2008年10月
2008年10月31日
『アステイオン』の季節。
筑波では、昼は学会で真面目に夜は学部時代からの友人と馬鹿話(というか妄想)に華を咲かせる、という三日間でしたが、東京に戻ってきてから数日はこなさなければいけない課題が溜まっていることから生活にメリハリが無く、朝起きてから夜寝るまでずっと課題に追われていました。
自分の研究を抱えながら、家庭教師やアルバイトに行き、慣れない英語の課題に取り組んでいるので、それらをこなすだけで、思いのほか時間が取られるようです。知的には充実しているのですが、時間が無いと映画を観に行ったり美術館に行ったりといった趣味の時間や走ったりといったことがなかなか出来ないのでフラストレーションが溜まります。
10月は、行きたい美術展がいくつかあるのに行けず、東京国際映画祭どころから前々から見たかった「アキレスと亀」も観れず、バイトと重なって大学に来たチャールズ英皇太子も見れず。よくよく考えてみたら、10月は休日が一日もありませんでした。基本的に週6日大学、1日はバイト&家庭教師、あとは学会と客観的にかなり楽しくない感じの一ヶ月になってしまいました。
どうしたものかと思いますが、もう暫くは我慢の日々が続きそうです。
◇
ゼミに入って以来の数年間楽しみにしているのが、春と秋に出る『アステイオン』です。今回の特集は「アメリカ 永遠の「新」世界」。阿川尚之さんの巻頭論文によれば、「文明論としてのアメリカ研究会」のメンバーによる論文が収められているとのことなので、専門的というよりは各執筆者の専門を踏まえながら、広い視野からアメリカについて考察した論考が収録されているようです。
読み物として云々というわけではありませんが、ロバート・エルドリッヂ「序幕は過去を開く――公文書公開と民主主義」には色々と考えさせられました。アメリカの公文書公開の歴史を紐解きつつ、その進展と後退を描くことによってアメリカという国のあり方を考えるという論文なのですが、いくら後退して閉鎖的になってもアメリカの公開状況は我らが日本とは比べ物にならないということを逆に痛感させられます。
各特集論文に続いて、毎回楽しみにしている御厨先生の連載「近代思想の対比列伝――オーラル・ヒストリーから見る」を読みました。「近代思想の対比列伝」は、オーラル・ヒストリーを紐解きながら二人の人物を対比してその生涯を辿るというもので、『アステイオン』ならでは連載となっています。第一章として今回まで三回に渡って取り上げられているのは、警察官僚としてトップを極めその後政治家として内閣官房長官や副総理を歴任した後藤田正晴と司法官僚としてトップを極めた矢口洪一の二人です。ほぼ同世代でありながら、異なる道に進んだ二人を対比することによって、様々な歴史のひだが明らかにされていきます。この連載はいずれ本になるのでしょうか。続く第二章で、誰が取り上げられるのかが気になるところです。
そして、今回から待望の新連載として始まったのが山崎正和「神話と舞踊――文明史試論」です。高坂正堯や佐藤誠三郎といった有力な同世代が次々と世を去ってから、氏の活躍はそれまで以上に際立っています。前作「装飾と近代」が非常に面白かったので、今回の連載にはそれ以上の期待をしてしまいます。
◇
出来る限り本は細切れではなく一気に読み切るというスタイルのためか、この一ヶ月ほどは、授業等で使うものを別にすると積読になっている研究書をほとんど読むことが出来ていません。そんなわけで、ついつい読書は新書などに偏りがちです。そんな中がで読んだ一冊が、押村高『国際正義の論理』(講談社現代新書)です。
書評形式でまとめようと思ったのですが、いまいちうまくまとまらなかったので、雑感をだらだらと書き連ねることにします。
冷戦終結とほぼ時を同じくして湾岸危機(イラクのクウェート侵攻)が起こり、そこに多国籍軍が介入し湾岸戦争が勃発したことによって、冷戦終結後の国際政治はその流れが決定されたように思います。旧ユーゴ、ルワンダ、ソマリア、シエラレオネなどで相次いで発生した地域紛争にいかに対処していくかは、今日に至るまで国際社会全体にとって最も大きい問題であり続けたといっても過言ではないでしょう。そして、地域紛争へ対処を迫られる中で重要な問題として浮上したわけです。
実際に、地域紛争への介入(または非介入)を巡って展開される様々な議論は、真摯であれば真摯であるほど容赦ない現実と理想との狭間に論者を落とし込んでいきます。そんな論者の苦しみが現れた典型的な議論が、マイケル・イグナティエフの一連の著作ではないでしょうか。
そうした海外における議論が「輸入」され、それなりに読者を獲得しつつも、日本での議論はどこか「空中戦」を戦っているような感覚がありました。湾岸戦争に対するあの煮え切らない対応や議論によって日本が冷戦終結後の国際政治の荒波へと乗り出したからかは分かりませんが、やはり当事者感覚の不在が日本での議論の進展を妨げてきたのかもしれません。
そんな中で、ようやく「国際正義」を正面から取り上げて、介入や貧困、行動する主体の責任といった重要な諸問題に取り組んだこの本が出版されたことは、非常に重要なことです。どの章も、網羅的では無いにしても、各分野における重要な文献を取り上げて「国際正義」を巡る諸問題について考察を進めているので、読者にとっては考えを一歩進めるいい手がかりをこの本は示してくれます。
以下は、この本の意義を認めた上での感想ですが、何となくこの本では「あと一歩の踏み込み」が行われていない印象があります。「国際正義」を巡る歴史を過去から紐解くならば、なぜ冷戦期にその歩みが止まらなければならなかったのか、そしてその理由は現在の「国際正義」を考える上で無視することが出来るものなのか、といったことについてもう少し考察を進めてもよかったような気がします。
また、「国際正義」を巡る諸問題は様々な点で相矛盾することがあるため、容易な一般化や解答の提出を拒むことがしばしばです。それゆえ、これらの問題を論じる際に多くの著者は、曖昧な表現や結論が多くなるわけです。それでもイグナティエフの著作などは行間に苦悩がにじみ出るほど、深く様々な点を検討しそして見聞をしている点が伺えます。しかし、そうした一歩踏み込んだ姿勢が本書からはあまり感じられません。何となく、リベラルな雰囲気は漂わせつつバランス良くその限界も指摘している、全編を通して感じる印象はこれに尽きます。
もっとも、こうした感覚を持つのは、前期の授業でJames Mayall, World Politics: Progress and its Limits (Cambridge: Polity Press, 2000) を読み、また最近読み返す機会があったからかもしれません。歴史的な流れの中に現代の国際政治を置き、そして現代の国際政治の困難を描いたWorld Politics を読んでしまうと、普通の本ではやや物足りなく感じてしまいます。結局、World Politics の書評をここに書いていないので、そのうちに書くことにしたいと思います。
自分の研究を抱えながら、家庭教師やアルバイトに行き、慣れない英語の課題に取り組んでいるので、それらをこなすだけで、思いのほか時間が取られるようです。知的には充実しているのですが、時間が無いと映画を観に行ったり美術館に行ったりといった趣味の時間や走ったりといったことがなかなか出来ないのでフラストレーションが溜まります。
10月は、行きたい美術展がいくつかあるのに行けず、東京国際映画祭どころから前々から見たかった「アキレスと亀」も観れず、バイトと重なって大学に来たチャールズ英皇太子も見れず。よくよく考えてみたら、10月は休日が一日もありませんでした。基本的に週6日大学、1日はバイト&家庭教師、あとは学会と客観的にかなり楽しくない感じの一ヶ月になってしまいました。
どうしたものかと思いますが、もう暫くは我慢の日々が続きそうです。
◇
ゼミに入って以来の数年間楽しみにしているのが、春と秋に出る『アステイオン』です。今回の特集は「アメリカ 永遠の「新」世界」。阿川尚之さんの巻頭論文によれば、「文明論としてのアメリカ研究会」のメンバーによる論文が収められているとのことなので、専門的というよりは各執筆者の専門を踏まえながら、広い視野からアメリカについて考察した論考が収録されているようです。
読み物として云々というわけではありませんが、ロバート・エルドリッヂ「序幕は過去を開く――公文書公開と民主主義」には色々と考えさせられました。アメリカの公文書公開の歴史を紐解きつつ、その進展と後退を描くことによってアメリカという国のあり方を考えるという論文なのですが、いくら後退して閉鎖的になってもアメリカの公開状況は我らが日本とは比べ物にならないということを逆に痛感させられます。
各特集論文に続いて、毎回楽しみにしている御厨先生の連載「近代思想の対比列伝――オーラル・ヒストリーから見る」を読みました。「近代思想の対比列伝」は、オーラル・ヒストリーを紐解きながら二人の人物を対比してその生涯を辿るというもので、『アステイオン』ならでは連載となっています。第一章として今回まで三回に渡って取り上げられているのは、警察官僚としてトップを極めその後政治家として内閣官房長官や副総理を歴任した後藤田正晴と司法官僚としてトップを極めた矢口洪一の二人です。ほぼ同世代でありながら、異なる道に進んだ二人を対比することによって、様々な歴史のひだが明らかにされていきます。この連載はいずれ本になるのでしょうか。続く第二章で、誰が取り上げられるのかが気になるところです。
そして、今回から待望の新連載として始まったのが山崎正和「神話と舞踊――文明史試論」です。高坂正堯や佐藤誠三郎といった有力な同世代が次々と世を去ってから、氏の活躍はそれまで以上に際立っています。前作「装飾と近代」が非常に面白かったので、今回の連載にはそれ以上の期待をしてしまいます。
◇
出来る限り本は細切れではなく一気に読み切るというスタイルのためか、この一ヶ月ほどは、授業等で使うものを別にすると積読になっている研究書をほとんど読むことが出来ていません。そんなわけで、ついつい読書は新書などに偏りがちです。そんな中がで読んだ一冊が、押村高『国際正義の論理』(講談社現代新書)です。
書評形式でまとめようと思ったのですが、いまいちうまくまとまらなかったので、雑感をだらだらと書き連ねることにします。
冷戦終結とほぼ時を同じくして湾岸危機(イラクのクウェート侵攻)が起こり、そこに多国籍軍が介入し湾岸戦争が勃発したことによって、冷戦終結後の国際政治はその流れが決定されたように思います。旧ユーゴ、ルワンダ、ソマリア、シエラレオネなどで相次いで発生した地域紛争にいかに対処していくかは、今日に至るまで国際社会全体にとって最も大きい問題であり続けたといっても過言ではないでしょう。そして、地域紛争へ対処を迫られる中で重要な問題として浮上したわけです。
実際に、地域紛争への介入(または非介入)を巡って展開される様々な議論は、真摯であれば真摯であるほど容赦ない現実と理想との狭間に論者を落とし込んでいきます。そんな論者の苦しみが現れた典型的な議論が、マイケル・イグナティエフの一連の著作ではないでしょうか。
そうした海外における議論が「輸入」され、それなりに読者を獲得しつつも、日本での議論はどこか「空中戦」を戦っているような感覚がありました。湾岸戦争に対するあの煮え切らない対応や議論によって日本が冷戦終結後の国際政治の荒波へと乗り出したからかは分かりませんが、やはり当事者感覚の不在が日本での議論の進展を妨げてきたのかもしれません。
そんな中で、ようやく「国際正義」を正面から取り上げて、介入や貧困、行動する主体の責任といった重要な諸問題に取り組んだこの本が出版されたことは、非常に重要なことです。どの章も、網羅的では無いにしても、各分野における重要な文献を取り上げて「国際正義」を巡る諸問題について考察を進めているので、読者にとっては考えを一歩進めるいい手がかりをこの本は示してくれます。
以下は、この本の意義を認めた上での感想ですが、何となくこの本では「あと一歩の踏み込み」が行われていない印象があります。「国際正義」を巡る歴史を過去から紐解くならば、なぜ冷戦期にその歩みが止まらなければならなかったのか、そしてその理由は現在の「国際正義」を考える上で無視することが出来るものなのか、といったことについてもう少し考察を進めてもよかったような気がします。
また、「国際正義」を巡る諸問題は様々な点で相矛盾することがあるため、容易な一般化や解答の提出を拒むことがしばしばです。それゆえ、これらの問題を論じる際に多くの著者は、曖昧な表現や結論が多くなるわけです。それでもイグナティエフの著作などは行間に苦悩がにじみ出るほど、深く様々な点を検討しそして見聞をしている点が伺えます。しかし、そうした一歩踏み込んだ姿勢が本書からはあまり感じられません。何となく、リベラルな雰囲気は漂わせつつバランス良くその限界も指摘している、全編を通して感じる印象はこれに尽きます。
もっとも、こうした感覚を持つのは、前期の授業でJames Mayall, World Politics: Progress and its Limits (Cambridge: Polity Press, 2000) を読み、また最近読み返す機会があったからかもしれません。歴史的な流れの中に現代の国際政治を置き、そして現代の国際政治の困難を描いたWorld Politics を読んでしまうと、普通の本ではやや物足りなく感じてしまいます。結局、World Politics の書評をここに書いていないので、そのうちに書くことにしたいと思います。
2008年10月27日
先週の授業(10月第4週)
ようやくクロマニヨンズのニュー・アルバムを入手。クロマニヨンズはBGMには不適なので、研究や勉強をしながら聴くことが出来ないのが残念です。
◇
授業の話の前に、最近読んだ本の短評を書こうと思ったのですが、長くなってしまったので、本の話はまた今度。というわけで、いつものように授業の話を備忘録代わりに。
<水曜日>
3限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)
今回のテキストは、レイモン・アロン『世紀末の国際関係――アロンの最後のメッセージ』(昭和堂)でした。アロンの本は比較的翻訳されているものが多いのですが、国際関係についてはこの本がほぼ唯一の翻訳です。本の大まかな内容は、前々回の記事に書いたとおりです。そこでは山崎正和の書評を引きましたが、今回は高坂正堯による「日本語版への序」から、アロンの議論の一般的な特徴を述べている部分を少しだけ引用しておきます。
レイモン・アロンは読者に考えさせる著作家である。それは、ある程度まで、彼のスタイルであるだろう。読者はこの書物のなかで何回も疑問文に出会うだろうし、とくに現代を扱っている第二部においてはそうである。そうした場合、アロンはその問いに対する回答を持っていないわけではない。しかし、彼はすぐに解答を与えるかわりに、読者に一旦は考えさせる。そうした自らの解答を組み合わせる以外に、国際関係を理解することなどできる訳がない、とアロンは思っているのだろう。…
…静かな警戒は怠らないが、いたずらに警鐘を鳴らすことはしない。それは伝統的な叡智の精髄と言うべきものである。というのは、政治の営みにも、人生のそれと同じく、基本的な逆説があって、気をゆるめたり、逆に無闇に恐れたりすると、悲劇が実際に訪れるからである。だから、悲劇を避ける方法はまことに平凡なものであるのだが、それは考えに考えた後の平凡でなくてはならない。この書物は、ヨーロッパで積み重ねられて来た豊かな学識に基づく、平凡な智恵のすすめである。(i頁)
この「序」にあるとおり、この本で示される「解答」はごくごく平凡で、「それなりに」抑止が効いて、「それなりに」兵力が均衡し、「それなりに」論理的に考えれば、「平和は不可能だが戦争も起こりそうもない」というものです。
授業では、抑止の問題、アロンの議論の作り方、アロンの対ソ評価などなど、様々な点について議論しましたが、多分我々学生にとって重要だったのは、そのアロンの結論そのものではなく、高坂正堯が言うように読者としてアロンの提示した問題について考え、そして様々な選択肢や議論を検討した上で結論に至るというそのプロセスを追って、さらなる疑問について考えるということにあったのではないでしょうか。
1962年と1982年というアロンの比較を踏まえて2002年/2008年について議論もしたかったので、それが時間の関係で出来なかったのは残念ですが、それでも前回に続いて実りのある授業でした。
とはいえ、非常に示唆に富むものではありますが、やはり「理論」とは言えないのではないか、という批判は十分当たっているような気がします。どのような因果関係で抑止が働くのかといった本書の根幹となる部分について、クリアカットな説明はなく、それゆえこのアロンの議論を基に「理論」を構築していくのは容易な作業ではありません。
そんなアロンの問題点を検討すべく、次回はオラン・ヤングのアロン批判を読む予定です。
<木曜日>
2限:Alternative Approaches to Japanese Foreign Policy
先週に引き続き国際政治理論のお話でした。今回は「リベラリズム」がテーマで、テキストは、Andrew Moravcsik, “Liberal International Relations Theory: A Social Scientific Assessment,” Weatherhead Center for International Affairs Working Paper 01-02 (Cambridge, MA: Weatherhead Center for International Affairs, April 2001) です。題名から察するに、2003年に出されたエルマン夫妻の編著、Progress in International Relations Theory: Appraising the Field に収められた論文の基となったもののようです。
この論文は、科学哲学者であるラカトシュの視角に則って、科学的研究プログラム(Scientific Reserch Program [SRP])としてリベラリズムについて考察したものです。リベラリズムの中心的な核となる要素は何かといったことを明確にした上で、それをその他の理論との比較の観点から考察し、リベラリズムの優位性を明らかにするというのが著者の意図しているところのようです。
細かい議論は割愛しますが、結論部分でラカトシュの視角を国際関係理論に適用するには慎重になる必要があると主張したり、さらにやはり国際関係理論は折衷的なアプローチを取った方がよいと主張したりと、分析の視角と結論がかみ合っていないことから、正直なところあまり論文として完成度が高くないような気がします。
通常リベラリズムの代表的なものと考えられている制度論(もしくはネオリベラル制度論)をそこから除外したり、コンストラクティヴィズムを無理やりリベラリズムの枠内に入れたり、と細かい議論にも無理がある部分が多く、読んでいて色々とストレスが溜まる論文でした。
これらの点は授業で先生も指摘(もしくはそういった学生の質問に同意)していた部分です。しかし、これらの批判を指摘するのであれば、なぜこの論文を指定したのかがいまいちよく分かりません。そんなわけで、授業もやや消化不良気味というのが今回の感想です。もっとも、そんな消化不良気味な気持ちになるのはひとえに自分が英語でタイミング良く発言する力がないことによるものなので、改善できるように鋭意努力するつもりです。
次回は、政治心理学という自分に全く馴染みのないものがテキストに指定されているので、楽しみな半面やや不安でもあります。
4限:国際政治論特殊演習(もう一つの院ゼミ)
今週は、今書いている論文の発表でした。他に並行してやっていることが多かったこともあり、プレゼンテーションの仕方を全く考えていなかったことのマイナスがもろに出てしまった発表になってしまいましたが、それなりに有用なコメントを貰うことが出来ました。たまたま今回のもう一つの発表が自分と近い時代を対象にしたものだったことが、意義付けを考える上でも、またコメントを貰う点からもよかったです。
細かい事実関係や議論の構成といったことよりも、どのように意義付けを行うかといったことや、「はじめに」の書き方の調整をする段階に研究が進んできたように思います。再来週水曜の院ゼミで、同じ研究について報告をすることになっているので、それまでに議論の再整理を行うとともに、細かい文章の修正等も終わらせることにしたいと思います。
論文を書いている当初はもっと早く完成させるつもりだったのですが、一本目の公刊論文(無事公刊出来るかは分かりませんが)ということで今回は焦らずにじっくりと取り組むという気持ちに最近変わってきました。歴史研究としては新しい時代の日本外交をやっていることから、資料は当然不十分なものになってしまいます。そうであればこそ、議論の枠組みや構成、文章の読みやすさや意義付けなどで勝負をしなければいけません。「言うは易し」ですが、これを実際に行うことは難しいことなので、これから10日程は本気で頑張らなければなりません。
5限:プロジェクト科目(政治思想研究)
前回の報告(「光の政治哲学――スフラワルディーとモダンあるいは政治社会への根源的な想像力の問題」)を受けての討論。前週の議論に続いて、この議論がどのように政治哲学なのか、ということがメインに議論がされましたが、やはり納得出来ない部分が多かったです。ある先生は、この議論の現代的な意義や政治哲学としての意義ではなく西洋近代とは異なるこういった「歴史」があったことを知る上で有用、というコメントが大体の落とし所なのかもしれません。
それにしても、根本的に知識がなく付け焼刃することすら出来ない深さを持つイスラム政治思想(それも12世紀)について考えるというのは、予想以上に難しいものでした。
2008年10月26日
国際政治学会。
国際政治学会(@筑波)に、後輩二人と行ってきました。
二年前に千葉で開催された時に行くことも考えたのですが、まだ何を研究するのかも決まっていない段階で行っても仕方がないだろうと思い行きませんでした。今年は高い年会費を払って会員になったということもありましたし、師匠が関係している分科会に興味があったので行くことにしました。(筑波では働いている友人に会いに行くという隠れた目的もありましたが…)
様々な形で研究会が行われるようになったことや、若手の研究発表が増えたといったことから、学会で活発な議論が行われているという印象はあまりありませんでしたが、この印象はあまり間違っていなかったようです。それでも、研究をじっくり着実に進められている先生方の発表は聞き応えがあり、質疑に対する応答の仕方等も含めて面白かったです。
また、これは今からやるべきことではないのだと思いますが、自分の研究がしっかり固まって成果を残してからは、(いい意味での)「耳学問」をするにはいい場所なのかもしれません。自分の専門と重なる研究の多くは、研究者が個人的に組織している研究会等で聞くことも出来ますし、それなりに情報も入ってくるものです。しかし、注意しておくべき隣接分野で今どのような研究が行われているのかといったことは、仲のいい友人でもいなければなかなか分かりません。また、普段は研究できないけれども興味がある分野の研究を抵抗感なく聞いてみるいいチャンスでもあります。
本題はこれからです。結局、この修士三年(博士一年でもいいですが)という段階で学会に行っても、直接得るものはあまりないのかもしれません。たまたま知っている先生や先輩、そしてそれらの方々の知り合いの方と話をする機会はあれど、自分が何を研究していますという「名刺」になるものは、論文を公刊していなければありません。
そんな「たまたま」の機会に恵まれて何人かの先生方と話を出来たのは貴重な経験でしたが、「自分」について説明出来ることがない、もしくは「今これを研究しています」といっても渡す物が無いというのは辛いところです。そんなわけで、改めて「研究者の世界の最底辺」という修士課程の自分の立ち位置を確認できたことが今回の大きな成果です。
以上は、自分でも漠然と考えていたことですが、終了間際にある先生と話していた際に見事に指摘されたことでもあります。その先生は、そういった自分の立ち位置を再確認するためにも「院生は学会に出るべきだ」とおっしゃっていました。これはタイプがあるので人それぞれなのかもしれませんが、自分の場合は、今書いている論文に対するモチベーションが上がったので、やはり学会に参加してよかったです。
本や史料から得られる刺激だけでなく、人から受ける刺激や違った環境に身を置いた時に得られる刺激もやはり重要なものです。こうして「外」で感じたことを、「内」に戻って研究をする際のモチベーションに繋げることが何よりも大事なことなのだと思います。
二年前に千葉で開催された時に行くことも考えたのですが、まだ何を研究するのかも決まっていない段階で行っても仕方がないだろうと思い行きませんでした。今年は高い年会費を払って会員になったということもありましたし、師匠が関係している分科会に興味があったので行くことにしました。(筑波では働いている友人に会いに行くという隠れた目的もありましたが…)
様々な形で研究会が行われるようになったことや、若手の研究発表が増えたといったことから、学会で活発な議論が行われているという印象はあまりありませんでしたが、この印象はあまり間違っていなかったようです。それでも、研究をじっくり着実に進められている先生方の発表は聞き応えがあり、質疑に対する応答の仕方等も含めて面白かったです。
また、これは今からやるべきことではないのだと思いますが、自分の研究がしっかり固まって成果を残してからは、(いい意味での)「耳学問」をするにはいい場所なのかもしれません。自分の専門と重なる研究の多くは、研究者が個人的に組織している研究会等で聞くことも出来ますし、それなりに情報も入ってくるものです。しかし、注意しておくべき隣接分野で今どのような研究が行われているのかといったことは、仲のいい友人でもいなければなかなか分かりません。また、普段は研究できないけれども興味がある分野の研究を抵抗感なく聞いてみるいいチャンスでもあります。
本題はこれからです。結局、この修士三年(博士一年でもいいですが)という段階で学会に行っても、直接得るものはあまりないのかもしれません。たまたま知っている先生や先輩、そしてそれらの方々の知り合いの方と話をする機会はあれど、自分が何を研究していますという「名刺」になるものは、論文を公刊していなければありません。
そんな「たまたま」の機会に恵まれて何人かの先生方と話を出来たのは貴重な経験でしたが、「自分」について説明出来ることがない、もしくは「今これを研究しています」といっても渡す物が無いというのは辛いところです。そんなわけで、改めて「研究者の世界の最底辺」という修士課程の自分の立ち位置を確認できたことが今回の大きな成果です。
以上は、自分でも漠然と考えていたことですが、終了間際にある先生と話していた際に見事に指摘されたことでもあります。その先生は、そういった自分の立ち位置を再確認するためにも「院生は学会に出るべきだ」とおっしゃっていました。これはタイプがあるので人それぞれなのかもしれませんが、自分の場合は、今書いている論文に対するモチベーションが上がったので、やはり学会に参加してよかったです。
本や史料から得られる刺激だけでなく、人から受ける刺激や違った環境に身を置いた時に得られる刺激もやはり重要なものです。こうして「外」で感じたことを、「内」に戻って研究をする際のモチベーションに繋げることが何よりも大事なことなのだと思います。
2008年10月20日
レイモン・アロンにしびれる。
この週末は、クライマックス・シリーズを観ることもなく、来週の授業の準備や今書いている論文の手直しをしたりしていました。授業やアルバイトだけであればそれほど大変なわけではないのですが、その合間に研究を進めなければならないのはなかなか骨が折れます。自分が研究をするようになって、大学の先生の大変さが少しだけ分かったような気がします。
そうは言いながら、二十代の半ばに自分のやりたいことを精一杯出来る環境にあることはとてもいいことなのだなとも思うわけです。それなりに研究で悩みつつも、社会人のようなストレスとは無縁なわけで、当たり前のように過ごしているこの日常は後から振り返ってみると、思いのほか充実していると考えるのかも知れません。
◇
↑のように自分に言い聞かせつつ、この週末はどの作業もうまくまとまらず、成果という成果は乏しかったことが悔やまれます。そう簡単にまとまるはずがない自分の研究は別にしても、もう少し効率よく考えをまとめる方法がないものでしょうか。
目の前の課題の一つは、院ゼミで読んでいるレイモン・アロンです。先週のホフマンによるアロン論に続いて、今週は先生が翻訳したアロンの遺作『世紀末の国際関係』(原題:Les dernieres annees du siecle)が課題文献です。
原著は今から24年前に出版されたものなのですが、今読んでも色々と考えさせられる面白い本でした。「訳者あとがき」にもあるように、本書は小著ながら広範な領域をカバーしており、それは国際政治学の理論上の問題から国際経済、核戦略、そして当時の時事問題に至り、各々の領域についてアロンの立場が明確に示されているので、日本人の読者にとっては手軽にアロンに触れる最適な本と言えるのではないでしょうか。書評形式で簡単にここ紹介しようと思ったのですが、いまいちうまく文章がまとまりませんでした。
アロンはこの本で、1962年(Paix et Guerreを出版した年)と1982年(この本の原稿を執筆していた年)の比較を行った上で、さらに「世紀末の国際関係」の考察へと筆を進めています。2008年を生きる我々は、アロンが予測した「世紀末」の国際関係がどのようなものだったのか、さらに21世紀初頭の国際関係がどのようなものだったかを知っており、アロンのいくつかの予測が大きく外れていることも知っているわけです。
例えば、アロンは「今世紀の終わりに至るまで、アメリカとソ連だけが真の大国でありつづけるということは、いかなる未来予測より確かだと私には思える」(278頁)としていますが、これが大きな誤りであったことは明らかです。ちなみに、日本でアロンのようにぶれることなく国際関係の現状について発言を続けた高坂正堯も、『現代の国際政治』(講談社学術文庫、1989年)の中で、「冷戦は終わっても、米ソ二極体制は終わらない」旨を強調しています。『現代の国際政治』はベルリンの壁崩壊の直前、ソ連崩壊の数年前という微妙な時期に書かれたものですが、「現実主義」の国際政治学者の情勢認識として興味深いものだと思います。やや話がずれましたが、重要なことは、アロンのこの予測が外れたことよりも、なぜアロンはそのように予測したのかということでしょう。
またアロンがこの本で最も強調している国際政治における「国家間関係」の第一義的な重要性は、現在に至るまで十分に意味のある主張だと思います。この本の刊行直後に『朝日新聞』に掲載された山崎正和の書評は、アロンの主張を実にうまくまとめています。
…アロンの慎重で丹念な分析は、直接には現実の政治状況の予想に向けられ、今世紀末まで「平和は不可能だが、戦争は起こりそうにない」という良識的な結論を引き出している。だが、この本の真意は、より思想的に国家の観念を擁護することにあり、それが八〇年代のもとではかなり成功している、と見ることができる。たしかに二十年前に比べて、国家エゴはむしろ剥きだしの素顔を見せるようになり、イデオロギーや経済の論理の透徹を随所で妨げている。そして、その非合理な意思は混乱を起こすが、曖昧であるだけに極端に走ることがなく、適当に妥協して破局を防いでいるともいえる。その状況を克明に描いて見えるアロンの言外の主張は、「国家は全能ではないが、国際社会は生まれそうにない」ということであり、この面倒な状況が実は人類の救いなのだ、という逆説的な楽観主義にほかならないといえよう。
この中心的な主張の他にも、「抑止」や「軍備管理」、さらには「国家と国際経済」に関するアロンの主張は現在にも十分通じる深い洞察を含むものです。これをもとにどういった議論になるかは非常に楽しみです。
そうは言いながら、二十代の半ばに自分のやりたいことを精一杯出来る環境にあることはとてもいいことなのだなとも思うわけです。それなりに研究で悩みつつも、社会人のようなストレスとは無縁なわけで、当たり前のように過ごしているこの日常は後から振り返ってみると、思いのほか充実していると考えるのかも知れません。
◇
↑のように自分に言い聞かせつつ、この週末はどの作業もうまくまとまらず、成果という成果は乏しかったことが悔やまれます。そう簡単にまとまるはずがない自分の研究は別にしても、もう少し効率よく考えをまとめる方法がないものでしょうか。
目の前の課題の一つは、院ゼミで読んでいるレイモン・アロンです。先週のホフマンによるアロン論に続いて、今週は先生が翻訳したアロンの遺作『世紀末の国際関係』(原題:Les dernieres annees du siecle)が課題文献です。
原著は今から24年前に出版されたものなのですが、今読んでも色々と考えさせられる面白い本でした。「訳者あとがき」にもあるように、本書は小著ながら広範な領域をカバーしており、それは国際政治学の理論上の問題から国際経済、核戦略、そして当時の時事問題に至り、各々の領域についてアロンの立場が明確に示されているので、日本人の読者にとっては手軽にアロンに触れる最適な本と言えるのではないでしょうか。書評形式で簡単にここ紹介しようと思ったのですが、いまいちうまく文章がまとまりませんでした。
アロンはこの本で、1962年(Paix et Guerreを出版した年)と1982年(この本の原稿を執筆していた年)の比較を行った上で、さらに「世紀末の国際関係」の考察へと筆を進めています。2008年を生きる我々は、アロンが予測した「世紀末」の国際関係がどのようなものだったのか、さらに21世紀初頭の国際関係がどのようなものだったかを知っており、アロンのいくつかの予測が大きく外れていることも知っているわけです。
例えば、アロンは「今世紀の終わりに至るまで、アメリカとソ連だけが真の大国でありつづけるということは、いかなる未来予測より確かだと私には思える」(278頁)としていますが、これが大きな誤りであったことは明らかです。ちなみに、日本でアロンのようにぶれることなく国際関係の現状について発言を続けた高坂正堯も、『現代の国際政治』(講談社学術文庫、1989年)の中で、「冷戦は終わっても、米ソ二極体制は終わらない」旨を強調しています。『現代の国際政治』はベルリンの壁崩壊の直前、ソ連崩壊の数年前という微妙な時期に書かれたものですが、「現実主義」の国際政治学者の情勢認識として興味深いものだと思います。やや話がずれましたが、重要なことは、アロンのこの予測が外れたことよりも、なぜアロンはそのように予測したのかということでしょう。
またアロンがこの本で最も強調している国際政治における「国家間関係」の第一義的な重要性は、現在に至るまで十分に意味のある主張だと思います。この本の刊行直後に『朝日新聞』に掲載された山崎正和の書評は、アロンの主張を実にうまくまとめています。
…アロンの慎重で丹念な分析は、直接には現実の政治状況の予想に向けられ、今世紀末まで「平和は不可能だが、戦争は起こりそうにない」という良識的な結論を引き出している。だが、この本の真意は、より思想的に国家の観念を擁護することにあり、それが八〇年代のもとではかなり成功している、と見ることができる。たしかに二十年前に比べて、国家エゴはむしろ剥きだしの素顔を見せるようになり、イデオロギーや経済の論理の透徹を随所で妨げている。そして、その非合理な意思は混乱を起こすが、曖昧であるだけに極端に走ることがなく、適当に妥協して破局を防いでいるともいえる。その状況を克明に描いて見えるアロンの言外の主張は、「国家は全能ではないが、国際社会は生まれそうにない」ということであり、この面倒な状況が実は人類の救いなのだ、という逆説的な楽観主義にほかならないといえよう。
この中心的な主張の他にも、「抑止」や「軍備管理」、さらには「国家と国際経済」に関するアロンの主張は現在にも十分通じる深い洞察を含むものです。これをもとにどういった議論になるかは非常に楽しみです。
2008年10月16日
今週の授業(10月第3週)。
「デトロイト・メタル・シティ」を観て、ちょっとカジヒデキを聴きたくなったのですが、結局ブームは来ませんでした。
最近は、矢野顕子のピアノ弾き語り曲を集めた「ピヤノアキコ。」や、SUGAR BABEの「SONGS」をヘビー・ローテーションで聴いています。矢野顕子を聴いてからSUGAR BABEを聴くと、同世代で定評のあるミュージシャンでもSUGAR BABEは楽曲・演奏共にやっぱり荒削りだなと思うわけですが、それはそれでいいと思います。この二つの流れになるかは分かりませんが、最近またよくクラムボンを聴いています。もっとも、このちょっとまったりした感じの音楽を聴くのもクロマニヨンズのニュー・アルバムを手に入れたらまた変わってしまいそうです。
◇
いつものように今週の授業の話。
<水曜日>
3限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)
今週のテキストはスタンレー・ホフマンのアロン論(Raymond Aron and the Theory of International Relations)とモーゲンソー論(Hans Morgenthau: The Limits and Influence of "Realism")の二本。どちらも彼のJanus and Minerva : essays in the theory and practice of international politics (Boulder: Westview Press, 1987)という本に収録されている論文です。
簡単にまとめてしまえば、アロンを絶賛し、モーゲンソーをこき下ろしている論文です。モーゲンソーについては、批判のための批判に近い部分もあるような気がしますが、アロンについてはバランスをうまく取って評価している思います。ちなみに唯一ホフマンがアロンを批判しているのが、ソ連に対する過大評価の部分だった点は興味深いところです。
授業では、アロンとモーゲンソー及び北米の学者との違いや、いかにしてアロンがこのような思想を形成したのか、といったことについて議論になりました。人数が少ないので、自分がよく読めなかった部分やしっかりと理解出来ない部分を逐一確認出来るのはありがたいことです。
アロンにしてもモーゲンソーにしても、現在の文脈ではクラシカル・リアリストと言われる論者であるため、良くも悪くもその理論には様々な要素が含まれています。また著者のホフマンは現在もハーバード大学教授ですが、ネオリアリズムの隆盛以降は、非常に社会科学化が進んだアメリカの国際関係論の議論から一歩身を引いているような印象があります。この二つの論文が収められている論文集が刊行されたのは1987年ですが、どちらの論文も叙述的に書かれているので、歴史をやっている自分としてはむしろ読みやすかったです。モーゲンソーやアロンを過度に単純化してしまうことはその良質な部分を切り取ることにも繋がってしまうので、このように叙述的に書いた方がうまく読者は理解できるのかも知れません。
<木曜日>
2限:Alternative Approaches to Japanese Foreign Policy
授業の題名には「日本外交」が付いていますが、先週から数回は基本的な国際政治理論を取り上げる回が続きます。今週のテーマは、国際政治理論の基本であるリアリズムです。指定テキストは、Jack Donnelly, "Chapter 2: Realism," in Scott Burchill, Andrew Linklater & Richard Devetak, (eds.)Theories of International Relations (3rd Edition, Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2005)でしたが、追加としてRobert O. Keohane (eds.), Neorealism and Its Critics (New York: Columbia University Pres , 1986)に収録されている論文などが指定されています。
テキストは、リアリズムにやや批判的な立場を取る著者が、クラシカル・リアリズムから攻撃的リアリズムまで代表的なリアリズムの議論を整理し検討したもので分かりやすかったのですが、前日にクラシカルな議論を議論したばかりなので頭がやや混乱しました。
今回の授業では、明らかに英語力のみが原因で詰まってしまうことがあったので、その点が情けなかったです。テキストを読んでの疑問や質問は何とか出来ますが、咄嗟に発言するのはなかなか出来ません。事前に基本的な概念や理論について簡単に英語でまとめたおけばいいのかもしれませんが、他との兼ね合いからそれを完璧にこなすのは難しいので考えものです。ともあれ、語学は練習あるのみなので頑張りたいところです。
ちなみに次回はリベラリズムがテーマです。
4限:国際政治論特殊演習(もう一つの院ゼミ)
博士課程の先輩二人の研究発表。一つの発表が思想史とも近いアプローチだったことから、頭の中がさらに混乱(クラシカル・リアリズム×2→構造的リアリズム→日本政治思想史?)。
5限:プロジェクト科目(政治思想研究)
ゲストの先生を招いての講演(「光の政治哲学――スフラワルディーとモダンあるいは政治社会への根源的な想像力の問題」)。そもそもイスラムに関する知識がほぼゼロであるため、ほとんど話を理解することが出来なかったのは痛恨です。プラトンとの対比などのロジックはそれなりに分かったように思いますが、どの部分が「政治哲学」なのかといったことが全く分からず非常に消化不良です。この消化不良が来週の議論で解決すればいいのですが…。
最近は、矢野顕子のピアノ弾き語り曲を集めた「ピヤノアキコ。」や、SUGAR BABEの「SONGS」をヘビー・ローテーションで聴いています。矢野顕子を聴いてからSUGAR BABEを聴くと、同世代で定評のあるミュージシャンでもSUGAR BABEは楽曲・演奏共にやっぱり荒削りだなと思うわけですが、それはそれでいいと思います。この二つの流れになるかは分かりませんが、最近またよくクラムボンを聴いています。もっとも、このちょっとまったりした感じの音楽を聴くのもクロマニヨンズのニュー・アルバムを手に入れたらまた変わってしまいそうです。
◇
いつものように今週の授業の話。
<水曜日>
3限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)
今週のテキストはスタンレー・ホフマンのアロン論(Raymond Aron and the Theory of International Relations)とモーゲンソー論(Hans Morgenthau: The Limits and Influence of "Realism")の二本。どちらも彼のJanus and Minerva : essays in the theory and practice of international politics (Boulder: Westview Press, 1987)という本に収録されている論文です。
簡単にまとめてしまえば、アロンを絶賛し、モーゲンソーをこき下ろしている論文です。モーゲンソーについては、批判のための批判に近い部分もあるような気がしますが、アロンについてはバランスをうまく取って評価している思います。ちなみに唯一ホフマンがアロンを批判しているのが、ソ連に対する過大評価の部分だった点は興味深いところです。
授業では、アロンとモーゲンソー及び北米の学者との違いや、いかにしてアロンがこのような思想を形成したのか、といったことについて議論になりました。人数が少ないので、自分がよく読めなかった部分やしっかりと理解出来ない部分を逐一確認出来るのはありがたいことです。
アロンにしてもモーゲンソーにしても、現在の文脈ではクラシカル・リアリストと言われる論者であるため、良くも悪くもその理論には様々な要素が含まれています。また著者のホフマンは現在もハーバード大学教授ですが、ネオリアリズムの隆盛以降は、非常に社会科学化が進んだアメリカの国際関係論の議論から一歩身を引いているような印象があります。この二つの論文が収められている論文集が刊行されたのは1987年ですが、どちらの論文も叙述的に書かれているので、歴史をやっている自分としてはむしろ読みやすかったです。モーゲンソーやアロンを過度に単純化してしまうことはその良質な部分を切り取ることにも繋がってしまうので、このように叙述的に書いた方がうまく読者は理解できるのかも知れません。
<木曜日>
2限:Alternative Approaches to Japanese Foreign Policy
授業の題名には「日本外交」が付いていますが、先週から数回は基本的な国際政治理論を取り上げる回が続きます。今週のテーマは、国際政治理論の基本であるリアリズムです。指定テキストは、Jack Donnelly, "Chapter 2: Realism," in Scott Burchill, Andrew Linklater & Richard Devetak, (eds.)Theories of International Relations (3rd Edition, Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2005)でしたが、追加としてRobert O. Keohane (eds.), Neorealism and Its Critics (New York: Columbia University Pres , 1986)に収録されている論文などが指定されています。
テキストは、リアリズムにやや批判的な立場を取る著者が、クラシカル・リアリズムから攻撃的リアリズムまで代表的なリアリズムの議論を整理し検討したもので分かりやすかったのですが、前日にクラシカルな議論を議論したばかりなので頭がやや混乱しました。
今回の授業では、明らかに英語力のみが原因で詰まってしまうことがあったので、その点が情けなかったです。テキストを読んでの疑問や質問は何とか出来ますが、咄嗟に発言するのはなかなか出来ません。事前に基本的な概念や理論について簡単に英語でまとめたおけばいいのかもしれませんが、他との兼ね合いからそれを完璧にこなすのは難しいので考えものです。ともあれ、語学は練習あるのみなので頑張りたいところです。
ちなみに次回はリベラリズムがテーマです。
4限:国際政治論特殊演習(もう一つの院ゼミ)
博士課程の先輩二人の研究発表。一つの発表が思想史とも近いアプローチだったことから、頭の中がさらに混乱(クラシカル・リアリズム×2→構造的リアリズム→日本政治思想史?)。
5限:プロジェクト科目(政治思想研究)
ゲストの先生を招いての講演(「光の政治哲学――スフラワルディーとモダンあるいは政治社会への根源的な想像力の問題」)。そもそもイスラムに関する知識がほぼゼロであるため、ほとんど話を理解することが出来なかったのは痛恨です。プラトンとの対比などのロジックはそれなりに分かったように思いますが、どの部分が「政治哲学」なのかといったことが全く分からず非常に消化不良です。この消化不良が来週の議論で解決すればいいのですが…。
2008年10月12日
研究生活再開。
昨日、新たに開示された資料(外交文書)を一気に読んで、ようやく研究生活再開となりました。
ただし資料ばかり読んでいるのも考えものです。昨日読んだ資料の中でメインになるのは、一つのファイルを丸ごと公開して貰ったものなのですが、そのファイルに含まれる文書は一つの政策の約一ヶ月分だけです。ちょうど同じ時期の関連する文書も公開されたので、昨日と今日はひたすらこの一ヶ月を中心に資料の読み込みをしていました。
研究論文であってもさらっと数行書いてある程度のところについて、昨日と今日だけで500近くの文書を読んでいるとついつい細部にばかり目が行ってしまいます。といってもこの一ヶ月だけで論文が書けるわけもないので、結局論文を書く時には長くても1頁に収めなければいけません。ちょうど去年の今頃から読んだ資料を基に論文を書く作業を始めたのですが、この作業の辛さはいつまで経っても変わりそうになさそうです。
と、昨日の夜に色々と考えていたところ、NHKのBS-2で「日めくりタイムトラベル」という番組がちょうどやっていました。公式HPによれば、
昭和が懐かしい! 昭和がかっこいい! 昭和が新しい! お待たせしました、NHK・BSが自信をもってお届けする「昭和モノ」の決定版!
その名も『日めくりタイムトラベル』。昭和のとある1年に注目し、事件事故から珍奇な流行に至るまで完全網羅。その年の空気そのものを「日めくり形式」でパーフェクトに蘇らせます。
という番組で、たまにやっている時に家にいるとついつい見てしまいます。今回は「昭和49年(1974年)」で、ちょうど今研究で調べている年でもあるので、なかなか面白かったです。外交文書などの一次資料や研究書から見えてくる昭和49年は、当たり前かもしれないですが石油危機後の重苦しい雰囲気に包まれています。しかし、ここから少し離れて新聞を読むともう少し違った側面が見えてきます。年明けは狂乱物価よりも何よりも小野田少尉の話がどの新聞でもとにかく大きく取り扱われていたり…。
当然この番組でも小野田元少尉の話は時間を取って紹介されていましたが、この年は何と言ってもヒデキヒデキヒデキ。年を通してヒデキの話ばかり。ちなみに、ヒデキは別格としても、番組での扱いは小野田少尉や狂乱物価よりも日本中の小中学生を震撼させたという「口裂け女」の方が大きいです。
一次資料に基づいて着実に歴史を調べていくのも大切ですが、やはり「テレビ目線」のようなものも知らなければいけないのでしょう。ヒデキや小野田少尉、「口裂け女」だけでなく「超能力ブーム」や「長嶋茂雄引退」無くして昭和49年は語れません。
ただし資料ばかり読んでいるのも考えものです。昨日読んだ資料の中でメインになるのは、一つのファイルを丸ごと公開して貰ったものなのですが、そのファイルに含まれる文書は一つの政策の約一ヶ月分だけです。ちょうど同じ時期の関連する文書も公開されたので、昨日と今日はひたすらこの一ヶ月を中心に資料の読み込みをしていました。
研究論文であってもさらっと数行書いてある程度のところについて、昨日と今日だけで500近くの文書を読んでいるとついつい細部にばかり目が行ってしまいます。といってもこの一ヶ月だけで論文が書けるわけもないので、結局論文を書く時には長くても1頁に収めなければいけません。ちょうど去年の今頃から読んだ資料を基に論文を書く作業を始めたのですが、この作業の辛さはいつまで経っても変わりそうになさそうです。
と、昨日の夜に色々と考えていたところ、NHKのBS-2で「日めくりタイムトラベル」という番組がちょうどやっていました。公式HPによれば、
昭和が懐かしい! 昭和がかっこいい! 昭和が新しい! お待たせしました、NHK・BSが自信をもってお届けする「昭和モノ」の決定版!
その名も『日めくりタイムトラベル』。昭和のとある1年に注目し、事件事故から珍奇な流行に至るまで完全網羅。その年の空気そのものを「日めくり形式」でパーフェクトに蘇らせます。
という番組で、たまにやっている時に家にいるとついつい見てしまいます。今回は「昭和49年(1974年)」で、ちょうど今研究で調べている年でもあるので、なかなか面白かったです。外交文書などの一次資料や研究書から見えてくる昭和49年は、当たり前かもしれないですが石油危機後の重苦しい雰囲気に包まれています。しかし、ここから少し離れて新聞を読むともう少し違った側面が見えてきます。年明けは狂乱物価よりも何よりも小野田少尉の話がどの新聞でもとにかく大きく取り扱われていたり…。
当然この番組でも小野田元少尉の話は時間を取って紹介されていましたが、この年は何と言ってもヒデキヒデキヒデキ。年を通してヒデキの話ばかり。ちなみに、ヒデキは別格としても、番組での扱いは小野田少尉や狂乱物価よりも日本中の小中学生を震撼させたという「口裂け女」の方が大きいです。
一次資料に基づいて着実に歴史を調べていくのも大切ですが、やはり「テレビ目線」のようなものも知らなければいけないのでしょう。ヒデキや小野田少尉、「口裂け女」だけでなく「超能力ブーム」や「長嶋茂雄引退」無くして昭和49年は語れません。
2008年10月11日
今週の授業(10月第2週)。
気が付けば今週ももう週末です。結局今週は授業の準備と月曜日に貰ってきた資料の整理と読み込みしかすることが出来ませんでした。ダラダラしているとあっという間に時間が過ぎていってしまうようで焦ります。来週はもう少しうまく時間を使いたいところです。
前期と同様に備忘録代わりにブログに授業の簡単な記録を残していこうと思います。
◇
<水曜日>
3限:院ゼミなのですが、ゼミの人数が少ないので、基本はレイモン・アロンの輪読で、そこに我々ゼミ員の発表が適宜挟まるという形で授業を進めていくことになりました。一緒に読書会をしている後輩も参加することになったので、先生+院生三人でアロンを熟読するという贅沢な1時間半になりそうです。ちなみに来週は、スタンレー・ホフマンのアロン論&モーゲンソー論を読む予定です。
<木曜日>
2限:先週は通院のためお休みしてしまったので、自分にとっては今回が二回目の授業でした。Buzan, Barry, Ole Waever, and Jaap de Wilde, Security: A New Framework for Analysis (Boulder, CO: Lynne Rienner, 1998)の一章が課題文献。Securitization(安全保障問題化)という概念をどう考えるのかがポイントでした。外交史を専門にしているものにとっては、脅威を認識する「プロセスこそが重要」だという議論はよく理解が出来るものです。むしろ逆に、なぜそれをわざわざ強調しなければいけないのかということの方に関心があります。といっても、こうした自分の疑問をうまく授業の中で発言出来ないのがもどかしいです。
4限:昨年度までお世話になっていた先生の院ゼミ。こちらのゼミは人数が多いので、毎週研究発表があります。自分の発表は再来週なので、それに向けて論文を仕上げたいと思います。
5限:プロジェクト科目(政治思想研究)。先週の報告「政治理論・政治的なものを「見る」ということ――アーレント研究の視座から」を受けて、今週は院生による問題提起と議論がありました。詳しい話は今週したいと先週書いたのですが、自分の中でいまいち消化不良気味なので割愛。自分が専門とする外交史や国際関係論よりも政治思想は人文学的な色彩が強い学問です。理論か歴史かといった議論はもちろんのこと、どのような分析視角や枠組みを設定するのかといったことが、明示的に行われないこともままあるので、専門外の人間にとっては議論に入っていくのがなかなか難しいなと改めて思いました。
◇
前々回の記事で紹介した村田良平元外務事務次官の回顧録を読み終えました。
とにかく誤字脱字の多さには辟易としました。ここまで編集がひどかったのは、藤原帰一『国際政治』(放送大学出版協会)以来のことです。いかに本の中身が良かったとしても、あまりに誤字脱字が多いとその本の価値が下がってしまうような気がするので残念です。もっとも、編集が入っているのかどうか疑うようなひどい日本語の本も多々あるわけですが。
次期支援戦闘機を意味する「FSX」が「SFX」になっているために、「…かつてSFXに関しては、大騒ぎの結果米国は一旦は合意したところを撤回して、自国の希望を通すわがままを敢えてした」という文章になり、これはハリウッドの話なのかなという笑える間違いもありますが、その他人名の間違いも散見されます。
以上のような本文は本人もチェックするはずなのでまだしも、この本の誤字脱字のひどさは、それが目次やルビ、扉といった編集が第一義的に責任を持つべき部分にあまりに多いことです。目次の「牛馬大使」(正しくは「牛場大使」)についてはこの間も書きましたが、その他にも写真の説明で「オーストリア大使」のところが「オーストラリア大使」になっていたり、ルビの表記が不統一(平仮名だったりカタカナだったり、はたまた無駄な括弧が付いていたり)などは相当ひどいものです。
そんな愚痴はともかくとして、内容自体は上巻を中心に研究者にとって貴重な情報が多数ありました(ただし、下巻の第12章以降は著者の主張が全面に展開されており、やや「怪文書」めいているので要注意です)。
通読して印象に残ったのが、どちらかと言うと幹部になる前の時代だったのはやはりと言ったところでしょうか。これまでかなりの量のオーラル・ヒストリーを読んできましたが、官僚の場合はほぼ全て課長や課長補佐時代の話が面白く、局長時代以降が面白いことはそれほど多くありません(サミットのシェルパ経験者などはその数少ない例外です)。実際仕事の多くが課長レベルで処理されているという面もあると思いますが、局長以上が判断しなければいけない問題は回顧録などでさらっと書くことがはばかられるようなことが多いのかも知れません。
また、40年以上の外交官生活を通して感じた印象が様々なところで出てくるのですが、1970年代についてはあまり明確な評価がなされていないことも印象的でした。70年代に関しては研究者の間でもその評価が固まっていません。これはもちろん70年代はこれから本格的な歴史研究が進んでいく時代だという面もあります。しかし、そういった面はあるにしても80年代や90年代の方が一定のイメージが共有されているように思います。70年代を研究している自分にとっては、そこにやりがいを感じるとともに、難しい時代を対象としてしまったことにとまどう面もあります。
「当時付けていた日記によれば」といった表現が散見されることから、どうやら著者は詳細な日記をずっと付けていたようです。この日記がいずれ公開される日が来るのでしょうか。
前期と同様に備忘録代わりにブログに授業の簡単な記録を残していこうと思います。
◇
<水曜日>
3限:院ゼミなのですが、ゼミの人数が少ないので、基本はレイモン・アロンの輪読で、そこに我々ゼミ員の発表が適宜挟まるという形で授業を進めていくことになりました。一緒に読書会をしている後輩も参加することになったので、先生+院生三人でアロンを熟読するという贅沢な1時間半になりそうです。ちなみに来週は、スタンレー・ホフマンのアロン論&モーゲンソー論を読む予定です。
<木曜日>
2限:先週は通院のためお休みしてしまったので、自分にとっては今回が二回目の授業でした。Buzan, Barry, Ole Waever, and Jaap de Wilde, Security: A New Framework for Analysis (Boulder, CO: Lynne Rienner, 1998)の一章が課題文献。Securitization(安全保障問題化)という概念をどう考えるのかがポイントでした。外交史を専門にしているものにとっては、脅威を認識する「プロセスこそが重要」だという議論はよく理解が出来るものです。むしろ逆に、なぜそれをわざわざ強調しなければいけないのかということの方に関心があります。といっても、こうした自分の疑問をうまく授業の中で発言出来ないのがもどかしいです。
4限:昨年度までお世話になっていた先生の院ゼミ。こちらのゼミは人数が多いので、毎週研究発表があります。自分の発表は再来週なので、それに向けて論文を仕上げたいと思います。
5限:プロジェクト科目(政治思想研究)。先週の報告「政治理論・政治的なものを「見る」ということ――アーレント研究の視座から」を受けて、今週は院生による問題提起と議論がありました。詳しい話は今週したいと先週書いたのですが、自分の中でいまいち消化不良気味なので割愛。自分が専門とする外交史や国際関係論よりも政治思想は人文学的な色彩が強い学問です。理論か歴史かといった議論はもちろんのこと、どのような分析視角や枠組みを設定するのかといったことが、明示的に行われないこともままあるので、専門外の人間にとっては議論に入っていくのがなかなか難しいなと改めて思いました。
◇
前々回の記事で紹介した村田良平元外務事務次官の回顧録を読み終えました。
とにかく誤字脱字の多さには辟易としました。ここまで編集がひどかったのは、藤原帰一『国際政治』(放送大学出版協会)以来のことです。いかに本の中身が良かったとしても、あまりに誤字脱字が多いとその本の価値が下がってしまうような気がするので残念です。もっとも、編集が入っているのかどうか疑うようなひどい日本語の本も多々あるわけですが。
次期支援戦闘機を意味する「FSX」が「SFX」になっているために、「…かつてSFXに関しては、大騒ぎの結果米国は一旦は合意したところを撤回して、自国の希望を通すわがままを敢えてした」という文章になり、これはハリウッドの話なのかなという笑える間違いもありますが、その他人名の間違いも散見されます。
以上のような本文は本人もチェックするはずなのでまだしも、この本の誤字脱字のひどさは、それが目次やルビ、扉といった編集が第一義的に責任を持つべき部分にあまりに多いことです。目次の「牛馬大使」(正しくは「牛場大使」)についてはこの間も書きましたが、その他にも写真の説明で「オーストリア大使」のところが「オーストラリア大使」になっていたり、ルビの表記が不統一(平仮名だったりカタカナだったり、はたまた無駄な括弧が付いていたり)などは相当ひどいものです。
そんな愚痴はともかくとして、内容自体は上巻を中心に研究者にとって貴重な情報が多数ありました(ただし、下巻の第12章以降は著者の主張が全面に展開されており、やや「怪文書」めいているので要注意です)。
通読して印象に残ったのが、どちらかと言うと幹部になる前の時代だったのはやはりと言ったところでしょうか。これまでかなりの量のオーラル・ヒストリーを読んできましたが、官僚の場合はほぼ全て課長や課長補佐時代の話が面白く、局長時代以降が面白いことはそれほど多くありません(サミットのシェルパ経験者などはその数少ない例外です)。実際仕事の多くが課長レベルで処理されているという面もあると思いますが、局長以上が判断しなければいけない問題は回顧録などでさらっと書くことがはばかられるようなことが多いのかも知れません。
また、40年以上の外交官生活を通して感じた印象が様々なところで出てくるのですが、1970年代についてはあまり明確な評価がなされていないことも印象的でした。70年代に関しては研究者の間でもその評価が固まっていません。これはもちろん70年代はこれから本格的な歴史研究が進んでいく時代だという面もあります。しかし、そういった面はあるにしても80年代や90年代の方が一定のイメージが共有されているように思います。70年代を研究している自分にとっては、そこにやりがいを感じるとともに、難しい時代を対象としてしまったことにとまどう面もあります。
「当時付けていた日記によれば」といった表現が散見されることから、どうやら著者は詳細な日記をずっと付けていたようです。この日記がいずれ公開される日が来るのでしょうか。
2008年10月06日
Melvyn P. Leffler, A Preponderance of Power
昨日は、読書会がありました。
定評ある冷戦史研究を読もうという読書会で、基本的に月一開催で今回が6回目となります。日程が合わなかったことから、今回は三ヶ月ぶりでしたがこれまでと同様に面白い議論になりました。一人が夏から留学、もう一人が帰省中ということで初回からの参加者がちょっと少なく、私と発表者の二人ばかりが話していたような気がするのはやや残念だったところです。
今回も簡単にメインテキストを書評形式で紹介(以下のまとめには、読書会での討論の一部が反映されています)。
◇
・Melvyn P. Leffler, A Preponderance of Power: National Security, the Truman Administration, and the Cold War (Stanford, Calif. : Stanford University Press, 1992)
<はじめに>
アメリカを代表する冷戦史家として日本で広く知られているのはジョン・ルイス・ギャディスだが、90年代以降の活躍を考えればメルヴィン・レフラーもまた押さえておくべき重要な研究者である。レフラーは、近著For the Soul of Mankind: the United States, the Soviet Union, and the Cold Warや、編著書Origin of the Cold War: An International Historyなどでも知られているが、何と言ってもその代表作は、1992年に出版された本書だろう。
本書の出版は冷戦終結直後のことであり、90年代半ば以降にヨーロッパの歴史家を中心に進められた国際関係史的なアプローチとは一線を画しているが、本書はその明晰な分析と結論によって、冷戦初期を取り上げた数多くの研究の中にあって、出版から15年以上を経過した今もその輝きを失っていない重要な著作である。以下、本書の概要を簡単に説明しつつ、その意義を検討していくことにする。
<概要>
序論で明らかにされているように、本書は、トルーマン政権の国家安全保障政策、その中でもとりわけ大戦略を主要な検討対象としており、分析に際しては各政策担当者の対ソ脅威認識が重視され、その脅威認識から導き出される各地域に対する政策を描き出している。
注意しなければならないのは、本書における「国家安全保障」の語が通常用いられる意味よりもやや広く定義されていることである。本書の意味する「国家安全保障」とは、領土防衛という狭い意味だけでなく、アメリカの政治経済システム、さらにはその価値をも防衛することが含まれるのである(13頁)。日本政治史を紐解くと「狭義国防」と「広義国防」という言葉があるが、本書は言わば「広義国防」として「国家安全保障」を定義していると言える。
本論は時系列に沿って構成される全11章から成っており、パートで分けられているわけではないが、ここでは便宜的に三つに分けて紹介したい。なお、以下の概要は著者が最終的に説明している「大戦略」を中心に抜き出したものであり、本文ではアメリカの各地域に対する政策の変遷が詳細に跡付けられているので、この点は注意していただきたい。
「第一部」としてまとめられるのは、第一章から第三章である。第一章では、トルーマン政権の成立と各政策担当者の脅威認識が明らかにされ、第二章では、第一章で明らかにした対ソ認識に基づいて各地域に対する政策がどのように形成されたかが描き出される。対になるように構成された二つの章に続く第三章では、1946年を対象に、政策担当者の間で対ソ脅威認識が固まり「冷戦コンセンサス」が形作られ冷戦が始まる様子が分析されている。
第三章までに明らかになるのは「恐怖と力」こそが、アメリカの政策形成に決定的な要因だったのであるということだ。螺旋状にソ連への脅威認識を高めていき、防衛的な動機によって拡張的な行動を取っていく様子が、この三つの章で説得的に描かれている。様々な認識の対立はありながらも、最終的に1946年秋までに「冷戦コンセンサス」が形成されたと著者は結論する。
冷戦の開始からNSC68の成立までを描くのが第四章から第八章であり、この五つの章を「第二部」と呼ぶことが出来るだろう。「冷戦コンセンサス」が形成され冷戦が始まったものの、アメリカには冷戦を戦うために必要な軍事力が欠乏していた。この点は政策担当者にも認識されていたものの、諸処の状況により「力の優越(Preponderance of Power)」という認識が揺らぐことはなかったため、冷戦を「力の優越」の下に戦うという目的とそれを実行する手段とのギャップが放置されてきたのである。そして、中国の喪失、ソ連の核保有、経済的失速などが重なったことによって「力の優越」が脅かされたと各政策担当者が認識した結果として、ニッツェ政策企画室長の下で策定されたNSC68によってこのギャップは解消したのである。
なお、ギャディスはNSC68を、アメリカの冷戦戦略の一大転換点として位置付けているが、著者はそれを冷戦戦略の転換とまでは見ていない点は重要である(607頁、注188)。「力の優越」という観点からトルーマン政権の政策を、断絶ではなくより連続的・統合的に捉えている著者にとって、NSC68は確かに重要な転機となる政策だったものの、それは政策手段が強化されただけであって、政策の目的はそれ以前と大きく変わっていないという点こそが重要なのであろう。
個々の政策に立ち入れば、「力の優越」を求めてアメリカが世界のパワーセンターを確保するためには、西ヨーロッパの統合、西ドイツの独立、日本の独立と再軍備といった、ソ連を刺激するであろう冒険的な政策を実施する必要がある。そして、各パワーセンターのために、それぞれその周辺との結びつきを強化する必要があるとアメリカは考えた。こうした政策を実施するためにはソ連との「力の均衡」ではなく、圧倒的な「力の優越」こそが必要だったのである。以上のように考えれば、NSC68はそれ以前からの「力の優越」を求めるアメリカの政策の延長線上にあるものということになろう。
こうして形成されたNSC68に基づいてアメリカはいかなる政策を実施したのであろうか。これを考える際に重要になるのが、1950年6月に勃発した朝鮮戦争である。第九章から第十一章では朝鮮戦争勃発後が描かれ、この三章が「第三部」と言えよう。朝鮮戦争の勃発によっても、トルーマン政権の基本軸が変わることは無かったということを著者は強調する。著者が好んで引用するニッツェの「優越した力こそがアメリカの政策の目的である」というセリフは1952年半ばのものである(446頁)。様々な事象が説明されているが、概して印象に残るのはその連続性の強調である。
以上の本論を踏まえた「結論」として、著者は冷戦責任論に言及する。著者の結論は、本論同様にバランスが取れたものとなっている。それは、ソ連に責任があるのと同じようにアメリカにも責任がある、というものである(515頁)。著者は、ソ連の行動のみがアメリカとの脅威認識を高めたわけではなく、ソ連が直接関係したかどうかが明らかでないような事態(例えば中国の喪失、西欧の危機等)に対してもアメリカは恐怖感を募らせていったことを指摘している。
そして著者は、トルーマン政権全体を通してその対応は用意周到で賢いものだったと評価しながらも、ソ連への対応には一部改善の余地があり(例えばソ連への脅威認識の一部は過剰だった)、各パワーセンターのために行った第三世界への拡張は思慮に欠けるものだったと結論付けている(516-517頁)。
<評価>
トルーマン政権の全期間を対象に、その政策を「力の優越」という観点から統合的に描き出した本書は、冷戦史研究のみならず、戦後国際政治史研究全般にとって大きな意義を持つものと評価されよう。膨大な一次資料を読み解いた上で、一貫した視角からその政策を統合的に描き出すことに成功しているという点で、本書は極めて例外的な研究である。
国務省文書を中心に書かれた初期のギャディスの研究と比べた時に、本書が際立っているのはその資料の網羅性である。国務省はもちろんのこと、膨大な国防総省の文書を渉猟し、さらに利用できる範囲で議会やCIAの文書も取り入れている。重要なのは、新しい資料を用いたということよりも、それが本書においてバランス良く取り入れられているということだろう。国務省文書をメインとしてその分析を着実に行いつつも、国防総省の視点を効果的に組み入れることに成功しており、これにより本書の説得力は大きくなったと言える。
冷戦史研究の諸潮流の中に本書を置いて見えてくるのは、本書が「修正主義」の研究の良質な部分をうまく受け継いでいることである。周知のように「修正主義」の研究は、ベトナム戦争の泥沼化を背景として、アメリカの第三世界への介入に対する批判が先行するとともに、マルクス主義史学の影響を受けた経済決定論的な色彩が色濃く、悪く言えば陰謀論的なものが少なくない。これに対して本書は、「国家安全保障」概念を拡張することによって、経済的な利益や経済システムの維持といった要素を、経済決定論としてではなく安全保障の目的の一つとして組み込み、さらには第三世界への関与も「帝国主義批判」ではなく「力の優越」を得るための手段として説明している。つまり「修正主義」から陰謀論的な色彩を取り除きつつ、その成果を自らの研究に組み込んでいるのである。
「力の優越」に注目したことによって、冷戦史研究の対立をバランスよく処理した手腕は見事の一言である。これは視角の適切さであると同時に、著者が一次資料とともに二次文献についてもバランス良く処理する手腕の持ち主であることを示している。本書出版後の研究の進展を考えれば、例えばヨーロッパについては書き直す必要はあるかもしれない。しかしながら1992年の時点における研究成果はバランス良く生かされているし、それが各地域について満遍なく行われている点は素晴らしい。
以上のように評価出来る本書であるが、若干の違和感があるとすれば、それは「まず政策担当者の脅威認識を分析し、それに基づく各地域に対する政策を明らかにする」という叙述スタイル(≒分析枠組み)である。
各政策担当者の脅威認識をまず明らかにし、それに基づいて地域政策を検討する方法を言い換えれば、対ソ脅威認識が独立変数で、各地域政策はその従属変数ということになる。この結果として、本書では、ヨーロッパや中東、そして東アジアが並列的に論じられることになる。アジアは冷戦の第二戦線だったという通説的な議論を、著者はどのように考えているのであろうか。ヨーロッパとアジアや中東との相違は、単なる「戦術の違い」なのだろうか。
以上はヨコのダイナミズムの乏しさへの指摘であるが、タテのダイナミズムの乏しさも同様に指摘することが可能である。一番大きいのは、NSC68をも連続性の視点で捉えていることであり、この点はギャディスの議論とも鋭く対立している。確かに「広義国防」的な安全保障観は、近年のアイゼンハワー政権研究にも通じるところがあり、断絶よりも連続を強調する著者の見方を補強しているとも言える。しかしながら、冷戦の終点に立って歴史を眺めた時に、果して連続性のみを強調することが正しいのだろうか。この点を考えるためには、アイゼンハワー政権のみならず、ケネディ、ジョンソン、ニクソンの各政権へと検討を進めなければならないのかもしれない。
◇
と、簡単に紹介を書いたわけですが、本文だけで500頁以上の大作である本書を読むのはなかなかしんどいものがあり、やや消化不良気味の気もしています。やはり、上級英文法をしっかりとやらなければいけないのでしょうか。
また英語の問題だけでなく、1992年の時点で本書に書かれていることがどれだけ新しく意義を持っていたのか、またどの部分が著者のオリジナリティなのかについて具体的なイメージが湧かない点も議論していて歯がゆかった部分です。ポスト修正主義研究の成果を前提とした教科書等で勉強してきた我々がその真の意義を考えるためには、やはり正統主義の研究をしっかりと読み込んでおく必要がありそうです。
定評ある冷戦史研究を読もうという読書会で、基本的に月一開催で今回が6回目となります。日程が合わなかったことから、今回は三ヶ月ぶりでしたがこれまでと同様に面白い議論になりました。一人が夏から留学、もう一人が帰省中ということで初回からの参加者がちょっと少なく、私と発表者の二人ばかりが話していたような気がするのはやや残念だったところです。
今回も簡単にメインテキストを書評形式で紹介(以下のまとめには、読書会での討論の一部が反映されています)。
◇
・Melvyn P. Leffler, A Preponderance of Power: National Security, the Truman Administration, and the Cold War (Stanford, Calif. : Stanford University Press, 1992)
<はじめに>
アメリカを代表する冷戦史家として日本で広く知られているのはジョン・ルイス・ギャディスだが、90年代以降の活躍を考えればメルヴィン・レフラーもまた押さえておくべき重要な研究者である。レフラーは、近著For the Soul of Mankind: the United States, the Soviet Union, and the Cold Warや、編著書Origin of the Cold War: An International Historyなどでも知られているが、何と言ってもその代表作は、1992年に出版された本書だろう。
本書の出版は冷戦終結直後のことであり、90年代半ば以降にヨーロッパの歴史家を中心に進められた国際関係史的なアプローチとは一線を画しているが、本書はその明晰な分析と結論によって、冷戦初期を取り上げた数多くの研究の中にあって、出版から15年以上を経過した今もその輝きを失っていない重要な著作である。以下、本書の概要を簡単に説明しつつ、その意義を検討していくことにする。
<概要>
序論で明らかにされているように、本書は、トルーマン政権の国家安全保障政策、その中でもとりわけ大戦略を主要な検討対象としており、分析に際しては各政策担当者の対ソ脅威認識が重視され、その脅威認識から導き出される各地域に対する政策を描き出している。
注意しなければならないのは、本書における「国家安全保障」の語が通常用いられる意味よりもやや広く定義されていることである。本書の意味する「国家安全保障」とは、領土防衛という狭い意味だけでなく、アメリカの政治経済システム、さらにはその価値をも防衛することが含まれるのである(13頁)。日本政治史を紐解くと「狭義国防」と「広義国防」という言葉があるが、本書は言わば「広義国防」として「国家安全保障」を定義していると言える。
本論は時系列に沿って構成される全11章から成っており、パートで分けられているわけではないが、ここでは便宜的に三つに分けて紹介したい。なお、以下の概要は著者が最終的に説明している「大戦略」を中心に抜き出したものであり、本文ではアメリカの各地域に対する政策の変遷が詳細に跡付けられているので、この点は注意していただきたい。
「第一部」としてまとめられるのは、第一章から第三章である。第一章では、トルーマン政権の成立と各政策担当者の脅威認識が明らかにされ、第二章では、第一章で明らかにした対ソ認識に基づいて各地域に対する政策がどのように形成されたかが描き出される。対になるように構成された二つの章に続く第三章では、1946年を対象に、政策担当者の間で対ソ脅威認識が固まり「冷戦コンセンサス」が形作られ冷戦が始まる様子が分析されている。
第三章までに明らかになるのは「恐怖と力」こそが、アメリカの政策形成に決定的な要因だったのであるということだ。螺旋状にソ連への脅威認識を高めていき、防衛的な動機によって拡張的な行動を取っていく様子が、この三つの章で説得的に描かれている。様々な認識の対立はありながらも、最終的に1946年秋までに「冷戦コンセンサス」が形成されたと著者は結論する。
冷戦の開始からNSC68の成立までを描くのが第四章から第八章であり、この五つの章を「第二部」と呼ぶことが出来るだろう。「冷戦コンセンサス」が形成され冷戦が始まったものの、アメリカには冷戦を戦うために必要な軍事力が欠乏していた。この点は政策担当者にも認識されていたものの、諸処の状況により「力の優越(Preponderance of Power)」という認識が揺らぐことはなかったため、冷戦を「力の優越」の下に戦うという目的とそれを実行する手段とのギャップが放置されてきたのである。そして、中国の喪失、ソ連の核保有、経済的失速などが重なったことによって「力の優越」が脅かされたと各政策担当者が認識した結果として、ニッツェ政策企画室長の下で策定されたNSC68によってこのギャップは解消したのである。
なお、ギャディスはNSC68を、アメリカの冷戦戦略の一大転換点として位置付けているが、著者はそれを冷戦戦略の転換とまでは見ていない点は重要である(607頁、注188)。「力の優越」という観点からトルーマン政権の政策を、断絶ではなくより連続的・統合的に捉えている著者にとって、NSC68は確かに重要な転機となる政策だったものの、それは政策手段が強化されただけであって、政策の目的はそれ以前と大きく変わっていないという点こそが重要なのであろう。
個々の政策に立ち入れば、「力の優越」を求めてアメリカが世界のパワーセンターを確保するためには、西ヨーロッパの統合、西ドイツの独立、日本の独立と再軍備といった、ソ連を刺激するであろう冒険的な政策を実施する必要がある。そして、各パワーセンターのために、それぞれその周辺との結びつきを強化する必要があるとアメリカは考えた。こうした政策を実施するためにはソ連との「力の均衡」ではなく、圧倒的な「力の優越」こそが必要だったのである。以上のように考えれば、NSC68はそれ以前からの「力の優越」を求めるアメリカの政策の延長線上にあるものということになろう。
こうして形成されたNSC68に基づいてアメリカはいかなる政策を実施したのであろうか。これを考える際に重要になるのが、1950年6月に勃発した朝鮮戦争である。第九章から第十一章では朝鮮戦争勃発後が描かれ、この三章が「第三部」と言えよう。朝鮮戦争の勃発によっても、トルーマン政権の基本軸が変わることは無かったということを著者は強調する。著者が好んで引用するニッツェの「優越した力こそがアメリカの政策の目的である」というセリフは1952年半ばのものである(446頁)。様々な事象が説明されているが、概して印象に残るのはその連続性の強調である。
以上の本論を踏まえた「結論」として、著者は冷戦責任論に言及する。著者の結論は、本論同様にバランスが取れたものとなっている。それは、ソ連に責任があるのと同じようにアメリカにも責任がある、というものである(515頁)。著者は、ソ連の行動のみがアメリカとの脅威認識を高めたわけではなく、ソ連が直接関係したかどうかが明らかでないような事態(例えば中国の喪失、西欧の危機等)に対してもアメリカは恐怖感を募らせていったことを指摘している。
そして著者は、トルーマン政権全体を通してその対応は用意周到で賢いものだったと評価しながらも、ソ連への対応には一部改善の余地があり(例えばソ連への脅威認識の一部は過剰だった)、各パワーセンターのために行った第三世界への拡張は思慮に欠けるものだったと結論付けている(516-517頁)。
<評価>
トルーマン政権の全期間を対象に、その政策を「力の優越」という観点から統合的に描き出した本書は、冷戦史研究のみならず、戦後国際政治史研究全般にとって大きな意義を持つものと評価されよう。膨大な一次資料を読み解いた上で、一貫した視角からその政策を統合的に描き出すことに成功しているという点で、本書は極めて例外的な研究である。
国務省文書を中心に書かれた初期のギャディスの研究と比べた時に、本書が際立っているのはその資料の網羅性である。国務省はもちろんのこと、膨大な国防総省の文書を渉猟し、さらに利用できる範囲で議会やCIAの文書も取り入れている。重要なのは、新しい資料を用いたということよりも、それが本書においてバランス良く取り入れられているということだろう。国務省文書をメインとしてその分析を着実に行いつつも、国防総省の視点を効果的に組み入れることに成功しており、これにより本書の説得力は大きくなったと言える。
冷戦史研究の諸潮流の中に本書を置いて見えてくるのは、本書が「修正主義」の研究の良質な部分をうまく受け継いでいることである。周知のように「修正主義」の研究は、ベトナム戦争の泥沼化を背景として、アメリカの第三世界への介入に対する批判が先行するとともに、マルクス主義史学の影響を受けた経済決定論的な色彩が色濃く、悪く言えば陰謀論的なものが少なくない。これに対して本書は、「国家安全保障」概念を拡張することによって、経済的な利益や経済システムの維持といった要素を、経済決定論としてではなく安全保障の目的の一つとして組み込み、さらには第三世界への関与も「帝国主義批判」ではなく「力の優越」を得るための手段として説明している。つまり「修正主義」から陰謀論的な色彩を取り除きつつ、その成果を自らの研究に組み込んでいるのである。
「力の優越」に注目したことによって、冷戦史研究の対立をバランスよく処理した手腕は見事の一言である。これは視角の適切さであると同時に、著者が一次資料とともに二次文献についてもバランス良く処理する手腕の持ち主であることを示している。本書出版後の研究の進展を考えれば、例えばヨーロッパについては書き直す必要はあるかもしれない。しかしながら1992年の時点における研究成果はバランス良く生かされているし、それが各地域について満遍なく行われている点は素晴らしい。
以上のように評価出来る本書であるが、若干の違和感があるとすれば、それは「まず政策担当者の脅威認識を分析し、それに基づく各地域に対する政策を明らかにする」という叙述スタイル(≒分析枠組み)である。
各政策担当者の脅威認識をまず明らかにし、それに基づいて地域政策を検討する方法を言い換えれば、対ソ脅威認識が独立変数で、各地域政策はその従属変数ということになる。この結果として、本書では、ヨーロッパや中東、そして東アジアが並列的に論じられることになる。アジアは冷戦の第二戦線だったという通説的な議論を、著者はどのように考えているのであろうか。ヨーロッパとアジアや中東との相違は、単なる「戦術の違い」なのだろうか。
以上はヨコのダイナミズムの乏しさへの指摘であるが、タテのダイナミズムの乏しさも同様に指摘することが可能である。一番大きいのは、NSC68をも連続性の視点で捉えていることであり、この点はギャディスの議論とも鋭く対立している。確かに「広義国防」的な安全保障観は、近年のアイゼンハワー政権研究にも通じるところがあり、断絶よりも連続を強調する著者の見方を補強しているとも言える。しかしながら、冷戦の終点に立って歴史を眺めた時に、果して連続性のみを強調することが正しいのだろうか。この点を考えるためには、アイゼンハワー政権のみならず、ケネディ、ジョンソン、ニクソンの各政権へと検討を進めなければならないのかもしれない。
◇
と、簡単に紹介を書いたわけですが、本文だけで500頁以上の大作である本書を読むのはなかなかしんどいものがあり、やや消化不良気味の気もしています。やはり、上級英文法をしっかりとやらなければいけないのでしょうか。
また英語の問題だけでなく、1992年の時点で本書に書かれていることがどれだけ新しく意義を持っていたのか、またどの部分が著者のオリジナリティなのかについて具体的なイメージが湧かない点も議論していて歯がゆかった部分です。ポスト修正主義研究の成果を前提とした教科書等で勉強してきた我々がその真の意義を考えるためには、やはり正統主義の研究をしっかりと読み込んでおく必要がありそうです。
2008年10月04日
あれやこれや。
ふと思い立って、二ヶ月くらい前にブログの文体をですます調にしたのですが、各方面から「超キモい」というご意見を頂いています。実際、自分で読み返してみても若干気持ち悪いなとも思うわけです。といって別に元に戻すつもりもあまりないのですが…。気が向いたら、候文で書いてみたいと思ってます。
◇
体調を崩している内に後期の授業が始まりました。
今期取る授業は全部で四つあります。一つは水曜日に行われる、師匠による国際政治論特殊演習(いわゆる院ゼミ)で、私と後輩G君の研究発表を適宜挟みつつ、レイモン・アロンを読んでいこうという授業になりそうですが、これは来週から始めることになっているので、実際どうなるのかはまだ分かりません。師匠と後輩と三人でじっくり一つのテキストを読み解いていくというのは非常に贅沢な機会なので楽しみです。
あとの三つは木曜日に集中しています。まず2限に、「日本の外交政策」と題した授業(英語)があります。トロント大学のDavid Welch教授とアシスタントの大学院生による授業で、理論研究の視角を踏まえた上で日本の外交・安保政策を考えていく授業になるようです。毎週のリーディング・アサイメントはそれほど多くはないのですが、授業が英語で行われること、そして毎週授業に際して1~2頁のペーパーを提出しなければいけないことが自分にとっては大きな負担です。とはいえ、日本外交史を研究していてもこれからは英語での発信能力は必須です。外国の日本研究の質が概して低下している現状を踏まえれば、こうした機会をうまく利用して自分のスキルを磨き将来英語で日本研究を発表出来るようにしたいと思います。二回目の授業に通院のために出ることが出来なかったのがとても残念です。
4限は、昨年度までお世話になっている先生の院ゼミです。こちらは院生の数が多いので毎週研究発表×2で半期が終わります。ここで10月下旬に、今書いている論文について発表する予定なので、それまでに論文を完成させるつもりで頑張るつもりです。
5限は、前期に続いてプロジェクト科目(政治思想研究)があります。今週すでにゲストの先生の報告(「政治理論・政治的なものを「見る」ということ――アーレント研究の視座から」)がありました。アーレントについては、代表的ないくつかの文献を学部時代に読んだり、「現代思想の冒険者たち」シリーズの川崎修『アレント――公共性の復権』(講談社)を読んだくらいで、いわゆるアーレント研究は恥ずかしながらほとんど読んだことがありませんが、なるほどこういう読み方があるのかと思い、報告後の議論も含めて興味深く聞くことができました。詳しい話は、友人と後輩が討論者を務める来週の授業の後で書こうと思います。
昨年の後期は、修士論文執筆のために授業は院ゼミしか履修せず、テーマ次第でプロジェクト科目(政治思想研究)にお邪魔させていただくという形だったので、それと比べると今年はやや忙しいような気がします。
◇
基本的に本は一気に読み切りたい自分にとって、この二週間ほどはなかなかまとまった時間が取れずに辛い日々が続いています。先週土曜からは、時間はたくさんあったのですがいかんせん頭がボーっとしていたので、とても学術書など読む余裕はなく、小説や漫画をダーッと読んで無為に過ごしていました。
ようやく体調は元に戻ってきましたが、今度は授業があったり、ちょっとした調べ物があったり、目の前の課題が終わっていなかったりと、やはりまとまった時間は取れないで今に至っています。そんな中で、ちょっと空いた時間にパラパラと読めるちょうどいい本が出ました。条約局参事官、中近東アフリカ局長、経済局長、外務事務次官といった本省の主要ポスト、さらにはUAE、オーストリア、アメリカ、ドイツの各大使を歴任した外交官・村田良平氏の回顧録です。
ミネルヴァ書房から上下二巻本で最近出たもので、これが自分にとってはちょっとした空き時間の読書にピッタリの一冊です。著者には、既に『回顧する日本外交1952-2002』(都市出版、2004年)という回顧録めいたものがあるのですが、これはこれまでに書いた原稿をまとめたエピソード集といった趣きもあるので、今回『村田良平回想録』が、上下800頁という分量で刊行されたことは大変喜ばしいことです。日本の外交官の回顧録としては、この分量は異例と言っていいと思います。
上巻の三分の二ほどしか読んでいないので暫定的なものですがそこまでの印象を簡単に。
最初から話の腰を折るようですが、本を開いて三秒で誤植に気がついて凹みました。目次を開き、まず目に飛び込んできたのが「牛馬大使」の文字。この他にも既に数ヶ所誤植を見つけてしまった。嗚呼、自分性格細かすぎ。
閑話休題。基本的に、キャリアの進展に従ってその時々の主要事項が網羅的に書かれているなど、回顧録として王道を行っています。人名がとにかくたくさん出てくることは、後から歴史を書く者にとってはとても有難いことです。また、国際情勢から外務省の組織といったことまでふんだんに背景説明があるため、背景知識がなくてもスラスラと読み進めることが出来ます。もっとも、この点は逆に日本外交史研究者からすると歯がゆくなる部分でもあります(もっと政策マターに絞って書いて欲しいな、と)。
ここまでの印象を一言でまとめれば「期待は禁物」ということになるでしょうか。まだ、著者が本省で課長になる直前までしか読んでいないのですが、それでも本書には、交渉の機微や政策決定の裏話が出てきそうにはないな、という予感(あくまで予感)はします。分量がいかに多いと言っても、例えばキッシンジャーの回顧録のように、限られた期間を対象に外交文書を用いて網羅的に書いているわけではないので、そうそう期待してはいけないのでしょう。
これまでのところで面白いのは、本書から当事者でなければ知りえない外務省内の「雰囲気」や組織のあり方が伝わってくることです。キャリア前半の多くで「経済外交」に携わった著者は、次のように書いています。
私は「経済外交」という言葉は好きではない。
聞く人を往々政治分野とは切り離された経済外交という特殊分野があるかのごとき錯覚に陥らしめる弊害もある。またこの言葉の存在のために、外務省が他省と無用の権限争いを起すこととなったこともある。だが、何と名づけようと、戦後の主権の回復から、一九七〇年の大阪万博頃まで、外務省も他の省庁も経済交渉の分野において成果をあげることが至上命令だとの認識は共有されていて、各省から精鋭が投入された。これが当時は「経済外交」と総称されたのだった。(『村田良平回想録』上巻、129頁)
政策研究大学院大学から出されているいくつかのオーラル・ヒストリーでも、菊池清明元国連大使をはじめとして「経済外交」という言葉に対する違和感や、他の省庁との関係についての証言がありますが、ここに挙げた部分はそうした外務省内の雰囲気が伝わってくるとともに、その意義や必要性もよく伝わってきます。
この他には、1960年代後半における企画課新設問題や、各地域局に二国間の経済問題を経済局から移管するといういわゆる「政経合体問題」などの詳細が書かれていることは、この回顧録の重要な意義と言っていいと思います。
この本については、また続報を書くつもりです。
◇
体調を崩している内に後期の授業が始まりました。
今期取る授業は全部で四つあります。一つは水曜日に行われる、師匠による国際政治論特殊演習(いわゆる院ゼミ)で、私と後輩G君の研究発表を適宜挟みつつ、レイモン・アロンを読んでいこうという授業になりそうですが、これは来週から始めることになっているので、実際どうなるのかはまだ分かりません。師匠と後輩と三人でじっくり一つのテキストを読み解いていくというのは非常に贅沢な機会なので楽しみです。
あとの三つは木曜日に集中しています。まず2限に、「日本の外交政策」と題した授業(英語)があります。トロント大学のDavid Welch教授とアシスタントの大学院生による授業で、理論研究の視角を踏まえた上で日本の外交・安保政策を考えていく授業になるようです。毎週のリーディング・アサイメントはそれほど多くはないのですが、授業が英語で行われること、そして毎週授業に際して1~2頁のペーパーを提出しなければいけないことが自分にとっては大きな負担です。とはいえ、日本外交史を研究していてもこれからは英語での発信能力は必須です。外国の日本研究の質が概して低下している現状を踏まえれば、こうした機会をうまく利用して自分のスキルを磨き将来英語で日本研究を発表出来るようにしたいと思います。二回目の授業に通院のために出ることが出来なかったのがとても残念です。
4限は、昨年度までお世話になっている先生の院ゼミです。こちらは院生の数が多いので毎週研究発表×2で半期が終わります。ここで10月下旬に、今書いている論文について発表する予定なので、それまでに論文を完成させるつもりで頑張るつもりです。
5限は、前期に続いてプロジェクト科目(政治思想研究)があります。今週すでにゲストの先生の報告(「政治理論・政治的なものを「見る」ということ――アーレント研究の視座から」)がありました。アーレントについては、代表的ないくつかの文献を学部時代に読んだり、「現代思想の冒険者たち」シリーズの川崎修『アレント――公共性の復権』(講談社)を読んだくらいで、いわゆるアーレント研究は恥ずかしながらほとんど読んだことがありませんが、なるほどこういう読み方があるのかと思い、報告後の議論も含めて興味深く聞くことができました。詳しい話は、友人と後輩が討論者を務める来週の授業の後で書こうと思います。
昨年の後期は、修士論文執筆のために授業は院ゼミしか履修せず、テーマ次第でプロジェクト科目(政治思想研究)にお邪魔させていただくという形だったので、それと比べると今年はやや忙しいような気がします。
◇
基本的に本は一気に読み切りたい自分にとって、この二週間ほどはなかなかまとまった時間が取れずに辛い日々が続いています。先週土曜からは、時間はたくさんあったのですがいかんせん頭がボーっとしていたので、とても学術書など読む余裕はなく、小説や漫画をダーッと読んで無為に過ごしていました。
ようやく体調は元に戻ってきましたが、今度は授業があったり、ちょっとした調べ物があったり、目の前の課題が終わっていなかったりと、やはりまとまった時間は取れないで今に至っています。そんな中で、ちょっと空いた時間にパラパラと読めるちょうどいい本が出ました。条約局参事官、中近東アフリカ局長、経済局長、外務事務次官といった本省の主要ポスト、さらにはUAE、オーストリア、アメリカ、ドイツの各大使を歴任した外交官・村田良平氏の回顧録です。
ミネルヴァ書房から上下二巻本で最近出たもので、これが自分にとってはちょっとした空き時間の読書にピッタリの一冊です。著者には、既に『回顧する日本外交1952-2002』(都市出版、2004年)という回顧録めいたものがあるのですが、これはこれまでに書いた原稿をまとめたエピソード集といった趣きもあるので、今回『村田良平回想録』が、上下800頁という分量で刊行されたことは大変喜ばしいことです。日本の外交官の回顧録としては、この分量は異例と言っていいと思います。
上巻の三分の二ほどしか読んでいないので暫定的なものですがそこまでの印象を簡単に。
最初から話の腰を折るようですが、本を開いて三秒で誤植に気がついて凹みました。目次を開き、まず目に飛び込んできたのが「牛馬大使」の文字。この他にも既に数ヶ所誤植を見つけてしまった。嗚呼、自分性格細かすぎ。
閑話休題。基本的に、キャリアの進展に従ってその時々の主要事項が網羅的に書かれているなど、回顧録として王道を行っています。人名がとにかくたくさん出てくることは、後から歴史を書く者にとってはとても有難いことです。また、国際情勢から外務省の組織といったことまでふんだんに背景説明があるため、背景知識がなくてもスラスラと読み進めることが出来ます。もっとも、この点は逆に日本外交史研究者からすると歯がゆくなる部分でもあります(もっと政策マターに絞って書いて欲しいな、と)。
ここまでの印象を一言でまとめれば「期待は禁物」ということになるでしょうか。まだ、著者が本省で課長になる直前までしか読んでいないのですが、それでも本書には、交渉の機微や政策決定の裏話が出てきそうにはないな、という予感(あくまで予感)はします。分量がいかに多いと言っても、例えばキッシンジャーの回顧録のように、限られた期間を対象に外交文書を用いて網羅的に書いているわけではないので、そうそう期待してはいけないのでしょう。
これまでのところで面白いのは、本書から当事者でなければ知りえない外務省内の「雰囲気」や組織のあり方が伝わってくることです。キャリア前半の多くで「経済外交」に携わった著者は、次のように書いています。
私は「経済外交」という言葉は好きではない。
聞く人を往々政治分野とは切り離された経済外交という特殊分野があるかのごとき錯覚に陥らしめる弊害もある。またこの言葉の存在のために、外務省が他省と無用の権限争いを起すこととなったこともある。だが、何と名づけようと、戦後の主権の回復から、一九七〇年の大阪万博頃まで、外務省も他の省庁も経済交渉の分野において成果をあげることが至上命令だとの認識は共有されていて、各省から精鋭が投入された。これが当時は「経済外交」と総称されたのだった。(『村田良平回想録』上巻、129頁)
政策研究大学院大学から出されているいくつかのオーラル・ヒストリーでも、菊池清明元国連大使をはじめとして「経済外交」という言葉に対する違和感や、他の省庁との関係についての証言がありますが、ここに挙げた部分はそうした外務省内の雰囲気が伝わってくるとともに、その意義や必要性もよく伝わってきます。
この他には、1960年代後半における企画課新設問題や、各地域局に二国間の経済問題を経済局から移管するといういわゆる「政経合体問題」などの詳細が書かれていることは、この回顧録の重要な意義と言っていいと思います。
この本については、また続報を書くつもりです。
2008年10月01日
大誤算。
無事合格! と言ってから早二週間近く経過してしまったわけですが、色々あって何も研究に入れない状況で今日に至っています。
バイトが九月後半に五日あり、これに家庭教師が週二回、最初の週末は法事のため帰省、25日(木)からは後期の授業がスタート、といった状況から最初の一週間は何も出来そうにないことが分かっていたのですが、さあ気合いを入れ直してやるぞ、と意気込んで迎えた先週末に風邪を引いてしまいました。
その風邪のために週末が潰れるのみならず、ずるずると気管支炎になってしまい、気が付けばベッドの上で数日過ごしているうちに10月になっていました。風邪を引いた当初のダルさはおさまりましたが、薬が切れれば熱はすぐに上昇し、咳は止まらないという状態がこの数日も続いています。
昨年秋の語学能力検定試験も体調を崩して受け損ねるなど、どうやら体調管理に難あり、という虚弱体質院生になってしまったようで非常に情けないです。
そんなわけで、新規公開資料の開示を受けに外務省へ行く時間も取れず、授業の用意も全く出来ない状態で、自分の中のひとまずの締切としていた十月頭を迎えてしまったので、まずは体調を万全に戻し、その上でギアを入れ替えて頑張ることにしようと思います。
バイトが九月後半に五日あり、これに家庭教師が週二回、最初の週末は法事のため帰省、25日(木)からは後期の授業がスタート、といった状況から最初の一週間は何も出来そうにないことが分かっていたのですが、さあ気合いを入れ直してやるぞ、と意気込んで迎えた先週末に風邪を引いてしまいました。
その風邪のために週末が潰れるのみならず、ずるずると気管支炎になってしまい、気が付けばベッドの上で数日過ごしているうちに10月になっていました。風邪を引いた当初のダルさはおさまりましたが、薬が切れれば熱はすぐに上昇し、咳は止まらないという状態がこの数日も続いています。
昨年秋の語学能力検定試験も体調を崩して受け損ねるなど、どうやら体調管理に難あり、という虚弱体質院生になってしまったようで非常に情けないです。
そんなわけで、新規公開資料の開示を受けに外務省へ行く時間も取れず、授業の用意も全く出来ない状態で、自分の中のひとまずの締切としていた十月頭を迎えてしまったので、まずは体調を万全に戻し、その上でギアを入れ替えて頑張ることにしようと思います。