2008年09月

2008年09月18日

無事合格。

この修士三年目の一番の課題である、博士課程進学のための試験が昨日ありました。

正確には、博士課程入学試験は半年後にあるのですが、事前に外国語能力検定試験で二ヶ国語通っていれば、一次試験が免除になり、入学試験は二次試験(修士論文及び研究計画に関する口頭試問)のみになります。

無事、合格しました。

日本外交を研究している院生にとっては第二外国語が鬼門であり、私の場合は半年前の試験で「史料読解(古代~昭和10年代)」を選択し、実際の試験で奈良時代の皇位継承に関する問題が出て撃沈しました。ちなみにその後勉強した結果、半年前の試験で出た問題は、『続日本紀』にある「聖武天皇即位詔」だということが分かりました。

今回受験するに当たり、学部時代から勉強していた中国語を選択することも考えたのですが、中国語は民国時代の文書も読めなければならないこともありますし、試験科目をコロコロ変えるのも良くないだろうと思い、再度史料読解を選択することにしました。

この夏は、半年前に書き上げた論文の一部を切り取って投稿用の論文を書くことを一つの目標としていたのですが、九月に入ってからはそれを一時中断し、ひたすら史料読解の勉強をしてきました。読んだ通史は10冊以上、読んだ研究書も10冊以上、史料集も数冊チェック、それに加えて出題するであろう先生達の論文を読んだので、かなりの勉強量だと思います。

実際に出た問題は、明治時代初期の法令公知に関するものだったので、試験勉強でやったものとはほとんど関係が無かったのですが、ともあれ合格出来たのでひと安心です。

早速、研究生活に戻りたいのですが、前半ほとんど行っていなかったバイトの残りや法事があるので、すぐに研究生活に戻ることは難しそうです。淡々とバイトをこなした上で、十月上旬を目途に論文を書き上げることにしたいと思います。

at 11:33|PermalinkComments(8) 日々の戯れ言 

2008年09月12日

季節が変わる。

前回の記事の中で、村井哲也『戦後政治体制の起源 吉田茂の「官邸主導」』(藤原書店)を紹介したのですが、その紹介文で「経済安定本部」とするべきところを、誤って「経済暗転本部」としてしまいました。結果的に、うまいのかうまくないのかよく分からないネタのようになってしまい、大学院の先輩のある先生に「ネタか」突っ込まれました。

こうしたミスタイプはよくするので、気が付いたら直すようにしているのですが、そのまま残ってしまっているものもよくあります。関係各位には(誰かよく分かりませんが)、深くお詫び申し上げます。

ミスタイプがそのまま残ってしまうのは、文章をよく確認せずに投稿ボタンをクリックしてしまうからなのですが、このブログは思いつくままにそれほど考えずにサラサラと書いたものをそのまま載せているので、仕方がありません。こんな書き方をしているから、練り上げた文章を書くのが苦しくなっているのかもしれません。



この一週間は、バイト&家庭教師、たまのお酒を除けば、研究書、通史、出題するであろう先生達が書いた論文などを読み進める単調な毎日でした。そんな日々を過ごしていても、夏から秋へと季節は変わっていきます。今日は久しぶりに暑かったですが、それでも一時期の暑さとは違って湿度はそれほど高くなく、またセミの声もあまり聞こえてきません。

セミで思い出したのですが、今朝大学に着いて大学院棟に向かったところ、自分のキャレルの近くに蝉の死骸が転がっていました。これが嫌がらせであればかなり凹むところですが、昨日も夜八時くらいに空いていた窓から蝉が入りブンブン飛び回っていたので、おそらくその蝉が力尽きたのだと思います。

それだけであれば何と言うことは無いのですが、そのセミをよく見たところそれがクマゼミだったことに少し驚きました。というのも自分が小学生の時は、両親の実家がある静岡や一時期住んでいた豊橋にはクマゼミがいたのですが、東京で見たことはなかったからです。温暖化の影響なのかどうかはよく知りませんが、あの「シャンシャンシャンシャン」という鳴き声はかなりうるさいので、クマゼミが今後東京で大繁殖すると少し困ります。



こうやって過ごしている間にも相変わらず研究書や新書等が続々と出ていますが、今すぐ読めないものを紹介するのも何なので今回は文献紹介はなしです。

at 18:50|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2008年09月05日

Go To DMC(デトロイト・メタル・シティ)!

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映画が観たい、といって昨日のエントリーではいくつか挙げたわけですが、時間の関係もあって観たのはなぜか「デトロイト・メタル・シティ」(公式サイト)でした。息抜きなので、考えさせられるような映画よりは軽めの映画がいいと思っていたのですが、よりによって「DMC」になるとは……。

「渋谷系」が比較的好きな自分としては、気恥ずかしい対象としての描かれ方に何とも言えない気分になりましたが、アホらしくていい息抜きになりました(メタルはちょっとバカにされ過ぎているような気もします)。評判通り松雪泰子のはじけっぷりはなかなかでした。

ただ、原作は全く読んでいないので、原作のファンがどう感じるかは分からないところです。40過ぎのカジヒデキが大学生役(?)でちらっと出ていて違和感があまり無かったのには驚きました。なぜかメタルよりはカジヒデキを聴きたくなりました。

次は、もう少しカタめの映画を観ようと思います。



近代に入ってから、ようやく勉強が面白くなってきましたが、語学の試験のように手応えが全く無いのが辛いところです。そもそも、日本外交史や日本政治外交史が専門ですと言っていても、戦前は全くの素人です。

外交に関してはそれなりに研究を読んできていますが、国内政治は坂野潤治や三谷太一郎などの大御所の代表作や、清水唯一朗『政党と官僚の近代』(藤原書店、2007年)、五百旗頭薫『大隈重信と政党政治』(東京大学出版会、2003年)など若手研究者の博士論文ベースの研究書を散発的に読んでいたきただけなので、なかなか「土地勘」が掴めません。

そんなわけで、今は歴史学研究会・編『日本史史料』を右手に、代表的な通史や教科書を左手に「土地勘」の習得と史料読解に努める毎日です。それにしても、手応えがありません。この作業をもうしばらく続けて、残りはひたすら出題するであろう先生たちの著作を読み返す作業にあてるつもりなのですが、ふとなぜ自分はこんなことをしているのだろうかと考え込んでしまいます。



相変わらず色々な研究書の刊行ラッシュが続いています。これまでに紹介した本も併せて、秋になったら読み込んで書評を書きたいと思いますが、ひとまず紹介まで。どれもまだ未入手なので、早く手許に揃えたいです。

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一冊目は、日本政治外交史の研究書、村井哲也『戦後政治体制の起源 吉田茂の「官邸主導」』(藤原書店)です。博士論文を基にした本だと思いますが、研究蓄積の厚い占領期を対象にしつつ、その後の戦後政治史に繋がる経済暗転本部を政治史として描いている点が興味深く、読むのが楽しみです。

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二冊目は、イギリス外交史の研究書、小川浩之『イギリス帝国からヨーロッパ統合へ 戦後イギリス対外政策の転換とEEC加盟申請』(名古屋大学出版会)です。この数年、イギリス外交史は日本語でも本格的な研究書が相次いで刊行されていますが、外交史の中で経済の要素を取り込んでいる本書は、自分の研究を考える上でも必読文献だと思います。著者がこれまでに発表した論文は何本か読んでいるのですが、一冊の本にした時にどのような大きなストーリーとなってるのかが気になります。

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三冊目は、前期の授業でウェストファリア条約を取り上げた際にちょっと目を通した、Benno Teschke, The Myth of 1968 :Class, Geopolitics, and the Making of Modern International Relations, (London: Verso, 2003) の待望の翻訳です。マルクス主義史学の影響が強い本ですが、国際政治史、国際政治理論に関心のある多くの読者に読まれるべき本だと思うので、こうして翻訳が刊行されたことは嬉しいです。

その横の画像は、上巻につづいて下巻が刊行されたトニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』(みすず書房)です。ともかく細かく色々なテーマが詰まっているので原書で読むのは大変ですが、日本語であればさくさく読めそうなので、ひとまず手許に置いて自分に関連する部分を読むことにしようと思います(確かこの本は、後輩がパリ政治学院に留学していた時にテキストで使っていたと言っていたような気がしますが…)。

本をじっくり読む時間が欲しいです。

at 17:45|PermalinkComments(3) 映画の話 

2008年09月04日

気になる映画達。

前回の記事では、やや福田首相の肩を持ち過ぎたような気がしますが、メディアの報道姿勢は、放り出し批判→それを「放り出し」て総裁選一色、となっているので、そうした中で首相の論理を説明するという点には意味があったと思います。

今回の報道のみならず、そもそも「ねじれ」ばかりを過度に強調する報道姿勢には違和感を禁じえません。昨年の参議院選挙以降の政局に特殊な点はあるにしても、例えば90年代末の自公連立以前や、55年体制成立以前の政治はそれほど安定的だったわけではないので、そうした歴史的な経緯をもう少し踏まえた報道があってもいいのではないでしょうか。



政局は日々動き続けているわけですが、合宿から帰ってきてからの自分の生活は、毎日午前中から夜まで大学で過ごすかなり単調な毎日です。天皇制の勉強がひとまず終わり、明治・大正期の勉強に移ることが出来たのは嬉しいのですが、過去問を眺めてみても、やはりこの試験は運頼みの要素が強いように感じてしまいます。



そんな単調な毎日を過ごしているからかは分かりませんが、衝動的に映画を観たくなります。以下は気になる映画達。

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「この自由な世界で」を観たからか、今度は似たようなテーマでアジアを舞台にした映画「闇の子供たち」(公式サイト)が気になります。もっとも、映画を観る場合、早起きして渋谷へ向かいチケット購入→カフェで勉強→映画→昼過ぎに大学へ、というパターンになると思うので、観た後に明るい気分になりそうにないこの映画は危険な選択な気がします。

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もう少し明るそうなのが、「TOKYO!」(公式サイト)と「R246 STORY」(公式サイト)の二つのオムニバス映画ですが、この場合監督によって辺り外れがあるのが難点です。

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特に理由はないのですが気になるのは「画家と庭師とカンパーニュ」(公式サイト)です。でも、一番観たいのはこれかもしれません。

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そんなわけで、気になる映画がたくさんあるわけですが、やはり最後に挙げるべきは「崖の上のポニョ」(公式サイト)です。が、ちょっと観る時期を逃したような気もします。これはテレビ待ちになりそうな気がします。

at 18:57|PermalinkComments(0) 映画の話 

2008年09月02日

福田首相辞任表明について。

修業中の政治学徒であるがゆえ、時事的な問題については出来る限りこのブログでは触れたくない、と常々書いているわけですが、こういった大きなニュースが飛び込んでくるとついついコメントしたくなってしまいます。

浮世離れした話ですが、政治学ではエージェント=ストラクチャー問題という有名な問題があります。今回や前回の首相の辞任などはどのように考えることが出来るのかは興味深いところです。

一言で言えば、安倍首相の辞任表明と今回のケースは似ているようで大きく違うということが、以下で言いたいことの趣旨です。

※参考:一年前の安倍首相辞任表明について(リンク



 昨日夜の記者会見で福田康夫首相が辞任表明をしたことは、既にテレビや新聞等で報道されているとおりである。多くの報道は、昨年の安倍首相辞任表明と重ね合わせて「無責任」「政権放り出し」といった論調であり、同情論や冷静に今後の政局を考えた報道は極めて限られている。

 記者会見で首相自身も認めているとおり、一ヶ月前に自らの手で内閣改造と党役員人事一新を断行したにも関わらず、こうした形で辞任表明をしたことは問題である。しかしながら、出来る限り「政治の空白」を作らずに福田首相が退陣を表明するとすればこの数日間しかなかった、ということもまた事実だろう。

 もちろん党内や公明党からの退陣圧力はあったのだろうが、同時に福田首相にとって懸案だったことはやはり臨時国会をこのままで乗り切ることは出来ないのではないか、ということだと考えられる。もし事前に与党が考えていたような臨時国会の早期召集が可能であれば、それなりに実績を上げることが可能だったのかもしれないが、党首選を盾に野党側は早期召集に応じない状況であり、さらに前回の国会対応と同様に審議引き延ばしや審議拒否が続いた場合、臨時国会中に政権が追い込まれた可能性は高い。来年度予算案の審議や、次期衆院選が遅くとも来年九月に行われるという政治日程を考えた場合、この時期を選んでの退陣表明はギリギリの選択だったと言えるのではないだろうか。

 確かに印象として「投げだした」ようにも見えるし、首相自身の政権への執着が弱かったことも辞任表明には大きく作用しているだろう。とはいえ、自民党として今後政権を維持していくことを考えた場合、現在の布陣のまま臨時国会で成果を上げることが出来ないままに、次期総選挙を迎えることが得策ではないことは確かである。国会を中心に政治日程を考えれば、総選挙は年末年始や夏前に行われることが望ましく、事実、戦後の総選挙の大半はこの時期に行われている(正確には、11月~1月、6月~7月に集中している)。

 現在の政治制度を前提とすれば、こうした政治日程を考慮して政権政党が動くことは当然である。現在の体制のまま臨時国会を召集し、野党側の「無責任」な対応(審議拒否や審議引き延ばし)を国民に印象付けることも、福田首相の取り得た一つの戦術であるが、すでに通常国会で野党側は「無責任」な対応を取っているにも関わらず、その点が国民の政権支持へ繋がることはなかった。また、これは福田首相にかなり好意的に忖度した場合の考えかも知れないが、「成果」が大して上がらないことを前提として国会運営に当たることは、国民にとっても望ましくないと首相は考慮したのではないだろうか。

 ここで強調したいことは、福田首相の辞任表明は安倍首相の辞任表明とは大きく異なるということである。安倍首相はそのタイミングがあまりに悪かった。自ら政権を率いている参院選で敗退したにもかかわらず、内閣改造を断行、さらに臨時国会を召集し、所信表明演説まで行ってからの辞任表明は、予算成立直前に政権を投げ出した細川首相以上に最悪のタイミングである。健康問題があったと安倍氏に近い人物は総じて言うが、一国の宰相は健康管理も含めて国民に対して責任を持たなければならない。

 それに対して今回の辞任表明は、国会会期中ではないし、政策に一定の方向性を与え、臨時国会召集までわずかとはいえ時間を残している。臨時国会召集は12日の方向で固まりつつあったが、民主党の代表選や首相の国連総会出席があるため、所信表明演説は今月末の29日と伝えられていた。そうであれば、このタイミングは実質的にそれほど「政治の空白」を作るものではない。

 確かに、一ヶ月前に内閣改造を行ったにも関わらず、このような形で辞任表明をしたことは首相の認識が甘かったと言える。とはいえ、安易に安倍首相の辞任表明と重ね合わせた論評を、国民が思うのならばともかくとして、多くの政治記者達や「識者」とされるコメンテーターからによって行われていることは残念でならない。政治家同様に、マスコミもまた「民度」のバロメーターなので仕方がないのだろうが…。

 いずれにしても、自ら選挙を戦って勝利していない政権があまりに脆いということが、小泉政権後の二年間で明らかになったことは間違いないだろう。自ら選挙に勝利して得た議席を持たない場合、政権はその正統性を移ろいやすく実態のない「支持率」に求めざるを得ないのが、残念ながら今の日本政治の現状なのである。

 次期総選挙では、前回のような圧倒的な差でいずれかの党が勝利することはないだろうと言われている。そうであれば、自民党政権が続くにせよ、民主党政権が誕生するにせよ、政権運営は容易ではない。目先の支持率を追い求めるようなパフォーマンスではなく、じっくり腰を据えて中長期的な政策に取り組む姿勢を各政党には期待したい。

 福田政権は地味ながら、中長期的に重要で、これまでの政権がなかなか手を付けることが出来なかったいくつかの問題に手を付けていた。しかしながら、そうした政策をうまくアピールすることが出来なかったし、またさらに政策を進めるだけの強い政権基盤を持たなかった。「平時」の首相が「乱世」で登板せざるを得なかったことは、歴史の皮肉なのか、それとも必然なのだろうか。

at 11:55|PermalinkComments(3) エッセイ風