2006年11月

2006年11月30日

中国語の日。

文献講読(学部設置)を取っている関係で、後期は木曜日が中国語の日になっている。結局、一週間のうち木曜+どこかで一日、つまり週二日しか中国語をやっていないわけで、やや少ないかなとも思うのだが、少ないなりに継続してやれば何とかなると信じて頑張る日々。

前期は「文献講読」の授業にも関わらず、一回の授業で数行程度の短い文章を三、四本読むだけだった。だが、後期に入り新聞の論説などを読むようになったので、それなりに中国語の勉強になっている。まあ、完全にリーディングのみではあるのだが。

今後は、中国外交を専攻している先輩の指導を受けつつ、中国語の学術論文も徐々に読んでいく予定。日本語、英語に加えて中国語で学術論文をちゃんと読めるようになれば、かなり視点が広がると思うので頑張ってやっていきたい。

以上は、やる気を上げるための文章。

f6a4cbbb.jpg

中国語の後は政治思想のプロジェクト科目なのだが、色々な偶然が重なった結果、今日は授業の一貫として映画を観た。観たのは、昨日の講演会を受けて「ホテル・ルワンダ」。こうやって畳みかけられるようにルワンダの悲惨な現実を見せられると、さすがに色々と考えさせられる。偶然だとは思うが、俺の周りには地域紛争の現場で行動するようなの実務家をに将来なりたいと考えている後輩が何人かいる。彼らは、俺よりもこういった問題に対する感受性が強いんだろうか。んー、別にそんな単純なことでは無いんだろうけど、彼らがこういう具体的な問題をどのように考えているのかは気になるところだ。…来週の授業で、講演会と映画を受けた討論があるので、それまでに色々と考えたい。

at 23:55|PermalinkComments(0) 映画の話 

2006年11月29日

長~い一日。

1限から授業があると、一日がほんとに長~い気がする。長いなあ、と思ってもまだ2時間もあるし。

そんな一日のスタートは、1限の歴史政策論(他大学)の授業から。

『中村悌次オーラル・ヒストリー』(防衛庁防衛研究所)を用いて、戦後日本の安全保障政策を議論。このオーラル・ヒストリーは、かなり「当たり」でした。防衛関係の専門用語が分からないため理解しにくい箇所が多々あるという難点はあるものの、戦後日本外交を考える上でも示唆されることが非常に多い。ちょっと今後の研究のアイデアが浮かんできました。これはまあ「企業秘密」なので、興味があれば直接聞いて下さい。

このオーラルをいかに捉えるかということだが、最低限おさえておかなければならないのは、中村が海上自衛隊の人間であったということである。つまり中村は、多数のアクターがいる安全保障政策コミュニティの中の、防衛庁の中の、制服組の中の、海上自衛隊の一員なのである。これをしっかりとおさえておけば、必要以上にオーラルにひきづられることも無い。…当たり前のことなんだけど、こういったことをおさえていない議論というのは多々あるのだ。

次回は、先行研究を用いてこのオーラルを「相対化」しつつ、戦後日本の安全保障政策について考えるということになる。他の防衛関係のオーラルも参照しつつ、考えることにしたい。『中村悌次オーラル・ヒストリー』についてはそのうちに書評しつつ紹介したいと思う。

その後は三田へ移動し、3限は日本政治論特殊研究。『西園寺公と政局』の第四巻第四章、1935年1月~2月が今回の範囲。色々と資料としての問題点も指摘される『西園寺公と政局』だが、この授業でやっているように各章をじっくり読んでいくと色々と発見があって面白い。何より権力の中枢の動きが垣間見えるのがわくわくする。が、今回の範囲は政友会内部の細かい話などが多くやや退屈。

まだまだ一日は続く。5限は、二つの講演会で悩んだのだが…結局、講演者が遠くから来た方を選択した(講演会HP)。講演者はイマキュレー・イリバギザというルワンダの女性。あの94年のジェノサイドを生き残りである。ジェノサイド、そしてその後の体験を綴った『生かされて。』(PHP研究所)という本を出版したのを機に来日したのだ。『生かされて。』の原題は"LEFT TO TELL"、ん~「語るために残された」といったニュアンスだろうか。あのジェノサイドを経て「語る」という行為そのものの重みがひししと伝わってきた。講演を聞いて頭でどうこう考えるということもあるが、壮絶な話を平和な日本で聞いて圧倒されて心に響いた、というのが率直なところ。彼女は「祈り、そして許す」ということを何度も語っていた。こう彼女が語るに至るまでに、政治は何か役割を果たしたのだろうか、となど思ってしまうと…。

ま、そんなことを思っても政治学の勉強はちゃんと続けていきます。窮極的なことばかり考えていては自我が崩壊してしまう。

実はこの後もまだまだ一日は続くのだが、とりあえずこんなところで。

at 22:05|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年11月28日

11月28日。

今日は3限の国際政治論特殊研究(イギリスの公刊外交文書=DBPOを読む授業)の討論担当だった。

ちなみに報告担当は、いつもお世話になっている先輩だったのだが、簡潔でありながら要点をしっかりと押さえた非常に見事な内容報告だった。外交史が専門では無いのにすごいなあ、と改めて感心してしまった。外交文書を読んでいくときは、あれくらいのまとめは作っておくと勉強にもなるしいいのかもしれない。

さて今回の範囲は、1947年のイギリスの対中政策である。周知のように1947年は、トルーマン・ドクトリン&マーシャル・プランが発表された年であり、冷戦が本格化・顕在化する年である。それでは中国はどのような状況であったかというと、国共内戦のまっただ中である。そんなわけで、今回は読むことがなかなか楽しみだった時期である。

DBPOを読むと見えてくることは、この時期のイギリスの対中政策を考える上での懸案事項が、?ソ連の直接間接の脅威、?香港に代表される東アジアの植民地、の二つであるということ。そして、実際の政策を立案する上で圧倒的に重要だったのが英米関係だったということである。

以上の基本的な構図を踏まえて、いかに論文に仕上げていくのか、ということが外交史的には重要な視点となる。これを考えると、資料をいかに使っていくか、どうやって分析枠組を作るのか、などなど様々な方法論的な問題が出てくる。この方法論的な問題は自分にとっても非常に重要な問題である。

で、こういったことを念頭に授業で討論を行った(具体的な内容は外交史が専門の人間にしか興味が無さそうなことなので割愛)。

が、やや抽象的な話に終始してしまったため、議論が自分の思い描いていたことよりも一歩手前で止まってしまった。んー、それほど複雑なことを話すつもりはなかったので、レジュメは作らなかったのだがこれは失敗だったかもしれない。やはり、ちゃんとレジュメの形に整理した上で議論を提出した方がその後の討論にとってもいいんだろう。これは次回に向けた反省。

at 22:16|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年11月27日

再会に失敗。

家庭教師の関係でちょっと隣りにある中等部へ行った他は、朝から大学にこもりひたすら授業関係の準備。とりあえず明日までに二つ課題があり、その後も発表が色々とたまっているのだ。知的には、変態でもありMだと思うので、こういった状況は実は心地いい。先週から色々とやっていることは、そのうち形になるはず、と信じて頑張ってます。

が、残念だったことが一つ。福島在住のゼミの友人に、「研修でこっちに来たから夕食でもどう?」と誘われたのだが、課題があるため断念したのだ。先週の土曜は、図らずも色々な人に再会したのだが、今日は失敗。

ふー。

at 19:26|PermalinkComments(2) 日々の戯れ言 

2006年11月26日

11月26日。

知っている先輩が報告するということもあり、今日も午前中はCOEのシンポジウムへ。報告は三つともヨーロッパの現状分析。日本を専門にしていると視野が狭くなり勝ちなので、こういったシンポジウムや研究会があれば出来るだけ出ておきたい。

そして、午後はまたまた院棟で過ごす。このサイクルも今日で終わりだが、それなりにメリハリがあっていい。んー、三田祭は酒飲んだだけでほかに何も楽しんでないというのは微妙だ。

今読んでいるオーラルは『中村悌次オーラル・ヒストリー』(防衛研究所)。防衛関係は今まで、いくつか研究書や論文を読んだりはしたものの、オーラルは、最近亡くなったばかりの海原治のものを流し読みしただけで、制服組のオーラルは恥ずかしながら初めて読む。要は、あまり蓄積が無い分野ということ。そんなわけで、なかなか他との比較が頭の中で出来ずつらい。とりあえず、今週と来週は防衛関係のオーラルを取り上げるので、ここである程度読み込んでおきたいところだ。

三田祭も今日で終わり。明日は三田祭の片付け日のため授業は無し。火曜から授業が再開される。ここから一ヶ月は発表やらレポートに追われる毎日。英文和訳のトレーニングをしなければならないのだが、その時間がなかなか取れない。

at 23:52|PermalinkComments(2) 日々の戯れ言 

2006年11月25日

色々な人と再会。

午前中は、昨日に引き続きシンポジウム(第4回慶應義塾大学21COE-CCC国際シンポジウム)へ。昨日は院生の報告会だったが、今日は他大学の教授も含めたシンポジウム。参加した(話を聞いただけだが)セッションは、日本語かと思いきや英語という誤算。まあ、聞くだけならいいのかな。色々な意味で、司会の大切さが分かったセッション。これは出た人ならよく分かる話。

ここで、前々から研究会や授業などでお世話になっている先生と遭遇。新著(『パクス・ブリタニカのイギリス外交』)が週明けにも出るとのこと。『古典外交の成熟と崩壊』などに親しんだものにとっては、楽しみでならない本。ロイヤル・ネイヴィー研究会ファンクラブの第二回会合も近い。

午後は、輩達と再会。といっても、この前会ったばかりだが…。とりあえず酒を飲む。地酒を飲んでいると、偶然にも三重在住のゼミ仲間に遭遇。

で、その後はまた院棟にこもって授業の準備。今日は外交文書を離れて、オーラル・ヒストリーを読む。オーラルの資料としての限界は重々承知しているが、現代史ではオーラルの意義は大きい。資料にある種の補助線を引いていくといったところだろうか。が、今回は防衛関係なので、読むだけでもなかなかしんどい。専門用語がよく分からない。

夜は今日留学から帰国したばかりの後輩と飲む。約10ヶ月ぶりの再会のはずなのだが、何の違和感もなし。留学帰りの後輩との会話は知的に刺激される。

人に会ったり、勉強したりで終わりかというと、そんなことは無く最近出た新書を読んでみたり。

26fdbfa0.jpg

村田晃嗣『プレイバック1980年代』(文春新書)
 学問の世界だけでなく、「朝まで生テレビ!」などテレビでも活躍している国際政治学者による1980年代論。著者自らがあとがきで「いささか猥雑な本になってしまった」と述べているように、政治や経済といった硬い話だけでなく、当時の風俗一般についても広く取り上げている。やや駆け足ではあるものの、本書は1980年代の日本を社会を満遍なく概観しており、その時代感覚を掴む大きな手がかりの一つになるだろう。各年ごとに章が区切られており、どこから読み始めてもよいだろう。戦後日本は1980年代に「坂の上の雲」に登りつめた、というのが著者が提示する1980年代イメージである。政治は保守で比較的安定し、経済は繁栄を謳歌している、ということを考えれば確かにそのとおりかもしれない。
 本書と同様に1980年代を取り上げて時代論を展開している本はいくつかある。やや学術的なものとしては、原宏之『バブル文化論 <ポスト戦後>としての一九八〇年代』(慶應義塾大学出版会)があり、また本書と同じく新書では大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』がある。前者はまだしっかりと読んでいないのだが、この両者はいわゆる「サブカル」を中心に1980年代を論じている点で共通している。
 こういった1980年代論に対して本書は、(国際政治学者の本なので当然かもしれないが)国内政治や国際政治に焦点が当てられていることにその特徴がある。それでは、本書が「硬い」本なのかといえばそれは前述したとおり違う。硬軟織り交ぜて様々な角度から1980年代に光を当てている。個人的に面白かったのはその年の「レクイエム」として毎年の故人を紹介していることである。自分が生まれた年にはこの人が死んだのか、などとついつい思ってしまう。
 さて、本書にはもう一つの特徴がある。それは、本書が著者の個人史に重ねられていることである。本書の始点は1980年ではなく、著者の生年である1964年である。確かに日本の戦後史の中で1964年の持つ意味は非常に大きい。ここでは、「先進国クラブ」であるOECD加盟と東京オリンピックを挙げておけば十分だろう。1964年に始まる本書は、その後1970年代を概観し、1980年代の各年はそれぞれお「プレイバック」している。途中、著者は大学に入学し、さらに大学院に進学する。そういった著者自身の成長やその時々に感じたことが、本書の様々なところに挿入されている。著者と同じように大学院に進んだ自分からすると、こういったのはちょっと気恥ずかしいなとも思うが、読者にとって一学生の時代に対する考え方というのは貴重な情報である。
 320頁という分量は新書としてやや長めであるが、テンポ良く時代が進んでいくので、意外なほどに一気に読めてしまう好著である。著者がその専門分野で1980年代をどのように描くのかということが気になってしまう。

at 23:34|PermalinkComments(2) 本の話 

2006年11月24日

11月24日。

ちょっとサークルに顔を出したりしつつ、そして少し酒を飲んだりしつつも、今日も院棟にこもって授業の準備に追われる。読むのに時間がかかる資料がたまっているので、なかなか自分の研究が出来ずに悩ましい。

夕方、三田祭の喧騒の中で行われているシンポジウム(日本政治社会学会第4回大会)へ。所属している大学院が関係しているCOEの報告会だ。専門とは基本的に関係が無いのだが、授業の関係もあって政治思想系のセッションに参加した。

研究会とは違い、こういった場では発表者に与えられる時間は長くても30分弱。今日の場合は20分だった。20分という時間の中で、自分の研究を発表するということはなかなか大変だ。ちなみに、12月に研究発表をする授業の一つでは、15分弱で発表しなければならない。とにかく、事前の練習あるのみということなのだろうが…なかなか大変そうだ。

at 23:28|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年11月23日

お祭り。

今日から大学のキャンパスはお祭りだ。去年は、友人達がカフェ、とはとても言えないが、酒を出す店をやっていたので楽しかったんだけど、今年はもう院生だし、三田祭だから何かあるというわけでもない。院棟のキャレルはこんなお祭りの最中でも使えるので、キャレルで過ごした。授業の準備が色々とあるのでキャレルがあるのは本当に助かる。インナーイヤー型のイヤホンで音楽を聴きながらやっていれば、三田祭の音もそれほど気にならない。

が、こんな生活を四日間も送るのもつまらなそうなので、明日以降は地酒でも飲みに行こうと思います。

今日は時間があったので、授業の準備とは関係の無い新書を一冊読んだ。

b127e45e.jpg

春原剛『ジャパン・ハンド』(文春新書)
 著者は『米朝対立』などの著書で知られるジャーナリストである。新聞記者の書いた国際政治関係の本は、その出来不出来に大きな差があるように思うが、本書はジャーナリストならではの良書である。
 「ジャパン・ハンド」とは米国の知日派のことである。帯やトビラには、ジャパン・ハンドが「日米同盟の命運を握っている」と扇動的に述べられているが、これはあながち間違ってはいない。日米関係の歴史を概観してみると、日米双方ともに限られた人々が日米関係の維持・深化に心血を注ぐ様子が垣間見えてくるからだ。ブッシュ政権を考えても、(今は政権から離れているが)R.アーミテージとM.グリーンの二人が日米関係にとっていかに重要であったか。本書はこのジャパン・ハンドという難しいテーマに、抜群の取材力と人脈を生かして切り込んでいる。
 もっとも、本書は決してまとまりのいい本とは言えない。本書の概要を説明しづらい理由の一つは、一冊の本としてのまとまりに若干の問題があるからとも言える。しかし、それは本書の価値にそれほど影響するものではない。本書は、様々な角度から、ジャパン・ハンドとは何か、ジャパン・ハンドは何をどのように考えているのか、といったテーマに取材力と人脈を生かして切り込んでいる点にこそ、その価値があるからである。言い換えれば、本書には何か斬新な分析視角があるというわけではない。そうではなく、貴重な情報が数多く詰まっているのである。
 本書の中でとりわけ興味深いのが、1995年と2006年にそれぞれ実施されたジャパン・ハンド50人への日米関係に関する意識調査である。日本にとって、その時代に最も重要ともいえるジャパン・ハンド50人が日米関係についてどのように考えているのか、ということそのものが非常に貴重な情報である。そして、それがこの11年間にどのように変化したのか、これも興味深い情報だろう。
 本書と同じようにアメリカの知日派に注目しているものとして、『外交フォーラム』に村田晃嗣同志社大学教授が連載した「ジャパン・ハンズ アメリカ知日派の系譜」がある。この連載では、アメリカの駐日大使館に勤務した外交官達が取り上げられており分析対象は限られているのだが、戦後50年間が取り上げられているので、本書の横の視点に加えて、縦の視点を得ることが出来る。本書と併せて読むと、より理解がジャパン・ハンド達への深まるのではないだろうか。

at 23:24|PermalinkComments(0) 本の話 

2006年11月22日

やる気↑。

慶應の方が11連休でも、もぐっている他大学の授業とは関係無い。そんなわけで、1限はいつもと同じく目白で「歴史政策論」の授業。

今日、先週に続いて「戦後日本の経済外交」がテーマ。オーラル・ヒストリーを資料として用いるケーススタディの一つとして経済外交を扱っているということだ。前回は、各自が担当者のオーラルから情報を「抽出」して報告するのが授業の主目的だった。今回は、そのフォローアップも兼ねて各自が担当したオーラルを研究書などと対照しながら「相対化」するのが目的だったようだ。

昨日書いたレポートは、担当した『宮崎弘道オーラル・ヒストリー』を相対化しつつ評価するというレポートだ。本来のテーマは経済外交なので、『宮崎オーラル』で紹介されている個別具体的なテーマをどれか取り上げるべきだったのかもしれないが、ちょっと考えるところがありレポートの形式は少し変えてみた。

『菊池清明オーラル・ヒストリー』でも強調されていることだが、そもそも「経済外交」という言葉は研究者の使う言葉である。経済だろうと安保だとろうと外交は外交である。それでは、「経済外交」というレンズを取り外して『宮崎オーラル』から見えてくるものは何だろうか。それは「対西側外交」である。レポートでは、この「対西側外交」というものを、戦後日本外交史の研究史などの文脈から論じてみたのだ。

具体的なことは「企業秘密」なので書けないが、この試みはそれなりに成功したようで、その他に提示した論点と併せて先生からかなり好意的なコメントを頂いた。

こういったことがあると、研究へのやる気が俄然上がってくるというものだ。



365cc94a.jpg

昨日に続き、帰宅後は映画。今日は「空中庭園」を観た。この映画は、原作の小説を読んでいたので劇場公開中から観たかったのだが、公開直前に監督が「臭い飯を食べる」ことになってしまい上映館数がかなり限定されてしまい、見逃してしまっていたのだ。

評判どおり小泉今日子の演技はなかなか。でも昨日観た「サマータイムマシーンブルース」とのギャップが大きすぎた(苦笑)。メタファーが多かったり、分かりにくいシーンも結構多かったので、やや疲れた。「ブレイブ・ストーリー」ほど原作との差があるわけではないが、やっぱり原作の方が数段いい。

まあでも「サマータイムマシーンブルース」を観た直後という影響もありそうなので、そのうちもう一回くらい観ようと思います。

at 23:20|PermalinkComments(0) 映画の話 

2006年11月21日

11月21日。

午前中は、明日のためのレポートをまとめる。毎週の小レポートなのだが、今回はちょっと考えるところがあり、いつもより分量を多めのレポートを書いてみた。こういった作業をすると。頭が整理されるのでよい。

昼過ぎから、大学に行って勉強しようと思ったのだが…三田祭の準備のため、キャンパス全体が騒がしい。というわけで、引き返しカフェで勉強。

その後は、サッカーU-21の日韓戦を国立競技場で観戦。K先生ありがとうございます。U-21の試合を生で観るのはこれで二試合目。段々とこのチームに親近感が湧いてくる。前回よりは平山も良かったように思うけど、それでもまだまだ。ジェフの水野がかなりいいプレーだった。我がジュビロからはキーパーが先発出場、でもこれは期間限定だろうなあ。あとはカレンが途中出場で、なかなかいい動きをしていた。上田はジュビロでレギュラーなんだし選んで欲しい。



23e11cff.jpg

帰宅後は、前々から友人にすすめられていた「サマータイムマシーンブルース」を観る。オフィシャル・サイトの紹介によると…

マジに暑すぎる夏、とある大学の「SF研究会」部室。SF研究などせずぐったりと夏休みを過ごす5人の男子学生と、2人の女性写真部員。前日にクーラーのリモコンが壊れて猛暑に悩まされるなか、ふと見ると部屋の隅に突然タイムマシンが!!!! 「ためしに昨日に帰って壊れる前のリモコン取ってこよう」と軽い気持ちで乗ってみたら、さぁ大変。想像もつかないような事態が次々と巻き起こって…!?

というストーリー。単純なストーリーながら色々と凝った作りの青春モノだ。瑛太&上野樹里がなかなか役にはまっている、ひたすら陽気で楽しい映画。と、持ち上げてから言うのもなんだが、かなりのバカ映画だ。原作が演劇らしいので、その辺も関係しているのかなー。

at 23:21|PermalinkComments(0) 映画の話