2008年02月

2008年02月28日

私的「二・二六事件」。

歴史的には「二・二六事件」と言えば、戦前における日本政治の決定的瞬間となった、昭和十一年の陸軍青年将校による蜂起が思い起こされる。が、私的「二・二六事件」が一昨日発生。

史料読解の試験で失敗し、来年度も修士課程で過ごすことになりました。

九月の試験の時は、試験の前々日に急性腸炎で倒れて試験そのものを受けれなかったのだが、今回は至って健康でした。全くノーマークだった箇所(中世の皇位継承の話??)が出たため、全く出来なかったのだが、そういったリスクのある試験科目を選んだのだから仕方がない。試験問題を見た瞬間に「こりゃダメだ」と分かったので、英語の試験にも身が入らなかったのだが、そちらは(おそらくギリギリだと思うが)通っていたのは不幸中の幸いだ。

というわけで、やや凹んでいます。ただ、指導教授にも言われたように「長い眼で考えれば、蓄積の年数は変わりませんから、気を取り直して前進あるのみ」なわけなので、この一年を有意義に使いたいと思います。

今の実力のまま博士課程に進学し、博士論文に傾注するよりもこの一年があったことによって、より視野が広がり研究をする足腰が鍛えられればそっちの方がいいわけだ。これは、常日頃お世話になっている先生に言われたことだ。進学後の研究準備ももちろんやらなければならないが、この一年が無ければ出来なかったことをやっておくこともいいのかもしれない。

ともあれ、後から振り返って「あの一年があって良かった」と思えるように精進しますので、ご指導ご鞭撻のほどを。

来年度も「くそ生意気で態度はポスドクの修士の院生」を継続します。



そんな私的な出来事はともかくとして、出版界のニュースには楽しみなものが多い。

有斐閣からは、佐々木卓也『アイゼンハワー政権の封じ込め政策』、五百旗頭真・編『日米関係史』、渡邊啓貴・編『ヨーロッパ国際関係史 新版』の三冊が、名古屋大学出版会からは、田所昌幸『国際政治経済学』、遠藤乾・編『ヨーロッパ統合史』の二冊が、そしてNTT出版からは、飯尾潤『政局から政策へ』が年度末までに出るようだ。

最新の研究、水準の高い通史、そして師匠の新著など、ここに挙げた本をじっくり読むのが今から楽しみだ。

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2008年02月23日

休憩がてら更新。

午前中は暖かかいが午後になると強風が寒さを運んでくる、という天気予報が見事に当たったことに感心しつつ、休憩をかねてブログを更新。それにしても今日の風は強力で、大量の砂が舞い上がり、いっときは大学院棟から六本木ヒルズが見えなかった。あの砂はどこから来たのだろうか??



この一ヶ月ほどは仕事が立て込んだり、色々と忙しかったこともあり、ブログをあまり書いていなかった。論文を書いている間は、論文の内容を書くわけにはいかないこともあり、ブログに書くこともあまりなかったのだが、今は色々と書いておきたいことがたまっている。

取りとめもなく論文や本を読んで感じたことをただ書き連ねておくこともそれなりに意味はある(それをブログを使ってやる必要も無いのかも知れないが)。三月からはしばらく、修士論文のアウトプットと、研究のためのスキルアップ&インプットに時間を使いたいので、ブログを有効に使いたい。



拙いながらも修士論文を一応書き上げると、それによって見えてくるものがあるなあ、という自己満足に一ヶ月前は浸っていたのだが、この一ヶ月は論文に対して色々とコメントを貰って、自分の研究の意義などについてもう少し深く考えるようになった。褒められて伸びるタイプではないのだが、それでもそれなりに評価して貰えると嬉しいものだ。

当たり前のことではあるが、論文を書くために調査をしていると、そのテーマについて大半の研究者よりは詳しくなるものだ。ということは、細かい内容については、あまり突っ込まれることが無くなってくるということでもある。逆に細かい内容については、自分自身でストイックに追求していかなければならない、ということだ。

その細かい内容をさらに深めるために必須の資料が、この一ヶ月の間に随分と開示された。幸い論文の結論を大きく修正するようなものには当たっていないが、新たに開示された資料をどううまく使うか、ということが今後の課題になる。また、そもそも論文の枠組みがこのままでいいのか、ということもアウトプットをしていく中で考えていかなければならない。

こういったプロセスを何回も何回も繰り返し、さらに分析するケースを増やしていき、ようやく博士論文にたどり着くわけだ。博士課程での研究では、大体10年くらいの日本外交を検討したいのだが、修士論文で取り上げたのはわずか1年でしかない。当然、今思い描いている仮説もどんどん修正されていくのだろう。とはいえ、何年もかけて研究を続けて仮説が修正されないのならば、大して研究をする意味もないのかもしれない。

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2008年02月20日

こもごも。

HDレコーダーという便利なものがあるので、さくさく色々なものを録画してしまう。ドラマなども一度予約をしておくと毎週続けて予約をしてくれるし(録画しているドラマはないけど)、形式によっては全く画質が落ちないものもある。

この結果として、映画がとにかくたまるたまる。CMが入ると気が殺がれるので、録るのはもっぱらNHKのBSなのだが、最近はアカデミー賞特集や、先日亡くなった市川崑の特集など、とにかく色々録りためている。ミニシアター系で上映された邦画なども結構放送されるので、一週間に一度くらい番組表をチェックするととても見きれない量の映画がたまっていくのだ。

ちなみについつい見てしまったのが「細雪」だ。市川崑がこの作品の監督をし、それが1983年に公開されてしまったがゆえに、自分の名前がついたという映画である(分かる人には分かる話)。谷崎はあまり好きではないのだが「細雪」は例外的に嫌いではない。映画は、衣装やら家具やら出演者やら、とにかく豪華だな、という印象。

当分見る映画には困りそうにない。



毎月楽しみにしている御厨貴東大教授の連載「権力の館を歩く」。毎月第三水曜日朝刊に連載ということで早速新聞をチェックした。今回は「東京・日本橋、日本銀行本店」(リンク)。リンクを付けておいたように、インターネットでも記事を読むことは出来るが、出来れば新聞紙面で読んだ方がいい。やはり写真を横目に見ながら、縦書きの文章を読む方が雰囲気が伝わってくるというものだ。

我が家は、書評が充実していること、いくつか面白い連載があること(終わってしまったが「マンガの居場所」なども面白かった)、紙面の枚数がそれほど多くないこと、他紙の勧誘員があまりに失礼だったこと、等々の理由から「毎日新聞」を取っている。途上国的慣習の残滓はまだあるようで、たまに美術館のチケットをくれるのだが、あと一週間で終わるものを一枚だけくれるというのは、かなり困る。

そんな話はともかく、「権力の館を歩く」のように確かな学識に裏付けられた一般向けの読み物はとても面白い。自民党の機関誌『月刊自由民主』の連載)「忘れがたき政治家」もそんな読み物の一つである。とはいえ「忘れがたき政治家」は各回の執筆者が異なることもあり、出来不出来に差があるという難点がある。『外交フォーラム』にも、たまに「大英帝国の外交官たち」「アメリカ知日派(ジャパン・ハンズ)の系譜」といった連載モノが登場することがあり、専門の学術論文とは異なる面白さがあるのだが、残念ながら今はこういった連載モノはない。



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手元にあると便利なの本というのがいくつかある。『国際政治辞典』(弘文堂)『日本外交史辞典[新版]』(山川出版社)などの辞典類がその筆頭であるが、ほかに欲しいのは統計などのデータが載っているものだ。『近現代日本経済史要覧』(東京大学出版会)はそんな一冊だ。生協でちらっと見かけて気になっていたのだが、先日ある先生から薦められたので迷わず購入した。これが使える。江戸末期から現代までの統計資料、主要な出来事をまとめた年表、各内閣のデータ、主要な研究文献リストなどが載っていて3000円しないというのは非常に安い。

このネット時代は、経済的な指標も含めて色々な資料の多くはネット上でも見ることができる。しかし、やはり紙媒体の方が使い勝手がいい。ピンポイントで何かを探す場合にも、信頼できる情報に行く着くまでの時間が早いし、ついでに何か他の面白いものを見つける、というのは本だからこそということがある。

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2008年02月16日

飛んでる。

テレビでは「まだ花粉の飛散は確認されていません」と言っているが、絶対飛んでると思う。去年、一月末から花粉に苦しめられたことを思えば、今年はまだいいのかもしれないが、今週初めくらいから、とにかく目がしょぼしょぼする。この目のかゆみが鼻にくると、本格的につらくなってくる。この気持ちは花粉症の人にしか分からないんだろうなー。

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2008年02月13日

「建築の記憶」

少し前に行った展覧会がなかなか良かった、ということをふと思い出したので簡単に紹介しておきたい。

「建築の記憶 ―写真と建築の近現代―」と題した展覧会の概要は以下のとおり。

 建てられた地から動かすことのできない建築は、実際にそこを訪れない限り見ることはできません。また様々な理由により形を変えられてしまったり、時代の変化とともに失われてしまうこともあります。したがってわたしたちの建築体験の多くは写真によるものなのです。建築家の意図を的確に反映し、表現してくれる写真により、建築は多くの人々に共有され、歴史の中で普遍化されていきます。そして写真は、時として建築家自身も気づかなかった建築の新たな魅力を引き出してくれることもあります。
 展覧会には、記録として撮影された明治期の建築写真から、建築の魅力を独自の表現で切り取った現代の写真まで、約400点を7章構成によって展示します。竣工写真のみならず、構想段階である建築の模型を撮影した写真なども展示し、建築家の構想から現実化へのプロセスも紹介します。
 本展は、近現代の日本の建築を、同時代の写真家がどのようにとらえたかを辿りながら、建築史と写真史の変遷と接点を概観する試みです。これまで語られることのなかった建築と写真の関係を見据える視点を提示し、写真をとおして、それぞれの時代の建築に対する人々のイメージを検証します。(東京都庭園美術館HP)


美術館自体が貴重な建築物でもある庭園美術館(旧朝香宮邸)は、この企画にもぴったりの場所だ。それほど詳しくはないのだが、建築も写真も好きなので今回の展覧会は全体として大満足だった。明治初期から現代まで対象としており、開国後の150年を建築を通して鳥瞰出来るのもなかなかいい。戦前までの建築にぐっとくるのは、単なる懐古趣味だろうか。失われてしまった古い建物は写真でしか見ることが出来ない。西南戦争に関する本を読もうと思っていたところだったので熊本城の写真を見れたのも収穫だった。

建築家とともに写真家も詳しく紹介されているのも、この展覧会の面白いところだ。「建築」にばかり目が行ってしまったが、後から考えるともう少し「写真」に注目しても良かったのかもしれない。三月末までの開催らしいので、興味のある方は是非。そろそろ梅が咲いて庭園もきれいだと思います。

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2008年02月12日

気が付けば二月中旬。

修論関係の資料をキャレルや大学に置いてあるパソコンに入れていたので、執筆中はひたすらキャレル通いの日々が続いたのだが、修論を提出してからは、平日はフルタイムのバイトが連日続いたことや、研究会で他大学へ行くことが多かったことなどもあって、大学には数えるほどしか来なかった。物理的に大学に来れるにもかかわらず一週間以上大学に来なかったのは、大学三年以来初めてかもしれない。最近ブログの更新はもっぱら大学でやっていたので、更新も滞ってしまった。

二月に入ってから昨日が三日目(今日はこの後、大学に行く予定)。あとはバイト先周辺や、自宅近くの某国立大学で過ごしていた。国立大学の図書館は院生であれば自由に利用できるので重宝している。図書館もきれいで居心地もいいのだが、基本的に教養学部のキャンパスだからか蔵書はあまり充実していないし、学会誌や各大学の紀要が入っていないのが難点だ。まあ、各学部図書館や研究センター図書館に文献が分散しているのだから仕方が無い。



10日間も更新しなければ、その間に色々なことがある。勉強を兼ねて久しぶりに坂野潤治の本を読み返したり(といっても研究書の方ではなく、新書三冊と教科書)、中公クラシックスで再刊された高坂正堯『海洋国家日本の構想』を読んだり、『枢密院議長の日記』を読んだり、読書は比較的楽しくしていた。

こうやって、一見関係無さそうに思える本でも、だだだっとまとめて読んでみると思わぬ発見があるから面白い。坂野潤治の本で繰り返し強調されていたのは、「日本人は最新の西洋思想の導入には熱心でも、自国の近過去の思想には無関心」という警句だ。吉野作造の「民本主義」を高く評価しつつも、その各要素は「明治デモクラシー」の枠を一歩も出るものではなかった、と坂野は言う。なぜなら吉野作造の「民本主義」は、「明治デモクラシー」から学んだものではなく三年間の留学成果だったからである。

こうした吉野評価が正しいのかは分からないが、『海洋国家日本の構想』をぱらぱらと読んでいて坂野の言葉が頭をよぎった。1960年代に論壇で行われた論争は、どれだけ今の言論状況に影響を与えているのだろうか。もちろん、論壇で発言をする学者たちは、高坂正堯らの影響を強く受けているのだが、実際の主張や議論の中身に、高坂の主張(とその背景にある問題意識、論敵)はどれだけ生かされているのか。『海洋国家日本の構想』で展開されている議論は非常に刺激的だし、いま読んでも十二分に興味深いものだ。

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