2006年10月

2006年10月26日

シンジラレナイ。

この言葉が流行語大賞になるのだけは嫌だな~、と思うのだが。北海道で今日もこの言葉がこだまするとは。でも、新庄の最後の打席にはちょっと感動してしまった。レギュラーのまま引退していく選手も少ないし、ましてや最後が日本シリーズという選手などほとんどいないだろう。相手のピッチャーも三球ともストレート勝負だったし、いい最終打席だった。

そんな話はともかく…今日はプロジェクト科目(政治思想研究)の発表担当だった。先週土曜の授業を受けての討論者という役回り。色々と書きたいことがあるのだが、猛烈に眠いので、また明日にでも書きます。

祝、パ・リーグ時代到来。

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2006年10月25日

日中友好。

1限は毎週恒例の「遠征」に。今日は、先週のテーマ(大まかに言えば、首相の歴史観は外交政策の枠組をどのように規定するか)の続き。自分で残った疑問を立てて、それについて自由に論じた小論文を事前に提出。それを使って議論するのは、いつもの通り。

自分なりの疑問として「首相の歴史観を分析枠組に外交を分析出来るのか?」というものを立てる。若干、授業の前提に挑戦するようなものだが、それはそれで必要なことだろう。この疑問が浮かんでくる理由は、先週水曜の記事に書いたとおりである。やっぱり、国際環境や日本の国力が異なる状況であれば、政策の出発点が異なるのである。

今日の授業で感じたことは、自分の議論をうまく伝える技術が必要だということ。特に若干誤解を招きやすいようなテーマでは、真意が微妙に伝わらないことが多い。今日の場合は、国際環境と政策について。自分としては、国際環境によって、スタート地点において採りうる政策の幅がある程度規定される、ということを伝えたかったのだが、若干拡大解釈(?)されてしまった。

曰く、その議論は国際環境によって全て規定されるということで外交の営みを軽視しているのではないか。曰く、国際環境の見方そのものが政治的な争点であってこの点は無視できないのではないか、など。どちらももっともな議論なんだけど、いまいち俺の言っていることが伝わっていない気がする。例えば「冷戦」のような大きな枠組というものを認識しないで外交を考えることは出来ない、というのは当たり前だと思うんだけどなー。

ま、とにかく議論の仕方や話し方をもっと磨かねばと思いました。

その後は三田へ移動し授業を2つこなす。1つは、前期に引き続き西園寺公望の秘書の口述日記である『西園寺公と政局』を読む授業。ようやく第3巻が終わり、今週からは第4巻に入った。時期で言えば、斎藤内閣が倒れ岡田内閣が成立する時代である。政局の中枢にいた人物の日記を読むというのはかなりわくわくするものだ。

もう1つは、地域研究論合同演習(アジア地域研究)。が、予想通り昨日のシンポジウムの繰返しだった。英語でも2回聞くと、内容がより入ってくるものだ。普段考えることが少ない、ASEAN諸国の対日観を聞くことが出来た意味は大きいのだが…やっぱりソフトパワーという概念はあまり分析の枠組として優れたものとは思えない。「へ~、で?」という風に、どの話を聞いても感じるのは俺だけだろうか。

毎週のことだが、朝から夕方まで授業がある水曜日は長い。今日は放課後、国立競技場でU-21の日本対中国戦を観戦。日中交流の一環らしく、中国研究の某教授経由で大量にチケットが回りそのおこぼれにあずかった、ということ。平○がボールを持つと、スタジアムが何となく笑いに包まれるとは…。

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2006年10月24日

CD購入。

火曜は、外交文書(DBPO)を読む授業。今日から実際に文書を読んでいくのだが…途中で抜けてシンポジウムに行っていたので、授業後半でどのような議論が行われたのかが分からない。来週はちゃんと全部出ることが出来るので、来週に向けてまた読み込んでいきたい。

で、授業を抜け出して行ったシンポジウムはG-SEC主催の「日本のアジア戦略とソフトパワー」(英語)。明日の授業で、このシンポジウムのスピーカーをゲストに討論をするというので行ったのだが…明日の授業の参加者の3分の1くらいしか、シンポジウムに来ていなかったので明日は結局また同じ話を聞くことになりそうだ。同じ話を聞くのもなんだから、質問を考えていこうかな、とも思うのだがいまいちテーマ的になあ…。

今日はCDを2枚ほど購入。

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上は、ジャケットに書いてあるようにコーネリアス。待望の5年ぶりのアルバムだ。前作とは異なり、歌モノも少しだけ入っている。まだそんなにじっくりとは聞いていないのだが、後半に先行シングルで出ているMUSIC♪があるのが絶妙だ。新曲披露イベントの整理券を貰ったので行ってこようと思う。とりあえず、その前に聞き込んでおこう。

下は、なんのこっちゃという感じだが、ヒロトとマーシーの新バンドであるクロマニヨンズのデビュー・アルバムです。シングルに付いていたDVDの映像から察するに、ジャケットはクロマニヨン人の足跡。よく意味が分からない。シングルを聞いて思ったのと同じで、とにかくシンプルな音作り。歌詞は相変わらず意味不明。そこがいいんだけどね。

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2006年10月23日

引きこもる。

大学へは行かず引きこもる。家関係でやらないといけないことがあったことが理由だが、まあ雨だし、授業も無いし。

そんなわけで、一日使って色々と溜まっていることをこなした。恥ずかしながらまだ終わっていないテープ起こし、発表の準備、シンポジウムの事前配布資料の読み込み、明日の授業の準備、明日提出期限の小レポートなどなど。集中してやると、一日でかなりのことが出来るものだ。仕事をするということは、これを毎日こなしていくということなんだろうな~。


ちなみに今日は軽めの本を1冊読んだ。発売直後に新聞各紙などの書評でも取り上げられた話題作である↓

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浅野史郎『疾走12年 アサノ知事の改革白書』(岩波書店)
 昨年まで12年間に渡って宮城県知事を務め、改革派知事として知られた浅野史郎の「教科書風」回想録である。「教科書風」とは現在大学教授を務めている筆者自身が「あとがき」で明らかにしている、本書の隠されたコンセプトである。
 なぜ知事を辞めたのか、といったことから、在任中にやり残したと感じていること、さらには楽天ゴールデンイーグルスのことまで本書では幅広く取り上げられている。また、筆者の代名詞のように言われることもある「情報公開」については、どのようにしてその重要性を認識していったのか、さらにその後の県政と情報公開といったところまで詳しく触れられている。本書を一読すると、筆者の県知事時代の行動がどのような行動原理に基づいていたのかが、非常に分かりやすい形で見えてくる。実際の政策ではなく、その背後にある政治信条や理念といったものは、このような回想録やオーラル・ヒストリーによって明確になるものである。回想録の中には自慢話に終始するものが多いが、本書には筆者の実感はあっても「全て俺がやった」式の自慢話は一切出てこない。率直に筆者が何を考え、どのように行動したのかが書かれている。また本書の記述にはいわゆる「政治用語」「議会用語」はほとんど出てこない。その平易な記述は、一般の回想録のように時系列順ではなく「教科書風」にテーマごとに並べられた構成と併せて、本書を実に読みやすくしている。
 以上のように率直な語り口の本書であるが、やはりある種の配慮は働いている。これはある新聞書評(リンク)でも指摘されていたが、本書では議会や職員との具体的な軋轢についてはあまり踏み込んだ記述を行っていない。そのような軋轢を描くことは「教科書風」回想録には適さないのかもしれない。しかし、資料的な意味な価値という点からも、将来そのような軋轢にも踏み込んだ続編が書かれることを期待したい。
 もっとも、このような不満は知事退任直後に書かれた本書に対しては望み過ぎかもしれない。地方自治を考える上でも、首長という政治家が何を考えているのかを知る上でも、また90年代以降の日本政治の変化を感じる上でも、本書は有用である。読みやすく、そして充実した回想録である。


書評といえば、昨日の読売新聞に夏に読んだ本の書評が出ていた(リンク)。自分の書評(リンク)と比べても5分の1くらいの長さの非常に短い書評だが、本のメッセージを汲み取り、なおかつ長所と短所をうまく取り上げているのがすごい。

at 23:42|PermalinkComments(0)本の話 

2006年10月22日

10月22日。

毎週のことだが、日曜日の学校は人が少なくて快適だ。もっとも、学会があったり今日のようにTOEICがあったりすると一時的に中庭に人が溢れることはある。でも、図書館や院棟といったいつも俺が行く所は人が少なくて非常に快適である。パソコンを使おうと思って待つことも無いし、コピーで待つこともほとんど無い。中庭で本を読んでいても周りのうるささが気になることも無い。

今日もそんなわけで途中まで快適な日曜大学生活を満喫。…満喫というのも何となく変だが。

パソコンを使う作業を終え、南館(勝ち組タワー)から院棟(負け組タワー)を経由して、図書館(愛称募集中)へ向かう途中に、中庭でいつものごとくゼミの後輩に遭遇。その後は、図書館に移動し後輩と並んで火曜の授業の文献であるイギリスの外交文書を読んでいた。

前にも書いたとおり、今回読むのは外交文書といっても、かなり編者による編集を経たものである。論文のように、初めから最後まで隅から隅まで読むという性格のものでもないだけに、後輩と共に試行錯誤しつつ読んでいく。今回の部分では、どんな議論になるのだろうか。授業が楽しみである。

ちなみに今日は、社会党関係者の回顧録も1冊読み終えた。そう、まだ読み続けているんです。今日のも「ハズレ」。最近は「ハズレ」ばっかりです。社会党研究生活もあともう残すところあと僅か。

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2006年10月21日

正戦論。

今日はプロジェクト科目(政治思想研究)があった。普段は木曜日なのだが、今回はゲストの先生が津軽海峡を越えてやってくるということで土曜日に授業だったのだ。

テーマは「カール・シュミットと正戦批判の系譜」。

イラク戦争前後には「正戦」概念が氾濫していたがそれはかつてのドイツにおける正戦論とは対照的であった、として戦間期を中心としたカール・シュミットの正戦論と、現代におけるハーバーマスの議論を手がかりにした発表だった。

ドイツにおける議論を中心に、現在の正戦論を批判的に検討するという視点は興味深かった。とりわけ、人間の可謬性という点を手がかりにシュミットとハーバーマスを結びつけて論じている点は面白い。また『政治的なものの概念』や『政治神学』、『合法性と正統性』などを部分的に読んでいるだけで、シュミットについて体系的には学んでいない自分にとっては、シュミット論としても勉強になった。

加えて、久しぶりに国際秩序論のような問題を考えることが出来たことも良かった。問題は、来週木曜に今日の発表を受けての討論者になっているということ。色々と疑問に思うところや、なるほどと思ったところがあったので、その辺を中心にまとめることにしようと思う。

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2006年10月20日

10月20日。

先週行った追加インタビューのテープ起こし&編集に追われる毎日。もっとも、一日中やっているわけではない。一日中やれば終わるのだろうが、なかなかその気にならないから長引いている、というのが真相。編集は好きな作業なので苦にならないのだが、テープ起こしというのがなかなかしんどい。ひたすらイヤホンで聞き、ひたすらそれをキーボードで打ち込んでいくだけなのだが…。

夏に通ったオープンセミナーで、色々とテープ起こしについて聞いただけに、ついつい慎重にやってしまうというのも作業が遅れる原因の1つなのだろう。でも、正しく打ち込んだつもりでも、聞きなおしてみると微妙に違っているということは多々あるし、慎重にこしたことはない。

課題提出まであと10日あまり、早くテープ起こし&編集を終えて解説を書かなければいけない。10月は他にも課題が色々とあるので、あっという間に終わってしまいそうだ。

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2006年10月19日

漢語。

前期は外国語学校(週2日)&学部の文献購読(週1日)で勉強していた中国語だが、後期は学部の文献購読の1日のみ。会話やリスニングは一切やっていないのがちょっと心配なのだが、文献購読がそれなりにちゃんとした文献(といっても新聞だが)になってきたので、後期はなかなか面白い。

安倍政権発足後や北朝鮮の核実験後は、ちょくちょく中国の新聞をネットでチェックしていたのだが、記事の大まかな内容を掴むだけで済ましていた。が、授業でしっかり逐語訳をしないといけないとなると、かける時間も違うし単語の意味にも敏感になる。読解力だけだけど、やればやるほど上がっていくのが実感出来るのでやる気も出てくる。

ん~、何で第二外国語の方が上達が早いのだろうか。

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2006年10月18日

歴史観と外交政策(?)。

毎週、水曜1限の授業に提出する小レポートをここに転載していたんだけど、今週はなし。なぜなら、テーマが「安倍晋三の歴史観と外交政策」で安倍政権の外交に対する評価もしないといけない課題だったから。やっぱり、同時代的な話題について書くのはなかなか難しいし、あまり政治的な立場というものを表明する気もしない。

と、いいながら書いておきたいこともある。

それは、「歴史観と政策」を過度に結びつけて論じている一部マスコミの報道姿勢や編集姿勢について。新聞については某紙が突出しているが、月刊総合誌などは今回のレポートのためにパラパラと見てみると、どこも同じように新首相の歴史観を取り上げている。

確かに首相の歴史観といったものは、政策に一定の影響があるだろう。しかし、教育政策といったことはともかくとして、外交政策は首相の歴史観によって決まるようなものではない。何よりも、その時の外交政策を決定するのは、その時の国際環境である。そして、そもそも外交とは相手があることであり、こちらがこうしたいと思ってもそれは相手との関係の上で成り立つものである。

以上のような性格を持つ外交政策を、首相の歴史観という切り口を中心に論じることには無理がある。首相の歴史観が意味を持つとすれば、その時の国際環境によって規定される外交問題に関する対応の大まかな方向性、へ影響があるということだろう。

大まかな方向性に影響があるということは、外交政策を考える上で首相のパーソナリティが重要だということである。しかしパーソナリティに注目することによって見えてくることよりも、そこのみに着目して見えなくなることの方が大きい、ということだ。まずは今の国際環境、国際政治状況に関する分析、これに尽きる。これをしっかりと踏まえて初めて、首相の歴史観といったパーソナリティを見る意味が出てくるのではないだろうか。

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2006年10月17日

10月17日。

火曜日の授業は、一次資料(外交文書)を読む、というなかなか贅沢なものだ。

外交文書を読むのが贅沢、などというと「やっぱり変態だ」と言われそうだ。が、国際政治を学ぶものにとって外交資料を読むことは最もその現場に近いものをしるということであり、興奮するのも仕方が無いというものだ。

そんなに興奮するなら一人で読めばいいだろう、とこれまた言われそうだが、授業でやる意味が実は大きいのである。歴史学では資料第一主義のようなものがあり、政治史や外交史でもそういった雰囲気が何となくある。しかし、同じ本でも読み手によって読み方が異なるように、同じ資料でも読み手によって読み方は異なってくることがある。自分以外の人間が、同じ資料をどのように読むのか、といったことが授業の場で分かるということの意味は大きい。

今回読むのは、Documents on British Policy Overseas (DBPO)、つまりイギリスの資料である。具体的には1945年から1950年までの英中関係を取り上げた1冊の3分の1ほどを読む。テーマは異なるが、月曜の授業と取り上げる時代が近い。

前回まではイントロダクション及び先生の講義だったので、今日から本格的にスタート。でも今日読んだのは編者による序文。といってもなかなか考えさせられる序文である。編者も歴史家であり、序文でありながら1945年から1950年の英中関係についての1つの論文のようであった。ここから考えさせられたのは、この資料集が果たしてどれだけ論文に使えるのかな、ということ。

これはある先輩が言っていたことなのだが、「1つの論文」が出来上がるように資料を選んでいるということは、つまりこの資料集に収録されている資料を読むとこの序言のような結論に達するということでもある。もちろん先にも述べたように、資料の読み方は人によって異なるので必ずしも全く同じになるとは言えないのだが、かなり資料を選別して収録している以上、この資料集を読んだだけでは、このテーマについては編者の提示する枠組みのようなものには左右されざるを得ないということになる。資料集の扱いというのも、なかなか難しいものだ。

来週からはいよいよ実際の資料を読む作業が始まる。

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