2007年05月

2007年05月30日

積読解消作戦。

休講期間にやるべきことはたくさんある。そのうちの一つが積読状態になっている本達の「処理」だ。といっても時間は限られているので、多くても一日一冊程度しかこなすことが出来ない。というわけで、ばらばらに読んでいっても仕方が無いのでテーマを決めて読んでいる。

どのテーマかというのが問題なのだが、無難なところというか「小泉内閣関係」に結局なってしまった。最終的には昨日紹介した二冊の本まで休み中に行き着きたいところだ。

と、今日の成果を書評していたところ突如としてブラウザがダウンして、書いたデータが消えてしまった。ほぼ書き終えていたのに…。ちなみに書いていたのは↓

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書きかけた書評をざっくりまとめれば「バランスはいいけど、オリジナリティはどこにあるのだろう」ということに尽きる。こう書くとかなりきつい評価に読めてしまうが、政権の内政・外交双方の主要政策をバランス良くコンパクトにまとめた類書は無いので、本書は特に初学者にとって有用なのではないだろうか。

記事が消えると萎えます。

at 23:32|PermalinkComments(2)日々の戯れ言 

2007年05月29日

行ったり来たり。

本来ならば授業がひとコマあったはずの火曜日であるが休講。そんなわけで朝から家の近くのカフェで勉強をしたり、雑用をこなしたりしていたのだが、人と会う用事がいくつかあったため結局昼前に大学へ行った。

学生は立ち入り禁止かと思いきや、荷物を取りに行くことは可能だし、生協は時間短縮ではあるが営業していた。というわけで、置きっぱなしにしていた本を持ち帰ると共に、新たに生協で本を購入。前回&今回は、新書が中心だったのですぐに読むということは出来ないのではないだろうか。

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多分すぐ読むだろうな、というのは『国連の政治力学』(中公新書)と『実録 小泉外交』(日本経済新聞社)の二冊。『国連の政治力学』は、駐国連代表部次席大使を務めた大学教授による回顧録である。学者ならではの視点と実務家としての視点の双方が読み取れるのではないかと期待している。

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『実録 小泉外交』は首相秘書官(政務)による『小泉官邸秘録』(日本経済新聞社)に続く回顧録だ。こちらはしっかり読んでみないと何とも言えないが、首相の全外国訪問が収録されていること、そして著者はその全てに同行していることなどもあり、内容がどうであれ必読であることは間違いないだろう。ちなみにこれは内容とは関係ないが、写真が数多く収録されていることと、前著が売れたからか紙の質が良くなっていることはセールス・ポイントの一つではないだろうか。

と、この二冊に加えて十冊近くの本を抱えたまま、大学院に進学した後輩&休講のため遠征中(?)の後輩がいる近所の大学へ向かう。待ち合わせはなぜか大学近所の旧前田邸だったのだが、あそこは敷地の中に入ると空気が違うし居心地がいい。普段はなかなか足が伸びないのだが、心が落ち着くいい場所なのだ。

二人とキャンパス内でしばしお茶をした後は、家庭教師に向かう。別に何をしたというわけでも無いのだが、やたらと色々と移動をした一日だった。

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2007年05月28日

あっという間に月曜も終わり。

自分が健康な状態で、大学全体が休みになったのは有難いわけなのだが、アルバイトやらその他もろもろで時間はあっという間に過ぎてしまう。というか実際には、授業に行くのも今は週二日なので、それほど時間が生まれるわけでもない。しかも、資料なんかを図書館で見れないのが痛い。

なんてことを言いつつも、それなりに休みは満喫している。

これは家で見たのだが、この週末のハイライトは何と言っても日本ダービー。ウオッカの大圧勝劇に一人酔いしれた。「牝馬の優勝は64年振り」という記事が各紙を賑わしたが、これは本当にすごいことだ。3歳春で距離が2400Mというのは、牝馬にとっては相当に不利な条件だ。にもかかわらず、というのが今回のレースだ。このレースは出来ることなら観に行きたかった。

昨日の夜は、五反田の友人宅で、後輩の歓送会(?)という名目でパーティー。旨い料理はどんどん出てくるし、部屋は最高だし、出来る友人です。で、調子に乗って泊まってしまったわけだ。あんなに殺人的に日当たりのいいところはそうそう無い。その日差しを一身に受けて日焼けしようとたくらむ、後輩♂が一名…、グアムが蘇ってくる。ともあれ、楽しいひと時でした。

研究関係でも滞っていた情報公開関係の資料もちょっとだけ、好転の兆しが見えててくるなど、それなりに成果が出つつある。大学の図書館が開いていないということで、他の大学の図書館や国会図書館の所蔵資料を調べていると意外な本が見つかったり、なかなか充実した毎日を送っている。

自分が無知なだけかもしれないが、大臣経験者が大臣時代を振り返った回顧録は意外と図書館に入っておらず埋もれてしまっている。今日見つけたのもその一冊だ。もっとも、その回顧録が使えるかどうかは別問題だ。それでも無いよりはましである。

ひとまずこの休みの間に、次なる情報公開のターゲットを決めたり、インタビューの共通質問票を作ったり、資料から得られた情報を整理したり、といった作業を進めていきたい。「脱三冠王」を目指して。

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2007年05月26日

とうとう休講。

とうとう我が大学も麻疹対策の休講に入ったらしい。

しかし早慶戦前日に休講解除とは…。この時期にもう一回GW状態がやってくること自体は歓迎なのだが、図書館が開いていないというのが非常に痛い。結局、家で出来る作業をこつこつやるしかないのだろうか。

それからゲストの先生が来る授業などの進行はどうなるのかも気がかりだ。ひとまず大学にも入れないようなので、授業をやることは無いと思うのだが、どうなるんだろうか。ちなみに大学に入れないというのも迷惑な話だ。ロッカーに入れっぱなしの本とか、どうすればいいのか。



今更ながらという感じもするが、この10日ほど毎日少しずつ読んでいるのが『レヴァイアサン』の最新号だ。「政治分析・日本政治研究におけるアプローチのフロンティア」という特集テーマで、歴史、比較、アクター、選挙・政治参加、方法論、方法的研究例、のそれぞれについて若手研究者が自らの研究も振り返りながら、アプローチについて大体6~8ページほどでまとめている。これに加えて、「レヴァイアサン第一世代」の学者による同様の論文も掲載されているので今回は読み応えが十分だ。

今回の特集は、自分のように歴史系の院生や学生こそ読むべきものなんだと思う。各論文は短いし、大半は文章としても読みやすいのでお薦めです。

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2007年05月25日

たそがれ。

諸般の事情から先週に課題文献の変更があり、急遽木畑洋一『帝国のたそがれ』を読むことになった。かなり昔に一度読んだ本だったのだが、一流の歴史家の文章にうならされた。日本外交の本をずっと読むのもいいが、たまにはこうやってちょっと周りから見る会があるといい気分転換になる。

以下の書評は例の如く、授業のために作成したコメントを基にしているので、やや批判的な面が強すぎるかもしれませんので、その点は割り引いてください。

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木畑洋一『帝国のたそがれ』(東京大学出版会)
 本書は第二次大戦後のイギリスの対アジア・太平洋地域外交について、?対日講和問題と?対マラヤ政策の二つ問題を検討することによって、その冷戦下の「イギリスとアジアの関係(=帝国のたそがれ)」に迫った著作である。著者は、本書の前の研究として『支配の代償』という「帝国意識」に注目した研究を発表している。その問題意識は本書の随所に顔を出しているが、本書はあくまで伝統的な外交史のアプローチから、取り組まれた手堅い研究である。丁寧な先行研究のレビュー、無駄の無い注釈など、論文を書く上でも参考になることは多い。以下では、まず全体を通したコメントを行い、その上で第一部と第二部についてそれぞれ論じていく。
 まず挙げられるべき本書の意義は、「冷戦」と「脱植民地化」という二つの大きな戦後国際政治の潮流の双方を視野に入れた研究だということである。本書が出版された1996年の時点で、このような視点を持った研究は我が国にはほとんど存在していなかった。とはいえ、著者も断っているように(14頁)、本書ではアジア・太平洋地域でのイギリスの姿の全般的な描写が行われているわけではない。対日講和における「主役」はあくまでアメリカでありイギリスはあくまで副次的な役割に過ぎなかったし、イギリス国内における関心も必ずしも高いとはいえなかった。一方マラヤ問題は、宗主国であるイギリスが「主役」であったし、イギリス国内でも大きな関心を読んだ問題であった。このように性格の異なる問題に対するイギリスの取り組みを並べることによって、著者は何を明らかにしようとしたのだろうか。性格の異なる二つの問題を並べて論じることの意味については、「戦後のアジア・太平洋地域の国際関係におけるイギリスの位置を考える場合、イギリスが中心的役割を果たした領域と同時に、イギリスの力が限定されていながらそれでもなお相当の役割確保をめざした領域をも検討してみることが必要となる。この前者の例として本書では対マラヤ政策を扱い、後者の具体例として対日講和問題を取り上げる」(6-7頁)と説明されている。
 本書には、上記二つのテーマを架橋する序論と結論が付されている。結論部によれば、本書の叙述から「この地域での大国としての地位にあくまで固執するイギリスの姿勢」(267頁)が浮かび上がるが、「イギリスが実際にふるいうる力、実現しうる状況との落差」(268頁)も同時に浮かび上がるという。確かにこの両者は、二つの事例からも大きく浮かび上がるところであった。そうであるならば、序論において「全般的な描写」は目指さないと逃げを打つのではなく、序論において朝鮮戦争や対中政策といった問題にイギリスがどのように関わったのかに関しても論じ、さらに結論において本書の取り上げたケースとその他のケースがどのように関係付けられるのかについて論じるべきだったのではないだろうか。
 また、本書の大きな意義の一つは戦前ほどの研究的な注目が集まらないアジア地域におけるイギリスの役割を論じたことにある。戦後アジアの国際関係の中にイギリスの視点を導入することは、細谷千博や田中孝彦らによってすでに行われているが、そのどちらも日本が関係することであった。しかし本書の第二部はマラヤ紛争を取り上げており、ここに日本が直接関係するわけではない。対日講和を扱った第一部に加えて第二部でマラヤ紛争を取り上げたことは、戦後アジアの国際関係史の広がりを感じさせるものである。
 次に第一部「イギリスと対日講和」について簡単にコメントをしておきたい。第一部の重要な点は、先行研究等も踏まえた上で、イギリスが対日講和において果たした役割(とその限界)を明らかにした点にある。とりわけ、イギリスの帝国政策・帝国戦略の視点を重視することによって、従来の研究以上に英連邦諸国との関係を浮き彫りにすることに成功したといえるだろう。また、国際秩序的な視点が強く意識されていることは、本書の議論に厚みを与えている。ただし、アジア・太平洋地域の国際秩序は様々な側面(例えば、冷戦、英帝国、英連邦、脱植民地化など)が混在するものであるはずであり、それらがどのように関係しあっていたのかについて明確な分析があっても良かったのではないだろうか。
 やや残念な点があるとすれば、それはイギリスの冷戦政策が本書からはあまり見えてこない点にある。イギリスが「ハード・ピース」から「ソフト・ピース」へ転換していく過程などの議論にしばしば見られるように、その政策の背景に「冷戦」があったことが示唆されている。それではイギリスは、「冷戦」をどのように見ていたのかについてもう少し議論があっても良かったのではないだろうか。「脱植民地化」については第二部で詳細に触れている一方で、「冷戦」の具体的な面がやや薄くなってしまっていることは残念である。レトリックではなく、具体的に本書が考えるイギリスの冷戦政策は何か、この点は疑問として残る。
 最後に第二部「イギリスとマラヤ」についても若干のコメントをしておく。第二部で取り上げられたマラヤ問題は、イギリス外交史の文脈では第一部で取り上げられた対日講和よりもはるかに重要とされる問題である。第二部の叙述から改めて感じさせられるのは、戦後初期のイギリスの影響力の大きさである。それが「たそがれゆく」ものであったとしても、これだけの影響をアジアの国際政治に与えていたということは非常に重要なことである。またこれは著者の意図からは離れるかもしれないが、大英帝国がどのように維持されていたのかということを考える上でも、第二部にはいくつか重要な議論がある。その一つは、イギリスが植民地統治に割くことが出来た「資源」はそれほど多くは無かったということである。オーストラリアとの関係やその他の植民地と、このマラヤ問題との関係などはこの点から興味深いものである。結局のところ、植民地統治は「権力」の側面よりも「権威」の側面が強かったのかもしれない。第二部でも、第一部と同様に国際秩序的な側面が意識されている。SEATOとの関係を押さえてイギリスのマラヤからの撤退を描いている点は、その後の東南アジアの歴史を考える上で重要である。もっとも、その後のSEATOの運命を考えると、やや複雑な気持ちにもなるのであるが。
 以上長々と紹介してきたが、本書が切り開いた戦後アジア国際政治史という地平は、宮城大蔵『戦後アジア秩序の模索と日本』などによって、さらに押し広げられ、また深められている(もっとも著者は、イギリスがアジアにおいて一定の影響力を果たした時代は一九五〇年代半ばまでだったと論じている)。このような形で後続が続いていることからも、本書の意義が明らかだろう。長く読み継がれるであろう名著である。

at 23:28|PermalinkComments(0)本の話 

2007年05月24日

久しぶりにレジュメ公開。

今日は授業で発表(といっても課題文献のディスカッサント)が一つあった。久しぶりに文章形式で作ったので、授業での討論を踏まえて少し修正したものを載せておきます。こんなマニアックな話は、大方の人には何のこっちゃという感じだと思いますが…。

時間の関係で、同時期を扱った重要な研究書(A Constructed Peace とか)に目を通すことが出来なかったのは残念だが、何となく流れのようなものを確認できたのは良かったのではないだろうか。発表原稿を作っている内にこの時代・このテーマの面白さが何となく見えてきたので、時間を見つけて先行研究にももっと目を通していきたい。

ちなみに四限と五限は、政治思想の授業が連続してあった。両方ともなかなか面白かったのだが、まとめ直す気力が湧かないので今日は省略。


No.136-146
Foreign Relations of the United States 1958-1960 : Volume ?, Part 1 : Western European Integration and Security; Canada

1、はじめに

 本年度の授業で読解する外交文書は、Foreign Relations of the United States 1958-1960 : Volume ?, Part 1 : Western European Integration and Security; Canada である。取り上げるのは、ヨーロッパ統合ではなくNATOに関する章であり、に軍事的な専門用語等も多く、一度読んだだけでは文字通りの意味以上のことを読み取ることはなかなか難しい。
 そこで本発表では、まず先行研究や通史を参考にやや時代をさかのぼりつつ1958年の意味を考え、さらに先週と今週の範囲(No.131-146 : 1958年4月~5月)がどのような時期であったのかを明らかにする。その上で、資料から読み取れる興味深い部分をいくつか抜き出して、議論の手がかりとしたい。

2、冷戦の「五五年体制」とその後

 1958年の意味を考える前に、その前史として「冷戦の「五五年体制」」について触れておきたい。この概念は、外交史家の石井修によって唱えられたものである。簡単にまとめれば、ヨーロッパで1947年~48年頃に姿を現し始めた冷戦が、ジュネーブ首脳会談を経た1955年の時点で「膠着状態」に入り、「制度化」「安定化」へ向かう兆しを見せ始めるまでになった、ということである。石井は冷戦の「五五年体制」の特徴として?「分断による平和」、?「冷戦の戦われ方」が双方に認識されたこと、の二つを挙げ、さらにこれは、?東西ヨーロッパの「安全保障圏」の確定、?熱核兵器の出現、?「外交」の復活、?冷戦の拡散、の四つの現象と関連しあっていると主張している。ここに挙げた四つの現象は、今回の範囲の文書からも読み取ることが可能である。
 その「五五年体制」の下で、1958年に至るまでに様々な事が起こっている。1956年2月には、フルシチョフによるスターリン批判演説が行われ、さらに同年10月にはハンガリー動乱とスエズ危機が相次いで発生している。スターリン批判はソ連の穏健化を示すものであり、後の二つの危機は冷戦体制下の各陣営内に発生した危機であった。逆説的ながらこの二つの危機の解決方法は、まさに冷戦体制が常態化したことを示すものであった。
 1957年には二つの大きな出来事がある。一つは3月の仏・西独・伊・ベネルクスの6ヶ国による欧州経済共同体(EEC)/欧州原子力共同体(EURATOM)条約の調印が行われたことである(1958年1月に発足)。もう一つは、ソ連による人工衛星(スプートニク)打ち上げ成功である。この出来事は、アメリカ国内でセンセーショナルに取り上げられ、世界が大陸間弾道弾(ICBM)によるミサイル戦争の時代へと突入したことを示すものであった。またNATOに関連するものとしては、このような情勢を受けて作成されたMC70の決定も重要であるだろう。以上のような流れの延長上に、1958年は位置づけることが出来るだろう。

3、1958年の意味

 1958年と聞いて思い浮かぶことは人によって様々だろうが、?フランスの政変(アルジェリア問題深刻化に伴うドゴールの政権復帰と第五共和制の成立)と?第二次ベルリン危機の発生、の二つがヨーロッパにおける大きな出来事であったといっていいだろう。フランスの政変は4月頃から本格化し6月にはドゴールが政権に復帰し、10月に新憲法が公布され第五共和制が成立する。一方の第二次ベルリン危機は、11月にフルシチョフが西ベルリンに対する要求を米英仏の三国に突きつけたことによって始まる(この第二次ベルリン危機が最終的に解決するのは、アメリカの政権交代後である1961年の「ベルリンの壁」構築による)。
 またフランスの政変と関係する話ではあるが、本授業で取り上げるNATOに関係するものとして重要なのが、ドゴールが9月に発した「1958年覚書」である。この覚書はNATOにおいて英米仏三国が同盟の核戦略を策定する「三頭制」を目指したものであった(ドゴールのNATOへの働きかけは、実は政権復帰当初の6月から始まっている)。
 このように見ていくと、1月のEEC/EURATOM発足も含めて、1958年がヨーロッパにとって重要な年であったことが分かる。しかしここで注意しておきたいことは、先週と今週の範囲は同年4月あら5月であり、これらの出来事のちょうど間の時期だということである。ヨーロッパ統合に関してもEEC/EURATOMの発足でひと段落つき、一方NATO政策に関してもドゴール復帰直前ということまた第二次ベルリン危機勃発前という、端境期のような時期であった。
 それでは、先行研究においてこの1958年4月から5月という時期をどのように取り扱われているのだろうか。結論的に言えば、それはほぼ「無視」されているといってよい状況にある。それは下記参考文献に挙げたものについてだけでなく、その他の研究(例えばこの数年内に発表されたヨーロッパ統合に関する国内外の論文集など)においても同様であった。とはいえ、先行研究において1958年が「無視」されているわけではない。むしろ1958年という年は、一つの転換点として位置づけられ重要視されているといってよい。ただし、4月から5月という時期はその転換の直前であるために、ほとんど「無視」されているのである。

4、資料から何を読み取るか?

 それでは、以上のような位置づけにある1958年4月~5月の資料から何を読み取ることが出来るだろうか。改めて言うまでもないことだが、どのような視角からこの資料を読むかによって、読み取れるものは大きく異なる。また、本授業で読む資料は1958年から1960年にかけての米外交政策を取り扱った公刊資料集の「ごく一部の一部」であることも忘れてはならないだろう。以下では、いくつかの視角からこの資料を読むと読み取ることが出来ることを抜き出して取り上げてみたい(以下、順不同)。
 もっとも可能性がある重要な視角は、軍備管理の視点であろう。同時期の様々な政策が軍備管理との関連から捉えられていたことは様々な先行研究が指摘している点である。この点からは、それまでのスタッセン大統領補佐官に代わり、ダレス国務長官が同時期の政策遂行の中心に立っていた点は重要だろう。スタッセンの政策をダレスが変更していく過程として同時期を捉えることは可能である。しかしながら、その政策はドゴールの登場や第二次ベルリン危機によって、さらなる変更を迫られるのであり、評価を下すことは本資料からだけでは難しい。とはいえ、その後の軍備管理の問題として出てくる一般兵器と核兵器の問題や、NATO内の核兵器管理の問題といった様々な論点は、この1958年4月~5月の討議でほぼ出ているといっても過言ではない。後述のように、確かにドゴールのインパクトは大きかったわけだが、そのインパクトの裏にあるこの時期の交渉から議論を抽出していくことは重要な作業だといえよう。
 二つ目は、フランスを軸に据える視角である。前述のように、フランス政治・外交の文脈でこの時期は極めて重要な時期である。アルジェリアの問題によって国内政治は大きく紛糾していた。この点を考えると、ダレスがアイゼンハワーにアルジェリア問題を米ソ会談と共に重要な問題として挙げていることは興味深いことである(No.135)。また、フランスがドゴールの政権復帰以前に既に核実験を行う方針を固めていたことはよく知られていることであるが、1958年の4月がその時期である。この文脈からは、フランスが核戦争の危険と核実験の危険を峻別していることの意味も深長である(No.140)。ただし、ピヌーが核実験を既定方針にしたことを知っていたのかによって、この発言の意味は変わってくるかもしれない。
 三つ目は、NATOを軸に据える視角である。前述のように、6月にドゴールが政権に復帰したことによってフランスの対NATO政策は変質していく。この点は逆説的に次のようにいうことも出来る。ドゴールの対NATO政策が新しいものであり、NATO全体に影響を与えたとすれば、それはドゴール以前の政策との比較によって明らかにされる必要がある。このように考えれば、4月~5月の議論はドゴールが政権に復帰するまさに直前であり、後との比較材料という意味では重要といえるのかもしれない。
 まとめとして雑駁な印象を述べれば、1958年4月~5月を扱った本資料は、「冷戦の「五五年体制」」という歴史認識を補強するものとして読むことが可能である。

参考文献                         
石井修「冷戦の「五五年体制」」『国際政治』(第100号、1992年8月)
石井修『国際政治史としての二〇世紀』(有信堂高文社、2000年)
川嶋周一『独仏関係と戦後ヨーロッパ国際秩序』(創文社、2007年)
ジョン・ルイス・ギャディス(赤木完爾・他訳)『歴史としての冷戦』(慶應義塾大学出版会、2004年)
倉科一希「一九五〇年代後半の米国軍縮・軍備管理政策と同盟関係」『国際政治』(第134号、2003年11月)
細谷雄一『外交による平和』(有斐閣、2005年)
ゲア・ルンデスタッド(河田潤一・訳)『ヨーロッパ統合とアメリカの戦略』(NTT出版、2005年)
渡邊啓貴『フランス現代史』(中公新書、1998年)
渡邊啓貴・編『ヨーロッパ国際関係史』(有斐閣、2002年)
John W. Young, John Kent, International Relations since 1945 ( Oxford : Oxford University Press , 2004 )

at 23:58|PermalinkComments(2)アウトプット(?) 

2007年05月23日

労働日/歴史家。

とにかく今日は働いた一日。朝8時半過ぎに家を出て、帰宅したのは夜11時過ぎだ。働いている友人達、特に外資系で働いている人にとってはこれくらいごくごく当たり前なんだろうけど、こちとら研究/勉強する身体にはなっていても、働く身体にはなっていないのでとにかく疲れる。

もっとも、今日はきつかったばかりではなく楽しいこともあった。

都内某所で行われた某研究会へ参加したからだ。こう書くとものすごく怪しく聞こえるが、いたって普通の研究会です。講師は『歴史を学ぶということ』などの近著がある歴史家の大先生です。研究会のテーマは「太平洋戦争」だったわけだが、細かい学術的な話講演ではなく、研究動向の紹介やより大きな文脈における太平洋戦争の意義といったことが話の中心だった。

講演と質疑応答がそれぞれ1時間半、あわせて3時間という長めの研究会だったこともあり、幅広い話題についてじっくりと話を聞くことが出来たことはとても貴重な経験だった。

講師の先生の本はそれなりに読んできたと思うのだが(もっとも日本語だけ)、一般にも言われるように後の著作になればなるほど「文化」や「トランス・ナショナル」といったことが強調されてきたような印象が自分自身あった。今日の話でももちろんそれを感じるところはあったのだが、「太平洋戦争」というテーマであったことや最新の研究を紹介するという趣旨もあって、講演の主な部分では「文化」や「トランス・ナショナル」といったことがそれほど出てはこなかった。国益や利益といった話は他の人以上に押さえているということがよく分かった。

「文化」や「トランス・ナショナル」といったことが出てくるのは、質疑応答時の「歴史認識」をめぐる問題や、二国間の友好関係をいかに作るのかといった文脈であった。その際に最も批判が向けられていたのが「ナショナリズム」である。それはどの国のナショナリズムであっても批判対象になる。そこには侵略国も被侵略国も宗主国も旧宗主国もないわけだ。実際の政治においてどうかは別として、歴史家の研究者としての立場は本当にそうあるべきなんだろうと思う。

これは本当に大切なことだ。ちょうど今授業の課題文献を読んでいるのだが、その本からも今日の話と同じようなことを感じている。その本の著者とも今日の先生とも、必ずしも自分の「政治的意見」が重なるわけではないが、研究者/歴史家がどうあるべきかということについては、本当に深く納得させられた。

政府に入ることは一切なく、時事的な問題に発言することもほぼなく、一人の歴史家とて生涯研究を積み重ねてきた学者のオーラのようなものを感じた。

at 23:56|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2007年05月22日

萎える。

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見慣れてきたこの画像。火曜日恒例。この議論にやや食傷気味というところはあるが、今日は議論の一つのポイントになる、Chapter4. The Rise of Europe、が範囲だった。本章が終わって、ほぼこの本の構造が明らかになったといっていいだろう。

といっても、細かい話をする元気があまり無いので、この話は書評レポートでも書いた時にします。

そう、何となく萎える今日この頃。週末の疲れ、とか考えたりしたのだが、これは世間でいう五月病なんじゃないかと後輩と話した。といっても、新入社員でも進学一年目でもないのになんでだろ。というと、やはり「修論ブルー」だろうか。マイクロフィルム&パソコンの画面に目がやられるとかそういうことは別にして、強烈なインプットとアウトプットの繰り返しは疲れることは確かだ。

なんてことを書いたりしても、一晩経ったら急に復活するかもしれない。

at 23:28|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2007年05月21日

堂々凱旋。

今日はサークルの飲み会があった。

OBなので普段の活動に行ったりはしていないのだが、二月にはOB会、四月には新歓コンパ、そして今日と最近はよく顔を出しているような気がする。なぜ、今日飲み会だったのかといえばそれは昨年夏からアメリカに留学していた後輩が昨日帰国したからその帰国慰労会だったのだ。

不思議なことだが、自分が学部一年や二年の頃の知り合いには、海外留学をするような友人や先輩は周りに全然いなかった。それが学部三年くらいになってから仲良くなった友人や後輩はみんなどんどん留学している。そして、ただ留学するだけではなく、みんなしっかりと留学先でも勉強してきて、たくましくなって帰ってくる。

何となく外から見ていて感じるのは、結局国内にいた時に語学以外の勉強をしっかりとできていた人間は伸びて帰ってくるし、そうでない人間は全然変わらずに帰ってくるということだ。まあ、自分の場合はまず語学をしっかりとやらなければならないわけだが。

そんんわけで、今日は十二分な刺激を受けたわけだ。やる気を出すのに困らない環境が身近に整っていることは本当にいいことだ。

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2007年05月20日

気が付けば日曜夜。

この一週間ほど夜更かしが続いたせいか一日が終わるのが早い。と思っていたら、貴重な週末はあっという間に終わってしまった。一日でも夜を徹するとろくなことがない。よく遊んだ以上、月曜からはよく学ぼうと思います。

at 23:15|PermalinkComments(0)日々の戯れ言