2008年05月

2008年05月04日

黄金週。

昨日に続いて大学へ。というよりもゴールデン・ウィークに入ってから、ずっと大学に来ている。図書館が開いていないのは困るが、人も少ないし居心地はそれほど悪くない。もう少し天気がいいと、木陰でゆるりと本を読みながら思索にふけることが出来るのだが、それは望みすぎというものかもしれない。

こんな穏やかな気分なのは、何よりも桜が散るとともににっくき杉花粉がなくなったことだろう。この数週間は空気がうまい、酒がうまい。今もヒノキ花粉に苦しめられている人を見ると、ヒノキ花粉症にだけはなりたくない。



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半年毎の刊行がいつも待ち遠しい『アステイオン』の最新号が発売された。自分の周りの人間がみな買っているからかは知らないが、最新号が出ると大学生協に10冊弱棚に並べられるという、世間では考えられない光景となっている。自分が買いに行った時には残り5冊、同じ日に後輩が買いに行った時には残り3冊になっていた。

今回の特集は「「英語国民(イングリッシュ・スピーキング・ピープル)は世界を動かすか」というものだが、中身は「二つの二国間関係 ―日米関係と英米関係の比較」というプロジェクトで行われた報告から厳選された7本が日本語に翻訳されたものである。

Zara Steiner、David A. Welch、James Mayall、Michael Mastandunoといった執筆陣は普段なかなか日本語でその議論を読む機会がない人たちであり、この雑誌が1000円で買えるというのはとても贅沢なことだ。それだけに、この雑誌があまり広く流通していないのはもったいないが、商業ベースでないからこそ、こうした贅沢な作りになっているのかもしれない。

先に挙げた四人の他にも、『シュラクサイの誘惑』が翻訳されているMark Lillaや、イギリスの日本専門家Chris Hughes、日本外交研究の碩学である渡邉昭夫の論文が掲載されている。どれも学術論文というよりは少しゆるい体裁で書かれ、知的な栄養が詰まったエッセイとなっているのがいい。

まだ読んでいないのだが、大嶽秀夫「近現代史の中のジェンダー秩序」と御厨貴「近代思想の対比列伝 ―オーラル・ヒストリーから見る」の二つの連載も楽しみにしている論考だ。歳を重ねてさらにフィールドを広げて活躍する両者の読み物が、それぞれの専門でどのように読まれているのかは分からないが、自分のような門外漢にはとにかく面白い。



変わっているとよく言われる自分の趣味が「回顧録蒐集」だ。確かに、諸外国のように主要な公職についた者がその職務を終えると本格的な回顧録を書くという伝統がない日本では、回顧録というととかく自慢話になりがちだ。それでも私は「どうせこれもつまらないだろう」と思いながら、目についた回顧録は手当たり次第に買ってしまう。回顧録の何よりもいいところは、書き手の目線を通して時代が見えることである。多分他にも色々あるのだろうが、何か一つ「お前はなぜ回顧録が好きなのか」と問われればこう答える。自慢話が鼻についても、基本的に文章は柔らかいし、それぞれの人生にあるドラマを垣間見るのは楽しい。

そんなわけで、洋の東西を問わず回顧録は広く読んでいるわけだが、やはり自分の研究関心の根底にある「戦後日本」の回顧録にぐっとくる。他の時代、他の国に比べると、つまらないものは本当に多い。それでも数を重ねていくと、どれにも面白さが見えてくるのだから、これはもう回顧録オタクのようなものかもしれない。そんな「戦後日本」に関心を持つ自分にとって、↓は非常に興味深く面白いものだ。

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ジェラルド・カーティス『政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年』(日経BP社)

 本書は、アメリカを代表する日本研究者であるジェラルド・カーティス教授の回顧録である。大学院生時代の1964年、著者は日本語を勉強するために初めて日本の土を踏んだ。以来、45年にわたって著者はアメリカと日本を行きつ戻りつしながら日本政治を観察してきた。日本のマスコミにも幅広く登場する著者の名前は、日本政治に関心があるものなら誰もが知っていることだろう。佐藤栄作以来、現在の福田康夫首相に至る20代のうち、宇野宗佑を除く歴代首相全てと面識を持つ著者は、もっとも長く、そして深く日本政治の中枢に食い込んだ政治学者と言えるかもしれない。
 本書は、常に冷静ながら温かい目で日本政治を観察してきた著者によって、日本語で日本の読者に向けて書かれたものである。名著『代議士の誕生』はいかにして生まれたのか、初来日から『代議士の誕生』までをまとめた第一章から第三章で描かれるのは「代議士の誕生」ならぬ「政治学者の誕生」である。そして第四章以降は、大学に職を得た著者が日本とアメリカの間に立って「日米交流」に携わった経験や、その時々の日本政治観察を織り交ぜつつ著者の歩みがつづられている。

 折々のエピソードとともに興味深いのが、様々な箇所に顔を覗かせる現在の日本政治に対する著者の苦言である。「日本政治は後れているか」という問いに30年間「後れていると思わない」と答え続けてきた著者が、はじめて「日本政治は後れている」と「口を滑らした」のは、90年代の終わり頃だという。本文を引こう。

 三〇年間、「後れていると思わない」と言い続けてきたことから、その発言[日本政治は「後れている」]には自分ながら驚いた。私はどうしてそんな発言をしたのだろうかと考え込んだ。
 その結果、面白いことに気づいた。「日本の政治は後れている」という質問は、「どうして日本の政治は他の先進国の政治に比べて後れているのか」という意味だった。私は、日本の政治システムが国民のニーズにうまく応えているなら、日本が他の国より後れているという質問の前提自体がおかしいと思っていたので、「後れていると思わない」と答えてきた。ただし、九〇年代に入って、日本の政治システムは、他の国に後れるようになったのではなく、激変した日本社会に追いつかなくなっていた。私が「日本の政治は後れている」と発言したのは、日本の政治が日本の社会の変化に後れている、ついていけていないという意味なのである。(149-150頁)


 この著者の感覚が、本書には通奏低音として流れている。この著者の感覚は、今の日本政治にとって重要な警告であろう。
 著者の属するアメリカの「知日派」第三世代は、「実態調査を重視して、日本学の観点からではなく、社会科学の比較政治学のアプローチで日本の政治、社会、経済構造を本格的に分析しようと試みた」(56頁)。こうした第三世代の中でも、著者は地域研究の重要性を高く掲げている。著者の安易な比較を退けつつも、比較の重要性を説くバランス感覚は高く評価されてきた。もちろん全ての見解に同意できるわけではないが、著者バランス感覚は、例えば日本の政治文化を論じたところなど、本書全体でいかんなく発揮されている。近年、日本研究のみならず社会科学全体としてバランス感覚が欠けていることは残念である。

 最後に、2002年に日本国際交流基金賞を受賞した際の著者の挨拶を引いておきたい。

 私が初めて日本に来た一九六〇年代当時の日本は、経済が驚異的なスピードで成長していました。そして、私を含めて多くのアメリカ人の若者がそういった日本の持つダイナミズムに惹かれていたのです。しかし現在、経済成長時に機能していた日本政治は、有効に機能しなくなっています。そして日本は今、根本的な経済および政治の構造改革を迫られているのが現状です。政治学者にとって今の日本は、私が訪れた四〇年前と同様に魅力的な国であることに変わりはありません。(142頁)

 本書を読んで、日本外交もいいが、いつかは日本政治を研究したいと思った。

at 14:23|PermalinkComments(0)本の話 

2008年05月03日

再びこの数日。

このブログも書き始めて早三年(と少し)になる。

最初の二年半はほぼ毎日更新し、論文執筆に追われ授業も院ゼミだけになった昨年の後半からは、二、三日に一回のペースで更新をしてきた。四月からは、授業が三つあるしそれなりに時間もあるので、毎日更新しようと思えばできるはずなのだが、一度落ちてしまったペースを上げるというのは思っていた以上に難しいようだ。

それほど意識はしていなくても、書くメディアが変わればその内容も当然変わってくる。日記をつけるようなまめな性格ではないが、それでも読んだ本の記録は簡単に付けているし、昔は書評形式で内容とコメントを簡単にまとめていた。その中のいくつかは、加除修正をしてブログに載せている。

定期的に読んだ本をまとめていく作業は楽しいし、それなりに勉強になっていると思うのだが、逆にタイミングを逃してブログに書き損ねると、せっかく読んだ本でも印象が薄くなってしまうことがある。最近だと、田中明彦『アジアのなかの日本』(NTT出版)やジョン・ルイス・ギャディス『ロング・ピース』(芦書房)、インタビューをまとめた『外交激変 元外務事務次官柳井俊二』(朝日新聞社)などは書き損ねてしまった。

今こうやってこの記事を(院棟から笑)書いているなら、上に挙げた本の紹介を書けばいいと思うのだが、それが不思議とそんな気持ちにならない。何と言うか、気分が乗らないのだ。読んではみたもののひどい本の紹介まではしなくてもいいと思うが、自分が読んで評価に濃淡はあれ面白いと思った本についてここに書かないのはもったいないので、どうにかうまくバイオリズムを整えたい(?)。



今週の授業。

<水曜日>

先週は開校記念日とやらで授業が休みだったので、先々週以来の師匠の授業が水曜日にあった。ちなみに手続きも完了し四月から師匠=指導教授になりました。今週は↓のPart1:International SocietyのChapter2 The Modernization of International Societyが範囲だ。

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久しぶりに報告の担当だったので、苦手な英文をじっくり読んだのだが、かなり苦戦した。英語で分からない面もあるが、含蓄に富んだ文章をシンプルにまとめることに非常に苦労した。というよりもうまくまとめきれなかった。

章の大まかな内容は題名のとおりで、先々週の授業で取り上げた西欧起源のInternational Societyが近代化していく様子が描かれている。その際に、キーワードとなるのは、"the nationalization of the state"=国民国家化だ。この流れに加えて産業革命による近代技術の発展が様々な形で、国際社会の近代化には影響を与え現代に至る。

英国学派の議論というと、必ず思い浮かぶのがいわゆる三つのR(Realism, Rationalism, Revolutionalism)だが、本章ではこの話が全く出てこなかった。代わりキーワードとなるのは、solidarismとpluralismだ。ちなみにこの二つは本書全体を通して重要になる概念だ。

やや話がずれるが、じっくり読んでいくと本当に翻訳が難しい作業だということが分かる。pluralismが多元主義という訳になるのはいいにしても、solidarismを連帯主義と訳すとやや語感が違う気がするのだ。結局、翻訳は文脈次第というところもあるが難しい。

ついでにもう一つ苦しんだのが、"the socialization of the nation"をどう訳すかということだ。この言葉が、先に挙げた"the nationalization of the state"と対になるような形で出てくる箇所があったので、結果的に読み間違えてしまったのだが、文脈を考えればこれは明らかに社会主義化だという。言われてみれば、ああなるほど、といった感じだが難しい。英語はもっと頑張らなければ。

報告ついでにコメントを付けたのだが、考えがうまくまとまらなかったのでその話は割愛。師匠の「話を難しくしすぎるね」というコメントは重い。ともあれ、知的に楽しい授業なので毎週水曜日が楽しみだ。

<木曜日>

先生が出張のため、4限の授業は休講だったので、授業は二つだった。

2限:国際政治論特殊研究

今週は、資料に入る前の最後の授業だった。もっとも、次回はDBPOのprefaceなので次々回からがようやく本番といった感じだろうか。今回読んだのは、Leopoldo Nuti, "On recule pour mieux sauter, or 'What needs to be done' (to understand the 1970s) ", Silvio Pons and Federico Romeo (eds.), Reinterpreting the End of the Cold War: Issues, Interpretations, Periodization ( London: Frank Cass, 2005 )とKeith Hamilton, "Cold War by other means: British Diplomacy and the conference on security and cooperation in Europe, 1972-1975", in Wilfried and Georges-Henri Soutou (eds.), The Making of Detente: Europe and Western Europe in the Cold War, 1965-75 ( London: Routledge, 2008 )の二本の論文だ。

ヌッティの論文は、60年代から70年代を対象とした外交史研究を行う上で、前提となる議論や先行研究整理が目的といった印象であり、こちらは前提知識が無くても読める。ハミルトンの論文は、CSCEに対するイギリス外交を描いた外交史研究であり、他の研究と比べないとなかなか評価が難しい。ちなみにCSCEをめぐる外交史研究については、最近日本でも進められている。

「歴史」になりきっていない70年代はまだイメージが固まっていない時代だ、という先生の言葉が印象的だった。自分が70年代を研究対象としているだけにこの問題は重要だ。うーん、難しい。

5限:プロジェクト科目

現在『アメリカのデモクラシー』の新訳を岩波書店から刊行中の先生がゲスト・スピーカーだった。これについては、また来週。



この数週間で、目の前にあるこなさなければならないことが膨大になっている。読みたい新刊もたくさん出ている。まだ読んでいない重要な本もたくさんある。遊びたい。久しぶりに映画館で映画を観たい。浮世絵観たい。とりあえず、優先順位をしっかりつけて目の前のことをこなして、それから趣味の時間を作るしかないのだろう。本については、四月前半の教訓を生かして編著の優先順位を下げることにするつもりだ。

今月、来月とまたいくつか気になる本が出版されるようだ。時間は作るものだ、と偉そうに後輩に言ったりしているのだが、本当に時間が欲しい。

at 17:28|PermalinkComments(0)日々の戯れ言