及び米中接近。第3は1989~1991年、米ソ・中ソ対立の終焉、そしてソ連の解体である。この「国際秩序変動期」の説明が「はじめに」に続く第2節、第3節では「1969~1972年」の国際関係の動き、第4節で「ポスト1969~1972年」の東アジアの国際関係について、最後に「おわりに」という構成。
書き上げた後の率直な感想として、「国際秩序変動期」という概念は詰めが甘いし、いまいち分かりにくい。それに、1970年代の東アジアの国際関係について概観した節では、取り上げた対象の基準も明示的ではないし、その評価基準も曖昧、相当ひどいレポートになってしまった。とはいえ、自分の頭の中で1970年代の国際関係を考える上での問題意識を整理する、という目的は果たせたかな、とも思う。今回のレポートで取り上げた「国際秩序の変動」は、いわば国際政治の深層部分を流れる「大きなうねり」であり、個別的な国際政治の事象を分析する際には、より精緻な分析枠組みが求められるだろう。この点をしっかりと自覚できただけでも十分な収穫。
このちょっといい加減なレポートが今後どうにかして生きてくるのだろうか。
今日は、午前中2つの特殊研究を自主休講し、東アジアの国際関係特殊研究?のレポート(約8000字)を執筆。
レポートの題名は「東アジアの国際関係(1969年~1972年)~「国際秩序変動期」の視点から~」。大層な題名を付けたが、reserch paperでもなく「問題意識の整理」が目的。国際政治史を概観した時に、短期的かつ集中的に様々な秩序変動が起こり、その変化が後の歴史に大きく影響を与える「国際秩序変動期」が存在することを指摘し、その1つとして「1969年~1972年」を取り上げる、という形をとった。「国際秩序変動期」は主として大戦争の終結後によく現れる。アイケンベリーが『アフター・ヴィクトリー』で取り上げている、4つの戦後(ナポレオン戦争後、第1次大戦後、第2次大戦後、冷戦後)などをイメージすると分かりやすいだろう。この「国際秩序変動期」の東アジア版を今回は取り上げた、というのが建前。東アジアにおいて国際秩序変動期はいつか? 第2次大戦後では3つの時期がある。第1は1949~1951年、中国の共産化及び中ソ同盟と朝鮮戦争勃発による米中対立。第2は1969~1972年、中ソ間の軍事衝突による中ソ対立の激化、ニクソン・ドクトリンの発表及び米中接近。第3は1989~1991年、米ソ・中ソ対立の終焉、そしてソ連の解体である。この「国際秩序変動期」の説明が「はじめに」に続く第2節、第3節では「1969~1972年」の国際関係の動き、第4節で「ポスト1969~1972年」の東アジアの国際関係について、最後に「おわりに」という構成。
書き上げた後の率直な感想として、「国際秩序変動期」という概念は詰めが甘いし、いまいち分かりにくい。それに、1970年代の東アジアの国際関係について概観した節では、取り上げた対象の基準も明示的ではないし、その評価基準も曖昧、相当ひどいレポートになってしまった。とはいえ、自分の頭の中で1970年代の国際関係を考える上での問題意識を整理する、という目的は果たせたかな、とも思う。今回のレポートで取り上げた「国際秩序の変動」は、いわば国際政治の深層部分を流れる「大きなうねり」であり、個別的な国際政治の事象を分析する際には、より精緻な分析枠組みが求められるだろう。この点をしっかりと自覚できただけでも十分な収穫。
このちょっといい加減なレポートが今後どうにかして生きてくるのだろうか。
at 23:36|Permalink│Comments(0)│
2005年06月20日
再び旧ユーゴ。
月曜はサークル。今日はゼミでの発表を完全に再利用しての「コソボ紛争の検討」。発表内容については6月8日&6月9日の記事を参照してくれ。
今日やって思ったんだけど、正直なところ地域紛争関係はやっていて気分のいいものではないし、わくわくするわけではない。やっぱり悲惨な歴史だし、根本的な解決していないからこそ、今も問題になるわけだから。ゼミの「地域紛争」プログラムは明後日から「アフリカ」が始まる。最後には井上ゼミとの合同ゼミがあるが、やっぱりまた暗鬱とした気持ちになるんだろーなー。
とはいえ、地域紛争が冷戦後の国際政治における最も重要な事象の1つであることも確か。だからこそゼミのプログラムとして先生が決めたわけだし。国際政治学を学んでいる以上、そして専門として学んでいる以上、地域紛争の問題を避けては通ることが出来ない課題である。これは日本外交を専門にしたところで同じだ。今回コソボ紛争について調べている中で感じたのは、日本外交における当事者意識の欠如だ。レジュメ(≒6月8日の記事)にも載せてあるが、コソボ紛争の最終局面において安保理の決議案はG8で決められた。つまり日本も当事者として参加しているのだ。しかし、外務省のHPなどによれば日本外交の政治面での協力および立場は以下のとおり
(イ)G8を通じての外交努力
(ロ)空爆に関する我が国の立場:「更なる犠牲者の増加という人道上の惨劇を防止するため、やむを得ず採られた措置であると理解」
外交努力の部分がいまいち分からない、というか何もやっていないんだろう。まぁ、コソボは日本からは遠く離れた地域のことであるからそれでいいのかもしれない。問題は国連の安保理常任理事国へ入ったら、このような「国際の平和と安定に関わる」問題についての討論へ日本は恒久的かつ常時参加するわけである。その時、日本はどのような対応を取るのだろうか。
なんてことを考えさせられた。俺は日本は常任理事国に入ることは、日本にとっても国際社会にとっても望ましいと考えている。であればこそ、このような問題はしっかり考えなければならない。
※参考までに、外務省のコソボ情勢HP。
付け加えると、このような姿勢は外務省にとどまるものではない。学生同士の議論においても地域紛争の議論で「国際社会は~」という時に、日本は含まれているのだろうか。ほとんどの場合、含まれていないだろう。う~ん、なんでこうなってしまったのだろう。その辺の答えは戦後日本の歩みに隠されているはずだ。この問題については、「平和ボケ」といったいい加減なものではなく、ちゃんとした答えを出したい。
今日やって思ったんだけど、正直なところ地域紛争関係はやっていて気分のいいものではないし、わくわくするわけではない。やっぱり悲惨な歴史だし、根本的な解決していないからこそ、今も問題になるわけだから。ゼミの「地域紛争」プログラムは明後日から「アフリカ」が始まる。最後には井上ゼミとの合同ゼミがあるが、やっぱりまた暗鬱とした気持ちになるんだろーなー。
とはいえ、地域紛争が冷戦後の国際政治における最も重要な事象の1つであることも確か。だからこそゼミのプログラムとして先生が決めたわけだし。国際政治学を学んでいる以上、そして専門として学んでいる以上、地域紛争の問題を避けては通ることが出来ない課題である。これは日本外交を専門にしたところで同じだ。今回コソボ紛争について調べている中で感じたのは、日本外交における当事者意識の欠如だ。レジュメ(≒6月8日の記事)にも載せてあるが、コソボ紛争の最終局面において安保理の決議案はG8で決められた。つまり日本も当事者として参加しているのだ。しかし、外務省のHPなどによれば日本外交の政治面での協力および立場は以下のとおり
(イ)G8を通じての外交努力
(ロ)空爆に関する我が国の立場:「更なる犠牲者の増加という人道上の惨劇を防止するため、やむを得ず採られた措置であると理解」
外交努力の部分がいまいち分からない、というか何もやっていないんだろう。まぁ、コソボは日本からは遠く離れた地域のことであるからそれでいいのかもしれない。問題は国連の安保理常任理事国へ入ったら、このような「国際の平和と安定に関わる」問題についての討論へ日本は恒久的かつ常時参加するわけである。その時、日本はどのような対応を取るのだろうか。
なんてことを考えさせられた。俺は日本は常任理事国に入ることは、日本にとっても国際社会にとっても望ましいと考えている。であればこそ、このような問題はしっかり考えなければならない。
※参考までに、外務省のコソボ情勢HP。
付け加えると、このような姿勢は外務省にとどまるものではない。学生同士の議論においても地域紛争の議論で「国際社会は~」という時に、日本は含まれているのだろうか。ほとんどの場合、含まれていないだろう。う~ん、なんでこうなってしまったのだろう。その辺の答えは戦後日本の歩みに隠されているはずだ。この問題については、「平和ボケ」といったいい加減なものではなく、ちゃんとした答えを出したい。
at 20:16|Permalink│Comments(0)│
2005年06月09日
昨日の続き。
というわけで(どういうわけだろう)、昨日そのままアップしたレジュメの解説。
色々と悩んだ今回の「旧ユーゴ」というお題。前々回が、有史(!)~旧ユーゴ崩壊までの歴史の概観、前回が旧ユーゴ崩壊~ボスニア紛争の収束(=デイトン合意)、だったので、扱う時期は自然とボスニア紛争後のコソボ紛争ということになった。
ここまでは比較的に簡単に決まった。問題はここから。そもそもコソボ紛争というのは過剰なほど様々な文脈で語られている。これは一昨日の記事にも書いたんだけど、「人道的介入」「地域紛争」「ポスト社会主義」「ヴァーチャル・ウォー」「軽い帝国の進出」「民族紛争」、などなど。
で、結局どういう発表をしたのかというと、それは昨日のアップしたレジュメのとーり。簡単に言えば、そもそもコソボ紛争がどういった背景を持ち、どのような経緯で紛争化していったのかという歴史をいくつか分類しつつ概観し、その上で問題提起を行うというものだ。演繹的に「人道的介入」といったことを論じるのではなく、あくまで帰納的に考える、ということだ。
詳細はアップしたレジュメをみれば分かると思うので、ここでは自分としてのメッセージを強調しておきたい。ここでは3つに絞って挙げておく。
?「人道的介入」の一事例としてのみコソボ紛争を論じることはコソボの実相を見誤ってしまう。コソボ紛争は「双方向」で「民族浄化」が行われていたにも関わらず、「セルビア悪玉論」のイメージだけが先行してしまった。
?介入の問題を巷では比較的簡単に論じがちだし、むしろアメリカの介入を一方的に非難するだけの議論がまかり通っているけど実態はそう簡単ではなく、やはり武力を伴った介入でしか事態を打開できないケースは多くあるし、その場合海外への軍隊展開能力などからアメリカ抜きの介入は難しい。
?(これはその他の様々な要因を考えた後に触れるべきだが)そもそも仮に人道的な危機があって介入が求められる場合もそう簡単ではない。つまり、コソボのケースは、人道上の危機にある程度効果的に対応したが合法性と正統性が問われている。しかしルワンダのように、安保理決議があったにもかかわらず対応が後手に回ったケースもある。
うむむむむ、って感じだ。特に?の問題は深刻。やっぱり自らの利益に大きく関わらない地域に対しては、「真剣」に介入するというのはなかなか難しい。冷戦後、地域紛争をめぐる問題はますます深刻になりつつあるだけにこの問題は深刻だ。
引き続き、こういった問題は考え続けていきたいと思います。
色々と悩んだ今回の「旧ユーゴ」というお題。前々回が、有史(!)~旧ユーゴ崩壊までの歴史の概観、前回が旧ユーゴ崩壊~ボスニア紛争の収束(=デイトン合意)、だったので、扱う時期は自然とボスニア紛争後のコソボ紛争ということになった。
ここまでは比較的に簡単に決まった。問題はここから。そもそもコソボ紛争というのは過剰なほど様々な文脈で語られている。これは一昨日の記事にも書いたんだけど、「人道的介入」「地域紛争」「ポスト社会主義」「ヴァーチャル・ウォー」「軽い帝国の進出」「民族紛争」、などなど。
で、結局どういう発表をしたのかというと、それは昨日のアップしたレジュメのとーり。簡単に言えば、そもそもコソボ紛争がどういった背景を持ち、どのような経緯で紛争化していったのかという歴史をいくつか分類しつつ概観し、その上で問題提起を行うというものだ。演繹的に「人道的介入」といったことを論じるのではなく、あくまで帰納的に考える、ということだ。
詳細はアップしたレジュメをみれば分かると思うので、ここでは自分としてのメッセージを強調しておきたい。ここでは3つに絞って挙げておく。
?「人道的介入」の一事例としてのみコソボ紛争を論じることはコソボの実相を見誤ってしまう。コソボ紛争は「双方向」で「民族浄化」が行われていたにも関わらず、「セルビア悪玉論」のイメージだけが先行してしまった。
?介入の問題を巷では比較的簡単に論じがちだし、むしろアメリカの介入を一方的に非難するだけの議論がまかり通っているけど実態はそう簡単ではなく、やはり武力を伴った介入でしか事態を打開できないケースは多くあるし、その場合海外への軍隊展開能力などからアメリカ抜きの介入は難しい。
?(これはその他の様々な要因を考えた後に触れるべきだが)そもそも仮に人道的な危機があって介入が求められる場合もそう簡単ではない。つまり、コソボのケースは、人道上の危機にある程度効果的に対応したが合法性と正統性が問われている。しかしルワンダのように、安保理決議があったにもかかわらず対応が後手に回ったケースもある。
うむむむむ、って感じだ。特に?の問題は深刻。やっぱり自らの利益に大きく関わらない地域に対しては、「真剣」に介入するというのはなかなか難しい。冷戦後、地域紛争をめぐる問題はますます深刻になりつつあるだけにこの問題は深刻だ。
引き続き、こういった問題は考え続けていきたいと思います。
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