2009年10月

2009年10月31日

先週の授業(10月第4週)/今週の授業(10月第5週)

ネット上では色々と話題になっているので、すでにご存じの方も多いかもしれませんが、利用しているブログ・サービス(ドリコム)がライブドアに事業譲渡されるようです。これを機にブログそのものを他のサービスに移行してもいいのですが、エクスポート機能がないので1000件近くのエントリーをひとつひとつ移すのも手間がかかりますし、そのままライブドアに移行することになるのでしょうか。ブログは更新が手軽でいいのですが、事業モデルが確立していないのでこういったトラブルが多いのが困ります。さて、どうしたものか。



そんなブログの話のついでになるかは分かりませんが、最近相次いで出版社のHPがリニューアルされています。思いつくままにこの一年くらいの間にリニューアルされた出版社(学術関係の本を出しているところ)を挙げてみると、ミネルヴァ書房(リンク)、中央公論新社(リンク)、勁草書房(リンク)、吉川弘文館(リンク)、日本経済評論社(リンク)、千倉書房(リンク)、筑摩書房(リンク)、等々。全体としてはとても見やすいHPになり、過去の出版物情報の検索がしやすいなど嬉しいことが多いのですが、一方で中公などは近刊情報が非常に分かりづらくなってしまったのが残念なところです。あと、デザインがどれも似ているような気がするのは気のせいでしょうか。

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さて、こんな感じで出版社のHPをいくつか眺めていて驚いたのが黒崎輝先生の『核兵器と日米関係』の版元情報です。「2006年度サントリー学芸賞受賞!」と書かれている下には、なんと「品切れ・重版未定」の文字。出版業界、とりわけ学術出版をめぐる厳しさはそれなりに理解出来るとしても出版後3年余りで、この名著が2刷で品切れ・重版未定とは……。

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さらにそのついでに出版関係でちょっとした愚痴。ジェラルド・カーティス教授の名著『代議士の誕生』の復刊はめでたいことですが、改行時に一字下げでなく二字下げになっているのはどうにも不快です。堤清二・三浦展『無印ニッポン』(中公新書)が対談形式ということもあってか、改行時の字下げを行っていないことも気になったのですが、こちらはそれ以上に気になります。なぜ、わざわざ二字下げにしたのかが全く理解不能です。



やるべきことが山積していている中でブログの更新などしている場合ではないような気もしますが、ひとまず授業について書いておきます。ただし、先週と今週はあまり書ける内容(もしくは書くべき内容)が少ないです。

まず先週の授業。

<水曜日>

2限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)

通常の院ゼミでは異例のことだと思いますが、今回の発表者は先生でした(笑)。テーマは、国際政治学会での発表“The US Hegemony and Roles of the Dollar in a Historical Context”です。たまたま夏に2回ほど、先生主催の自主ゼミで、このテーマに関連する文献(Francis J. Gavin, Gold, Dollars, and Power: The Politics of International Monetary Relations, 1958-1971)を読んでいたので、議論もなかなか盛り上がったように思います。

本番とは異なって、議論が弱いという自覚がある部分も含めてたっぷりと報告を聞くことが出来たのは贅沢な限りですが、中身についてはまだ本番が先ということで省略しておきます。射程が広いテーマを歴史的に検討するのはなかなか難しいということを感じました。

<木曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

台風の関係で潰れた先々週の報告原稿をめぐる議論。報告原稿の出来が※※※(伏せ字)であり、質疑応答をすることも出来なかったので、議論が低調になるのも致し方がないといったところでしょうか。一応テーマだけ挙げておけば、「コスモポリタニズムとアナーキズム」ということになるのですが……。今回についてはこれくらいでいいでしょう。



続いて今週の授業。所用と重なってしまい、プロジェクト科目(政治思想研究)を欠席したので、今週は院ゼミのみです。

<水曜日>

2限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)

今回は、二本目の論文についての発表をしました。例のごとく具体的な内容はここでは省略します。

資料の読み込みはほぼ終わっていたのですが、議論の射程を直前までに決め切れなかったこともあり、やや消化不良気味でした。もっとも、議論の大枠を変える必要はなさそうなので、追加的な調査をして11月中にはひとまず投稿してしまいたいと考えています。投稿を視野に入れて、意義付けを少し変えてみたり、一本の論文で書くべきこと、示唆する程度に抑えるべきことなどのバランスをいかに取るのかに苦慮していますが、発表をしてみると、それなりに自分のいいたいことも伝わり、逆に自分で弱いと思っている箇所についてはそれぞれコメントが飛んでくるなど、いい意味で研究の意義と弱点を再確認することが出来たのが今回の収穫だと思います。

具体的な内容を書かないと全く何を言っているのか分かりませんが、ひとまずこんなところで。来週からは、またPainful Choices の輪読が続く予定です。

at 12:35|PermalinkComments(0)ゼミ&大学院授業 

2009年10月17日

今週の授業(10月第3週)

気が付けばいつの間にやら週末を迎えているという生活が続いています。

今週はアルバイトの関係で色々と面白いことがありました。中でも興味深かったのは、某研究所で行われた核戦略や核抑止、戦争研究の大家であるローレンス・フリードマン教授を招いての研究会です。最近では、ブレア・ドクトリンの起草に携わったり、イラク戦争の検証委員会のメンバーに入るなど政府関係の仕事でも知られているフリードマン教授ですが、そうした仕事のひとつにフォークランド紛争に関する公刊戦史(Official History)の執筆があります。

研究会の報告は「Writing Official History: The Folklands Campaign」で、公刊戦史を書くことになったきっかけや、執筆にあたっての苦労と苦悩が紹介されました。報告では省略されていましたが、事前に貰ったペーパーには、公刊後の反響や議論なども書かれており、こちらもなかなか興味を惹かれました。議論の中身については、ここに書いていいものなのかやや迷うので、興味がある人は個人的に聞いてください。

日本でも第二次大戦について旧軍人が中心となってまとめた『戦史叢書』という公刊戦史があります。また、どういう位置付けになるのかはしっかりと調べていないのですが、大蔵省の『昭和財政史』や通産省の『通商産業政策史』といった省史が研究者による分担執筆という形で刊行されています。戦後日本を対象に歴史研究を行う際には、こうした省史もひとつの重要な手掛かりを提供してくれるものなのですが、執筆者達の苦労や苦悩はなかなかうかがい知ることが出来ません。

誰か周りに経済史を専攻しているといいのですが……と、これはまた自分の研究に引き付けた話でした。



<水曜日>

2限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)

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先週に引き続きDavid A. Welch, Painful Choices: A Theory of Foreign Policy Change の輪読。今週は、Chapter 2 A Theory of Foreign Policy Changeを読みました。先週読んだ序章&第一章は、本書の全体的な議論が提示されていましたが、第二章はもう少し突っ込んで本書の議論の理論的な前提が提示されていました。

前回と同じように簡単に中身を紹介しておきます。本書の議論の前提となるのは「重要な外交政策の変化は稀にしか起こらない」ということなのですが、それを支える根拠として、①組織理論、②認知心理学・動機[動機付け?]心理学、③プロスペクト理論の三つが提示されます。ポイントは、これら三つの理論から「国家の政策は惰性(inertia)に陥りやすい」ということが導かれるということです(pp.31-45)。

さて、この議論を前提として、外交政策はいかなる状況で変化するのかが検討されます(pp.45-51)。細かい議論は省略しますが、重要な部分をまとめれば、①独裁体制で官僚制が弱い国家は民主体制で官僚制が強い国家より政策変化が起こりやすい、②国家はわずかな利益や損失の見込みに基づいて政策変化をさせない、③指導者は損失を避けるためには同程度の利益を得るためよりも大きなリスクを受け入れる、という三点になると思います。①などは本当にそうなのか、といった点が授業でも議論になりましたが、ひとまずここでは置いておきます。以上をまとめたのが、50頁にある図2.2で、これさえ押さえておけば基本的にはこの章はいいのかもしれません。

こうした議論を提示した上で、ケース・スタディを進めるために本書が立つ「限定合理的」な前提について説明が行われ(pp.51-64)、最後に本書の議論のスコープが検討されます(pp.64-68)。個人的には、この最後の部分を一番面白く読みました。というのも、ここには書きませんでしたが、先週の授業で議論になったことのひとつが、本書の議論の射程で、それはヒトラーのような独裁者にも当てはまるのかといったところだったからです。

この部分の著者の議論は、やや甘いような気もするのですが、基本的に本書の提示する理論が適用できるのは「ありふれた国家のありふれた決定者」だというもので、機会主義的に拡張行動を取るような指導者には当てはまらないとされます。その際に挙げられるのが、ヒトラーや金日成には適用不可能だが、毛沢東には適用可能ということで、この部分などはややクエスチョン・マークを付けたくなりますが、これについてはケース・スタディを読んでからまた検討することにします。

先週紹介した部分と合わせると、本書の理論が適用できるのは、国家の一般行動ではなく、「ありふれた国家のありふれた決定者」による「外交政策の変化」ということになり、このように書くと理論研究としては射程がとても狭いように感じるかもしれませんが、個人的にはこれくらいの中範囲を志向する理論研究の方が信頼が置けるような気もします。

というわけで次回からいよいよケース・スタディに突入……とは行かず、来週は先生の学会発表の予行演習という院ゼミとしては異例の展開です。発表テーマに関連する文献の読書会を前期にやったこともあり、先生がどのような議論を展開するのか今から楽しみです。

<木曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

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今週は先々週の授業のフォローアップということで、イギリス政治思想史を専攻する二人の院生の報告がありました。それぞれが、先々週の報告の焦点であった「コモン・ロー」と「古来の国制」論を取り上げて、先生の報告とは異なる歴史的文脈の中に置いて再検討していたのは面白かったのですが、いかんせん専門が異なる人間の集まりの中では話の焦点が分かりづらいということなのか、議論は自然と「理論と歴史」といった方向へ行ってしまいました。

こうした議論は「国際政治史(外交史)と国際政治理論」といったものとして自分の専門分野でもしばしば行われることなのですが、話が一般的に過ぎていまいち消化不良気味というのが授業の正直な感想です。

いずれにしても、と授業の議論を聞きながら感じたことは、歴史的に特定の事象の検討を行う場合にせよ、長期的な文脈の中にある事象を置き直すにせよ、なぜそのテーマを取り上げる意義があるのかやテーマそのものの持つ面白さ(これは必ずしも現代的意義でなくともよいと思います)、ないしはそのテーマを取り上げる際に前提となる先行研究の整理、分析の視角といった点を、少なくとも狭義の専門家の集まりではない場所では行う必要があるだろうということです。

さて、来週は先週流れた講演を率直に言って面白くない報告ペーパーを基にやるという非常にそそられない授業の予定となっています。発表担当の後輩が不憫でなりません(笑)

at 12:45|PermalinkComments(0)ゼミ&大学院授業 

2009年10月10日

気になる本(研究書)の話

秋の夜長に読みたい、気になる本(研究書)についてダラダラと。本当にダラダラなので悪しからず。



ただ目の前にある本を読んでいた高校から学部一、二年、長く読み継がれている古典的な本を貪るように読んだ学部三、四年を経て、大学院に入った頃からは自分の専門分野の研究をしっかりと頭に入れておかなければならないと思い、網羅的に先行研究を読むことを心がけていました。

先行研究の読み込みが大体終わり、そして並行して進めていた修士論文を何とか書き上げた頃から、少しずつ本の読み方が変わってきたように思います。苦労しながらも何とか英語が読めるようになってきたので、読む対象が大きく広がったことも大きいのかもしれませんが、より重要なのは学問の世界に半歩ほどではあっても足を踏み入れたからだと思います。

もちろん過信はあるのだと思いますが、自分の専門分野や隣接分野の研究であれば、その研究がどれだけ「時間」をかけたものかはパッと見れば分かるようになります。また注にどれだけ様々な文献が並べられていても、それが本文に活きているかはすぐに分かるように思います。逆に文献をあまり挙げていないような研究であっても、それがどれだけ「真剣」に思考を重ねたものなのかということはよく分かります。それだけに、「時間」や「真剣さ」が伝わってこないものへの落胆は激しく、著者が真摯に取り組んだものを読んだ時の喜びは格別のものがあるようになってきたように思います。

こうしたことは、ひとつひとつの論文や本に当てはまる話だけでなく、共著書・編著書に顕著に当てはまるような気がします。「お付き合い」で書いた論文だらけの編著書は巷に溢れているわけですが、その一般的な裏事情のようなものが分かってくると、さすがに自分の専門に近いからと安易に買うのは躊躇うようになります。最後に買ったその類の本は戦後日本の平和……、とこの話は止めておきましょう。

論文を書いていると(といってもまだ二本目の仕上げ中ですが)、こうしたことが何となく身体で分かってくるような気がしてきます。気を付けなければならないのは、無駄な力が入って余計なことを書き過ぎてしまうことです。出来る限り贅肉は落として、シンプルで骨太な議論を作るのが字数の限られた論文でやることなのでしょう。と、気が付けばすぐに自分に引き付けて考えてしまうのは悪い癖ですが、これは死んでも治らない(笑)



閑話休題。気になる研究書の話でした。

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戦前や戦後の日本政治・外交に関して様々な研究を読み、そして色々と考えている中で浮かび上がってきた問題意識のひとつに「政と官」の関係があります。気が付けば無意識のうちに周りにいる先生・先輩の問題意識に惹き付けられてしまうという癖が自分にはあるようで、それがいいことなのか悪いことなのかはよく分かりませんが、ともあれ「政と官」の関係が気になるわけです。

そんな中で政治外交史という枠組みが、戦後においてどれだけ有効なのかという問題は自分の中でうまく処理しきれていない部分なのですが、暫定的に言えることは、少なくとも「政治」を独立変数的に考えて、その部分の展開を分析して「外交」を説明するというアプローチの有効性が、戦後のある時期以降に関する限りは低下してきているということです。もちろん、日中関係などは「政治」の要素が依然として高い領域だとは思いますが、それでも「行政」の部分の専門性が高まったことや、政官関係の構造的な変化の影響は日中関係にも及んでいると思います。

こういったことを自分の専門分野の中だけで考えているとブレイクスルーはうまれてこないわけで、最近は行政学の研究をいくつか読んでいます。そこで最も気になる文献が牧原出先生の『行政改革と調整のシステム』(東京大学出版会)です。

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今日の行政学のあり方そのものに問題意識を持ち、イギリス行政学における「ドクトリン」概念を手掛かりに、「行政改革」と「調整」について各国の比較、戦前及び戦後における展開と変容を包括的に検討したこの本はとても気になります。この本は読み始めたばかりなので、その感想と詳しい紹介はまたそのうちに(といって書いていない本だらけですが)。



さて、ここから強引に他の気になる研究書の話に繋げていきたいと思います。この本は西尾勝先生が編者を務める『行政学叢書』の一冊として公刊されたものです。こうした魅力的な叢書がたくさんあることが行政学研究の発展に繋がっていると思いますが、国際政治・外交となるとこうした媒体が限られているのが現状です。

日本国際政治学会・編『日本の国際政治学』のような論文集がないことはないのですが、あれだけの数の著者を抱えているとどうしても各論文のレベルにばらつきがありますし、一章辺りの字数が短すぎるためにどうしても概説的なレベルを超えることが難しくなっています。

最近の注目すべきシリーズとしては、ミネルヴァ書房の「国際政治・日本外交叢書」があります。若手から中堅研究者の博士論文を中心として益田実『戦後イギリス外交と対ヨーロッパ政策』(このブログでの紹介→リンク)をはじめとして、重要な研究がいくつも発表されています。漏れ聞くところによると、叢書の続刊としていくつか重要な博士論文が控えているようです。

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ここにもうひとつ注目すべき叢書が加わることになりました。千倉書房の「21世紀の国際環境と日本」です。題名からすると、現代の国際政治や日本に関する叢書なのかと早とちりしてしまいそうですが、創刊一冊目となるのは水本義彦先生の『同盟の相剋――戦後インドシナ紛争をめぐる英米関係』(出版社HP)です。先ほど大学生協に行ったところ、新刊コーナーに並んでいたので早速購入しました。

この春に千倉書房から復刊された佐藤誠三郎『「死の跳躍」を超えて』や矢野暢『「南進」の系譜』同様に、凝っていながら読みやすい装丁に編集者のこだわりを感じるとともに、「本」というメディアを愛する一人としてにやりとしてしまいます。

『同盟の相剋』については在外研究中の細谷先生もブログで紹介されていましたが(リンク)、この本は水本先生の研究書第一作です。これまでに刊行されてきたいくつかの論文は読んでいましたが、一冊の研究書としてまとまった時にどのようなものになっているのか、とても楽しみです。

それにしても戦後イギリス外交史研究の充実ぶりは本当に驚くべきものです。これまではどちらかと言うと、対ヨーロッパ外交に関係する研究が多かった気がしますが(そのエッセンスは、細谷雄一・編『イギリスとヨーロッパ』勁草書房、2009年の各章で読むことが出来ます)、ここに本格的な英米関係史研究が加わることになりました。

実は、本書が対象とするインドシナ紛争をめぐる英米関係は、戦後日本外交史研究の観点からも興味深い対象です。というのも、この10年ほどの間に行われた若手の日本外交史研究は、宮城大蔵先生の一連の研究をはじめとして、その多くが何らかの形でインドシナ紛争に関係しているからです。

この夏に出たばかりの森聡先生の著作『ヴェトナム戦争と同盟外交――英仏の外交とアメリカの選択 1964―1968年』(東京大学出版会)と読み比べつつ、秋の夜長を楽しみたいと思います。

at 15:00|PermalinkComments(0)本の話 

2009年10月08日

今週の授業(10月第2週)

10月に入りプロ野球も2009年シーズンが終わろうとしています。プロ野球そのものが好きな自分としては、楽天のクライマックス・シリーズ出場は嬉しいことです。しかし、その煽りを受けてわがライオンズがBクラスということは考えてもいませんでした。

今シーズンの収穫は、序盤は苦しみながらも片山・栗山の1・2番がそれなりの成績を収めたこと、中島・中村の3・4番が素晴らしい活躍をしたことです。若き1~4番は、今後数年は安定して活躍してくれると思います。一方で課題は、先発投手陣と抑え投手です。涌井・岸は安定しているものの、帆足にもうひと伸びが無いこと(シーズン後半は素晴らしい活躍でしたが)、そして何より西口をはじめとするベテラン投手陣の衰えが著しいことが懸念されます。抑えのグラマンを潰してしまったのはシーズンはじめの起用ミスに原因があるような気もしますが、やはり本格派の抑えの登場が待たれるところです。

来年こそは所沢へ応援に行きたいと思います。



今週の授業、といっても本日行われる予定だったプロジェクト科目(政治思想研究)が台風の影響で休講となったので、院ゼミしかありませんでした。

<水曜日>

2限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)

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今週は、Painful Choices の序章と第一章(Surprise, Anticipation, and Theory)を読みました。これは授業で先生も言っていたことですが、英語そのものはそれほど難しいわけではありませんし、構成も分かりやすいので、読み進めるだけであれば苦労するところはあまりありません。しかし、書いてある中身がかなり詰められたものであり、従来の通説的な方法論や国際政治理論に対する批判が展開されているので、読み手次第でこの本の受け取り方は少し異なるような気もします。といっても、本書の中核的なメッセージは明確に伝わるようになっているのはさすがです。

中身を簡単に紹介しておきます。今回読んだ序章と第一章では本書のテーマと、その方法論が説明されています。この本のテーマは、その副題にあるとおり"A Theory for Foreign Policy Change"ですが、ここには二つのポイントが隠されています。一つは"The Theory~"ではなく"A Theory~"とされていることで、ここに著者の構築する理論の適用範囲やその妥当さに関する控え目な視点が表れています。

そしてもう一つは、"Foreign Policy"ではなく"Foreign Policy Change"の理論構築を目指していることです。なぜ「対外政策」ではなく「対外政策の変化」なのか。ここには、著者の国際政治と国際政治理論に対する見方が反映されています。著者は国際政治における「偶然」の要素を重視します。何かの変化は突然訪れることが多い。そうした国際政治の世界を理論化=一般化しようとした時には様々な問題が発生します。ここでは、相互に密接に関連する六つの問題(※手許に本が無いのであとで加筆します)について、その一般理論化に伴う困難を天体行動の物理的な理論と対比しながら議論が紹介されていますが、この点は省略します。

国家の行動の集積である国際政治の一般理論化は困難であるというのがここでの著者の暫定的な結論となるわけですが、そうであれば国際政治理論の研究を行わないのかと言えばそうではない、というのが著者の議論の面白いところであり、ポイントとなる部分なのでしょう。

さて、こうした議論を展開した上で著者が注目するのは、政治指導者の決断による対外政策の「変化」です。一般的な日々の対外行動を政治指導者の決断に帰することが難しいことは一見して明らかですが、それが危機的状況を前にして決断を迫られる場面に限定すれば、政治指導者の心理→国家の行動という図式が成り立つ蓋然性は高まるわけです。

抽象的な議論が多い部分であり、あまりうまくまとめられていませんが、大体以上が序章&第一章で展開されている本書の図式の説明です。こうした図式に立った上で、政治指導者の「損失回避(loss-aversion)」を追求する心理が、「苦渋の選択(painful choices)」へ繋がるということを理論的・実証的に検証していくのが本書の大きな議論となります。

さて、色々と書きたいこともありますが、ここまでまとめてちょっと疲れたのでひとまずはこんなところで。

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2009年10月02日

後期の授業

博士課程ということで、後期に履修する授業は師匠の院ゼミとプロジェクト科目(政治思想研究)の二つだけですが、後輩にシラバスを見せて貰ったところ、オムニバス形式の基礎演習も興味がある回がいくつかあったので、時間が合えば顔を出してみようかなと思います。

<水曜日>

2限:国際政治論特殊演習

特殊研究が大学院生全体に開かれたゼミなのに対して、この特殊演習はいわゆる「院ゼミ」です。昨年は、正規の院生が二人だけだったこともありレイモン・アロンの輪読をメインに先生の研究室で行いましたが、今年は専修コースの院生・研究生・来年から進学予定の学部生が増えたこともあり、院棟の教室で賑やかな授業となりそうです。加えて、先生とオブザーバーとして参加している他ゼミの後輩も研究発表をするようなので、それほど多くの文献が読めるわけではありませんが、ゲスト・スピーカーとして来る先生の本を読もう、ということで↓を来週から読むことになりました。

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発表日程の関係で、ひとまず読むのはケース・スタディの章ではなく理論を扱った章なのでなかなか発表者は大変な気もしまが、どういった議論になるのか楽しみなところです。

その他、ケインズを取り上げた本を読もうという案もあり、こちらも実現すればなかなか面白そうで楽しみです。

<木曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

この授業は、研究に直接関係するところはほとんど無いにもかかわらず、履修を続けている科目です。隣接分野の研究手法や議論の構造は自分の研究を進める際にも参考になる、といった正当化が出来ないわけではありませんが、基本的には自分の純粋な興味に従って履修を続けています。通常であれば、初回の授業はガイダンスで担当者決めを行うだけのところ、なぜか昨日は初回にも関わらずゲストの先生が来て授業がありました。それだけならばいいのですが、事前のアナウンスが無かったために、著書や論文に目を通すことが出来なかったのは残念でした。

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さて、初回のテーマは「『古来の国制』論――イギリス立憲主義の知的源流」ということで、ケンブリッジ・パラダイムの研究手法に基づいた17世紀初頭イングランドにおけるコモン・ロイヤー達を取り上げたご報告でした。約1時間の講義の中で、著書(↑)で展開された議論そのものというよりは、その背景や問題意識を重点的に取り上げられたので、もう少し突っ込んだ議論を聞きたかったような気もしますが、イギリス史やイギリスの思想に興味がある自分としてはとても興味深く聞きました。

授業日程の関係で、この報告を受けての討論は再来週になりますが、討論者がどちらもイギリス政治思想史を専門とされているので、どういった議論になるかとても楽しみです。

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