2006年09月

2006年09月21日

遠足前日の気分(?)

明日は「吉田茂バスツアー」、ということで今からやや落ち着かない…冗談ですが、楽しみなことは楽しみ。吉田茂の邸宅といっても、ただの立派な屋敷と言ってしまえばそれまで。でも、そこで確かに歴史は動いたのだ。

まー、最後の夏休み企画なので楽しんできたいと思います。



久しぶりに書評を紹介。先週末の新聞書評より。

・三谷博『明治維新を考える』…「朝日新聞
・粕谷一希『作家が死ぬと時代が変わる』…「朝日新聞
・徳富蘇峰『終戦後日記『頑蘇夢物語』』…「朝日新聞
・丸山真男(聞き手:松沢弘陽、植手通有)『丸山眞男回顧談(上)』…「読売新聞

at 23:45|PermalinkComments(3)日々の戯れ言 

2006年09月20日

9月20日。

家庭教師のために外出しただけで、後は朝から晩まで家にこもり音楽を聴きながら日本外交の論文を読んでいた、というかなり不健康な一日。今日は10時間以上、スピーカーが鳴り続けていた。

途中、安倍新総裁誕生の瞬間をテレビで見る。議員票の数が発表された瞬間に、安倍晋三の横に座っていた柳澤伯夫が、あちゃ~、という顔をしたのが安倍陣営の本音なのだろう。

でも、小泉総理の「みんなにとって良かった」というコメントが本当のところなのかもしれない。どの候補にとっても悪くは無い結果だということ。このコメントは「いい子、悪い子、普通の子」の総裁戦に対するコメントとしては、なかなか皮肉が効いている。何というか、子供達の運動会に対する校長先生のコメントみたいだ。

論文の話。

論文の読み込みは、内容というよりも先行研究の分析視角の確認をひたすらするという作業なのだが…こういった「勉強」はなかなかしんどい。やっぱり、俺は何かを説明する枠組や理論を考えることに楽しみを見出すタイプではないようだ。といっても、とにかくひたすら資料を読んでいればワクワクというわけでもない、というちょっと中途半端なところに自分の居場所があるような気がしてきた。

中途半端でも自分なりの枠組といったことを考えながら、その仮説を基に資料を読み込んでいく。これが自分のやり方なんだろう。実際のプロセスでは、そんな単線的ではなく、相互に行ったり来たりするんだろうけど、これが自分の基本なんだろう。

今は、中途半端でも自分なりの枠組を考える時期。というわけで、これまでの蓄積を増やす作業は停止中。あと数日はこの苦しい作業を続けようと思います。

at 23:30|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2006年09月19日

9月19日。

前々からの予告通りCDを2枚購入した↓

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上の方は…何じゃこりゃ、という感じだが、ザ・クロマニヨンズのデビュー・シングルの「タリホー」です。初回版には「ザ・クロマニヨンズ出現!」の特典が付いているのだが、これがまた謎な映像。非常にシュール。音的にはブルハ→ハイロウズの時のような変わり方は無い。久しぶりに音楽雑誌のインタビューでも読んでみようかな~。ちなみにアルバムが10月の最後に出るらしいです。要チェック。

下はソウル・フラワー・ユニオンの3枚目となるベスト版(編集版)。これまで「93~96」「95~99」が出ていて、今回出たのは「00~06」。♪極東戦線異状なし!?、♪リキサからの贈り物~東ティモール、辺りが特にいい。じっくり聞き込みたいと思います。

全然話は変わるんだけど、昨日はやたらとモノを貰った。昼飯にせっかくだからと吉野家へ行ったところ「牛丼復活記念手拭」を、映画を観に行ったら舞台がトリノだからか「パスタ」を貰った。夜、帰宅途中には…この話はやめておこう。

思い返してみると昨日は何となく変な一日だったな。

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2006年09月18日

9月18日。

夏休みが長く続くと段々と「曜日感覚」が無くなってくる。今日は、月曜日&祝日ということらしいが、そんな感覚は全く無い。こうやって世間からずれていくんだろう。

そんな夏休みも残すところあと1週間(禁句)。スチャダラパー(+何組かのアーティストが参加)に"GET UP AND DANCE"という曲があるが、その中に「夏休みの終りのような毎日にはもうウンザリ」という歌詞がある。ここでの「夏休み」は小学生辺りのことだと思うのだが、論文という見えない宿題に日々追われている大学院生の日々はさしずめ「夏休みの終わりのような毎日」である。…これ以上書くと暗くなるのでこの話は終わり。

そんな気分を変えるべく映画を観てきた。「トリノ、24時からの恋人たち」という映画。

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この日本語題名&ポスターに加えて、イタリア映画発祥の地であるトリノで繰り広げられる男女3人のちょっと変わった恋物語、という解説を聞くと、ちょっと男が観るのははばかられる感じだ。が、これがなかなか凝った面白い映画だった。題名は若干ミス・リーディングという印象(まあ、いわゆる「ラブコメ」ではあるので間違ってはいないんだけど)。

舞台の1つになるのが、モーレ・アントネッリアーナの中にあるシネマ・ミュージアムなのだが、これがなかなか幻想的でいい雰囲気を出している。主人公の1人は映画おたくという設定なのだが、この主人公を通して重要な場面でうまく過去の名作映画へのオマージュが散りばめられている。…といっても、もちろん「キルビル」のような感じではない 笑。

93分という時間も適度で飽きさせない。素直に楽しめる映画。でも映画好きならさらに楽しめること間違いなし。東京近辺ではBunkamuraのル・シネマでしかやっていないようだが、おすすめです。

いい気分転換になりました。

at 23:31|PermalinkComments(2)映画の話 

2006年09月17日

色々と考える…。

昨日の研究会の後で、色々と考え込んでしまった。ある研究者の方の言葉に考えさせれらたのだ。

う~ん。

とりあえず今年は国際政治学会を覗きに行くのはやめにしようかな、と思った。やっぱりまだまだ修行してからでないと行っても意味が無いんじゃないだろうか、というのがその理由。

少なくとも、今の自分の問題意識が何か、そして具体的な研究テーマが何か、そのテーマにいかなる視角で迫ろうとしているのか、こういったことを明確にしないと、他の研究者の発表を聞いたり、話したりしても仕方がないんじゃないだろうか。

もちろん視野を広げることは大切だし、今の時期にこそそれはやらないといけない。だから後期も色々な研究会には顔を出すつもりだし、他大学の授業にも行くつもりだ。でも学会には今出る必要は無いんだろう。少なくとも自分が発表できるものを持つまでは行かないことにしたい。

夏の成果もあり、社会党に関してはある程度資料を読み込んだし、それなりに話すことも出来る。でも、これを論文という形にするにはまだいくつもステップが必要なのだ。

う~ん。

「迷わず行けよ、行けば分かるさ」というのが自分のモットーなのだが…ついついこういうことを考えてしまう秋の夜長。

at 22:48|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2006年09月16日

9月16日。

若手研究者の研究会に参加。

こういった研究会は、修士1年のペーペーが最先端の研究に触れることが出来る貴重な機会。主催やテーマが少しずつ異なる研究会が東京だけでもいくつかあるので、ちょこちょこと顔を出している。

今日は、佐藤政権初期の沖縄返還問題がテーマだった。この時期の資料をしっかりと読んだことが無い自分としては、現在の資料状況で沖縄問題がかなりの程度明らかに出来るということが分かっただけでも、へー、という感じなのだが、やはり参考になるのはそこから導き出される結論であり、それをめぐる議論だ。

今の自分の位置を考えると…。まだまだ修行をせねば。

at 23:46|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2006年09月15日

幣原外交の時代。

前の車が故障して以来、車なし生活が2年ほど続いていたのだが、先日新しい車を購入。先週末にようやく車が届く。また中古のドイツ車を買うとはうちの親も懲りない…まあ、中古の外車は安いんだけど。

そんなわけで、弟を空港まで送りがてら初運転。

乗り心地といい運転した感じといい、前の車とそっくりだ。前はASTRAで今回はGOLFなので会社も違うんだけど、やっぱり車にもお国柄みたいなものがあるんだろうか。

久しぶりの運転の後は外交史料館のパネルディスカッションを見に行ってきた。

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※このポスターはパネルディスカッションではなく、年末までやっている特別展示「幣原外交の時代」のポスター。

基調報告が学部1・2年の授業でお世話になった先生で討論者3人が学会の重鎮揃いということで、行ってきたのだが…フロアにも大先生だらけでちょっと焦りました。学会に行くよりも密度が濃かったんじゃないだろうか。ちょっと早めに行ったところ会場の雰囲気にびびってしまった。途中で、知っている人を見つけてほっとした。

パネルディスカッションも面白かったのだが(学部の時の授業と同じく基調報告の先生の話は整理されていて分かりやすい)、ゲストで来ていた幣原のお孫さんの話が面白かった。上のポスターの幣原は眼光が鋭く「やり手」オーラがぷんぷん出ているが、自分の知っているのは頭も薄くなったおじいちゃんだった、などとぼけた話が多かった。「おじいちゃんと一緒にいると撃たれるから気を付けなさい」といった戦前の話は時代を感じさせてくれる。

今日の話もそうだが、やはり戦前の日本外交はダイナミックだ。どう考えても戦後の日本の方が国力も大きいのだが…、この違いはどこからきているのだろうか。前期のある授業でもこの話は話題になった。

う~ん、難しい。

at 23:58|PermalinkComments(2)日々の戯れ言 

2006年09月14日

無用の用。

ちょっと思うところがあり、久しぶりに勉強は一切しなかった一日。

音楽を聴きながら、コーヒー片手に、小説を読んで過ごす。

頭をリフレッシュするには、こんな一日が必要なんだと思う。根を詰めすぎると、一杯一杯になるだけだ。身体を鍛えるにしても、休息が無ければ身体は成長していかない。それと同じようなことだ。今日の天気が良ければ最高のリフレッシュになったのだが…。

夜は、コーヒーをブランデーに変えて過ごしてます。

いい一日だ。

at 22:13|PermalinkComments(2)日々の戯れ言 

2006年09月13日

迷走。

だんだんと修士論文の構想発表が近づいてきた。が、なかなかまとまってこない。ぼんやりした情報が整理されていない問題意識がありつつも、それをどうやって論文という形に持っていくかを模索する毎日だ。

先輩やら後輩やら色々な人と話してみたり、思いつくままにパソコンに打ってそれを整理してみたり、道のりはなかなか遠い。

昨日読んだ本↓

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渡邉昭夫『大国日本の揺らぎ 1972~』(中央公論新社)
 中央公論新社の「日本の近代」シリーズの1冊。「日本の近代」シリーズは前半の8冊が時代ごとに分担執筆形式の通史、後半の8冊が個別テーマという体裁になっている。通史、個別テーマともにどれも水準が高くシリーズ全体としても面白い。本書は前半8冊の最後、つまり通史部分の最後を飾るものである。
 本書は「1972~」と副題が付けられている。1972年とは、すなわち沖縄返還の年であり佐藤内閣退陣の年である。「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後は終わらない」という佐藤栄作の言葉に従えば、1972年は「戦後」が終わった新たな時代の始まりといえる。とはいえ、本書の記述は必ずしも「1972年~現在」にはなっていない。本書は佐藤政権が発足する少し前から記述が始まり、事実上は大平内閣でその筆は終わっている。最終章では、80年代の日米貿易摩擦に1節を割いているし、エピローグでは90年代についても触れているが、大平内閣期までの内政から外交まで幅広く取り上げていることと比べると、やはり重点が置かれていたのは佐藤内閣~大平内閣と言えるだろう。
 佐藤内閣~大平内閣の時期は、国内的にも国際的にも激動の時代であった。国際社会の中での日本について考えれば、佐藤内閣期に日本は経済大国としての姿を現し、そして大平内閣期には国際社会での責任ある役割が強く期待されるようになっていた。果たして日本はこのような時代をどのように生きたのだろうか。筆者はそれを「大国日本の揺らぎ」と表現している。言い得て妙、だろう。
 本書のような通史に求められるものは、分析視角の秀逸さや個別テーマへの深い考察ではなく、幅広い視点とバランス、そして記述の正確性である。筆者が国際政治学者ということもあり、やや国際政治の動きや外交面に記述が多く割かれているきらいはあるが、全体としては実にバランスよく時代を描ききっている。安心して読むことの出来る1冊である。

at 23:38|PermalinkComments(0)本の話 

2006年09月12日

9.11から5年と1日。

今日は9月12日、つまり昨日で9.11テロから5年ということだ。

去年の7月にロンドンのテロが起こった日に次のように書いていた。

9.11が起こった時、俺は高校3年生。夜、ニュースを見ていた、そして「あの映像」を生で見た。翌日、高校にはある種独特の雰囲気があった。どの授業でもテロの話に。生まれてこの方平和そのものだった俺達が「戦争」を初めて身近に感じた、といったところだろうか。後知恵ではなく9.11の前と後で違う空気。何と言っても、俺の担任(60年安保世代・左翼・平和主義者)は事件後間もなく、ショックで10日程高校を休んだ。でも9.11は俺にとってリアルではなかった。3000人が死んでも、日本人が26人死んでも、馴染みのないニューヨークという場所。生まれてから一歩も海外へ出たことのない人間の限界? じゃあ東京でテロが起こればそれで何かが変わるのだろうか。

とはいえ、俺達の世代にとって9.11の衝撃は何にも代え難い。友人や後輩の中には、9.11をきっかけに政治を学ぶことになったという声が少なくない。大学1年の時、サークルの論文集の統一テーマが「テロと国際政治」となったことも至極当然のことだったのかもしれない。ちなみに俺は9.11テロ後のブッシュ政権の対外政策をABM条約の脱退との関係から分析した。そんな俺達にとって「テロ」とは他の言葉とは違う響きがある。


この感覚は何にも変え難い、と思っていた。

でも、時間はその感覚を容易に変えるものらしい。自分自身の感覚もそうだし、社会の感覚もそうだ。あの戦争から61年が過ぎた今、あの戦争に対する感覚も大きく変わっているように。

去年の9月11日に総選挙があり、自民党は圧勝した。去年はこのニュースが氾濫し、9.11を振り返るという空気は日本にはあまり無かったように思う。

9.11の後には、アフガン戦争があり、イラク戦争があり、9.11の評価も大きく変わっていった。

来年の今日はどう思うのだろうか。

at 23:27|PermalinkComments(0)エッセイ風