2007年03月
2007年03月30日
低姿勢外交の行方。
この三週間ばかりブログの副題にしている「低姿勢外交」という標語。由来は言うまでも無く、池田勇人内閣の政治姿勢の標語「低姿勢」である。これまで生まれついての「高姿勢」が様々な軋轢を生んできたので、それを改めて、研究に精進して行こうという決意表明みたいなものだ。
これについてある先生から「ツッコミ」を受ける。曰く、
最近は「低姿勢外交」を標榜中なんですか??
目指すは「高度成長」なんでしょうか? インフレにはご注意を。
とのこと。さすが先生うまいことを言うなと思い(この時点で全然低姿勢になっていない)、
目指すは「高度成長」、というのはいいキャッチ・フレーズなのでこれから使わせていただきます。多少インフレ気味であっても実質成長率が高ければいいかなといったところです。
と返信。すると次に送られてきたのは、
高度成長 → 列島改造 → 狂乱物価
という矢印で結ばれた忌まわしい歴史の流れ。これが出てきた文脈はちょっと違うのだが、調子に乗ってインフレが進み経済が麻痺するという暗示のようで恐い。
でも考えてみると、研究のインフレが何なのかがよく分からないような気もする。
結局「低姿勢」を標榜しても、「貧乏人は麦を食え」発言的な根本は変わらないのかもしれない(ちなみにこの発言の括弧内は記者にうまく作られたものらしい、マスコミって恐い)。それでも標榜することに意味がある。ひとまず日々の生活を「低姿勢」、そして同輩や後輩には「寛容と忍耐」で、精一杯生きていこうと思います。
これについてある先生から「ツッコミ」を受ける。曰く、
最近は「低姿勢外交」を標榜中なんですか??
目指すは「高度成長」なんでしょうか? インフレにはご注意を。
とのこと。さすが先生うまいことを言うなと思い(この時点で全然低姿勢になっていない)、
目指すは「高度成長」、というのはいいキャッチ・フレーズなのでこれから使わせていただきます。多少インフレ気味であっても実質成長率が高ければいいかなといったところです。
と返信。すると次に送られてきたのは、
高度成長 → 列島改造 → 狂乱物価
という矢印で結ばれた忌まわしい歴史の流れ。これが出てきた文脈はちょっと違うのだが、調子に乗ってインフレが進み経済が麻痺するという暗示のようで恐い。
でも考えてみると、研究のインフレが何なのかがよく分からないような気もする。
結局「低姿勢」を標榜しても、「貧乏人は麦を食え」発言的な根本は変わらないのかもしれない(ちなみにこの発言の括弧内は記者にうまく作られたものらしい、マスコミって恐い)。それでも標榜することに意味がある。ひとまず日々の生活を「低姿勢」、そして同輩や後輩には「寛容と忍耐」で、精一杯生きていこうと思います。
2007年03月29日
ぽかぽか陽気。
今日は午前は大学の図書館、午後は我が家の近所にある他大学の図書館へ行って文献収集をした。よく晴れていて気持ちがいい一日だった。
資料とは異なって、文献の場合は面白いものを見つけるのも早いので、この文献収集&リストアップの作業はなかなか楽に進むし素直に面白い。今となっては完全に忘れられている研究や、古本屋等ではなかなか見つけることが出来ない稀少本を見つけてニンマリしてしまう。まあ、これは俺だけかもしれませんが。移動時間や休憩時間にちょっと外交官のオーラル・ヒストリーを読んだくらいで、今日は夕方までひたすら文献収集の作業に没頭していた。そういうわけで、それなりに色々な文献を見つけることが出来たし、新しい発見がいくつかあった。
でもよくよく考えてみると今日の作業は、次なる作業である読書の準備でしかないわけで、今日の作業が実を結ぶのは実際に本を読んでからなのだ。そう考えてみると今日の成果は、読み終えたオーラルと読みかけの回顧録、それに英語の勉強を兼ねて読んだ論文だけということ。
そんな今日の数少ない成果のオーラル・ヒストリー。今日読んだのは某外交官がインタビュイーだ。このオーラルは、オーラルならではの問題点がよく浮き彫りになっていたような気がする。インタビュイーは、ぬらりくらりとかわしているような印象があり、話も前後を行ったり来たりしながらあまり脈絡がない。正確な日記を携えてという性質のオーラルではないのだが、話があまりにごちゃまぜになっている。オーラルの難しさが分かりやすい形で表れている。
これだけならただインタビュイーのパーソナリティーの問題のようだが、実際の問題はもっと複雑だ。このオーラルにはインタビュアーの一人として元外交官も加わっているのだが、その元外交官がインタビュー最終回で「私が見ていて、○○大使は相当発言を控えておられると思います。ですから○○さんは、もっと引き出さなきゃいけない」(○○部分はそれぞれインタビュイーとメインインタビュアー)と発言しているのだ。
もっとも、この直後に「可能なら、もうワン・セッションは時間をいただきたいですね」と発言しているのだが、実際に刊行されたオーラルはこの発言があった回が最終回になっている。この発言とこの回が最終回になっているという事実を付き併せて考えれば、インタビュイーのパーソナリティーの問題もあるが、それでもあえて言っていない部分がかなりあると考えるのが妥当なのかもしれない。これは、インタビュー当時にもインタビュイーが公職に就いていたこととも関係しているのかもしれない。
こういった機微に関わることは実際のインタビューのテープでも聞かなければなかなか判断がつき難い。だがこういったオーラルを実際の研究でどうやって用いるかという問題は意外と簡単だ。出来る限り「直接引用」のような形では用いない、資料としての評価を下げて扱う、というように扱いに気を使うということだ。
資料とは異なって、文献の場合は面白いものを見つけるのも早いので、この文献収集&リストアップの作業はなかなか楽に進むし素直に面白い。今となっては完全に忘れられている研究や、古本屋等ではなかなか見つけることが出来ない稀少本を見つけてニンマリしてしまう。まあ、これは俺だけかもしれませんが。移動時間や休憩時間にちょっと外交官のオーラル・ヒストリーを読んだくらいで、今日は夕方までひたすら文献収集の作業に没頭していた。そういうわけで、それなりに色々な文献を見つけることが出来たし、新しい発見がいくつかあった。
でもよくよく考えてみると今日の作業は、次なる作業である読書の準備でしかないわけで、今日の作業が実を結ぶのは実際に本を読んでからなのだ。そう考えてみると今日の成果は、読み終えたオーラルと読みかけの回顧録、それに英語の勉強を兼ねて読んだ論文だけということ。
そんな今日の数少ない成果のオーラル・ヒストリー。今日読んだのは某外交官がインタビュイーだ。このオーラルは、オーラルならではの問題点がよく浮き彫りになっていたような気がする。インタビュイーは、ぬらりくらりとかわしているような印象があり、話も前後を行ったり来たりしながらあまり脈絡がない。正確な日記を携えてという性質のオーラルではないのだが、話があまりにごちゃまぜになっている。オーラルの難しさが分かりやすい形で表れている。
これだけならただインタビュイーのパーソナリティーの問題のようだが、実際の問題はもっと複雑だ。このオーラルにはインタビュアーの一人として元外交官も加わっているのだが、その元外交官がインタビュー最終回で「私が見ていて、○○大使は相当発言を控えておられると思います。ですから○○さんは、もっと引き出さなきゃいけない」(○○部分はそれぞれインタビュイーとメインインタビュアー)と発言しているのだ。
もっとも、この直後に「可能なら、もうワン・セッションは時間をいただきたいですね」と発言しているのだが、実際に刊行されたオーラルはこの発言があった回が最終回になっている。この発言とこの回が最終回になっているという事実を付き併せて考えれば、インタビュイーのパーソナリティーの問題もあるが、それでもあえて言っていない部分がかなりあると考えるのが妥当なのかもしれない。これは、インタビュー当時にもインタビュイーが公職に就いていたこととも関係しているのかもしれない。
こういった機微に関わることは実際のインタビューのテープでも聞かなければなかなか判断がつき難い。だがこういったオーラルを実際の研究でどうやって用いるかという問題は意外と簡単だ。出来る限り「直接引用」のような形では用いない、資料としての評価を下げて扱う、というように扱いに気を使うということだ。
2007年03月28日
「知的変態」考。
今日は、四月から就職する大学院の先輩の「就職祝賀会」だった。一般企業へ就職するのと、大学・研究機関に就職するのでは、その門の狭さやそれまでの道の険しさが大きく異なる。道は険しい上に門も狭い、そんな大学院生活を最低でも五年以上送ることが出来るということだけで、立派な「知的変態」(褒め言葉です、念のため)だ。
そんな先輩達の書いたものを読むと、自分には山のようにやることが残っているんだな、と強く思わされる。山のような先行研究・資料を読み、さらに研究とは直接関係が無くても知的体力を鍛えるために古今東西の古典を読み、必要な語学力を身に付けるという修行を経なければしっかりした論文は書けない。で、こういった修行をした上でなお分析のシャープさといった問題にもぶつかってくる。
嗚呼、知的変態。
第一段階:本気で目指すなら大学院へ進学しよう。
第二段階:間違えて入ってしまったら早めに抜けよう。
第三段階:入ってから迷ったらとりあえず頑張りましょう。
第四段階:迷わなくなったら立派な知的変態予備軍。
今の俺は大体第三段階と第四段階の間くらいだろうか。
そんな先輩達の書いたものを読むと、自分には山のようにやることが残っているんだな、と強く思わされる。山のような先行研究・資料を読み、さらに研究とは直接関係が無くても知的体力を鍛えるために古今東西の古典を読み、必要な語学力を身に付けるという修行を経なければしっかりした論文は書けない。で、こういった修行をした上でなお分析のシャープさといった問題にもぶつかってくる。
嗚呼、知的変態。
第一段階:本気で目指すなら大学院へ進学しよう。
第二段階:間違えて入ってしまったら早めに抜けよう。
第三段階:入ってから迷ったらとりあえず頑張りましょう。
第四段階:迷わなくなったら立派な知的変態予備軍。
今の俺は大体第三段階と第四段階の間くらいだろうか。
2007年03月27日
講演会&研究相談。
昨日今日と大学で講演会があった(リンク)。今日の講演者は、かの有名なベネディクト・アンダーソンだった。歴史に残るような大学者は、一目見ておくだけでも意味があると、現在サバティカルの師匠が常々言っていたので、今日はそれを実践してみた。
とはいえ講演というのは一般向けに話すわけだし、あまり突っ込んだ話をしないことが多く取り立てて興味深くは無いものがほとんどだ。今日の講演会もその例には漏れず、知的な面白さという点ではその講演時間に著書を読んでいる方がよっぽどいいのかもしれない。でも今日は「アウラ」を感じることに目的があったのでそれでよし。
ちなみにこの連続講演会は、大学の創立150周年記念事業の一環らしい。こうやってわずかでも大学の事業の恩恵に与っていきたいものだ。
◇
午前中の講演会の後、午後は後輩と共に学部時代からお世話になっている先生に研究計画の相談をした。具体的な修士論文の研究計画書を基にして、簡単にこちらから報告をしてそれについてコメントを頂いた。厳しいコメントも頂いたが、研究のサブスタンスはこのままで大きな問題は無さそうということでひと安心といったところだ。コメントをやや抽象化して書くと、
?日本外交史の文脈での時代性
?国際政治史の文脈での時代性
?扱うテーマの背景にあるより大きい問題
これらをもっと意識して論文の意義について考えなさい、ということ。これらの問題は突き詰めて考えておかなければならないし、それを意識しなければ論文が全く面白くなくなってしまう。そういう意味では厳しいコメントで、しっかり受け止めて今後の研究を進めていかなければならない。特に?と?については、まだまだ文献の読み込みが不十分なので、時間を取ってしっかりとやらなければならない。
が、実はこのコメントは俺にとってかなり嬉しいコメントだった。大きな話や背景にある問題よりもとにかくサブスタンスをしっかりさせる、研究の方向性をしっかりと固める、これがこの三ヶ月ほど意識してやってきたことだったから、今日のコメントは言われて当然のことであった。???ともに俺は細かい事実や資料どうこうよりも興味があることだし、俄然やる気が湧いてくるというものだ。こういう時に、生来の楽天的な性格で得をする。
ただし難しいのは、???に挙げられたことは修士論文の表面にあまり出すべきものではない。その辺の書き方や力の入れ方というのが、今後執筆を進めていく上で迷いそうなところだ。
とはいえ講演というのは一般向けに話すわけだし、あまり突っ込んだ話をしないことが多く取り立てて興味深くは無いものがほとんどだ。今日の講演会もその例には漏れず、知的な面白さという点ではその講演時間に著書を読んでいる方がよっぽどいいのかもしれない。でも今日は「アウラ」を感じることに目的があったのでそれでよし。
ちなみにこの連続講演会は、大学の創立150周年記念事業の一環らしい。こうやってわずかでも大学の事業の恩恵に与っていきたいものだ。
◇
午前中の講演会の後、午後は後輩と共に学部時代からお世話になっている先生に研究計画の相談をした。具体的な修士論文の研究計画書を基にして、簡単にこちらから報告をしてそれについてコメントを頂いた。厳しいコメントも頂いたが、研究のサブスタンスはこのままで大きな問題は無さそうということでひと安心といったところだ。コメントをやや抽象化して書くと、
?日本外交史の文脈での時代性
?国際政治史の文脈での時代性
?扱うテーマの背景にあるより大きい問題
これらをもっと意識して論文の意義について考えなさい、ということ。これらの問題は突き詰めて考えておかなければならないし、それを意識しなければ論文が全く面白くなくなってしまう。そういう意味では厳しいコメントで、しっかり受け止めて今後の研究を進めていかなければならない。特に?と?については、まだまだ文献の読み込みが不十分なので、時間を取ってしっかりとやらなければならない。
が、実はこのコメントは俺にとってかなり嬉しいコメントだった。大きな話や背景にある問題よりもとにかくサブスタンスをしっかりさせる、研究の方向性をしっかりと固める、これがこの三ヶ月ほど意識してやってきたことだったから、今日のコメントは言われて当然のことであった。???ともに俺は細かい事実や資料どうこうよりも興味があることだし、俄然やる気が湧いてくるというものだ。こういう時に、生来の楽天的な性格で得をする。
ただし難しいのは、???に挙げられたことは修士論文の表面にあまり出すべきものではない。その辺の書き方や力の入れ方というのが、今後執筆を進めていく上で迷いそうなところだ。
2007年03月26日
回顧録の話。
こういうタイトルを付けて、その文章を読みたいと思う人はどれくらいいるのだろうか。政治家の回顧録だけを取り上げた本がそれなりに売れて文庫化されるくらいだから、それなりにはいるのだろうか。でも、大学生くらいの年頃では本当に限られるんだろう。いるとしても権力志向の強い人か、変態のどちらかなんだろうなー、当然俺は後者ということか。
今日は回顧録を一冊紹介します。
回顧録やオーラル・ヒストリーを読むのが、研究や趣味を越えてライフ・ワークになりつつある。ゴミみたいな、現役政治家の活動報告みたいなものは読まないが、昔活躍していた政治家や外交官の回顧録を古本屋などで見つけるとついつい内容も見ずに買ってしまう。この本は、ある後輩が買ってきてくれた一冊だ。
・東郷文彦『日米外交三十年』(中公文庫)
日本の官僚の回顧録は、淡々と事実を書き連ねているので文章として退屈か、過度に自分の功績を誇っていてちょっと視線を背けたくなるか、もしくは毒にも薬にもならないようなものか、この三つの場合が多い。この類型の中に当てはめるとしたら本書は最初のものに当てはまる。しかし、淡々としたやや退屈な文章ながら本書の内容は実に興味深いものがある。本書の著者は第二次大戦直前に外務省に入省し、その後外務審議官、外務事務次官、駐アメリカ大使などの要職を歴任した東郷文彦である。その岳父は、開戦時と終戦時に外務大臣を務めた東郷茂徳であり、その下で秘書官などを著者は務めていた。
本書は1945年8月15日の敗戦から筆が起こされ、憲法・講和などについて簡単に触れた後、著者が安保課長として関わった安保改定、アメリカ局長として中心的な役割を果たした沖縄返還、そしてその後の外務次官時代、駐アメリカ大使時代の出来事をほぼ時系列に沿って振り返っている。戦後日本外交の中枢部に常に身を置き続けた著者の回顧は、淡々としながらもその内容面で読むものに迫ってくるものがある。既に出版から25年が経過しており、本書で触れられている安保改定や沖縄返還については、その後の研究等で詳細が明らかになったことが多い。そういった事情を踏まえて本書を読むとなかなか複雑な気持ちになる部分も少なくない。例えば沖縄返還の際の密使の存在について、本書は次のように書いている。
…『ホワイトハウス・イヤーズ』によれば、総理とキッシンジャー補佐官との間に連絡者があったことになっている。もし本当にそうであったとしでも、私はあの当時のことを考えて総理に含むところは全くなく、それなら総理の生前に「総理も人が悪いですな」と一言笑って申し上げたかったなと思うだけである。
密使については、キッシンジャーの回顧録だけでなく、後には密使本人によりその存在が明らかにされた(『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』)ことは周知の通りである。この事実からは外務省の担当局長にも伝えずに密使を用いる政治家の凄さが伝わってくる。この沖縄返還時のエピソードの他にも、小笠原諸島返還時の星条旗をめぐる逸話など、興味深いエピソードが本書にはいくつか紹介されている。
今日は回顧録を一冊紹介します。
回顧録やオーラル・ヒストリーを読むのが、研究や趣味を越えてライフ・ワークになりつつある。ゴミみたいな、現役政治家の活動報告みたいなものは読まないが、昔活躍していた政治家や外交官の回顧録を古本屋などで見つけるとついつい内容も見ずに買ってしまう。この本は、ある後輩が買ってきてくれた一冊だ。
・東郷文彦『日米外交三十年』(中公文庫)
日本の官僚の回顧録は、淡々と事実を書き連ねているので文章として退屈か、過度に自分の功績を誇っていてちょっと視線を背けたくなるか、もしくは毒にも薬にもならないようなものか、この三つの場合が多い。この類型の中に当てはめるとしたら本書は最初のものに当てはまる。しかし、淡々としたやや退屈な文章ながら本書の内容は実に興味深いものがある。本書の著者は第二次大戦直前に外務省に入省し、その後外務審議官、外務事務次官、駐アメリカ大使などの要職を歴任した東郷文彦である。その岳父は、開戦時と終戦時に外務大臣を務めた東郷茂徳であり、その下で秘書官などを著者は務めていた。
本書は1945年8月15日の敗戦から筆が起こされ、憲法・講和などについて簡単に触れた後、著者が安保課長として関わった安保改定、アメリカ局長として中心的な役割を果たした沖縄返還、そしてその後の外務次官時代、駐アメリカ大使時代の出来事をほぼ時系列に沿って振り返っている。戦後日本外交の中枢部に常に身を置き続けた著者の回顧は、淡々としながらもその内容面で読むものに迫ってくるものがある。既に出版から25年が経過しており、本書で触れられている安保改定や沖縄返還については、その後の研究等で詳細が明らかになったことが多い。そういった事情を踏まえて本書を読むとなかなか複雑な気持ちになる部分も少なくない。例えば沖縄返還の際の密使の存在について、本書は次のように書いている。
…『ホワイトハウス・イヤーズ』によれば、総理とキッシンジャー補佐官との間に連絡者があったことになっている。もし本当にそうであったとしでも、私はあの当時のことを考えて総理に含むところは全くなく、それなら総理の生前に「総理も人が悪いですな」と一言笑って申し上げたかったなと思うだけである。
密使については、キッシンジャーの回顧録だけでなく、後には密使本人によりその存在が明らかにされた(『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』)ことは周知の通りである。この事実からは外務省の担当局長にも伝えずに密使を用いる政治家の凄さが伝わってくる。この沖縄返還時のエピソードの他にも、小笠原諸島返還時の星条旗をめぐる逸話など、興味深いエピソードが本書にはいくつか紹介されている。
2007年03月25日
スポーツと本の話。
この週末はスポーツが充実している。と、思っていたのだが、終わってみるとがっかりという感じだ。
一つ目は、昨日のサッカー日本代表のペルー戦だ。事前に全然情報を知らなかったので、ペルーのメンバーがあそこまで少ないことや、監督が就任したばかりということも知らなかった。加えて、中村と高原の周囲との噛み合わなさがとにかく気になった。確かに二点ともに中村のアシストだったが、それはセットプレー。流れの中での連携がしっかり無ければなー、と嘆息してしまう。高原の場合は、巻との連携がいまいちという感じだった。まあ、合流したばかりであれば仕方が無いというところか。
二つ目と三つ目は小さな話だ。二つ目は、今日ライオンズが楽天に負けたこと。楽天には楽々と連勝して欲しい。三つ目は、ジュビロがナビスコカップの予選リーグで横浜FCに完敗したこと。大丈夫か、ジュビロは。
四つ目は、大相撲。優勝がかかる千秋楽の相撲の三番の内二番の決まり手が、叩き込みじゃあ盛り上がれない。横綱(朝青龍)VS.大関(千代大海)の一戦で変化する横綱もダメだし、優勝決定戦で力相撲を挑まない大関(白鵬)もダメだ。八百長報道があった後なんだし、がちんこの四つ相撲が見たかった。
そんなこんなで、がっかりです。
◇
スポーツの話と本の話の間に、スポーツ関係の本の話をしたい。
我が家では読書面の充実を理由の一つとして『毎日新聞』を取っているのだが、今日の「今週の本棚」で紹介されていた本が面白そうだった。書評のコーナーではなく、記者がインタビューなどを元に構成している「本と人」のコーナー(リンク)で紹介されていた、木村元彦『蹴る群れ』(講談社)に興味をひかれた。
出版社の内容紹介では、
ベストセラー『オシムの言葉』の原点…サッカーは国境を越える!
武器は己の肉体、舞台は巨大なスタジアム。様々な苦難を物ともせず、国境を軽やかに越えて闘う反骨のフットボーラーたち。独裁政権から自由を求めて疾走したルディ・バタ、差別と貧困に耐え、ビロード革命に大きな影響を与えたハシェック、戦禍の中で闘い続けるイラク代表チームなど、サッカーで自らの人生を切り開いていった人々を追った、著者渾身のルポルタージュ。
ということらしい。俺の周りの何人かが強く惹かれそうな本だ。早速、購入したもののいつ読めるのだろうか。どんどん積読状態の本が増えていく。
◇
で、今日一気に読んだ本を書評しようと思ったのだが、ここまで一気に書いて疲れたので本は明日にでも紹介します。
一つ目は、昨日のサッカー日本代表のペルー戦だ。事前に全然情報を知らなかったので、ペルーのメンバーがあそこまで少ないことや、監督が就任したばかりということも知らなかった。加えて、中村と高原の周囲との噛み合わなさがとにかく気になった。確かに二点ともに中村のアシストだったが、それはセットプレー。流れの中での連携がしっかり無ければなー、と嘆息してしまう。高原の場合は、巻との連携がいまいちという感じだった。まあ、合流したばかりであれば仕方が無いというところか。
二つ目と三つ目は小さな話だ。二つ目は、今日ライオンズが楽天に負けたこと。楽天には楽々と連勝して欲しい。三つ目は、ジュビロがナビスコカップの予選リーグで横浜FCに完敗したこと。大丈夫か、ジュビロは。
四つ目は、大相撲。優勝がかかる千秋楽の相撲の三番の内二番の決まり手が、叩き込みじゃあ盛り上がれない。横綱(朝青龍)VS.大関(千代大海)の一戦で変化する横綱もダメだし、優勝決定戦で力相撲を挑まない大関(白鵬)もダメだ。八百長報道があった後なんだし、がちんこの四つ相撲が見たかった。
そんなこんなで、がっかりです。
◇
スポーツの話と本の話の間に、スポーツ関係の本の話をしたい。
我が家では読書面の充実を理由の一つとして『毎日新聞』を取っているのだが、今日の「今週の本棚」で紹介されていた本が面白そうだった。書評のコーナーではなく、記者がインタビューなどを元に構成している「本と人」のコーナー(リンク)で紹介されていた、木村元彦『蹴る群れ』(講談社)に興味をひかれた。
出版社の内容紹介では、
ベストセラー『オシムの言葉』の原点…サッカーは国境を越える!
武器は己の肉体、舞台は巨大なスタジアム。様々な苦難を物ともせず、国境を軽やかに越えて闘う反骨のフットボーラーたち。独裁政権から自由を求めて疾走したルディ・バタ、差別と貧困に耐え、ビロード革命に大きな影響を与えたハシェック、戦禍の中で闘い続けるイラク代表チームなど、サッカーで自らの人生を切り開いていった人々を追った、著者渾身のルポルタージュ。
ということらしい。俺の周りの何人かが強く惹かれそうな本だ。早速、購入したもののいつ読めるのだろうか。どんどん積読状態の本が増えていく。
◇
で、今日一気に読んだ本を書評しようと思ったのだが、ここまで一気に書いて疲れたので本は明日にでも紹介します。
2007年03月24日
三度、あれから一年。
昨日は後輩&友人某の卒業式だった。
卒業おめでとう。
午前中は日吉に本を探しに行っていたのだが、構内にはまばらに式に入り損ねた卒業生がちらほらいた。ちなみに図書館の中はすかすかだ。日吉はなぜか政治家や外交観の回顧録などが三田よりも充実している。今日も収穫がいくつか。やっぱり本は本棚を見て選びたい。日吉の四階には初めて入ったのだが、昔の本がいろいろあってちょっと面白いところだ。あそこに入れるのは院生の数少ない特権の一つだ。
午後は修士の先輩の修了祝い(ちなみに大学院の卒業式は月末に三田である)のカラオケに、…三時間も歌ってしまった。
で、三田へ移動し勉強しようと思ったところに、卒業生から連絡。そんなわけでゼミの後輩&そのまた後輩達と、写真を撮ったり、一人私服で「空気読め」と言われたり、カラオケ行ったり(また!)、夕食を食べたりしつつ過ごす。本当ならば四月からは会えなくなって寂しい気持ちになるんだろうけど、そのメンバーの大半は大学院に進学ということで、感傷的な気持ちはあまり芽生えるようなこともない。とはいえ、このメンバーがこうやって集まることももうあまり無いのだろうか。
その後はホテルの一室で、ゼミのメンバー達と飲んで過ごす。ん、何で俺がここにいるのだろう。という気もするが、まあいいだろう。
◇
今朝チェックアウトをして軽く食事をして帰ったのだが、結局そこに残ったのは見事にいつもいるメンバーだ。そして帰宅する時に、最後まで一緒だったのは来年から大学院で机を並べる後輩だ。結局、最後に残るのはこの二人か、とい思わずにはいられない…。四月からは共に研究者の最底辺でもがいていければいいと思う。
帰宅後、少し仮眠して気が付くと三時になっていた。「遊ぶのはいいが、ちゃんとその分を取り返すだけしっかりと研究をしなければ」というのは、言うのは簡単だがやるのはなかなか難しい。案の定集中力が続かず、色々なことを少しずつやるだけの一日なってしまった。
卒業おめでとう。
午前中は日吉に本を探しに行っていたのだが、構内にはまばらに式に入り損ねた卒業生がちらほらいた。ちなみに図書館の中はすかすかだ。日吉はなぜか政治家や外交観の回顧録などが三田よりも充実している。今日も収穫がいくつか。やっぱり本は本棚を見て選びたい。日吉の四階には初めて入ったのだが、昔の本がいろいろあってちょっと面白いところだ。あそこに入れるのは院生の数少ない特権の一つだ。
午後は修士の先輩の修了祝い(ちなみに大学院の卒業式は月末に三田である)のカラオケに、…三時間も歌ってしまった。
で、三田へ移動し勉強しようと思ったところに、卒業生から連絡。そんなわけでゼミの後輩&そのまた後輩達と、写真を撮ったり、一人私服で「空気読め」と言われたり、カラオケ行ったり(また!)、夕食を食べたりしつつ過ごす。本当ならば四月からは会えなくなって寂しい気持ちになるんだろうけど、そのメンバーの大半は大学院に進学ということで、感傷的な気持ちはあまり芽生えるようなこともない。とはいえ、このメンバーがこうやって集まることももうあまり無いのだろうか。
その後はホテルの一室で、ゼミのメンバー達と飲んで過ごす。ん、何で俺がここにいるのだろう。という気もするが、まあいいだろう。
◇
今朝チェックアウトをして軽く食事をして帰ったのだが、結局そこに残ったのは見事にいつもいるメンバーだ。そして帰宅する時に、最後まで一緒だったのは来年から大学院で机を並べる後輩だ。結局、最後に残るのはこの二人か、とい思わずにはいられない…。四月からは共に研究者の最底辺でもがいていければいいと思う。
帰宅後、少し仮眠して気が付くと三時になっていた。「遊ぶのはいいが、ちゃんとその分を取り返すだけしっかりと研究をしなければ」というのは、言うのは簡単だがやるのはなかなか難しい。案の定集中力が続かず、色々なことを少しずつやるだけの一日なってしまった。
2007年03月22日
2007年03月21日
RockよりPop。
最近、音楽の趣味がどんどんRockからPopに寄ってきている気がする。
中学でハイロウズに出会って以来、Rockばかり聞いていた。周りで流行っていたPunkを聞いたりもした。が、この数年は明らかにPopが中心になってきている。
いつもtsutayaがレンタル半額の時に大量にまとめて借りるのだが、今回借りたのもクラムボンのカバー・アルバム、Cymbals、SUEMITSU&THE SUEMITH、サディスティック・ミカ・バンドなどが中心、なぜか木村カエラ(参加アーティストに惹かれただけだが)やゆずのベストも借りてみたり。NUMBER GIRLも借りているのでRockを捨てたというわけではないが、んー、Popにどんどん寄っている。
加えて最近借りるのは邦楽ばかり。去年新しく仕入れた洋楽の新作は、レッチリとトム・ヨークだけだ。邦楽と比べると何分の一になるのだろうか。昔は勉強のBGMにはもっぱら洋楽だったのが、最近はクラシックばかりになったからだろうか。
散歩をするにも、オザケンとかハナレグミとかスチャが心地好い。
映画は日本から海外にまた戻りつつあるけど、音楽は当分日本ばっかりんんだろうなあ。
中学でハイロウズに出会って以来、Rockばかり聞いていた。周りで流行っていたPunkを聞いたりもした。が、この数年は明らかにPopが中心になってきている。
いつもtsutayaがレンタル半額の時に大量にまとめて借りるのだが、今回借りたのもクラムボンのカバー・アルバム、Cymbals、SUEMITSU&THE SUEMITH、サディスティック・ミカ・バンドなどが中心、なぜか木村カエラ(参加アーティストに惹かれただけだが)やゆずのベストも借りてみたり。NUMBER GIRLも借りているのでRockを捨てたというわけではないが、んー、Popにどんどん寄っている。
加えて最近借りるのは邦楽ばかり。去年新しく仕入れた洋楽の新作は、レッチリとトム・ヨークだけだ。邦楽と比べると何分の一になるのだろうか。昔は勉強のBGMにはもっぱら洋楽だったのが、最近はクラシックばかりになったからだろうか。
散歩をするにも、オザケンとかハナレグミとかスチャが心地好い。
映画は日本から海外にまた戻りつつあるけど、音楽は当分日本ばっかりんんだろうなあ。
2007年03月20日
活気付く(?)大学。
この週末を挟んで急に大学に人が増えたような気がする。
就活戦線が本格化してきた、入ゼミ課題の締切が近付いてきている、三田で追いコンがあり大学についでに寄ってみる人がいる、こんなところが理由の一つだろうか。ともかく食堂が徐々に混みだしたり、パソコンの席が満席だったりといいことは何一つない。これであと二週間もすると、いつも以上に人が多くうんざりな大学になるというわけだ。
ちなみに南館の地下四階や旧図書館といった、院生の出没スポットには全くと言っていいほど人の数が変わっていない。そういえば、院棟のキャレルの人口も変わっていないような気がする。
◇
発表以来注目してきた、「自由と繁栄の弧」をつくる、という外交戦略に関する特集が今月(といっても発売からは時間が経っているが)の『外交フォーラム』に掲載されている。
この政策に関するに評価が定まっていない、論者によって考えているものが違うのだな、という今までも持っていた印象が今回の特集によってさらに強められた。率直に言って、今月の特集はいつも以上に玉石混淆の感が強い。
就活戦線が本格化してきた、入ゼミ課題の締切が近付いてきている、三田で追いコンがあり大学についでに寄ってみる人がいる、こんなところが理由の一つだろうか。ともかく食堂が徐々に混みだしたり、パソコンの席が満席だったりといいことは何一つない。これであと二週間もすると、いつも以上に人が多くうんざりな大学になるというわけだ。
ちなみに南館の地下四階や旧図書館といった、院生の出没スポットには全くと言っていいほど人の数が変わっていない。そういえば、院棟のキャレルの人口も変わっていないような気がする。
◇
発表以来注目してきた、「自由と繁栄の弧」をつくる、という外交戦略に関する特集が今月(といっても発売からは時間が経っているが)の『外交フォーラム』に掲載されている。
この政策に関するに評価が定まっていない、論者によって考えているものが違うのだな、という今までも持っていた印象が今回の特集によってさらに強められた。率直に言って、今月の特集はいつも以上に玉石混淆の感が強い。