2010年03月

2010年03月22日

卒業論文発表会

昨日はゼミの卒業論文発表会&OB会がありました。

発表するゼミ生は5期生ということで、ゼミの期としては2つ下ですが、先生が途中2年間サバティカルでいなかったので、学年としては4つ下になります。4学年も下の学生が卒業し社会人になる、という単純な事実に若干複雑な気持ちになります。

卒業論文発表会は、2期生の卒業時から行われているもので、今回は我々が卒業した時以来の開催です。

ゼミの運営は千差万別で、ゼミによっては、大学院生が本ゼミやサブゼミに出席することや、三田祭論文の指導をするところもあるようですが、基本的に田所ゼミはそのようなことはありません。年に数回、ゲスト・スピーカーが来る回に出席することはあるものの、学部ゼミとの接点は合宿と飲み会と飲み会と飲み会と……というくらいで、偉そうに先輩面をする機会はほとんどありません。

また、三田祭や卒業論文のテーマをどうするかということも基本的にゼミによって大きく違います。田所ゼミの場合は、三田祭については論文を書くか書かないかも含めて完全にゼミ生次第、卒業論文については先生と相談して共通テーマを設定する年もあれば、1期生のようにシュミレーションに取り組むこともあったり、各学年によって様々です。我々の時は「冷戦終結」が共通テーマでした。

今年のテーマは、自分の専門にも関係する「エネルギー」ということで、各発表をとても興味深く聞きました。留学のために卒業を伸ばしたゼミ生や論文を完成させられなかったゼミ生が数名いたことから、最終的に昨日論文を発表したゼミ生は8名と、例年よりもやや少なめだったのは残念ではありますが、最後まで頑張り抜いた8本の論文の水準は例年になく高かったように思います。学部生の卒業論文ながら、ただの1本の論文も「お茶を濁す」ようなものが無かったというのは素晴らしいことです。

学部生の関心の幅広さや、思考の柔軟さを目の当たりにすると、専門を追求するための研究が大学院でのやるべきこととはいえ、自分の思考がついつい固定化されがちだなということを思い知らされます。

実際には自らの研究テーマを追究しつつも、問題意識や関心は幅広く、そして着実に研究成果を上げていくこと。これを言うのは簡単ですが、実行していくのはなかなか難しいものです。年初に掲げた目標の通り、まず今年は研究成果を上げることに努力を傾注しなければ、という思いを新たにした一日でした。

black_ships at 15:47|PermalinkComments(0) ゼミ&大学院授業 

2010年03月21日

『講和の代償――米国の冷戦戦略と吉田茂の選択』??

色々と日々の雑事に忙殺され、ブログを書く習慣が無くなりかけている今日この頃です。

例の「密約」問題について何か書いておこうと思ったのですが、金曜日に衆議院外務委員会で参考人招致があるなど現在進行形で話が進んでいるので、もう少し経ってから書くことにしようと思います。



と書いたものの、以下の話も「密約」の話と関係するかもしれません。先ほど届いたばかりの『国際安全保障』をパラパラと読んでいて思いついたことを、パッと書いたものなので、論旨がまとまっていないと思いますが悪しからず。

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『国際安全保障』(第37巻第4号、2010年3月)に、楠綾子先生の『吉田茂と安全保障政策の形成――日米の構想とその相互作用 1943~1952年』(ミネルヴァ書房、2009年)の書評が掲載されていました(107-111頁)。評者は、『再軍備と55年体制』(木鐸社、1995年)の著者であり、戦後日本の安全保障政策史、日米安全保障関係史研究を切り開いた植村秀樹先生です。

エントリーの表題に掲げた『講和の代償――米国の冷戦戦略と吉田茂の選択』は、この書評の末尾で「評者の問題意識に即して本書に表題を与えるならば」として挙げられているものです。さて、なぜこの表題が与えられることになるのでしょうか。

本書の内容については、既に『外交フォーラム』2009年12月号や東京財団のHPなどに書評も掲載されていますし(リンク)、植村先生の書評でも概要が紹介されているので、詳しくここで書く必要は無いと思います。というわけで、早速本題に入っていくことにします(以下、括弧内は『吉田茂と安全保障政策の形成』の頁数です)。

本書が、直接的な分析対象とする政策領域は、①(旧)日米安保条約、②日本の再軍備、③米国による琉球諸島の戦略的支配、の三つであり、それぞれについて日米両政府の政策構想からその実現に至る過程での交渉を1943年~1952年を対象に、日米両政府の一次資料を中心に丹念に追いかけています。既に多くの書評でも書かれているように、この時期の個々の政策については、様々な形で多くの研究が蓄積されているわけです。しかしながら、楠先生自身も書かれているように、これまでの研究はあくまでもそれぞれの政策領域を個別に論じてきたわけであり、少なくともこの三つの領域の相互連関を踏まえて包括的に捉えてきたわけではありません。

そうした研究状況の中で、本書は上記三つの政策領域に関する日米両国の構想、交渉を実に丁寧に検討しています。本文だけで286頁(2段組!)という分量に圧倒されてしまいがちですが、文章も読みやすく構成も分かりやすいので、本書を通読すれば講和に至る大きな流れと細かなポイントを的確に理解することが出来ると思います。その意味で、これもまたどの書評でも指摘されているように、本書はこの分野における最も信頼のおける研究書として今後長く読み継がれていくことになるのだと思います。

この部分までは、おそらく本書を手にした誰もが感じることなのだと思います。問題は、と植村先生がまず指摘していることは、本書における「吉田ドクトリン」論の位置付けです。広く知られているように占領期における吉田外交については、大きく二つの立場があります。簡単に言えば一方は吉田外交を評価する立場、他方は批判的に見る立場です。その意味で言えば本書は、吉田外交を高く評価する立場であり、植村先生の言葉を借りれば「一言でいえば本書は「吉田ドクトリン」論に立つ外交史研究の集大成の感がある」と言えるでしょう。

植村先生が問題にするのは、「吉田ドクトリン論」については様々な形で論争が展開されているにもかかわらず、著者がその論争に答えを与えられていないのではないかということです。以下は書評からの引用ですが、「著者は吉田の選択の必然性を協調し、その後「ドクトリン」化されたと述べ」、「本書を「『吉田ドクトリン』の起源を探る試み」(7頁)とし、吉田の選択が「合意」の中で成立した」としています。

詳しくは『国際安全保障』誌の書評を見て頂ければいいと思いますが、この後、植村先生は最近巷を騒がせている「密約」問題へと話を進めて、その起源の一つがこの吉田時代にあったことを示唆しています。この部分の議論には必ずしも同意しかねますが、全体を通して植村先生のような読み方が可能となるような詰めの甘さがあるのではないか、ということは私自身が本書を読んだ時に感じたことでもあります。

その「詰めの甘さ」のようなものがどこから来ているのか、それは本書が中身に即した問題設定の仕方が出来ておらず、それゆえ明確な結論を導き得ず、安易に「吉田ドクトリン」論に与したことによる、というのが私の率直な感想です。

再び植村先生の言葉を借りましょう。先ほど書いたように本書は「吉田ドクトリン」論に立つ外交史研究の集大成と言えるものですが、「それにはいくつかの「仕掛け」が」あります。それは「1943年から筆を起こし、52年で筆を置いている」ことです。「日米「合意」に至る過程を明らかにすることを本書の課題としているためにこのようになっているのであるが、この区切り方は、日米の周到なる研究・検討の末の「合意」との結論を印象づけるのに役立っているものの、その後の展開を知っているわれわれにとって、あまりにも予定調和的な大団円を演出しているようにも映る」。

たしかに、吉田外交に懐疑的な視座に立っている読者には、本書はこのような印象を持たせるかもしれません。しかし、私は大筋で本論中で展開されている議論は妥当だと思いますし、必ずしも本書が「予定調和的な大団円を演出している」とも思いません。にもかかわらず、植村先生の議論が私にとってそれなりに説得力を持ち、さらに『講和の代償――米国の冷戦戦略と吉田茂の選択』という評者なりの表題にも納得できます(話が前後して分かりにくくなってしまいましたが、『講和の代償――米国の冷戦戦略と吉田茂の選択』という表題は、「密約」問題の起源をこの吉田外交に見出すという議論がこの後で出てくるからです)。

「代償」でなくとも「帰結」でもいいかもしれませんが、私がここで納得がいった理由は「講和」という言葉が挙げられているからです。

本書の中身は、吉田外交論や「吉田ドクトリン」論として読めば、なぜ1954年までを取り上げていないのか、なぜ戦中から検討が始められているのかといった疑問を持たせるものです。また著者が扱うとして挙げている三つの政策領域の内、日本の再軍備についてはやはり自衛隊の発足までを取り上げる必要があるでしょう。

しかし、そこまで分析対象を拡散させなくとも本書は意義付けが可能なのではないでしょうか。それが「講和」です。講和の安全保障的側面を包括的に取り上げ、それに至る日米の双方の構想と交渉を丹念に描いた外交史研究として本書は超一流であることは間違いありません。それゆえ、序章と終章で、本論の内容とはずれかねない「吉田ドクトリン」論が取り上げられていることが浮いてしまっているのだと思います。

もし、本論の内容に即した序章と終章、そしてタイトルであれば、植村先生の提示した疑問の多くは解消されたのではないでしょうか。本書はある意味で不毛な吉田ドクトリン論争に終止符を打ちうる可能性があったにもかかわらず、その貴重な機会を逃してしまったという側面があると感じたのは私だけではないと思います。もし、私の問題意識と読み方に沿って、本書に表題を与えるとすれば……というような出過ぎた真似はしませんが、「講和」はもっと強く打ち出してしかるべきだった、ということが言えるでしょう。

植村先生の書評に触発されて、色々と無駄なことも書いてしまいましたが、いずれにしても本書の中身は素晴らしい研究です。専門外の読者であれば、これまで蓄積された様々な研究を参照せずとも、これ一冊を読めば全体像のみならず細かな論点に至るまで、よく理解出来るはずです。


black_ships at 11:00|PermalinkComments(0) 本の話 

2010年03月03日

エドウィン・O・ライシャワー、若泉敬、トニー・ブレア

いま、大学院棟の私のキャレルには以下の三冊の評伝(伝記)が並んでいます。

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左から、ジョージ・R・パッカード『ライシャワーの昭和史』(講談社)、細谷雄一『倫理的な戦争――トニー・ブレアの栄光と挫折』(慶應義塾大学出版会)、後藤乾一『「沖縄核密約」を背負って――若泉敬の生涯』(岩波書店)です。

このブログで紹介するまでもなく、新聞書評等で紹介された本です。『ライシャワーの昭和史』については、各紙に書評が掲載されましたが、先週末に毎日新聞に出た書評はとても読み応えがありました(リンク)。『倫理的な戦争』もいくつか書評が出ましたが、細谷先生自身がブログで紹介されていますので、そちらをご参照ください(リンク)。『「沖縄核密約」を背負って』は、東京新聞に先週末出ていましたが、これは全く書評・紹介の体を成していないですので参考にもならないかもしれません(リンク)。『エコノミスト』誌に五十嵐武士先生が書評を書かれているので、関心のある方はそちらをご覧ください。

書名・副題にあるとおり、『ライシャワーの昭和史』は、ハーバード大学教授としてアメリカの日本研究(ならびに東アジア研究)を開拓すると共に1961年から66年まで駐日大使を務めたライシャワーを、『「沖縄核密約」を背負って』は、少壮の国際政治学者として佐藤栄作の密使を務め、沖縄返還に際しての「核密約」作成に携わった若泉敬を、そして『倫理的な戦争』は、44歳の若さで英首相に就任し、「倫理的な戦争」の帰結であるイラク戦争の失敗によってその座を追われたトニー・ブレアを、それぞれ取り上げた重厚な評伝(伝記)です。

さて、この三冊を前にしてどうしたものかなと考えている内に更新が遅れに遅れてしまいました。

一冊一冊をそれぞれ書評形式で取り上げるのも何となく面白くない、かといって三冊を組み合わせて論じるのも難しい。そこで、例のごとく思いついたことを徒然なるままに書いてお茶を濁すことにしました(この文章をほぼ書ききったところで、ライシャワーと若泉敬の二冊に比較して戦後日米関係を論じることは出来るなと思ったのですが、文章を書き直すのが面 倒なのでやめました……それでいいのか)。

以前のエントリー(リンク)でも書いたように評伝好きの自分は、研究を除いた時に第一の優先順位を置いて読むのが評伝です。巷には、「評伝」や「決定版伝記」などと銘打ちながら、読み物としても面白くなく、学術的に読み得る水準を満たしていないものが数多くありますが、この三冊は、読み物としての面白さと学術的な水準の高さにおいて、なかなか手にすることのない高さにあると思います。

この三冊に共通するのは対象とする人物への著者の「思い入れ」ではないでしょうか。

ジョージ・R・パッカード氏は、かつては教え子として、そして1963年から65年にかけては駐日大使特別補佐官としてライシャワーの下で働き、その後は志を同じくする「知日派」としてライシャワーと共に「昭和」を歩んできました。また後藤乾一先生は、初めは国際政治学を志す一学生として若泉敬に接し、そして後には若泉の遺著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の執筆協力者として濃密な関係を築いています。

このように個人的な交友を通じてライシャワー、若泉をそれぞれ深く知り、その苦悩を共有してきた著者の「思い入れ」は読み手を圧倒するもので、『ライシャワーの昭和史』の「序文」、『「沖縄核密約」を背負って』の「跋」からは、著者の本にかけた思いが強く伝わってきます。二冊ともに、図らずも密約問題が世間を騒がせる時期に刊行される形になりましたが、時流に乗った便乗本とは全く異なり、長期間に渡って準備され、練りに練られた評伝に仕上がっています

※「便乗本」には違いありませんが、柏書房から刊行予定の石井修『ゼロからわかる核密約』だけは、個人的にとても楽しみにしています(リンク)。

人物に対する「思い入れ」が、評伝を書く際には必ずしも良い方向に作用するとは限りません。しかし、その人物の本当の良さを知っていればこそ示すことが出来る厳しさもあるのだということをこの二冊は教えてくれます。『ライシャワーの昭和史』では駐日大使としてベトナム戦争期に政権の政策を擁護し続けたライシャワーを、そして『「沖縄核密約」を背負って』は最晩年の若泉を、著者は厳しくかつ正確に描き出しています。陰影があればこそ光が輝いて見える、ということでしょうか。

戦後の日本政治外交史を研究している者にとっては、(とりわけ『ライシャワーの昭和史』について)資料面でもう少し詰められる部分があることを指摘することはそれほど難しくはありません。しかし、内外の様々な関連文書や著作を渉猟し、関係する様々な人物へ聴き取り調査を行い、プライベートな部分まで掘り下げて書かれたこの二冊の評伝(伝記)としての完成度はこれ以上はないレベルの高さにあるのだと思います。ライシャワーが自伝を刊行するに際して削ったことからも明らかなように、プライベートな部分は学術的な研究では軽視されがちですが、私人として苦悩を描かずして公人としての一人の生涯を描き切ることは出来ないのだと、この二冊の評伝(伝記)は証明しています。

とはいえ、ライシャワーと若泉が、生涯を通じて強い「思い入れ」をもって臨んだのは何と言っても日米関係です。二人の生涯を通して、読者は戦後の日米関係とは何だったのだろうかと考えさせられるのではないでしょうか。

続いて『倫理的な戦争』について。

細谷先生はブレアと個人的な交友関係を持っているわけではないと思いますし、ブレアはまだ政治家として「現役」であり、さらに「倫理的な戦争」としてのアフガン戦争・イラク戦争は形を変えながらも現在に至るまで続いています。そういった点で、一つの完成形を示している『ライシャワーの昭和史』『「沖縄核密約」を背負って』の二冊と『倫理的な戦争』を並べるのは適切ではないのかもしれません。

内容面でも、ライシャワーと若泉の生涯を辿る上記二冊と比べると、『倫理的な戦争』は、基本的に叙述がブレアの首相在任間に限定され安全保障の専門用語がやや多く、かつ細かな政策過程が描かれているため、一般書として読むには少し難しいかもしれません。また、目的として掲げられるのは「冷戦後の世界において倫理的な動機から、あるいは倫理的な目的を掲げて軍事力行使の必要性を説くことの意味を、国際政治学的な視座から同時代史的に検証すること」(i頁)であり、評伝というよりはトニー・ブレアという一人の政治指導者を中心に据えた評伝的研究といった方がいいのでしょう。政治指導者を中心に据えながら、より広範な国際政治を論じるという手法は、対象とする時代の違いから資料的な深さが異なるとはいえ、『外交による平和―― アンソニー・イーデンと20世紀の国際政治』(有斐閣、2005年)から引き継がれているものです。とはいえ、『倫理的な戦争』を通読すれば、コソボ戦争、アフガン戦争、イラク戦争を通して苦悩するブレア英首相の姿が見事に浮かび上がってくるわけです。

それでもやはり、『倫理的な戦争』を読んだ時に感じたことは、上記の二冊とは異なるもので、より国際政治学的な関心だったように思います。『倫理的な戦争』は、単にブレア政権期のイギリスが介入していった戦争を描く前段階として、ブレア政権初期に策定された外交戦略や安全保障戦略も検討しています。ブレア政権の外交・安全保障戦略は、軍事力の裏付けを持った外交戦略、言いかえれば軍事力と外交の組み合わせを重視するというものです。

しかし、政権前半の「成功」に対して、アフガン戦争辺りからブレア外交は暗転していきます。その過程は本書に詳しいので書きませんが、概して強力な軍事力を持つアメリカに対して、イギリスが限定的な影響しか与えることが出来ないというように私には読めました。ブレアの挫折は、アメリカが聞く耳を持たなかったからなのか(=イギリスにそれだけの力が無かったのか)、それともそもそもの目標が間違っていたのか、こうした点は読者に開かれた形で書かれており、細谷先生自身の結論は曖昧なままにされています。

ここで想起されるのは、益田実先生が『戦後イギリス外交と対ヨーロッパ政策―― 「世界大国」の将来と地域統合の進展、1945~1957年』(ミネルヴァ書房、2008年)の最後に書かれた次の一節です。

三つの軸があるがゆえに世界大国なのではなく、世界大国であろうとするがゆえに 三つの軸が必要とされたのであり、イギリスはその上で危うい均衡を保つ努力を強いられていた。しかし、政策決定者たちはあくまでも、イギリス自身が事態をコントロールする立場にあるとの自己認識から逃れることはできなかった。50年代後半までのイギリスの対ヨーロッパ政策の変遷課程は、この転倒した認識の下で政策決定者達が陥った自己欺瞞を示すものだったのである。(219頁)

この辺りをどう考えるかによって、戦後イギリス外交全体に対する評価が変わってくるのだろうな、と思うのですが、それは余談です。

ちなみに、「終章」で触れられるブレアの辞任表明演説の原文を当たってみたのですが、一読してすぐに思い浮かんだのは、マックス・ヴェーバー『職業としての政治』にある「責任倫理なき心情倫理」でした。この点を、ヴェーバーをよくご存じのはずの細谷先生が触れていないのは、やはりブレアに肩入れしたいという思いがあるからなのかと邪推していたところ、『外交フォーラム』2010年1月号に掲載されたエッセイ「オバマの戦争、ブレアの戦争――「正しい戦争」という苦悩」の中でしっかり触れられていました。国際関係の「倫理化」が一定以上に達してしまったこの21世紀において、倫理と政治がどう対峙すべきかという問題は普遍的に重要な問題なのだと、この論考を読んで思いを新たにしました。

以上、とりとめもなく思いついたことをダラダラと書き連ねてきましたが、この三冊の評伝はどれも素晴らしい、ということが言いたかったことです。『倫理的な戦争』は資料開示が進めば改訂される可能性もありますが、『ライシャワーの昭和史』と『「沖縄核密約」を背負って』は、今後これ以上の評伝が出ることはないだろうと確信する出色の出来であり、関心のある方だけではなく多くの方に読んで貰いたい本です。



がらっと話題が変わりますが、↓のMADは素晴らしい出来ですね。「閃光少女」と「時をかける少女」の世界観が見事にマッチしているので一見の価値ありです。




black_ships at 13:14|PermalinkComments(0) 本の話