2006年12月
2006年12月20日
久々のたけちゃん。
前日までの疲れがかなり溜まっていたのだが1限の授業のために早起き。そして、朝食を食べて荷物を整理している時にショックなことが起こった。
プリントをファイルに入れつつ今日の授業内容を確認したところ…、何と次の授業は年明けだったのだ。目白へ行ってから気付く、ということでは無かったのが幸いだが、これでは先週金曜急いでやった意味が無いではないか。
もうすっかり身体が起きてしまっていたので、ショックに肩を下げつつも大学へ行くことにした。
3限に授業(日本政治論特殊研究)があったが、今週も研究発表の回だったで特に準備は無し。相談の結果、今回で授業が終わりになったので、授業で『西園寺公と政局』を読むことはもう無い。あの面白い資料を授業で読んだのに、5.15事件も2.26事件も出てこなかったのはやや残念なところだ。
この3限の授業で、実質的に今年は授業終了。ということで、早速楽しみにしていた公爵の本に取り掛かる。すらすらと序章、第一章と読み終える。期待を裏切らないわくわくが続く。が、ここでちょっと気が変わり、他の本に浮気することに決定。公爵本は、ちょっと復習をしてからじっくり読むことにしたのだ。浮気したのは↓
・アエラムック『ニッポンのマンガ』(朝日新聞社)
手塚治虫文化賞10周年に出されたアエラムック。手塚賞の水準の高さを裏打ちするように、非常に質が高いムックに仕上がっている。過去の手塚賞受賞作品の紹介、著者インタビュー、書き下ろし短編などが紹介されている他、様々なコラムも充実している。近年のマンガ動向も紹介しており、読書案内としてもなかなかいい一冊。マンガが、ある意味では文学と同じ土俵にあがりつつあることが本書を読むだけでも分かるのではないだろうか。とにかくマンガを読みたくさせてくれる一冊である。
◇
放課後は、友人&後輩でたけちゃんへ。久しぶりに座る席へ行ったのだが、そこには某ブログの女王のサインが飾られていた。有名人のサインが増えていくロ、何となく成長を見守ってきた我が子が大人になっていくのを見ている親の気分になっていく。大袈裟かなー。もう一回くらい、今年中に行きたいところだ。
プリントをファイルに入れつつ今日の授業内容を確認したところ…、何と次の授業は年明けだったのだ。目白へ行ってから気付く、ということでは無かったのが幸いだが、これでは先週金曜急いでやった意味が無いではないか。
もうすっかり身体が起きてしまっていたので、ショックに肩を下げつつも大学へ行くことにした。
3限に授業(日本政治論特殊研究)があったが、今週も研究発表の回だったで特に準備は無し。相談の結果、今回で授業が終わりになったので、授業で『西園寺公と政局』を読むことはもう無い。あの面白い資料を授業で読んだのに、5.15事件も2.26事件も出てこなかったのはやや残念なところだ。
この3限の授業で、実質的に今年は授業終了。ということで、早速楽しみにしていた公爵の本に取り掛かる。すらすらと序章、第一章と読み終える。期待を裏切らないわくわくが続く。が、ここでちょっと気が変わり、他の本に浮気することに決定。公爵本は、ちょっと復習をしてからじっくり読むことにしたのだ。浮気したのは↓
・アエラムック『ニッポンのマンガ』(朝日新聞社)
手塚治虫文化賞10周年に出されたアエラムック。手塚賞の水準の高さを裏打ちするように、非常に質が高いムックに仕上がっている。過去の手塚賞受賞作品の紹介、著者インタビュー、書き下ろし短編などが紹介されている他、様々なコラムも充実している。近年のマンガ動向も紹介しており、読書案内としてもなかなかいい一冊。マンガが、ある意味では文学と同じ土俵にあがりつつあることが本書を読むだけでも分かるのではないだろうか。とにかくマンガを読みたくさせてくれる一冊である。
◇
放課後は、友人&後輩でたけちゃんへ。久しぶりに座る席へ行ったのだが、そこには某ブログの女王のサインが飾られていた。有名人のサインが増えていくロ、何となく成長を見守ってきた我が子が大人になっていくのを見ている親の気分になっていく。大袈裟かなー。もう一回くらい、今年中に行きたいところだ。
2006年12月19日
七転び八起き。
今日は二つ発表があった。
一つは、国際政治論特殊研究(DBPO輪読)の討論担当。イギリスの対中政策(1945年~1950年)に関する公刊外交文書を読むというこの授業も、いよいよ最終回だ。今日の範囲は、1948年12月。これまで読んできた部分の総まとめ的にベヴィンの覚書が提出された時期である。そういう意味でイギリスの対中政策にとってはこの1948年12月はひとつの転機であった。
討論では、「外交文書をどう読むか」ということをメインテーマに発表した。簡単に言えば、「どの資料が重要かということが分かったとして、その文書をどのように読むのか」ということである。イギリスの外交文書の場合、その形式などによって重要な文書というものは比較的(あくまで比較的)特定しやすい。しかし、上のレベルに上げられた文書の多くには総花的に、様々なことが並列的に書かれている。もちろん、どれも重要だから総花的に書かれているわけだが、その中でも特にどこに注目して論文に書いていくのかということは難しいことである。これに対する先生の答えの一つは、「先行研究がその資料をどのように扱っているか」ということを踏まえて考えるということ。先生の博論を元に、説明が行われたので非常に分かりやすかった。その他に考えれるものは「分析枠組に照らしてどうか」ということだろう。もっとも、これは資料を読んで変わることもあるので、言葉で言うほど簡単なことではない。
その他で議論になったのは「横の繋がり」について。1948年12月にベヴィンにとって最も大きい問題は何だったのか。これを踏まえずに、対中政策に関する覚書を読んでも仕方が無い。ちなみに一番大きい問題は「ベルリン危機」である。授業中にこれを聞かれて答えられなかったのは、「横の繋がり」に対する自覚が足りなかったということだ。修士論文の研究だけに没頭するのではなく、基本的なことに関してはちゃんと再確認する必要があるな、と自覚させられた。
今日の授業は、自分が修論執筆のために資料を読んでいく上でも非常に参考になるものだった。出来れば、もう少し時間をとって議論したかった。
それにしても、イギリスの対中政策文書は総じて「冷静」である。自分の研究対象である日本と比べてどうか、と考えてしまう…。
授業終了後、楽しみにしていた本(君塚直隆『パクス・ブリタニカのイギリス外交』)を購入
今日で発表地獄も終わるので、ゆっくりと味わいながら読み込みたい。
◇
二つ目は、院ゼミの修論構想発表。率直に言って「失敗」でした。
議論自体も、プレゼンの仕方も、全てまずかった。う~ん、大学院受験の面接以来のひどい出来だった。が、院受験の時とは違うのは、その日のうちに問題の整理が出来たということ。授業終了後、先輩とカフェで話しながらテーマに関する問題意識や論文としての問題の所在を整理をした。作業後のもので院ゼミの発表をしていたら=院ゼミ発表の前に先輩としっかり話していれば、とついつい思ってしまうが、結果的には問題点がはっきりと分かり前へしっかりと進めたので良かったのだろう。先輩には本当にお世話になりっぱなしだ。
その後、院ゼミには出ていなかった先輩に再び相談した。今回は、再構成したものを口頭で説明しつつの相談。何とか構想段階としては問題の無いものになったように思う。この先輩とは対象とする時代は異なるものの、扱うテーマや視角が近い。結果的に、論文そのものを超えたもう少し広い意味について貴重なコメントを頂いた。
今日の先輩達との話を踏まえて今週中に構想をまとめ直しておきたい。年明けに「追試」をお願いしたので、構想を簡単にまとめ直した後は、ひとまず今ある資料を基に具体的な議論を書いていくことにする。とにかく、前進あるのみだろう。倒れるなら前のめりに倒れる方がいい。
とにかく先輩に感謝感謝の一日。
一つは、国際政治論特殊研究(DBPO輪読)の討論担当。イギリスの対中政策(1945年~1950年)に関する公刊外交文書を読むというこの授業も、いよいよ最終回だ。今日の範囲は、1948年12月。これまで読んできた部分の総まとめ的にベヴィンの覚書が提出された時期である。そういう意味でイギリスの対中政策にとってはこの1948年12月はひとつの転機であった。
討論では、「外交文書をどう読むか」ということをメインテーマに発表した。簡単に言えば、「どの資料が重要かということが分かったとして、その文書をどのように読むのか」ということである。イギリスの外交文書の場合、その形式などによって重要な文書というものは比較的(あくまで比較的)特定しやすい。しかし、上のレベルに上げられた文書の多くには総花的に、様々なことが並列的に書かれている。もちろん、どれも重要だから総花的に書かれているわけだが、その中でも特にどこに注目して論文に書いていくのかということは難しいことである。これに対する先生の答えの一つは、「先行研究がその資料をどのように扱っているか」ということを踏まえて考えるということ。先生の博論を元に、説明が行われたので非常に分かりやすかった。その他に考えれるものは「分析枠組に照らしてどうか」ということだろう。もっとも、これは資料を読んで変わることもあるので、言葉で言うほど簡単なことではない。
その他で議論になったのは「横の繋がり」について。1948年12月にベヴィンにとって最も大きい問題は何だったのか。これを踏まえずに、対中政策に関する覚書を読んでも仕方が無い。ちなみに一番大きい問題は「ベルリン危機」である。授業中にこれを聞かれて答えられなかったのは、「横の繋がり」に対する自覚が足りなかったということだ。修士論文の研究だけに没頭するのではなく、基本的なことに関してはちゃんと再確認する必要があるな、と自覚させられた。
今日の授業は、自分が修論執筆のために資料を読んでいく上でも非常に参考になるものだった。出来れば、もう少し時間をとって議論したかった。
それにしても、イギリスの対中政策文書は総じて「冷静」である。自分の研究対象である日本と比べてどうか、と考えてしまう…。
授業終了後、楽しみにしていた本(君塚直隆『パクス・ブリタニカのイギリス外交』)を購入
今日で発表地獄も終わるので、ゆっくりと味わいながら読み込みたい。
◇
二つ目は、院ゼミの修論構想発表。率直に言って「失敗」でした。
議論自体も、プレゼンの仕方も、全てまずかった。う~ん、大学院受験の面接以来のひどい出来だった。が、院受験の時とは違うのは、その日のうちに問題の整理が出来たということ。授業終了後、先輩とカフェで話しながらテーマに関する問題意識や論文としての問題の所在を整理をした。作業後のもので院ゼミの発表をしていたら=院ゼミ発表の前に先輩としっかり話していれば、とついつい思ってしまうが、結果的には問題点がはっきりと分かり前へしっかりと進めたので良かったのだろう。先輩には本当にお世話になりっぱなしだ。
その後、院ゼミには出ていなかった先輩に再び相談した。今回は、再構成したものを口頭で説明しつつの相談。何とか構想段階としては問題の無いものになったように思う。この先輩とは対象とする時代は異なるものの、扱うテーマや視角が近い。結果的に、論文そのものを超えたもう少し広い意味について貴重なコメントを頂いた。
今日の先輩達との話を踏まえて今週中に構想をまとめ直しておきたい。年明けに「追試」をお願いしたので、構想を簡単にまとめ直した後は、ひとまず今ある資料を基に具体的な議論を書いていくことにする。とにかく、前進あるのみだろう。倒れるなら前のめりに倒れる方がいい。
とにかく先輩に感謝感謝の一日。
2006年12月18日
12月18日。
結局、朝5時に起きて9時半からの授業のレジュメを作成。時間がぎりぎりだったこともあり日本語としておかしい箇所がいくつかあるレジュメになってしまった気がする。
俺の発表担当は、John Kent"British Policy and Origins of the Cold War"、という論文。
1945年~1948年くらいまでの、イギリスの対中東政策を概観しつつ、ソ連との対抗、冷戦の起源との関係を論じている。アメリカがまだ米ソ協調を考えている第二次大戦終結直後、イギリスのベヴィン外相及び外務省の政策目標は「アメリカ及びソ連と同等の大国としてのイギリスを復活させること」であった。そのために重要なのは、中東や東地中海「大英帝国」の権益をいかに維持するかということであった。このようなベヴィンらの考えはアトリー首相とは異なるものであったが、イギリスの政策はベヴィンらの考えに沿って進められた。このようなイギリスの政策は中東及び東地中海におけるソ連との対抗を意味した。このようなイギリスの動きは、米ソ冷戦以前に行われたものであり、冷戦の起源に一定の意味があるものであったのである。
といったところが論文の要旨。その後、イギリスは1949年に大きく政策転換をする決定が行われ「アメリカとの協調」を選択する。また英ソ冷戦とは異なる文脈から米ソ冷戦が1947年には本格化していく。こういったことをしっかりと押さえておく必要はあるものの、全体として冷戦の起源を米ソ冷戦史観とは異なる文脈から論じた興味深い論文だと言えるだろう。
自分の専門とはあまり関係が無いのだが、明日討論担当になっている国際政治論特殊研究で扱っている時代と重なるので読んでいて興味深かった。
俺の発表担当は、John Kent"British Policy and Origins of the Cold War"、という論文。
1945年~1948年くらいまでの、イギリスの対中東政策を概観しつつ、ソ連との対抗、冷戦の起源との関係を論じている。アメリカがまだ米ソ協調を考えている第二次大戦終結直後、イギリスのベヴィン外相及び外務省の政策目標は「アメリカ及びソ連と同等の大国としてのイギリスを復活させること」であった。そのために重要なのは、中東や東地中海「大英帝国」の権益をいかに維持するかということであった。このようなベヴィンらの考えはアトリー首相とは異なるものであったが、イギリスの政策はベヴィンらの考えに沿って進められた。このようなイギリスの政策は中東及び東地中海におけるソ連との対抗を意味した。このようなイギリスの動きは、米ソ冷戦以前に行われたものであり、冷戦の起源に一定の意味があるものであったのである。
といったところが論文の要旨。その後、イギリスは1949年に大きく政策転換をする決定が行われ「アメリカとの協調」を選択する。また英ソ冷戦とは異なる文脈から米ソ冷戦が1947年には本格化していく。こういったことをしっかりと押さえておく必要はあるものの、全体として冷戦の起源を米ソ冷戦史観とは異なる文脈から論じた興味深い論文だと言えるだろう。
自分の専門とはあまり関係が無いのだが、明日討論担当になっている国際政治論特殊研究で扱っている時代と重なるので読んでいて興味深かった。
2006年12月17日
12月17日。
先週から続くちょっとした課題地獄がいよいよ佳境に入りつつある。
早め早めでやっているつもりなのだが、英語を読む量が多いとややしんどい。明日の授業で内容報告担当になっているのだが、どうやら今日中にレジュメ作りに入るのは難しい状況。夜は能率が下がるので、明日早起きしてやることになると思うが…ぎりぎりだなあ。
今日は昼過ぎから大学へ行って資料探索。マイクロ資料や他分野の本を探しに、図書館の地下深くや旧図書館、南館を行ったり来たり。環境はあまり良くないが、所蔵資料は本当に充実しているなと実感する。英語がすらすら読めればなあ、と強く感じる。
公刊外交文書を調べていて感じたのは、資料を残すことに関する日本と外国との差だ。なぜ、日本の資料は全然公刊されないのだろうか。ここは日本なのに、日本外交史をやるよりもイギリス外交史やアメリカ外交史をやる方が資料的に充実しているというのはやはり変だ。アメリカについては既にイラク戦争に関しても様々な資料集が公刊されている。こういった状況は一朝一夕に変わるものではないだけに、ついついため息が出てしまう。
早め早めでやっているつもりなのだが、英語を読む量が多いとややしんどい。明日の授業で内容報告担当になっているのだが、どうやら今日中にレジュメ作りに入るのは難しい状況。夜は能率が下がるので、明日早起きしてやることになると思うが…ぎりぎりだなあ。
今日は昼過ぎから大学へ行って資料探索。マイクロ資料や他分野の本を探しに、図書館の地下深くや旧図書館、南館を行ったり来たり。環境はあまり良くないが、所蔵資料は本当に充実しているなと実感する。英語がすらすら読めればなあ、と強く感じる。
公刊外交文書を調べていて感じたのは、資料を残すことに関する日本と外国との差だ。なぜ、日本の資料は全然公刊されないのだろうか。ここは日本なのに、日本外交史をやるよりもイギリス外交史やアメリカ外交史をやる方が資料的に充実しているというのはやはり変だ。アメリカについては既にイラク戦争に関しても様々な資料集が公刊されている。こういった状況は一朝一夕に変わるものではないだけに、ついついため息が出てしまう。
2006年12月16日
「難民」の集い。
午前中から、いつものように大学へ。土曜日ということで、大学には人が少ないのだが、なぜか集まるゼミ員達。全員授業は無いはずなのだが…。
そこでも話題になったのだが、うちのゼミ員は現在ユダヤ人状態になっているらしい。今年の四月から指導教授がサバティカルに入り、ゼミ自体は活動休止中。が、ゼミ員達は特殊研究に集団出没している。国際政治系ならば納得がいくが、それだけではなく社会学系のゼミにまで出没している。で、例によって授業で積極的に話すのはほとんどうちのゼミ員達だ。来年「入院」予定の後輩は、まだ学部生にもかかわらず大学院の特殊研究に出ている。で、また話す。金は無いけど声は大きいユダヤ人といったところだろうか。
今週は我らが指導教授が一時帰国していることもあり、ゼミ員達も活性化している。昼はゼミ員達と、夜は九ヶ月間も旅行で日本を離れていたゼミの同期の帰国歓迎の飲みがあった。師匠が正式に帰国するまであと一年と少し。我々「難民」の運命やいかに。
そこでも話題になったのだが、うちのゼミ員は現在ユダヤ人状態になっているらしい。今年の四月から指導教授がサバティカルに入り、ゼミ自体は活動休止中。が、ゼミ員達は特殊研究に集団出没している。国際政治系ならば納得がいくが、それだけではなく社会学系のゼミにまで出没している。で、例によって授業で積極的に話すのはほとんどうちのゼミ員達だ。来年「入院」予定の後輩は、まだ学部生にもかかわらず大学院の特殊研究に出ている。で、また話す。金は無いけど声は大きいユダヤ人といったところだろうか。
今週は我らが指導教授が一時帰国していることもあり、ゼミ員達も活性化している。昼はゼミ員達と、夜は九ヶ月間も旅行で日本を離れていたゼミの同期の帰国歓迎の飲みがあった。師匠が正式に帰国するまであと一年と少し。我々「難民」の運命やいかに。
2006年12月15日
2006年12月14日
12月14日。
地方在住の学部時代の友人と久しぶりに昼食。何でも八連休ということで、東京に来ているらしい。昨日はゼミがあったし、何となく学部時代の気持ちが蘇ってくる…、ような気がするのだがこれは現実逃避だろうか。
4限は本来であれば、学部の文献購読(中国語)に出ているのだが、基礎演習?を聴講することにした。この基礎演習?は、「『魅力ある大学院教育』イニシアティブ」の一環で後期から設置された科目だ。今回は「政治学と歴史学 ~境界線を越えて」ということで参加することにした。担当の先生にこの間聞いたら、話すことは「多分もう知ってる話だと思う」ということだったのだが、参考文献などについてとても参考になった。やっぱり自分は横文字の本に対するアンテナが弱すぎる。
5限は、三田祭の時に行われたCOEシンポジウムのフォローアップの授業。
その後は、大学でひたすら来週の授業の準備に追われる。
と、ここでちょっと問題が発生。来週行われる院ゼミの時間が、一部履修している授業と重なってしまったのだ。院ゼミでは発表するつもりなんだが、この授業でも討論担当になっている。一応、既に一回発表はしているのだが、前回の院ゼミに私事で参加出来なかったこともあるので、どうすべきか迷うところだ。
やることが多いと言いながら、この数日の行き帰りの電車&寝る前に一気に↓を読んだ。
・飯島勲『小泉官邸秘録』(日本経済新聞社)
「官邸のドン」「小泉総理の黒幕」などとも評された大物秘書官の回顧録。小泉政権を、この著者抜きには語ることは出来ないだろう。まずはこのようなタイミング(政権交代から二ヶ月ほど)で回顧録が出版されたことを歓迎したい。
もっとも、著者と「小泉官邸秘録」という題名から、小泉政権の裏が「暴露」されているのではないかと期待して読むとやや拍子抜けするかもしれない。また、各政策の細かい決定過程が描かれているわけでもない。とはいえ、五年半という長期に渡った小泉政権期を300頁余りで振り返っている本書に過剰な期待をする方が誤っているというものだろう。
本書で面白いのは、前首席総理秘書官(現在は、政策秘書)という立場から見た小泉政権期の自己評価が書かれていることである。自らの行動を基本的には肯定的に評価しているのは、当事者の回顧の常である。この弊は本書も免れていない。しかし、その肯定的な評価の中にも差があるから面白い。さらに記述の量などから、どれだけ著者が力を入れて取り組んだのかが見えてくる。また、小泉内閣の基本哲学のようなものは本書を通読すると何となく見えてくるように感じる。
長い小泉内閣で著者が最も力を入れて取り組んだのは、やはり郵政民営化である。本書でも、その記述の三分の一以上が郵政民営化関係に割かれている。その一方で、話題になったにも関わらず本書でそれほど取り上げられていないものもある。例えば、三位一体改革などは最終章で一節を割いてわずかに触れられている程度のことである。これらの記述のバランスを、大田弘子『経済財政諮問会議の戦い』などと比較してみると面白いかもしれない。
もしかすると意図的なのかもしれないが、外交に関する記述は本書ではあまり触れられていない。もちろん折々の外交課題は取り上げられているのであるが、成功といわれる日米関係に関しても本書では「脇役」扱いである。
4限は本来であれば、学部の文献購読(中国語)に出ているのだが、基礎演習?を聴講することにした。この基礎演習?は、「『魅力ある大学院教育』イニシアティブ」の一環で後期から設置された科目だ。今回は「政治学と歴史学 ~境界線を越えて」ということで参加することにした。担当の先生にこの間聞いたら、話すことは「多分もう知ってる話だと思う」ということだったのだが、参考文献などについてとても参考になった。やっぱり自分は横文字の本に対するアンテナが弱すぎる。
5限は、三田祭の時に行われたCOEシンポジウムのフォローアップの授業。
その後は、大学でひたすら来週の授業の準備に追われる。
と、ここでちょっと問題が発生。来週行われる院ゼミの時間が、一部履修している授業と重なってしまったのだ。院ゼミでは発表するつもりなんだが、この授業でも討論担当になっている。一応、既に一回発表はしているのだが、前回の院ゼミに私事で参加出来なかったこともあるので、どうすべきか迷うところだ。
やることが多いと言いながら、この数日の行き帰りの電車&寝る前に一気に↓を読んだ。
・飯島勲『小泉官邸秘録』(日本経済新聞社)
「官邸のドン」「小泉総理の黒幕」などとも評された大物秘書官の回顧録。小泉政権を、この著者抜きには語ることは出来ないだろう。まずはこのようなタイミング(政権交代から二ヶ月ほど)で回顧録が出版されたことを歓迎したい。
もっとも、著者と「小泉官邸秘録」という題名から、小泉政権の裏が「暴露」されているのではないかと期待して読むとやや拍子抜けするかもしれない。また、各政策の細かい決定過程が描かれているわけでもない。とはいえ、五年半という長期に渡った小泉政権期を300頁余りで振り返っている本書に過剰な期待をする方が誤っているというものだろう。
本書で面白いのは、前首席総理秘書官(現在は、政策秘書)という立場から見た小泉政権期の自己評価が書かれていることである。自らの行動を基本的には肯定的に評価しているのは、当事者の回顧の常である。この弊は本書も免れていない。しかし、その肯定的な評価の中にも差があるから面白い。さらに記述の量などから、どれだけ著者が力を入れて取り組んだのかが見えてくる。また、小泉内閣の基本哲学のようなものは本書を通読すると何となく見えてくるように感じる。
長い小泉内閣で著者が最も力を入れて取り組んだのは、やはり郵政民営化である。本書でも、その記述の三分の一以上が郵政民営化関係に割かれている。その一方で、話題になったにも関わらず本書でそれほど取り上げられていないものもある。例えば、三位一体改革などは最終章で一節を割いてわずかに触れられている程度のことである。これらの記述のバランスを、大田弘子『経済財政諮問会議の戦い』などと比較してみると面白いかもしれない。
もしかすると意図的なのかもしれないが、外交に関する記述は本書ではあまり触れられていない。もちろん折々の外交課題は取り上げられているのであるが、成功といわれる日米関係に関しても本書では「脇役」扱いである。
2006年12月13日
一日限りのゼミ復活。
毎週のことだが、水曜日は一日が長い。
◇
1限、歴史政策論。
この授業の副題は「オーラルヒストリーと外交政策研究」。実際に取り上げるのは基本的に戦後日本外交である。戦後日本外交が研究対象であり、またこの夏に某元議員にインタビューに行きオーラル・ヒストリーを作成した自分のためにあるような授業である。偶然ながら本当に有難い。毎週テーマを変えながら資料としてオーラル・ヒストリーを使ったレポートを事前に提出していると、オーラル・ヒストリーの意義と限界が段々と明確になってくる。
今日のテーマは「日韓国交正常化」である。周知のように、北朝鮮との関係もあることから日韓国交正常化に関する外交文書は日本ではまだ公開されていない。昨年韓国側の文書を用いた研究が公刊されたが、やはり日本側の視点はまだまだ明らかにされたとは言いがたい。
今回は、日本の外交官のオーラル×3、新聞記者&野党関係者のオーラル、アメリカの文書を使った先行研究、戦後日韓関係の通史、をそれぞれが担当して議論した。ちなみに俺の担当は、柳谷謙介元外務事務次官のオーラルである。このオーラルについては一昨日の記事に書いたとおりであり、なかなか読み応えがあった。
使用した文献は一応すべて目を通したのだが、日韓国交正常化に関しては、現段階ではまだ確定できないことが非常に多く、現在あるオーラルや周辺資料で研究を行うのはかなり危険だな、という印象を持った。そういう意味では今回はオーラルの「危険性」がよく見えた授業だ。
◇
昼前に三田に移動し、発表の準備をする。今週&来週は発表&レポートが多く厳しい。
3限、日本政治論特殊研究。
今回は研究発表の回の担当だった。発表の半分は、合同演習での発表(戦後日本外交史の先行研究の整理検討)を修正したものにした。ただ、持ち時間は今日の方が多いので、やや詳細に発表が出来た。残りの半分は、この夏に実施したオーラルを使った議論を試論的に行った。
この授業は戦前の日本政治史であり、当然参加者も戦前の日本政治史が専門の方々である。頂いたコメントの三分の二が資料の話だった辺りが、やはり戦前の政治史学者らしいな、と。隣接分野の方からのコメントは専門に閉じこもっているとなかなか見えないコメントが多いので、自分にとっては有意義な発表になった。
◇
1時間ほど空いて、16時からは学部ゼミに。
サバティカルで英国留学中の師匠が一時帰国しており、学部ゼミの卒論中間発表会が行われたのだ。この時間は合同演習がありどうしようか迷っていたのだが、師匠のコメントを聞く機会はこれを逃すと当分無さそうなので、こちらに参加することにした。
去年は「冷戦終結」という統一テーマがあったが、今年はテーマが自由。かつ今年は執筆も任意ということで、書きたい人が書きたいことを書く、ということになっている。その分みんなのモチベーションは高い。だから発表を聞いていても、そして先生のコメントを聞いていても素直に楽しい。まあ、面白かったことはそれだけではないのだが…。
ゼミ後は、久しぶりに先生を交えての飲み会。一日限りのゼミ復活。
◇
1限、歴史政策論。
この授業の副題は「オーラルヒストリーと外交政策研究」。実際に取り上げるのは基本的に戦後日本外交である。戦後日本外交が研究対象であり、またこの夏に某元議員にインタビューに行きオーラル・ヒストリーを作成した自分のためにあるような授業である。偶然ながら本当に有難い。毎週テーマを変えながら資料としてオーラル・ヒストリーを使ったレポートを事前に提出していると、オーラル・ヒストリーの意義と限界が段々と明確になってくる。
今日のテーマは「日韓国交正常化」である。周知のように、北朝鮮との関係もあることから日韓国交正常化に関する外交文書は日本ではまだ公開されていない。昨年韓国側の文書を用いた研究が公刊されたが、やはり日本側の視点はまだまだ明らかにされたとは言いがたい。
今回は、日本の外交官のオーラル×3、新聞記者&野党関係者のオーラル、アメリカの文書を使った先行研究、戦後日韓関係の通史、をそれぞれが担当して議論した。ちなみに俺の担当は、柳谷謙介元外務事務次官のオーラルである。このオーラルについては一昨日の記事に書いたとおりであり、なかなか読み応えがあった。
使用した文献は一応すべて目を通したのだが、日韓国交正常化に関しては、現段階ではまだ確定できないことが非常に多く、現在あるオーラルや周辺資料で研究を行うのはかなり危険だな、という印象を持った。そういう意味では今回はオーラルの「危険性」がよく見えた授業だ。
◇
昼前に三田に移動し、発表の準備をする。今週&来週は発表&レポートが多く厳しい。
3限、日本政治論特殊研究。
今回は研究発表の回の担当だった。発表の半分は、合同演習での発表(戦後日本外交史の先行研究の整理検討)を修正したものにした。ただ、持ち時間は今日の方が多いので、やや詳細に発表が出来た。残りの半分は、この夏に実施したオーラルを使った議論を試論的に行った。
この授業は戦前の日本政治史であり、当然参加者も戦前の日本政治史が専門の方々である。頂いたコメントの三分の二が資料の話だった辺りが、やはり戦前の政治史学者らしいな、と。隣接分野の方からのコメントは専門に閉じこもっているとなかなか見えないコメントが多いので、自分にとっては有意義な発表になった。
◇
1時間ほど空いて、16時からは学部ゼミに。
サバティカルで英国留学中の師匠が一時帰国しており、学部ゼミの卒論中間発表会が行われたのだ。この時間は合同演習がありどうしようか迷っていたのだが、師匠のコメントを聞く機会はこれを逃すと当分無さそうなので、こちらに参加することにした。
去年は「冷戦終結」という統一テーマがあったが、今年はテーマが自由。かつ今年は執筆も任意ということで、書きたい人が書きたいことを書く、ということになっている。その分みんなのモチベーションは高い。だから発表を聞いていても、そして先生のコメントを聞いていても素直に楽しい。まあ、面白かったことはそれだけではないのだが…。
ゼミ後は、久しぶりに先生を交えての飲み会。一日限りのゼミ復活。
2006年12月12日
12月12日。
三限の授業は、いつも通りイギリス外交文書(DBPO)が課題文献。今回の範囲は、1948年1月~11月。徐々に国共内戦の趨勢も見え始め、さらに世界的には冷戦政策が徐々に展開されていくという時期である。が、今日は発表者が多かったということもあり、討論時間がほとんど無かった。ん~、これって何となく本末転倒な気がする。今学期の授業は受講者が二回ずつ発表を行うのだが、むしろ一回ずつで良かったんじゃないだろうか。来週は討論担当になっているので、何か議論を用意しなければいけないのだが、次回の範囲は1948年12月のみ。外務省の対中政策決定文書&内閣での決定文書という二つの文書を中心に議論をすることはほぼ確定しているわけだが…、討論時間を削ってまで長々と発表しても仕方がないし、どういう討論をするかちょっと考えたいところ。
授業前&授業後は、発表の準備に追われる。が、やや飽きてきた、眼が疲れたということもあって、ちょっと軽めのもの(=元首相のインタビュー集)を読んだ。これが軽めのものというのは大学院生や研究者くらいだろうが、やっぱり雑誌ジャーナリズムベースでのインタビュー集というのは「軽い」。趣味程度に読む分には面白いし、それなりに興味深いエピソードなども時たま出てくるので、暇つぶしには悪くない。
授業前&授業後は、発表の準備に追われる。が、やや飽きてきた、眼が疲れたということもあって、ちょっと軽めのもの(=元首相のインタビュー集)を読んだ。これが軽めのものというのは大学院生や研究者くらいだろうが、やっぱり雑誌ジャーナリズムベースでのインタビュー集というのは「軽い」。趣味程度に読む分には面白いし、それなりに興味深いエピソードなども時たま出てくるので、暇つぶしには悪くない。
2006年12月11日
祝福の夜。
今日はいつも一緒にいる後輩が大学にいなかったからだろうか、10時くらいから18時半前まで昼食を除いてほぼぶっ続けで発表の準備&レポートをやっていた。
一つ目は、火曜日の授業(国際政治論特殊研究)のため文献(DBPO)の読み込み。徐々に勘どころのようなものが付いてくるのか、少しずつ読むのにかかる時間は短くなっているような気がするが、もしかしたら単にそのテーマを継続して読んでいるから早くなっているだけなのかもしれない。
二つ目は、水曜の授業(歴史政策論)のための小レポート。今回のテーマは日韓国交正常化。各自がオーラルの該当部分や論文を担当してまとめていかなければならない。俺の担当は『柳谷謙介オーラル・ヒストリー』の上巻。柳谷氏は元外務事務次官で、日韓交渉時には北東アジア課の主席事務官として外交交渉の最前線で活躍した元外交官である。100頁以上にわたって、当時の日記などを基にかなり詳細に日韓国交正常化の際の外務省の取り組みが紹介されているので、なかなか読み応えがある。が、このオーラルで紹介されているのはあくまで日本の外務省の対韓交渉である。その他のオーラルや先行研究を読んでみると、少し違った側面が見えてくる。そういう意味で水曜の授業はかなり楽しみだ。
三つ目は、水曜の授業(日本政治論特殊研究)の発表の準備。普段は『西園寺公と政局』を読んでいるのだが、何回か研究発表の会があるのだ。それで今週は自分の番。修士論文構想はもう少ししっかりとまとめてから発表したいので、ちょっと違うことを発表するつもりなのだが…、これは時間切れで終わらず。
◇
以前ここにも書いたが、研究会などでお世話になっている先生が今年のサントリー学芸賞(政治・経済部門)を受賞した。今日は授賞式&祝賀会があったので、二次会から参加(一次会にペーペーの院生が行けるわけがない)。ちなみに受賞した本は、黒崎輝『核兵器と日米関係』(有志舎)。
とてもいい本なので宣伝しておきます。出版社第一号の本が、サントリー学芸賞受賞とは、すごいことです。
二次会には、知り合いの研究者から、編集者、大先生まで色々な人がいた。前期に授業に出させて貰うなどお世話になっているM先生の名司会によって、二次会は大いに盛り上がった。こういう祝いの席は、やっぱり楽しいもんだ。
専門領域が同じ諸先生方が会場に集まっているのをいいことに、どさくさに紛れて自分の研究テーマについて何人かの先生に相談に乗ってもらい、色々と有益なコメントを頂いた。ひとまず、もっと調べて形にしてからまた相談したい。とにかく、精進あるのみ。
その後は三次会へ行き、四次会へ行き、夜は更けていく…。
一つ目は、火曜日の授業(国際政治論特殊研究)のため文献(DBPO)の読み込み。徐々に勘どころのようなものが付いてくるのか、少しずつ読むのにかかる時間は短くなっているような気がするが、もしかしたら単にそのテーマを継続して読んでいるから早くなっているだけなのかもしれない。
二つ目は、水曜の授業(歴史政策論)のための小レポート。今回のテーマは日韓国交正常化。各自がオーラルの該当部分や論文を担当してまとめていかなければならない。俺の担当は『柳谷謙介オーラル・ヒストリー』の上巻。柳谷氏は元外務事務次官で、日韓交渉時には北東アジア課の主席事務官として外交交渉の最前線で活躍した元外交官である。100頁以上にわたって、当時の日記などを基にかなり詳細に日韓国交正常化の際の外務省の取り組みが紹介されているので、なかなか読み応えがある。が、このオーラルで紹介されているのはあくまで日本の外務省の対韓交渉である。その他のオーラルや先行研究を読んでみると、少し違った側面が見えてくる。そういう意味で水曜の授業はかなり楽しみだ。
三つ目は、水曜の授業(日本政治論特殊研究)の発表の準備。普段は『西園寺公と政局』を読んでいるのだが、何回か研究発表の会があるのだ。それで今週は自分の番。修士論文構想はもう少ししっかりとまとめてから発表したいので、ちょっと違うことを発表するつもりなのだが…、これは時間切れで終わらず。
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以前ここにも書いたが、研究会などでお世話になっている先生が今年のサントリー学芸賞(政治・経済部門)を受賞した。今日は授賞式&祝賀会があったので、二次会から参加(一次会にペーペーの院生が行けるわけがない)。ちなみに受賞した本は、黒崎輝『核兵器と日米関係』(有志舎)。
とてもいい本なので宣伝しておきます。出版社第一号の本が、サントリー学芸賞受賞とは、すごいことです。
二次会には、知り合いの研究者から、編集者、大先生まで色々な人がいた。前期に授業に出させて貰うなどお世話になっているM先生の名司会によって、二次会は大いに盛り上がった。こういう祝いの席は、やっぱり楽しいもんだ。
専門領域が同じ諸先生方が会場に集まっているのをいいことに、どさくさに紛れて自分の研究テーマについて何人かの先生に相談に乗ってもらい、色々と有益なコメントを頂いた。ひとまず、もっと調べて形にしてからまた相談したい。とにかく、精進あるのみ。
その後は三次会へ行き、四次会へ行き、夜は更けていく…。