2008年12月

2008年12月30日

今年もお世話になりました。

山あり谷ありでしたが、こうして年末を迎えるとやはり今年もいい一年だったなと思います。

明日から静岡へ帰り、リフレッシュしてきます。来年もよろしくお願いします。


at 23:55|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2008年12月28日

弛緩。

競馬関係者は番組表が暦代わりだそうです。競馬ファンの自分も有馬記念が終わるとああ一年が終わるんだな、という気になります。ダイワスカーレットの見事な逃げきりに終わった今年は牝馬の活躍が目立った一年でしたが、来年はどうなるのでしょうか。



日々是単調な院生生活を送っている自分でも、それなりに毎日色々なことを考えています。

そんなきっかけになるのは、不思議とふと目にしたニュースであることが多いので、パラパラとではあっても毎朝新聞を眺めるようにしていますし、パソコンを立ち上げるとパパっと国内外のニュース・サイトをチェックすることは日課のようになっています。

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先ほどパソコンを立ち上げた時に目に入ってきたのが、『文明の衝突』や『第三の波』の著者として日本でも広く知られているサミュエル・ハンチントン死去のニュースです(リンク)。長らく翻訳が品切れになっていた『軍人と国家』(原題:The Soldier and the State)が最近復刊されましたが、彼の多くの業績には今なお読むべきものがたくさんあります。

それなりに政治学の研究事情のようなものが分かるようになってからは、『文明の衝突』以降の彼の著作やその議論が、アカデミックにどういった水準にあるのかについてかなり疑問を持つようになりましたが、学部一年の時に『文明の衝突』を読んで論文(のようなもの)を書こうと考えた時の気持は今でもはっきりと覚えています。

「文明の衝突」という議論は人口に膾炙し今でも様々な場で引かれていますが、むしろ読まれるべきは『第三の波』以前の著作、とりわけ『軍人と国家』ではないでしょうか。政軍関係の古典と知られていますが、後の民主化論との関係からも興味深い本です。



うだうだと色々書いていた修士論文は、先日先生からOKが出たので結局微修正のみで終わらせることになりました。抜けていた一次資料や二次文献、新規に公開された資料の追加等々をして、切り出した論文の議論との整合を図る。そんな作業を、毎日少しずつ進めています。

そんなわけで時間に余裕が出来たので、この数日は積読解消期間に入っています。久しぶりに本をダダダッと読むことが出来るのは素直に嬉しいのですが、自分の専門分野の本やそれに近い本は、何と言うか斜めから見てしまいます。その点で、この夏からそれなりに取り組んでいる経済学関係の本はより素直に読めるのでいい読書です。とりわけ、アカデミックな経済読み物の類が読書としては最高です。

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竹森俊平『資本主義は嫌いですか』(日本経済新聞社)は、サブプライム問題を取り上げた実に面白い「読み物」でした。歴史と理論と現状を自在に行き来しながらも、全体の論理は一貫している点が魅力的で、サブプライム問題の歴史的な位置や理論的な意味がどこにあるのかという点が門外漢の自分にもよく分かる好著でした。経済学を専門にしている人から見れば色々と意見があるのかもしれませんが、こういった専門的な話を展開しながらも専門外の人にも興味深く読める本はそれほど多くはありません。

とまあこんな感じで、このところ読書傾向が拡散しつつあるのは、やはり論文の見通しが立ったことによって弛緩している証拠なのかもしれません。今年も残すところわずかですが、もう一度手綱を絞って頑張りたいと思います。

at 16:10|PermalinkComments(0) 本の話 

2008年12月25日

停滞。

「クリスマスにも関わらず大学に…」と書きだそうと思ったのですが、よくよく考えてみれば三田に来てからクリスマスもしくはクリスマスイブに大学に来なかったことは無かったので、特別でも何でもなく毎年のことでした。大学院棟にもいつものメンバーが勢揃いしています(「クリスマス爆撃」を研究している先輩はいなかったのですが、何か意味があるでしょうか)。



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↑読了しました。1945年から1964年までと、一次資料に基づいた歴史研究としては比較的長いスパンだった研究ということもあり、細かいところを逐一検討するというよりは、日本の労働政治及び国際労働運動の対日圧力を中期的に俯瞰している印象です。

日本の労働政治にもそれなりの研究蓄積がありますし、国際的にも労働運動史は一つの学問分野として確立しています。が、自分には全くと言っていいほどそれらの分野の土地勘が無いので、この本を先行研究を踏まえてどのように評価すべきかというのはなかなか難しい問題です。労働運動史としてではなく、日本政治外交史やアメリカを中心とした諸外国の対日政策の観点からも評価が出来るでしょう。

いずれにしても、様々な問題意識を持ちながらも、アーカイヴァル・ワークを行った上で筋の通った歴史を叙述し、さらに明確なメッセージを打ち出している点に圧倒されました。日本政治外交史の観点から見れば、本書はある種の「変化球」なのかもしれないですが、アメリカの対日労働政策から見れば「社会民主主義という選択肢」が戦後日本にあり得たというのは、非常に重要な意味を持つものです。もちろん、それが現実的な選択肢であり得た時代がいつ頃なのかということは、より深く考えなければいけない問題です。

この本は、少し自分の考えを整理してから書評形式で紹介することにしようと思います。



この本以外にもこの一週間でいくつか積読になっていた本を読んだのですが、どれもいまいちという感覚を持ってしまったのは、この本に圧倒されてしまったからでしょうか。とはいえ、一次資料が公開されているにもかかわらずそれを読んでいないことや、最新の研究成果が全く反映していないものが物足りないのは当然なのかもしれません。

もっとも、一次資料がなければ面白いものが書けないわけではないのも事実です。後期の授業で読んだレイモン・アロンの本や評論は、一次資料など読まずに書かれたものですが、非常に深いものです。戦後日本についても、高坂正堯の時評や永井陽之助の同時代的な評論は今読んでも示唆に富む面白いものです。

どうせなら「賞味期限」が長い研究をしたいのですが、どうすればそんな研究が出来るのかはよく分かりません。それでも、外交史研究ならば、一次資料に基づいて着実に研究を進めること、その上でしっかりと議論を作ること、この二つを押さえておくことが、院生である自分にとってまずやらなければいけないことなのだと思います。



さて、肝心の修士論文はと言えば、停滞気味です。

人によって執筆スタイルは様々だと思いますが、歴史研究は一次資料に研究の多くを依存するという性質上、初めから明確な分析視角や枠組み、結論が定まっていることの方が少ないのではないでしょうか。私の場合は、あるオーラル・ヒストリーにかなりヒントを得て研究を始めたのですが、それでも書き上がったものを改めて読んでみると、自分が当初考えていたものからは大きく変わっていました。

問題意識を持ち、それなりに枠組みを設定しながら資料を読んでも、実際に出来上がってくるものは、やはり資料に引きずられる側面があります。そして、書き上がった叙述を基に論文の枠組みや議論を再検討した上でまた資料と格闘、さらにまた枠組みや議論を再検討、そしてまた資料…。そんな繰り返しをしながら論文を書いていくというのが現時点での自分のスタイルです。

昨年度に書き上げた論文の枠組みや議論は、当然昨年度読んだ一次資料を踏まえて作った叙述に基づいたものです。今年後半に取り組んだ投稿論文執筆の際に新たに開示された資料を大分読み込んだのですが、幸いなことに議論の枠組みが大きく崩れることはなく、むしろ議論が仮説的だった部分の実証に繋がるものがほとんどでした。

今回の作業では、ネット上でダウンロード出来るイギリスの内閣文書や、アメリカの国務省ファイルの一部をじっくり読みこんで、草稿に追加していこうと考えていたのですが、実際にそれをするためには議論の枠組みそのものを変更する必要がありそうだということに、この数日で気が付きました。

そんなわけで、今回の改訂は本当に最小限に留めることになりそうです。停滞というよりは、ゴールが大幅に近づいたのかもしれませんが、何となく敗北感・挫折感がするのはなぜでしょうか。結果的に、新たな論文のアイデアが生まれたので、この一週間の作業も無駄ではなかったのですが…。

毎度のことながら、研究は難しいものです。

at 20:03|PermalinkComments(0) 本の話 

2008年12月22日

冬休み感覚ゼロ。

学部時代は、例え短くても「冬休み」という言葉にウキウキしたものですが、修士論文を書いていた昨年に続いて今年もその感覚が全くありません。嗚呼、浮かれたい。

昨年は、一度書き上げた修士論文の草稿を改訂する作業をこの時期にやっていました。本来の予定であれば、今年はそんな締切とは無縁の生活のはずだったのですが、結果的に昨年の論文が「幻の修士論文」に終わってしまったため、結局今年も昨年と同じように改訂作業をしています。

もっとも、大筋の流れや「はじめに」「おわりに」に大きな変更を加えるつもりはなく、新たに開示された資料に基づいた本論の修正や、インターネット上で読むことが出来る英米の資料の再検討をして、来年度以降の研究につなげることが今回の作業の目的なので、改訂といっても中途半端なものです。

地道にコツコツ、資料を読んでニヤニヤ、お酒を飲んでフラフラしながら年末を送ることになりそうです。



昨日夜のNHKニュースを皮切りに今朝の新聞各紙でも報道されていましたが、本日付で第21回目となる「戦後外交記録公開」が行われました。第20回公開が昨年8月のことだったので、従来と比べるとややペースが速い印象がありますが、公開冊数などを見てもそれなりに本格的な公開と言えそうです。

報道を見る限りでは主な文書は、【首相の外遊】佐藤首相訪米(1965年)、田中首相訪米(1973年)、【二国間外交】日仏定期協議、【外国情勢】キューバ危機、【国際紛争】マレーシア紛争、テルアビブの空港乱射事件、【第二次世界大戦】ヤルタ会談、真珠湾攻撃記念日、【多国間条約】核実験停止会議、【核】日本の非核武装宣言問題、【対外経済】日本の対米経済関係、といったところ。

第20回公開の時と同じように、すぐに外交史料館へ行ってリストと興味のある箇所のチェックを行いたいのですが、今週はバイトが立て込んでいて、来週以降は外交史料館が年末年始の休暇に入ってしまうため、すぐに見に行くことが出来るかは微妙なところです。

いつも疑問に思うことなのですが、外交記録公開に合わせた新聞各紙の報道があまりに一面的かつ横並びなのはいかがなものでしょうか。おそらく、外務省による事前ブリーフィングとそれに基づいて行われる研究者への取材という報道体制によるものだと思いますが、それにしてもあまりにお粗末としか言いようがありません。

そもそもプロの外交史研究者にしても、パッと資料を読んでパッと論文を書くわけではなく、史料批判を行い、様々な文脈を検討して研究を進めていくわけです。そうしたプロセスを経ずに、外務省が審査の上で公開した文書をセンセーショナルに報道することにどれだけの意義があるのか、疑問を感じずにはいられません。むしろ公開当初は、どういった文書が公開されたのかを淡々と伝え、それなりに時間をかけた調査報道を行うのが本筋だと思います。もっとも、一次資料を読み込んでそれを記事にする力がある記者などほとんどいないのかもしれないので、これは望み過ぎというものかもしれません。



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積読になっている何冊か本を片付け、修士論文の改訂作業の合間を縫って↑を読み始めました。まだ三分の一ほどしか読んでいませんが、ここまでは期待に違わず見事な研究です。著者のこれまでの著書・論文は、いずれも斬新なアプローチと緻密なアーカイヴァル・ワークで極めてオリジナリティの高い研究でしたが、今回の本も著者ならではの新しい世界を切り開いているように思います。

抽象的な言い方になってしまいますが、淡々とした叙述の背後にある政治学的な問題意識や練り込まれた構成の凄味をこの本からも感じます。もっとも、テーマそのものの重みや本全体の「研究潮流の中でのバランス」は、前著『一九五五年体制の成立』の方が勝っているのかもしれません。

従来の研究の大半は、労働政治は労働政治、外交は外交、経済は経済、政局は政局と様々なものが切り離されて論じられるか、過度に政局中心に外交を論じるか、といった傾向があります。しかし著者のこれまでの研究は、政治、外交、経済、労働、さらには国際環境をそれぞれバランス良く織り込みながら一つのストーリーを描き出すものでした。

これも言い方が難しいのですが、本書は著者のこれまでの研究と比較した場合、労働という一つのテーマを切り出した点に大きな違いがあります。もちろん、政治、経済、外交、国際環境は十分に踏まえているわけですが、より一つの領域に踏み込んで書いている点が、これまでのところでは印象的です。

この本については、読み終えて時間が出来た段階でまた紹介したいと思います。

at 20:34|PermalinkComments(0) 本の話 

2008年12月20日

虚弱体質??

猛威を振るい始めたインフルエンザにやられていうちに、いつの間にか十二月も下旬になり、今年の授業は全て終わっていました。

先週の土曜日も研究会があったのですが、その頃からちょっと調子が良くないなとは思っていました。日曜日はまだ少し寒気がする程度だったのですが、月曜日のアルバイト中にかなり寒気がひどくなり、バイトを少し早く切り上げて病院に行ったところ、インフルエンザでした。どうやら日曜日から熱がかなり上がっていたようです。

体温が39度を超えたのは久しぶりのことだったのでかなりきつかったのですが、タミフルが見事に効き何とか授業はサボることなく乗り切ることが出来ました。発表が二つありましたし、色々と書くべきこともあるのかもしれませんが、何となく乗り気がしないので先週と今週の授業内容メモは割愛することにします。アロンの話は面白かったので、そのうちにまた書くかもしれません。

それにしても九月末に風邪をひいたばかりなのに早くもまた体調を崩すとは…。年々、虚弱体質に近付いているような気がしてなりません。身体が資本の仕事なので、やはりもう少し鍛え続けなければいけないのでしょうか。

そんなわけでまた予定が狂い、積読の本や論文がさらに増えてしまいました。

at 11:51|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2008年12月07日

本の話。

昨日「数日は研究を忘れて…」と書いたのですが、結局今日も大学に来てしまいました。

木曜の発表準備を終わらせて明日&明後日はゆっくり過ごそう、というつもりだったのですが、集中力が途切れがちなので発表準備は今日中に終わりそうにありません。

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そんなわけで、先ほどコーヒーを淹れて『カンバセイション・ピース』を読み始めてしまったのですが、大学院棟で小説を読むのは何かが間違っているような気がするので、今日はもうこれで切り上げることにします。

この数年、小説から離れて久しい時のリハビリにはなぜかいつも保坂和志を読んでいるような気がします。フワッとかわいた感じの、それでいて人間味がある会話が続く心地良さが、過剰な情報が詰め込まれた研究書や学術論文に染まった頭をきれいにしてくれるのでしょうか。



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一仕事を済ませた後に真っ先に読み終えたのが、塩川伸明『民族とネイション ――ナショナリズムという難問』(岩波新書)です。昨日ある友人も言っていたのですが、塩川先生のスタイルはいくつかの議論を挙げてそれらを退けた上での中庸を落とし所として提示する傾向があるように思います(もちろん実証研究の場合は、より踏み込んだ見解を示しているものも多いわけですが)。

ネイションやエスニシティ、ナショナリズムの問題はまさにラビリンスで、少し考えだすと迷ってなかなか抜け出すことが出来ない難問です。ベネディクト・アンダーソンやアンソニー・スミスらの定評ある研究書は邦訳が揃っているのですが、それらをバランス良く咀嚼したものは案外少ないので、本書が刊行されたことは門外漢の自分にとっても実に有難いことです。

本書は、第1章で概念や用語法について過不足なくまとめた上で、各地域におけるナショナリズム・ネイションの歴史的展開を続く三つの章で概説し、最後の第5章で「難問としてのナショナリズム」を考える手がかりを示しています。個人的には歴史的な展開を踏まえた上で書かれた第4章「冷戦後の世界」が一番読み応えがありました。やはり冷戦後の世界を考えるためにこそ、それ以前の歴史的展開が重要だと再確認しました。

初学者から専門家まで幅広い読者が読みうる新書のお手本というべき本だと思います。細かいところでより考えてみたい部分もあるのですが、それは自分の手には余るので、ひとまずこれくらいで。



この年末は「戦後日本」に関して重要な著作が相次いで刊行されるようです。

後輩のブログでも紹介されていましたが、福永文夫先生が中公新書から『大平正芳』を出されるそうです(リンク)。ちなみに副題は「「戦後保守」とは何か」。本書は、出る出ると10年近く前からアナウンスされながら、なかなか研究成果が表に出てこない例の宏池会科研費研究の延長にあると思われます。戦後日本政治を考える上で、宏池会はもっと深く研究がされて然るべき対象です。これは月末に出るようなので、年末年始に読みたいと思います。

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吉川弘文館から刊行された『人物で読む現代日本外交史』は、若手の外交史家による共著で、戦中から現代までの主要な「外政家」を取り上げたものです。イメージとしては、渡邉昭夫先生がまとめられた『戦後日本の宰相たち』(中公文庫)と御厨貴先生がまとめられた『歴代首相物語』(新書館)の外交版といったところになるのでしょうか。もっとも執筆陣に注目すれば、『歴代日本の宰相たち』はかなり大物を揃え、『歴代首相物語』はポスドクが中心ということを考えると、本書はパワフルで油が乗った30代半ばから40代の若手研究者を集めている点が異なるのかもしれません。

プロローグにも書かれているように、戦中は外相も取り上げられるのですが、戦後期の登場人物は全て首相です。これは現代外交の一つの特徴なのかも知れません。実際に資料を読んで研究している者としては、戦後日本外交を首相のリーダーシップという点のみから説明することは難しいと思うわけですが、それでもこういった形で研究が積み重ねられる必要性が高いことは言うまでもありません。ちなみに姉妹編となる『人物で読む近代日本外交史』は年末刊行とのこと。

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まだ手に入れていないのですが、著者と題名と目次を見ただけグッとくるのが、中北浩爾『日本労働政治の国際関係史1945-1964』(岩波書店)です。1998年刊行の『経済復興と戦後政治』(東京大学出版会)、2002年刊行の『一九五五年体制の成立』(東京大学出版会)に続く、著者三冊目の研究書となる本書は、これまでに刊行された本書に繋がる研究を読む限り、これまでの二冊と同様に斬新なアプローチと徹底した実証を兼ね備えた本格的な研究であることは間違いないと思います。出版社のHPの紹介(リンク)だけで興奮するのは自分だけかもしれませんが…。

既に論文で公刊したものをまとめて一冊の本とする場合、「論文集」的な色彩が強くなってしまうことはままあります。もちろん面白い「論文集」もあるわけで、それはそれでいいのですが、本書は目次を見ただけで「論文集」ではなく一冊の研究書として書かれていることが一目瞭然です。それにしても、この分野の研究者で10年で三冊の研究書を出すことが出来るのは著者以外にはいないのではないでしょうか。

これまでの著作では禁欲的だった著者のメッセージ(=社会民主主義という選択肢?)が本書には書かれているような気がするので、今から読むのが楽しみです。出来る限り早く手に入れてじっくり読みたいと思います。

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半年ほど前に『米軍再編の政治学』(日本経済新聞社)が、英語版刊行直後に邦訳されたばかりなのですが、早くも新著が出ました。ケント・E・カルダー『日米同盟の静かなる危機』。こちらは英語版(Pacific Alliance: Reviving U.S.-Japan Relations)よりも先の出版のようです。この数年に刊行された「日本研究者」の著作は、個人的にはどれも「外れ」ばかりだったのですが、この本はどうなのでしょうか。

at 18:46|PermalinkComments(0) 本の話 

2008年12月06日

今週の授業(12月第1週)

懸案事項が一つ終了しました(拍手)。いい結果が出ることを祈ります。

この後もいくつかやらなければならないことがあるのでなかなかゆっくりすることは出来そうにありませんが、数日は研究を忘れて、音楽を聴き、ウイスキーを傾けながら、小説を読んで過ごしたいと思います。と書いておきながらも、この後は研究会があるのですが…。



備忘録代わりに今週も書いておきますが、今週は木曜3限の授業が休講だったり、研究発表が多かったりとあまり書くこと(書けること?)がありません。

<水曜日>

3限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)

先週木曜2限の発表原稿(英語)の検討会でした。「ネイティブではない人が、いかに誤解されないように自分のいいたいことを伝えるのか」ということに重点を置いて、師匠から後輩の原稿の一文一文についてコメントがありました。

授業は後輩の発表の一部を検討して時間が終わってしまったのですが、その後夕食を食べながら火曜日に書き上げた論文の英文要旨を検討して頂きました。自分の「持ち駒」の貧困さゆえに言い回しが複雑になっている部分や、単純なミスを含めてかなり詳細に指摘されたのはありがたい限りです。後輩とも話していたのですが、師匠には一生頭が上がりそうにありません。

<木曜日>

4限:国際政治論特殊演習(もう一つの院ゼミ)

今回は、後輩二人の修士論文構想発表でした。提出は一年以上後の論文ということで、まだまだ具体的な話に入ってはいないため、当然ながらあまり突っ込んだ話にはなりません。発表する際にどのくらい具体的に持っていけばいいのかは、よくよく考えてみれば難しいことなのかもしれません。

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

『政治の隘路 多元主義の二〇世紀』(創文社)の著者による、「デモクラシーとグローバル化の諸側面」と題した報告。題名を見ると、「グローバル化によって国内のデモクラシーがどのような影響を受けるのか」といった発表なのかと思いますが、実際は「熟議デモクラシー」と「グローバル・デモクラシー」の話でした。数ヶ月後に発売される雑誌に掲載する予定の研究の途中報告のため、ここに具体的な話を書くのは問題がありそうなので、これくらいで。

at 11:28|PermalinkComments(0) ゼミ&大学院授業