2006年10月

2006年10月16日

10月16日。

前回は訳あって出られなかった授業に初参加。

Melvyn P.Leffler, David S.Painter (eds) The Origins Of The Cold War: An International History の各章を輪読していくというのが授業の基本的なスタイル。これに加えて今回は、他の本に収録されているMelvyn P.Lefflerの論文を1本読んだ。

冷戦史については前期の授業でも取り上げられたが、やはり戦後の国際政治を学ぶ上でもしっかりと勉強しなければいけない分野である。今回取り上げる本は、その起源論について、新たな資料を用いて執筆された研究論文集である。冷戦の起源を巡っては、約60年経った今も論争が絶えないようである。

最近、冷戦史の古典的文献であるハレーの『歴史としての冷戦』を読んだ。資料的には限界が大きくある時代に書かれたハレーの本は、細かい所は別として大きな枠組みとしては今読んでもそれなりに意味のある文献であった。ハレーの30年以上前の本で示された視点が、今回取り上げる本に収録されている各論文との関係でどのような意味を持つのか、またどのように資料的に覆されているのか、といった点がなかなか興味深い。

冷戦の起源を専門にするつもりはないので、素直に楽しんで読むことができそうな文献なので、なかなか楽しみである。

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2006年10月15日

英語漬け。

授業で読む論文が数本溜まっているため、この数日はちょっとした英語漬けになっている。う~ん、つらい。が、休憩の意味で読む日本語の本がすらすら進むのが本当に心地良い。周りにいる留学生や、留学していた友人、今留学している友人は本当に大変なんだなと思う。

この1ヶ月ほど、読んだ本の書評をほとんど書いていないので、回顧しつつちょっとづつ書評を書いていこうと思うのだが、なかなか気が乗ってこない。

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2006年10月14日

変わるものと変わらぬもの。

遠藤周作のエッセイにそんな題名のものがあったが、そんなことを考えた一日。

そんな大した話ではなく通っていた高校の近くの景色が一変していたことに驚いたというだけ。多分、高校の中はそんなに変わっていないのだろうが、駅前の変貌振りにはびっくりした。俺が高校の時にはあったビルが無くなり、そして新しくビルがいくつか建ち…5年近くも行かなければ、そんなものなのか。

ちなみに今の家にはかれこれ10年以上住んでいるのだから、もっと変わっているはずなのだがそんなことは日々の流れの中ではなかなか気がつかない。

昨日会った高校時代からの友人は、高校の近くにずっと住んでいるから、景色が一変したことについても淡々としたものだった。

時間の流れは残酷だが、その中に身を置いていると案外気が付かないもの、ということなんだろう。

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2006年10月13日

2回目のインタビュー。

夏休みの研究生活は、図らずも社会党研究に多くの時間を費やすことになった。修士論文のテーマに直接繋がるわけではないのだが、政府・与党側とは異なる視点からその時代を見ることが出来たという意味では、自分にとって意義深いものであったと思う。少なくとも修士論文を書く際には、やはり視点を絞って書かなければいけないと思うのだが、その他の視点があるということを自覚していないのといるのでは大違いだからだ。

もっとも、当分の間は社会党研究で論文を書くつもりはないので、アウトプットは夏に参加したオープン・スクールの報告書(オーラル・ヒストリー+解説)という形になると思う。

今日は、8月に続いて同じインタビュイーに2回目のインタビューに行ってきた。9月半ばの段階では、インタビューは1回だけにするつもりだったのだが、その後色々と調べている過程でもう少し聞いておきたいことが出てきたので、インタビューに行くことにしたのだ。

ちなみにインタビューといっても、オーラル・ヒストリーの一環としてやるので、いわゆる取材とは大きくことなる。前回のインタビューの際には、自分の大きな問題意識のようなものを提示した上で、出来る限りインタビュイーに自由に話してもらう形式を取った。が、補充インタビューである今回は質問項目をかなり絞るなど、やや取材よりのインタビューになった。幸いこちらの趣旨をインタビュイーによく理解して頂いたので、非常に有意義なインタビューになった。

2回目のインタビューをして、オーラル・ヒストリーの可能性と限界が何となく実感として分かってきた。

外交史や政治史には、やはり文書資料第一主義というようなものが存在する。もちろん、文書資料を大事にして研究を行うことに異論は無いし、自分の研究もそうやっていくつもりである。しかし、オーラルを通して文書資料からはなかなか掴みにくい時代や現場の雰囲気を垣間見ることが出来るし、その当時の「常識」といったものが見えてくる。これは、研究の「文脈形成」にとって大きな意味がある。こういったことは2回目のインタビューを通して強く実感した。

しかし、インタビューを重ねてみると自分の調べたものの限界といったものが見えてくる。つまり、インタビューを重ねると前には聞くことが出来なかった新たな情報がインタビュイーからもたらされるのだ。まあこれはインタビュー技術の不足や勉強不足ということなのかもしれないが…。どれだけ調べれば研究対象を理解することが出来るのか、なかなか絶望的でもある。

どちらにしてもオーラル資料も数多くある資料の1つである。自分の中でうまく資料のバランスを取って研究をしなければならないと再確認。

ふー、またテープ起こしと編集をやらなければ。

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2006年10月12日

アナロジー。

昨日の授業で話題になったことは「アナロジー」について。よく後輩が好んでこの言葉を使っていたことを思い出す。「アナロジーにアナロジーを重ねているようにしか思えない」といって、ばっさり人を批判していた。実際にこの発言を聞くと、格好良く聞こえる。が、言い方を変えれば「妄想にしか聞こえない」ということ。そう思うことは結構多い。ちなみに学問の話は別として、個人的に妄想は好きです。

「アナロジー」というものは、もちろんある部分の条件が違うからこそ「アナロジー」になるわけだ。同じだったらわざわざ類推する必要など無い。つまり、元々あるものとあるものは違うということを認識した上で、それでもその両者を比べることによって何かが見えてくるだろう、という見通しを持って人は「アナロジー」を用いるわけだ。

で、何でこれが問題になるかと言えば、それが今日のプロジェクト科目(政治思想研究)でも話題に上ったからだ。まあ、正確には授業後半に俺がそのことを質問したからなのだが…。どういう文脈で話題になったのか。それは第二次大戦後のドイツと日本の知識人の比較、という文脈からである。もう少し具体的に言えば、あるドイツの研究者が丸山真男を論じる際に、その「近代」への評価が同時期のドイツの知識人とは異なるということを比較思想史的に論じている、ということをいかに考えるかという文脈から。

ちなみに、このドイツ人研究者の議論は「近代」概念が詰められていないなどの問題もあり、その比較は当を得たものではないというのが授業での結論。が、問題はそれよりも「比較」の問題である。前述のように、「アナロジー」という言葉が用いられるということは両者が違うということを認識していることでもある。それでもなお「比較」して論じるということは、そこにいくつかの共通性を見いだし、比較することによって何か新しいものが見えてくると論者が判断したからなのだろう。

こうやって考えてくると、歴史政策論の議論というよりは比較政治学の議論に近づいてきたような気がしてきた。ちょっと、頭が疲れたのでとりあえずはこんなところで。

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2006年10月11日

歴史は外交政策の決定にどのような影響を及ぼすのか??

授業のために作成した小レポートを掲載。「歴史は外交政策の決定にどのような影響を及ぼすのか?」について、「1930年代と今日との間に歴史的なアナロジーは成立するのか」という観点から書きなさい、というレポートなのだが、指定文献から事実上は東アジアにおける地域主義に絞って書かざるを得ない。

もともと、ある時代とある時代で相違点が無ければそれは「同じ」ということになる。同じでないから「アナロジー」になるのだから、違う点を指摘して「アナロジー」は成立しないというのはあまり有意義な議論ではないだろう。というわけで、何についてアナロジーから見えてくるものがあるのか、ということを留意しながら論じてみた。

が、この作業はなかなか困難。そもそも「アナロジー」とは何か、といったことから定義して論じなければ有意義な議論は難しいのだろう、というのが授業での議論を終えての感想。

さて、来週からは二回にわたって「歴史観と政策」がテーマ。とうとう、「あの本」をしっかりと読まなければならない…。


1930年代と今日との間に歴史的なアナロジーは成立するのか

 1930年代と今日との共通点としてしばしば指摘されるものが、アジア地域主義の高まりである。1930年代のアジア地域主義(東亜共同体論)は、「あの戦争」によって不幸な終わりを迎えたわけであるが、その結果として戦後の日本では、政策論として大東亜共栄圏を類推させるようなアジア地域主義が論じられることは長らくタブー視されてきたように思う。しかし1970年代後半から本格的に始まるアジア地域の経済発展や、それに水を差す形になった1997年のアジア通貨危機などを経て、現在では東アジア共同体について活発な議論が各国で行われるようになっている。
 本稿は、以上のような展開を見せているアジア地域主義を取り上げつつ、1930年代と今日との間に歴史的なアナロジーは成立するのか、という問いを検討するものである。結論的に言えば、1930年代と今日との間に歴史的なアナロジーは成立するだろうが、そこからは見えてくることよりも見えなくなることの方が大きいのではないか、というのが私の問に対する回答である。
 以上のような回答を提示したものの、私は1930年代研究に意味が無いと主張したいわけではない。後述のように、1930年代の日本外交がなぜ失敗に終わったのかという研究は十分に今日的な意義を持つものであり、多いに参照されるべきものである。しかし、いかに表面的な修辞で「アジアとの対等」を謳ったとしても、1930年代のそれはあくまで垂直的な国際秩序観に基づいたものであった。また、よく知られているように1930年代の東亜共同体論は西洋との対立を自明のものとして掲げていた。前者の議論はアジアの側から受け入れられるものではないし、後者の議論は欧米の側から受け入れられるものではない。また、第二次大戦後の日本のアジア外交を考える上で、前史である1930年代は極めて重要な時代である。1930年代のアジア地域主義が、「あの戦争」によって不幸な形に終わったと記憶されたことにより、戦後の日本ではアジア地域主義を口にすることは長らくタブー視されてきたとも言える。このような形で、戦後の日本は強く歴史の影響を受けてきたのである。

 とはいえ、やはりアジア全体の問題である東アジア地域主義の問題を1930年代との類推から語ることは不適切であると考える。1930年代と今日の共通点は確かにいくつも存在するが、そこを強調することは戦後60年の歴史を軽視することに繋がりがちであるからだ。
 1930年代と今日の共通点として、アジア地域主義の高まりがしばしば指摘されると本稿冒頭で述べたが、ここには一つの接頭辞を付ける必要があるだろう。それは「日本において」ということである。言うまでもなく戦前の東アジア地域には今日のような国家体系は存在していなかった。日本は「大日本帝国」として朝鮮・台湾を植民地化していたし、中国も対日抗戦と国共内戦という大きな問題を抱えていた。さらに東南アジア諸国の大半は欧米の植民地であった。このような戦前の国際政治の構図が、戦後は大きく変わったのである。このような構図の変化を考えれば、日本外交の議論としてならば可能かも知れないが、東アジア全体の問題として1930年と今日を比較して論じることにどれだけ意味があるのかは疑問符を付けざるを得ない。
 また、前述のように戦後日本においてアジア地域主義はある種タブー視されてきた。しかし、この議論を政府レベルの政策を考察する際にそのまま利用出来るかはいささか疑問である。戦前の歴史があるからアジア主義はタブーであるという議論を政府レベルに当てはめると、戦後日本は戦前のアジア地域主義の失敗によって戦後はアジアではなくアメリカを基軸として外交を展開した、といった結論が導き出されてしまう。このような側面はもちろん一部に存在するものであるが、より重要だったのは日本占領期から始まった冷戦によって、アメリカが日本との同盟関係を維持することを余儀なくされたということであろう。米中両国が激しく対立する冷戦状況の中で、アジア地域主義を論じることは果たして説得力のある政策だったのだろうか。

 以上いくつかの角度から、1930年代と今日との間に歴史的なアナロジーは成立するのか、という問題を検討してきた。結論は既に述べたとおりであるが、最後に一言だけ付け加えておきたい。本稿では1930年代と今日を繋げて考える議論のマイナス点を強調したが、日本外交の失敗事例としての1930年代論は今日のみならず普遍的な意味を持つということである。あれだけの失敗に終わった1930年代の日本外交を検討することは、2000年代だけではなく、90年代や80年代、70年代の日本外交を考える際にも大きな意味を持っていると言えるだろう。

at 22:12|PermalinkComments(0)アウトプット(?) 

2006年10月10日

引き続き昨日の話。

まずは昨日に引き続き北朝鮮の話。とりあえず思うがままに書いてみた昨日の文章を読み返してみると、やはり粗さが目立つ。

昨日から今日にかけて新聞等の報道や各国の外務省HPなどの情報を照らし合わせてみると、昨日書いたこととはちょっと違った感想が涌いてきた。確実に言えることとしては、北朝鮮がどのような思惑から今回の核実験を行ったのかということについてコンセンサスと言えるようなことが識者だけでなく各国の政府の間でも形成されていないということだ。そんな中で、なるほどなあ、と思ったのは俺が所属する大学院の研究科長の意見。「北朝鮮は、アメリカとの直接交渉の可能性がないことは分かっている」というものだ。現在アメリカは中東でイラクを抱え、さらにイラン問題もある。このような状況で二正面作戦を採ることは不可能であり、それを見越して次期政権まで耐え、核保有国として次期政権と交渉に臨む、というのが北朝鮮のシナリオだというのだ。まさに瀬戸際作戦といった感じだ。

さて、そんな国際政治の動きに霞んでしまったが…昨日、我が西武ライオンズのプレーオフ敗退が決定。とりたてて松坂ファンというわけではないが、エースのピッチングがもう日本で見れないかもしれないと考えるとちょっと感慨深いものがある。この話はあまり愉快でないのでこれくらいで。

at 22:22|PermalinkComments(2)日々の戯れ言 

2006年10月09日

北朝鮮核実験に思うこと。

天気のいい3連休を過ごし、あぁ行楽日和だ、などと感じていたところ、最後にどかんと核実験。というわけで、金曜からの行楽生活の記事は棚上げ。日本政治外交史が専門であって、東アジア国際政治は専門ではない院生の書くことにどれだけ意味があるかは分からないが、この日この時の記憶を残しておく意味で核実験について思うところを書いておくことにしたい。


 まず、今回の核実験の意味について。実験以前からすでに北朝鮮は核兵器を保有していると非公式な形では表明していたわけだが、それが今回の核実験で明示的になった。今回の核実験は94年の核危機以上に意味があるものであり、地域の国際政治にとって数十年に一度の大きな出来事であると言えるだろう。また北朝鮮の核保有は、インドとパキスタンのようにその影響が二国間関係に限定されうるものではなく、大国がひしめく東アジア国際政治に大きな影響を与えるものであるし、核拡散問題の観点からも極めて重要な意味を持っている。

 東アジア各国を見てみると、それぞれこの一ヶ月で政治的な動きがあったことが分かる。まず日本では、小泉政権以上に対北朝鮮強硬派と見られる安倍晋三政権が発足した。また中国では、上海市長の更迭に関連して江沢民派の退潮が指摘されている。この権力変動が対日政策の転換に繋がっているという説もある。さらに、韓国が日本の安倍新政権に接近していること、潘基文外交通商相が国連事務総長になることが確実な情勢になったということも地域情勢に微妙な影響を与えただろう。

 このような動きに重なる形で、安倍首相の中韓歴訪が行われたわけだ。安倍首相の中韓歴訪について、日中韓それぞれがどのような思惑を持っていたのかは必ずしも明らかではないが、各国が小泉政権との間で冷え込んだ日中・日韓関係を改善したいという思惑があったことは間違いないところだろう。日中・日韓関係が改善するということは、日本にとって好ましい状況である。逆に北朝鮮から見た場合、対北朝鮮強硬派である日本が中韓両国と関係改善することは決して好ましい状況ではない。

 今回の核実験は、以上のように東アジアの国際政治が動き始めたところで行われたわけだ。問題は、なぜ北朝鮮がこのタイミングで核実験を行ったのかということである。もとより、この問題に関して確たる情報があるわけではなく推測するよりほかない。安倍首相が中韓歴訪中であるこの時期は、北朝鮮にとってあまり有利な時期ではないように思える。日中首脳会談でも「北朝鮮による核実験は受け入れられないことで一致」したとされており、その直後に核実験を行うことは日中両国を強く刺激する。また他国と比べて北朝鮮に宥和的な政策を採っていた韓国も、このタイミングで実験が行われ、直後に日韓首脳会談が行われれば強硬派の安倍首相に賛同せざるを得ない状況になる。

 しかし視点を広げて見てみると、北朝鮮の思惑が見えてくるように思う。それはアメリカである。北朝鮮が六者協議ではなく、アメリカとの直接対話を求めていたことは常々指摘されてきたことである。今回のタイミングも、北朝鮮がアメリカしか相手にしていない、というメッセージがあるのではないか、と考えてみると納得がいく部分もある。まず日韓に関しては事実上無視したと見ることができる。盧武鉉大統領自身が認めているように、これで韓国の包容政策は大きな見直しを迫られることになった。そして中国に関しては、その北朝鮮に対する影響力が限定的であることが今回の核実験で明らかになった。

 これまでアメリカは北朝鮮問題について、一貫して六者協議の場での解決を求めてきたし、直接交渉に乗り出すのではなく中国に役割を果たすことを求めてきた。このようなアプローチでは問題は解決しませんよ、というメッセージが北朝鮮からアメリカに送られたと見ることも出来るだろう。以上のように考えると、今後アメリカがどのようにこの問題に対処するのかということが焦点になると言えるだろう。

 このような状況下で日本はどのような政策を行うのであろうか。恐らく自らが理事国を務めている国連安保理の場での対応を求めると共に、米中韓など関係国との連携に努めていくのだろう。より具体的には意見が比較的近いアメリカと連携しつつ、国連憲章第7条に触れる形での決議採択を目指すことと思われる。新聞報道などによれば、現時点でアメリカはこの問題を国連安保理の場で議論をするようである。これは基本的に日本と同様の立場である。

 一挙に軍事的な介入などにエスカレートしていかないのであればという条件が付ける必要があるが、日本にとって戦略的に採りうる幅が今回は意外と広がっているのかもしれない。まず、これまで冷え込んでいた日中・日韓関係が改善の兆しを見せていることが大きい。さらに、具体的な制裁案では相違があるのだが、中国および韓国も今回の核実験には極めて強く非難しており、朝鮮半島の非核化という目標に関しては一致している。朝鮮半島に関する利害が、大枠であれ日中間で一致しているということの意味は大きく、より広い文脈で日中関係を再構築するチャンスでもあるだろう。

 具体的な対応は、今晩にでも話し合われるであろう国連安保理での協議の帰趨によるのだろう。イラクを抱えているアメリカが即座に武力行使へ行くことは考えづらいが、何らかの形で強制力を持った制裁決議を出し、全体としてアメリカが北朝鮮に対して圧力を強めるのはほぼ間違いないだろう。また国連安保理として、先のミサイル問題に対して国連憲章第7条一歩手前という決議を採択していることから、今回の事態に中ロが強く反対することは難しいのではないだろうか。


現実の動きについて思うことは以上書いたとおりである。今回の核実験を含めたこの一ヶ月間の東アジア国際政治の動きは、今後幾度と無く振り返って多くの研究者によって取り上げられるのだろう。将来このテーマを研究するかは分からないが、今後とも注目していきたい。というのは研究者の卵の卵としてのコメント。

at 23:20|PermalinkComments(0)アウトプット(?) 

2006年10月05日

たけちゃんファン注目!

木曜は基本的に前期と同じ授業構成だ。

4限は、学部の文献講読(中国語)。文献講読というには扱っているのが、教科書に抜粋掲載されているようなものだし、受講人数が50人くらいというかなり変な授業。まあ、毎週ある程度の中国語を定期的に読む時間が欲しいので役には立っている。といっても授業中は先生に貰った別の文章をひたすら翻訳しているのだが…。来週からは新聞記事を扱うらしい。

5限は、プロジェクト科目(政治思想研究)。内容は前期と基本的に同じだ。1週目はゲストの先生の講演&質疑応答、2週目は講演を受けての討論。が、今回はややゲストの先生が少ないので院生の研究発表があるらしい。ちなみに今日担当決めの後、先輩の発表があった。日本外交や日本政治、国際政治といった自分の(狭義の)専門から離れた分野の勉強は心地よい。言うまでもなく、やるからにはしっかりやるつもりだけど。

授業後、友人と久しぶりに話した後、パソコン室へ向かうと後輩に遭遇。研究のことを中心に色々と話しているうちに、腹が減ってきてとりあえず食事、その後は「たけちゃん」でちょっと一杯して帰宅する。「たけちゃん」ではちょっと驚きの出来事。日本語が全く出来ないオーストリア人が来店したのだ。「たけちゃん」にもグローバリゼーションの波が!

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2006年10月04日

長~い一日。

今日とにかく長い一日だった。

1限は、他大学で「歴史政策論」という授業を聴講。前期は毎週金曜に六本木通いをしていたが、後期は毎週水曜に目白通い。この授業の目的は「オーラルヒストリーのアプローチによって、日本外交の政策決定過程を分析すること」。この夏にオーラルヒストリーをかじった自分にはぴったりの授業である。事前に授業に向けてA4で1枚の小レポートを提出して、それに基づいてディスカッションをするというのが授業の基本的な進め方。昨日付けでアップしたのはこの小レポート。議論の叩き台を意識してのレポートなので全てを書けるわけでも無いし、読みやすさを重視する必要もあるのでなかなか厄介ではあるが、毎週文献を指定されてレポートを書く作業が続くのはいいリズムが出来るので良かった。

授業終了後、自分の大学へ移動。前期の他大学への「遠征」は基本的には徒歩だったので、音楽を聴きながら色々と考え事をしていた。今回は電車で1本、かつ論文を1本くらい読める時間なので、論文や本を読む時間に充てることにしようと思う。

到着後、3限の発表に向けてレジュメを仕上げ、友人&後輩と昼食。

3限は、前期に引き続き日本政治論特殊研究を受講。西園寺公望の秘書である原田熊雄の口述日記である『西園寺公と政局』(全9巻)をひたすら呼んでいくという授業で、今期は第3巻の途中から始まる。具体的に時期で言うと斎藤実内閣の末期だ。今日はこの部分の発表担当だった。この時期は、戦前の日本政治史でもそれほど取り上げられる時期ではないのだが、なかなか面白い時期である。今日取り上げた、1934年4月~5月だけでも、「帝人事件」「天羽声明」「林陸相辞職騒動」「倉富枢密院議長の退任」、といった有名な事項が目白押しなのだ。西園寺(正確にはその秘書だが)から定点観測してみると見えてくる違った歴史というのはなかなか面白い。まあ、専門が違うと何が面白いのかさっぱり分からなそうだが。

4限は、学部の授業にもぐってみた。ゼミの友人&後輩が取っている政治思想系の授業。テーマは「自由と運命」。ちょうどぽっかり時間が空いているし、この時間に他に勉強すると疲れるので、休憩も兼ねて「趣味」の時間にしよう。

5限は、地域研究論合同演習…のはずなのだが、この授業は東アジア研究所講座がある時はそちらを聞きに行くことになっている。というわけで今日は講演の日。慶應でも授業を持っていた東大教授による、「脱植民地化」の視点から見た台湾の話。授業とは関係ないが、この講演で、前期まで外国語学校で一緒だった後輩に遭遇。シンガポール土産を貰う、感謝。

5限後、図書館に本を返しに行くと、図書館前にはいつもの面々+留学生。じゃあ、サッカーを観よう、ということで留学生宅でサッカー観戦。結局、11時過ぎまで留学生宅で飲んだり話したり。

ようやく一日終了。

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