2006年09月

2006年09月11日

出だしから躓く。

一昨日から修論構想へ向けての動きをスタート、昨日でオーラルもとりあえず終了、ということで今日から本格的に動くはずだったのだが…

昨日の深酒&未明の豪雨と雷で満足に眠れないまま朝からバイト、ということで午後はぐっすり家で眠ってしまった。そんなわけで気が付けばもうこんな時間だ。

明日から頑張ります。

at 22:26|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2006年09月10日

「夏の学校」最終日。

オーラル夏の学校(最終日)

夏に通ったオープンスクールも今日で終了。最終日ということで、今日は成果報告会。

与えられた発表時間が10分であり、この後に最終成果物を提出することになっているので、報告会では、研究の問題意識を簡単に述べた上でインタビュー&成果物の概要を紹介することにした(詳しい話は会った時にでも聞いてくれれば話します)。

発表後のコメントで先生方から暖かい励ましの言葉をかけていただく。

10月末の最終成果物提出へ向けてのプレッシャーが…。もう1度くらいはインタビューに行きたいなと思っているのだが、どうなることやら。

以下、雑感。

この学校があったことで、夏の過ごし方は大きく変わった。何より修士論文に繋げようと考えていたテーマを研究せずに、博士論文(進学したとして)を書く際に繋がるテーマの研究が生活の中心になってしまった。最初は「う~ん、参ったな」と思っていたのだが、今はこれでよかったと思っている。これが冬に修士論文提出を控える来年の夏だったら大変なことだが、今年はまだ問題意識を広げると共に研究のツールを増やしていく段階である。

最低限ではあるがオーラル・ヒストリーに関するリテラシーを身に付けたことは、戦後という「現代」を歴史的研究しようとするものにとっては非常に大きい意味がある。作り手の側に行ってみると、それまでとは全く違う世界が見えてくる。結果として、読み手としても鍛えられてくるのだ。それが研究ツールを増やすという意味。

一方、あくまで外交(および国際政治認識)を中心にではあるが、社会党の研究を少しだけでもやってみた意味は確実にあったと思う。政府・与党を分析するためには、そのオルタナティブである野党を見ておくことは重要なのである。もちろん政権交代が無かった55年体制という状況を考えると、野党の意味は限られているのであるが。

ま、ちょっと回り道になってしまったが、これからは修論へ向けて走るのみ。

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2006年09月09日

重陽の節句。

オーラルにひと区切りが付きつつあるので、徐々に修士論文構想へ向けての動きをスタート。一つのことをずっとやると飽きてくるので、これから1週間くらいは、どちらも並行してやろうと思っている。

そんなわけで午前中に大学に行って論文を何本かコピーして読み、先行研究をチェックしたり、と模範的大学院生を送っていたのだ。

が、午後からは趣味に走ってしまった気がする。何といっても今日は映画を2本観ている。

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1本目は「ゆれる」、2本目は毎週恒例の寅さん。今週は「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」、マドンナは田中裕子だ。

「ゆれる」のテーマは兄弟。このテーマでハリウッド映画を作ったら全く違う作品が出来上がるんだろうな~。が、「ゆれる」は日本映画らしい日本映画になっている。予定調和にはまることなく、淡々と話が進んでいく。オダギリジョーと香川照之が兄弟を演じている。特に香川は素晴らしい。俳優だけでなく脚本、カメラワーク、演出、どれもなかなかいい。「時をかける少女」といい、最近は観る映画の出来がなかなかいい。このいい流れを「ラフ」でぶち壊すというのは何だし…どうするか考えどころだ。

ちなみに今はNHKのBS2でやっているT.REXのLIVEを観ている。

こんな過ごし方だと一日が本当にあっという間だ。

at 23:49|PermalinkComments(0)映画の話 

2006年09月08日

さらに続く皇室話。

昨日ちらっと書いたことについても情報をいただく。恐るべし「天の声」、「老公雑談」。これで分かる人には「天の声」の主が分かってしまうかな…。

それにしても、皇室関係は需要があるのだから、外国の話と組み合わせつつ本でも書いたらかなり売れるんじゃないだろうか。危ないと感じたらペンネームでも使って(笑)。うちの大学の先生が書いた『歴代天皇総覧』もかなり売れたみたいだし。…そんなことを書いていると、将来お前が狙っているんじゃないのか、と言われてしまいそうだが。

軌道修正、本題に戻ります。

そうです、三笠宮の話です。言われてみれば「ああそうか」ということだったが、庶民の俺にはここまでしっかり頭に入っていない。

えーと簡単に言うと、よく世間で話題になる三笠宮は「ヒゲの殿下」であって、三笠宮家の当主であるヒゲの殿下の父(御年91歳になる崇仁親王=昭和天皇の兄弟)はまだ生きている、ということ。つまり「Prince Mikasa」はあくまで崇仁親王で、ヒゲの殿下は「三笠宮家の寛仁」でしかないんです。ちなみに三笠宮ってのは一般庶民の苗字とは違うから、寛仁親王を「三笠宮寛仁」と呼称するのは間違いらしい。だから正確にはヒゲの殿下は「三笠宮家の寛仁」でもなく「三笠宮の息子の寛仁」ということらしい。

というわけで「Prince Tomohito of Mikasa」が正しいわけです。

う~ん、やっぱり複雑。

at 23:58|PermalinkComments(2)日々の戯れ言 

2006年09月07日

天の声。

昨日の記事に書いた皇室表記について「天の声」を頂きました。それを一部抜粋してみる。

なぜ皇太子が「Prince Naruhito」で、秋篠宮が「Prince Akishino」かとございましたが、これはこれで正しいんですよ。秋篠宮は「宮家」創設を許されたわけですから、世間的には英語で言えば「Akishino」なわけです。ちょうど昭和天皇の弟たちが、Prince Chichibu、Takamatsuだったようにね。宮家創設からは、その名前で呼ばれます。たとえば、高松宮が危篤の時に昭和天皇が病室まで行って「高松さん、高松さん!」と声をかけてあげた(意識不明でしたが)ようにね。イギリスでも、日本の宮家創設に当たる、爵位授与以降はその名前で呼ばれますね。今で言いますとアンドリュー王子は「Duke of York」、エドワード王子は「Earl of Wessex」という具合にね。イギリスでは王族に限らず、爵位を名乗る時点からそれで呼ばれることになりますし、サインもそうなります。

とのこと。つまり、宮家創設の時点で宮家の名前が事実上の「姓」となるということらしい。だから英語表記では「Prince Akishino」となるということ。とはいえ、宮内庁HPなどを見てみると「文仁親王殿下(秋篠宮)」という表記になっており、宮内庁は日本語としては「秋篠宮」という「姓」よりも名前を重視しているということなのだろうか。

少なくとも英語としては「Prince Akishino」でいいということなのだろう。というわけで昨日書いた疑問は解消したわけだが、さらなる追加情報が「天の声」にはあった。

皇太子の場合には、「Crown Prince Naruhito」というのが正式でしょうね。彼は東宮ですから他の人たちとは異なって「宮家」にはなっていませんね。ですからこう呼ばれるのが正式でしょう。紀宮は臣籍降下しましたが、欧米にはそういう風習はないんですよね。Princess はたとえ平民と結婚しようがずっと王女でね。イギリスでもアン王女がそうでしょ?いまだに彼女の正式名称は「Princess Royal(王家の長女に特に使われる称号です)」で呼ばれているでしょ?そのあたりが紀宮にも適用されてしまったのでしょうね。日本流に言えば、「Mrs Kuroda」にすぎないですからね。

むむむ、事態は複雑怪奇だ。というわけで海外のサイトをいくつかチェックしてみる。

大方のサイトでは皇太子は「Crown Prince Naruhito」、秋篠宮は「Prince Akishino」と表記しているようで、これが統一的な呼び方なのだろう。しかし、三笠宮は「Prince Tomohito of Mikasa」と表記されていたりいまいちこの辺りの使い分けがよく分からない。

ちょっと英語と皇室の勉強になりました。

at 17:40|PermalinkComments(2)日々の戯れ言 

2006年09月06日

9月6日。

相変わらず社会党研究から抜け出せない毎日。探せば資料はいくらでも出てくる。ちゃんと時期と対象を絞っていれば、ある程度は減るのだろうけど、やや設定した時期が広すぎた。とりあえず社会党右派には大分詳しくなったように思う。

今日、朝からテレビ・新聞と賑やかだったのが「親王誕生」のニュース。

慣例では、親王殿下は成人すると自動的に大勲位菊花大綬章が貰えるらしい。某元総理は、頑張って頑張ってようやく生前授与されたというのに…やはり血筋は名誉をめぐる世界では大きいことのようだ。ま、自分には縁の無い話。

ちなみにこのニュース、海外のニュースサイトを見てみると、どれもトップ扱いで取り上げていた。が、微妙に間違っているのが面白い。皇太子は「Prince Naruhito」なのに、秋篠宮は「Prince Akishino」、紀宮は「Princess Sayako」となっている。名前なら名前で統一して秋篠宮は「Prince Humihito」だろうし、臣籍降下しているに「Princess」というのおかしい。ま、そんな細かい違いはあるものの全体としては興味津々という感じで、詳しい解説が加えられている印象。世界全体で君主国が少ないということも関係しているのだろうか。

ところで、今やっているサッカーの日本―イエメン戦のカメラワーク&実況があまりにひどい。とにかくアップばかりで全体のプレーが分からない。それもあるのか、イエメンの映像を使っているとやたらと実況が強調するんだけど、その実況自身もひどいから見てられない。W杯の時の水準が高い映像&実況(&プレーの質)に慣れたのがいけないのかもしれないが。

あ、YUKIのニュー・アルバムを買ってしまいました↓

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Rock好きだと思っていたのだが、YUKIを買う辺りはPop好きなとこがあるのかもしれない。来週には、ソウル・フラワー・ユニオンの3枚目のベストが出るので、それも買うんだろう。YUKIとソウル・フラワーは結びつかないな~。

at 22:10|PermalinkComments(4)日々の戯れ言 

2006年09月05日

夏休み後半の過ごし方。

ちょっと考えて時間を使わないと、あっという間に休みが終わってしまう。

ひとまず、今週はオーラル・ヒストリーをまとめることで終わりそうだ。今週末までに報告書を提出しなければならないのだ。ただインタビューを文字化するだけではなく、周辺情報と照らし合わして証言のウラを取ったり、そんな作業をしていると時間はどんどん過ぎていく。もっとも最終的な成果物の提出期限はもう少し先なので、来週以降も周辺資料を見てインタビューの補充を行う作業は続けていこうと思う。

で、問題はその後だ。

まず夏休み明けに発表が二つほどある。1つは院ゼミでの修論構想発表、もう1つは『西園寺公と政局』の発表。どちらもこの夏に直接やっていたことではないので、なかなかしんどい。修論の方は文字通り「構想」発表で終わってしまうことのないよう、来週再来週頑張らなければならない。

修論構想と関係して少し経済学や経済史を勉強しなければならない。色々と考えていくうちに、図らずも学部時代の指導教授の専門にちょっとだけ近づいたのかもしれない。



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2006年09月04日

吉田茂バスツアー。

というものがあるらしい。

何でも、旧吉田茂邸の見学、伊藤博文旧宅での中華フルコース、島崎藤村旧宅の見学、といったのがメインの日帰りバスツアー。2番目なんか、なぜ中華のフルコースを伊藤博文の家で食べないといけないのか意味が分からないが、なかなか面白そうなツアー。

正直、行きたい。

調べてみると旧吉田邸は維持費の関係もあって、今後どうなるかが未定という状況にあるらしい。ちなみに土地の値段だけで約30億という話もある。

そんなわけで今は一般人が見るのはバスツアーが一番。しかも、そのバスツアーが9月一杯で終わりそうとのこと。

興味がある人は急ぎましょう。

at 17:20|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2006年09月03日

9月3日。

ブログの記事にいちいち題名を付けるのって面倒じゃないですか? 特に俺みたいに毎日記事を書いていると。というわけで、特に何も無ければ日にちを題名にすることにしようと思う。

このブログでは、それをするときりが無くなるということで論文の紹介や書評はしてこなかったんだけど、かなり面白い論文を読んだので紹介。

酒井哲哉「国際政治論のなかの丸山眞男」『思想』2006年8月号
 『思想』(岩波書店)の丸山眞男没後10年特集号に掲載された論文。筆者は以前から国際政治学と政治思想の接点に立ち、日本の戦前から戦後へ至る国際政治思想の変遷に関する論文を断続的に執筆している(※1)。
 本論文は、戦後日本の論壇で大きな影響力を持った丸山眞男の国際政治に関する議論を分析したものである。中西寛も以前に同様に丸山眞男の国際政治論を分析したことがあるが(※2)、中西の問題意識はあくまでも「吉田ドクトリン」の形成及びその変容にあり、それとの関係から丸山の議論に触れるといった程度であった。それに対し本論文は正面から丸山の国際政治論に触れている。
 本格的な思想史研究としての体裁を整えた興味深い論文である。第一に、副題に「大正平和論と戦後現実主義のあいだ」とあるとおり、時代のコンテクストの中に丸山の議論を置いて分析する構成をとっている。前の時代である大正平和論としては南原繁と大熊信行を、丸山の後の時代としての戦後現実主義者としては高坂正堯を、そして丸山と同時代の論者としては横田喜三郎と田岡良一を取り上げて、丸山の言説を立体的に浮かび上がらせることに成功している。第二に、丸山の国際政治論だけでなく他の著作を丁寧に読み解き、そこに潜むいくつかの契機を読み取るという作業も慎重に行われている。国際政治の文脈で丸山を取り上げる際には、「三たび平和について」にのみ注目が行き勝ちであるが、本論文はこのような陥穽に自覚的である。
 以上のような本格的な分析の結果として本論文が結論として提示している」のは、丸山の国際政治論は「シュミットやウェーバーに依ることで権力政治的側面には安定しているものの「権力政治を超えるものとして想定されるものは状況に応じて様々なものが指摘」される「権力政治論においてではなく規範理論において未熟さが残る」という疑問を払拭できない、というものである。通念的理解からすると意外な丸山像である。
 本論文の日本の国際政治思想研究への貢献は大きい。丸山という媒介を通して戦前と戦後の国際政治論の研究の一端が明らかにされるとともに、1950年代後半から1960年代半ばにかけて、坂本義和、高坂正堯、永井陽之助らが展開した論争の意味をより広い文脈から明らかにしているからだ。坂本、高坂、永井らの論争は、現在の我々が考える以上に密接に関係しているものであったし、1960年代という時代の文脈の中での意味を持ったものだったのである(※3)。こういった貢献とともに、本論文は丸山研究にも一石を投じるものといえよう。注目されるべき論文だろう。

※1 例えば、「古典外交論者と戦間期国際秩序」『国際政治』第139号(2004年)、「戦間期における帝国再編と国際主義」『国際問題』2005年9月号、など。
※2 「"吉田ドクトリン"の形成と変容――政治における『認識と当為』との関連において」『法学論叢』152巻5・6号(2003年)。
※3 以上のうち坂本と高坂の議論に関しては、井上寿一『日本外交史講義』(岩波書店、2003年)、も取り上げて、その「対話可能性」論じている。

at 15:38|PermalinkComments(0)本の話 

2006年09月02日

懐かしいな~。

書評研究会のために、多摩にある中央大学へ。

終了後の懇親会は多摩センター。小さい頃、多摩に住んでいたことがあるので、多摩センターはかなり懐かしい場所。もっとも10年以上経つと周りの店なんかも全然変わってしまう。俺が住んでいた頃は、まだまだこれから店が増える段階だったのだが、今はもうちょっと昔に開発した街だな~、といった感じがする。

今日の研究会で取り上げた本は↓の2冊(画像に書評のリンクを付けておきました)。

黒崎輝『核兵器と日米関係』(有志社)

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若月秀和『「全方位外交」の時代』(日本経済評論社)

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どちらも前期の授業で取り上げた本だ。簡単にではあるが、研究会のために読み返してみた。やはり最初に読んだときとは印象が若干であるが違ってくる。2回目、3回目だと議論の大筋が頭に入っている分、全体のつながりや構成といったところにも目が行く。また逆に細かい部分で引っかかるところが出てくる場合もある。

こうして湧いた疑問や感想をすぐに著者に聞いたり、他の院生や研究者に聞いたり出来るというのは、大学院生になって本当によかったことだ。

at 23:35|PermalinkComments(1)日々の戯れ言