2006年11月
2006年11月20日
2006年11月19日
11月19日。
今日も昼に少しだけ大学に行ったのだが…なぜ、日曜の大学には学生が全然いないのうだろうか。確かに授業は無いが、授業がほとんど無い土曜日の午後はもっと人が多い。ん~、まさか日曜は安息日ということなんだろうか?
今日は映画三昧。最終回が安かったのでシネマライズで「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」を観た。何やかんやで、ドラマ、映画と全部観てきた作品。個人的にはクドカンの中では一番好きなシリーズだ。
帰宅してから「アナザー・カントリー」をDVDで観た。レンタルが先々週の金曜から半額ということもあり、最近DVDで映画をやたら観ている気がする。ちなみに「アナザー・カントリー」は最近友達と話している時に話題になったから。
今日は映画三昧。最終回が安かったのでシネマライズで「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」を観た。何やかんやで、ドラマ、映画と全部観てきた作品。個人的にはクドカンの中では一番好きなシリーズだ。
帰宅してから「アナザー・カントリー」をDVDで観た。レンタルが先々週の金曜から半額ということもあり、最近DVDで映画をやたら観ている気がする。ちなみに「アナザー・カントリー」は最近友達と話している時に話題になったから。
2006年11月18日
なぜこの本なんだろう。
昼過ぎまでは自宅で、自分の専門分野の論文を整理しつつ読み込み。午後は大学に移動し、課題の文献を読んだり、論文をコピーしたりしつつ過ごす。そして、夜は大学院の友人&ゼミの後輩などと飲む。なかなか充実した院生らしい生活だ。
全然関係ないのだが、今日は大学の図書館でつい最近まで閣僚&参議院議員をやっていた某教授を目撃。トイレに行ったら隣になりました。今後は、また学問の道でしっかりやっていくということなんだろうか。
で、帰宅後は…この間ある先輩と話している時に話題になったので↓を再読。今日の生活とは、全然合わない本の選び方だなー。
・吾妻ひでお『失踪日記』(イースト・プレス)
『失踪日記』は、手塚治虫文化賞、日本漫画家協会賞、文化庁メディア芸術祭大賞、などなど数々の賞をを総なめした去年の話題作だ。そんなわけで、このマンガについては色々な人が色々なことを色々なところで言っているので、俺がいまさら何をという感じでもあるが、とにかく面白い本なのでとりあえず紹介しておきたい。
このマンガは、著者の「失踪」から始まる。初めの失踪でのホームレス生活、二度目の失踪での配管工としての生活、そして次に著者を襲うアルコール依存症での入院。全部実話らしいのだが、この「谷あり谷あり」の生活を、ちょっと醒めた視点で淡々と振り返っているので素直に読んでいて笑えてくる。ホームレス生活は文句無く面白い。配管工としての淡々とした日々、何かがおかしくて笑える。そして入院生活、周りの人間がおかし過ぎる。
ポイントはこれがマンガだということ。小説やドラマ、映画で同じテーマを取り上げたらとても「面白く」はならず、ただ悲惨なだけだろう。あの吾妻ひでものタッチと、ストーリーの悲惨さのミスマッチが「面白い」。
何はともあれ、一読を進めたい一冊。
全然関係ないのだが、今日は大学の図書館でつい最近まで閣僚&参議院議員をやっていた某教授を目撃。トイレに行ったら隣になりました。今後は、また学問の道でしっかりやっていくということなんだろうか。
で、帰宅後は…この間ある先輩と話している時に話題になったので↓を再読。今日の生活とは、全然合わない本の選び方だなー。
・吾妻ひでお『失踪日記』(イースト・プレス)
『失踪日記』は、手塚治虫文化賞、日本漫画家協会賞、文化庁メディア芸術祭大賞、などなど数々の賞をを総なめした去年の話題作だ。そんなわけで、このマンガについては色々な人が色々なことを色々なところで言っているので、俺がいまさら何をという感じでもあるが、とにかく面白い本なのでとりあえず紹介しておきたい。
このマンガは、著者の「失踪」から始まる。初めの失踪でのホームレス生活、二度目の失踪での配管工としての生活、そして次に著者を襲うアルコール依存症での入院。全部実話らしいのだが、この「谷あり谷あり」の生活を、ちょっと醒めた視点で淡々と振り返っているので素直に読んでいて笑えてくる。ホームレス生活は文句無く面白い。配管工としての淡々とした日々、何かがおかしくて笑える。そして入院生活、周りの人間がおかし過ぎる。
ポイントはこれがマンガだということ。小説やドラマ、映画で同じテーマを取り上げたらとても「面白く」はならず、ただ悲惨なだけだろう。あの吾妻ひでものタッチと、ストーリーの悲惨さのミスマッチが「面白い」。
何はともあれ、一読を進めたい一冊。
2006年11月17日
連休といっても…。
連休だろうと何だろうと、結局大学へ行ってしまう。
カフェに陣取って、読もう読もうと思っていてなかなか通しては読なかった本を片付ける。書評は一番下に載せておきます。
大学に行っている間は普段と変わらない生活だが、何となく普段よりも時間が余るので、夜は映画を観る。劇場公開されていた時から気になっていた「サヨナラCOLOR」を観たのだが、これがかなり良かった。監督の竹中直人がSUPER BUTTER DOGの「サヨナラCOLOR」をイメージして作ったらしい。そういう経緯もあるので、当然という気もするが、エンディングで流れる「サヨナラCOLOR」が本当に映画にマッチしている。中編小説としてうまくまとまりそうなストーリー。
◇
・坂野潤治『近代日本政治史』(岩波書店)
日本政治史の大家である著者による、明治から昭和初期に至る近代日本政治史を包括的に取り上げた教科書である。しかし本書は、単なる教科書としてではなく「坂野史学」のエッセンスが詰まった通史として、学生だけではなく研究者にも広く読まれるべき本である。これまで著者の研究は、常にそれまでの常識に挑戦する斬新なものであった。そのような著者の研究遍歴が本書にも如何なく発揮されている。史料を引用し時代の雰囲気を生かしつつも、歴史の大きな枠組を提示して説明する記述のスタイルは、政治史としての本書の大きな魅力である。
「前史」として王政復古から始まるが、本書の実質的なスタート地点は1875年の大阪会議である。それは著者が日本の「民主化」の起点としてこの大阪会議を捉えているからだろう。そして、本書は1937年の日中戦争の勃発をもって幕を閉じている。それは論理的には、「政治体制構想」に着目して近代日本政治の展開を論じてきた本書の枠組では日中全体戦争へと突入する1937年以降を説明することは出来ないから、ということになるだろう。しかし、より根源的な答えを著者は本書の中で述べている。
その答えの前に、本書の学術的な意義について触れておきたい。本書の学術的な意義は、本書の記述の背景には著者の膨大な個別研究が存在しており、その個別研究を貫く問題意識が本書で統合されていることである。もちろん、数ある先行研究も踏まえており、著者の研究で足りない部分はそれらの研究によって補われている。この結果として本書は、著者のこれまでの研究を通史の枠組の中で再構成したものになっている。
本書が対象としている、1868年(もしくは1875年)から1937年という時期は、これまでの著者の個別研究が対象としている時代にそのまま重なるものである。なぜ、この時期なのだろうか。それについて著者は、「どうも筆者には「尊皇攘夷」と「国家総動員」に対する共鳴力が欠けているようである。歴史学者は対象とする時代の精神に批判的でなければならないとしても、その時代精神に全く感応するものがなかれば、その時代を描くことはできない」(212頁)と書いている。これは必ずしも論理的な説明ではないが、これまで著者の個別研究に触れてきた人間は非常に納得させられるものであろう。
筆者が本書が対象とする約70年間の中で共鳴するものは何だろうか。それは「民主化」への可能性を秘めた「政治体制構想」であろう。『明治デモクラシー』『昭和史の決定的瞬間』といった著者の近著は、まさに戦前における「民主化」の可能性を取り上げた意欲作である。「政治体制構想」を取り上げた本書と併せてお薦めしたい。
カフェに陣取って、読もう読もうと思っていてなかなか通しては読なかった本を片付ける。書評は一番下に載せておきます。
大学に行っている間は普段と変わらない生活だが、何となく普段よりも時間が余るので、夜は映画を観る。劇場公開されていた時から気になっていた「サヨナラCOLOR」を観たのだが、これがかなり良かった。監督の竹中直人がSUPER BUTTER DOGの「サヨナラCOLOR」をイメージして作ったらしい。そういう経緯もあるので、当然という気もするが、エンディングで流れる「サヨナラCOLOR」が本当に映画にマッチしている。中編小説としてうまくまとまりそうなストーリー。
◇
・坂野潤治『近代日本政治史』(岩波書店)
日本政治史の大家である著者による、明治から昭和初期に至る近代日本政治史を包括的に取り上げた教科書である。しかし本書は、単なる教科書としてではなく「坂野史学」のエッセンスが詰まった通史として、学生だけではなく研究者にも広く読まれるべき本である。これまで著者の研究は、常にそれまでの常識に挑戦する斬新なものであった。そのような著者の研究遍歴が本書にも如何なく発揮されている。史料を引用し時代の雰囲気を生かしつつも、歴史の大きな枠組を提示して説明する記述のスタイルは、政治史としての本書の大きな魅力である。
「前史」として王政復古から始まるが、本書の実質的なスタート地点は1875年の大阪会議である。それは著者が日本の「民主化」の起点としてこの大阪会議を捉えているからだろう。そして、本書は1937年の日中戦争の勃発をもって幕を閉じている。それは論理的には、「政治体制構想」に着目して近代日本政治の展開を論じてきた本書の枠組では日中全体戦争へと突入する1937年以降を説明することは出来ないから、ということになるだろう。しかし、より根源的な答えを著者は本書の中で述べている。
その答えの前に、本書の学術的な意義について触れておきたい。本書の学術的な意義は、本書の記述の背景には著者の膨大な個別研究が存在しており、その個別研究を貫く問題意識が本書で統合されていることである。もちろん、数ある先行研究も踏まえており、著者の研究で足りない部分はそれらの研究によって補われている。この結果として本書は、著者のこれまでの研究を通史の枠組の中で再構成したものになっている。
本書が対象としている、1868年(もしくは1875年)から1937年という時期は、これまでの著者の個別研究が対象としている時代にそのまま重なるものである。なぜ、この時期なのだろうか。それについて著者は、「どうも筆者には「尊皇攘夷」と「国家総動員」に対する共鳴力が欠けているようである。歴史学者は対象とする時代の精神に批判的でなければならないとしても、その時代精神に全く感応するものがなかれば、その時代を描くことはできない」(212頁)と書いている。これは必ずしも論理的な説明ではないが、これまで著者の個別研究に触れてきた人間は非常に納得させられるものであろう。
筆者が本書が対象とする約70年間の中で共鳴するものは何だろうか。それは「民主化」への可能性を秘めた「政治体制構想」であろう。『明治デモクラシー』『昭和史の決定的瞬間』といった著者の近著は、まさに戦前における「民主化」の可能性を取り上げた意欲作である。「政治体制構想」を取り上げた本書と併せてお薦めしたい。
2006年11月16日
2006年11月15日
新曲披露宴。
1限の歴史政策論は、戦後日本の経済外交について。昨日紹介した『宮崎弘道オーラル・ヒストリー』に加えて、『菊池清明オーラル・ヒストリー(上下)』『本野盛幸オーラル・ヒストリー』『吉野文六オーラル・ヒストリー』を使っての討論。一応全てに目を通しているので、議論されていることの背景もよく分かりなかなか有意義な授業だった。
これらのオーラル・ヒストリーを主な資料に先生が書いたのが、このブログでも昔紹介したことがある、『外交フォーラム』に六回に渡って連載された「戦後経済外交の軌跡」である。この連載は、1つのオーラル・ヒストリーに引きずられることなくバランスよく各オーラル・ヒストリーを用いて、バランス良く戦後日本の経済外交について通史的素描を行っている。ただしこの連載は、国際金融分野のように大蔵省が担当したものについては触れていない。数年前の『国際問題』に師匠(学部時代)が「日本の経済外交五〇年」という論文を載せているが、こちらは金融分野についても詳しく触れている。
次週は今週担当したオーラル・ヒストリーの「相対化」を行うので、上に挙げた文献などを用いつつ、自分の中での戦後日本の経済外交について再検討したい。で、うまく行けばそれなりに修士論文構想に繋がってくるというわけだ。
◇
今日は、HMVでコーネリアスの「新曲披露宴」があった。
ニュー・アルバムに収録されている新曲を披露してくれるという有難いイベント。HMV渋谷のイベント・スペースは、適度に小さいのでなかなかいい。演奏は4人のバンド編成。セット・リストは↓
1 Breezin’
2 Wataridori
3 GUM
4 BEEP IT
5 music
に、アンコールで「E」という曲。
映像とのコラボレーションがばっちりときまっていて、かなり格好良かった。ついつい身体が動いてしまう。アンコールは無さそうな感じだったので、うれしい誤算という感じだ。「新曲披露宴」は昨日が第5回で最後らしいのだが、それと関係があるのだろうか。
正味30分くらいだったのだが、タダでかなりいいものを観れたので大満足。う~む、LIVEにも行きたくなってくる。
これらのオーラル・ヒストリーを主な資料に先生が書いたのが、このブログでも昔紹介したことがある、『外交フォーラム』に六回に渡って連載された「戦後経済外交の軌跡」である。この連載は、1つのオーラル・ヒストリーに引きずられることなくバランスよく各オーラル・ヒストリーを用いて、バランス良く戦後日本の経済外交について通史的素描を行っている。ただしこの連載は、国際金融分野のように大蔵省が担当したものについては触れていない。数年前の『国際問題』に師匠(学部時代)が「日本の経済外交五〇年」という論文を載せているが、こちらは金融分野についても詳しく触れている。
次週は今週担当したオーラル・ヒストリーの「相対化」を行うので、上に挙げた文献などを用いつつ、自分の中での戦後日本の経済外交について再検討したい。で、うまく行けばそれなりに修士論文構想に繋がってくるというわけだ。
◇
今日は、HMVでコーネリアスの「新曲披露宴」があった。
ニュー・アルバムに収録されている新曲を披露してくれるという有難いイベント。HMV渋谷のイベント・スペースは、適度に小さいのでなかなかいい。演奏は4人のバンド編成。セット・リストは↓
1 Breezin’
2 Wataridori
3 GUM
4 BEEP IT
5 music
に、アンコールで「E」という曲。
映像とのコラボレーションがばっちりときまっていて、かなり格好良かった。ついつい身体が動いてしまう。アンコールは無さそうな感じだったので、うれしい誤算という感じだ。「新曲披露宴」は昨日が第5回で最後らしいのだが、それと関係があるのだろうか。
正味30分くらいだったのだが、タダでかなりいいものを観れたので大満足。う~む、LIVEにも行きたくなってくる。
2006年11月14日
『宮崎弘道オーラル・ヒストリー』
ちょっとした失敗をしてしまった。パソコンの調子が悪く、送信したはずのレポートが戻ってきてしまったのだ。これに気が付いたのが22時。結果として、締め切りを10時間くらい過ぎての提出になってしまった。今回の場合は、それほどの問題では無いのだが、今後こういったことには気を付けないといけない。
で、そのレポート。資料としてのオーラル・ヒストリーに関するケース・スタディがテーマで、今回は「戦後日本の経済外交」について。受講者それぞれが、オーラル・ヒストリーをそれぞれ1冊ずつ担当してまとめてくるというもの。せっかくなので書評しておきます。
・『宮崎弘道オーラル・ヒストリー』(政策研究大学院大学)
1990年代後半から、政策研究大学院大学のプロジェクトとしてオーラル・ヒストリーが行われてきたことはよく知られているとおりである。政治家、官僚、労働界、など様々な立場にあった公人がその対象となってきたのであるが、そのうちの1つとして戦後日本の経済外交に携わってきた外交官を取り上げたものも、それなりにまとまった数が出されている。
宮崎弘道は、敗戦直前の1945年に外務省に入省し、その後ほぼ一貫して「経済外交」の分野で活躍してきた外交官である。とりわけ、GATTやOECDといった国際機関を担当してきた宮崎の視点は、他の外交官とは異なる独特のものがある。インタビュー形式は、約5人の研究者がインタビュアーが約2時間のインタビューを行うというものであり、全11回に渡って宮崎の官僚生活のほぼ全般について幅広く取り上げている。形式に関してやや残念な点は、経済を専門的に研究している学者がインタビュアーに含まれていないことである。しかしこれが逆に功を奏している面もあるのかもしれない。
宮崎は戦後日本の経済外交に携わった人々には「会議屋」と「南北屋」の2種類があるとし、自分は「会議屋」であるとしている。なお、「南北屋」の代表的人物は大来佐武郎である。「会議屋」はGATTやOECDなどの国際機関での交渉を中心的に行った人々、「南北屋」は対アジアの経済外交や援助を中心的に行った人々である。本オーラルには「会議屋」としての様々な経験、エピソードが数多く紹介されている。またインタビューから公開までに一定の期間が設けられていたようであり、その分忌憚無い人物月旦などが行われている点も興味深い。井上寿一は、この『宮崎弘道オーラル・ヒストリー』の証言を基に、「会議屋」の外交を「日本の経済外交の縦の糸」、「南北屋」の外交を「日本の経済外交の横の糸」として、戦後日本の経済外交を素描している(「戦後経済外交の軌跡」『外交フォーラム』に連載)。
このような宮崎の見方は、これまでの日本外交像に一定の修正を迫るものである。それは、これまでの日米関係もしくはアジア外交中心に描かれてきた日本外交像に対して、西側先進諸国の一員としての日本を強調する外交像となろう。もちろん、このような見方が正しいかは分からない。しかし、この視角から様々な資料を検討していく必要があるだろう。
で、そのレポート。資料としてのオーラル・ヒストリーに関するケース・スタディがテーマで、今回は「戦後日本の経済外交」について。受講者それぞれが、オーラル・ヒストリーをそれぞれ1冊ずつ担当してまとめてくるというもの。せっかくなので書評しておきます。
・『宮崎弘道オーラル・ヒストリー』(政策研究大学院大学)
1990年代後半から、政策研究大学院大学のプロジェクトとしてオーラル・ヒストリーが行われてきたことはよく知られているとおりである。政治家、官僚、労働界、など様々な立場にあった公人がその対象となってきたのであるが、そのうちの1つとして戦後日本の経済外交に携わってきた外交官を取り上げたものも、それなりにまとまった数が出されている。
宮崎弘道は、敗戦直前の1945年に外務省に入省し、その後ほぼ一貫して「経済外交」の分野で活躍してきた外交官である。とりわけ、GATTやOECDといった国際機関を担当してきた宮崎の視点は、他の外交官とは異なる独特のものがある。インタビュー形式は、約5人の研究者がインタビュアーが約2時間のインタビューを行うというものであり、全11回に渡って宮崎の官僚生活のほぼ全般について幅広く取り上げている。形式に関してやや残念な点は、経済を専門的に研究している学者がインタビュアーに含まれていないことである。しかしこれが逆に功を奏している面もあるのかもしれない。
宮崎は戦後日本の経済外交に携わった人々には「会議屋」と「南北屋」の2種類があるとし、自分は「会議屋」であるとしている。なお、「南北屋」の代表的人物は大来佐武郎である。「会議屋」はGATTやOECDなどの国際機関での交渉を中心的に行った人々、「南北屋」は対アジアの経済外交や援助を中心的に行った人々である。本オーラルには「会議屋」としての様々な経験、エピソードが数多く紹介されている。またインタビューから公開までに一定の期間が設けられていたようであり、その分忌憚無い人物月旦などが行われている点も興味深い。井上寿一は、この『宮崎弘道オーラル・ヒストリー』の証言を基に、「会議屋」の外交を「日本の経済外交の縦の糸」、「南北屋」の外交を「日本の経済外交の横の糸」として、戦後日本の経済外交を素描している(「戦後経済外交の軌跡」『外交フォーラム』に連載)。
このような宮崎の見方は、これまでの日本外交像に一定の修正を迫るものである。それは、これまでの日米関係もしくはアジア外交中心に描かれてきた日本外交像に対して、西側先進諸国の一員としての日本を強調する外交像となろう。もちろん、このような見方が正しいかは分からない。しかし、この視角から様々な資料を検討していく必要があるだろう。
2006年11月13日
11月13日。
この1ヶ月間無かったのだが、月曜日は授業がある。今日は久しぶりの授業だった。
読んでいるテキストは↓
・Melvyn P. Leffler, David S. Painter (eds), The Origins Of The Cold War
ちょっと画像が良くないので分からないかもしれないが、表紙の写真はヤルタ会談のカラー写真だと思う。う~ん、ちょっとかっこいい。副題に「An International History」とある外交史の論文集である。ポイントは「Origins」と複数形になっているところだろうか。限定されたテーマ、限定された時代についてそれぞれの論者が、それぞれの問題意識から論文を書いているので読む方としては飽きなくていい。が、実際に読んでいくと興味の無いところはなかなかつらいわけです。
ちなみに次回の授業は三週間後の上に、院生の研究発表なのでこの本を読むのはまた1ヵ月後なんだなー。
読んでいるテキストは↓
・Melvyn P. Leffler, David S. Painter (eds), The Origins Of The Cold War
ちょっと画像が良くないので分からないかもしれないが、表紙の写真はヤルタ会談のカラー写真だと思う。う~ん、ちょっとかっこいい。副題に「An International History」とある外交史の論文集である。ポイントは「Origins」と複数形になっているところだろうか。限定されたテーマ、限定された時代についてそれぞれの論者が、それぞれの問題意識から論文を書いているので読む方としては飽きなくていい。が、実際に読んでいくと興味の無いところはなかなかつらいわけです。
ちなみに次回の授業は三週間後の上に、院生の研究発表なのでこの本を読むのはまた1ヵ月後なんだなー。
2006年11月12日
2006年11月11日
『ドラゴンヘッド』
昨日の夜、ふと漫画を読みたくなって『ドラゴンヘッド』を読み出したら止まらなくなり、結果寝不足。しかし、酔っ払った時に『ドラゴンヘッド』を読みたくなるというのは、ちょっと危ないかもしれない。まあでも、そんなにセリフも多くないので全10巻を読み通しても2、3時間くらいのもの。映画を1本観たと思えば費用対効果は悪くは無いかもしれない。
で、寝不足のまま週明けの授業の準備をしているうちに研究会の時間になったので、九段下の大学へ向かう。
大学院に入ってから大きく変わったことは、院生や若手研究者の研究者が中心の研究会に参加するようになったこと。自分と同じ分野や隣接分野の研究者の、まさに最先端の研究に触れることが出来るのは大きな刺激になる。とりわけ、隣接分野は独学でかじるだけでは理解が不十分になることが多いので、研究会で色々な人の意見を聞くことの意味は大きい。ちなみに今日は、1954年~1972年のアメリカの対中・対台政策がテーマ。外交史的な実証、政治学的な枠組の双方において興味深い議論だった。
まーでも、こういった研究会をちゃんと生かすことが出来るか否かは、結局のところ自分が自分の専門の研究をどれだけしっかりやるかにかかっているんだろう。それが出来て初めて、周りとの交流が生きてくるというものだ。
研究会の効用を感じつつ自分の周りでもやりたいな~、と考えている今日この頃です。
で、寝不足のまま週明けの授業の準備をしているうちに研究会の時間になったので、九段下の大学へ向かう。
大学院に入ってから大きく変わったことは、院生や若手研究者の研究者が中心の研究会に参加するようになったこと。自分と同じ分野や隣接分野の研究者の、まさに最先端の研究に触れることが出来るのは大きな刺激になる。とりわけ、隣接分野は独学でかじるだけでは理解が不十分になることが多いので、研究会で色々な人の意見を聞くことの意味は大きい。ちなみに今日は、1954年~1972年のアメリカの対中・対台政策がテーマ。外交史的な実証、政治学的な枠組の双方において興味深い議論だった。
まーでも、こういった研究会をちゃんと生かすことが出来るか否かは、結局のところ自分が自分の専門の研究をどれだけしっかりやるかにかかっているんだろう。それが出来て初めて、周りとの交流が生きてくるというものだ。
研究会の効用を感じつつ自分の周りでもやりたいな~、と考えている今日この頃です。