2009年03月

2009年03月29日

大磯ショック。

日本のWBC連覇、塾高が甲子園でまさかの初戦敗退など、先週も色々な出来事があったわけですが、個人的には、ちょうど一週間前の先週日曜にメディアを賑わせた「旧吉田茂邸全焼」のニュースが一番の衝撃でした。

最初の報道では不審火の可能性も指摘されていたのですが、どうやら漏電と鍵の管理の関係で初期消火が出来なかったことが原因のようです。御厨先生毎日新聞での連載「権力の館を歩く」でも最初の頃に取り上げられていましたが、戦後日本政治史を語る上では外すことのできない歴史的な建造物だっただけに残念でなりません。

こういう事態になると、修士一年の秋に、先輩の日本外交史研究者の方々と旧吉田茂邸をめぐるバスツアーに行っておいて本当に良かったと思います。



そんなニュースと共に、研究関係で良い知らせと悪い知らせをそれぞれいくつか受け取ってこの数日は複雑な気分で過ごしました。良い知らせを受け取り、研究の方はひとまず第一関門はクリアといったところでしょうか。といっても、最終的にどういった結果になるかはこの数日の頑張り次第なわけですが。……分かる人にしか分からない書き方ですね。

それにしても、バタバタと色々なことをやっていると時間があっという間に過ぎてしまいます。淡々と毎日を大事にやっていこうと思いますが、ちゃんと締め切りを作ってもう少し生産的にすることを来年度は目標にしたいものです。



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↑学会員割引でまとめて購入したものが届いたので読んでみました。一つ一つが短くさくっと読めるので、バイトの合間に読み進めるにはいいものでした。

「太平洋戦争への道」などテーマを明示した企画ならともかく、そうではない記念論文集的なものはえてして手抜きの原稿ややっつけ仕事が並ぶことが多いわけです。そんなわけであまり期待してはいなかったのですが、全4巻を通して読んでみて、いい意味でそんな先入観を裏切ってくれたように思います。もちろん、明らかなやっつけ仕事や何でこの人がと思ってしまうようなものもありましたが、それは仕方が無いのでしょう。

最初は興味があるものだけを読んでいこうと思ったのですが、結局全て読んでしまいました。全体を通して読んでみると浮かんでくる面白い面がいくつかあったので、以下簡単に。

第一は、全巻を貫く「日本の視点」です。日本に関する研究や一部の地域研究を除けば、現在の日本における研究状況は率直に言ってアメリカを中心とした諸外国より遅れていることは間違いないと思います。それゆえ、諸外国における研究成果や重要な議論を押さえておくことは重要であり、日本経済評論社から刊行されている『アクセス~』シリーズなどは貴重なものです。とはいえ、英語を読むことに苦労しなければ、The Oxford Handbook~などの定評ある教科書(?)のようなものがいくつかあるわけです。

こうした点を考えれば、『日本の国際政治学』に収録されている諸論文は、欧米における議論の紹介と共に、日本における研究状況に目配りをしている点に重要性があります。大学院生にとって研究史は勉強しすぎるとオリジナリティを見失う危険性を持つものですが、それなりに踏まえておくことは重要なことです。狭義の自分の専門は別として、隣接分野についてこうして議論がまとめられているのはありがたいです。

とはいえ、日本からの視点や研究がどれだけ純粋に学問的な意味があるのかについては様々な意見があると思います。そうした点を踏まえて取り上げたいのが、永井陽之助の重要性です。先日訃報が流れ、論文を読み返したばかりだっただけに余計に目に付いたのかもしれませんが、いくつかの論文で永井陽之助が取り上げられていた点が印象に残りました。

「現実主義」の代表的な論客として知られた永井陽之助ですが、多くの弟子が研究者として活躍し、さらには著書の復刻が進んでいる高坂正堯と比べると、学部生や大学院生にとってはやや遠い存在なのかもしれません。高坂正堯の『国際政治』(中公新書)はいまだに学部教育の最初に読むテキストの地位を占めていますし、「宰相吉田茂論」などは言わば通説的に取り上げられています。それに対して、永井陽之助が一部執筆している『現代政治学入門』(有斐閣)などはあまり読まれていないでしょうし、「日本外交における拘束と選択」などは重要であるにもかかわらず、高坂正堯の諸著作に押されて読まれることが少なくなっているような気がします。

永井陽之助の残した諸論考は、国際政治論と日本外交論として非常に読み応えのあるものであり、日本における国際政治学の発展の中でもっと注目されるべきものだと思います。永井の議論がなぜ独自の面白さを持っていたのかを考えることは、戦後日本を考える意味でも重要な問題ではないでしょうか。

第三は、地域研究の面白さです。多くの章で取り上げられているように、日本の国際政治学会の独自性は、歴史と地域研究が国際政治学と切り離されずに残っている点にあります。これは、科学的な方法論に基づいた国際関係論の深化にはマイナスの影響があったと思いますが、全体として見た時にはプラスだったのではないかと私は思います。

確かに、地域に深く入り込むことを志向する地域研究と、より普遍的な議論の展開を目指す国際政治学が、本質的には相容れない学問なのかもしれません。しかし、そこは曖昧にして両者の共存と対話を行うことが重要なのではないでしょうか。第三巻(「地域から見た国際政治学」)は、正直なところ玉石混淆という印象はありますが、分析対象の地域を設定した上で、いかに国際政治学ないしは国際関係論との架橋を目指すかを考える手がかりを与えてくれるように感じました。

以上は、全体を通しての感想ですが、面白かった章についても少しだけ。面白い章はいくつもあったのですが、ここでは常にオリジナリティを失わない論考を書き続けている二人の先生の章を取り上げたいと思います。

一つは、第二巻(「国境なき国際政治」)に収録されている藤原帰一先生の「帝国は国境を越える――国際政治における力の分布」です。著者は「帝国」について、これまでも様々な著書や論文で書かれていますが、この論文ではそれを「国際政治における力の分布」という古典的に重要な問題に引きつけて論じています。

世紀の変わり目辺りから「帝国」は、国際関係論の中で一つの流行といっていい位置を占めていたわけですが、そうした様々な議論を踏まえつつも、「国際政治における力の分布」という、流行り廃りに流されない長持ちのする切り口から俯瞰することによって、バランスの取れ、かつ興味をそそられる議論を展開しているのはさすがです。

個人的には「おわりに」冒頭の一文が印象的でした。

 現代の国際秩序は、主権国家が互いに脅し合う権力闘争でも、単独の帝国が支配する階層秩序でも、また各国がリベラルな理念を共有して営む法の支配でもない。現代世界では力の分配が平等ではないが一国に集中するわけでもなく、不均等な配分が継続しているのである。そこから生まれるのは、各国がそれぞれ脅し合う力を平等に持つわけではないが、また一国が帝国としての権力を保持する条件も持たない、「国際関係」と「帝国」の狭間に置かれたような状況である。(『日本の国際政治学 2 国境なき国際政治』有斐閣、2009年、213-214頁)

こうした含蓄のあるいい意味で曖昧な一文はとても印象的で、なかなか普通の研究者には書けないものではないでしょうか。その曖昧さの先にあるものについては、論文をご覧下さい。

もう一つは、第四巻(「歴史の中の国際政治」)に収録されている宮城大蔵先生の「戦後アジア国際政治史」です。宮城先生自身も書いているとおり、確かに「試論」的な論考ではありますが、それだけにこれまでの研究とは一味違う面白い通史となっています。

そもそも「アジア国際政治史」という呼称自体が、まだそれほど市民権を得たものとはなっていません。川島真、服部龍二・編『東アジア国際政治史』(名古屋大学出版会、2007年)は、アジア国際政治史を切り開く重要な本ではありますが、通史的であり、また論文集的な色彩が強い一冊だと思います。さらに戦後について言えば、「戦後アジア国際政治史」よりは「アジア冷戦史」の方が一般的に用いられており、アジア国際政治史をいかに作っていくかは大きな課題として残されていると言っていいのだと思います。

そうした中で、この論文は、?冷戦、?脱植民地化、?開発の時代の到来という三つの視座を柱に据えることによって、戦後アジア政治史を捉えようという興味深い議論を展開しています。その際に、1945~55年を「独立・革命・内戦の時代」、1955~65年を「冷戦と新興独立国の団結」、1965~75年を「転換の十年」と、十年区切りに戦後アジアを俯瞰しているのがこの論文のポイントです。

随所に面白いポイントがあるのですが、例えば米中接近をアジア冷戦の終結としてよりも、「冷戦」と「革命」の手打ちとして捉えている点などは、アジア冷戦史ではなく戦後アジア国際政治史の視点ならではの重要な点として挙げられるのではないでしょうか。分析対象や分析視角が、歴史研究においても極めて重要だということを感じさせられます。

ところで、この論文のもとになった報告は、一年くらい前に私が「幻の修士論文」を発表させて頂いた研究会で行われたものだったと思います。だから何というわけではなく、あれから一年も経ってしまったのかと思うと、改めて時間の流れるスピードが速いものだと痛感してしまいます。

at 14:49|PermalinkComments(0) 本の話 

2009年03月17日

ようやく。

昨日で労働生活にひと区切りつき、ようやく研究生活に復帰出来ました。

といっても今週はいくつかこなさなければならない課題があるので、それをこなすことで大分時間が取られそうです。来週は意識して時間を空けてあるので、そこで遅ればせながら外交史料館通いをすることが出来そうです。

おカネの勉強にひと区切り付けた後の一ヶ月は働いてばかりいたような気がするのですが、記録を見返してみると案外色々な研究書を読んでいたようです。時間を見つけてここで少しずつ紹介していきたいと思います。



この数日は、仕事の合間に↓の読み込みを進めていたのですが、これが思った以上にしんどかったです。ヨーロッパ統合史の文脈では、必ず引かれるこの本ですが、果たしてこの細かい中身の部分をしっかり読んでいる人はどれだけいるのだろうか、と思わずにはいられません。

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全体の問題意識をまとめた第一章、分析の焦点となる国民国家像の変遷についてまとめた第二章はいいのですが、続く第三章が鬼門でした。戦間期から戦後初期におけるベルギーの石炭産業の歴史を事細かに論じたこの章は読み進めるのがとにかくきつかったです。が、読みとおしてみれば、それなりにスッと全体の議論にハマるような気はします。といっても、もう二度と読むことはないと思いますが…。

続く第四章は、冒頭の貿易理論や構造を論じている部分は面白いものの、その後はひたすら統計データの羅列なのでこれまら読み進めるのが大変でした。この辺りから、細かい話は斜め読みにしてしまおうと決断し、それからはスラスラと読み進めることが出来ました。その後に続く第五章の農業政策の話も大体同じような感じでしたが、自分がこういった細かい話にほとんど興味を持てないことを再確認しただけで終わってしまったような気がします。

第六章で議論がまとまりかけたかと思いきや、第七章でイギリスの話がまた事細かに出てくるのには辟易としましたが、この部分が第二版のポイントらしいので、何とか耐えてあと少し読み切ろうというのが今の状況です。

書評形式でまとめればそれなりにスッと入ってくる議論を展開しているような気はするのですが、読書会ではどういった議論になることやら…。

at 11:41|PermalinkComments(0) 本の話 

2009年03月14日

『創文』。

相変わらず労働に追われる毎日を送っています。

本業である研究や、それに関係する勉強時間はそれなりに確保するようにしているのですが、映画を観たりする時間をまとまって取ることがなかなか出来ないことにストレスが溜まります。この三月中旬を乗り切れば、何とか自分の時間を確保することが出来そうなので、それを励みに頑張ろうと思います。

そんなわけで、この1ヶ月半ほどは、寝る前に漫画を読むくらいしか趣味に使っていません。『ドラゴンボール』、『寄生獣』、『20世紀少年』&『21世紀少年』、『天才ファミリー・カンパニー』を読み終えたので、次は何にしようかなと本棚を眺めるのは楽しいのですが……。



この数日は次回読書会に向けて、アラン・ミルワードの本を読んでいるのでいます。最初の章は面白いのですが、肝心の中身は経済史出身の著者らしく異常に細かいのにやや辟易としています。某後輩のセリフではないですが、「ベルギーの石炭の話とかどうでもいい」と思ってしまうのは、政治学徒には致し方ないのかもしれません。

サブテキストには、Journal of Cold War Studiesに載ったモラヴチックの論文が指定されているので、そのコピーを先ほど図書館に取りにいったついでにチェックしたところ、『創文』2009年1・2月号に面白い小論が載っているのを見つけました。

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「今月号は、巻頭に宮城大蔵・川嶋周一の各先生、そして、「特集1・美学研究の現在(西村清和・小林信之・杉山卓史の各先生)」、「特集2・架橋する思想(早川誠・鏑木政彦・森川輝一の各先生)」を含めて盛りだくさんの内容に、「2009年度創文社図書目録」を付けた、合併号としてお届けします」とのことですが、本当に盛り沢山の内容です。特集2は、プロジェクト科目(政治思想研究)にゲストとして来た先生が書いているので、読むのが楽しみですし、他にも「福祉国家の国際比較」「イタリア文書館「お宝探し」の楽しみ」「アラビア語キリスト教の世界」など興味がそそられる題名が並んでいるのにグッときます。

とはいえ、ここで紹介したいのはもちろん巻頭の二つの小論(宮城大蔵「戦後日本と国際環境」、川嶋周一「比較・関係・制度――国家を超える政治構造の歴史をいかに記述するか――」)です。両先生ともに、創文社から博士論文を基にした著書を出版されていることもあり、『創文』誌の常連執筆者ですが、今回の小論はいつも以上に読み手に考えさせる味わい深いものとなっています。

「戦後日本と国際環境」は、これまでの研究でも、諸外国の見方や立場をうまく取り込むことによって立体的な日本像を描き出してきた、宮城先生らしい小論となっています(もっとも、宮城先生の研究は日本外交史というよりは日本も主要国として登場する戦後アジア国際政治史といった方が正確かもしれません)。

題名を見るとかなり大きなテーマを扱っているようにも思いますが、実際に書かれているのは、?1972年9月のヒース英首相訪日、?1970年代の経済大国化した日本、そして?現在台頭しつつある中国についてです。このように並べると、何がどう繋がっているのかよく分からないかもしれません。しかし、小論はいくつかのエピソードやその背後にあるより大きな潮流を踏まえつつ、上記三つのテーマをうまく繋いだ、読者に色々と考えさせるものになっています。

ここで簡単に内容を紹介しようと思ったのですが、いまいちうまくまとめられないので印象的な部分をいくつか引用。

…田中首相の訪中を目前にしたタイミングでのヒース訪日は、日本を自由主義陣営に繋ぎ止める努力が必要だという米英両国のバミューダでの合意に基づいたものなのであった。(2頁)

…1970年代の日本に向けられたこれらの警戒と猜疑の眼差しは、今日からすれば杞憂にすぎず、日本の内情を理解しない見当違いなものであったと見える。しかし高度経済成長を経て世界的な経済大国として復活し、十分な国力を持つに至った日本が、各国が警戒したような独立路線へと向かわなかったのは何故か。これを無意味な質問と退けず、愚直に向き合うとすれば、どのような答えがあり得るであろうか。(3頁)

…しかしながら結局のところ、大国化した日本が、各国が警戒したような独自の方向に踏み出さなかった最大の理由は、単純なようではあるが、日本にとって、その必要が本当に強くは感じられなかったからということに尽きるのであろう。それは換言すれば、戦後日本が、自国を取り巻く国際環境の中で、自らの「安全」と「繁栄」をともに追求し得ると十分に感じることができたということに他ならない。日米安保の下、西側世界の自由市場で経済的繁栄を追求することに、戦後日本は自らの前途を見定めたのである。言い換えれば、それが日本の選んだ戦後世界への「再適応」の形であり、それを可能にしたのが、日本の「再適応」を受けとめる国際環境の存在であった。(4頁)

自分の研究を直撃されてます(爆) 本格的な研究に繋がり得る議論は、着実な実証研究の積み重ねよりも、こうした小論から出来上がる面があるのかもしれません。

宮城先生の小論は自分の専門に関係するものですが、川嶋先生の小論は、読書会の方に関係するテーマを扱っています。ちょうど今読んでいる読書会のメインテキストとサブテキストを、ヴォルフラム・カイザーの言葉を借りて「不毛」とばっさり切っているのを読んだ時には思わず苦笑してしまいました。

「比較・関係・制度――国家を超える政治構造の歴史をいかに記述するか――」という題名を見ただけでは何を取り上げているのかが、よく分からないかもしれませんが、具体的に取り上げているのは川嶋先生の専門であるヨーロッパ統合史です。

ヨーロッパ統合の創設期である1940・50年代から、共同体機構が機能し始めた1960・70年代に、徐々に歴史研究の対象がシフトしていくなかで、どのような研究が可能なのか、ということを問いかけるこの小論については、来週の読書会を踏まえて、また簡単に紹介したいと思います。

「それにしても」と思ってしまうのは、同じ70年代を見据えた小論であるにも関わらず、対象とするのが日本かヨーロッパかということで、ここまでイメージが異なるのかということです。もちろん、二人の先生の研究スタイルの違いはあるでしょうし、問題意識が違うのは当然のことですが、この二つの小論の示す方向性の違いは、パーソナリティの違い以上のものなのではないでしょうか。より広い戦後国際政治史として考えてみれば、この二つの小論は繋がってくるようにも思うのですが、具体的にどうすればいいのかはよく分からないところです。

at 15:15|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2009年03月08日

多忙で候。

二月半ばから学費稼ぎに追われ、なかなか思うように時間が使えません。

週四日~五日フルタイムでバイト+家庭教師×2という生活は思いの外、時間が取れません。バイトの方がそれなりに自分の研究にも関係しているので、勉強にはなるのですが、資料をパラパラ読んだり、読まなければならない本や教科書をいくつか読んでいるだけであっという間に一週間が終わってしまいます。

こんなことを毎年やっていては研究が出来ないので、来年度からは借金生活がスタートすることになりそうです。



そんな生活の中でもゆとりは必要だろうと思い、昨日はバイトを終えてすぐ帰宅してWBCの日韓戦を観たのですが、結果はご存じのとおりで日本の圧勝。村田がホームランを打ったところで観るのを止めてしまいました。

さらに昨日はJリーグの開幕日ということで色々とニュースをチェックしていたのですが、我がジュビロ磐田は昇格したばかりのモンテディオ山形に惨敗という結果。スコア以上に点の取られ方やタイミングがあまりにもひどいのに愕然としました。監督を日本人やブラジル人、ヨーロッパ人を節操無く変えるフロントの姿勢に疑問を感じる今日この頃です。



読売新聞の社説で公文書管理法案が取り上げられていました(リンク)。ネットでしか調べていないので紙面では違うのかもしれませんが、公文書管理法案について各メディアの注目はあまり高くないようです。こうした形で有力紙の社説が取り上げると、それに触発される形で他紙も議論に加わることがあるので、そうした流れになることを期待したいものです。

そんな記事を読んでいてふと思ったのですが、先日ここで紹介した新たな外交文書公開制度「要公開準備制度」ですが、どうやらこの制度の導入も公文書管理全体の問題と繋がっているような気がします。

日本の公文書公開が、アングロサクソンを中心とした諸外国と比べて遅れていることは周知の事実ですが、そもそもの問題は「公開」以前の「管理」にあります。独自の文書公開を行ってきた外務省はまだいい方で、旧通産省は散々な状況にあります。一説によると、通産官僚は新たな補職についてまずする仕事は、前任者が作成した書類を処分することだとも言われています。これは事実の隠蔽が目的というよりは、下剋上的な組織文化に基づくものだそうですが、いずれにしても大きな問題であることは間違いありません。

『通商産業政策史』という省史を作るにあたって、あまりに資料がなかったために大量のインタビューを行ってその穴埋めをしたことはよく知られていることです。口述資料には口述資料の良い点があるのですが、それは文書資料に代わるものではありません。それゆえ、『通商産業政策史』には単純な事実関係の誤認を含めて様々な問題があるわけです。

情報公開法がある現在は、ネット上で「行政ファイル管理簿」を検索して省庁がどのような文書ファイルを持っているかを一般国民でも調べることが出来るのですが、検索をしてみると許認可関係などは別にして、いわゆる「政策文書」の類を経産省がほとんど残していないことが分かります。こうした状況が、公文書管理法案が通ることによって多少なりとも改善されることを望みたいものです。とはいえ、これまでが散々な状況だったことを考えると、その成果が歴史研究に反映されるようになるには相当の時間がかかることになりそうです。

これに対して、より近い将来に資料的に期待することが出来るのは財務省でしょうか。位置付けが曖昧な日銀に大量の資料があり公開が望めない点は非常に残念ですが、それでも旧通産省と比べれば旧大蔵省の方が、情報公開の進展に伴って有望な資料が出てくるのではないかと思います。もっとも、旧大蔵省の組織文化は独特のものがあるらしく、政策研究大学院(GRIPS)でオーラル・ヒストリーのプロジェクトをやっていた当時に、旧大蔵省関係者の聴き取りはあまりうまく行かなかったようです。こうした文化が残っているとすると、やはり積極的な公開はあまり期待しない方がいいのかもしれません。

他省庁に話が流れてしまいました。「要公開準備制度」の話でした。この制度はまだ運用が始まったばかりで見えないことだらけなのですが、どうやらこの前ここに書いたのとは違い、「戦後外交記録公開」とも「情報公開法に基づく文書公開」とも異なる全く新しい公開制度のようです。

何よりも異なるのは、今回の制度が「現物公開」だということです。「管理番号」というものと「分類番号」が混在していたりと、いまいちよく分からない部分もありますが、ともかく新たな公開制度であることは間違いないようなので、今後の運用を含めて注目していきたいです。

at 16:48|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言