2007年11月

2007年11月29日

11月もそろそろ終わり。

外でお酒を飲む日が続いたり、何となく疲れていたり、更新しようと思ったらブログがメンテナンス中だったり、そんなこんなで一週間ぶりの更新。日々の記録(主に勉強関係)を書いていたこのブログも、授業が週に一コマしかなく、時間の大半を修士論文関係に費やしている今の生活だと、あえて書くようなこともあまりないということだろうか。

この数週間で、朝晩の冷え込みが激しくなった。朝布団からでるのが辛い毎日が続く。仕事があればどれだけ寒い日だろうとちゃんと起きるのだから、朝布団から出られないのは精神力の問題に違いない、と自分に言い聞かせて頑張ってみる。効果はあるような無いような。



今更ながらという気もするが、『レヴァイアサン』最新号(第41号)について。特集「現代日本社会と政治参加」は、自分の研究にほぼ関係がないが、書評が珍しいくらい自分の専門分野に近かったので少し驚いた。掲載された書評は↓について

月村太郎『ユーゴ内戦』(東京大学出版会、2006年)
大森彌『官のシステム』(東京大学出版会、2006年)
新川敏光『日本型福祉レジームの発展と変容』(ミネルヴァ書房、2005年)
中島信吾『戦後日本の防衛政策』(慶応義塾大学出版会、2006年)
阪口功『地球環境ガバナンスとレジームの発展プロセス』(国際書院、2006年)
黒崎輝『核兵器と日米関係』(有志舎、2006年)
山本吉宣『「帝国」の国際政治学』(東信堂、2006年)
若月秀和『「全方位外交」の時代』(日本経済評論社、2006年)

『「全方位外交」の時代』の書評は、何と言うか珍しいタイプの書評なので一読の価値あり。

日本の書評はあまり論争的でないものがほとんどで、要約以外読む価値無しというものもある。それでも、書評は出来る限り目を通しておくといいと思う。あまり書評に書いてあることを信じすぎるのもいけないが、研究動向を知る上でも参考になることが多いし、自分の思い込みに気が付かせてくれることもある。自分の専門分野外のものなど、教科書をじっくり読むよりも、書評をまとめて何本も読んだ方が研究の論点がよく分かることが多い。専門が外交史だからだが、『レヴァイアサン』は記事よりも書評の方が読んだ数が多い気がする。

書評とともに今回面白かったのが編集後記。特集号を担当された先生の編集後記が↓

データ検索が非常に便利になったのは最近の現象で、新聞記事検索でも以前はそれのみに頼るのは危険だった。再分配政策決定過程で修士論文を書いた1980年代後半、私は図書館から生協まで100メートルほどの距離を何度も往復して四紙5~6年分の縮刷版を一度に4、5冊よろよろしながら運び必要な紙面の拡大コピーをした。最近、修士論文を書く学生に重要な部分のみでも新聞の縮刷版を見ることを勧めた。縦横無尽にデータ検索ができるはずの彼の「記事が紙面のどこにどの位に扱われているかが一目瞭然でとても有益だった」という報告は興味深かった。私の苦労も筋トレ(?)以外の意味もあったようだ。データ検索から得る情報、紙媒体からの情報、人から得る情報、全て異なる。便利さに流されることなく的確に情報を処理することにも研究者の力量は問われよう。

最近は、自分も記事検索と縮刷版を併用している。記事検索で漏らしてはいけない記事をピックアップして、その上で縮刷版をチェックするのが、最近のやり方だ。紙面での扱いを知ることは、同時期に重要だったニュースが何かを知る上でも役に立つ。逆にそれを知らないで必要な箇所だけテキストで取り出すことは非常に危険だと思う。

便利さといえば、CiNiiなどの論文検索サービスは便利なのだが、最新号が反映されるまでにやや時間がかかるのが難点だ。また雑誌によっては、ある期間がすっぽり抜けていることがある。自分が関係する学術雑誌は限られているのだから、新しい論文や書評は図書館で足を使ってチェックするのが一番いいのだろう。過去については、論文の註をチェックしつつ探していくのが経験上は一番確かな方法だが、それでも学術雑誌の目次をざーっとチェックすると思わぬ発見があるものだ。

at 22:41|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2007年11月23日

パーティー。

三田祭が昨日から始まった。キャンパス内は人人人。昨日は初日の平日ということで、例年よりは人が少なかったように思うが、それでも人が多かった。当然、今日は昨日以上に人が多い。

学部の間は一、二年はサークル、三年はゼミでブースを出し、四年のときは友人達の出した「カフェ・ド・コミンテルン」に入り浸り、と三田祭を満喫していたのだが、大学院に入ってからは「あー、みんなやってるなー」といった感じだ。去年は、友人と地酒を飲んだり、COEのシンポジウムを聞きに行ったりしたが、今年はキャレルにこもって論文を書いている。「中期抑鬱期」は脱したようで、今は順調に進んでいるので、論文をやるのも楽しい。

昨日は、夜バイト先の先輩の某賞の授賞式&レセプションに行ってきた。ゼミの先輩&バイト先の人たち以外は知り合いもいないだろうしどうしたものかなあ、と思っていたのだが、お世話になっている先生がいたり、他にも知り合いの方がいたり…やはり世間は狭いなあ、という感じだ。一流ホテルだけあって、食事がうまかった。

その後は、お世話になっている先生について二次会。加藤高明について書かれている研究者の方から戦前研究について色々な話を伺ったり、それがいつの間にか宝塚の話になっていたり、とにかく幅広く色々な話題が出て楽しい時間だった。が、いつもののことながら「口は災いのもと」という状況に陥る。最後にある方から、「修士論文でみんなを納得させないと(笑)」と言われてしまう。いつも気が付くと、自分でハードルを上げていってしまうのはなぜだろうか。

at 13:10|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2007年11月20日

師匠に会う。

af92e1d3.jpg

James Mayall, World Politics : Progress and its Limits, (Cambridge : Polity Press, 2000). 冷戦後の国際状況に対する深い問題意識を持ちつつ、国際社会、主権、民主主義、介入といった重要な問題を、思想的、歴史的、規範的側面を重視しつつ深く論じている。決して大部の本ではない。煩雑な引用等は出来る限り避け、問題の本質を考えることを優先しているといった印象だ。冷戦後の国際政治、そして現在の国際政治を考える上でじっくり読んでおきたい本だ。

そんなことを思いながら、今日は、修士論文執筆の合間にパラパラ目を通していた。う~ん、時間を取って熟読しておきたい。

なぜこの本が手元にあるかと言えば、この本が昨日大学であったセミナーの講師の先生の著書だからだ。このセミナーは一時帰国中の師匠が主催したもの。が、昨日は仕事が長引いてセミナーには参加できず。後輩のmixiを読むとかなり面白かったようで、出れなかったことが本当に残念だ。この本が手元に届いたのが昨夜、もし一日前に届いていれば仕事よりも優先して出たのだが…。



セミナーに出ることは出来なかったが、先週末に師匠に研究相談が出来たことは本当によかった。自分の問題意識と分析の視角、論文としての問いをまとめたものと、論文全体のアウトラインを持参しての研究相談は密度の濃いものだった。

論文のオリジナリティはどこなのか、それを支える材料は何か、とまず問われた。

こう質問されると、無駄な装飾を取り除いた時に見えてくる論文の骨組が明らかにされてしまう。修士論文のテーマとかなり近い領域をかつて師匠が研究していたこともあり、誤魔化しは一切効かない。自分があまり自信がない部分はもちろん指摘される。また、これまであまり深く考えずに使っていた議論の問題点も指摘された。しかし、様々な資料を読みながら組み立てた叙述部分の内容については、好意的なコメントをいただけたように思う。学部時代とは違う視点から様々なコメントを頂けたのがありがたい。

論文の意義付けの仕方は要検討、しかし中身はこのまま深めていけばいい。これが研究相談をしての結論。まあ、とにかく頑張って書ききれ、ということだ。



今年の夏は、修士論文のテーマそのものの資料がまだあまり無かったこともあって、その背景にある国際政治を中心に資料を読みこんでいた。ダイナミックに動く米ソ関係や米欧関係を調べていると、自分が研究対象にしている日本外交がいかに狭い世界で動いているのかがよく分かった。国際政治学として外交史(国際関係史)を学ぶのであれば、日本外交をやるよりもアメリカ外交やヨーロッパ外交をやった方が面白い、という気がした。

それでも、自分の研究テーマについて色々と資料を読んだり考えたりするうちに、少し違った視点が見えてきた。ちょっと見方を変えることにより、これまでとは違う日本外交のイメージが提示できるのではないか、と思ったのだ。そう思ってからは研究は比較的順調に進んでいたのだが、調子に乗って筆が滑っていた部分は見事に師匠に指摘されてしまった。自分の研究テーマを「面白くする」ということは、ある編集者の人に言われたことだが、これは最近ようやく意味が実感できるようになってきた。もう少し正確な表現を使えば、「面白さを発見する」ということだ。

アメリカにおいてAmerican Political Developmentがやや特殊な位置にあるように、日本でも日本政治や日本外交の研究はやや特殊な位置にあるように思う。その特殊さは様々な点があるのだろうが、その一つは「面白さ」ではないだろうか。多分、自分が米欧関係の研究や資料を読んで感じる「面白さ」とは違う「面白さ」が日本外交研究にはあるはずだ。その「面白さ」が、修士論文執筆を通して見つかればこれ以上に嬉しいことはない。

at 23:32|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2007年11月19日

グッド・シェパード、めがね。

観たい映画は星の数ほどあれど、なかなか観ることが出来ないのがこの数ヶ月だ。どれだけ忙しくても、一日に一本映画を観ようと思えば観れると思うのだが、空いた時間を映画にあてるといった生活のリズムになっていないのだ。

それに関係しているのが、テレビの故障。我が家でメインに使っていたテレビが故障したため、今リビングに置いてあるのは俺よりも年上の骨董品のようなテレビだ。説明が面倒なので省くが、今まで観れたBSがこの数ヶ月は見れないのだ。NHKのBSでは、結構いい映画がやっているので、結構それを観ることが多かったのだが、それが今はまったくないのだ。

結果、10月は観た映画がゼロ本、という状況になっていた。11月になってからも相変わらずだったのだが、ちょっと前に「グッド・シェパード」(公式HP)を観た。確かにこれまでのスパイ物なんかとは違って、徹底的に人を描いているのは面白いのだが、細部がやや気になるのは、インテリジェンス関係の学術書を今年何冊から読んだからだろうか。

映画館で映画を観るのは本当にいい気分転換になる。これは何度もここに書いているような気がするが、映画館は映画を観る以外にすることがないし、何かに邪魔されることもない。家でDVDで観ると、トイレに行きたくなればすぐに行くし、生活音に邪魔をされることもある。やっぱり映画館で観る映画はいい。

再確認すると、うずうずしてくるのは根が映画好きだからだろう。先週の土曜、一時帰国中の師匠に研究相談をした後、時間が空いたので映画を観て帰宅。観たのは「めがね」(公式HP)。研究関係に頭を使った後は、「ゆるい邦画」が観たくなる。ゆるりとしたいい映画でした。

ちなみに土曜は、午前中に研究相談を終えて、「午後は休日にしよう」と思い立ったのだが、その後の過ごし方は…?図書館で師匠の修論&助手論をコピー、?ついでに近くにあった師匠の師匠の論文もコピー、?カフェでコーヒーとともに論文を味わう、?「めがね」、?帰宅し夕食を済ましてからE.H.カーの評伝を読む、というもの。

一日終わって、今日はゆっくり色々読めたし、映画も観れたし、研究相談もできたし、いい一日だった、と思ったのだが、よくよく考えると読んでいるものは論文と注付きの学者の評伝だ。別に小説でもよかったのだが、なんとなくこのチョイスになった。小説と論文が交換可能とは…、確実に「知的変態」になっている自分を再確認した。

at 19:55|PermalinkComments(0)映画の話 

2007年11月15日

今週。

今週も気がつけばもう木曜日という事実にハッとさせられる。

先週は色々やっている内にあっという間に一週間が終わってしまったが、今週はまず風邪から始まった。周りで風邪が流行りだしていたので気をつけなければ、と思っていた矢先だったのだが…。九月の時のようにベッドにへばりつく生活が何日も続いたわけではなく、家で論文関係のことをやっていたので実害はそれほど無いのだが、やはり精神衛生上あまりよくない。何と言うか、身体は素直なようで、体調が良くない時に書いたものには、キレみたいなものがないのだ。

体調も良くなってきたので、サクサクっと書くものを書いてしまいたい(妄想)。

そんな妄想や願望はともかくとして…、この数日は、秋晴れと小春日和がセットになったような過ごしやすい日が続いている。今朝も抜けるような青空であまりに気持ちがいいので、病み上がりにも関わらずつい走ってしまった。



7b65e80d.jpg

なぜか家に毎月届く『三田評論』(リンク)の11月号が珍しく外交を特集していた。基本的に慶應関係者の話なので、塾外の人からすると煙たい雑誌なのかもしれないが、今回の特集は若手の学者の短い論考が載っていたりするのでなかなか面白いのではないだろうか。しかし、外交特集の号に登場しても「若き血」についてしか語っていない日本外交史専攻の名誉教授ってどうなんだろう。



『三田評論』について書いていて思い出したのだが、こういった内部関係者向けのPR誌のようなものは意外と使えるものがあったりするのだ。例えば自衛隊関係でもそういったPR誌はいくつかあって、完全に内部限りのものもあるようだが、外部の人間でも読むことができるものもある。そこには新聞等からは伝わってこない自衛隊内部の声なんかが聞こえてくるので、バックナンバーをぱらぱら見ているだけで戦後日本の安全保障研究をする上では参考になったりするのだ。

それよりはもっとオープンなものだが、ともに今は存在しない『通産ジャーナル』(後継誌『経産ジャーナル』)や『経済と外交』(後継誌『外交フォーラム』)などは、研究を進める上で重要な資料の一つになる。『通産ジャーナル』は通産省のPR誌で、政策担当者のレポートや重点政策紹介などが充実しているし、省庁の当時のスケジュールなどを確認するのに有用だ。新聞から通産省関係の記事を拾い読みするよりも効率的でいいかもしれない。

『通産ジャーナル』ほど知られてはいないが、これまた使えるのが『経済と外交』だ。外務省経済局監修で1959年から1988年まで発行されていた雑誌で、『通産ジャーナル』と同様に政策担当者のレポートが充実している。後継誌の『外交フォーラム』は学者の記事などが多く、また読み物としては面白いが研究資料としての価値は下がる。それに対して『経済と外交』は地味にひたすら政策について淡々と書いてあるため、研究資料としては使いやすいし後から読んで色々な発見があるものだ。同時期の『通産ジャーナル』と『経済と外交』を読み比べてみると、何かと権限争いをしたりすることが多い外務省経済局と通産省の職掌の違いや、特定の政策における一種の「棲み分け」が自然と見えてくる。

外交史研究をする場合、とかく当時未公開だった資料に目が行きがちだ。機密度の高い安全保障研究などの場合は事情が違うのかもしれないが、少なくとももう少し一般的な外交研究の場合は、こういったPR誌などは意外と使えるものだということが、自分の研究を進めていてよく分かるようになってきた。

at 10:10|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2007年11月11日

先週。

気が付くとあっという間に一週間が過ぎていく。フルタイムの仕事がある日が二日あるのが、こう感じさせるのかもしれない。月火水は、淡々と仕事に行って、院ゼミに出て、と過ごしていた。そんな週前半と比べると、週後半は密度が濃かったような気がする。

1b5bf50c.jpg

履修登録はしていないのだが、興味のある回は出席させていただいているのが木曜のプロジェクト科目(政治思想研究)。今週は『トクヴィル 平等と不平等の理論家』が課題書だった。学部時代に受けていた政治理論史の授業と同じく、分かりやすい語り口が印象的だった。ちなみにこの本は、今年のサントリー学芸賞を受賞。今回のサントリー学芸賞は、何となく全体的に「軽め」の本が多かったような気がする。もちろん受賞作はどれもいい本なのだが…。

金曜は、ある奨学金の申請があった。そのために現在の研究についてまとめた論文を書いたことが今週の成果だろうか。先輩にアドバイスを貰いつつまとめたのだが、出来はいまいち。ただし昨年自分が書いたものと比べれば大分良くなったように思う。自分の研究の意義を専門よりも少し広い文脈で説明することは、奨学金の申請にとどまらず非常に重要なことであり、今回はそれを確認するいいチャンスだった。

そうやって頭を整理した上で論文に取りかかると、これまではちょっとひっかかっていた部分が意外にすらっと書けるようになっていたりするのが、嬉しい発見だった。短い文章に自分の言いたいことをまとめる、というのは実に重要なことだということを身を持って実感した。

他にも色々と今週はあったのだが割愛。



大学院に進学したときは、就職した友人たちが仕事をしっかりやるのと同じように自分は研究(&勉強)に取り組もう、なんてことを思っていた。この心構えそのものは今も大事だと思うのだが、ちょっとでも間違えるとダークサイドに落ちそうになるから要注意だ。

危険なキーワードは「二十四時間戦えますか」。このブログのサブタイトルにも一時期使っていたことがあるが、今はある後輩のパソコンの壁紙に書いてあった。ちなみにリゲインの公式HPからオリジナル壁紙がダウンロードできる。研究は、とにかくやればやるほど深みにはまるというか、自分の知らないことがどんどん増えていく、限りがない。そんなときに、ふと考えるわけだ。二十四時間戦えば何か見えてくるんじゃないか、と。

これは、ダース・ベイダーからの囁きなので注意する必要がある。「無用の用」というのは重要で、頭にしても身体にしても、鍛えた後に休ませることによって回復するのだ。ま、メリハリが大事なのは当たり前だし、それくらい気が付けよ、という感じだが。

そんな当たり前のことを夏前は見失っていたのだが、夏からはまあそれなりにゆるりと過ごしながら研究を進めている。不思議なもので、少しゆとりを持ってやるくらいの方が研究も進んでいくのだ。この一週間は飲んでばかりの気もするが。さて、このやや余裕のある生活がいつまで続くことやら…。

なーんてことを、先週後輩のパソコンの壁紙を見て思った今日この頃。

at 11:49|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2007年11月05日

「シリーズ国際関係論」

国際政治「学」の本の話。

fdd08a62.jpg
c39b4625.jpg
30a0d306.jpg

東京大学出版会から刊行中の「シリーズ国際関係論」(全5巻)。同じ東京大学出版会から出ている「講座国際政治」や「国際政治講座」のような論文集ではなく、「現代政治学叢書」「社会科学の理論とモデル」に近いシリーズだ(ちなみに、東大出版のシリーズ物は未刊が数冊出ることが多いのだが、このシリーズは無事完結しそうだ)。

ちょうど国際政治理論の確認をしたかったこともあり、毎月新刊が出るごとに買って読んでいる。こういったシリーズの常だが、各巻によってやっぱりコンセプトが微妙に違っているな、という印象だ。編者の紹介では、「『シリーズ国際関係論』は、国際関係論の成果を総合することによって、……古くて新しい課題に挑戦するものである」(各巻の?頁)ということなのだが…。

これまで出ているのは、『国際社会の秩序』『平和と安全保障』『国際政治経済』の三冊。どの巻にも共通しているのは、古典的な研究と最新の研究成果をバランス良く盛り込んで紹介していることだ。また平易な文章と豊富な事例紹介によって、複雑な内容も分かりやすく読むことができる。長さも適度であり、教科書として読むにはよいシリーズではないだろうか。

ここまではいいのだが、残念なことにこの先のコンセプトがいまいち不明確なのだ。各章をテーマごとに分け、古典的研究と最新の研究を織り交ぜつつ紹介することは共通している。しかし、肝心の部分が各巻で全く異なっている。それは、本全体の位置づけだ。

『国際社会の秩序』は、「はじめに」で明らかにされるように、国際秩序を成り立たせる価値規範を取り上げている。第1章「国際社会という問題」が総論的に置かれ、並列的に置かれる各章とは違った大きな視点を示している。その上で各章が構成されているのだが、各章の議論も、代表的な論者の紹介だけでなく、それぞれの議論に対する著者の見方が明示されているし、「おわりに」では、「本書がたどりつくことができる結論があるとすれば、それは次のようなものであろう。われわれが生きるこの国際社会には、秩序がある。その秩序の仕組みは、幾つかの秩序構成価値規範を見ることによって、描き出すことができる。しかしその仕組みとは、常に変化しているようなものであり、描き出した瞬間に姿を変えてしまうようなものである。だがそれにもかかわらず、否、それだからこそ、われわれは国際社会の秩序というものに、時には思いを寄せてみるべきである。なぜならわれわれは、その変容する国際社会の秩序の中で、生きており、今後も生き続けていくからである」(237頁)と控えめながら明確な結論が述べられている。これは、本書が政治思想史的な側面を重視したことによるのかもしれない。なお、著者の政治思想史研究に対する造詣の深さも本書の大きな魅力の一つである。『国際社会の秩序』は、教科書としても読めるが、著者の問題意識が明確に示され、さらに全体を通しての結論もあり、研究者にとっても読み応えのある本となっている。

『平和と安全保障』には、「はじめに」ではなく「序章」が置かれている。序章では、現代の複雑化する国際安全保障問題について紹介するとともに、現実主義、制度主義、自由主義という三つの理論的枠組みを示し、それぞれ第?部「権力による平和」、第?部「制度による平和」、第?部「自由と民主主義による平和」で論じられている。「三つの国際関係理論を知的羅針盤として用いて複雑化した現代安全保障問題を分析しながら、各理論に包含されている平和創造装置の実効性と問題性を検証すること」(12頁)が本書の目的として提示されている。とはいえ、本書の各部の議論は並列的に並べられているだけで、それを横断的、統合的に論じているようには感じられてなかった。終章「安定的平和と現代国際秩序の狭間」では、各部の議論を踏まえて著者の見方が提示されている。しかし、この終章において、唐突に「国際秩序」というキーワードを提示し、それが「国際平和を脅かすリスクに対して国々が採る行動の相互作用によって、規範というかたちで形成される」(201頁)ものと構成主義的な観点から定義され、さらに「一般的に、国際秩序は、現実主義、制度主義、自由主義の規範の緊張関係のうえに成り立っている。しかしながら、時代の推移とともに、国際秩序の枢要な規範は、現実主義から制度主義そして自由主義へと前進と後退を繰り返しながらゆっくりと推移してきた」(同上)と表明されていることには違和感を禁じえない。各章ではバランス良く様々な研究を紹介しているだけに、なぜ終章で唐突にこういった議論が出てくるのかがよく分からないのだ。「はじめに」に対応した「おわりに」ではない「終章」だからだろうか。結論的に構成主義的な視点を提示するならば、本論部分でその検討をすべきであろう。本書の結論部分に高い点数はつけ難いが、各章は非常にバランス良く読者にとって非常に有益である。

『国際政治経済』の目的は「主に大学生および大学院生を対象に、IPE理論をわかりやすく紹介し、解説すること」(3頁)である。自分の研究対象と関係があることもあり、読んでいて色々と参考になったが、本書は「IPE理論を紹介する教科書」以上でも以下でもなく、当然ながら議論のまとめをする「おわりに」も「終章」もない。各章のおわりに、「本章の要点」が箇条書きで置かれているのは、受験勉強のためだろうか(何の?)。

だだだっと紹介してきたが(一気に書いたので悪文だが)、どの巻もそれぞれの章はバランス良く様々な議論を紹介している点は共通している。とはいえ、本全体として見た時の出来には大きな違いがある。どの本をどのように評価しているかは、改めて書くまでもないだろう。

ともあれ、今月刊の『国家の対外行動』、来月刊の『国際関係論の系譜』も楽しみだ。「教科書やカタログ的には使えても一冊の本として読み返す気が起きない」本ではないといいのだが。

at 21:50|PermalinkComments(0)本の話 

2007年11月01日

寝坊から始まる11月。

新しい一ヶ月が始まることだし気合いを入れてやっていこう、と昨日寝る前は思っていたのだが、初日から寝坊してしまった。

外が寒くなってくると、布団から抜け出すのがつらくなってくる。身体のリズムはちゃんとしているから、遅くても七時半くらいには目が覚めるのだが、ついつい二度寝してしまうのが、秋から冬にかけてのこの時期なのだ。二度寝した瞬間はいい気分なのだが、起きた時にちょっと凹むのはなぜだろう。

そんな寝坊した日に書いても説得力がないが、今月は10月休みがちだった走り込みを再開したい。あ、プール通いでもいいかな。ともかく筋トレとかではなく、身体を動かしたい。



最近、研究書を読むことがめっきり減っている。代わりに読んでいるのは、一次資料と教科書ばかり。いい研究論文を書くためには、いい研究論文を読むのも大切だと思うので、気分転換も兼ねて何か読みたいのだが…そう考え出すとなかなか読みたいものが決まらないのはどうしたものか。

at 17:00|PermalinkComments(0)日々の戯れ言