2011年01月
2011年01月27日
年末年始の授業(12月第3週~1月第3週)
忙しさを言い訳に、ブログを一ヶ月半も放置してしまいました。
開設当初は毎日更新、修士課程の途中からは数日ごとの更新、博士課程に入った頃から週一回の更新になり、段々とペースが落ちています。月一回の更新ではあまり意味がないので、もう少しペースを上げて週一回は新しい記事をアップしたいと思います。
ツイッターを始める前は、ブログとツイッターは質が違うメディアだから、ブログの使い方は変わらないだろうと思っていたのですが、いざ始めてみると細々とした情報は見つけた時につぶやいてしまい、それで満足してしまうということが分かりました。まぁ、あまりコミュニケーション・ツールとしてツイッターを使っていないからかもしれませんが。
また、twilog(リンク)のように過去のツイートをブログのようにまとめてくれる補完サービスも充実しているので、ただタイムラインに自分のつぶやきを垂れ流すだけでなく、ちょっとしたメモ代わりにも使えることが分かってきました。いささか問題があるような気もしますが、自分のtwilogで過去のつぶやきを眺めてみると、記憶の彼方にあったような情報を見つけることも多く、それまでのブログの使い方を代替する意味もあるのかもしれません。
そんなわけで新刊情報などにご関心のある方は、ブログではなくツイッターをご覧ください。
ブログ放置のもう一つの言い訳は、とにかくやらなければいけないことが多かったということです。
比較的時間がかかったのは、①某共著の原稿、②某座談会の翻訳(下訳)の二つですが、この他にもお手伝いしている政策提言プロジェクト関係や、いくつかの報告書や手続き書類の作成、自分の研究や共著関係の研究会での報告×3などなど、色々とやることがありました。結局年末年始の休日は0日というメリハリの無い1ヶ月半を過ごしてしまいました。
どの仕事も、もっと効率良く出来るはずですし、ちゃんと休む時は休んで仕事に取り組むということが出来ないとまずいと再確認しました。
そんなわけで、積み残していた諸々の作業があらかた片付いた今週火曜日は、久しぶりに大学に来ないで(行かないでと書かない点がまずいですね)、映画を観て、カフェで小説を読んで、散歩してとゆとりある時間を過ごしてみました。
2011年は、効率良く仕事を片付けていく、という当たり前の目標を掲げたいと思います。
さて、放置していたブログを更新することも、新しい研究に取り組むためには必要だろうということで…なのかは分かりませんがとりあずこの間の授業記録を簡単に。
面白かったシンポジウムの話を書き出すと止まらなくなりそうなので割愛します。
この1ヶ月半は授業数が少なかったので、週単位ではなく授業ごとにまとめておきます。
<月曜日>
3限:地域研究・比較政治論特殊演習
暦通り進んだこの授業は3回ありました。
12月第3週は、Lorenz Lüthi, The Sino-Soviet Split, 1956-1966: The Cold War in the Communist World (Princeton: Princeton University Press, 2008) の書評でした。
中国政治を専門にされている先輩が発表されたのですが、とても勉強になりました。中国や東欧のアーカイブ事情紹介、イデオロギー重視の近年の研究状況や、本書の立場を説明しつつ、その陥穽を指摘する報告はさすがです。
内容を幅広く紹介する報告だったので、本文を読まずに読んだ気になってしまいましたが、この本は冷戦史に関心があるのであれば、目を通しておくべき一冊だと感じました。ウェスタッドのGlobal Cold War は昨年邦訳(『グローバル冷戦史』名古屋大学出版会)が出ましたが、共産圏については朝鮮戦争関係を除いて近年の研究成果はあまり紹介されていない印象があります。この本の他にも、Chen Jian, Mao's China and the Cold War (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 2001) のように海外では必読文献に挙げられるものも邦訳は出ていません(Chen Jianの本はこのブログで紹介したことがあります→リンク)。邦語では、菅英輝先生が編集された『冷戦史の再検討――変容する秩序と冷戦の終焉』(法政大学出版局、2010年)でChen Jian(陳兼)の論文を読むことが出来ますが、やはり研究書として邦訳されるべき一冊だと思います。
12月第4週は、米欧関係を専門にするゼミの後輩による報告で、テーマは「『冷戦終焉』再考」、各国の資料開示状況や米欧の最新の研究を踏まえた研究動向報告で、これまたとても勉強になりました。
Cold War History の最新号(Volume 10, Issue 4)が冷戦終結に関する書評特集を組んでいるくらいに、各国で研究が進んでいます。一次資料を用いた冷戦終結研究という点では、日本は完全に周回遅れだということを改めて気が付かされます。こういった研究動向を押さえた上で、いかに自分の研究の意義を打ち出していくべきかを考えるいい機会になりました。
議論は色々出ましたが、書き出すと長くなるのでこれも割愛します。
1月第3週は、最終回の授業ということで、報告者が二人、時間も1時間近く延長になりました。報告テーマの一つは、「冷戦史研究におけるアプローチの多様化とその課題」という大きな話でした。一つの本やテーマを詳しくというわけではなく、概説的な話だったので、初回か最後の授業にやるべきテーマとしては良かったのでしょう。
個人的に興味深かったのは、先生が「歴史は現在(いま)の視点から見ないと面白くない」と繰り返し言っていたことです。歴史をなぜ学ぶのか、ということは昔から繰り返されている問題ですが、先生の答えは「現在(いま)を理解するために歴史を学ぶ」ということなのだと思います。それは、歴史の教訓を引き出すといった類の話では全く無く、現在に繋がる歴史や現在の国際情勢を理解するために歴史を学ぶ必要があるということです。うまい言葉や表現が見つからないのですが、徹底して実用的に歴史を考えている点が印象的でした。
こう長々と書いたのは、それが冷戦史研究のあり方や個々の議論に対する先生のスタンスに繋がっているからです。「空中戦」や「細かな定義」の話を回避しようとするのはなぜかという答えはこれです。例えば、年末の授業で取り上げた「冷戦の終結」は、突き詰めていくと冷戦をいかに定義するか、すなわち何が終わったのかを定義するところに行きつきます。しかし、その定義をすることによってどれだけ「現在(いま)」の理解が変わるのか。このような視点は、何となくボンヤリとは自分でも考えていたような気がするのですが、先生の言葉によってはっきりと理解することが出来ました。
とにかく毎回、発見が多い授業です。
もう一つの報告は1980年代後半の中国共産党指導部内部における政治体制に関する検討でした。ソ連と異なる道を歩み、現在に至るまで政権を握り続けている中国共産党をいかに考えるかは、改めて言うまでも無く極めて重要な課題です。この点は先生が授業で繰り返し話していたことですが、最後の授業にしてようやくこのテーマが議論になりました。
おそらく報告者の修士論文の一部になるものだと思うので報告の中身は書きませんが、中身と共にこのテーマを研究しようとする時にどういった文献を引いているのかが興味深かったです。「この文献は引いてもいいんだ」という感覚や利用可能な資料などは、少しでも国や時代が違うと分からないものなので、率直勉強させて貰いました。
報告で引用していた文献の中で手軽に読めるものだと、『趙紫陽――極秘回想録天安門事件「大弾圧」の舞台裏!』(光文社、2010年)があり、衝動買いをしてしまいました。が、いまだ積読です。
概要しか書きませんでしたが、最初はM2の院生の修論中間報告ばかりだったこの授業も、後半は「冷戦の検討――今何が、問題になりうるのか」というテーマを正面から取り上げた回が続いたので良かったです。テーマ次第では、来年も先生の授業を履修しようと思います。
<水曜日>
2限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)
先生の出張などもあり、院ゼミは2回でした。
12月第3週は、M1の後輩による修論構想発表でした。どういった研究テーマを選んでくるのだろうかと思っていたところ、今回は帝国史と絡めたテーマでの報告でした。もう少し、先行研究を幅広く見つつ、選んだケースの周辺事情を洗い出す必要がありそうだなという印象でしたが、帝国史というアプローチを組み入れること自体はとても面白いと思うので、頑張って欲しいところです。
院ゼミ参加者に3人も戦間期のイギリス外交を専門にしている院生がいるので、どうも耳学問ばかりが進んでしまうのが問題です。もともとイギリス外交は「趣味」なので、戦間期についても自分で重要な研究を読み進めていきたいところです。
1月第2週は、スキデルスキー『ケインズ』の第5章「経済政策勧告者としての資質」と第6章「ケインズの遺産」を読みました。
これまでの章が難しかったのに対して、今回の二つの章は何と言うか非常に分かりやすく、あっさり読み終えてしまったという感覚です。
第5章では、第1次大戦時と比較しつつ第2次大戦時のケインズの政策提言を取り上げ、さらに戦後に連なるブレトン・ウッズ協定交渉、戦後の英米借款協定の話が取り上げられています。この辺りは、基本的に師匠の『「アメリカ」を超えたドル』や、リチャード・ガードナーのSterling-Dollar Diplomacy などで詳細に書かれていることなので、特に目新しい話はありませんでした。
第6章は、経済学説史的な話で、現実の経済情勢と共にケインズ評価が様々に変わるがケインズ自身の経済学も大恐慌という時代背景の下で構築されたものであることを忘れてはならない、といった話でした。
あっさり読み終えてしまったと書いたものの、よくよく考えてみれば、これだけコンパクトに上記二つのテーマをまとめるというのはすごい話です。邦訳が昨年出た『なにがケインズを復活させたのか?――ポスト市場原理主義の経済学』(日本経済新聞出版社)も時間を見つけて熟読したいと思います。
研究報告あり、輪読ありの贅沢な院ゼミでしたが、来年からは少し院生が増えそうなので、もしかすると輪読は無くなるかもしれません。それはそれで、ちょっと残念。
<木曜日>
5限:プロジェクト科目(政治思想研究)
1月の授業が直前に取りやめになった関係で、12月第3週の授業が最後になってしまいました。
ゲストは中山俊宏先生、演題は「アメリカにおける宗教的保守勢力の思想と行動」でした。参考文献として挙げられたのは↓の四つ。
・「米中間選挙とティーパーティ運動」東京財団HP(2010年10月30日)
・「オバマ政権を拘束する政治的亀裂」『外交』第2号(2010年)
・「変貌を遂げる福音派―政治と信仰の新たな関係」森孝一・村田晃嗣編『アメリカのグローバル戦略とイスラーム世界』(明石書店、2009年)
・「政治を保守化させたテレビ宣教師―ジェリー・ファルウェルとモラル・マジョリティ」亀井俊介・鈴木健次監修、古矢旬編『史料で読む アメリカ文化史 第5巻 アメリカ的価値観の変容 1960年代―20世紀末』(東京大学出版会、2006年)
関心があるテーマだったので、中山先生のHPを覗いて他に関連しそうな文献が無いか探したところ山のように見つかり、すごい仕事量だなと改めて感じた次第です。
政治思想の授業というよりは、「政治勢力としての宗教保守」という視角からアメリカ論といった趣でしたが、色々と考えさせられるところの多いテーマで面白かったです。やはり「政治的なるもの」ならぬ「アメリカ的なるもの」があるのだなと思いました。
懇親会での「生意気」に度が過ぎたことを1ヶ月経っても反省しています。
開設当初は毎日更新、修士課程の途中からは数日ごとの更新、博士課程に入った頃から週一回の更新になり、段々とペースが落ちています。月一回の更新ではあまり意味がないので、もう少しペースを上げて週一回は新しい記事をアップしたいと思います。
ツイッターを始める前は、ブログとツイッターは質が違うメディアだから、ブログの使い方は変わらないだろうと思っていたのですが、いざ始めてみると細々とした情報は見つけた時につぶやいてしまい、それで満足してしまうということが分かりました。まぁ、あまりコミュニケーション・ツールとしてツイッターを使っていないからかもしれませんが。
また、twilog(リンク)のように過去のツイートをブログのようにまとめてくれる補完サービスも充実しているので、ただタイムラインに自分のつぶやきを垂れ流すだけでなく、ちょっとしたメモ代わりにも使えることが分かってきました。いささか問題があるような気もしますが、自分のtwilogで過去のつぶやきを眺めてみると、記憶の彼方にあったような情報を見つけることも多く、それまでのブログの使い方を代替する意味もあるのかもしれません。
そんなわけで新刊情報などにご関心のある方は、ブログではなくツイッターをご覧ください。
◇◇◇
ブログ放置のもう一つの言い訳は、とにかくやらなければいけないことが多かったということです。
比較的時間がかかったのは、①某共著の原稿、②某座談会の翻訳(下訳)の二つですが、この他にもお手伝いしている政策提言プロジェクト関係や、いくつかの報告書や手続き書類の作成、自分の研究や共著関係の研究会での報告×3などなど、色々とやることがありました。結局年末年始の休日は0日というメリハリの無い1ヶ月半を過ごしてしまいました。
どの仕事も、もっと効率良く出来るはずですし、ちゃんと休む時は休んで仕事に取り組むということが出来ないとまずいと再確認しました。
そんなわけで、積み残していた諸々の作業があらかた片付いた今週火曜日は、久しぶりに大学に来ないで(行かないでと書かない点がまずいですね)、映画を観て、カフェで小説を読んで、散歩してとゆとりある時間を過ごしてみました。
2011年は、効率良く仕事を片付けていく、という当たり前の目標を掲げたいと思います。
◇◇◇
さて、放置していたブログを更新することも、新しい研究に取り組むためには必要だろうということで…なのかは分かりませんがとりあずこの間の授業記録を簡単に。
面白かったシンポジウムの話を書き出すと止まらなくなりそうなので割愛します。
この1ヶ月半は授業数が少なかったので、週単位ではなく授業ごとにまとめておきます。
<月曜日>
3限:地域研究・比較政治論特殊演習
暦通り進んだこの授業は3回ありました。
12月第3週は、Lorenz Lüthi, The Sino-Soviet Split, 1956-1966: The Cold War in the Communist World (Princeton: Princeton University Press, 2008) の書評でした。
中国政治を専門にされている先輩が発表されたのですが、とても勉強になりました。中国や東欧のアーカイブ事情紹介、イデオロギー重視の近年の研究状況や、本書の立場を説明しつつ、その陥穽を指摘する報告はさすがです。
内容を幅広く紹介する報告だったので、本文を読まずに読んだ気になってしまいましたが、この本は冷戦史に関心があるのであれば、目を通しておくべき一冊だと感じました。ウェスタッドのGlobal Cold War は昨年邦訳(『グローバル冷戦史』名古屋大学出版会)が出ましたが、共産圏については朝鮮戦争関係を除いて近年の研究成果はあまり紹介されていない印象があります。この本の他にも、Chen Jian, Mao's China and the Cold War (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 2001) のように海外では必読文献に挙げられるものも邦訳は出ていません(Chen Jianの本はこのブログで紹介したことがあります→リンク)。邦語では、菅英輝先生が編集された『冷戦史の再検討――変容する秩序と冷戦の終焉』(法政大学出版局、2010年)でChen Jian(陳兼)の論文を読むことが出来ますが、やはり研究書として邦訳されるべき一冊だと思います。
12月第4週は、米欧関係を専門にするゼミの後輩による報告で、テーマは「『冷戦終焉』再考」、各国の資料開示状況や米欧の最新の研究を踏まえた研究動向報告で、これまたとても勉強になりました。
Cold War History の最新号(Volume 10, Issue 4)が冷戦終結に関する書評特集を組んでいるくらいに、各国で研究が進んでいます。一次資料を用いた冷戦終結研究という点では、日本は完全に周回遅れだということを改めて気が付かされます。こういった研究動向を押さえた上で、いかに自分の研究の意義を打ち出していくべきかを考えるいい機会になりました。
議論は色々出ましたが、書き出すと長くなるのでこれも割愛します。
1月第3週は、最終回の授業ということで、報告者が二人、時間も1時間近く延長になりました。報告テーマの一つは、「冷戦史研究におけるアプローチの多様化とその課題」という大きな話でした。一つの本やテーマを詳しくというわけではなく、概説的な話だったので、初回か最後の授業にやるべきテーマとしては良かったのでしょう。
個人的に興味深かったのは、先生が「歴史は現在(いま)の視点から見ないと面白くない」と繰り返し言っていたことです。歴史をなぜ学ぶのか、ということは昔から繰り返されている問題ですが、先生の答えは「現在(いま)を理解するために歴史を学ぶ」ということなのだと思います。それは、歴史の教訓を引き出すといった類の話では全く無く、現在に繋がる歴史や現在の国際情勢を理解するために歴史を学ぶ必要があるということです。うまい言葉や表現が見つからないのですが、徹底して実用的に歴史を考えている点が印象的でした。
こう長々と書いたのは、それが冷戦史研究のあり方や個々の議論に対する先生のスタンスに繋がっているからです。「空中戦」や「細かな定義」の話を回避しようとするのはなぜかという答えはこれです。例えば、年末の授業で取り上げた「冷戦の終結」は、突き詰めていくと冷戦をいかに定義するか、すなわち何が終わったのかを定義するところに行きつきます。しかし、その定義をすることによってどれだけ「現在(いま)」の理解が変わるのか。このような視点は、何となくボンヤリとは自分でも考えていたような気がするのですが、先生の言葉によってはっきりと理解することが出来ました。
とにかく毎回、発見が多い授業です。
もう一つの報告は1980年代後半の中国共産党指導部内部における政治体制に関する検討でした。ソ連と異なる道を歩み、現在に至るまで政権を握り続けている中国共産党をいかに考えるかは、改めて言うまでも無く極めて重要な課題です。この点は先生が授業で繰り返し話していたことですが、最後の授業にしてようやくこのテーマが議論になりました。
おそらく報告者の修士論文の一部になるものだと思うので報告の中身は書きませんが、中身と共にこのテーマを研究しようとする時にどういった文献を引いているのかが興味深かったです。「この文献は引いてもいいんだ」という感覚や利用可能な資料などは、少しでも国や時代が違うと分からないものなので、率直勉強させて貰いました。
報告で引用していた文献の中で手軽に読めるものだと、『趙紫陽――極秘回想録天安門事件「大弾圧」の舞台裏!』(光文社、2010年)があり、衝動買いをしてしまいました。が、いまだ積読です。
概要しか書きませんでしたが、最初はM2の院生の修論中間報告ばかりだったこの授業も、後半は「冷戦の検討――今何が、問題になりうるのか」というテーマを正面から取り上げた回が続いたので良かったです。テーマ次第では、来年も先生の授業を履修しようと思います。
<水曜日>
2限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)
先生の出張などもあり、院ゼミは2回でした。
12月第3週は、M1の後輩による修論構想発表でした。どういった研究テーマを選んでくるのだろうかと思っていたところ、今回は帝国史と絡めたテーマでの報告でした。もう少し、先行研究を幅広く見つつ、選んだケースの周辺事情を洗い出す必要がありそうだなという印象でしたが、帝国史というアプローチを組み入れること自体はとても面白いと思うので、頑張って欲しいところです。
院ゼミ参加者に3人も戦間期のイギリス外交を専門にしている院生がいるので、どうも耳学問ばかりが進んでしまうのが問題です。もともとイギリス外交は「趣味」なので、戦間期についても自分で重要な研究を読み進めていきたいところです。
1月第2週は、スキデルスキー『ケインズ』の第5章「経済政策勧告者としての資質」と第6章「ケインズの遺産」を読みました。
これまでの章が難しかったのに対して、今回の二つの章は何と言うか非常に分かりやすく、あっさり読み終えてしまったという感覚です。
第5章では、第1次大戦時と比較しつつ第2次大戦時のケインズの政策提言を取り上げ、さらに戦後に連なるブレトン・ウッズ協定交渉、戦後の英米借款協定の話が取り上げられています。この辺りは、基本的に師匠の『「アメリカ」を超えたドル』や、リチャード・ガードナーのSterling-Dollar Diplomacy などで詳細に書かれていることなので、特に目新しい話はありませんでした。
第6章は、経済学説史的な話で、現実の経済情勢と共にケインズ評価が様々に変わるがケインズ自身の経済学も大恐慌という時代背景の下で構築されたものであることを忘れてはならない、といった話でした。
あっさり読み終えてしまったと書いたものの、よくよく考えてみれば、これだけコンパクトに上記二つのテーマをまとめるというのはすごい話です。邦訳が昨年出た『なにがケインズを復活させたのか?――ポスト市場原理主義の経済学』(日本経済新聞出版社)も時間を見つけて熟読したいと思います。
研究報告あり、輪読ありの贅沢な院ゼミでしたが、来年からは少し院生が増えそうなので、もしかすると輪読は無くなるかもしれません。それはそれで、ちょっと残念。
<木曜日>
5限:プロジェクト科目(政治思想研究)
1月の授業が直前に取りやめになった関係で、12月第3週の授業が最後になってしまいました。
ゲストは中山俊宏先生、演題は「アメリカにおける宗教的保守勢力の思想と行動」でした。参考文献として挙げられたのは↓の四つ。
・「米中間選挙とティーパーティ運動」東京財団HP(2010年10月30日)
・「オバマ政権を拘束する政治的亀裂」『外交』第2号(2010年)
・「変貌を遂げる福音派―政治と信仰の新たな関係」森孝一・村田晃嗣編『アメリカのグローバル戦略とイスラーム世界』(明石書店、2009年)
・「政治を保守化させたテレビ宣教師―ジェリー・ファルウェルとモラル・マジョリティ」亀井俊介・鈴木健次監修、古矢旬編『史料で読む アメリカ文化史 第5巻 アメリカ的価値観の変容 1960年代―20世紀末』(東京大学出版会、2006年)
関心があるテーマだったので、中山先生のHPを覗いて他に関連しそうな文献が無いか探したところ山のように見つかり、すごい仕事量だなと改めて感じた次第です。
政治思想の授業というよりは、「政治勢力としての宗教保守」という視角からアメリカ論といった趣でしたが、色々と考えさせられるところの多いテーマで面白かったです。やはり「政治的なるもの」ならぬ「アメリカ的なるもの」があるのだなと思いました。
懇親会での「生意気」に度が過ぎたことを1ヶ月経っても反省しています。