2009年12月

2009年12月31日

追悼/吉報

結局、残りわずかな今年にあがくのはやめようと、言い残したことを書くために本日二度目の更新。



今年は自分の好きなミュージシャンが相次いで彼岸へと旅立ってしまいました。そんな中、クリスマスに飛び込んできたのが、フジファブリックのボーカル・志村正彦の突然死というショッキングなニュースです。



四年前のロッキンジャパンフェスで観て以来、ずっと聴き続けている彼の音楽がもう聴けないかと思うと心から残念です。合掌。



外交文書は原則公開に=第三者審査を検討―岡田外相」。2009年最後に飛び込んできた吉報は自分の研究人生に大きく関わる重要なことです。数日前の共同通信配信記事ではやや曖昧な点があったのですが、この時事の記事はもう少し踏み込んで外相方針を伝えているので、これは実際にかなり動きそうです。

何度もこのブログに書いてきたように、これまで日本の外交文書は「原則非公開、例外公開」でした。これが「原則公開、例外非公開」になれば、日本外交史研究にとっては文字通り革命的な変化が起こります。また、現在公開する側にとってもかなりの問題を抱えている情報公開制度の実質的な発展的解消にもなり得るものです。

問題はタイミングで、実施が自分の博士論文提出のタイミングと重なってしまうと困ります。とはいえ、研究者人生トータルで考えれば、これは非常に大きなことで、ここで打ち出した線から一歩も後退しないことを切に願います。

black_ships at 22:09|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

今年もお世話になりました

いつの間にやら(という枕詞を毎回のように使ってしまいますが)、2009年ももう残すところあと一日、大晦日となりました。



この一週間を振り返ってみると、これがなかなか大変な一週間でした。25日(金)はアルバイトを終えた後、大学へ向かって残務処理をして終わり、26日(土)はお誘い頂いた研究会で発表するために神戸に向かいました。博士課程一年の人間にとっては、研究会発表をすることそのものが貴重な経験ですが、特に、自分が普段から出席しているような関東の若手研究者や博士課程~ポスドクが中心の研究会ではないところで、発表できるということそのものが実にありがたいことです。

研究会では、現時点で一番完成度が高いものとして、某学会誌から掲載決定を頂いた研究を報告してきました。多忙な中、討論者を日本政治外交史・国際政治理論を専攻するお二人の若手研究者にお引き受け頂き、それぞれの先生から多面的なコメントを頂戴するとともに、フロアの多くの方からご意見・ご感想を頂戴出来たのは大きな収穫でした。この場に書くことにあまり意味はないのかもしれませんが、皆様ありがとうございました。

ひとまずの(そしてたどり着くのが困難な)目標である博士論文完成までは、どういった形で発表するものにせよ、個別の研究は様々なアプロ―チを試しつつ、色々な観点からのコメントを頂くことが出来るようにしたいと考えています。もちろん、ただ「突っ込み所満載」の未完成の研究ではいけないわけで、そのバランスが難しいわけですが、上記の自分の意識に照らしてみれば、今回の報告は(改善点の方が多いことを前提とした上のことではありますが)、ひとまず「自分にとっては成功」だったとまとめても問題ないのではないでしょうか。ただし、参加して頂いた方々にとってどうだったかについてはあまり自信がありません。

プレゼンテーションなどまだまだ鍛えなければいけない部分が多いことを前提としても、研究テーマそのものの意義、自分の主張の大筋については、大筋で納得して頂けたのではないかと思います。「ためにする」批判や質問のようなものは一切なく、私の研究を内在的に読み解いた上でのコメント・質問を幅広く頂戴出来たというのは、最低限の及第点くらいは自分につけてもいいのではないかなと振り返っています。とはいえ、あそこでこう言えば良かったといった点を挙げればきりはないわけで、2010年に向けての課題はどんどん積み上がるばかりです。

さて、ここまでは良かったのです。翌27日(日)、インフルエンザを発症してしまいました。39度近くの熱にうなされ、昨日までベッドから出ることが出来ませんでした。その結果、神戸から帰ってきたらやらなければと思っていたことが一つも出来ていません。そんなわけで、今年をじっくり振り返ったり、印象に残った本を紹介したりといった余裕もなく、ひとまず、部屋の掃除からと思っているものの、もはや今年も残すところあと数時間となり、何が出来るのか……。



民主党政権発足以降、大学院生にとって明るいニュースはほとんどありませんでしたが、今日は少しだけ明るいニュースです。日本政治学会の学会誌『年報政治学』が電子アーカイブ化されました(リンク)。

有力かつ伝統がある学会誌は、実に重要な論文がたくさんあります。とりわけある時期までの『年報政治学』は、中堅の有力な学者が力を入れて書いたであろう論文が多数収録されています。我々のような研究者の卵にとっては、過去の学会誌を手許に揃えることも難しいわけで、図書館でのコピーに頼らざるを得ないのが現状です。また、OCR処理がされているため、検索が容易に出来るということも、引用場所の確定をするためにも助かります。

また『国際政治』の電子アーカイブ化事業も順調に進んでいるようですが、「基本的には」各学会誌がデータとして利用出来るのは嬉しいところです。「基本的には」と書いたのは、電子媒体と紙媒体は、人文社会科学分野にとっては相互補完的なものであって、決して代替物にはなりません。それが、昨今の事業仕分けの流れにのって、電子媒体だけで十分ではないか、ということになりかねないか実に心配です。

と、結局は暗い話になってしまいました(苦笑)。2010年は、明るいニュースに満たされたいものです。



インフルエンザを老人に伝染すわけにはいかないので、この年末年始の静岡行きはあきらめ、記憶の限りほぼ初めて東京で年末年始を過ごします。大晦日を迎えてみれば、今年も充実したいい一年でした。来年は、研究成果を発信していく一年に出来ればいいなと思います。

皆様、良いお年を。


black_ships at 17:36|PermalinkComments(2) 日々の戯れ言 

2009年12月24日

ブログ引っ越し完了/先週の授業(12月第3週)

新ブログに移行してから初めての記事です。もっと面倒なのかと思いましたが、ブログ移行は思った以上にスムーズに済みました。パッと見た限りでは、全ての記事がちゃんと残っているようです。

ちなみに旧ブログのアドレスは↓です。リンクの関係もあるので、方針を転換して当分は旧ブログもそのまま残しておくことにします。

http://blackships.blog.drecom.jp/

それほど使い勝手が悪そうでもないので、差し当たりはこのブログを使い続けることにしようと思います。また、ドリコムは全角5000字が最大の字数だったのに対してライブドアは16000字まで書けるというのは嬉しいことです(といって、別にそんなに長々と書くことがあることの方が少ないわけですが)。加えて、カテゴリ指定が複数出来るというのも、ドリコムでは出来なかったことなので使っていこうと思います。



クリスマスイブを大学で迎えるのも、これで6年連続です(苦笑)。周りの友人、先輩、後輩が、社会に出たり留学に行ったりと、新たな環境を積極的に取り入れながら成長していく中で、自分は同じところで同じことに取り組む生活が続いていることに問題を感じないわけではありません。とはいえ、継続は力なり、という言葉もあるように、自分が決めたことを着実に真摯に取り組んでいくことも一つの成長法なのだと思いますし、いずれ自分も新たな環境へ踏み出していくことになるのだと思います。

さて、そんな変わらぬ日常の中でも刺激を与えてくれる気になる本をいくつか備忘録代わりに紹介しておきます。最近あまり新刊書の紹介をしていませんでしたが、年末は出版ラッシュの時期でもあるようで、気になる本がいくつか出版されています。

今日買ったばかりでまだ読んでいないものの、読むのが楽しみなのが↓の二冊です。

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グライフの『比較歴史制度分析』(NTT出版)は、制度論を少し勉強すると必ず出てくる重要な研究です。制度論と経済史を架橋するような研究で、どちらも素人の私にとっては少しハードルが高いのですが、日々歴史と理論の問題に頭を悩ませている自分にとっては、この本を日本語で読めるのはとても助かります。

村田晃嗣・君塚直隆・石川卓・栗栖薫子・秋山信将『国際政治学をつかむ』(有斐閣)は、刊行当初から巷で(といってもごくごく狭い大学院の中で)話題になっていたもので、学部生向けの教科書としては異例なほど評判がよく気になっていました。研究者の卵である大学院生の中には、「教科書は~」と言って読まない人も多いのですが、私にとって、幅広い分野をバランス良く取り上げている教科書の中に置いてみた時に自分の研究がどういった位置に入り得るのかを考えることは、とてもいい知的な訓練になります。また、何よりも忘却の彼方へ行ってしまいがちな基礎知識を確認するためにも、多分他の人以上によく色々な分野のものを読んでいます。一つ一つの章がコンパクトなので、少しずつ読み進めていきたいと思います。

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また先月購入したものの積読になっている新書が数冊たまっています。こう並べてみると中公新書が先月は当たり月だったように思うものの、読書記録をひも解いてみると、今年読んだ新書はほとんどが中公新書でした。これは、いわゆる昔ながらの新書をコンスタントに出し続けているのが中公新書だということのあらわれなのだと思います。

大田英明『IMF(国際通貨基金)――使命と誤算』は、中公新書の得意の国際機関シリーズで、ちょうど国際通貨の勉強を始めなければいけないと思っていたのでいいタイミングでの出版でした。国際機関について調べようと思うと実はあまりいいテキストがないというのが悩ましいところで、結局各国際機関が出している『~年史』の類や、日本であれば担当当局が広報として出している冊子が参考になることが多いのが現状です。もっとも、インターネット時代になってからは各省庁ともそういった冊子にあまり力を入れなくなってしまったので、最近の動向を体系的に理解しようと思うと、初学者にはあまりいいテキストがなく、こうした新書は大歓迎です。

菊池嘉晃『北朝鮮帰国事業――「壮大な拉致」か「追放」か』は、新聞記者による著作ですが、パラパラと見てみる限りでは、各国の一次資料も渉猟した上で書かれた本格的な研究になっているようです。一昨年にテッサ・モーリス・スズキの『北朝鮮へのエクソダス――「帰国事業」の影をたどる』(朝日新聞社)が出版されて一部で話題になりましたが、この問題は戦後日本を考える上でとても大切な問題の一つであり、これからも様々な形で研究が進められていくのだと思います。

最近勉強をしている金融モノということで、もう一冊紹介したいのが服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版』です。これは知る人ぞ知る的な名著で旧版を高校の時に読んだかすかな記憶があります。これは出版社HPに出ている紹介(リンク)を読むだけでも面白さが伝わるのではないでしょうか。

さて、最後は宮本太郎『生活保障 排除しない社会へ』(岩波新書)です。宮本先生の前著『福祉政治――日本の生活保障とデモクラシー』(有斐閣、 2008年)が非常に勉強になったので購入してみました。ベーシック・インカム論も含め、最近現実政治の動きとも連動しながら社会保障を論じた研究や議論が盛んですが、多くの論者が自説を繰り広げているものの、あまり有機的な論争になっていないという印象があり、興味はありつつも時間を割いて読むのは避けてきました。パラパラと見ると『生活保障』は、幅広い議論の中に近年の議論を位置付けており、とてもバランスがよさそうなので購入してみました。

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新書と言えば↑を先日休憩がてら読んでいたのですが、この本からもジャーナリスト・佐野眞一の執念の一端が垣間見えるように思います。「私は彼の政策にはほとんど興味がない」と言いきる彼の鳩山「研究」はまだまだこれからのような気もしますので、今後どういった展開を見せるのか気になるところです。読み物としてもとても面白いので是非一読を(ただし品のいい本ではないです)。

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紹介が最後になってしまいましたが、年末に読むのを楽しみにしているのが池袋公爵こと君塚先生の新著『ジョージ四世の夢のあと――ヴィクトリア朝を準備した「芸術の庇護者」』(中央公論新社)です。今月上旬に刊行されたことは知っており、一般書店に平積みになっているのも見かけたのですが、なぜか大学生協には入っていなかったので購入が遅れてしまいました。「女王陛下三部作」に続く「国王陛下三部作」の第一作ということになるのでしょうか。国王といってもエドワード七世ではないのでやや問題があるかもしれませんが、気分を盛り上げるためにエルガーをBGMに流しつつ、ウイスキーを片手に楽しむ夜の読書にこの本はとっておくことにします。

この他にも自分の専門分野(日本政治外交史ということになるのでしょうか)でも、三谷太一郎『ウォール・ストリートと極東――政治における国際金融資本』(東京大学出版会)、芝崎厚士『近代日本の国際関係認識――朝永三十郎と『カントの平和論』』(創文社)など、注目すべき本がいくつか出ているのですが、これらは読んでから何かを書くことにします。



と、ほぼ手許にある本を並べただけでこれほどまで色々と出てくるという状況は嬉しい半面、自分の時間をどのように使っていくか悩ましくもあります。

研究をすればするほど興味関心は広がり、そうなれば読みたい本や研究も増えてくる。一方で、自分の本分である研究も進めていかなければならない。だからと言って、研究以外にも楽しいことがたくさんある。そう考え出すと、全く人生というのは短すぎるもので、どこかで「選択と集中」の決断をしないといけないのかもしれません。

出版不況と言われながら、このようにたくさんの本が出ているわけですが、日本経済新聞が報じるところによれば、とても残念なことに『外交フォーラム』は休刊がほぼ確実になってしまったようです(リンク)。私が見た限りでは、日経本紙の報道もネット版と変わらないベタ記事でした。事業仕分けの意義を認めないわけではないものの、こうした地味ながらも必要なメディアがスケープゴートにされてしまうことに、政治の力と怖さを感じてしまいます。この話はまた改めて書きたいと思います。



調子に乗って色々と書いているうちに本題に入るのが遅くなりました。忘れない内に先週の授業(+研究会)について簡単に書いておきます。気が付けば、先週で今年の授業は終わりでした。この数年はいつものような気もしますが、結局論文を抱えているとあまり年末気分になりません。

<月曜日>

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↑の著者であるジェームズ・メイヨール先生をゲストに"World Politics and Rise of Asia"と題したセミナーがありました。論題を見れば、↑の本の内容を東アジアの興隆と関連付けながら論じたようにも思えますが、必ずしもそういった内容ではなく、グローバリゼーションが国際政治を与える影響を精査した上で、21世紀の国際政治の大きな問題である中国・インドの台頭をどのように考えるかというものでした。

全体としてとても関心を引かれるものでしたが、個人的に興味深かったのは、日本がアジア(中国・インド)・アメリカと関連付けられるのではなく、イギリスやフランスといった西欧諸国の中に入れられていたということです。植民地統治の経験と、戦後史の中での役割を踏まえてのことですが、日本国内の議論とはやや異なるこの見方には色々と考えさせられました。

<火曜日>

「普通の国論再考――冷戦後の日本と東アジアを振り返る」と題して、トロント大学出版会から刊行予定のある本の執筆陣を中心とした豪華メンバーによるシンポジウムに出席しました。

印象的だったのは、冒頭で編者の一人の先生が言われていたことですが「普通の国」の定義の困難さです。しかし問題はこの「普通の国」論が、海外の日本研究では一般的に用いられ、しかもその解釈がかなり曲解されているということです。こうした状況は日本で日本語しか読んでいないとなかなか理解が難しいですが、例えば今年翻訳が出たリチャード・S・サミュエルズ『日本防衛の大戦略――富国強兵からゴルディロックス・コンセンサスまで』(日本経済新聞社)などからもうかがえると思います。このシンポジウムそのものというよりもこのプロジェクトが重要な点は、こうした海外における論調と、「普通の国」論の定義の難しさを踏まえた上で、この問題に取り組んでいるということで、議論の細かな展開も含めて出版されるのが今から楽しみです。

それにしても、前日のセミナーに続いて裏方として手伝っていたため、実際には何をしたわけでもないのですが、とにかく疲れました。

<水曜日>

5限:大学院&学部合同ゼミ

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今季の院ゼミで読んできたPainful Choices の著者David A. Welch先生をゲスト・スピーカーに招いて、院ゼミと学部ゼミの合同セミナーでした。

院ゼミのメンバーは本の大半を、また学部ゼミのサブゼミでも本の一部を読んでいたので、それを前提としウェルチ先生の話を聞き、その上で質疑応答という流れでしたが、全体としてとても興味深い議論が展開されたと思います。

クローズなセミナーの話をどこまでブログに書いていいのかは分かりませんが、このブログでも何度か紹介した国家の外交政策変化に関する三つの仮説の内、第一仮説(外交政策の変化は権威主義で非官僚制の国家の方が民主主義で官僚制が発達した国家で起こりやすい)は、今の自分なら修正するという話など、踏み込んだ話を聞けたのはとても貴重な経験でした。

※木曜日のプロジェクト科目(政治思想研究)では、先輩の研究発表がありましたが、未発表論文の発表だったので割愛します。


black_ships at 12:58|PermalinkComments(0) ゼミ&大学院授業 | 本の話

2009年12月15日

先週の授業(12月第2週)

12月に入ってからとにかくやる事に追われる毎日を送っています。アルバイトの方も色々と忙しい時期で、それに加えて学内でやる研究会やらシンポジウムの手伝いやら、色々なことで時間が細切れになってしまい、その中で発表がいくつかあるというのは、なかなかしんどいものです。こうしたことを先生方は当たり前のようにこなしているわけで、いい修行だと思えばいいのかもしれませんが、ぺーぺーの博士課程一年でこれだけ色々なことが集中してくるとちょっとつらいものがあります。

そんなわけで今月に入って娯楽と言えるようなことは「坂の上の雲」のみです。ドラマを毎週見つつ就寝前の読書で原作を読むと、日々の生活に疲れながらも気分が盛り上がってきます。そういう気分になるのは、日露戦争へと向かうあの時代が戦前日本の「青春時代」だからなのでしょう(ちなみに戦後日本の「青春時代」は、御厨先生が『危機の宰相』の解説に書かれていたように高度経済成長期なのだと思います)。

いわゆる司馬史観に対する批判は左右を問わずあるわけで――実証的な歴史学者からの批判は当を得たものだと思いますが――、それは歴史学徒の一人として分かっているつもりですが、小説の持つ力や描かれる世界の魅力は嘘をつかないものだと改めて実感する毎日です。『坂の上の雲』を読み終わったら、次は矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』(祝♪文庫化)を読もうと思っているのですが、最近の読書ペースだといつになることやら。



さて、そんな毎日を送りつつ本業もしっかりやらないといけないということで、先週末は某研究会で研究発表をしてきました。二本目の論文に当たる研究テーマで、修士論文とは違う時代かつ若干異なるテーマを取り上げたので、どう自分の議論が受け入れられるか、やや不安な部分もあったのですが、結果的にはそれなりに自分の研究の意義がうまく伝わったのではないかと思います。もっとも、10月末に院ゼミで発表した際の課題を、「しゃべり」の部分で処理した面が強いので、それを文章化していくに際してどのように詰めていくかが課題です。



水曜日

2限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)

今回は後輩の発表でした。自分と修士論文とほぼ同じ時代(70年代前半)の米欧関係を取り上げた研究ということで、普段から話を聞いているというだけでなく、とても興味深く発表と授業での議論を聞きました。自分の研究に引き付け過ぎな感想かもしれませんが、この時代を見ていて面白いのは、日本というアクターが徐々に米欧関係の一部にも顔を出してくるということです。もちろん、50年代や60年代にも全く日本の存在感がないというわけではありませんが、その論じられ方が60年代の後半から70年代の前半にかけて質的に大きく変わっているように思います。

発表内容は普段から話していることなのでよく知っていることではあるのですが、修士論文の段階では苦しんでいた点がうまく処理されていたことや、全体の議論のバランスが格段に良くなっていたことはとても印象的で、自分も頑張らないといけないなと思わされ、とてもいい刺激を受けました。

木曜日

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

前回の記事に書いたとおり、政治思想の授業にも関わらずなぜか自分の研究をベースに発表することになったしまったので、色々と考えて「国際政治学の中の戦後日本外交史研究?」とテーマを設定して、ざっと普段考えていることをまとめてみました。

問題意識としては、アメリカにおける国際関係論(International Relations)とは異なり、歴史研究を含んだ学問として成り立っている日本の国際政治学を巡る状況を踏まえて、その中で戦後日本外交史研究はどのような意義を持ち、どのように研究を進めていくべきかというもので、実証的にちまちまと歴史研究をするだけではなくたまには書生論的なことをやってみよう、という試みです。

具体的には、国際政治理論と歴史研究、歴史研究の中での戦後日本外交史研究、といったことをそれぞれ検討した上で、自分の研究テーマがどのような意義を持っているのかを多少話してみました。ひとつには、政治思想においても理論(現代政治理論)と歴史(政治思想史)の関係がしばしば問題になることがあるので多少は議論を共有できるのではないかということ、もうひとつは、同じ単語が全く異なる意味で使われる国際政治学と政治思想研究を、多少なりとも架橋出来れば授業にとって貢献できるのではないかということが、隠れた目的でした。

まだしっかりとまとまった話ではなくこれ以上書くつもりはありませんが、この話は博士論文をまとめていく段階でまたしっかりと考えなければならないことだと思うので、これからも引き続き考えていくつもりです。

at 20:32|PermalinkComments(0) ゼミ&大学院授業 

2009年12月06日

先週の授業(12月第1週)/先々週の授業(11月第4週)

いくつかのバイトや研究発表、さらには高校時代からの友人の結婚式などが重なって、かなり一杯一杯の毎日を送っています。それにしても、仲の良い昔かららの友人が結婚すると……大学院博士課程という自分の選んだ道が正しかったのかと考えてしまいそうになります。

そんなわけで更新が滞りがちなのですが、あまりに書かないとブログの更新まで負担になってしまいそうなので(ただの本末転倒のような気もしますが)、休憩をかねて院棟から更新しておきます。

ひとまず先々週と先週の授業について。



まずは先々週の授業(11月第4週)。

水曜日

2限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)

Painful Choices の輪読は前回まででひと区切りで、ここからしばらく院生の研究報告が続きます。先々週は、他ゼミ所属ながら昨年に続いて参加している後輩の修士論文中間報告がありました。具体的な内容を書くのは避けた方がいいと思いますので具体的な話は省略しますが、この後輩の研究も外交史(研究内容に即して正確に言えば「国際関係史」でしょうか)ということで、なぜ通貨に関する国際政治学が主著の先生の下にこれだけ外交史研究をする大学院生が集まるのは不思議でなりません。歴史が好きな先生であることは間違いないのですが……。

木曜日

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

基本的には日本語で行われるこの科目ですが、先々週はグローバルCOEのシンポジウム(リンク)のために来日されていたウプサラ大学のJorgen Odalen先生の「Fairness in International Trade」と題した英語報告でした。

国際貿易の問題は自分の研究にも関連してくるので興味深く聞きましたが、先生の専門が元々はグローバル正義論(=規範理論)であることもあってか、国際経済に関する様々な概念があまりに大まかに定義されていて、ややフラストレーションが溜まる報告だったのは残念だったところです。とりわけ気になった点は、現在の国際貿易と公平性をめぐるトリレンマとして提示されていたことが、全くトリレンマになっていなかったことです。

トリレンマとは「三つを同時に達成することが出来ないもの」であるはずで、例えば国際政治経済学でしばしば引かれるものとして、マンデル=フレミング・モデルから得られるインプリケーションとして有名な、国際金融のトリレンマ(?為替相場の安定、?自律的な金融政策、?国際資本移動の自由)などがあります。授業で提示されたトリレンマは?国民国家、?民主主義的な政治制度、?経済統合の深化というもので、ヨーロッパ政治で流行っている議論(例えば民主主義の赤字の問題)を念頭に置けば何となくこの三つの要素は理解できるような気もしますが、これは決してトリレンマではなく言うなればトリアーデではないでしょうか。

この他にも気になる点がかなりあり、いくつかの専門領域をまたいだ議論を展開するのは難しいのだということを改めて実感しました。



続いて、先週の授業(12月第1週)。

水曜日

2限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)

前週に続いて院生の研究発表でした。今回は修士一年生による研究計画発表ということで序論的な話でしたが、普段はあまりなかなか考える機会がないテーマだったので興味深く聞きました。この後輩はさすがに外交史研究ではないのですが、次に発表する時には何かケースを選んで分析してくるようにと言われていたので、もしかしたら外交史研究に近くなるということは……ないと思いますが、どうなることやら(笑)

次回(今週)は、後輩にして博士課程同期の研究報告です。

木曜日

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

前週の講演(Fairness in International Trade)を受けての討論。国際政治理論を専門にする発表者が、政治思想専攻の先生・院生の前で国際政治理論を全面に押し出した発表をしたこともあって、やや議論が混乱していたというのが率直な感想です。前週とは違う意味で、ディシプリンの問題を色々と考えさせられました。少なくとも専門が違う人を前にして話す時は、専門用語を出来る限り一般的な用語に置き換えて、話を単純ということではなくエッセンスを抽出するという意味でシンプルにする必要があることは間違いないように思います。これ以上書くとやぶへびになりそうなので、この授業についてはこの辺りで。

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さて、授業前にさらりと伝えられた来週以降の予定変更の影響が大きく個人的に困っています。

この授業は学生にとって「呼んでほしいゲスト随時募集中」というとても有難いというか贅沢な授業で、今期私は『戦後精神の政治学 丸山眞男・藤田省三・萩原延壽』(岩波書店)を夏に刊行された宮村治雄先生をお願いしており、来週は宮村先生がゲストの予定でした。そんなわけで色々と来週に向けて準備をしていたのですが、先生のご事情で来週の授業がなくなってしまい、代わりに「討論者の二人が自分の研究発表をせよ」とのお達しが出されました。自分の研究発表をするだけなら別に構わないのですが、問題はこの授業が「政治思想研究」であることです。授業後にコーディネーターの先生に、「僕の研究に皆さん興味ないですよね?」と尋ねたところ「ない」と即答。さてどうしたものか……と考えて、政治思想史専攻の院生が多いので、自分の研究(戦後日本外交史)を素材に方法論的な関心に引き付けて検討するということを今は考えているのですが、何分時間がないのでいつ準備すればいいものか。

at 18:22|PermalinkComments(0) ゼミ&大学院授業