2009年02月

2009年02月27日

再び無事合格。

半年前にも同じようなことを書きましたが、博士課程試験に無事合格しました。

半年前に外国語能力検定試験は通っていたので、今回は二次試験(修士論文及び研究計画に関する口頭試問)のみでした。普通であれば修士論文を書き上げた時の達成感の方が大きいのかもしれません。が、私の場合は一年越しだったので、合格発表を見てちゃんと自分の番号があった時は本当にほっとしました。

博士課程進学後は、これまでのように「まだ修士だから」という甘えが許されることもなくなります。大事な三つのことは「研究!研究!研究!」という気持ちを忘れずに、博士論文に向けて精進したいと思います。

早速次の研究に取り組みたいところなのですが、学費稼ぎのバイトに追われたり、その他諸々の事情により、資料は色々と読んでいるのですが論文執筆そのものは完全に停滞しています。

博士課程進学後のことを考えた時に、もうしばらくは色々な勉強をしておく必要がありそうだと気が付いたので、あと一ヶ月は先行研究や隣接分野の勉強を中心に過ごすことなりそうです。

at 14:10|PermalinkComments(2)日々の戯れ言 

2009年02月20日

メガネ!メガネ!メガネ!

先週末、二年半ぶりに眼鏡を買いました。

眼鏡は日々使うものとはいえ、使っているものが急に全く合わなくなるというわけでもないので、なかなか買うきっかけがありません。今回は、ふと大学に行く途中に買いたくなり衝動買いをしてしまいました。ドラクエIXの発売延期によって出費の予定が延びたという理由もありますが…。

これまで三回続けて買っていた店が潰れてしまったので、今回はZoffで買いました。

値段も同じようなものだし、そんなに違うものではないだろうと思っていたのですが、新しい眼鏡をかけてみると、微妙にレンズの感じが違ったので、慣れるまでしばらく時間がかかりそうです。これまで使っていた金縁(という程どぎつくはないのですが)も気に入っていたのですが、今回は主張が強めの黒縁にしてみました。



おカネの話にとりあえず決着を付けたので、ようやく読書の時間を取ることが出来るようになりました。そんなわけで、自分の研究関係の文献や海外の日本研究をダダダッと読んだり、『国際政治』の最新号等々をバイトの合間に目を通したりという日々です。資料の開示待ちをしているので、なかなか研究そのものが進まないのが歯がゆいです。そんな中で、先週真っ先に読んだのが細谷雄一・編『イギリスとヨーロッパ』(勁草書房)です。

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研究書は、大きく?単著、?共著、?編著の三つに分けることが出来ますが、日本の場合は単著に面白い本がそれなりにある一方で、少なくとも私の専門に関係する範囲では、完全な共著はほぼ皆無に等しく、さらに編著はただの論文集で統一的な問題意識もなく、率直に言って玉石混淆も甚だしいというのが実情だと思います。教科書や概説書の場合は、有斐閣アルマの各シリーズをはじめとしていい本も多いのですが、研究書に限れば共著や編著について、このように考えている人は多いのではないでしょうか。この点、海外では数多くの重要な共著や編著が多いのとは対照的です。

もっとも、この数年は徐々に状況が変わりつつあるのかもしれません。積読状態なので大きいことは言えませんが、曽我謙悟・待鳥聡史『日本の地方政治』(名古屋大学出版会、2007年)は本格的かつ見事な共著だと思います。また、これはこのブログでも紹介したことがある(リンク)、波多野澄雄・佐藤晋『現代日本の東南アジア政策』(早稲田大学出版部、2007年)は、分担執筆ながら本格的な歴史研究となっています。また、田所昌幸・編『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』(有斐閣、2006年)は、編著ながら実に統一性の高い見事な本です。また統一性はないものの、波多野澄雄・編『池田・佐藤政権期の日本外交』(ミネルヴァ書房、2004年)は、若手研究者による一次資料を駆使した最新の研究を集めたものとして重要な編著として挙げられると思います。

とはいえ、残念ながら上記の本は例外的なものであり、依然として編著はなかなか購入する気が起きません。こうした中で『イギリスとヨーロッパ』は、極めてレベルが高く読み応えのある編著です。編者の先生による紹介はこちら(リンク)。

200年というスパンで、イギリスとヨーロッパの関係を歴史的な視座から検討するという試みだけならば、それほど驚くことではないのかもしれません。驚くべきことは、執筆者のほとんどが担当している時期に関して本格的な単著もしくは博士論文を書いているということです。この結果として、この本には各執筆者の研究のエッセンスが詰まっているように感じました。

前半の三分の一で150年を取り上げ、残りの三分の二がこの50年に集中している点などは、帝国時代のイギリス外交にも関心がある私にとっては残念でもありますが、どの章もそれぞれ興味深く面白く読みました。そんな中で、もっとも面白く読んだのは第8章「サッチャーとドロール 1979―90年 劇場化されるヨーロッパ」です。サッチャーとドロールという強烈な個性のぶつかり合いが、背後にある思想や政治・経済的事情の変化とともに活写されているこの章の面白さはとても印象的でした。この章を読んで、The Presidency of the European Commission under Jacques Delors: The Politics of Shared Leadership (Basingstoke/NY: Macmillan/St Martin’s, 1999) は何としても読まなければ、という思いを強くしました。

以下は若干の感想です。

第一は、第7章「冷戦とデタントのなかで CSCEへの道とイギリスの役割意識、1951―79年」として別出しされていることです。各章が時系列順に並んでいる中で、この第7章だけが別出しの形になっているのは、単に執筆者の先生の専門の関係なのかもしれませんが、結果としてCSCEに至る過程をわざわざ別の章となったことは、この時代とテーマの難しさを象徴しているような気がしました。第7章で描かれる歴史を、各章に埋め込むのはなかなか難しいようにも思うのですが、実際のところはどうなのでしょうか。

以上の問題とも関連するのかもしれない第二の感想は、冷戦をどのように考えるのかということです。本書が200年というスパンでイギリスとヨーロッパの関係を捉えるという視点に立つ以上、冷戦はその中の50年弱に関係する問題に過ぎないのかもしれません。とはいえ、ヨーロッパ統合と冷戦の関係をどのように考えるのかは極めて重要かつ本質的な問題だと思います。各章の叙述はうまくこの問題を埋め込んだものですが、第7章が、どちらかと言えば脱冷戦的なトーンでこの問題を論じ、他の章はより内在的にヨーロッパとイギリスの関係を検討しているので、本書全体としてはやや冷戦と統合の関係が見えにくくなってしまったような気もしました。

at 11:54|PermalinkComments(1)本の話 

2009年02月16日

日本外交史研究者へ(資料の話)。

日頃から資料に関しては嘆きばかりをここに書いているのですが、今日は朗報です。

外交史料館で新たな「要公開準備制度」という新たな資料公開制度が、今日付けで始まったようです(リンク)。

HPの説明からは詳細がいまいち分かりにくいのですが、「第○○回公開」として二年に一回程度行われてきた「戦後外交記録」と「情報公開法に基づく開示請求」の間にある制度といった感じでしょうか。

興味深そうなテーマが並んでいるので、早速利用したいと思うのですが、行ったらすぐに見れるというわけではないようなので、どうしたものか考えものです。誰か利用した人がいたらレポートしてくれると嬉しいのですが…。

at 21:05|PermalinkComments(2)日々の戯れ言 

2009年02月15日

リチャード・N・ガードナー『国際通貨体制成立史』

水曜日に行った読書会の記録代わりに、メインで取り上げた本を紹介しておきます(※用意した原稿がかなり長いものになってしまったので、分量は半分程度に圧縮してありますので悪しからず)。

昨年の春休みに始めたこの読書会も今回で9回目となりました。この調子で、年10回程度の読書会を継続出来れば、冷戦史研究の古典的な本はほとんど網羅出来るのではないかと思うわけですが、メンバーに留学予定があることもあり、このままの枠組みでどれだけ継続出来るかは微妙なところです。

今回も邦訳がある本を取り上げました。冷戦史研究というわけではありませんが、様々な研究で現在も参照され続けているリチャード・N・ガードナーのSterling-Dollar Diplomacyが今回のメインテキストです。1956年の初版刊行後、1969年、1980年にそれぞれ第二版及び第三版が刊行されているのですが、それぞれ副題や書名が変更され新しく序論が付されているものの、本論の部分には変更は加えられていません。

邦訳(『国際経済体制成立史』東洋経済新報社、1973年)は、1969年に刊行された第二版の全訳ですが、翻訳にやや難ありでところどころ意味が取れない部分があるので、原著で読むことをお勧めします(私の場合、三分の一くらいの部分は邦訳と原著を引き比べて読みました)。

今回は私が発表担当だったのですが、用意した原稿が不十分だったのか提示した疑問点が良くなかったのか、やや議論がかみ合わなかったような気がします。もう少し経済学(経済史)的な観点からこの本の議論やテーマについて考えてみたかったのですが、これは参加者の専門分野の問題もあるのかもしれません。

なお、サブテキストは、①田所昌幸『「アメリカ」を超えたドル 金融グローバリゼーションと通貨外交』(中央公論新社、2001年)序章&第一章、②G. John Ikenberry, "The Political Origins of Bretton Woods," in Michael D. Bordo and Barry Eichengreen, (eds.), A Retrospective on the Bretton Woods System: Lessons for International Monetary Reform (Chicago: University of Chicago Press, 1993) の二つです。



Richard N. Gardner, Sterling-Dollar Diplomacy: Anglo-American Collaboration in the Reconstruction of Multilateral Trade (Oxford: Clarendon Press, 1956)

<はじめに>

第二次世界大戦後の多角的(multilateral)な国際経済体制再建をめぐる英米交渉について、通貨と貿易をめぐる諸問題を中心に様々な角度から検討した本書は、国際経済学・国際機構論・国際政治経済論(IPE)にまたがる重要な研究として、初版の刊行から50年以上を経た現在でも参照され続けている。ブレトン・ウッズ体制の形成についても、英米両国の文書公開の進展に伴い、一次資料に基づいた様々な研究が発表されているが 、それでもなお本書は第一に挙げられる必読文献としての地位を失っていない。研究の価値を測る基準は数多く考えられるが、どれだけ長く読み継がれるか、ということは有力な基準である。その基準に拠れば、本書を、「現代の古典」としての地位を確立した重要な研究と位置づけることに異論は無いだろう。

<概要>

本書のテーマは、第二次世界大戦後の多角的な国際経済体制再建をめぐる英米交渉であり、通貨と貿易をめぐる諸問題を様々な角度から検討している。具体的には、①英米の戦時協力(大西洋憲章、武器貸与法)、②ブレトン・ウッズ会議の成果である国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行)の創設、③英米金融協定締結、④国際貿易機構(ITO)憲章の制定及びその「流産」、の四つのテーマを取り上げている。その際、単に英米交渉のみを取り上げるのではなく、それぞれの背後にある世論との関係を併せて分析している点が特徴的である。

結論を含めて16章からなる本書は、四つのパートに分けられており、各パートがそれぞれ先に挙げた四つのテーマに対応している。第一部「多角主義の目的」で取り上げられるのは、英米の戦時協力であり、時期としては1942年2月までを検討している。アメリカでは、対日政策と同様に、第二次大戦後の国際経済秩序についてもその構想が参戦以前から検討されていた。ハル国務長官を中心として、経済的な孤立主義及びナショナリズムと決別し、多角的な貿易体制の再建を目指す動きが、アメリカ政府内で高まっていたのである。
これに対してイギリスでは、アメリカとの緊密な協力の下で多角主義的な体制を再建するべきとの主張を強く支持する人々が存在する一方で、保護貿易制度と英連邦における特恵関税制度維持を主張する右派と国内の経済計画を海外の影響から切り離すべきと考える左派勢力がそれぞれ存在していた。こうした英米の構図は、この後のそれぞれの交渉でも続く基本構図である。
大西洋憲章と武器貸与に関する相互援助協定をめぐる英米交渉は難航したが、それぞれ困難な交渉を経て1941年8月、1942年2月に妥結に至った。結果を見れば、目の前の戦争遂行を優先せざるを得ないイギリスが、留保は付けつつもアメリカの主張する帝国特恵の見直しを受け入れた形となった。

第二部「多角主義へ向けた計画」では、英米協力の第二段階として、多角主義を実現するための具体的な方法をめぐる両国の検討と、ブレトン・ウッズ協定の交渉及び批准をめぐる国内の議論が取り上げられており、時期としては1945年11月までを検討している。
専門的な細かい点や両国の原案(ホワイト案及びケインズ案)の詳細は省略して、ここでは議論の大枠のみをまとめておこう。ここでも、英米の経済的な立場の違いが交渉姿勢や方針に影響を与えた。国際収支の黒字が予想されるアメリカと、戦時中に巨額のポンド残高を抱えることになったイギリスの立場の違いは明らかである。こうした両国の意見の相違を棚上げする形でブレトン・ウッズ協定が調印されたのであるが、両国の解釈及び世論の認識は異なったままであった。こうした形でブレトン・ウッズ交渉がまとめられた結果として、戦後直ちに新たな問題が浮上することになった。それは、戦後過渡期の問題である。

第三部「多角主義への転換」では、1946年7月の英米金融協定(対英借款)成立に至る過程が取り上げられる。第二部までに検討されるのは、戦後に対する長期的な構想であったが、ここでより大きな問題となったのは短期的なそれである。戦時中の負債を抱えるイギリスの国際収支問題処理は、ブレトン・ウッズ協定の前提条件となるものだった。
イギリスがアメリカに対して寛大な措置を求める一方で、一方のアメリカ、とりわけ議会の見方はイギリスのそれとは著しく異なるものだった。借款協定を、多角主義の義務をイギリスに負わせるべきことをリンクさせるというアメリカの姿勢は、交渉を困難なものにし、交渉は経済的要因よりも世論の力で決定されたと著者は評価している。しかし最終的には、新たな要因、すなわち米ソ関係の悪化が借款協定の成立を促すことになった。1946年3月のIMF及び世銀の創立総会にソ連の姿は無かった。冷戦の胎動によって借款協定は、辛うじて成立することになる。

第四部「実践された多角主義」では、少し時計の針を戻し1946年3月のIMF及び世銀の創立総会から1950年末のITOの「流産」に至る過程が検討されている。交渉結果について、相異なる英米案をそれぞれ反映する形でまとめられたITO憲章は、「重すぎる」ものとなったと著者は評価する。こうした1946年を経て、戦後国際政治の転機となる1947年を迎えることになった。
1946年を通じて、英米両国の間には多くの点で意見の相違があったものの、戦後の国際経済秩序にとって多角主義が望ましい目標であるという点では、両国は一致していた。しかし、1947年にヨーロッパ各国が重大な政治・経済危機に陥ったことによって、多角主義を回復する見込みは全くつかなくなってしまったのである。それは、1947年7月のポンドの交換性回復によって決定的となるイギリスの国際収支危機、西欧諸国の貿易赤字の拡大、ITOの「流産」という形を取った。結果的に、西欧の危機は、対ソ戦略としてマーシャル・プランという新たな手段の登場によって回避されることとなったが、それは戦後初期における多角主義追求の放棄という政策転換を伴ったのである。

以上四部からなる議論をふまえ、著者は、多角主義の復活という目標は達成されなかったと、この歴史を結論づける。著者の考える多角主義実現の条件は、①政治的均衡の達成、②経済的均衡の達成、③債権国と債務国が共に適切な対内・対外政策を実施すること、の三点である。しかし、①は冷戦によって、②は戦後過渡期問題の軽視によって、③は債権国と債務国間の調整認識が不足していたことによって、いずれも不十分に終わってしまった。

<評価>

以上のように、本書を終えるにあたり、著者は戦後の多角主義実現に向けた英米交渉にやや辛い評価を与えている。しかし、本書の第二版及び第三版の序論からも分かるように、この評価を著者は修正している。各版の序論は、英米協力の成果と残された課題をバランス良く検討しているが、概して著者の評価は肯定的なものに変化している。とりわけ著者が高く評価していることは、英米交渉がその後の多角主義の進展へと道を開く制度を作り上げた点である。このような著者自身の評価の変遷をどのように考えるかは、我々が本書を考える際に重要な問題であろう。

次に考えたいことは、資料及び本書の分析枠組みである。1956年の時点で執筆された本書が、資料面でその後の研究に及ばないことは当然であるが、同時に1956年の時点で利用しうる各種資料を効果的に用いている点は高く評価されて然るべきである。とりわけ、各協定及び草案の詳細な検討を行うとともに、協定批准に際しての議会での討論、さらにその背後にある世論を新聞・雑誌の論説を分析している点は重要である。
密教的な安全保障政策とは異なり、一般に経済問題は顕教的に議論がオープンに行われる。また、国際機関設立は各国での批准が必要となり、批准にあたっていかに議会を説得するかということは、各国政府にとって最も重要な問題である。国際政治史的な観点から見るとやや詳細に立ち入り過ぎている感はあるものの、本書は、国際経済秩序形成という問題を分析するにあたって適切なアプローチを取っていると評価できるだろう。
もちろん、外交交渉を検討する際の世論の扱い方は注意を要する問題である。取り上げた議論が恣意的に選択されていないことを証明することは困難であるし、印象論的だという批判を免れることも難しい。この点について、本書は、英米の外交交渉、さらには両国の議会における議論を丹念に検討し、どの点が議論のポイントであるかを明らかにした上で世論を検討するという手順を踏んている。こうした手順を踏んだことによって、本書の場合はこの点をうまくクリアしたと評価できるのではないだろうか。

とはいえ、本書の枠組みに問題が無いわけではない。資料的に難しい問題はあったのかもしれないが、第二次大戦後の国際経済秩序形成を考える際には、より冷戦要因を強調する必要があるのではないだろうか。この点は、本書の叙述からも明らかであると思われる。英米金融協定締結の決定打となったのは、米ソ対立が徐々に明らかになってきたことであるし、戦後過渡期の問題を解決したのは冷戦の開始を決定付けるマーシャル・プランであった。
この点については、ギャヴィン(Francis J. Gavin)が本書の後の時代(1958年~71年)を研究する際に、通貨問題と安全保障問題の相互作用に着目している点が示唆的である。

本書は、戦後国際政治史における「最長不倒」を誇る「現代の古典」である。とはいえ、本書の刊行から50年を経た現在の視点から考えれば、より大きな枠組みの中に英米による多角的貿易体制再建の試みとその顛末を位置付ける必要があるのではないだろうか 。

at 18:49|PermalinkComments(0)本の話 

2009年02月07日

おカネの話。

小銭稼ぎに精を出していたら、久しぶりの更新になってしまいました。

周りの友人が就職活動に忙しい時に暇つぶしに始めたこのブログですが、それから四年近くが経ち、いつの間にやら文体も「ですます調」になり、どこからどう見ても社会から隔絶した大学院生のブログになってしまいました。そんなブログをmixiに繋いでいるのは、何やらマイミクの友人達との距離を自分から置いているようなものだな、とふと思いました。



資料整理をしたり、新たな研究に向けた資料収集や情報公開請求の準備を進めつつも、相変わらず勉強に重点を置いた毎日を過ごしています。それに加えて、学費稼ぎに時間を割いているのでなかなか思うようにやることが進まないのが悩ましいところです。

読書会で取り上げる本の関係もあり、今のテーマは「おカネ」です。もう少し具体的に言えば、第二次世界大戦後の国際金融をめぐる国際関係を勉強しているのですが、それだけでは面白くないので、経済学者によるものや、歴史物、制度主義の論文等々を読んでいたら時間ばかりが過ぎてしまいました。

そんなわけで、頭の中はおカネ一色に染まっています。研究者を志す以上、ただ勉強をして色々な分野を知っても仕方が無いわけで、様々な事象をいかに自分の頭の中で統合していくのかが課題です。もっとも、全てが繋がっているわけではなく、因果関係をいかに考えるのかが重要なのですが、それが一番難しいわけです。

以下、おカネ一色の経緯を辿りつつ読んだ&読んでいる本を簡単に紹介しておきます。

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おカネ一色の直接の原因は、読書会でリチャード・N・ガードナー『国際通貨体制成立史』(原題:Sterling-Dollar Diplomacy: The Origins and the Prospects of Our Internatinal Economic Order)を取り上げることにあるのですが、思い返してみると、年末に竹森俊平『資本主義は嫌いですか:それでもマネーは世界を動かす』(日本経済新聞社)を読んだ辺りから、徴候はあったのかもしれません。

フィッシャーとシュンペーターの古典的な論戦を紐解きながら小泉政権の構造改革路線を批判的に検討した『経済論戦は甦る』から始まる一連の著作の最新刊として、サブプライム・ローン問題を正面から論じた『資本主義は嫌いですか』は、エコノミック・マンを前提とした理論だけでなく、行動経済学の最新の研究動向を踏まえている点が実に説得的で面白い本でした。もっとも、今後の世界経済にとっての処方箋が「低成長」かも知れないという逆説的な最期はやや不吉なものがありました。

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その竹森先生がこれまでの本でも好んで取り上げてきたエピソードが、ジョン・ロウのミシシッピ会社の話です。オランダのチューリップ・バブル、南海泡沫事件と並ぶ三大バブルの一つとして様々な本で取り上げられているのでご存じの方も多いのではないでしょうか。こうした興味深いエピソードをよりじっくり読んでみたいなと思い、日本語で何か手頃なものがないかと思っていたところ、『おどる民だます国:英国南海泡沫事件顛末記』(千倉書房)が昨年末に出版されました。

著者は英文学が専門とのことですが、幅広い分野の著書があり、ぱっと自分の本棚を眺めると思いのほか多くの著書が並んでいました。経済学的な分析がなされているわけではないので、専門家にどのように読まれるのかは分かりませんが、事件の背景や当時の様子が活写されているので、読み物として実に面白いものです。人々が富に狂奔するのは、いつの時代も変わらない人間の本性なのでしょうか。

と、これは完全に趣味の読書ですが、勉強を兼ねて読んだのが『世界デフレは三度来る』(講談社)です。

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理論を基盤に置きつつ、歴史を振り返り、かつ現在へのインプリケーションを常に考慮するというスタイルは著者独特のものであり、経済学の素人である自分にとっても魅力的です。そのスタイルの代表作と言えるのが、この本と言えるのではないでしょうか。上下で1000頁を超える大作でありながら、読者を飽きさせずにぐいぐい読ませる力があります。

硬い言い方をすれば、最新の経済理論を念頭に置きながら、この150年ほどの日米のマクロ経済政策の変遷を検討している本とまとめることが出来るのかもしれませんが、この本は何よりも一つの「歴史物語」として読むのがいいのではないでしょうか。著者の言葉を借りれば、本書は「インフレとデフレのしだの経済変動に焦点を当て、財政、金融政策によってその経済変動を管理するという思想がどのように深まったのかを振り返り、さらにその思想が日本においてどのように受け入れられたのかをテーマにして「歴史物語」ということになる」そうです。

歴史の専門家からすれば、取り上げている事例のバランスが必ずしも良くない点や、最新の研究動向を把握せずに、回顧録を中心に叙述を進めている点に不満を感じることもあるのかもしれません。しかし、こういった点はこの本の価値はいささかも減じるものではないと思います。この本の持ち味は、何よりもはっきりとしたメッセージとそれを支える論理がしっかりとしていることにあります。

デフレがいかに経済にとってマイナスか、そしてポピュリズムに陥らず物価の安定という中央銀行の役割をいかに果たすか、さらにいかにリーダーシップが重要な意味を持つか。こうした主張は、著者のこれまでの本にも一貫して流れるものです。その主張を理論的に検討するだけでなく、様々なエピソードを踏まえていることが、この本を実に魅力的なものにしています。

それにしても、この本を読んで痛感させられるのが、経済学と政治学(とりわけ国際関係論)の差です。最新の理論を踏まえて歴史を検討することによってこれだけ様々な知見を得ることが出来るのは、経済学の「社会科学」としての完成度の高さを表しているような気がします。もともとの理論体系の違いもあるのでしょうが、何よりも経済学と国際関係論に差があるのは、政策評価の容易さにあるのだと思います。(実際にはそこまで単純ではないにせよ)数量的に見て政策評価を出来るのは、国際関係論にはない経済学の強みです。

この間授業で読んだ時にはしっかりと理解出来ていなかったのですが、レイモン・アロンはこうした経済学と国際関係論の違いを明確に認識し、国際関係論における理論化の困難を強調したのではないかと思います(Raymond Aron, "What is a Theory of International Relations?" Journal of International Relations, Vol.21, No.2 (1967))。

アロンは、(モーゲンソーの主張を念頭に置いて?)国際関係においてアクターが「権力の極大化」という単一の目的を持つと想定することは出来ないと強く主張しています。そこで強調されるのは、「権力」はあまりに定義が曖昧であるし、ケインズ流の経済学が想定するような「均衡状態」を保証するような装置は国際関係には存在しないということです。また、国家の枠内でも国家間関係でも、体系の性質を変えたり、一つの体系から他の体系への変化をもたらすような要因は無数に存在する、つまりエージェントによるストラクチャーの可変性が国際関係はあまりに高いことをアロンは再三にわたって強調しています。

脱線しました。アロンの話はまだまだ理解しきれていないので、もう少しじっくり考えることにしたいと思います。

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そんなこんなで、経済のことばかりを考えて遠回りをしてきたのですが、近年の研究は国際経済と国際政治を再び繋ぐ方向に進展しつつあります。フランシス・ギャヴィンによるGold, Dollars, and Power: The Politics of International Monetary Relations, 1958-1971 (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 2004) は、その代表的な成果の一つです。取り上げている時期やテーマ・研究手法を考えれば、ガードナーの本に続く研究がようやく出てきたと言えるのかもしれません。

ジョン・ルイス・ギャディスがエディターをしているThe New Cold War Historyの一冊として出版されていることと多少関係があるのかもしれませんが、序論と結論を読んだ感じでは、国際通貨問題をめぐる米欧関係と冷戦の関係をかなり意識している点が印象的です。国際通貨問題はそれだけを取り出して論じることが十分に可能です。しかし、それを安全保障問題との相互関係の中で考えてみると何が言えるのか。そういった点がこの本の主題のようです。この本は、国際関係論の観点から通貨問題を考えるための必読書だと思うのですが、時間の関係で今回は概要の確認だけで終わってしまいそうです。

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こういった流れで本を読んだりチェックしたりしている以上、外すことが出来ないのが師匠の本です。この本は何よりも半世紀という長いスパンで通貨をめぐる国際関係を検討している点が重要です。そして、ただだらだらと歴史を書き連ねるのではなく、ベンジャミン・コーエンの分類を借りつつ、国際通貨体制の秩序原理として?超国家性、?覇権、?自動性、?政策協調があることを紹介し、それぞれの時代や各政策担当者の構想をこの枠組みに沿って検討していることが叙述的でありながら分析的な筆致を生みだしています。

久しぶりに読み返したのですが、自分の研究に関係する部分についてもかなり書かれていたので、ドキッとしてしまいました。

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そういうわけで、国際金融に関する歴史物を色々と読んできたのですが、やはり国際政治学徒としては、理論面の勉強もしなければいけないだろうと思い、年が明けてから少しずつ制度論に取り組んでいます。

After Hegemonyは自分の研究に関係しているので、これまでも何度か読んでいるのですが、何度読んでも発見があります。「現代の古典」に相応しい名著です。もっとも、この「覇権後」という時代認識は、上記の師匠の本も含めて近年の研究で徐々に修正されてきているような気もします。

制度論は、近年も様々な形で発展していますが、1970年代を取り上げた研究の進展はほぼ止まっているような気がします。いくつか重要な研究がないわけではないですが、現時点でもコヘインの研究を超えるものは管見の限りほとんどありません(何かあれば教えてください)。理論研究が「普遍性」を志向している以上、特定の時代に対する関心がそれほど強くないことは理解出来ますが、それにしても近年の研究はあまりに直近のテーマに集中しすぎているように思います。歴史を研究しているものとしては、WTOよりもGATTの研究を最新の理論を使ってやっているものが読みたいのですが……。

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その点で、早い時期からキャリアを積み上げてきた年配の研究者の方が、古い時代を取り上げている物が自分にとっては有用なようです。その意味で、ジョン・ジェラルド・ラギーの『平和を勝ち取る アメリカはどのように戦後秩序を築いたか』(原題:Winnig the Peace: America and World Order in the New Era)が最近邦訳されたのはいいタイミングでした。英語力の無さゆえに、英語で書かれた理論研究は論文ばかりを読んでいて本になかなか手が出ないので、こうして翻訳が出てくれるのはありがたいことです。

いつまでもこんなことを言ってはいけないのですが…、それはともかく第二次大戦後の秩序形成とその後の展開を検討したこの著書は、制度論というよりは利益とアイデンティティに着目する点でコンストラクティヴィズムの研究に近いわけですが、制度形成を検討している点が自分にとっては重要です。これも時間の関係で、バーっと斜め読みをしただけでじっくり読めていないので、時間を作って読み返したいところです。

とまあ、こんな感じで勉強ばかりしてきたのですが、頭の中は、色々なことが繋がったような繋がっていないようなよく分からない状態で、結局残ったのはおカネの話だけです。

来週半ばまでは引き続き勉強に専念し、それから研究を徐々にスタートしようと思います。

at 11:25|PermalinkComments(0)本の話