2007年04月

2007年04月28日

GWスタート。

多忙だった一週間も終わり、ゴールデン・ウィークがスタート。GWは適度な長さなので、長期休暇のように途中でだれることもなく過ごすことがこの数年はできている。

今日は、大学院の先輩二人と遊ぶ企画があった。

遊ぶといっても、知り合いの先生がやっている学部の講義に出て、その後は古本屋を巡り、そして夕食というのがその中身。この中身が実に院生らいくいい。



学部四年はほとんどゼミ形式の授業だったということもあり、自分の専門についての講義形式の授業は実に久しぶりのことだ。その先生の研究内容についても知っているし、授業で話す内容が学会でどのように論じられているかもある程度知っていると、先生がどういった苦労をしながら講義をしているのかがよく伝わってくるし、その難しさが理解できるような気がする。とにかく細かく話せばいいのならば簡単であるが時間は限られている。そうなれば、当然端折りながら話を進めるのだが、どこをどう省いていくのか、さらにどう構成をするのか、学会内の論争を組み入れるのか、などなど。ん~、難しいものだ。

授業後は先輩と、大学近くの穴場的な古本に連れて行ってもらう。いい所を教えてもらった。

で、神保町に向かうために駅へ向かったところ。大嵐に遭遇。見事に天気予報どおりだったが、まさかあそこまでとは…。ユニ○ロの折り畳み傘が昇天してしまった。あそこまでの嵐に遭遇したのは数年ぶりだ。

その嵐も地下鉄に乗っているうちに収まったらしく、神保町に着いたらもう小雨になっていた。もう一人の先輩もここで合流して、神保町を徘徊。神保町の歩き方が何となくこの二時間で分かったような気がする。お目当ての稀少本は無かったが、前々から欲しかった本を手ごろな値段で発見したので購入した。

その後は、先輩に夕食をご馳走してもらい、ああでもないこうでもない、と学問の話を中心に話し込む。自分と同じ分野でこのような先輩が身近に二人もいるというのは本当に恵まれていることだ。

そんなわけで、いいスタートになったGW初日。

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2007年04月27日

4月29日。

この授業が終われば、授業は十連休。最近は、色々な課題が頭の中を錯綜していたので、ひとまず無事に全ての課題が終わったのが素直にうれしい。

いつもどおり、授業用のコメントを基に書評をしておく。ただし、これまで授業で取り上げていた博士論文ベースの研究書ではなく、今日読んだのは論文集だ。そんなわけで、授業時のコメントからは大幅に変更してあります。

麻田貞雄『両大戦間の日米関係』(東京大学出版会)
 本書は、著名な外交史研究者である麻田貞雄氏の唯一の単著である。しかしながら本書は博士論文を基にした類の研究書ではなく、既発表の研究論文をまとめた論文集である。「あとがき」にある著者の言葉を借りれば、本書は「両大戦間の日米関係に関する論文を中心に、一九六五年から八四年の二〇年間に発表した七編を選んで収録」(365頁)し、さらにその上で加筆修正を加えて一冊にまとめられたものである。収録されている論文も、マハンの思想的影響について論じたものが一本、海軍を中心とした政策過程や日米関係を論じたものが四本、移民や文化や相互イメージに注目して日米関係を論じたものが二本、とバラエティに富んでいる。
 本書の何よりの特徴は、この「論文集」という点にあるといえるだろう。両大戦間を中心とした日米関係をそれも海軍を中心に見ている点は、本書に収録されている論文全体に流れている問題意識であるといえるだろう。しかし本書では、それを一つの序論において統一的に整理するようなことは行われていない。この点について著者は「本書が方法論の点で統一を欠くことを認めるにやぶさかでないが、私はむしろ、多様なアプローチや手法こそ、この論文集の存在理由ではなかろうかと考えている」(367-368頁)と述べている。確かにこの点は重要である。両大戦間期の日米関係を見るのでも、実に多様なアプローチや視角があることが本書からは明らかにされる。つまり統一的な一つの視角は、あくまで本書の各章で書かれているような様々なアプローチの一つから「選び取られた」ものに過ぎないのである。一つの視角を設定すれば当然そこから見えないものも出てくる。この点は読者にとっては重要な示唆を与えてくれるだろう。とはいえ、多くのアプローチを試みた著者が最終的にこの時代の日米関係をどのように捉えていたのかについて序章もしくは終章のような形でまとめているものがあっても良かったのではないだろうか。
 もう一つの本書の特徴はその読みやすさである。様々なアプローチを試みながらも、史料に基づいて個人に焦点を当てるという姿勢は本書においてほぼ一貫している。それはマハンの思想伝播を論じた第一章にしても、日米の相互イメージを論じた第七章においても一貫しているといっていいだろう。様々な意味ではあれ、読者の印象に強く残る登場人物が各章に存在している。そして、各章末では外交史の論文としては珍しく、論文の結論が明確に述べられており、この点も読みやすさに寄与しているといえるだろう。しかし、この練達の文章によって逆に見えにくくなってしまっている部分もある。例えば、各章の細かいアプローチの違いである。例えば、第四章と第五章は時系列的には連続的に日本海軍の対米政策を論じており、一つの「物語」のように読み進めることが出来る。しかし注意深く読めば、第四章は軍縮問題を中心に論じているのに対して第五章は海軍内の派閥対立を中心に論じており、各章の着目点は異なっているのである。しかし読みやす過ぎることによって(または物語として練られてしまっていることによって)、これらの点がやや見えにくくなってしまっている。
 本書が出版されたのは一九九三年であり、既に出版からは十五年近くの時が経っている。さらにいえば、本書に収録された各論文の初出は前述のように一九六五年から一九八四年である。結果として、本書の知見が既に新たな研究によって塗り替えられた部分もある。とりわけ開戦過程における海軍の役割やワシントン会議については、森山優、相澤淳、服部龍二らの研究が重要であろう。しかし重要なのは、これらの研究が本書に収録された各論文の後に続いた研究であるということである。著者の研究によって、実証的な海軍研究や海軍をアクターの一つに入れた外交史研究が可能になったのだ。このような点からも、本書の古典的な性格が明らかになるだろう。
 本書に限らず、文章のうまさや深さといった点については、世代による差を感じずにはいられない。その外国語能力や古典に対する知識といった点で、我々の世代との違いを強く感じてしまう。

at 23:37|PermalinkComments(0)本の話 

2007年04月26日

超多忙。

朝から夜までフルスピードで駆け抜けた一日。



2限:国際政治論特殊研究

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今日はゲア・ルンデスタッド『ヨーロッパ統合とアメリカの戦略』(NTT出版)の三分の二ほどをテキストに使った、導入的な授業だった。多忙につき詳しい本の紹介はしないが、この本はなかなかいい本だ。要所要所には資料をしっかりと用いながらも、全体としてはコンパクト、そしてコンセプトに沿ってしっかりとまとまっている。日本の歴史家が書くもので、ここまですっきりしたものはなかなか見ることが出来ない。出版形態的には、こういった本が新書形式で出てくるようになればいいと思うのだが。

さて、問題はそのコンセプトだろう。これは先生が最後にコメントしていたことだが、著者を一躍有名にした"EMPIRE" by Invitationはヨーロッパの姿勢に力点が置かれている。しかし本書、"EMPIRE" by Integrationはあくまでアメリカの対欧政策が主要なテーマだ。そうなってくると、アメリカの政策に潜むアンビバレントま側面がこのコンセプトからは抜け落ちてしまう可能性がある。ふーむ、なるほど、と感じたところで授業は終了。

連休明けからは、FRUSがテキストになるのだが、次回はPrefaceだけ。あのPrefaceから議論できることなどほとんど無いような気がするのだが…。どうなるのだろう。

4限:基礎演習?

比較政治学の第二回。今回は「先進国を対象とする比較政治経済学について」。

前週の授業では、やや否定的な文脈から「最近は比較政治学と比較政治経済学もごちゃごちゃになっている」とゲスト・スピーカーの先生は言っていたのだが、今週のテーマは前述どおり。う~ん、複雑。

今日は、参考文献目録が充実した教科書を一つ紹介した上で、そこに載っているもの載っていないものの双方を踏まえつつ、時系列的に先行研究を紹介する形式だった。良かったのは、Political Economyとはどういった学問かという大きな話を最初に少しだけして、あとは具体的な本の名前や研究者を挙げて、その研究が出てきた背景、その議論の受け取られ方や問題点、といったこと詳細に説明する、という形式だ。学生の理解、「入り口」としての授業の主眼点を考えても、今回の形式の方はいいのではないだろうか。

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

この授業で、今日が発表担当だったことが今週の多忙さの大きな要因になっている。この授業でやっていることは、自分にとっては半分くらいは趣味でもある。普段はいい気分転換になるのだが、今回の場合は他の授業や自分の研究とはかなり異質な知的思考が発表担当だったことで必要になった。

発表レジュメを載せてもいいのだが、それだとかなり長くなってしまうので省略。

講義テーマだった「南原繁と丸山眞男」にゲスト・スピーカーの先生を加えて、まずその社会的背景・思想的背景・研究の主要テーマを比較をし、その上で各々の「国(くに・国家・国民…etc.)」に対する考え方と、国際政治における国家に対する考え方を比較しつつ論じた。

この発表の準備作業では、もちろん比較対象の三者の書いたものを一番読んだわけだが、そのほかで一番参考にしたのは、昨年の刊行時にもこのブログで紹介した、酒井哲哉「国際政治論のなかの丸山眞男」『思想』2006年8月号、だ。酒井先生の研究は他の人とはちょっと別物だ、というかレベルが一つも二つも違うすごさを感じる。

と、今回は「国(くに・国家・国民…etc.)」に対する考え方と、国際政治における国家に対する考え方に注目しつつ発表したのだが、授業中に先生が指摘していたように、ゲスト・スピーカーの先生のすごさは自分がやった文ような脈からの分析とは異なるところにあるのだと思う。この点は自伝を読んで自分も感じたことなので、そのうち時間がある時に本を紹介しつつ論じてみたい(いつになることやら)。



いつもならば、ここで今日はなかなか疲れたな、とひと休みして明日の授業の準備を大学でして帰宅するのだが、今日はここでまだ半分が終わったばかりだ。授業後は渋谷に移動して、サークルの新歓コンパに参加した。

いつの年も元気のいい一年生というのはいるのだが、それがうちのサークルに来るかどうかは年によって全然違う。が、今年は集中してうちのサークルに来ている気がする。学部も例年以上にバラエティに富んでいるし、知的なハングリーさが満ち溢れているから、こっちも刺激を受ける。とはいえ、今年は例年以上に、新入生の「知的変態」率が高いような気がする。それはそれで面白いのだが、普通の子(知的変態ではない子)が入ってこないのではないかと心配してしまう。まあ、普通の子も一年も経てば立派な知的変態予備軍になるのがうちのサークルなのだが。

「入院」後は、こうやって飲み会にたまに顔を出したりOB会を手伝ったりとかする程度で、勉強会なんかに行くわけでもないのだが、それでも出身サークルの行く末は気になるところだ。あまり行き過ぎてもただのウザいOBになってしまうので、「金は出すが口は出さない」「文句は言わない」「聞かれればアドバイスはする」ということは守っていこう。



まだまだ終わらない。明日の授業のコメントの手直しが終わっていないので、やらなければならない。いつもは金曜の午前中にそれをやるのだが、明日は朝から夕方まで仕事なのでそういうわけにもいかない。そういうわけで、今夜は長い夜。

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2007年04月25日

再び研究相談。

今日は、昨年度の授業でもお世話になった先生に研究相談をしてきた。

昨日の相談も含めての感想ではあるが、全体的に取り上げるテーマ自体については問題がそれほど無さそうだ。もうテーマについては、これは十分に調べる意味はある、と信じてやっていくしかない。何と言っても、このテーマは時代が新しいこともあり、まだ十分に調べられていない。

一方で問題になるのは、やはり各章の構成だ。とりわけ前半部と後半部の繋がりといった点をどうするのかが大きな問題だ。実はこれは、論文そのものの題名にも関係する大問題だ。

この数週間の間に、わずかながらではあるが好転が見えてきたのが資料状況だ。諸外国の資料は思っていたよりも公開されているようで、少なくともその国まで行けば閲覧が可能。加えて、マイクロ化されている資料やネット上で閲覧可能な資料もいくつかある。まあ、マイクロ化されていても日本には無かったりするわけだが。これに加えて、若干あきらめモードだった日本の資料も個人文書関係で少しだけ掘り下げることが可能になりそうだ。

資料関係やオーラル関係では、先生から色々とありがたい言葉を頂く。こうして相談をお願いできる先生や先輩が周りに何人もいるということは本当に恵まれていることなんだろう。

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2007年04月24日

4月24日。

午前中から後輩と院棟で机を並べて勉強。何とも言えない複雑な気分だ。いくらなんでも近すぎる。

3限:国際政治論特殊研究

今日はprefaceと序章的な第一章が範囲。

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博士論文ベースの学術書を毎週一冊読むという授業に慣れていると、学術書でもなくかといって完全な政策提言でもないこのような本を、毎週一章ずつ読んでいくというのは逆に難しい。細かい議論がぎっしり詰まっている類の本ではないので、それを一章ずつ読んでいった時にどういった議論になるのか。多くの人にとって曖昧な言葉の定義が気になるだろうし、ある人にとってはそもそも議論の前提(?)そのものが気になるだろう。

しかも、本というのは基本的には全体を通して著者の言いたいことがあるのであり、その一部を取り上げて論じるというのも難しいと言えば難しい。何というか、誤読や読み違いの可能性が高くなるように思う。

そんなことを考えながら授業に臨み、そして授業を終えてからまた同じことを考えた。今日のところは本全体のイントロだったのだが、連休明けからは各論に入っていく。どういった議論になるのだろう。



授業後仕事の時間まで、先輩に研究相談。おぼろげながら、論文の骨格のようなものはまとまってきたようにも思うが、どうにもしっくりくる題名が浮かばない。

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2007年04月23日

ヨーロッパとアジア。

開校記念日で大学が閉まっているので、近所にある大学で一日を過ごした。

自分のノートパソコンを持っていかないとパソコンが使えないなどの問題はあるものの、目的地の図書館まで家から自転車で五分、新しく快適な図書館、品揃え豊富な生協書籍部などなど素晴らしい環境が揃っている。図書館横にあるカフェのコーヒーが旨くないという若干の問題はあるが、知り合いに会うこともまずないので勉強や研究に集中できることもまたいい。学費は一銭も払っていないが、税金を払っているのだからこれくらい使ってもいいだろう。

今日は午前中から夕方まで授業関係の本をひたすら読んでいた。そのうちの一つが、ゲア・ルンデスタッド『ヨーロッパ統合とアメリカの戦略』(NTT出版)。

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明後日の授業で使うので、細かい議論の紹介などをするつもりはないが、ちょっと感じたことを一つだけ書いておきたい。

それは、同じアメリカの外交政策を見ても、対ヨーロッパ政策と対アジア政策でこうも印象が違うものか、ということだ。こう文章にしてみると、何を当たり前のことを、といったように感じるかもしれないが、立て続けに対アジアと対ヨーロッパの本を読むとその感が強くなる。これは、戦前だろうが戦後だろうが同じ事だ。

それはアメリカに原因があるのか、それとも客体であるアジアとヨーロッパの違いによるものなのだろうか。こういった疑問の答えの常として、おそらくその両方によるのだろうが、なかなか興味深い問題だ。

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2007年04月22日

運命?

院棟のキャレルが某後輩と隣になりました。

昔は各専攻ごとに別れていたらしいが、今は専攻関係なしに抽選になっている。というわけで、数百分の一の確率で隣になったわけだ。「運命は必然じゃなく偶然で出来てる」なのか「運命は偶然という必然で出来てる」というか…これはYUKIの歌。

そんな運命を男の後輩との間に持ってしまったカナシミを噛み締める日曜の夜。

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2007年04月21日

充実感。

一日を終えて充実感がある日というのはどういう日か、と考えてみた。

こればかりはその人の性格次第というところだが、自分の場合は?研究(もしくは勉強)の進度、?会話時間、の二つと関係があるようだ。?はすでに「変態の森」の住人だから、?は自分が「口から生まれた」おしゃべりだから、ということと関係があるのだろう。

?の場合は言うまでも無く、進めば進むほどいい。資料を読んでいたり、その他の作業の場合は難しいが、本の場合は学術書なら一冊、その他の研究書や新書であれば一冊+論文数本くらいを読み終えればそれなりに充実感があるようだ。ただ、今日のような休日だともう少しやらないと時間が余るので、その辺りがなかなか難しいところだ。

?の場合は若干複雑で、とにかくしゃべりにしゃべったか、逆にほとんど人と話さない、そのどちらかの場合に充実感があるのだ。この場合明らかに後者の方が研究や勉強は進むのだが、生まれ持った性格上は前者に充実感を感じるのは仕方が無い。中途半端に人と話すよりも、話まくりか全く話さないかのどちらかがいいということの理由はよく分からない。なぜだろう?

それで今日はどうかと言えば、授業関係の学術書を一冊読み、もう一つ授業関係の本を半分ほど読み、そして残りの時間はとにかく色々な人としゃべったという一日。他大学の大学院に進学した後輩から、海外の大学院で研究中の先輩まで色々な人と色々な話をした。もちろん充実感に満たされている。

そんな気分でこの時間に飲むお酒はおいしい。ここで飲みすぎると明日に響くのだが、元来酒に強い体質では無いのでいい具合で止めることが出来る。頑張っている後輩や、研究をしている先輩と話していると刺激を受ける。もっとも、今日はくだらない話も多かったわけだが…。

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2007年04月20日

久々に書評を。

六本木の「夜の学校」が本格的にスタート。

やはり博士論文を基にした本は、何というか「重み」が違う。これから修士論文を書く身としては、今後登る山の高さに嘆息せずにはいられない。

授業のためにやや長めのコメントを書いたので、それを基にした書評を載せます。授業用に批判的検討を試みたものなので、その点は差し引いて読んで下さい(といっても、これを全部読むのは数人だけだろうが)。

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高原秀介『ウィルソン外交と日本』(創文社)

◇テーマ設定

 本書は、ウィルソン政権の対アジア外交について主として対日関係の観点から分析している。著者は、現代アメリカ外交における「ウィルソン主義」的特徴の重要性を指摘した上で、「それでは、ウィルソン外交がアジアという地域に照射されたとき、その実体は果たしてどのようなものであったのだろうか」(7頁)と述べている。これが本書の根幹にある問題関心といえるだろう。このような問題関心に基づいて対日関係の実証的な分析を、対華二一箇条、石井・ランシング協定、シベリア出兵、パリ講和会議の四つの問題について行っている。
 著者は先行研究の問題点を次のように指摘する。ウィルソン外交研究は極めて多岐にわたり、東アジア政策についてもかなりの蓄積がある。しかし、その多くは日本・アジア側の分析を含まず、さらに個別研究が多くウィルソン政権の対日政策を全体として体系的に論じたものはないという。一方、日本外交史の分野においてもある程度の蓄積はあるものの、それはあくまで日本外交史の観点からの個別的な研究に留まっているという。管見の範囲では同時期を扱った文献として、邦語文献に限っても細谷千博、入江昭、北岡伸一らの古典的な研究がある。本書は、アメリカにおけるウィルソン外交研究と、日本における日米関係研究の双方を超えようという野心的なものであり、重要な著作である。以上は著者による大きな意味での先行研究の整理である。その上で、著者は序論および各章の冒頭でより詳細な問題設定を行い、実証的な分析を行っている。全体としては、資料や先行研究を基に「総合化」「体系化」を行い、各部分についてはそれぞれの問題設定を行って先行研究との差別化をそれぞれ図っているのである。このように構成された本書は、先行研究が多く研究蓄積がある分野を対象に研究を行う際の一つのモデルを提供しているともいえよう。

◇構成および分析枠組

 著者は、分析上の本書の課題として三つの課題を提示している(序論第二節)。その中で、興味深いのが第三の課題「ウィルソン政権の対日政策にみられる個別問題への政策的対応において、それぞれいかなる対外政策の基本要素が顕著に現れたかを分析すること」(13-14頁)である。ここで挙げられる対外政策の基本要素とは、すなわち?権力政治的契機、?経済利益的契機、?イデオロギー的契機の三つである。ここでは齋藤眞の研究からこの三つが取り出されているが、この三つの要素とはかつて高坂正堯が『国際政治』(中公新書)において提示した国際政治の三つの体系(力・利益・価値)とそのまま重なるものである。従来ウィルソン外交の評価は、理想主義的側面が強調されることが多かった。本書では、「三つの契機」という視点を導入することによって、ウィルソン外交の理想主義的な側面と現実主義的な側面をよりバランス良くウィルソン外交を描くことに成功したといえるのではないだろうか。この点は外交史研究一般にも有用だと考えられる。ただし、本書においては?経済利益的契機に関する分析はほとんど行われていない。「門戸開放」政策を考える際に、経済的側面を無視することは適切ではないだろう。
 もっとも、構成上の問題が無いわけではない(日本外交史からの視点は次項で触れる)。まず、各章の分析枠組みの相違である。質的に様々に異なる問題を取り上げている以上、各章の分析手法が異なることはありえることである。各章の分析の共通点として個人の視点を重視されているという点を挙げることは可能であるが、外交文書を主要資料とする外交史研究としてこの点は当然のことであろう。分析枠組みの相違を二点ほど例示しよう。一点目は、第二章においての唐突なマルチ・アーカイヴァル・アプローチの採用である。石井・ランシング協定の成立過程におけるイギリスの意味をイギリスの外交文書を用いて明らかにした同部分は、分析としての厚みといった点で非常に興味深いものであるが、逆になぜ他の問題ではイギリスの視点をあまり重要視していないのかが明確にされてはいない。むしろ同部分を読むと本書で取り上げた他の事象におけるイギリスの意味はどうだったのだろうかと感じてしまう。二点目は、第三章における議会勢力の重視である。この点も一つ目に指摘した点と同様の意義と問題点がある。
 全体の枠組みの点から問題なのは、対アジア政策と対日政策が明確に分けられていないことである。内容から判断すれば本書は明らかに対日政策に焦点が当てられている。しかし、「日米関係のみに焦点が当てられている」という先行研究への批判を踏まえて「対日政策を東アジア政策史の流れの中に位置づける」ことを意識するあまり、両者の区別が不明確になってしまっている。確かに、同時期の日本がアジアの国際政治構造を左右する大国であったことを考えれば、対日政策とはすなわち対アジア政策であり、対アジア政策とはすなわち対日政策という面はある。しかし、序論でアメリカの政策目標として掲げられている「門戸開放」政策が本書の後半、シベリア出兵以降の話の中ではほとんど出てこない。こういった点はやや問題であろう。序論で、本書の焦点がどちらにあるのかをはっきりさせておくことは可能だったのではないだろうか。
 また編集上の問題点も散見される。本書には、各議論のまとめが各章または各節の最後に付されている。読み進める上で便利な点ではあるが、若干重複する部分が多く煩雑である。とりわけ第三章に関してはその傾向が強い。まとめと同様に、本書で一貫して重視されている個人の役割についても、各アクターの生い立ちや背景に関する記述の重複が見られる。これとは逆に明らかに説明が足りない点もいくつかある。例えばシベリア出兵について、本書ではこれまでの研究で軽視されてきた「撤兵」に記述の大半が割かれている。しかし本書では「出兵」の基本的な経緯も書かれておらず、いきなり読むと何が書いてあるのか理解するのが難しいだろう。

◇日本外交史研究への含意と問題点

 本書はあくまでアメリカ外交史として構成されているし、著者自身そのように捉えている。よって、以下のコメントはやや著者の意図とは異なるかもしれないが、日本外交史を研究するものとして本書の日本外交史研究への含意と問題点について若干のコメントをしておきたい。
 日本外交史研究にとって、アメリカは様々な意味で重要な意味を持つ。一般的な意味では、日本外交を考える際にアメリカ要因を無視することは出来ないということである。その意味で、アメリカの対アジア政策や対日政策を分析することは極めて重要である。また資料的な面でアメリカの資料は重要である。これまでの日米関係史の多く、とりわけ戦後については専らアメリカの資料に基づいて日本の視点が描かれてきたといっても過言ではない。また戦前については、逆に日本国内の視点を重視した研究の方が一般的には多い。このような研究状況を鑑みるに本書の意義は大きいといえるだろう。本書によって明らかにされたウィルソン政権の対日政策は、多くの点で日米関係研究に示唆があるものである。例えば、戦前日本の首相として最も対米協調的であった原敬の政策が失敗したのかといった点について本書の示唆するところは大きい。また、対華二十一箇条要求やベルサイユ会議での日本をアメリカがどう見ていたのかという点も本書によってより詳細に明らかにされたと言えよう。
 とはいえ、このようなアメリカの対日観が明らかになった一方で、本書では日本側の視点が掘り下げられていない。日本においては日本の対米外交が常識的に理解されているので、本書を読んでいる際にもすんなり読み進めることが出来るが、前提知識として最低限の日本外交史理解が無ければ日本側の動きが理解しがたいのではないだろうか。このような日本側の視点の弱さは、本書が日本における日米関係研究に対して直接の答えを出すことが出来なかったことにも関係しているのかもしれない。例えば、第二章冒頭で、「いわば「門戸開放を唱えるアメリカが日本の立場に最も近づいた…瞬間であった」(北岡伸一)、とされる石井・ランシング協定の成立過程とその意義の再検証を試みたい」(62頁)と課題を挙げながら、第二章の最後ではこの課題に直接答えることが出来ていない。結果として、本書全体を通じて「日米関係」という視点が弱いものになってしまっている観は否めない。

◇おわりに

 本書評は授業での討論用に作成した原稿を基にしており、批判的検討を行うことに主眼が置かれている。結果として、本書の意義については詳しく触れていない。ここで改めて言うまでも無く、本書は極めて重要なアメリカ外交史の傑作である。ともすれば日本の視点からのみアメリカ外交を捉えがちな我々にとって本書は新たな視点を開いてくれるだろう。

※本書の積極的な意義については、『創文』『外交フォーラム』等に掲載された書評で詳しく書かれているので、そちらも併せて参照していただきたい。

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2007年04月19日

相変わらず長い木曜。

大学院に入ってから授業のコマ数が減ったからか、一日に三コマ授業があるとかなり多く感じる。

2限:国際政治論特殊研究

アメリカの公刊資料をテキストに進めていくこの授業だが、今週は「アメリカ外交と外交史料」と題した先生によるイントロダクション、次週はルンデスタッドの本を使った導入的な授業なので、実際にFRUSを使うのはGW明けということになる。先生からも言われたことだが、GW中にある程度先まで読み進めて授業に臨みたい。

それにしても、今日のイントロを聞いただけでも史資料に対する日本と英米の差を感じずにはいられない。実際身を持ってこの数ヶ月感じているわけでもある。こういった問題一つに日本の戦略的思考というか長中期的思考の無さを感じてしまう。

4限:基礎演習?

今週からゲストスピーカーを招いての授業がスタート。今回からの三回は「比較政治学」の回が続く。今日は「現代における比較政治学の展開」がテーマ。ゲストの先生が最初に雑談を交えつつ時間を割いて語っていた「日本における比較政治学の現状がいかに混乱(?)しているか」ということはよく分かったが、肝心の比較政治学の展開についてはいまいち分かりづらかった。

昨年度の数回と今回を聞いただけだが、こういった基礎科目は教える方は本当に大変なんだろうなと感じた。聞き手のレベルをどのように設定するのかによって話し方や内容も変わってくるのだろうし、それが授業の根幹に関わるからだ。しかし、修士課程向けとはいえ一応は大学院に設置された科目なのだからもう少し突っ込んだ話をしてほしいものだ。学部生向けのテキストに出てくるような大雑把な展開を今更聞かされてもなあ、と生意気と承知しつつも思ってしまう。

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

今日のテーマは「南原繁と丸山眞男」。事前に指定されたテキストは、加藤節『南原繁』(岩波新書)と石田雄『丸山眞男との対話』(みすず書房)の二冊だ。

ゲストの先生は、日本を代表する政治学者の一人ともいえる大先生だ。今回のテーマは、南原繁を研究している某先輩の求めに応じて設定されたということだが、これまで先生は必ずしも南原と丸山の比較検討をしておらず、むしろこの両者ということならば専ら丸山について言及してきている。それにも関わらず一院生の求めに応じてこういった報告をする先生の姿勢は素晴らしいものだと思う。加えて八十を過ぎているにも関わらず最新の学問動向にも目を配って積極的に発言を続け、また院生の質疑にも真摯に応えるということもまたすごいことだ。その主張が自分にとって納得できるかどうかという問題は別にしても、本当に尊敬する。

肝心の内容については、次週ディスカッサントになっているので、詳しくは次週書きたいと思う。



そんなこんなで盛り沢山の一日だったのだが、まだまだやることが残っているというのがつらい。が、知的にはわくわくするので楽しいわけだが。そう感じてしまう自分は、もはや「変態の森」の住人なんだろうか。

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