2006年08月
2006年08月21日
夕涼みに読書。
色々とやらないといけない作業が目白押しな8月下旬。行きたかった富士山や海も行けそうにない、非常に残念。
今日の甲子園の決勝も久々の好試合でしっかり観ていたかったのだが、パソコンとテレビを半々くらいにしか見ることが出来なかった。
それでも作業をひと休みして本を読むことくらいは出来る。忙しい時に限ってふっと読みたくなるような本が目に付いてしまうから不思議だ。今日は家でひたすらテープ起こしをしていたのだが、その合間にちょっと本屋へ出かけたところ↓を見つけて一気に読んでしまった。
・粕谷一希『作家が死ぬと時代が変わる』(日本経済新聞社)
粕谷一希は『中央公論』から高坂正堯をデビューさせ、また中央公論社退社後に『東京人』『外交フォーラム』といった雑誌を立ち上げた戦後日本を代表する雑誌編集者の1人である。本書の副題は「戦後日本と雑誌ジャーナリズム」であり、著者の体験を中心に雑誌ジャーナリストの視点から見た戦後日本論が展開されている。編集者の視点であるので、中心的に取り上げられているのはやはり論壇であり文壇であるが、言論のアリーナであった『中央公論』に集う人々に関する回想は、単なる論壇史や文壇史に留まるものではない。
本書は回想録の体を取っており、著者の生い立ちから現在までをほぼ時系列に沿って取り上げている。1930年生まれの著者はほぼ最後の旧制高校世代である。そんな著者の戦争体験、学生時代からは今は無くなってしまった教養主義の香りが漂ってくる。世代的な影響はもちろんあるのだが、その後の思想形成に重要だったのは読書経験だったようである。大学卒業後は中央公論社に就職し『中央公論』や『婦人公論』を担当した。「嶋中事件」や「三島自決」といった戦後史に残る事件と近い立場にいた筆者の回想は興味深く、そして貴重なものである。1978年に中央公論社を退社した著者は、編集者という「作り手」してだけでなく「書き手」としても活躍していく。「作り手」と「書き手」、中央公論時代とその後の活躍、こういった外から見るとどういった繋がりがあるのかなかなか分かりにくいことも、回想録という形であるとよく分かるものである。人間それぞれの人生は面白いものなのである。ちなみに本書の題名「作家が死ぬと時代が変わる」とは、著者の元上司であり自身も編集者であった嶋中鵬二氏の言葉であるという。この言葉が編集の立場にいた著者の心に強く残ったのだろう。
本書は正確には回想録ではない。本書は「語り下ろし」なのである。聞き手はノンフィクション作家である水木楊と匿名のもう1名である。ベストセラーとなった新潮新書の『バカの壁』が「語り下ろし」であることは有名だが、「語り下ろし」のいい部分が本書にもうまく生かされている。それは語り手の言葉が編集者だけでなく聞き手を通じて文字化されるために、内容面を中心として読者に伝わりやすい形になるということである。もちろん聞き手が間に入ることによるマイナスもあるし、学術的な目的に利用される場合はそういった点が重要になるのだが、本書では「語り下ろし」がうまく効果を発揮している。
前述のように、本書が直接取り上げるのは論壇、文壇、出版業界、この3つの世界である。しかし本書からはもっと広く戦後日本社会とこの3つの世界の繋がりが見えてくる。ただの昔話ではなく、より普遍的なメッセージを本書を一読すると感じることだろう。
今日の甲子園の決勝も久々の好試合でしっかり観ていたかったのだが、パソコンとテレビを半々くらいにしか見ることが出来なかった。
それでも作業をひと休みして本を読むことくらいは出来る。忙しい時に限ってふっと読みたくなるような本が目に付いてしまうから不思議だ。今日は家でひたすらテープ起こしをしていたのだが、その合間にちょっと本屋へ出かけたところ↓を見つけて一気に読んでしまった。
・粕谷一希『作家が死ぬと時代が変わる』(日本経済新聞社)
粕谷一希は『中央公論』から高坂正堯をデビューさせ、また中央公論社退社後に『東京人』『外交フォーラム』といった雑誌を立ち上げた戦後日本を代表する雑誌編集者の1人である。本書の副題は「戦後日本と雑誌ジャーナリズム」であり、著者の体験を中心に雑誌ジャーナリストの視点から見た戦後日本論が展開されている。編集者の視点であるので、中心的に取り上げられているのはやはり論壇であり文壇であるが、言論のアリーナであった『中央公論』に集う人々に関する回想は、単なる論壇史や文壇史に留まるものではない。
本書は回想録の体を取っており、著者の生い立ちから現在までをほぼ時系列に沿って取り上げている。1930年生まれの著者はほぼ最後の旧制高校世代である。そんな著者の戦争体験、学生時代からは今は無くなってしまった教養主義の香りが漂ってくる。世代的な影響はもちろんあるのだが、その後の思想形成に重要だったのは読書経験だったようである。大学卒業後は中央公論社に就職し『中央公論』や『婦人公論』を担当した。「嶋中事件」や「三島自決」といった戦後史に残る事件と近い立場にいた筆者の回想は興味深く、そして貴重なものである。1978年に中央公論社を退社した著者は、編集者という「作り手」してだけでなく「書き手」としても活躍していく。「作り手」と「書き手」、中央公論時代とその後の活躍、こういった外から見るとどういった繋がりがあるのかなかなか分かりにくいことも、回想録という形であるとよく分かるものである。人間それぞれの人生は面白いものなのである。ちなみに本書の題名「作家が死ぬと時代が変わる」とは、著者の元上司であり自身も編集者であった嶋中鵬二氏の言葉であるという。この言葉が編集の立場にいた著者の心に強く残ったのだろう。
本書は正確には回想録ではない。本書は「語り下ろし」なのである。聞き手はノンフィクション作家である水木楊と匿名のもう1名である。ベストセラーとなった新潮新書の『バカの壁』が「語り下ろし」であることは有名だが、「語り下ろし」のいい部分が本書にもうまく生かされている。それは語り手の言葉が編集者だけでなく聞き手を通じて文字化されるために、内容面を中心として読者に伝わりやすい形になるということである。もちろん聞き手が間に入ることによるマイナスもあるし、学術的な目的に利用される場合はそういった点が重要になるのだが、本書では「語り下ろし」がうまく効果を発揮している。
前述のように、本書が直接取り上げるのは論壇、文壇、出版業界、この3つの世界である。しかし本書からはもっと広く戦後日本社会とこの3つの世界の繋がりが見えてくる。ただの昔話ではなく、より普遍的なメッセージを本書を一読すると感じることだろう。
2006年08月20日
慌し過ぎる一日。
朝起きて語学、午前中は家庭教師、昼に一時帰宅し甲子園決勝の最初だけ観る、午後はオーラル夏の学校、夕方からはオーラルの懇親会&飲み会、その後は友人達の飲み会、最後は家でまた飲む、というハードな一日。飲み疲れました。
そういえば、このブログでも書評を載せた若月秀和『「全方位外交」の時代』の書評が毎日新聞に出ていた(リンク)。今年に入ってから立て続けに日本外交に関係する専門書が刊行されたのだが、全て毎日新聞には書評が載ったことになる(ちなみに評者は同じ)。
新聞書評や学会誌に載った書評は比較的よく見ているのだが、これがなかなか注意する必要がある。書評を読んでいると、大まかな内容は把握できる。しかし、それではやはり自分の「血や肉」にはならない。今年は授業の関係で、自分でも書評を書き、さらにその後で筆者にも直接会い、さらに新聞等で書評を目にする、という3つが揃うことが比較的多かった。結論だけ書いておけば、やっぱり拙いものであっても自分がその本をどう読んだかということを書いておくことが大切なんだと思う。
そういえば、このブログでも書評を載せた若月秀和『「全方位外交」の時代』の書評が毎日新聞に出ていた(リンク)。今年に入ってから立て続けに日本外交に関係する専門書が刊行されたのだが、全て毎日新聞には書評が載ったことになる(ちなみに評者は同じ)。
新聞書評や学会誌に載った書評は比較的よく見ているのだが、これがなかなか注意する必要がある。書評を読んでいると、大まかな内容は把握できる。しかし、それではやはり自分の「血や肉」にはならない。今年は授業の関係で、自分でも書評を書き、さらにその後で筆者にも直接会い、さらに新聞等で書評を目にする、という3つが揃うことが比較的多かった。結論だけ書いておけば、やっぱり拙いものであっても自分がその本をどう読んだかということを書いておくことが大切なんだと思う。
2006年08月19日
勉強する場所。
お盆明けから三田でのスクーリングが始まり、この数日は三田キャンパスに人がやたらと多い。
毎週土曜は、昼過ぎに友人と山食カレーというのがお決まりのコース。とにかく人が少ないのが素晴らしい。いる人と言えば…留学直前のT助教授(政治思想)やいつもラフな格好のI教授(アフリカ地域研究)くらい。が、スクーリングの影響もあって今日の山食はやたらと混んでいた。
このキャンパス全体の人の多さ、そして何よりも暑さ。気分が滅入って勉強する気が無くなってくる。そんな時は↓を聞いて一人でテンションを上げてみる。
すっかりPRIDEのテーマ曲になってしまった観があるのは残念だが、このアルバムは昔かなり聞き込んだので条件反射的にテンションが上がる(そういえばPRIDEは結局どうなったんだろう)。テンションは上がるが、これを聞きながらではとても勉強などできやしない。
そうそう、勉強する場所について。
これは結構重要だ。まず家は親がうるさくて無理。大学院棟のキャレルは確かに静かでいいのだが、長机を木の板で区切っている上に1つの机を2人で共用というのがいただけない。あとなぜかキャレルで勉強をしていると眠くなる。図書館はやや暗く空気がこもっているのであまり長時間いる気になれない。南館(ロースクール棟)の図書館は悪くないのだが、開放的な造りのため上からロースクール生の会話が聞こえてくることが多い。
そんなわがままばかり言っていると、本当に勉強する場所が無くなってしまいそうだが、実際にはそれほど周りを気にすることも無いので色々なところを移動しながら勉強している。ただ飽きっぽいだけなのかもしれない。ちなみに今日も友人と立ち寄った大崎ゲートシティはなかなかいい。スタバなんかも入っているのだが、共用スペースは冷暖房完備で夜12時まで空いているしお金も当然かからない。何より大崎には友人の家があるのがいい。
ちなみに今日は友人宅へ行きJリーグ観戦。アントラーズVS.レッズ戦。試合自体はなかなか面白かった。それにしてもジュビロがもう少し頑張ってくれないと面白くない(ジュビロファンです)。川口は日の丸を背負わないとちっとも輝かない。正面のフリーキックくらい止めてくれ。
毎週土曜は、昼過ぎに友人と山食カレーというのがお決まりのコース。とにかく人が少ないのが素晴らしい。いる人と言えば…留学直前のT助教授(政治思想)やいつもラフな格好のI教授(アフリカ地域研究)くらい。が、スクーリングの影響もあって今日の山食はやたらと混んでいた。
このキャンパス全体の人の多さ、そして何よりも暑さ。気分が滅入って勉強する気が無くなってくる。そんな時は↓を聞いて一人でテンションを上げてみる。
すっかりPRIDEのテーマ曲になってしまった観があるのは残念だが、このアルバムは昔かなり聞き込んだので条件反射的にテンションが上がる(そういえばPRIDEは結局どうなったんだろう)。テンションは上がるが、これを聞きながらではとても勉強などできやしない。
そうそう、勉強する場所について。
これは結構重要だ。まず家は親がうるさくて無理。大学院棟のキャレルは確かに静かでいいのだが、長机を木の板で区切っている上に1つの机を2人で共用というのがいただけない。あとなぜかキャレルで勉強をしていると眠くなる。図書館はやや暗く空気がこもっているのであまり長時間いる気になれない。南館(ロースクール棟)の図書館は悪くないのだが、開放的な造りのため上からロースクール生の会話が聞こえてくることが多い。
そんなわがままばかり言っていると、本当に勉強する場所が無くなってしまいそうだが、実際にはそれほど周りを気にすることも無いので色々なところを移動しながら勉強している。ただ飽きっぽいだけなのかもしれない。ちなみに今日も友人と立ち寄った大崎ゲートシティはなかなかいい。スタバなんかも入っているのだが、共用スペースは冷暖房完備で夜12時まで空いているしお金も当然かからない。何より大崎には友人の家があるのがいい。
ちなみに今日は友人宅へ行きJリーグ観戦。アントラーズVS.レッズ戦。試合自体はなかなか面白かった。それにしてもジュビロがもう少し頑張ってくれないと面白くない(ジュビロファンです)。川口は日の丸を背負わないとちっとも輝かない。正面のフリーキックくらい止めてくれ。
2006年08月18日
食傷気味だけど…。
夏休みもほぼ半分ほどが終わってしまったのだが…結局、社会党研究に大半の時間を費やしてしまった。社会党そのものを研究したいのではなくて、より広い文脈の中での社会党の役割・意味に関心があるので、正確には必ずしも社会党研究ではないのだが、読んでいる資料や先行研究はひたすら社会党研究だった。
そんなわけで、正直なところ社会党研究にはやや食傷気味である。本棚に並ぶ社会党関係の本がうらめしい。が、最近気付いたことがある。社会党についての資料やインタビューを自分の問題意識に沿って利用するためには、もう少し文脈を広げて野党全体を見る必要があるということだ。
本当に夏が終わってしまいそうだが…乗りかかった船なので頑張ろうと思います。
民社党や共産党、公明党に関しても党資料に目を通すのはなかなかしんどそうなので、まずは先行研究(あるのか?)や回顧録など読みやすいところから読んでいくことにします。
この野党研究、とりあえず何らかの形にまとめたいとは思うのだが…修士論文にうまく繋がってくれる気がしない。
そんなわけで、正直なところ社会党研究にはやや食傷気味である。本棚に並ぶ社会党関係の本がうらめしい。が、最近気付いたことがある。社会党についての資料やインタビューを自分の問題意識に沿って利用するためには、もう少し文脈を広げて野党全体を見る必要があるということだ。
本当に夏が終わってしまいそうだが…乗りかかった船なので頑張ろうと思います。
民社党や共産党、公明党に関しても党資料に目を通すのはなかなかしんどそうなので、まずは先行研究(あるのか?)や回顧録など読みやすいところから読んでいくことにします。
この野党研究、とりあえず何らかの形にまとめたいとは思うのだが…修士論文にうまく繋がってくれる気がしない。
2006年08月17日
アウェイ。
約3週間ぶりに日吉へ。何度行ってもアウェイ感がある。たかだか2年半前までは普通に日吉の住人だったのに、この感覚。
今日は久しぶりにサークルの勉強会(論文構想発表)に顔を出してきた。
うちのサークルは、毎週本を輪読したり、他大学とディスカッションや合同勉強会をしたり、三田祭で論文を書いたりと三田のゼミでやるようなことを日吉でやるサークルなので、活動の主体は日吉。そんなわけで、2つ学年が違うだけで日常的なつながりは結構小さくなってしまう。3年前は俺が研究幹事で「独裁体制」を布いていたわけだけど、それも3年経つと完全に形骸化し、組織がしっかりしていないサークルになっているらしい。独裁をしてもその後は1年くらいしか持たず、ということなのかなー。それまでの勉強会の形式や、年間を通してのタイムスケジュールといったものも、うまく伝わっていかないようだ。
そもそも学部の1、2年生という青春真っ只中(?)の時に夏休みから三田祭に向けての貴重な時間を論文執筆に割くなど「狂気の沙汰」である。
その狂気に普通の学生を巻き込むというのはなかなか難しい。俺は「独裁」してそれを達成したんだけど…そんなのが続くわけもない。翌年には俺が権力委譲したトロイカ体制が崩壊、一転民主化への道へ踏み出していった。
何はともあれサークルが今後とも続いて欲しいものだ。
今日は久しぶりにサークルの勉強会(論文構想発表)に顔を出してきた。
うちのサークルは、毎週本を輪読したり、他大学とディスカッションや合同勉強会をしたり、三田祭で論文を書いたりと三田のゼミでやるようなことを日吉でやるサークルなので、活動の主体は日吉。そんなわけで、2つ学年が違うだけで日常的なつながりは結構小さくなってしまう。3年前は俺が研究幹事で「独裁体制」を布いていたわけだけど、それも3年経つと完全に形骸化し、組織がしっかりしていないサークルになっているらしい。独裁をしてもその後は1年くらいしか持たず、ということなのかなー。それまでの勉強会の形式や、年間を通してのタイムスケジュールといったものも、うまく伝わっていかないようだ。
そもそも学部の1、2年生という青春真っ只中(?)の時に夏休みから三田祭に向けての貴重な時間を論文執筆に割くなど「狂気の沙汰」である。
その狂気に普通の学生を巻き込むというのはなかなか難しい。俺は「独裁」してそれを達成したんだけど…そんなのが続くわけもない。翌年には俺が権力委譲したトロイカ体制が崩壊、一転民主化への道へ踏み出していった。
何はともあれサークルが今後とも続いて欲しいものだ。
2006年08月16日
帰ってきました。
3泊4日の静岡への帰省より帰京。
荒れ果てた庭の木を切ったり、除草剤を撒いたり、掃除をしたり、墓参りに行ったり、お蔵の整理をしていたり、ちょっと資料を読んだり、そんなことをしているうちにあっという間に3泊が終わってしまった。
巨大なクモやトカゲやタマムシなど都会ではなかなか見ることが出来ない虫なんかを見て癒されました。タマムシを見たのは実に10年ぶり。田舎でもなかなか見ることが出来ないきれいな虫です。
そんな親父の実家がある集落には最近サルが出没してカボチャを盗んで行くらしいです。両脇に小さめのカボチャ2つを抱えて2本足で逃げたとか…そんな馬鹿な。
裏を流れる川が上流に砂防ダムが出来て水流が変わったといった細かい変化はあるが、基本的には100年以上景色が変わらない親父の実家の居心地はすこぶるいい。
4日ぶりに吸う都会の空気はほんとにどんよりしている。
荒れ果てた庭の木を切ったり、除草剤を撒いたり、掃除をしたり、墓参りに行ったり、お蔵の整理をしていたり、ちょっと資料を読んだり、そんなことをしているうちにあっという間に3泊が終わってしまった。
巨大なクモやトカゲやタマムシなど都会ではなかなか見ることが出来ない虫なんかを見て癒されました。タマムシを見たのは実に10年ぶり。田舎でもなかなか見ることが出来ないきれいな虫です。
そんな親父の実家がある集落には最近サルが出没してカボチャを盗んで行くらしいです。両脇に小さめのカボチャ2つを抱えて2本足で逃げたとか…そんな馬鹿な。
裏を流れる川が上流に砂防ダムが出来て水流が変わったといった細かい変化はあるが、基本的には100年以上景色が変わらない親父の実家の居心地はすこぶるいい。
4日ぶりに吸う都会の空気はほんとにどんよりしている。
2006年08月12日
夏っぽい天気。
むしむし、一転激しい雨、小一時間で収まりセミがうるさい。夏だな~この天気。こういった激しい雨の後は涼しくなるから、夏ばて中の俺にとっては助かる。
ここ数日はテープ起こし&資料の読み直しでなかなか時間が無い。正確には時間自体は夏休みであるのだけど、地道な集中力が必要なこの作業に割ける時間が少ないのだ。なんか、いい方法ないかな~。
そんなわけで新書1冊を読むのに少し時間がかかってしった。とりあえず書評を載せておきます。
・井上寿一『アジア主義を問いなおす』(ちくま新書)
ここ数年、東アジア共同体に関する議論が盛り上がりを見せている。論壇レベルの盛り上がりだけではなく、実際に2005年末にはマレーシアで東アジアサミットが開催され東アジア共同体をめぐる議論も交わされるなど、政治レベルでも具体的な動きが始まりつつある。とはいえ、このように雰囲気が盛り上がる一方で各国でその思惑の違いが目立つなど、具体的な成果はとぼしく実現性に疑問を呈する論者も多い。本書もこのような東アジア共同体をめぐる状況を踏まえて書かれた1冊である。しかし本書では現在の東アジア共同体論を直接取り上げているのではない。本書は筆者がかつて『危機のなかの協調外交』(山川出版社)で取り上げた、1930代を舞台に東アジア共同体と日本外交について考察している。
日本外交にとって常につきまとうのは「対米協調か、否か」という問題である。この問いはしばしば「日本外交はアメリカ従属だ」といった反応へと転化し、さらに反米的な議論へつながりがちである。戦後60年間にわたってこのような日本外交批判は常に行われてきたし、現在の小泉政権に対してもしばしば言われる批判である。とはいえ、実際には日本は60年間にわたって対米基軸であったし、アメリカを抜きに日本外交を考えることは非現実的である。そこで、対米協調の反対にアジア主義を位置づける議論に対しては、その非現実性を対米協調派から問われることになる。このような議論を目にすることは多いが、実際の政策を考える際に「対米協調か、否か」「アメリカかアジアか」といった議論は、率直に言ってあまり意味のあるものではない。現実の世界はアメリカもアジアも相互に依存し合いながら共存しているのであり、その中に日本も存在しているのである。
しかしこのような議論はなかなか噛み合うことが無い。このような状況で本書の意味は非常に大きいものである。前述のように、本書の舞台となるのは主として1930年代である。戦時中の「大東亜共栄圏」のイメージが強く、戦後「無視」されることが多かった1930年代のアジア主義は、自らの外交・軍事状況とアメリカやイギリスとの関係で揺れる日本を反映した極めて興味深いものである。1930年代、危機の中で協調外交を模索する日本は、アジア主義を追求する過程で、アメリカなしではやっていけない現実に直面していたのであった。本書は、抑制された筆致ながらその背後にある強い現実に対する問題意識を感じさせてくれる。淡々と描かれる1930年代と現代をつなぐ何かを感じて欲しい、そんな言葉が聞こえてくる気がする。
21世紀の東アジア共同体論に関する問題意識を手がかりに、1930年代の日本でのアジア主義をめぐる議論と外交を丹念に検証していくことによって、現在を考えるヒントを最終的に得る、という構成を取る本書は、やや回り道のようでありながら「東アジア共同体~」と銘打たれた類書以上に現在を考える際に参考になるだろう。
◇
お盆ということもあるので、明日から親の実家に4日ほど帰省してきます。
ここ数日はテープ起こし&資料の読み直しでなかなか時間が無い。正確には時間自体は夏休みであるのだけど、地道な集中力が必要なこの作業に割ける時間が少ないのだ。なんか、いい方法ないかな~。
そんなわけで新書1冊を読むのに少し時間がかかってしった。とりあえず書評を載せておきます。
・井上寿一『アジア主義を問いなおす』(ちくま新書)
ここ数年、東アジア共同体に関する議論が盛り上がりを見せている。論壇レベルの盛り上がりだけではなく、実際に2005年末にはマレーシアで東アジアサミットが開催され東アジア共同体をめぐる議論も交わされるなど、政治レベルでも具体的な動きが始まりつつある。とはいえ、このように雰囲気が盛り上がる一方で各国でその思惑の違いが目立つなど、具体的な成果はとぼしく実現性に疑問を呈する論者も多い。本書もこのような東アジア共同体をめぐる状況を踏まえて書かれた1冊である。しかし本書では現在の東アジア共同体論を直接取り上げているのではない。本書は筆者がかつて『危機のなかの協調外交』(山川出版社)で取り上げた、1930代を舞台に東アジア共同体と日本外交について考察している。
日本外交にとって常につきまとうのは「対米協調か、否か」という問題である。この問いはしばしば「日本外交はアメリカ従属だ」といった反応へと転化し、さらに反米的な議論へつながりがちである。戦後60年間にわたってこのような日本外交批判は常に行われてきたし、現在の小泉政権に対してもしばしば言われる批判である。とはいえ、実際には日本は60年間にわたって対米基軸であったし、アメリカを抜きに日本外交を考えることは非現実的である。そこで、対米協調の反対にアジア主義を位置づける議論に対しては、その非現実性を対米協調派から問われることになる。このような議論を目にすることは多いが、実際の政策を考える際に「対米協調か、否か」「アメリカかアジアか」といった議論は、率直に言ってあまり意味のあるものではない。現実の世界はアメリカもアジアも相互に依存し合いながら共存しているのであり、その中に日本も存在しているのである。
しかしこのような議論はなかなか噛み合うことが無い。このような状況で本書の意味は非常に大きいものである。前述のように、本書の舞台となるのは主として1930年代である。戦時中の「大東亜共栄圏」のイメージが強く、戦後「無視」されることが多かった1930年代のアジア主義は、自らの外交・軍事状況とアメリカやイギリスとの関係で揺れる日本を反映した極めて興味深いものである。1930年代、危機の中で協調外交を模索する日本は、アジア主義を追求する過程で、アメリカなしではやっていけない現実に直面していたのであった。本書は、抑制された筆致ながらその背後にある強い現実に対する問題意識を感じさせてくれる。淡々と描かれる1930年代と現代をつなぐ何かを感じて欲しい、そんな言葉が聞こえてくる気がする。
21世紀の東アジア共同体論に関する問題意識を手がかりに、1930年代の日本でのアジア主義をめぐる議論と外交を丹念に検証していくことによって、現在を考えるヒントを最終的に得る、という構成を取る本書は、やや回り道のようでありながら「東アジア共同体~」と銘打たれた類書以上に現在を考える際に参考になるだろう。
◇
お盆ということもあるので、明日から親の実家に4日ほど帰省してきます。
2006年08月11日
2006年08月09日
初陣。
ブログのサーバー移転の関係もあって2日ぶりの更新(昨晩~今日の昼までは閲覧も出来なかったらしいです)。
ちょっと遊んだり研究をしていると、夏休みは本当にあっという間に過ぎていく。
そんなわけで、あっという間にインタビューをする約束の日になっていた。本当は今日は簡単な説明をして詳しくは再度日時を決めてインタビューをする予定だったのだが、話が乗ってきたからか、今日一気に聞いてしまった(というか向こうが話してくれた、という方が正確かな)。
もう少し下調べをしてから聞きたかったところもあるので、そこは誤算だがまあそれはよしとしよう。
何にしてもとにかく1回やってみないと分からないところがあるのだが、今日もそれを実感。うまく自分が聞きたいことを聞き出すにはどうしたらいいのか、というところから相槌の入れ方まで、インタビュー初心者は頭では分かっていてもなかなかうまくいかない。
元々インタビューやオーラル資料の限界は分かっていたつもりなので、今日はむしろ思っていたよりも聞けたな、という印象。うー、でも時間が長かったのでテープ起こしがしんどそうだ。
まずはテープ起こし、そしてその後で話の裏づけや資料的な価値をチェックする、という作業が続く。で、さらに事後調査やインタビュイーに教えてもらった資料のチェックもする必要がある。なかなか時間がかかりそう…夏が終わってしまいそうだな~。
ちょっと遊んだり研究をしていると、夏休みは本当にあっという間に過ぎていく。
そんなわけで、あっという間にインタビューをする約束の日になっていた。本当は今日は簡単な説明をして詳しくは再度日時を決めてインタビューをする予定だったのだが、話が乗ってきたからか、今日一気に聞いてしまった(というか向こうが話してくれた、という方が正確かな)。
もう少し下調べをしてから聞きたかったところもあるので、そこは誤算だがまあそれはよしとしよう。
何にしてもとにかく1回やってみないと分からないところがあるのだが、今日もそれを実感。うまく自分が聞きたいことを聞き出すにはどうしたらいいのか、というところから相槌の入れ方まで、インタビュー初心者は頭では分かっていてもなかなかうまくいかない。
元々インタビューやオーラル資料の限界は分かっていたつもりなので、今日はむしろ思っていたよりも聞けたな、という印象。うー、でも時間が長かったのでテープ起こしがしんどそうだ。
まずはテープ起こし、そしてその後で話の裏づけや資料的な価値をチェックする、という作業が続く。で、さらに事後調査やインタビュイーに教えてもらった資料のチェックもする必要がある。なかなか時間がかかりそう…夏が終わってしまいそうだな~。