2008年05月

2008年05月31日

五月も終わり。

あっという間に今月も終わってしまった。

幅広く文献を読んだり、授業の文献の「貯金」を作ったり、バイトに追われていたりしていたら、いつの間にか一ヶ月経ってしまったという印象は否めないが、それなりに得たものはあったと思う。自分の研究の意義を少し文脈を広げて考えることは出来たが、研究自体はほとんど進められなかった。関係する回顧録を読んだり、同時期の関連する資料を少し読んだりといった程度だろうか。来月は自分の研究に取り組む一ヶ月にしたいところだ。

そんな今月最後の日は、冷戦史の「修正主義」に取り組む一日だった。先日ここにもちらっと書いた、麻田貞雄のレビュー(「冷戦の起源と修正主義研究 ―アメリカの場合―」『国際問題』1974年5月号)を読み返し、ウィリアム・A・ウィアリアムズ『アメリカ外交の悲劇』(御茶の水書房)を読んで帰宅。その後、英文のレビュー数本を流し読みし、ガブリエル・コルコの邦訳に少し目を通したところでこの時間になってしまった。

明日の読書会のために読んでいたわけだが、こんなきっかけでもないと「修正主義」の研究は、レビューを読む程度で飛ばしてしまうのでいい機会だった。が、今後じっくり読む機会はなかなか無いような気もする。さて、どういった議論になるのやら。



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升味準之輔『なぜ歴史が書けるか』(千倉書房)。

ゴールデン・ウィークにざっと読み、今週改めて熟読した。じっくりと紹介したいのだが、今日はちょっと時間がないのでひとまず出版社HPの紹介文をここに載せておくことにしたい。あまり書棚では目立たないであろう上品な装丁、『UP』連載当時と同じくシンプルながらも凄味を感じる題名に、ぐっとくるのは自分だけではないと思う。多くの人に手に取って欲しい一冊だ。

碩学の思索、時空を往還す

 若くして『日本政党史論』(東京大学出版会、全七巻)を著し、日本の政治研究に偉大な足跡を残す升味準之輔先生。「55年体制」という言葉の生みの親としても知られ、一貫して歴史に学ぶことの重要性を説き続けてきた泰斗は今年(二〇〇八年)八十二歳を迎えました。
 本書は二〇〇二年、東京大学の御厨貴教授の私塾で行われた、若き政治学徒たちとの刺激的なセッションから生み出されました。 意欲的な研究者とのやり取りに触発された升味先生は、彼らのみならず、若い世代のために、自身の蹉跌や経験、方法論などを書き残そうと考えたのです。
 升味先生は刻苦の末、一年がかりで五百枚の原稿を書き上げました。驚くべきことに、それは専門である政治史を切り口に歴史と人間の関わりを探る、優れた歴史学研究のテキストとなっていたのです。
 揺るぎない視座から、透徹した視線で「史料と追体験」「原因と結果」「伝記研究」「メタヒストリー」「歴史と社会科学」といったテーマが論じられ、人は如何に歴史を描くか、あるいはそこから学ぶかが、膨大な史書を引きつつ語られます。ローマ、ギリシャ、ヨーロッパ、ソヴェト、アメリカ…。紀元前から二一世紀まで、碩学の筆は時空を縦横に往還します。
 歴史に心を寄せる諸賢にぜひとも一読を乞います。


at 22:44|PermalinkComments(0) 本の話 

2008年05月29日

今週の授業(5月第4週)。

昨日までの暑さから一転して今日は寒い雨。そろそろ梅雨の足音が近づいてきているのだろうか。



今週の授業。

<水曜日>

3限:国際政治論特殊研究

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今回は、Part?:SovereigntyのChapter5 Self-determinationが範囲。

前回のナショナリズムの話ほど分かりにくいわけではないが、自決の問題もなかなか難しい。自決権は、国連憲章にも定められた国際社会の規範の一つだが、定義が微妙な部分が多い。国連憲章及び世界人権宣言においては、nationではなくpeopleの自決権に言及しているが、その定義の客観的基準を定めることは、どちらにしてもpeopleにしたところで困難なわけだ。

慣例的に認められて機能した自決権は結局のところ「脱植民地化としての自決」のみであり、その他の自決権については様々な問題が生じている。本章では「脱植民地化としての自決」という慣例的解釈への主たる挑戦として、分離主義者(secessionist)によるものを取り上げて論じている。

やや話は逸れるが、ここで挙げられていた冷戦時代の危機として挙げられていたのは、カタンガ、ビアフラ、バングラディッシュの三つである。それぞれ、コンゴ、ナイジェリア、パキスタンが舞台だが詳細について知識が共有されているわけではない。バングラディッシュは比較的よく知られているし、カタンガは、ゼミでたまたまブライアン・アークハートの回顧録を読んでいたので知っていたのだが、ビアフラについてはほぼ全く知らなかった。こうして事象がさらっと出てくるのもこの本の難しいところだ。

今回は来週の範囲であるChapter6 Reappraisalまで熟読していたので、何とか話は分かったのだが、主権の話に入っていよいよ話が分かりにくくなってきたという印象だ。授業での先生の話が、自決そのものというよりはその前提となるnationとstateの話にほぼ終始していたことは、この問題の難しさや複雑さを表しているのだろう。

毎週のことながら、自分の知識や考えている範囲の狭さを自覚させられる。

<木曜日>

5限のプロジェクト科目(政治思想研究)は休講。代わりに来週土曜日に授業がある。今回は読んでいかなくてはいけない文献が多いので、やや準備が大変だ。

2限:国際政治論特殊研究

外交文書を読むのも今回で三回目ということで、いよいよMBFRの本交渉に入ってきた。が、それが問題で、とにかく文書の中身は細かい数字が入ってきたり、技術的な話が多かったり、と率直に言って自分にはあまり面白くない。

その面白くないところからいかに面白い話を見つけるか、逆になぜ面白くないかを考えてみるというのが、ここで求められることだろう。今回は、時期的には1973年10月~1974年1月の文書が範囲だったのだが、なかなか話が進展せず同じ話の繰り返しが多かった。しかし、これはある意味で当然だろう。この時期は第四次中東戦争が勃発し米欧関係が緊張し、さらに中東戦争の余波として石油危機が発生した時期だ。こうした時期にもともとイギリスがそれほど乗り気ではないMBFR交渉にどれだけ力を入れられるかは自ずと明らかだろう。

こうなってくると重要になるのは、テキストをただテキストとして読むのではなく、そのコンテクストを縦(時代)と横(テーマ)に位置づけて理解することだろう。それに加えて、文書がどのレベルの文書なのかということもよく考える必要がある。こうした作業は、去年論文を書いている過程で嫌と言うほど考えてきたことだ。

さて、次回以降は話が進展するのだろうか。

と書いたものの、MBFRそのものはその後まとまらなかった話なので、進展はあまり期待できない。どこに面白さを見つけるのかが、なかなか難しい。余力があれば、FRUSにも簡単に目を通したい。

4限:国際政治論特殊研究

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先週は休んでしまったので、授業に参加するのは二週間ぶりだ。近年のJapan Studiesのスタンダードな日本理解の根幹にあるのが何か、ということについて先生から説明があった点が個人的には興味深かった。

サミュエルズにしてもクリストファー・ヒューズにしても、共通するのは「自衛隊」に対する強い関心である。問題は、彼らが安全保障専門家ではない点だろう。彼らの自衛隊に対する過剰評価は、安全保障専門家・軍事専門家の評価とはかけ離れている。う~ん、なかなか難しい。

at 20:55|PermalinkComments(0) ゼミ&大学院授業 

2008年05月26日

耳学問。

研究会があったり、学部ゼミのOB会があったり、とせわしなく動き回っている内に週末が終わってしまった。

OB会は、先生が研究休暇で二年間いなかったので、我々の代が卒業して以来二年ぶりの開催。「旧交を温める」という言葉どおり、卒業以来会う友人や先輩と語らいあういい時間だった(この話とは全く関係無いが、←の文を書いていると、最初変換ミスで「いい次官」と出てきた…)。

地方組・海外組は来れなかったが、みなそれぞれ元気にやっているようだ。先輩たちと話している時に、「上から目線」というキーワードが出てきたことに驚いた。これは大学の伝統なのか、それほど「上から目線」だった印象のない先輩数人が、職場では「上から目線」として通っているらしい。同じようなことを以前、他大学の大学院に行った友人も言っていた。学部時代から「ミスター上から目線」として通っていた友人は、社会に出たらすごいことになるかもしれない。



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↑の著者二名(それぞれ、1950-1958年と1958-1969年の執筆担当)を招いてのEU研究会に行ってきた。自分の専門は日本外交であり当面は1970年代を研究するつもりなので、研究に関係しないと言えばしないのだが、後輩の話を聞きかじっていたり、授業で戦後ヨーロッパ外交を勉強する機会も多いので参加させていただいたのだ。読書会や授業の関係で最近両先生の博士論文を基にした著書をそれぞれ読んでいたので楽しみにしていた。

↑の本は、やや全体の統一に欠けていたり章によって叙述スタイルや分析の焦点が異なったりといった問題はあるものの、ヨーロッパ統合を考える上で、日本語でまず手に取るべき一冊なのだろう。ちょうど週末の「毎日新聞」の書評で取り上げられていた(リンク)。

研究会に参加するにあたって流し読みしかしていなかった本書の中から、序章「ヨーロッパ統合の歴史 ―視座と構成―」、第4章「シューマン・プランからローマ条約へ 1950-58年 ―EC-NATO-CE体制の成立―」、第5章「大西洋同盟の動揺とEECの定着 1958-1969年」、終章「ヨーロッパ統合とは何だったのか ―展望と含意―」をそれぞれ読み返していった。第5章は、著者の博士論文と全く同じ時代を取り上げていることもあって非常に読み応えがあるとともに、過不足なく分かりやすい記述が印象的で、本書の中で最も完成度が高い章だと感じた。

研究会は、前半で(いつも授業等でお世話になっている)第4章の著者である先生による本書の成り立ちや担当された章を中心とした発表、後半で第5章の著者の先生からヨーロッパ統合史の簡単なヒストリオグラフィーと60年代(―70年代)研究の射程に関する発表が行われた。

とにかく考えさせられたのは、日本外交研究と比べた時の全体的な水準の高さだ。この理由は大きく二つある。一つは、資料、一つは研究者の層の厚さだ。資料に関しては、とにかく日本の一次資料はヨーロッパ各国と比べて大きく公開状況が遅れている。また、公開されたとしてもどれだけ重要な記録を文書の形で残しているかが定かではない。研究者の層の厚さは、やや仕方がない面もあるのかも知れない。そもそもヨーロッパ各国にそれぞれ研究者はいるわけだし、それにアメリカやアジアにも研究者が数多くいるわけだ。

そんなわけで、先行研究の数そのものが戦後日本外交研究とは一桁ところか二桁近く違うわけだ。発表された両先生は、こうした研究状況の中で研究を進められているわけであり、そこに入っていかなければいけない後輩は本当に大変なのだな、と思ってしまった。

ヨーロッパ外交は、自分で資料を読んでいるわけでもないし、いくつかの研究を読んだり聞きかじっているだけだが、それでも自分の研究を進める上でも参考になることが少なくない。むしろ自分の専門分野以上に様々なヒントが転がっている印象がある。お手軽な耳学問をしているだけではいけないのだろうけれども、今後も動向を気にしつつ良質な研究を読み進めていきたいと思った。

at 11:12|PermalinkComments(0) 本の話 

2008年05月23日

今週の授業(5月第3週)。

梅雨に入る前に初夏のような暑さが到来し、ややバテ気味です。



今週の授業。

<水曜日>

3限:国際政治論特殊研究

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↑のPart?:SovereigntyのChapter4 Nationalismが今週の範囲。本・部・章それぞれの題名が非常にシンプルだ。

前回までは国際社会(international society)に関する章だったが、今回からは主権(sovereignty)に関する章が三回続く。今回は章題のとおりナショナリズムがテーマだが、ここでのナショナリズムの定義は通常用いられるものよりも若干狭い意味で使われている。すなわち、「一つのネイションが一つのステイトを求める思想」としてのナショナリズムである。

ナショナリズムを巡る問題は非常に難しい問題であり、その難しさを今回の授業でも再確認した。個人的に興味深かったことは、著者の「政治的アイデンティティーは偶発的問題(contingent matters)であり、その偶発性は合理的な議論や民主的投票などで解決できる問題ではない」という主張だ。前段の問題は、とかく合理的に物事を説明しようという傾向が強い国際政治学の中で、さらっと「偶然」の重要さを指摘している点が面白い。そして後段は、著者一流の皮肉だと思うが、これは平和構築の問題を考える上で非常に重要な問題をも投げかけている。

一文一文それぞれが示唆に富んでいるので、読み進めていくのは楽しいがちょっと疲れる、というのも正直な気持ちだ。日本語で読みたい。

ちなみに、ナショナリズムの問題は、Nationalism and International Society ( Cambridge : Cambridge University Press, 1990 )という著書でさらに掘り下げて論じられているらしいので、時間があれば目を通したい。

<木曜日>

2限:国際政治論特殊研究

今回が実際の外交文書に入って第二回目。だんだんとこの前書いた論文で扱った時代に入ってきた。論文には直接生かすことは出来なかったが、昨年夏はDBPOのYear of Europe & Energy Crisisを読んだのは先週書いたとおりだ。しかし、今回の授業で読んでいるMBFRに関する資料から受ける印象と、Year of Europe & Energy Crisisの資料との印象があまりに異なるので、やや消化不良気味だ。

いずれにしても重要なことは、タテ(時代)とヨコ(テーマ)をそれぞれ広げて考え、その中に読んでいる資料を位置付けていくということだ。それが言うほど簡単でないのが難しい。特に、1970年代という新しい時代だけに、信頼できる外交史研究の数がまだまだ限られていることが、この問題をさらに難しくしているのだろう。

加えて、このMBFRはうまくいかなかった話だ。様々な観点からプラスに評価することは出来るだろうけれども、結局MBFRそのものは失敗に終わったわけだ。こうした失敗例をどのように取り扱うか、ということは成功例を取り扱うよりも数段難しい。同様の問題は「ヨーロッパの年(Year of Europe)」を扱う場合にも起こりうることだ。もっとも「ヨーロッパの年」は、提起したアメリカにとっては失敗だったわけだが、元々乗り気ではなかったヨーロッパ諸国にとっては、潰れたこと自体は成功だったと言えるのかもしれない。ん~、難しい。

やや話がずれてしまったが、今回で予備交渉が終わり、いよいよ次回からは本交渉のに入る。時期的には1973年夏~だ。秋には第四次中東戦争が始まって米欧関係はさらに悪化することになるだけに、さらにこのMBFRをどのように位置付けるのかが難しくなってくる。さて、授業ではどのように議論されるのだろうか。

3限は、野暮用がありお休みしてしまった。今期はこれで二回目の欠席。あと一回休む予定なのだが大丈夫だろうか。

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

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今週は↑に関する著者の講演を踏まえた討論だった。

やや知的体力に余裕が無いので論評をしないが、個人的にはこの本を読んで、同じ思想を対象としても、やはり文学部系と法学部系の描き方が違う点が興味深かった。本の副題は「ヨーロッパ中世の<ことば>と<こころ>」だが、中身は「誓い」が持つ「聖性(強制力)」に関するもので、社会秩序の観点から「誓い」を論じている本としても読める。

しかしこの本では、「なぜ誓いが聖性を持ったのか」ということがそれほど突き詰めて考えられているわけではない。今回の発表者によるまとめを借りれば、著者による「答え」は?「誓い」が社会形成において重要な位置を占めていたため、?社会の紐帯が強く名誉や信頼の喪失が制裁として機能していたため、?人々が現世や来世における神の罰を恐れたため、という三つにまとめられている。しかし、授業である先生が指摘していたように、ただ?を読めばトートロジーのようでもあるし、?についてはなぜ社会の紐帯が強かったのかという新たな疑問も湧いてくる。新たな「なぜ」が浮かんでくるのは?も同様である。それが例え「暫定的仮説」に留まるとしても、やはりもう少し掘り下げた「なぜ」を問うのが法学部系の議論であり、そこは史料に語らせることによって禁欲的になるのが文学部系の議論ということなのだろうか。

そんなことを漠然と感じた。

at 20:41|PermalinkComments(0) ゼミ&大学院授業 

2008年05月19日

小泉信三展。

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遅ればせながらという感じもするが、「生誕120年記念 小泉信三展」(リンク)に行ってきた。

小泉信三は、慶應義塾の元塾長であり今上天皇の皇太子時代に「教育係」を務めたことでも知られている。戦前は社会思想史研究者としての顔が強いが、慶應義塾塾長(1933年~1947年)を経て、占領期には共産主義批判と単独講和論を掲げるなど積極的に評論活動を行った。慶應義塾の「中興の祖」とでも言うべき人物である。

こんなことを書くと「お前は大学の回し者か」と言われてしまいそうだが、とにかく非常にいい展示だった。貴重な書簡の数々や、講義ノート等の展示品もいいが、そこに付されている丁寧な解説も興味をそそる。これだけ解説が充実した展示はそうそう無いと思う。それほど広くはない会場だが、ついつい長居をしてしまい気がつくと1時間半程経っていた。

旧図書館という場所もいい。入口ホールから二階に上がる踊り場には、「ペンは剣よりも強し」とラテン語で書かれたステンドグラスが素晴らしい雰囲気を出している。ちなみに、ミネルヴァの梟が低空飛行しているので要チェックだ。あまり統一感の無い三田キャンパスの中で、この旧図書館は歴史の香りがする素晴らしい建物だ。

塾長時代に小泉信三は、義塾の本来の仕事が「無形の方面」にある、と常に強調していたというが、今の………これ以上は自主規制。

ともあれ、大満足の1時間半だった。今週水曜日までの開催らしいです。

at 17:02|PermalinkComments(2) 日々の戯れ言 

2008年05月18日

積読解消作戦。

色々と立て込んだ用事・課題などなどがひと区切りついたので、ひと休みして遊びにでも行きたかったのだが、先のことを考えてこの週末は大学にこもっている。ここで授業関係の課題文献等を一気に読み終えて「貯金」を作って、一時休止中の研究に専念する体制を整えるべきなのかもしれないが、まず溜まりに溜まった本や論文達を先に片付けることにした。

というわけで、今はやたらと本や論文ばかり読んでいる。いくつかピックアップして紹介しておこう。



本はしっかり読んだ以下の二冊について。あとは回顧録の流し読みなどなどで時間終了。先週末は研究書をじっくり読んだのだが、今週末は読んでいないので来週末の課題にしたいところだ。

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春原剛『同盟変貌』(日本経済新聞社)

昨年の今頃に刊行され、その直後に購入したのだが積読になっていた本だ。たまたま「関東計画」を調べていて、現代の基地再編や米軍再編に興味が湧いたので読むことにした。現代について調べても学者はジャーナリストに情報量ではかなわないのだろうな、ということを実感させられる。文章も平易でテンポもいい。

2001年から2007年までの、在日米軍基地再編問題を中心に、日米同盟を日米双方への幅広い取材に基づいて書かれた本書は、現在の日米関係を考える上でまず挙げられる重要な文献だろう。題名からもおそらく意識したであろう、90年代の日米同盟を取り上げた船橋洋一『同盟漂流』(岩波書店)の2000年代版とも言える。

中身ももちろん興味深いのだが、それは読めばわかるし読みやすい本なので、ここでは「あとがき」を紹介したい。

 敗戦国としての劣等感、同盟国としての矜持、そして先進国としての自尊心――。
 日米同盟を語る時、日本人の心の中には多くの異なる思いが、プリズムに入り込んだ光のように複雑に屈曲し、錯綜する。
 戦勝国である米国に「日本が隷属している」という劣等感だけに悩めば、米国への反発が必要以上に強まり、将来への先見性を書いた自主独立機運の芽だけ育てていく。
 日本を、唯一の超大国である米国と「対等の同盟国」にしたいという矜持だけを追い求めれば、自らの足元を見失い、現実性の乏しい議論に終始しかねない。
 日本を、核保有国である米国、英国、フランス、中国、ロシアに「匹敵する有力国」と見立てる自尊心だけに固執すれば、自らを客観的に試みる目を失い、偏狭なナショナリズムの魅力にかられる。
 多くの日本人にとって、米国との同盟関係は空気のような存在になっていると言われて久しい。それは、日米同盟がすでに自然なものとして日本社会に広く受け入れられていることを示す半面、日本人の一人一人がその意義や将来性を十二分に考えていないことの証でもある。(245頁)


ここまでは非常によく分かるし、大筋で納得するところである。このような問題意識と着実な取材力は、本書の魅力となっている。外交史研究者を志す者として、次に続く以下の文章もまた興味深いものだ。

 冷戦時代はそれでも良かった。事実、西側陣営の一角で経済発展にのみ精力を注いできた日本は敗戦の痛手から立ち直り、世界を代表する経済大国へと成長している。
 しかし、旧ソ連の崩壊によって、東西対決の構図が支配した世界は様変わりした。追い討ちをかけるように発生した〇一年の米同時テロによって、国際社会は未曾有の混乱期に足を踏み入れようとしている。
 その余波は当然のことながら、日本にも及んでいる。国際社会における日本の立ち位置は大きく変わり、隣国・中国も二十一世紀の大国としてその頭角を現し始めた。日本の目と鼻の先に位置する朝鮮半島では、北朝鮮の金正日政権が軍事優先の独裁体制の下、核へのあくなき野望を募らせている。
 日本を取り巻く国際環境が目まぐるしく変わりつつある中で、日本がなすべきこと。それはまず、自身の安全を確保しながら、アジア太平洋全体の安定と平和、繁栄を維持する道筋を大きな視点から描き出すことである。(245-246頁)


ここで示される大きなメッセージは納得できる。確かに、今日本が置かれている状況は、戦後史全体を見通しても一つの「転換期」と言えるだろう。しかし、日本がこうした「転換期」を向かえたのは今が初めてではない。おそらく1970年代は今同様に大きな「転換期」だっただろう。日本は1968年に西側第二位の経済大国となり、1969年にはグアム・ドクトリンによってアメリカのアジアからの徹底基調が鮮明となる。そして、1970年も同様に米軍再編、基地再編が問題となっていた。

人間は常に今自分がいる状況を「転機」として意義づける。しかし、より広い歴史的視野から眺めた時にどのように見えるかを考える必要がある。今、日本に求められている課題の中で、何が本当に「新しい」ものなのかをよく考えなければいけないのだろう。そんなことを考えて、歴史研究にも重要な意味があるのだな、と再確認した。

ともあれ、コンパクトで読みやすく、問題関心も広がるいい本だった。次は、本書の姉妹編(?)『在日米軍司令部』(新潮社)を読むことにしたい。

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木畑洋一『イギリス帝国と帝国主義』(有志舎)

こちらは先月発売されたばかりの新刊だ。この15年ほどの間に著者が発表してきた諸論考をまとめたものであり、通読することによって著者の問題関心が浮かび上がってくる。いくつかの章は書き下ろされたものであり、各論考もそれなりに手が加えられている。

「脱植民地化」や「帝国主義」という視角は、20世紀の国際政治史を考える上で重要な意味を持つ大きな潮流である。とはいえ「脱植民地化」は、「冷戦」「革命」「地域主義」といった他の潮流とともに存在していたものであり、それのみを切り取って他を批判するのはあまり有意義ではないだろう(ちなみに、こうした点をうまく扱っている研究として、宮城大蔵『戦後アジア秩序の模索と日本』(創文社)、がある)。

本書は、帝国主義の視角からイギリスについて考察したものである。日本との比較をした章などもあり、著者の幅広い問題関心が伺える。このテーマに興味があれば、どの章も読みやすく著者の問題関心がストレートに伝わってくるので、面白いと思う。ただし、一冊の本としてどれだけまとまっているのかには疑問符が付く。率直に言って、やや編集に不満が残る、というのが一読者としての感想だ。

これまでの論考をしっかりと一冊の本としてまとめ直すことが出来なかったのであれば、中途半端に一冊の本としてまとめるのではなく、いっそのこと論文集としての位置付けを明確にし、発表時期が異なる各論文には追補を付けるなどした方がよかったのではないだろうか。個人的な要望ではあるが、?最新の研究も反映して加筆修正、?論文集形式を守って足りない部分は追補をつける、?あくまで読み物として位置づけて改稿する、などの方が読み手にはありがたい。?が望ましいが、それが出来ないのであれば?か?にしてほしかった。

また、注を省いた結果として括弧による補足が多用されていることも読みづらさにつながっている。これは個人的な好みかもしれないが、やや独自の引用文献表示も読みにくかった。本の末尾に引用文献リストが載っており、引用されている場合には著者の名前(場合によっては頁数)が括弧で書かれているのだが、その方法がやや変わっている。通常こうした引用方法の場合、日本語文献の場合は、(木畑[1996])もしくは(木畑[一九九六])、といった形になるが、本書では(木畑、一九九六年)となっている。これだけならまだいいのだが、外国語文献の場合も、(ダーウィン、一九八四年)といった形になっていて、よく分かりづらいのだ。

編集とは難しい仕事なのだな、ということがよく分かったが、もう少しスタンダードな編集をして欲しかった。



論文もかなり読んだのだが、ここでは面白かったものについて。

一つは、麻田貞雄「冷戦の起源と修正主義研究 ―アメリカの場合―」『国際問題』(第170号、1974年5月)。日本における冷戦史研究の古典的ヒストリオグラフィーといっていい論文だ。残念なのは、この論文を書いた後に麻田貞雄が冷戦史研究に本格的に取り組まなかったことだが、まあそれは置いておこう。

1974年は、後にポスト修正主義と呼ばれるギャディスの研究がぽつぽつと出始めたばかりのころで、修正主義が強い影響力を持っていた時代である。幅広く重要な研究を紹介するとともに、それぞれの問題点をうまく指摘したヒストリオグラフィーの一つのお手本のような論文だ。

大学院の基礎演習?で求められたのはこういう論文なのだろうが、自分の場合はただ先行研究を羅列しただけで終わってしまった。もちろん、それは自分の力量の問題なのだが、それ以上に感じたのは研究の厚みの違いだ。冷戦史研究という括りではなく、その中の冷戦起源論についてもかなりの数の研究が1974年の時点で蓄積されていたことにただただ驚かされる。戦後日本外交史研究を全て合わせても、1974年時点の冷戦起源論にとても及ばない。

戦後日本外交史研究の中で、辛うじて論争と言えるものがあるとすれば、吉田外交をめぐるものだと思うが、それでもまだまだ少ない。やはり、戦後日本外交史研究をする上での「栄養」は、冷戦史研究などの隣接分野から学ぶしかないということだろうか。

具体的な内容については、読書会で取り上げる予定なのでその時にでも書くことにしたい。

もう一つは、Evelyn Goh, Great Powers and Hierachical Order in Southeast Asia: Analyzing Regional Security Strategies, International Security Vol.32, No.3 (2008) 。たまたま、東京財団の書評(リンク)でRichard J. Samuelsの論文(“New Fighting Power!” Japan’s Growing Capabilities and East Asian Security)が紹介されていたので、それを探していたところ、隣に載っていたのでパラパラと読んでみた。

自分は理論研究には強くないので、理論研究者からは異論があるのかもしれないが、最近流行っている(らしい)階層的な国際秩序研究の流れの一つに位置づけられる論文といっていいだろう。抽象的な話から入るのではなく、東南アジアという具体例から紐解いているので、歴史的な観点から研究をしている自分にもすんなりと頭に入ってきた。たまたま藤原帰一の論文をいくつか読んでいたので、それとの関係を考えつつ読んでみたのだが、まだ消化しきれていないので、また時間を見つけてもう一度読むことにしようと思う。



この週末ではないが、先週空き時間を見つけてちょこちょこと読んでいたのが、『国際政治』の特集「吉田路線の再検討」(第151号、2008年3月)だ。

編集責任者による巻頭論文「吉田路線と吉田ドクトリン ―序に代えて」で、これまでの議論で混乱しがちだった、「吉田路線」と「吉田ドクトリン」がうまく整理され、それぞれの成り立ちが明らかにされている点は非常に重要だろう。

ただし、各論文の「吉田路線」の定義はそれぞれ微妙に異なっている。「憲法九条と日米安保条約」(九条=安保体制)として意義づけるものと、「軽武装、経済中心、日米安保」として意義づけるものが混在しており、この点は今後研究を進めていく上では気を付けていかなければならないのだろう。

各論文には色々と触発されるところがあったので、それについては自分の研究にうまく反映させていきたい。



そんなこんなで、今週末は知的にはそれなりに充実していたように思うが、やや物足りなさも感じる。知的には、がっつり重い研究書を読めなかったこと、そして遊びに行っていないことが物足りなさに繋がっているのだろうか。西武が好調の内に野球を観に行きたい(同志求む)。

at 20:30|PermalinkComments(0) 本の話 

2008年05月17日

今週の授業。

先週も同じことを書いたと思うが…、もう土曜日。

仕事が平日に三日間あったため、あまり自分の研究が進んだような気はしないが、課題はそれなりに進んだし、仕事で面白いこともあったので悪い一週間ではなかったと思う。



今週の授業。水曜日は休講だったので、木曜日のみ。

2限:国際政治論特殊研究

ようやく授業の目的である史料読解が始まる。イギリスの公刊史料集であるDocuments on British Policy Overseas (DBPO) を読むのはこれが3冊目である。これまでに読んだのは、一昨年の授業で読んだ戦後直後の対英政策に関するものと、昨年夏に読んだYear of Europe & Energy Crisisに関するものだ。

DBPO以上によく知られた公刊史料集として、アメリカのForeign Relations of the United States (FRUS) がある。FRUSと比べてDBPOは収められている文書がより「厳選」されている印象があったが、これまで読んだ二冊と比べて、今回取り上げるヨーロッパ・デタントに関する資料はより「厳選」されている気がする。

今学期の授業では、MBFRに関する部分のみを取り上げるのだが、期間は4年半で収録されている文書はわずか36個(!)である。それだけ「厳選」されているので、ひとつひとつの文書はそれなりの長さがあるし、「どうでもいい」文書は入っていない。授業で読むのには適しているし、自分のように他分野を研究している者にとっては、先行研究ではなく史料からイメージを作る際には非常に便利なものだ。

とはいえ、やはりこの史料集からだけではイギリス外交史の論文は書けないな、というのが率直な印象だ。これだけ「厳選」されていると、編者がPrefaceや本文の中の説明で書いていることや、他の媒体で発表している論文を「超える」ことは難しいだろう。

もちろん、史料的なレベルの高さのみで論文の価値が決まるわけではない。これは人それぞれ意見があるだろうが、少なくとも自分は「実証か、面白さ」かと問われれば「面白さ」を取る。このDBPOからいかに面白い議論を作るか、という点の方が実は重要なのかもしれない。そういう意味では、一次資料を読んだことのない院生を対象とした授業で取り上げるにはいいテキストなのかもしれない。

ちなみに今週の授業で取り上げたのは三つの文書だ。1972年における軍部と外務省のMBFRに対する見方をまとめた文書がそれぞれ一つ、加えてMBFRの予備会談直前の対処方針(?)の文書が一つだ。

4限:国際政治論特殊研究

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内容についてはノーコメント。授業の際に先生がアメリカ人のある教授の言葉として紹介していた「今後のJapan Studiesでは、当面この本が一つのスタンダードになる」ということに、暗澹たる気持ちになる。一次資料に基づいた研究が蓄積されている時代についても、そうした研究を参照せずに書かれた研究書がスタンダードになるのは恐ろしいことだ。こうした研究に対抗するためには、向こうで英語で「対決」していかなければならないのだ。気長に頑張ろう(同志求む)。

5限:プロジェクト科目

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今週は著者を招いての講義だった。ヨーロッパ中世史ということで、教科書程度の知識はあれどほぼ未知の領域に踏み込んだ今週の授業は心配だったのだが、質疑応答や懇親会も含めて楽しいものだった。とはいえ、やはり自分に知識がしっかりない領域の場合、付け焼刃で勉強をしたところで結局はつまみ食いになってしまう。それでもやらないよりはやった方がいいだろう、ということにしておこう。授業の話は、来週の討論を踏まえてまた書こうと思う(これは書かないパターンかなあ)。



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『研究をする意味』(東京図書)という本がある。

生協(日吉)の新刊コーナーで買った覚えがあるので、刊行された2003年夏に読んだのだろう。本の整理をしていたら、たまたま本棚の奥から出てきたのでパラパラと読んでいて驚いたのは、自分がこの本を読んで思っていた感想やイメージとあまりに違うことだ。

学部二年生が読むのと、大学院三年目の院生が読んで印象が違うのは当たり前と言えば当たり前だが、ちょっと考えてみればそれは恐ろしいことだ。まだ公刊した論文もない自分にとって、少しでも誇ることがあるとすれば、これまでに読んできた本の量や幅が他の人よりほんの少し多かったり広かったりということくらいである。とはいえ、学部二年の時に読んだ印象と今読んでの印象がここまで違うとなると、それまでに読んだ本も、結局もう一度読み返さないとちゃんとしたことは言えないということになるだろう。

そこで思い出したのは、昨年ある授業で学部四年の時に読んだ研究書を改めて読んだことだ。学部四年の時は面白いなと思ったその本は、修士二年の自分には、議論の粗さや実証の甘さばかりが目についたのだ。人間成長するものだ。

こう考えてみると、この二年くらいに読んだ本以外は、読み返すとまではいかなくても眺め返すくらいはした方がいいのかもしれない。そんなことを考えても、自分の研究に直接関係しない場合は、実行することはないと思うのだが…。

ちなみに今回じっくり読んで色々と発見があったのは、東大法学部で国際政治を教える某教授のところだ。この2003年夏に出版された本で語っているとおりに進んでいれば、あんな研究書やこんな研究書が世に出ていたのかー、と思わずにはいられない。東大社研の共同研究である『現代日本』や『20世紀システム』の成り立ちや、そこに掲載された論文についてのコメントはそれぞれ興味深いものだった。

at 11:05|PermalinkComments(0) ゼミ&大学院授業 

2008年05月14日

悔しいので…。

色々あって購入してしまいました↓

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at 18:32|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2008年05月11日

再び読書会。

忙しい一週間を過ごしたからといって週末に休むこともなかなか出来ないのが大学院生活だ。いつまでも終わりのない研究生活だけに、うまく自分で時間を決めて休む必要もあると思うのだが、今週は勉強を優先した。というわけで、以下は今日の読書会の話。

準備会合を兼ねて論文を読んだ会合が第0回から第1回に格上げになったため、今日が第3回の読書会となった。三回続いた研究会は続くというジンクス(?)があるらしいので、うまく続けていけるといいと思う。

今日は、メインのテキストとして細谷雄一『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社、2001年)を取り上げ、サブテキストは、Klaus Schwabe,"Atlantic Partnership and European Integration: American-European Policies and the German Problem, 1947-1969," in Geir Lundestad (eds.) No End to Alliance: The United States and Western Europe: Past, Present, and Future ( New York: St.Martin's, 1998) と、D. C. Watt,"Rethinking the Cold War: A letter to a British Historian," The Political Quarterly, vol.49 (1978) の二本の論文だ。

門外漢ながらメインのテキストの報告を自分が担当し、ヨーロッパ外交史が専門の後輩がサブテキスト二本を担当した。報告原稿を作ったので、若干修正してここに載せておくことにしたい。

メインテキストが博士論文を基にした本だったので、メンバーの今後の研究を含めて色々と話すことができたので楽しかった。



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細谷雄一『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社)

1、目的/視角

 「本書は、第二次世界大戦後のヨーロッパにおいてどのように国際秩序が形成されていったのかを、イギリス外交を中心に論ずることを目的とする。その中でもとりわけ、一九四七年以降に英米仏三国間でどのようにして、西ヨーロッパの平和と安全保障の確立を目指したのかを、その外交交渉に注目して検討することになる。そして国際秩序の形成には、外交という伝統的な政治的叡智が極めて重要な意味を持つことを主張する」(3頁)。

 冒頭でこのように本書の目的を明らかにした上で、著者は、戦後ヨーロッパ国際政治史に関する膨大な数の先行研究の多くが?「米ソ冷戦史観」と?「欧州統合史観」に分裂していると指摘し、両者を統合的に論じることを本書の視角として設定している。
 結論を先取りすれば、本書が描き出す戦後ヨーロッパ秩序とは、「ヨーロッパ分断」体制を指す。著者の言葉を借りれば、それは「米ソ対立に基づく「勢力圏分割」とは本質的に異なる。むしろ、度重なる外交の結果形成された、より慎重で、より妥協的で、そしてより協調的な「分断ヨーロッパ」としての国際秩序」(15頁)である。

 この「ヨーロッパ分断」体制に至る過程でイギリスが求めたのは、1947年2月のヨーロッパ講和条約に帰結する「大国間協調」、ブリュッセル条約や欧州審議会に帰結する「西欧統合」、そして北大西洋条約に帰結する「大西洋同盟」という三つの枠組みに基づくものであった。本書は三部によって構成されるが、それぞれ第?部で「大国間協調」、第?部で「西欧統合」、第?部で「大西洋同盟」がそれぞれ検討されている。以下、簡単に各章の概要を紹介しよう。

2、本論の概要

 第?部「戦後平和の模索 大国間協調体制の展開と限界」では、1945年7月から1947年12月の、外相理事会における四大国の外交を中心に、大国間協調体制の終焉までが描かれる。ここではまず、「戦後ヨーロッパの「分断線」が、大国間協調の枠組みの中での外交交渉」によって引かれたことが指摘される(33頁)。1947年2月に提示された「ベヴィン・プラン」は「ドイツ分断」の可能性を実質的に志向するものであり、大国間協調体制の終焉に重要な意味を持った。その後、トルーマン演説(1947年3月)、マーシャル・プラン表明(1947年6月)とその後の交渉を経て、大国間協調体制は最終的に終焉を迎えるのであった。この過程で、マーシャル・プランの重要性をいち早く理解したベヴィンは大きな役割を果たした。

 第?部「西欧統合の胎動 英仏協調と西欧同盟」では、1948年1月から1950年5月の、西欧統合をめぐる外交が描かれる。大国間協調体制が崩れたことによって、イギリスは英連邦と西欧諸国の協力によるヨーロッパ「第三勢力」構想を志向するようになり、その具体的な形として「西欧同盟」を提唱した。しかしながらイギリスの西欧統合は、国家間協力としての西欧統合であり、「ドイツ問題」を背景に超国家的な統合を志向するフランスと対立することになった。結局この問題でアメリカの承諾を勝ち取り、イニシアティブを取ったのはフランスであった。シューマン・プランの表明を経て、西欧統合は、「イギリスなどの超国家的統合を敬遠する諸国を抜きとした、「小欧州」のみによる統合」(157頁)となったのである。こうして1949年10月には、「西欧同盟」構想は潰えることになり、イギリスは「第三勢力」構想を明確に放棄することになった。

 第?部「大西洋同盟の形成 西側安全保障とドイツ再軍備問題」では、1948年3月から1950年12月の、大西洋同盟形成をめぐる外交が描かれる。第?部で述べられているように、イギリスの「第三勢力」構想に基づく「西欧同盟」を求める試みは成功しなかったが、1948年3月以降、イギリスは西欧統合をめぐる交渉を続ける一方で、英米間で「大西洋同盟」をめぐる交渉を行っていた。交渉を経て1949年8月には北大西洋条約が正式に発効する。英米交渉の背景にあったのは、1948年2月のチェコスロヴァキア危機を受けてベヴィンがアメリカとの協力を求めるようになっていたことである。そして、「西欧同盟」から「大西洋同盟」というイギリス外交の変化に決定的に重要な意味を持ったのがストラング委員会であった。1949年2月に始まったストラング委員会の報告は、最終的に同年10月の閣議で了承され、「英米関係の緊密化」がイギリス外交の柱として据えられることになった。その後、「ドイツ問題」の再浮上を経て、1950年9月からは「ドイツ再軍備」をめぐる交渉が同年12月まで行われ、紆余曲折はありながらも北大西洋機構が確立したのであった。

3、結論

 以上に簡単に紹介してきたように、本書は1950年12月のNATO成立によって終わる。「目的」と同じく、結論も本書から引くことにしたい。
 「一九五一年にはもはや、戦後ヨーロッパ秩序の構図は誰の目にも明らかであった。「鉄のカーテン」を境界線として、二つのブロックが対峙する「ヨーロッパ分断」体制が形成されたのである。その分断線を越えて他方のブロックに介入するには限界があった。西欧諸国政府はあくまでも、西欧ブロックの内側での国際秩序の安定と経済復興を目指したのである。…この「ヨーロッパ分断」体制としての戦後国際秩序は、少なくとも一九八九年の東欧革命、そして一九九〇年のドイツ統一まで、その基本的枠組みを維持することになる」(249頁)。
 「国際秩序とは結局のところ、人間の手によってつくられるものである。そこには多様な利益や理念が集まり、それらが衝突し調整される中、そして相互理解が深まり妥協に到達する中で、現実の国際秩序が形成される。その過程を詳細に検討することは、平和の本質、安全保障の本質を理解する上で不可欠となるであろう。人間の行動に基づく作業である限り、そこに欠陥があり、問題があり、不満が残ることはやむを得ないだろう。しかしながら結果として、戦後世界で「ヨーロッパ分断」体制としての国際秩序を各国が受け入れ、その土台の上で相互利益の調整や危機管理を続けたのである」(252頁)。

4、若干のコメント

 以上の内容紹介を踏まえて、若干のコメントをしておきたい。本書の出版後、日本ではイギリス外交史研究が大きく発展を見せている。著者自身が多くの概説書・通史を表している現在では、第二次大戦後のヨーロッパ国際政治をイギリスの視点から描きだすことに違和感はそれほど無く、むしろその視点の方が自然に感じるかもしれない。しかし、我々が本書を評価する際には、本書出版以後の著者を中心とするイギリス外交史家の活躍による研究状況の変化を考慮する必要があるだろう。

 本書は、第二次大戦後のヨーロッパ国際政治について、「米ソ冷戦史観」と「欧州統合史観」を「戦後ヨーロッパの形成」という観点から統合するとともに、イギリス外交というストーリーの軸を設定することによって、膨大な先行研究との違いを導き出している。世界大戦の終わりはただちに新しい国際秩序をもたらすわけではない。その過程を外交史として描き出す意義は本書から十二分に伝わってくる。ただし本書の切り口や結論は、著者自身も断っているように、John W. YoungやMarc Trachtenbergの諸研究と類似している点は多いとも言える(著者の、Marc Trachtenberg, A Constructed Peace の評価については『国際政治』第129号参照)。
 もっとも、膨大な先行研究や着想が類似した研究の存在によって、本書の価値が下がるわけではない。むしろ、誰かが研究に手を付けているとそこには触れない傾向が強い外交史の世界にあって(この傾向はとりわけ日本の学界に強い)、本書のように史料的に新しさがそれほど無くとも、分析視角の斬新さによって新たな歴史像を提示することは極めて重要であり、歴史研究の持つ可能性を再確認させる。戦後ヨーロッパで行われた重要な外交交渉を、その流麗な文体で再現した本書は、学術書としてだけではなく一つの歴史小説としての面白さも兼ね備えていると言えよう。

 「戦後ヨーロッパの形成」を分析する際に、本書が重視するのが「外交」の役割である。「ヨーロッパ秩序形成」を巡って複雑に展開した外交交渉を描くことによって、その重要性とともに限界も詳らかにしている点は説得的である。とりわけ第?部で描かれるヨーロッパの「分断線」が固まっていく過程で、外交交渉が果たした役割が極めて大きいことは説得的である。冷戦史研究の観点からは軽視されがちな1945年~1947年に展開された外交の意義は、アメリカで進められた冷戦史研究への批判の観点からヨーロッパの外交史家によって強調されてきたものであり、本書の叙述からもその一端を伺うことができる。トルーマン・ドクトリン発表以前のヨーロッパ国際政治を考える上では、イギリスはアメリカ以上に重要な役割を果たしたと言ってもいいかもしれない。

 本書を通読して感じた一番の疑問は、「ヨーロッパ分断」体制は1950年12月に完成とは言えないのではないか、というものである。もっとも、この点に著者は自覚的であり、第8章や終章では1955年が重要だったことが示唆されている。さらに、著者の第二作『外交による平和 アンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治』(有斐閣、2005年)によって、この疑問に対する著者自身による回答は出されている。

 最後に、中西寛京大教授による書評(中西寛「外交の可能性への問いかけ ―細谷雄一著『戦後国際秩序とイギリス外交』を読んで―」『創文』2002年1・2月号)の中で本書に提示された疑問の中から三点を提示しておくことにしたい。?イギリス外交は、当時の指導者や官僚が考えていたほど一貫し、かつ影響力を持っていたのであろうか。?この時代に「外交」がもった意味は、やはり古典外交の時代とは違うのではないだろうか。?戦後国際秩序の中で、「ヨーロッパ」に対してはどれほどの比重が与えられるべきであろうか。以上の疑問は、本書が描き出す「戦後国際秩序とイギリス外交」を考える上で、どれも重要な問題である。それは本書の問題というよりも、むしろ戦後のイギリス外交そのものに潜む問題と言えるのかもしれない。

at 23:06|PermalinkComments(0) 本の話 

2008年05月10日

あっという間に…。

もう土曜日。

やらなければいけないことをやっているとすぐに時間が経ってしまう。「昨日の自分よりも成長しているか」という問いにすぐに答える自信はないけれども、「一週間前の自分よりは成長しているか」という問いには自信を持って「はい」と答えられるように毎週を過ごしていきたいのだが…。そんなわけで今週は色々と考え、悩みながら過ごした一週間だったような気がする。



今週の授業。

<水曜日>

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↑Part1:International SocietyのChapter3 A New Solidarism? が今週の範囲。

前章では、国際社会の近代化の歴史=Pluralismの原理にSolidarismの原理が接ぎ木されていく過程が描かれていた。その結論部分では、冷戦の終結によって、イデオロギーの共存原則ではなく、人類の連帯の原則に基づくグローバルな共同体を国際社会に取って代えることが「可能」になった、とされていた。

そうした国際社会の近代化過程を描き出しながらも、本章では楽観的・熱狂的なSolidaristの考えの限界を著者は指摘する。近年の国際政治を考える上で重要となる二つの要素として著者が掲げるのは、メンバーシップと境界の問題である。そしてメンバーシップを考える上で、第一に新しい国家を作る際の所有の安定・約束の履行を果たすための国家の重要性、第二に非国家アクターのメンバーシップは国家間の合意に基づくこと、第三に責務(Responsibility)を果たすべきアクターは誰なのか=国家以外に存在しうるのか、という三つの問題を著者は提起する。いずれも現代の国際社会を考える上での国家の重要性を改めて指摘する議論である。

この議論に対する批判としてまず考えられるのは、著者の国際社会観に潜む保守性(現状維持志向)に対する批判であろう。この批判は有力だが、それに代わるオルタナティブは存在するのだろうか。こう問われた時にいかに答えられるのか。納得がいくようないまいち納得がいかないような釈然とした気持ちになる議論だ。「これをその通りだと若者が思ってはいけない」というようなことを先生が言っていたが、重い問いであり色々と考えさせられる。

次回からは「主権」の問題がテーマになる。

<木曜日>

シンポジウム開催のため4限は休講だった。

2限:国際政治論特殊研究

今週は授業で扱うテキスト、Documents on British Policy Overseas (DBPO), Series3, Volume3, Detente in Europe のPrefaceが範囲。実際に授業で読むのはMBFRに関する部分のみだが、Prefaceは全体に渡るものである。個人的にはMBFRについて書いた部分よりも、英ソ関係に関する部分の説明( Cassandra to the Western Alliance )が興味深かった。

複雑なヨーロッパ国際政治の中でも特に70年代の複雑さは群を抜いている。陣営間の関係(東西関係)、各陣営内の関係(西西関係、東東関係?)、陣営をまたいだ二国間関係、陣営内の二国間関係のそれぞれが、政治・経済・軍事のみならず価値をめぐる領域に置いても複雑に展開される。

思いつくままに時系列も無視して出来事を挙げていっても、ドゴールによる対ソ外交及びNATO軍事機構からの撤退、アルメル研究、イギリスのスエズ以東からの撤退、EEC加盟、ドイツの東方外交、東西ドイツの相互承認、プラハの春、米ソデタント、ヨーロッパ・デタント、米中接近の影響、CSCE、MBFR、東西市場関係、石油危機、第四次中東戦争、ドル・ショック、SALT、NPT、ベトナム戦争、…etc.

しばしばこの時代はデタント時代と形容されるが、以上に挙げた様々な事象はデタントという言葉からのみでは説明出来ない。この複雑なヨーロッパ国際政治をどのような視角から切り取るのか、が研究の腕の見せ所になるのかも知れないが、これはちょっとしんどいなー、と門外漢としては思ってしまう。

今回の授業はこうした複雑なヨーロッパ国際政治について、先生から簡単な解説があったのでうまく次週以降の見取り図が示されたように思った。ちなみに今回も修士一年生の発言は発表者を除いてなし(だったように思う)。どうやらこれは今年の一年生の個性の気がしてきた。これは仮定の話だが、発表や討論の準備をした時には話せるのであれば、普段から思っていることを積極的に話していった方が授業全体にも貢献すると思うのだが。もったいない。

5限:プロジェクト科目

同じ時間に、ヨーロッパを代表する国際政治史家であるWilfried Lothの講演があった。そちらに行こうかどうかかなり迷ったのだが、Lothの論文や本を恥ずかしながらほとんど読んでいないので、それなら行っても仕方がないかな、と思いプロジェクト科目に参加した。

今回は、先週の講演を受けての討論だった。先週は、日本を代表するトクヴィル研究者である松本礼二先生が講師だった。もっとも、現在行っている研究についての講演ではなく、自らの研究来歴を研究史と重ね合わせながらざっくばらんに話すというものだった。それはそれで面白かったのだが、あまりにざっくばらんだったので、今週どのような議論になるのかは心配だった。しかし、ふたを開けてみれば、政治思想史を専門にする先輩のいつものことながら見事な発表で、思いのほか充実した話になったように思う。政治思想史家の考える、思想史研究の意義の話は、外交史家を目指す自分にとっても十分に考えさせるものだった。

もう一点興味深かったのは、トクヴィルは「オルタナティブを探すための思想家」「使いようのある思想家」というある先生のコメントだ。確かに様々な議論に様々な形で顔を覗かせるトクヴィルにはそういったイメージがある。

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『アメリカのデモクラシー』の新約(岩波文庫)は、2005年に第1巻が出てからストップしていたが、先月ようやく第2巻(上)が発売された。今月第2巻(下)も出るようなので、時間を見つけて一気に読んでしまいたい。訳者解説は第2巻(下)に付されるということなので、それも楽しみだ。もっとも今月第2巻(下)が出るのであれば、訳者解説を使って先週の講演をやっていただいてもよかったのではないかと思わなくもない。

at 11:09|PermalinkComments(0) ゼミ&大学院授業