2007年07月

2007年07月31日

睡眠力。

「体力の限界」などと大げさに書いてみたものの、一晩ぐっすり寝たらあっさりと回復した。

睡眠の力は偉大だ。ただ、夢の中にまでマイクロのリーダーが出てきだような気がする。そんなわけで寝覚めはやや微妙だった。昨日見たわけではないが、最近夢で外国人に何かをまくしたてられる。もちろん何を言っているのかはよく分からない。英語の場合もあればそれ以外の場合もあるのだが、何となく正しい外国語を俺の夢の中の登場人物は話しているような気がする。俺の頭の中はどうなっているのだろう。フロイト先生に解説していただきたい。

今日で七月も終わりだ。七月中に終わらせようと思っていた作業の一つが終わっていないのがここと残りだが、七月はそれなりに充実した一ヶ月間だったのではないだろうか。

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2007年07月30日

体力の限界。

やや寝不足のまま一日休むことなく仕事をして、夕方から大学へ。

さて頑張るぞ、というつもりだったのだが、ちょっとやっただけで体力の限界を感じる。働いている人達は偉いなー、と思う。が、ここでもうひと頑張り出来るかが重要なのだろう。

ひとまず今日は早く寝て英気を養うことにします。

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2007年07月29日

うむむむむ。

午前中、投票&家庭教師を済ませてから大学へ。

図書館が閉まっているのに大学へ行っても仕方がない気もするのだが、今日はこの後の行先の通り道だったので…。その行先は本郷である。先々週の台風で流れた研究会があったのだ。今回は、テッサ・モーリス-スズキ『北朝鮮へのエクソダス』の書評と、1950年代半ばの中国に関する研究発表の二本立てだった。

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書評を担当したのは、この本とほぼ重なる時代の日中関係を研究している方だった。先行研究もしっかりと読みこんだ上での書評ということで、やはり博士号を持っている人の書評は一味違うのだなあ、と思わされた。ちなみに本についてはやや辛めの評価。手法的には外交史、書き方はドキュメンタリー、テーマは極めてデリケートな問題、本自体も複雑。それが今日の研究会にも表れていたような気がする。

学術研究としての手堅さはもちろん必要だが、『北朝鮮のエクソダス』のような文章が走っている研究をいつか書いてみたいものである。

もう一本は、大学院の先輩による発表だった。研究の「中間発表」的な位置づけたったと思うので、ここに内容を書くことは出来ないが、ちょっと感じたことがあるのでそれを少しだけ。それは、中国研究という独特な世界の存在だ。特にそれを感じさせられたのは質疑応答の時である。外から中国研究を眺めて感じるのは、イデオロギー・政治路線・経済政策などが混然一体に論じられていることへの違和感である。これらの相互関係を論じた研究があれば面白いと思うのだが。

いつもであれば飲みに行くのだが、今日は選挙結果が気になるので帰宅。選挙の話はまたそのうちに書きます。

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2007年07月28日

書評にうなる。

本格的に夏休みスタートといった感じで、キャンパスには本当に人が少ない。それでも、ピザーラで後輩に遭遇したり、院棟にはいつもの面子がいたり、変わるような変わらないような…。

驚いたのは図書館が六時で閉まるという事実。春休みもそうだったはずだが、すっかり忘れていた。しかも日曜日に至っては図書館は開いていないし。週末はまた近所の大学図書館に通うというのもいいのかもしれない。

色々な作業をしている息抜きにふと思い出して図書館へ行き、予告されていた時点で気になっていた書評をコピーした。

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以前にも紹介したことがあるこの二冊のPR誌。左は有斐閣のPR誌『書斎の窓』で、右は創文社のPR誌『創文』だ。出版社のPR誌なので、紹介されているのは自社の本であるわけだが、今回はそのどちらにも外交史関係の本が紹介されていた。

『書斎の窓』には、君塚直隆『パクス・ブリタニカのイギリス外交』、服部龍二『幣原喜重郎と二十世紀の日本』という昨年末に相次いで刊行された二冊の外交史研究書をまとめた書評が掲載されていた。時代も扱っている国も異なる二冊であるが、こうやって並べてみることによって一冊の本の意義をより広く考えられるということが分かる。

『創文』は、川嶋周一『独仏関係と戦後ヨーロッパ国際秩序』の特集ということで、研究者二人による書評と著者自身による論考が掲載されていた。著者の論考は別として、研究者二人の書評は比較対照して読むとなかなか面白い。片やヨーロッパ外交史の専門家による書評、片や日本外交史研究者による書評である。当然内容に対するコメントは、ヨーロッパ外交史研究者による書評の方が細かく検討されているわけだ。しかし自分にとって面白かったのは、日本外交史研究者による書評の方だ。これはもちろん自分の専門が日本外交史だからだと思う。しかし、書いている内容は日本外交史研究者に対するものではなく、より大きな意義を持ったことだと思う。

…国際秩序の重層性という指摘を行うのはたやすいことであるが、実際に多次元的な関係性を読みやすく書くことは至難の技である。複数国の外交文書に基づく、マルチ・アーカイヴァルな接近方法を採れば、自動的に実証性の高い研究が生まれるという考えは実は間違っている。役者の数が多いほど、劇作家は主役と脇役を上手に配する構想力を身につけねばならないのである。多次元的な分析の難しさを、ドゴールに焦点をあてることで解決した点は、著者の慧眼であると思う。

こう書いたり考えたりすること自体はそれほど難しくもないし、書いていることはごくごく当たり前のことである。しかし、国際秩序と独仏関係を描いた外交史研究書の書評としてこれが書かれていること、さらに『近代日本の国際秩序論』の著者がこれを書いていることの重みは大きい。さて、自分の研究はどうしたものだろうか。

そう書いてみたものの解決方法はしっかりしている。修士論文は、そんな大きなことをやる必要はないし、一番大事なことは「堅実」にいくということ(これは何人かの先生に言われたことでもある)。まずは、どんな登場人物がいるのか、そしてその登場人物がそれぞれどのように動いていたのかを資料に基づいて明らかにしていくこと、この作業がこれから数ヶ月の課題になるわけだ。

何となくやる気がさらに出てきました。

そしてそのやる気をそぐのが、サッカー日本代表の戦いぶり。アジアカップは初戦以外全て見ているだけに残念だ。ああ口惜しい。

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2007年07月27日

君塚直隆『女王陛下の影法師』

発売前から楽しみにしていた『女王陛下の影法師』を、ようやく本日午前中に入手しました。一気に読み終えたので紹介しておきます。やや硬い紹介になってしまったような気がしますが、とにかくお薦めの本です。

※著者のこれまでの作品については、『パクス・ブリタニカのイギリス外交』刊行時に書いた書評(リンク)を参照されたい。

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君塚直隆『女王陛下の影法師』(筑摩書房)

 200近い国家がある中で、現在君主制をとる国は28ヶ国となっている。これにイギリスのエリザベス女王を国家元首としている英連邦諸国(コモンウェルス)の国を加えれば、43ヶ国が君主制を採っているということもできる。この数字を多いと見るか少ないと見るかは人それぞれなのだろうが、地球上の大部分を君主国が支配していた第一次世界大戦以前の時代と比べて、君主制国家の数、そして全体の中での影響力が低下していることについては異論はないのではないだろうか。
 そんな現状を反映してか、君主制に対しては時に冷ややかな意見が出されることもしばしばある。君主制国家の「本家」であり、本書が取り上げているイギリスにおいても「ダイアナ事件」以来、王室への風当たりが強くなることもあったという。しかし著者は「王室というものが、華やかで絢爛豪華たる雲の上の存在でしかないなどと考えるのは、あまりにも現実を知らない意見だというほかない」という。王室の各メンバーは日々の公務を通じて、様々な形で国民の生活に影響を与えているし、他国との親善において果たす役割もきわめて大きい。そして時には、首相の決定といった国政の場面でも無視できない役割を果たしているのである。

 ここで少し視点を変えて「側近」について考えてみたい。政治という魑魅魍魎が渦巻く世界において、「側近」は様々な点できわめて大きな役割を果たしてきた。今もっともよく知られている「側近」は、小泉前首相の秘書官を務めていた飯島勲氏だろう。小泉政権を考える上で飯島氏の果たした役割を無視することはできない。逆にその対比から安倍首相には「側近」がいない、と嘆く声もよく聞かれる。ワンマンと言われた吉田茂であっても、白洲次郎や「吉田学校の優等生」たちといった「側近」が周りにいて彼を支えていたのである。
 一口に「側近」といっても、それは秘書官といった形で制度化されている場合もあれば、私的なブレーンといった形をとる場合もある。現代の日本政治を例に考えてみれば、先に挙げた飯島氏が務めた政務の首相秘書官や官房長官が首相の「側近」としての役割を担っているといえるだろう。この二つの役職は、首相との距離が近いということもあるが、前者は首相と政治家・官僚を、後者は政と官をつなぐという役割を果たしていることが大きい。同じような意味で官房副長官も首相の「側近」として注目されるべきポストである。とりわけ90年代以降の日本政治を考える上で、複数の政権にまたがってその任にあたった事務の官房副長官の役割は無視することができないだろう。これらのポストには、的確な行政手腕、首相との人間関係の構築、情報収集力といった様々な能力が求められる。
 こういった「側近」の役割は、通常それほど表に出てくることはない。むしろ何かの危機が起こった時に「側近」の欠如という問題が表面化してくるのであろう。現在の皇室はまさにそういった問題を抱えているのではないか、と著者は問いかける。それでは王室を抱える国家の「本家」ともいうべきイギリスは、この「側近」の問題をどのように取り扱ってきたのであろうか。

 『女王陛下の影法師』は、近現代のイギリス君主制を支えてきた秘書官に焦点を当てることによって、イギリス王室と側近、より広くはイギリス政治と王室の関係を明らかにしている。中心的に取り上げられているのは、ヴィクトリア女王の時代であるが、その前史や20世紀以降についても詳細に論じられている本書は、初学者であっても比較的容易に内容が分かるように書かれている。
 ヴィクトリア時代は、女王秘書官(国王秘書官)の地位が確立していく時代であった。そこには様々な蹉跌があり、徐々に制度は確立していくのであった。著者はこのヴィクトリア時代を対象に、すでに二冊の研究書(『イギリス二大政党制への道』『パクス・ブリタニカのイギリス外交』)を発表している。そういった背景知識に加えて、王立文書館に所蔵されている王室関係文書、各大学図書館に収められている秘書官達の文書を幅広く読み込んで本書は執筆されている。こうした確かな学問的背景の中に秘書官たちの歴史が位置づけられることによって、本書は初学者でも読めると同時に学問的意義も持った政治史研究となっている。
 
 先に簡単に論じた「側近」の問題は、どちらかといえば本書のテーマの制度的な側面である。『女王陛下の影法師』が面白いのは、制度的な側面への確かな認識がありながら、同時に人間関係や各秘書官たちの個性を活写していることである。そのバランスの良さ、叙述の巧みさは、本書の大きな魅力となっている。様々な興味関心を本書は喚起してくれるだろう。具体的な内容・エピソードを細かく紹介するのはやめておこう。平易かつ深みのある『女王陛下の影法師』に、ぜひ多くの人に触れてもらいたい。

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2007年07月26日

はじまる夏バテの季節。

昨日のアジアカップの結果にショックを隠せません。

両中村、高原がいまいちの動きだったし、怪我をした後の阿部の動きもいまいちだった。ちゃんとしたチャンスを作ったのは、どれもセットプレーからだったし。そんなことはどうでもいいのだが、とにかく勝って欲しかった。これでは結局、決勝は「中東カップ」で準決勝は「北東アジアカップ」だ。

日曜日は、サッカー&選挙速報を肴に酒を飲むつもりだったのだが、準決勝が行われるのは土曜日なので、その計画も崩れてしまった。これはこれでスペシャルな宴になるはずだっただけに残念だ。

そんな失意の内に始まった一日。ひとまず暑さにやられる。これはどう考えても梅雨明けしている。夕方の雨なんかは梅雨の雨ではなく夕立だと思うのだが…。very humidな天気。ビールが旨いのはいいのだが、その前に疲れきってしまう。某後輩は、気温と太陽光の強さに比例して元気になるという不思議な体質を持っている。少しでいいのでその体質を分けて欲しい。

飲み会もあったので、結局ビールを大量に飲んで帰宅。

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2007年07月25日

入手出来なかったので… 。

昨日から一部ファンの間で楽しみにしていた『女王陛下の影法師』(筑摩書房)だが、書店への入荷にはあと数日かかるということで今日は入手出来なかった。

今日は午前中に情報公開請求を行い、午後は『女王陛下の影法師』を読んで、夜はアジアカップを観るという「休日プラン」だったのだが、その計画は崩れてしまった。そんな話を大学のカフェでだらだらと話す夕方のひと時。それにしても、『女王陛下の影法師』に限らず、『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』、半年に一冊ペースの『アステイオン』などなど、大学の中でもかなり一部のメンバーで買い占めている気がする。そのお陰なのか、『アステイオン』などは、この数号は大学生協としては異例の大量入荷という状況になっている。

仕方がないので生協で代わりにいくつかの本を購入。そんなに趣味の読書に使う時間も無いのだが…。

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左から竹内洋『大学という病』(中公文庫)、飯尾潤『日本の統治構造』(中公新書)、五百旗頭真『占領期』(講談社学術文庫)。いずれも最近出たばかりの本である。それぞれ歴史社会学(教育社会学?)、政治学、政治外交史の専門書と一般書の間くらいの本ということになるのだろうか。

『大学という病』は、2001年に出た単行本が文庫化されたもので、単行本を読みたい読みたいと思っているうちに時間が経ってしまい買い損ねていた。というわけで文庫化を機に購入したわけだ。戦前の東京帝国大学経済学部における派閥対立の歴史、というワクワクする話題がテーマ。

『日本の統治構造』は、最近相次いで中公新書から刊行されるポリティカル・サイエンス系の政治学者による日本政治モノの流れの一つになるのだろう。この一連の著作をこれまで読んできて、正直なところやや期待外れ感が否めない。オリジナリティ、自分の専門分野とのシナジー、ワクワク感、そのどれもがいまいちだったのだ。どれも入門者向けの本ではあったのだが…。さて、この本はどうだろうか。

『占領期』はもちろん「20世紀の日本」版も持っているわけだが、何となく購入してしまった。コレクター魂が無いと言えば嘘になる。英雄譚に酔いしれたくなったら読もうと思います。シリーズ物の一冊ということで単行本の表紙は味気無かったが、文庫版はなかなか怪しい写真だ。何で「靖国神社と米軍」なのだろう。

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2007年07月24日

いい一日。

午前中は労働、午後から大学へ行きひたすら研究関係の雑務を夜までこなす、その後は語学を少しやり、後輩たちと一杯ビールを飲んで帰宅。外は梅雨明けひたかのようないい天気なので、休憩していても気分は晴れやかだ。いい一日。

それにしても、研究をやればやるほどお金と時間が飛んでいくというのはどうにかならないのだろうか。明日は今日の成果を基に情報公開請求をしてくるつもりなのだが、時間的には修士論文関係は多分これが最後の請求になる。請求を出すだけでこんなにお金が無くなるなんてやりきれない。

とはいえ、そのために色々と調べていると楽しいので、それはそれでいいわけだ。ネット社会の恩恵を今日ほど感じたことはない。無料でどこからでも使える各種データベースも充実しているし、大学内だと電子ジャーナルもかなり充実している。ちなみに電子ジャーナルも「keio.jp」にログインすれば学外からもかなりの部分を見ることができる。英文の学術雑誌はかなりの部分が電子ジャーナルになっているのでこれはかなり助かる。

データベース関係で一番お世話になるのは、田中明彦研究室の「世界と日本」だ。年表は研究関係の調べ物に重宝するし、多数の文書が載っているので読んでいるだけでも楽しい。ここの文書を読んで楽しいと思うのは、日本中でもそんなに多くはないと思うけど…。

とはいえ、インターネットがいかに便利でも目に優しくないのは確かだ。半日パソコンの前にいると目がチカチカするし、疲れがたまってしかたがない。やっぱりじっくり読むならば紙に限る。

明日は某公爵の本の発売日です。

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2007年07月23日

ツインタワーの違い。

今日は、我が大学の二つのタワーの違いについて。

二つのタワーとは、「勝ち組タワー」ことロースクール棟と「負け組タワー」こと院棟である。本当の勝ち組は学部を卒業して就職するわけだが…。それはさておきこの二つのタワーの違いは、建物がロースクール棟は新しく、院棟は古い、など見た目の違いから、勉強環境の違いまで色々ある。

最近レポートを書くために、ロースクール棟のパソコンをずっと使っていて気が付いたのだが、この二つのタワーは生息する人間の雰囲気まで大きく異なる。「勝ち組タワー」の人たちはイライラしている人が多い。一方の「負け組タワー」の人たちはとにかく暗い。この違いは何からくるのだろう。

どちらの空気にも染まりたくない。

というわけで自分の世界に没頭して研究&勉強をやっていこうと思う。と書いてみたものの、これってやっぱり暗いよなあ。

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2007年07月22日

夏休み~。

最後に残っていた授業課題が終了!

というわけで本日午後6時からは夏休みがスタート。といっても、一杯飲んでスタート、というわけにはいかず家庭教師が夏休み最初にやったことになってしまった。しかも、その家庭教師から帰宅する途中、渋谷で電車を降りると目の前を「院棟の神様」がペタペタ歩いていた。院棟からこれだけ離れたところで見かけるとは思っていなかっただけにショックは大きい。

スタートはあまり良くない夏休みだ。

七月いっぱいはちょこちょこと残っている「仕事」を片付けるとともに、新たなる資料収集へ向けた準備をやっているうちに終わってしまいそうだ。で、八月九月は「24時間論文論文」という生活になるのだろうか。どうせならば、書いていてワクワクするような論文を書きたいものだが、なかなかそう簡単には行ってくれないのが難しいところだ。

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