2006年12月
2006年12月10日
いい刺激。
午前中に家庭教師を終えた後は、映画でも観て気分転換して日曜日らしい生活を送ろうかなと思っていたのだが、結局午後の大半は勉強に費やすことになってしまった。
映画は「麦の穂をゆらす風」と「上海の伯爵夫人」の二本が気になっている。誰か観た人がいたら、情報をください。
修士論文のテーマに直接繋がる先行研究と経済史の概説書を読んでいたのだが、経済史の方が難儀だ。戦後日本について語る時に「独占資本が…」とやられるとちょっとつらい。マルクス主義史学とは距離を置いた経済史を探したい。
その後、夕方からは後輩と卒論構想について議論&もう一人友人を交えておしゃべり。学部生の卒論とはいっても「入院」確定の後輩なので、それなりにしっかりと先行研究を見た上での卒論構想だ。そんなわけで、こちらも読んでいてなかなか刺激になる。後輩の研究テーマはヨーロッパなので、もちろん自分よりもそのテーマに関する知識は多い。だから俺のコメントがどれだけ有益なのかは分からないが、俺はたんに楽しく読んで楽しくコメントをしているだけなのだからまあいいだろう。自分勝手な気もするが。
幸いというか、俺の周り(というかゼミの後輩?)には自分の勉強を気合入れてやっている後輩が何人かいる。こういう環境は自分にとって非常に心地いい。
映画は「麦の穂をゆらす風」と「上海の伯爵夫人」の二本が気になっている。誰か観た人がいたら、情報をください。
修士論文のテーマに直接繋がる先行研究と経済史の概説書を読んでいたのだが、経済史の方が難儀だ。戦後日本について語る時に「独占資本が…」とやられるとちょっとつらい。マルクス主義史学とは距離を置いた経済史を探したい。
その後、夕方からは後輩と卒論構想について議論&もう一人友人を交えておしゃべり。学部生の卒論とはいっても「入院」確定の後輩なので、それなりにしっかりと先行研究を見た上での卒論構想だ。そんなわけで、こちらも読んでいてなかなか刺激になる。後輩の研究テーマはヨーロッパなので、もちろん自分よりもそのテーマに関する知識は多い。だから俺のコメントがどれだけ有益なのかは分からないが、俺はたんに楽しく読んで楽しくコメントをしているだけなのだからまあいいだろう。自分勝手な気もするが。
幸いというか、俺の周り(というかゼミの後輩?)には自分の勉強を気合入れてやっている後輩が何人かいる。こういう環境は自分にとって非常に心地いい。
2006年12月09日
いいタイミング。
午後、九段下へ行き戦後外交史研究会へ出席。
普段は修士課程の院生も何人かいるので気が楽なのだが、今日はなぜか修士課程の院生は自分一人だけ。加えて某大先生も来ていたのでやや場違いかな~、とも思ったが気にせずに、その後の飲み会にも出席してしまった。
この秋に行われた国際政治学会の日本外交史部会(「日本外交史研究と情報公開」)のフォローアップという位置づけらしく、学会での発表者の一人が発表者で、テーマは「いわゆる「外交記録公開制度」の沿革・課題・提言」。色々と考えるところがあって、秋の学会には行かなかったのでこういった形で話が聞けるのは有難い限りだ。
そんなわけで、今日は資料の話。今週水曜に先行研究の大まかな整理に一区切り付けて、これからは第二段階(=資料と格闘しつつ自分の議論を作ると段階)だ、と宣言したところだったので、今日の研究会はちょうどいいタイミングだった。
外交記録公開制度の沿革や、現在の情報公開法との関係、現段階で開いている資料、などについてかなり細かく説明があったので、これから資料を本格的に探そうとしている自分にとっては非常に有益だった。やや時間が長く疲れはしたが…。
今日の研究会やその後の飲み会での話を総合してみると、自分が修士論文でやろうと考えているテーマに関しては、外交資料館に行っても資料は無いということらしい。まあ、博士過程に進むのであればその頃にはある程度資料が開いてくると思うので今回は仕方が無いだろう。
それでは本格的な研究にするためにはどうするか。まずは情報公開法を大いに活用すること。そしてアメリカ側の文書を利用する(某先生からはメリーランドに行きなさい、とのお言葉を頂く)。加えて他省庁(経産省、財務省)の図書館や国立公文書館などに通って資料を探すとともに、こちらに関しても情報公開法を利用してみる。後は文脈形成をする意味で既存のオーラル・ヒストリーを利用する&自分でも関係者へインタビューを実施する、といったところだろうか。
ふーむ、なかなか修論への道は険しい。ひとまず詳細な関係年表の作成、公開資料の収集、各省庁の人事表の作成を早めにやらなけらばいけない。
普段は修士課程の院生も何人かいるので気が楽なのだが、今日はなぜか修士課程の院生は自分一人だけ。加えて某大先生も来ていたのでやや場違いかな~、とも思ったが気にせずに、その後の飲み会にも出席してしまった。
この秋に行われた国際政治学会の日本外交史部会(「日本外交史研究と情報公開」)のフォローアップという位置づけらしく、学会での発表者の一人が発表者で、テーマは「いわゆる「外交記録公開制度」の沿革・課題・提言」。色々と考えるところがあって、秋の学会には行かなかったのでこういった形で話が聞けるのは有難い限りだ。
そんなわけで、今日は資料の話。今週水曜に先行研究の大まかな整理に一区切り付けて、これからは第二段階(=資料と格闘しつつ自分の議論を作ると段階)だ、と宣言したところだったので、今日の研究会はちょうどいいタイミングだった。
外交記録公開制度の沿革や、現在の情報公開法との関係、現段階で開いている資料、などについてかなり細かく説明があったので、これから資料を本格的に探そうとしている自分にとっては非常に有益だった。やや時間が長く疲れはしたが…。
今日の研究会やその後の飲み会での話を総合してみると、自分が修士論文でやろうと考えているテーマに関しては、外交資料館に行っても資料は無いということらしい。まあ、博士過程に進むのであればその頃にはある程度資料が開いてくると思うので今回は仕方が無いだろう。
それでは本格的な研究にするためにはどうするか。まずは情報公開法を大いに活用すること。そしてアメリカ側の文書を利用する(某先生からはメリーランドに行きなさい、とのお言葉を頂く)。加えて他省庁(経産省、財務省)の図書館や国立公文書館などに通って資料を探すとともに、こちらに関しても情報公開法を利用してみる。後は文脈形成をする意味で既存のオーラル・ヒストリーを利用する&自分でも関係者へインタビューを実施する、といったところだろうか。
ふーむ、なかなか修論への道は険しい。ひとまず詳細な関係年表の作成、公開資料の収集、各省庁の人事表の作成を早めにやらなけらばいけない。
2006年12月08日
オレンジリュックサック。
早いもので毎日気が付けばこんな時間(=23時過ぎ)になっている。
今日は比較的有意義に時間が使えた方だろうか。時間を無駄にしないのに一番大事なことは早起きをすること、そして休みは適度に取ることだろう。今日は、途中で病院に行ったり、家庭教師に行ったりと細切れになりがちだったが、それなりにやるべきことは出来た。これが毎日しっかりと出来ればいいのだが…なかなかそうもいかない。今月は発表&レポートが重なっているので、時間をうまく遣わないと身体がもたない。というか、もたずに既に風邪を引いてしまったのだが。
今日は驚きが二つ。一つ目は、某友人に家庭教師に向かう電車の中でばったり会ったこと。彼は「入院」予定なので同じ穴のムジナではあるのだが、まさかバイト先があそこまで近いところにあるとは…池上線沿線でのバイトにはご注意をw
もう一つは、オレンジ色のリュックサック男に遭遇したこと。輩の一人の大学時代のトレードマークだったオレンジのリュックサック。遠くからでも人目で彼だと分かるあのリュックサックも、今年の4月以降見かけることが無かった。が、今日中庭でオレンジ色のリュックサック男を発見。ちょうど背格好も似ていたので、一瞬びっくりしてしまった。
…まあ、大したことじゃないなー。平和な証拠だ。
今日は比較的有意義に時間が使えた方だろうか。時間を無駄にしないのに一番大事なことは早起きをすること、そして休みは適度に取ることだろう。今日は、途中で病院に行ったり、家庭教師に行ったりと細切れになりがちだったが、それなりにやるべきことは出来た。これが毎日しっかりと出来ればいいのだが…なかなかそうもいかない。今月は発表&レポートが重なっているので、時間をうまく遣わないと身体がもたない。というか、もたずに既に風邪を引いてしまったのだが。
今日は驚きが二つ。一つ目は、某友人に家庭教師に向かう電車の中でばったり会ったこと。彼は「入院」予定なので同じ穴のムジナではあるのだが、まさかバイト先があそこまで近いところにあるとは…池上線沿線でのバイトにはご注意をw
もう一つは、オレンジ色のリュックサック男に遭遇したこと。輩の一人の大学時代のトレードマークだったオレンジのリュックサック。遠くからでも人目で彼だと分かるあのリュックサックも、今年の4月以降見かけることが無かった。が、今日中庭でオレンジ色のリュックサック男を発見。ちょうど背格好も似ていたので、一瞬びっくりしてしまった。
…まあ、大したことじゃないなー。平和な証拠だ。
2006年12月07日
国際政治と正義の話。
5限、プロジェクト科目(政治思想研究)。
先週水曜の講演&木曜の映画(「ホテル・ルワンダ」)を受けての授業。ルワンダの事件の背景、経緯などから、その後の問題などについて、やや政治思想的な側面も踏まえた発表がありそれを元に議論をした。議論の際に注目が集まったのは、人道的介入の話。政治思想と関連付けて、こういった問題を論じるとどうしても人道的介入の議論になる。
去年のゼミでボスニア~コソボに至る旧ユーゴの紛争を取り上げた時にも感じたことだが、人道的介入の議論はあまり「現実的」でないようなイメージがある。ある先生が人道的介入に関する日本の議論を「(厳しい条件ばかりを付けて)悪く言えば介入しないための言い訳」(大意)といってばっさり斬っていたが、最近は自分もそのように感じる。本当に人道的に悲惨な事態を避けたいのであれば、人道的という接頭辞を取っ払って介入を論じなければならない。もう少し分かりやすく言えば、地域紛争として今存在している問題を論じなければいけないのではないか、ということである。
内戦に対する介入とジェノサイドに対する介入は意味合いが違う、と授業で議論になった。ジェノサイドとなれば、これは国際社会が介入せざるを得ない問題となる(=そのような国際的規範が存在する)が、内戦であれば内政不干渉の問題も発生する、と。
しかし、ルワンダの事例はそのジェノサイドが目の前で起こり、それを認識していても「これはジェノサイドではない」と詭弁して国際社会が手を引いていった事例である。結局ここには、他国民の保護よりも自国民の保護を優先する現状が明らかになっている。このルワンダの事例を振り返って、当時のクリントン大統領や国連も「反省」の気持ちを表明しているというが、昔のことを振り返って「反省」することと、政策決定者として過去と異なる政策を採ることは全く意味合いが異なることだろう。
ナチスのような場合は別として、現代においてジェノサイドに類する状況が発生するのは、多くは地域紛争の深刻化による場合だろう。そうであるならば、より重要なのは地域紛争にどのように対処するのかということであって、人道的介入について論じることではないのではないだろうか。
何となくだが、人道的介入だけを取り上げて議論することに意義が感じられない。
先週水曜の講演&木曜の映画(「ホテル・ルワンダ」)を受けての授業。ルワンダの事件の背景、経緯などから、その後の問題などについて、やや政治思想的な側面も踏まえた発表がありそれを元に議論をした。議論の際に注目が集まったのは、人道的介入の話。政治思想と関連付けて、こういった問題を論じるとどうしても人道的介入の議論になる。
去年のゼミでボスニア~コソボに至る旧ユーゴの紛争を取り上げた時にも感じたことだが、人道的介入の議論はあまり「現実的」でないようなイメージがある。ある先生が人道的介入に関する日本の議論を「(厳しい条件ばかりを付けて)悪く言えば介入しないための言い訳」(大意)といってばっさり斬っていたが、最近は自分もそのように感じる。本当に人道的に悲惨な事態を避けたいのであれば、人道的という接頭辞を取っ払って介入を論じなければならない。もう少し分かりやすく言えば、地域紛争として今存在している問題を論じなければいけないのではないか、ということである。
内戦に対する介入とジェノサイドに対する介入は意味合いが違う、と授業で議論になった。ジェノサイドとなれば、これは国際社会が介入せざるを得ない問題となる(=そのような国際的規範が存在する)が、内戦であれば内政不干渉の問題も発生する、と。
しかし、ルワンダの事例はそのジェノサイドが目の前で起こり、それを認識していても「これはジェノサイドではない」と詭弁して国際社会が手を引いていった事例である。結局ここには、他国民の保護よりも自国民の保護を優先する現状が明らかになっている。このルワンダの事例を振り返って、当時のクリントン大統領や国連も「反省」の気持ちを表明しているというが、昔のことを振り返って「反省」することと、政策決定者として過去と異なる政策を採ることは全く意味合いが異なることだろう。
ナチスのような場合は別として、現代においてジェノサイドに類する状況が発生するのは、多くは地域紛争の深刻化による場合だろう。そうであるならば、より重要なのは地域紛争にどのように対処するのかということであって、人道的介入について論じることではないのではないだろうか。
何となくだが、人道的介入だけを取り上げて議論することに意義が感じられない。
2006年12月06日
第一段階終了?
昨日は熱も出て半日寝込んでいたのだが、夕方から起き上がり今日の発表のために準備をした。どうやら、今流行りの喉風邪にやられてしまったようだ。
そんなわけでちょっとつらかったが、1限のために目白へ。
今日は先週に引き続き『中村悌次オーラル・ヒストリー』を題材に戦後日本の防衛政策を扱った。ん~、先週までと比べると今日の議論はちょっと微妙でした。60年代までは、中島信吾『戦後日本の防衛政策』(慶應義塾大学出版会)がいい先行研究としてあるのだが、それ以降はまだまだ実証的に問題があるものばかり、ということが今日の授業でも浮き彫りになった気がする。
やはり、初学者に近い人間が読んでもある程度はちゃんとした議論が出来るような信頼のおける通史がこの分野(戦後日本の防衛政策)には存在しないことが大きな問題なのだろう。基本的な事実確認や、問題となっている事柄に関する理解を確認するところから議論をしないといけないというのはややつらいところだ。
午後から三田へ移動。本当は帰って眠りたかったのだが、5限の合同演習(アジア地域研究)で発表があるので仕方がない。
合同演習は、専門分野が隣接する先生が数人で担当する授業だ。基本的には、院生の研究発表のための授業なのだが、この授業ではなぜか東アジア研究所主催の講演を聴きに行く会と、院生発表が半分ずつだった。で、今日は院生発表の担当者の一人だったのだ。
持ち時間が15分と制約されていること、また修論のテーマについてはまだまだ発表できる段階にない、さらに外交史をやっている人間が少数ということもあり、今日は先行研究(=戦後日本外交史)の整理及び検討を行い自分の研究に繋がる新たな分析枠組を提示するに留めた。分野はさらに絞られるが、最近これに近いことを一回やったので、その延長ということだ。
50冊弱の先行研究を大まかに整理して、そのうち半分ほどに簡単に言及しつつ検討した。何となく日本外交史のコースワークの一環のような発表になったが、自分の議論も整理されたので自分にとっては非常に有益な作業だった。限られた時間ながら、それなりに色々な人からコメントも貰えたのでまあ良しというところだろうか。
ひとまず、大きな意味での先行研究の整理は今日でひと区切り付けたということになる。というわけで、今後は資料と格闘しつつ自分の議論を作るという第二段階へ移行する。…というように順調に行けばいいのだが、こればかりはやってみないと分からないところだ。
そんなわけでちょっとつらかったが、1限のために目白へ。
今日は先週に引き続き『中村悌次オーラル・ヒストリー』を題材に戦後日本の防衛政策を扱った。ん~、先週までと比べると今日の議論はちょっと微妙でした。60年代までは、中島信吾『戦後日本の防衛政策』(慶應義塾大学出版会)がいい先行研究としてあるのだが、それ以降はまだまだ実証的に問題があるものばかり、ということが今日の授業でも浮き彫りになった気がする。
やはり、初学者に近い人間が読んでもある程度はちゃんとした議論が出来るような信頼のおける通史がこの分野(戦後日本の防衛政策)には存在しないことが大きな問題なのだろう。基本的な事実確認や、問題となっている事柄に関する理解を確認するところから議論をしないといけないというのはややつらいところだ。
午後から三田へ移動。本当は帰って眠りたかったのだが、5限の合同演習(アジア地域研究)で発表があるので仕方がない。
合同演習は、専門分野が隣接する先生が数人で担当する授業だ。基本的には、院生の研究発表のための授業なのだが、この授業ではなぜか東アジア研究所主催の講演を聴きに行く会と、院生発表が半分ずつだった。で、今日は院生発表の担当者の一人だったのだ。
持ち時間が15分と制約されていること、また修論のテーマについてはまだまだ発表できる段階にない、さらに外交史をやっている人間が少数ということもあり、今日は先行研究(=戦後日本外交史)の整理及び検討を行い自分の研究に繋がる新たな分析枠組を提示するに留めた。分野はさらに絞られるが、最近これに近いことを一回やったので、その延長ということだ。
50冊弱の先行研究を大まかに整理して、そのうち半分ほどに簡単に言及しつつ検討した。何となく日本外交史のコースワークの一環のような発表になったが、自分の議論も整理されたので自分にとっては非常に有益な作業だった。限られた時間ながら、それなりに色々な人からコメントも貰えたのでまあ良しというところだろうか。
ひとまず、大きな意味での先行研究の整理は今日でひと区切り付けたということになる。というわけで、今後は資料と格闘しつつ自分の議論を作るという第二段階へ移行する。…というように順調に行けばいいのだが、こればかりはやってみないと分からないところだ。
2006年12月03日
フラガール。
この数日間、文献&パソコンと格闘した結果、眼精疲労になりました。
で、気分転換も兼ねて映画を観る。映画は眼に良くないんだろうけど、気分が晴れればそっちの方がいいのだ。「麦の穂をゆらす風」を観ようと思ったのだが、時間が合わず断念。その代わりに、時間がちょうど良かったということもあって、ちょっと公開から時間は経っているが「フラガール」を観る。宣伝していた感じはあまり好きなタイプの映画ではないな、と思っていたのだが、…実際に見てみるとこれがなかなか良かった。
蒼井優がダンスをするというのは「花とアリス」もそうだったが、バレエよりもフラダンスの方がぐっとくる(なんだそりゃ)。それはそうと、最近やたらと蒼井優が出ている映画を観ている気がする。このままだと「花とアリス」を借りるのは時間の問題だなあ。
「ALWAYS 三丁目の夕日」もそうだったが、数十年前の日本を舞台にすることが流行っているんだろうか。うまく作り手に乗せられているなあ、と思いつつもついついこういった映画は観てしまう。
で、気分転換も兼ねて映画を観る。映画は眼に良くないんだろうけど、気分が晴れればそっちの方がいいのだ。「麦の穂をゆらす風」を観ようと思ったのだが、時間が合わず断念。その代わりに、時間がちょうど良かったということもあって、ちょっと公開から時間は経っているが「フラガール」を観る。宣伝していた感じはあまり好きなタイプの映画ではないな、と思っていたのだが、…実際に見てみるとこれがなかなか良かった。
蒼井優がダンスをするというのは「花とアリス」もそうだったが、バレエよりもフラダンスの方がぐっとくる(なんだそりゃ)。それはそうと、最近やたらと蒼井優が出ている映画を観ている気がする。このままだと「花とアリス」を借りるのは時間の問題だなあ。
「ALWAYS 三丁目の夕日」もそうだったが、数十年前の日本を舞台にすることが流行っているんだろうか。うまく作り手に乗せられているなあ、と思いつつもついついこういった映画は観てしまう。
2006年12月02日
切磋琢磨出来ればいいなー。
午前中から大学で修論関係の論文をコピーしたり、本をチェックしたり。日本外交に関してはそれなりに読み込んだと思っていても、読まないといけない論文はまだまだ残っている。加えて最近は経済史の先行研究も見ているので、二次文献の読み込みだけでもう少し時間がかかりそうだ。
午後は、戦後東アジアの国際政治がテーマの院生研究会に行ってきた。各回大体二人の発表があるのだが、今回の発表者の一人は同じ修士課程一年生だった。ちなみにテーマは、60年代後半のアメリカの対日政策(著作権に考慮してかなり広めに紹介)。公刊資料とはいえ、しっかりと一次資料に基づいた研究発表をしているので、自分としては大きな刺激を受けた。全く同じ研究分野ではなく、隣接分野でこういった同級生がいると非常に助かる。…全く同じだと、精神衛生上ちょっと。
刺激を受けるのは、資料を使っているということよりも論文の枠組や概念設定を視野にしっかりと入れて研究を進めている点である。これは自分が最近かなり自覚的に考えていることでもある。言うは易しだが、実際に行うことはなかなか難しい。
自分の研究の見通しとしては、二次文献をひとまず今月半ばくらいまでに読み込み、それ以降に資料の公開状況などをチェック、といったところか。まあ、周りや上を見ても焦ることなくしっかりとやっていきたいところだ。
午後は、戦後東アジアの国際政治がテーマの院生研究会に行ってきた。各回大体二人の発表があるのだが、今回の発表者の一人は同じ修士課程一年生だった。ちなみにテーマは、60年代後半のアメリカの対日政策(著作権に考慮してかなり広めに紹介)。公刊資料とはいえ、しっかりと一次資料に基づいた研究発表をしているので、自分としては大きな刺激を受けた。全く同じ研究分野ではなく、隣接分野でこういった同級生がいると非常に助かる。…全く同じだと、精神衛生上ちょっと。
刺激を受けるのは、資料を使っているということよりも論文の枠組や概念設定を視野にしっかりと入れて研究を進めている点である。これは自分が最近かなり自覚的に考えていることでもある。言うは易しだが、実際に行うことはなかなか難しい。
自分の研究の見通しとしては、二次文献をひとまず今月半ばくらいまでに読み込み、それ以降に資料の公開状況などをチェック、といったところか。まあ、周りや上を見ても焦ることなくしっかりとやっていきたいところだ。
2006年12月01日
緊急討論。
気が付くと早くも師走。時間が流れるのは本当に早いものだ。
大学の東アジア研究所主催のシンポジウム「緊急討論 北東アジア情勢 北朝鮮、中国、日中関係」に出席。なぜ緊急討論か、という理由がなかなか面白かった。これは出た人は分かること。
討論のメンバーも、中国研究や朝鮮半島研究の大御所揃いで豪華なものだ。慶應の学部長二人、研究所長一人、東大教授一人、と権力的にもばっちり(笑)。そんな冗談はともかくとして、現状を論じる討論会としては珍しく、内容も充実していた。討論メンバーがテレビで断片的に発言していることをある程度体系的に聞くことが出来たといったところだろうか。
とりわけ重要だと思ったのが、「北朝鮮の核実験によって、関係各国の地政学的な立場が明確になった」という指摘。しかし、それでは日本がどのような立場なのかということに関する指摘は曖昧なものだった。この点を疑問に感じて、質問をしてみたのだが明確な回答は得られず。自国を分析することの難しさのようなものを感じてしまう。
まー、日本の立場が分かりにくいというのは外国からしてもそうなのかもしれない。だからこそ、日本の核武装論といったものが中国やアメリカで注目されるのだろう。
この半年弱の北東アジア情勢は、学問的に非常に興味深い。この危機が本当に深刻にならないことを祈るが、それでも、30年後に資料が開いたら…、とついつい妄想してしまう。
◇
新書を読んでいる暇などあまり無いはずなのだが、先月半ばからある程度の数を読んでいる。新書は読むのにそれほど時間がかからないので、まあいい息抜きだと思えばいいのかもしれない。
で、今日は『中村悌次オーラル・ヒストリー』関連で読んだ新書を書評。このオーラルと関係がある新書など一つしか無いのは分かる人にはすぐ分かることである。良くも悪くも新書らしい新書、という印象。
・阿川尚之『海の友情』(中公新書)
東郷平八郎や山本五十六など帝国海軍の英雄達についてはよく知られているが、戦後海上自衛隊を創設して訓練にはげみ、戦うことなく名を知られぬまま去った指揮官たちは、戦前の大将たちに負けず劣らず国のために尽くした英雄であると著者は言う。
本書は、1980年代に国防総省で日本課長を努め、また『よみがえる日本海軍』の著者としても知られるジェームズ・アワーと海上自衛隊との交流を通してアメリカ海軍と海上自衛隊を描いている。魅力的な日米両「海軍」の指揮官達、そしてその周りに位置した様々な民間人、本書は様々な形の「海の友情」を活写している。ある書評では、著者の父・阿川弘之を引き合いに出し、海軍(海上自衛隊)は親子二代にわたる良き語り手を得た、と本書が紹介されていた。『中央公論』誌上での連載を基にしていることから各章の長さもほどよく、読み物として実に読みやすく仕上がっている。また、インタビューによって得られた様々なエピソードが紹介されており、飽きることなく一気に読み通すことが出来た。新書という媒体にうまくマッチした好著である。
やや学術的に考えれば、国益を巡って様々な相克もあったアメリカ海軍と海上自衛隊の関係を、「海の友情」として語ることには問題がある。これは本書の登場人物の一人である中村悌次元海上幕僚長のオーラル・ヒストリーなどを読めばよく分かることである。とはいえ、複雑な日米関係の中に本書で紹介されているような一面があったこともまた事実なのであろう。
大学の東アジア研究所主催のシンポジウム「緊急討論 北東アジア情勢 北朝鮮、中国、日中関係」に出席。なぜ緊急討論か、という理由がなかなか面白かった。これは出た人は分かること。
討論のメンバーも、中国研究や朝鮮半島研究の大御所揃いで豪華なものだ。慶應の学部長二人、研究所長一人、東大教授一人、と権力的にもばっちり(笑)。そんな冗談はともかくとして、現状を論じる討論会としては珍しく、内容も充実していた。討論メンバーがテレビで断片的に発言していることをある程度体系的に聞くことが出来たといったところだろうか。
とりわけ重要だと思ったのが、「北朝鮮の核実験によって、関係各国の地政学的な立場が明確になった」という指摘。しかし、それでは日本がどのような立場なのかということに関する指摘は曖昧なものだった。この点を疑問に感じて、質問をしてみたのだが明確な回答は得られず。自国を分析することの難しさのようなものを感じてしまう。
まー、日本の立場が分かりにくいというのは外国からしてもそうなのかもしれない。だからこそ、日本の核武装論といったものが中国やアメリカで注目されるのだろう。
この半年弱の北東アジア情勢は、学問的に非常に興味深い。この危機が本当に深刻にならないことを祈るが、それでも、30年後に資料が開いたら…、とついつい妄想してしまう。
◇
新書を読んでいる暇などあまり無いはずなのだが、先月半ばからある程度の数を読んでいる。新書は読むのにそれほど時間がかからないので、まあいい息抜きだと思えばいいのかもしれない。
で、今日は『中村悌次オーラル・ヒストリー』関連で読んだ新書を書評。このオーラルと関係がある新書など一つしか無いのは分かる人にはすぐ分かることである。良くも悪くも新書らしい新書、という印象。
・阿川尚之『海の友情』(中公新書)
東郷平八郎や山本五十六など帝国海軍の英雄達についてはよく知られているが、戦後海上自衛隊を創設して訓練にはげみ、戦うことなく名を知られぬまま去った指揮官たちは、戦前の大将たちに負けず劣らず国のために尽くした英雄であると著者は言う。
本書は、1980年代に国防総省で日本課長を努め、また『よみがえる日本海軍』の著者としても知られるジェームズ・アワーと海上自衛隊との交流を通してアメリカ海軍と海上自衛隊を描いている。魅力的な日米両「海軍」の指揮官達、そしてその周りに位置した様々な民間人、本書は様々な形の「海の友情」を活写している。ある書評では、著者の父・阿川弘之を引き合いに出し、海軍(海上自衛隊)は親子二代にわたる良き語り手を得た、と本書が紹介されていた。『中央公論』誌上での連載を基にしていることから各章の長さもほどよく、読み物として実に読みやすく仕上がっている。また、インタビューによって得られた様々なエピソードが紹介されており、飽きることなく一気に読み通すことが出来た。新書という媒体にうまくマッチした好著である。
やや学術的に考えれば、国益を巡って様々な相克もあったアメリカ海軍と海上自衛隊の関係を、「海の友情」として語ることには問題がある。これは本書の登場人物の一人である中村悌次元海上幕僚長のオーラル・ヒストリーなどを読めばよく分かることである。とはいえ、複雑な日米関係の中に本書で紹介されているような一面があったこともまた事実なのであろう。