2007年08月

2007年08月31日

夏の終わり。

八月も今日で終わり。夏休みはまだまだ続くわけだが、気分的にはほとんど終わったような気分だ。この数日は涼しい日が続いているし、夏は終わりなんだなー、と感慨にふける。



8月30日付で第20回外交記録公開が行われた。日本外交史研究にとって、本来一番の基本になるべき資料はこの外交記録公開によって公開された諸文書ということになるはずだ。しかし公開スピードが遅いこと、重要な資料がいまだに公開されていないこと、公開されるまでにかなり文書が選別されていること、など諸々の理由があり、日本外交史研究であっても諸外国の資料に依存することは多いのが現状である。

ネット等では、今回何が公開されたのか詳しく確認できないので早速今日行ってきた。思い立ったらすぐ行ける距離に外交史料館があるのは恵まれていることなのだろう。大学まで徒歩15分といったところだろうか。

もし自分の研究対象に関する資料が公開されていればラッキーだな、と思って行ったのだが残念ながら今回も公開の対象外だった。「30年ルール」に従えば、もう1977年の文書まで公開されてもいいはずなのだが、今回の公開もメインは50年代から60年代までである。結局こういった状況だと、情報公開によって得られる断片的な資料、英米など諸外国の資料やオーラル・ヒストリー、回顧録、新聞といった二次資料によってしか、新しい時代(といっても30年前)の日本外交像は描けなくなってしまう。

今回の公開では、一部で報道されている沖縄問題、マレーシア紛争やヴェトナム戦争、コンゴ動乱といったいくつかの国際紛争、ジュネーブ会談やヨーロッパ統合など、SEATO、東南アジア開発閣僚会議、GATT35条問題などが外交史的には面白いところになるのだろう。国際紛争関係は前々回から引き続いて公開が行われている。読んでいけばなかなか興味深い資料であるのだが、こういった公開のされ方だとまだまだ外務省が公開していない重要な資料があるのではないか、と思われてしまうだろう。

時間をかけてしっかりと見たわけではないが、個人的に面白かったのは日仏定期協議の関連資料だ。定期協議は様々な形でいくつかの国と行われているが、幅広いテーマについて話し合っているので、その時代の日本がどのように国際情勢を認識していたのかといったことが、『外交青書』などよりももう一歩突っ込んだところで見えてくる。補助線的な意味で使うと面白そうな資料である。

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2007年08月28日

よく歩く生活。

最近よく歩いている。

今日は、大学と六本木にある某大学院大学を往復。パソコンを取りに大学へ行き、六本木で研究関係のオーラル・ヒストリー(あまり関係ないものもついつい見てしまった)をチェックして、その後は大学へ戻ったわけだ。

去年と今年の前期は金曜夕方から授業があったこともあり、大学がある三田から六本木まで歩くことは多いのだが、六本木から三田へ戻ってくることはほとんど無い。思い返すと卒業記念「植樹」をした日は、六本木で昼飯を食べて大学へ戻ったような気がする。確かその時は先輩&友人と話しながら歩いて来た。何回も通った道も、逆方向だと意外と新鮮なものだ。一人で周りを見回しながら歩くのは、いい気分転換になる。

普段は上っている坂道は下りだし、建物も左右逆に見える。そんなちょっとした違いだけで新鮮なものだ。これが出来そうなのは外務省⇔三田である。いつも家から外務省までは電車を使い、外務省から三田までは歩くことが多い。三田→霞ヶ関を歩くとまた違った景色が見えるかもしれない。

ただし、往復するとそれなりの距離になるようで、今は足に疲れがきている。



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あるオーラルを読んでいたところ意外な発見があった。先週暑い夜の供をしてくれたのは、城山三郎『官僚たちの夏』だが、その登場人物の一人のモデルとなった人物(山下英明元通産事務次官)がオーラルでそれについても話しているのだ。小説だからもちろん様々な脚色はしているわけだが、この小説はかなり詳しい取材に基づいて正確に話を進めているようだ。ちょっと詳しく調べてみても面白いのかもしれない。

こんな発見があるのがオーラルの面白いところだ。

自分で一次資料を一部でも読んだ上でオーラルを調べていくとその限界のようなものがよく見えてくる。確実に言えることは文書資料の代わりとしては、かなり限定的な意味しか持ち得ないということだ。細かい事実関係であれば新聞の方がよほど詳しく出ている。そんなことを言いながら、今やっている研究のきっかけの一つはあるオーラルだ。色々な限界を持ちながらも、色々なヒントが隠されている、色々な使い方が出来るというのがオーラルの資料としての魅力なのだろう。



そんなことをしているとあっという間に時間が過ぎていく。順調に色々進んだ八月もそろそろ終わりが近づいている。最高気温はまだまだ高いのだが、朝晩はそれなりに過ごせる気温になってきた。今日も六本木までの往復で倒れそうになるということもなかった。

過ごしやすくなってくるのはいいことだが、皆既月食の日を直撃して雨を降らす必要はない。一風変わった月見酒を楽しみにしていただけに残念だ。

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2007年08月26日

コピー三昧。

最近、色々とやる気の出ることが続いている。この調子があと数ヶ月続いてくれればいいのだが…。



昨日は午前中に家庭教師があったので午後から大学へ行ったのだが、木曜の記事に書いた雑誌記事のコピーをひたすらやっていた。

再確認したのは、コピーカードを購入する瞬間の複雑な気持ち。あー、これ今日何回目だろとか思うのはあまり良くないが、読まないといけない二次資料がどんどん増えていくのは素直に嬉しいものだ。結構頑張ってコピーしたなあ、と購入の瞬間に思うわけだ。でも、やっぱり一日にコピーカードを二枚以上使うのはちょっとやり過ぎかもしれない。

論文や雑誌記事をコピーをしていると何となく充実感があるのは自分だけだろうか。記事や論文の題名、著者、概要はチェックした上でコピーするわけだから、確かにある程度は把握しているわけだから、多少の充実感があってもいいのかもしれないが、しっかりと内容も読まないといけないからコピーをしているわけだから、それだけで満足していてはいけないのもまた確かなことだ。

これは、基本的には、本(学術書)を買っただけで半分くらい読んだ気持ちになるのと同じ心理状態である。まず「あとがき」を読み(これは趣味の問題)、その後に目次と序章&終章をチェックし、注や参考資料をチェックする。本を購入し、さらにこのわずか10分ほどで終わる作業をするだけで、本を半分くらい読み終えた気持になる。これも自分だけかな。

ちなみに小説は、買って本棚に並んでいるのを見るだけで気分が良くなってくる。この子はいつ読んでやろうかな、と考えると楽しいからかもしれない。

大したことでなくても充実感があるのは精神衛生上いいことなんだろうけど、それでは実際の勉強や研究が進まないこともまた確かだ。ひとまず今日は昨日コピーした資料を読み切る作業を終わらせないといけない。

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2007年08月23日

研究の話。

梅雨明けしてからようやく本格的な雨が降ったからか、今日は驚くほどいい気候だった。風が爽やかだ。そんな日だけど、以下は研究の話。

外交史をやっていると、「資料、資料」とそればかり強調しがちになるのだが、実際に重要なのは資料を使って何を言うのか、ということである。よく出される例は、ドゴール外交に対するスタンレー・ホフマンの同時代的な研究だろう。ホフマンの研究はその後の研究の大きな壁になっているのだが、それは一次資料を用いていなくてもホフマンの研究がドゴール外交の真髄を鋭く指摘しているからである。その後の研究は工夫をしないと資料を駆使して、ホフマンの主張の正しさを再確認するだけになりかねない。そうであるならば、読者は一次資料を駆使した読みにくい外交史書よりも、ホフマンの研究を読むべきだだろう。ちなみにドゴールについては近年注目すべき研究が相次いで発表されている(らしい)。

「実証は大切なことだが当たり前のことを実証しても面白くない」というのは師匠がゼミで常々言っていた台詞である。

というわけで、今日は自分の研究対象についての同時代的な文献を読み込んだ。自分が新しいことを言ったと思っても、それが当時当たり前のことでは仕方がない。当時の常識が完全に忘却されている場合はそれを指摘することにも意味があるのだろうが、俺の場合は現代史というか同時代史なのでそういったケースはあまり考えられないのだ。

当時の新聞や有名な文献はすでに読んでいたのだが、やや対象を広げた結果、とにかく色々な文献が出てくる出てくる出てくる。一次資料を一部読んでいたため、当時の議論の間違いなどが分かるのは面白いことである。ちょっとやる気が上がり、色々と調べなおしていると発見が多い。

が、発見が多いのは歓迎すべきことだが、あまりに多くても凹むというものだ。今まで自分が調べていたことの意味は何だったのだろうと考えてしまう。今日の調査では事実関係に関する新しい発見はそれほどあったわけではないが、同時代的に当たり前に読まれていた文献に今まで気がついていなかったことが分かりややショックを受けた。

休刊になっている雑誌は曲者だ! というのが今日の結論。その存在に気が付いたのが、つい先ほどなのでこれから全部を調べるのはもう無理だ。もう少し長く図書館を開けてほしい。明日仕事を終えた後もあまり時間が無いので、本格的に調べるのは土曜日になりそうだ。

嗚呼、気になることをすぐに調べられないのは気持ちが悪い。

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2007年08月22日

早起きは三文の得。

早朝に起床して水やり&運動、というリズムが出来てから毎日が快調だ。運動も出来て、時間も有効に使えて、さらに気分がいい。早起きは素晴らしい。そんなこともあって、悩んでいる暇があれば身体を動かせ、というのが真理だと実感する今日この頃。この調子で研究も進んでいけばいいのだが…。

快調なのはいいのだが、時間が過ぎるのが早いというのも悩みの一つだ。毎日気が付いたらいつの間にか夕方になっているというのは、どうにかならないだろうか。ま、それなりにやることも進んでいるのでいいと言えばいいのであるが。時間が早く過ぎると、何となく損した気がする。



久しぶりに書評を紹介。先月読んだ二冊が共に毎日新聞で紹介されていたのだ。

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井上寿一『日中戦争下の日本』(リンク
君塚直隆『女王陛下の影法師』(リンク

ちなみにこの二冊はそれぞれ他の新聞でもちょっと前に紹介されていた。



今日は、お台場の友人宅へ。友人が作ってくれたグリーン・カレーを食べながら飲むビールはなかなか旨い。ここでも脱カレーに失敗。本日二食目のカレー。でも美味しかったから没問題だ。昼間の暑さとはうって変わって風が涼しく気持ちがよい夜。海沿いの公園を歩いて、頭をからっぽにすると日々の疲れが吹き飛ぶ。

何となく夏バテを脱しつつある気がする。

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2007年08月20日

日々是良好。

調子に乗って運動し過ぎたのが、土曜日のこと。運動を終えて48時間が経過した辺りから筋肉痛の足音が…。そんなにひどくはないのだが、この時間差に凹む。そんな年を感じさせてくれる筋肉痛でも、ただ夏にバテたのとは違い、運動の結果だから納得もいくし、気分がいい。

夏らしい楽しみの一つは、夏らしい小説を読んでみることだ。青春小説も夏らしいと思って読んでみたのだが、山田詠美の『僕は勉強ができない』(新潮文庫)に手を出した辺りで、バランスを取るために自主規制。それにしても昔読んだ小説を読み返すと全然感想が違ったりするから面白いものだ。

といっても、小説を読むのは基本的に休憩時間&夜なので、昼間に読んでいる資料に夏らしさを感じたいのだが、これはどうにも無理なようだ。というのも、自分の研究でメインに取り上げている時期が秋から春なので、資料もそこに当然集中しているのだ。やっぱり「福田ドクトリン」辺りの研究をしていれば良かったのだろうか。そうすれば「現地の雰囲気を感じたいので」とか言って、東南アジア歴訪の旅にも行ってこれた気がする。「福田ドクトリン」は1977年の夏に発表されたので、今年が発表から30周年ということになる。ちょうど今、安部首相がインドネシアに行っているのだが、あまり話題になっていない。福田赳夫の息子が総理の座を争ったライバルだからということもあるかもしれないが、あれだけ選挙でボロ負けして外遊をしても影響力には限りがあるというものだ。話題にならないのも当然か。ともあれ、30年後に各国の資料が開いた時に、今回の参院選や外遊をどう評価しているのかを見れるというのは今から楽しみだ。

閑話休題。小説の話でした。

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昨晩読み始めたのは、最近テレビでもよく特集が組まれている故城山三郎の『官僚たちの夏』(新潮文庫)。10年ちょっと前にNHKがドラマ化した時に見て、面白かったので読んだのがこの小説に接したきっかけ。ドラマを食い入るように見ていた息子を見て、親父がさっと文庫本を渡してくれたのを覚えている。ちなみに手元にある文庫本は、昭和55年初版なので俺よりも長生きだ。

中学で二回、高校で一回、大学で一回と読んでいる記憶があるので、今回で五回目になるが、読み始めるとやる気が出てくる。まあ、俺が単純なだけかもしれない。今の感覚からすると暑苦しいくらいの官僚(いわゆる国士型官僚)が主人公なのだが、主人公だけでなく登場人物がとにかく魅力的だ(情けない登場人物も含めて)。

政治学なんていう学問をしっかりやるようになってから読むのは初めてなので、今回は少し読んでいて話の見え方が違う気がする。政官関係を感じられる、そして高度成長期の雰囲気を感じられる、という意味でも貴重な小説なのかもしれない。

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2007年08月18日

気持ちのよい朝は身体を動かせ。

小学校の時の夏休みはあんなに長かったのに、今の夏休みは何でこんなに短いのだろう、と心の底から思う。とにかく時間が流れるのが早い。気が付けば、もう八月も半ばを過ぎて後半に入っている。夏休みも残すところあと一ヶ月と少しといったところ。

田舎で少しリフレッシュしたからか、見た目には疲れているらしいが、最近は快調な毎日を過ごしている。昨晩はゆっくり眠れる気温だったこともあり、今日は久しぶりに爽やかな朝を迎えた。やや曇りがちではあったけれども、窓から入ってくる風の涼しさはとても気持ちがいいものだ。

そんなことを思ったのが間違いだった。ひとまず走ってくるか、と思い30分ほどランニング。朝食後、何となく体力が余っているような気がしたので、プールでひと泳ぎ。やっぱり運動は最高だな、と思って大学に向かったのだが…、昼食後辺りから何となく全身に疲労感が。調子に乗ってオーバー・ワークになってしまった。

でも、この身体の疲れは心地よい。

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2007年08月16日

夏を楽しむ思考法。

暑いですね。

なんて言葉が常套句の今日この頃。そんな中でも今日はかなりの暑さで、昨夜の最低気温は30℃を超えていたらしい。つまり日の出直前の時点で30℃あったということだ。そんな暑さのためか、大学へ着いた時点で滝のような汗汗汗。一時間近く汗が引かなかったような気がする。

しかし、そんな暑い暑い言っていても夏は楽しめない。

夏が暑いのは当たり前のことで、それを言うこと自体は四季を愛でていることと同じであるはずだ。ただ、春の桜に思いを馳せたり、秋の味覚や紅葉を楽しんだり、冬の炬燵でぬくぬく過ごすのと、夏を過ごすことは何かが違う気がするのはなぜだろう。

確かに、好きな研究をやり、休憩がてらに小説を読む、という生活は楽しいし充実していると思う。でもそれって、よく考えたら夏じゃなくても出来るじゃないか。そんなわけで、夏を夏として楽しむ方法を頭の中で模索する。脱・文句。

日焼けした肌でヒップホップを聴きながらノリノリでデタントに関する論文をコピーする某後輩にはかなわないが、ひとまずケミカル・ブラザーズやボブ・マーリー聴きながらノリノリで資料を読んでみた。ちょっと夏を楽しんだ気分になる。が、図書館から院棟へ移動しただけであっさり思考停止。何というか、一歩歩くごとに思考力が下がっていく感じだ。

やっぱり考え方から変えないといけないのかもしれない。

「暑いね!」ときた瞬間に「ビールが美味しいね!」と反応できるようにする、というのも一つの手である。が、酒は夏じゃなくても飲むし、ビールは冬でも美味い。でも、このオプションを増やしていくというのはいいかもしれない。

暑いね!→ビールが美味しいね!
暑いね!→プール日和だね!
暑いね!→シャワー浴びると生き返るね!
暑いね!→冷房って素晴らしいテクノロジーだね!

う~ん、なんか暑苦しい。でも一番上は本音。そんなわけで、夏を乗り切るいい思考方法が無いかを模索しながら過ごす日々。文句を言いながらも今年の夏はそれなりに楽しく過ごしているような気がします。

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2007年08月15日

労働日。

家事、仕事、家庭教師で一日が終了という労働日。

そう書いてみるときつい一日だったようにも思えるが、仕事場はお盆だからか極端に人が少なくゆる~い雰囲気だった。仕事場全体で集中力が欠如している感じ。こんなことでいいのだろうか。そんな中、一人今日は快調で色々とやることが進んだ。職場の図書館にこもって文献を探索しているとなかなか発見が多く、あっという間に時間が過ぎていく。

これは全くの趣味だが、最近気に入っているのが、図書館の分類(日本十進分類法)でいう280から始まるコーナー。ひたすら古今東西の伝記や回顧録があり、目次を見ているだけで飽きない。へー、こんな本もあるんだ、と見つけて手に取ってみる時の楽しさは分かる人にしか分かるまい。

趣味はただ楽しめばいいわけだが、研究関係の資料は読めば読むほど分からないことが増えていくのが困る。今日もそれは実感。研究の楽しさは、精一杯やりきった時に初めて見えると信じて頑張ろう。加えて軽いショックだったのが、昨日書き終えたはずの研究動向論文から次々に見つかる誤字脱字&ミス。修正修正。

いつもならばきつい仕事後の家庭教師も、部屋から花火が見えたり、何やら休みらしい雰囲気でそれほどきつくはなかった。とはいえ、この暑さと一日の労働は身体に応える。ビールビール。

明日からはまた大学が開くので、また大学通いの生活が始まる。

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2007年08月14日

大人のための物語。

夏は一日が長い。

日が出ている時間も長いし、夜も目が覚めたりするから長い。そんなわけで、普通に過ごしているだけで盛り沢山な一日になる。が、家族が旅行中で家にたまたま一人ということもあって、一日誰とも話さなかったことに今になって気が付く。

家事をして、屋上の植物たちに水をやって、近所の大学へ行って研究&読書をして、日が沈んでからひとっ走りして、シャワーを浴びて、食事をして、カフェで勉強&読書をして今。ゆったりとした一日になったのは、昨日一昨日の田舎生活のおかげだろう。あとはゆるりとした音楽たち。

ゆったりとしながらも今日は色々なことが大分進んだ。とりあえず、毎日だらだらと少しずつ修正を続けていた研究動向論文がようやく完成。まあ、戦線を拡大しすぎたためにオーバーコミットメントに陥ってしまったわけですが…。とはいえ、次にもう少し絞ったテーマで書くときのための叩き台、これまでの勉強のまとめとして書き上げた意味はあるのだろう。何となく自分の研究の立ち位置のようなものも見えてきたような気がする。

修士論文は局地戦なので、戦略を立て直してじっくり攻めることにしよう。

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長い一日だと、休憩時間&夜の読書時間だけで短い小説なら読み終えることができる。「猫小説」は昨日の夜、正確には今日の朝、読み終えたので、今日は同じ著者の『この人の閾』(新潮文庫)を読んだ。会話の妙みたいなものを保坂和志の小説には感じる。みんな、いろいろなことを考えていても会話になると何も考えていないようにみえるものだ。それでいながら、ふとした時にその言葉の奥に潜むものがみえてくる。そんな会話の面白さを存分に感じさせてくれるのが『この人の閾』だ。確か芥川賞受賞作。それにしても、何で日本では新人賞である芥川賞や直木賞が有難がられるのだろうか。文学賞なら谷崎賞などの方が面白い作品が多いように思うのだが…。

そんな会話の妙みたいなものを同じく感じたのが、この前読んだ『センセイの鞄』。共通するのは「大人のための物語」というところ。同じ小説でも、自我が行間からもにじみ出てくるような青春小説とは、全く違うから面白い。落ち着いているようでも心は動き、だけど若者のように激しくはない。幸せなようで、底抜けの明るさがあるわけでもない。どこかしらで醒めた自分がいる。読んでいると、そんな感覚になってくる。やっぱり次に目指すべきは脱・自意識過剰か。「俺が、俺が」じゃ大人としてはちょっと。

たまたま『この人の閾』の解説(大貫妙子)を読んでいた時に目についた文章があった。

保坂さんとは、ほぼ同世代ですが、私は世代でものを見ることはあまりしない。人は点で存在し、点であることが健全だと感じ、点は世界中に年齢も人種も関係なく分布し、徒党を組んだりしない。けれど、同じ匂いには敏感で、響きあう。そういう関係が好きだし、保坂さんもきっとそういう方だと想像する。(『この人の閾』241頁)


全てに共感というわけではないが、「けれど、同じ匂いには敏感で、響きあう」という考えなど全く同意。そう考える自分が、日本外交史を専攻し、基本的には「日本」を主語に研究を考えたりしている。世代どころか国際構造とか、秩序とか、そんなところに説明変数を求めて、日本をひとくくりにして論じている。この辺の折り合いは自分の中でどう付けているのだろうか。

人間の頭の中はよく分からないもんです。

at 23:40|PermalinkComments(0)本の話