2006年05月

2006年05月21日

虫食いキャベツ。

昨日の蒸し暑さから一転、今日は過ごしやすくいい日だった。こういう日は頭も自然と冴える。昨日に引き続き今日も課題の本や論文、関連書の読み込みで一日終了。なかなか、映画にも野球にも行けないなー。6月は課題は早めに終えてW杯に集中したい(多分、無理だろう)。

火曜の授業の課題書↓。ちなみに本書に関しては既に読売新聞に書評(リンク)が出ている。

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ジェームズ・リリー『チャイナハンズ』(草思社)
元CIA工作員であり、台湾、韓国、中国の大使を務めたジェームズ・リリーの回顧録。「チャイナハンズ(China Hands)」とは、中国通といった意味であるが、そこには文字通りの意味だけではない含蓄があるのだという。筆者は父親の仕事の関係で中国で生まれ、CIAに入ってからも一貫して中国を中心としたアジアをその活躍の場としてきた。その上で外交官として主要国の大使を歴任した彼の人生は、単なる個人史にとどまらず戦後アメリカの対アジア政策(特に対中政策)と重なるものでもある。キャリアの頂点となった中国大使時代に天安門事件を当事者として体験した筆者の対中国観はとても興味深いものであるし、歴史の証言としても重要であろう。筆者の対中国観は非常に厳しいものであるが、その一方でアメリカの国益を考えて天安門事件直後から明確に「関与政策」を主張している。具体的には、天安門事件が起きた1989年中に対中人工衛星輸出をホワイトハウスに進言し、1990年にはその打ち上げに立ち会っている。その背景には、天安門事件があろうとも中国の改革開放政策は重要であるし、それを支えるビジネス界の利益となる政策をアメリカは採るべきであるという筆者の明確な対中観が存在する。以上は本書で明らかにされるエピソードのごく一部である。CIAに所属していた経歴からか、本書は事前にCIAに内容のチェックを受けている。この点から本書には書かれていないことも多数存在することが想像できるが、本書はこのような点を感じさせないほど刺激に満ちた冒険譚となっている。CIA時代の秘密工作から、外交官に転身してからの活躍まで本書には興味深いエピソードが数多く紹介されている。何より読み物として面白いことは本書の大きな魅力である。

at 23:49|PermalinkComments(0)本の話 

2006年05月20日

ヒゲ剃りました。

交流戦を見に行きたいのだが、なかなか時間が取れない。

とにかく今日は暑かった。暑かったので、結構伸ばしたヒゲを剃ってしまいました。また。気が向いたら伸ばすことにしようと思う。もっとも、暑かったけど木陰に入れば悪くない。友人と学問やら論文やらの話をしているうちについつい時間が経ってしまう。こういった時間の使い方が出来るのは学生の特権。

そんなわけで、課題の本やら論文やらを読んでいるうちに一日終了。

at 23:01|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2006年05月19日

充実した一日。

20時50分まで授業、その後は飲み会をハシゴという慌しい一日。昼間で労働、午後は大学で授業のために本を読み込み、院の授業ではがっつり頭を回転させ、その後は他大学の友人&先生たちとしばし話し、そして最後は大学時代の友人たちと語り合う(俺ばっか話していたような気もするが…)、贅沢だし間違いなく充実した一日。

6限、日本外交(GRIPS)。

今日は量としては軽めのものながら研究書2冊と、ちょっとハード。

石井修『冷戦と日米関係』(ジャパンタイムス)
宮城大蔵『バンドン会議と日本のアジア復帰』(草思社)

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石井修『冷戦と日米関係』
(ジャパンタイムス、1989年)

1、テーマ設定と構成

 第二次大戦中ではあるが連合国内での齟齬が目立ち始め冷戦の足音が近づきつつあった1943年から、冷戦の闘士であるダレスが死去しフルシチョフが訪米を果たし、さらに中ソ対立も近づきつつあった1959年までを対象とし、冷戦を背景に日米関係がどのように推移したかを、主として米国の資料に依拠しながら論じている。冷戦は、その緊張の高まりと緩和を最終的に冷戦が終結する1989年まで数度に渡って繰り返した。本書は1回目の緊張の高まりから緩和までを対象としているということも出来るだろう。こうした冷戦状況を背景に日米関係を論じるということが本書の基本モチーフである。具体的に日米間で問題になることは対中貿易ありアジア冷戦との関係であった。当時の国際関係に通った背骨としての冷戦を据え、その文脈をフォローしながら日米関係を分析するという枠組は非常に有効であり、実際にかなりの程度成功しているといえる。

2、経済外交と安保外交

 以上のように、本書はそのテーマ設定と構成が見事にマッチしている。しかしそこに問題が無いわけではない。本書は主として経済外交を取り上げている。1つには経済外交を中心に冷戦を遂行したアイゼンハワーの冷戦観に対応したものともいえるだろう。また資料面での制約もあったのかもしれない。とはいえ、同時代の安保関係に関して多数の研究が発表されている今日から本書を読み返す際にはこの問題も考えないわけにはいかない。本書の分析の中心となっているのは、アイゼンハワー政権期の日米関係である。それは日本から見た場合には、サンフランシスコ講和及び旧安保条約の締結と安保改定の間の時期、といいかえることも出来る。本書の副題である「パートナーシップの形成」は1960年の安保改定によってこそ成しえたものともいえるのではないだろうか(この点は来週にも議論したい)。この点をどのように考えるかは、戦後初期の日本外交を考える際に非常に重要な論点である。

3、冷戦と日米関係

 このような問題も念頭に置いた上で、本書のテーマである「冷戦と日米関係」についてどのように考えることが出来るだろうか。本書の考察から明らかになることは、アメリカの対日政策が常に冷戦との考慮に基づいて策定されてきたことである。冷戦の発生によってアメリカは対日占領政策を寛大なものへと切り替え、そして冷戦の長期化の見通しが立ちソ連との軍事的な対立よりもむしろ心理面・経済面での対立に政権の関心が移ると対日政策も再軍備要求から経済安定を求めるものへと変わっていったのである。以上の考察は基本的に妥当なものと考えられる。このようなアメリカの対日政策の基本構図を描き出した点に本書の功績がある。一方で本書が見落としている点も何点か考えられる。例えば、本書では日本の対中政策は大きく取り上げられている一方で日ソ国交回復は取り上げられていない。これはアジア冷戦の焦点が米ソ冷戦ではなく米中冷戦にあったことを意味するのだろうか、それとも筆者の考察不足なのだろうか。また日本側の視点の弱さも指摘できる。


宮城大蔵『バンドン会議と日本のアジア復帰』
(草思社、2001年)

1、テーマ設定と構成

 本書の中心的な検討課題はバンドン会議という1つの会議であるが、そこには「戦後日本のアジア復帰」「冷戦下における中立主義の勃興」「国際政治における第三世界の台頭」「イギリスの脱植民地化」といった様々な文脈が隠されており、議論の出口が数多く用意されている。また日米英の外交資料を参照することにより一国の視点に偏ることなく対象を分析することに成功している。唯一、残念な点があるとすれば中国に関する分析が日本の外交文書に基づいて行われている点だろう。戦後日本のアジア外交を考える上で対中関係を考えることは必要不可欠であるからだ。
 具体的な構成も非常に分かりやすいものであり、論文を書く際のお手本となる本である。

2、曖昧さをどのように評価するか

 本書では、バンドン会議での日本外交を具体的に取り上げている。その上で、筆者は終章で日本がバンドン会議で取り得た立場として、?「政治的な」反共の役割を強調する、?中国に融和的な姿勢をとることでアジアの冷戦を緩和しようという志向をもちコロンボ・グループに接近する、?一方では消極的ながらも自由主義陣営の側に立つことで中立主義とは一線を画することをアメリカに示し、他方アジアに対しては政治的な立場をできるだけあいまいにすることで冷戦によって引き裂かれたアジアの一方を選択することを回避する、という3つの道を挙げている。実際に日本が選択したのは?であった。この「曖昧さ」は日本が積極的に採用したものではなのだろうか、それとも消去法の結果残ったものだったのだろうか。少なくとも本文中の記述からは全面的に前者であったとはいえないだろう。結果的に日本外交を後知恵で概観してみると、バンドン会議での対応に顕著に現れる「軸足はアメリカ、しかし具体的な立場は曖昧」という枠組が各年代を通して見られることが分かる。ここにこそ、戦後日本外交の実体があったということもできるのではないだろうか。

3、戦後日本におけるアジア外交の意味

 日米安保関係という確固とした軸が存在した日米関係とは異なり、戦後日本において対アジア関係を理解することは難しい。ここでは冷戦前期(米中接近まで)における軸足はアメリカに置きながらも全面的にアメリカの思惑通りに動いていたわけではないことは確かであるし、また結果的には日本がアジアの側に立ち全面的にアメリカと対立することもなかった。このような日本の対アジア外交はどのように理解するべきなのだろうか。例えば、敗戦直後の日本に外務省を中心とした地域主義的な外交構想が存在し、(短期的には)挫折したことはよく知られている。またこの他にも様々な対アジア外交構想は存在していたようである。しかし、いかに日本のアジア外交の様々な側面を指摘したとしても、日本の外交の根本が対米関係にある以上、対米関係次第、もしくはアメリカの思惑にアジア外交は強く影響されるのである。本書からも、日本の「揺れる」様子が明らかになっているように思う。日本外交にとって「揺れる」以外の選択肢は存在したのだろうか。もし無かったのであれば、どのように「揺れた」のかということこそが重要となるのではないか。


今日の授業は、これまでの中で最も実りのある授業だった。色々と考えたこともあるのだが、これは今後の研究テーマや研究計画に関わるので内緒。どちらにしても2冊ともとても重要で面白い本。

at 23:58|PermalinkComments(0)本の話 

2006年05月18日

貢物、ありがとう。

チャンピオンズリーグの決勝は前々から楽しみにしていたのだが…あんな始まりになるとは想像もしていなかったし非常に残念。それにしても、老体に夜更かしは響きます。

今日は、プロジェクト科目(政治思想研究)の発表担当だった。とりあえずレジュメを転載しときます。情報量の少ないレジュメだし、その手の人でないと意味がないと思うのでまあいいっしょ。

このブログのアクセスをちょいと解析してみると…自分の頭を使わずにコピペで発表やレポートを書こうとしているとしか考えられない輩のアクセスが多数ある。とにかく「○○ 書評」とか「○○ 要約」という検索で来る人が学期末は急増する。せっかく大学で勉強するんだから自分の頭を使って欲しい。


政治思想史の方法論と歴史家の禁欲


1、方法論

・政治思想史の2つの方法論
①テクスト主義(レオ・シュトラウスに代表される)
②コンテクスト主義(ケンブリッジ・パラダイム)

→ケンブリッジ・パラダイムに基づいた共和主義理解は「富と徳」という図式に基づいてしまっており、正しいヒューム理解(またハリントン理解)の妨げとなっている。

・犬塚先生の方法論:検討対象とする政治学者(思想家)自身の理解した政治学史(思想史)像に着目する。(犬塚[2004]、7頁)

しかしこれは広義のケンブリッジ・パラダイムに分類されるのではないだろうか。「富と徳」ではなく、「政治機構と徳」に変わったということではないのか。政治思想(もしくは政治理論)が政治学史と乖離していくヒューム以後の時代をどのように分析できるか?(例えば、その時代の思想家たちの間で主流の議論についてその思想家が何を考えていたのか、ということで代替すればよいのだろうか)

2、歴史家の禁欲?

・従来の共和主義理解………’the language of rights’と’the language of virtue’で思想史を解釈し、前者を共和主義と理解

・犬塚先生の共和主義理解…従来の「富と徳」ではなく「政治機構と徳」の枠組で思想史を解釈し、前者を共和主義と理解
※政治機構論としての共和主義はヒュームがハリントンから受け継いだ共和主義としてのみ定義

犬塚先生はこのように従来の共和主義を大きく書き換える、つまり現代の共和主義論争にも大きな影響を与えうる議論を展開しているのだが、その点に関連した質問に関しては積極的な回答は得られなかった。回答は「個々の思想家についての個別研究を積み重ねることしかない」といったことに終始していたように思う。これが歴史家の禁欲ということなのだろうか。このような先生の研究態度に知的な真摯さを感じる一方で、やはり問題も存在するのではないかという考えも浮かぶ。

個人的な野心?
禁欲することは知的な議論を妨げる?

<主要参照文献>                          

犬塚元『デイヴィッド・ヒュームの政治学』(東京大学出版会、2004年)
リチャード・J・エヴァンズ(今関恒夫、林以知郎・監訳)『歴史学の擁護 ポストモダニズムとの対話』(晃洋書房、1999年)
小笠原弘親、飯島昇蔵・編『政治思想史の方法』(早稲田大学出版部、1990年)
小野紀明『政治理論の現在 思想史と理論の間』(世界思想社、2005年)
デイヴィッド・キャナダイン・編(平田雅博・他訳)『いま歴史とは何か』(ミネルヴァ書房、2005年)
クェンティン・スキナー(半澤孝麿、加藤節・編訳)『思想史とはなにか』(岩波モダンクラシックス、1999年)


A4で1枚にまとめるためにちょっとレジュメが粗くなったような気がする。でもメッセージや問題意識はシンプルなものなのでちょうどいいのではないだろうか。

要は「歴史を研究する意味は何か」ということに尽きる。思想史の世界のテクスト主義やコンテクスト主義の論争に限らず、もっと広い歴史が理論の側から、とりわけポストモダン的な理論から批判された20世紀後半を経た我々は歴史をどのような態度で学べばいいのか、ということ。

今日の議論でそれなりに暫定的な自分の答えは見えたような気がする。自分の専門とは少し違う分野の方法論の議論は、今まで自分の中で当たり前だったことを問い直していたりするのでとても面白いものだ。

at 23:50|PermalinkComments(2)アウトプット(?) | ゼミ&大学院授業

2006年05月17日

最近、若い要素が1つも無いそうです。

一次資料を読むことの面白さがよく分かりそうな予感↓

3限、日本政治論特殊研究。

テキストは原田熊雄・述『西園寺公と政局』の第三巻。風邪で休んでしまった先週が第一章(国際連盟脱退)で今週は第二章(高橋蔵相の進退問題)の予定だったのだが、先週の分が終わっていないということで今週も第一章をやった。日記(正確には『西園寺公と政局』は日記と回顧録の中間)というのは、当時が筆者の視点から描かれているので、今日から見て興味深い点はたくさん見つかる。が、史料批判はかかせない。本書の場合は執筆経緯が若干特殊なので違うのだが、日記でも後世に読まれることを意識して書かれたものも多いからだ。ちなみに戦前に関しては数多くの日記が公刊されている。今回やった範囲だと、例えば井上寿一『危機のなかの協調外交』などが第一章で国際連盟脱退を取り上げているが、どのように『西園寺公と政局』を扱っているのかが参考になるかもしれない。



授業後しばし働き、6限は外国語学校。若さが見られないと学部2年に言われる、君もすぐだよ、と心の中で言っておいた。若くないかな~、やっぱ。

発表や授業の準備に追われる今週と来週。今日も午前中は3限の授業の準備で終わってしまったし、6限後はリストアップしておいた政治思想史や歴史学の方法論に関する本を流し読みしているうちにタイムアップ。デイヴィッド・キャナダイン・編『いま歴史とは何か』は色々な分野の歴史家が書いていて参考になった↓

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昨日、ある先生に教えていただいた帝国史研究者のリンダ・コリーも執筆している。時間を見つけてしっかりと読んでみようと思う。

それにしても、こうやって授業に追われてみると学生気分が抜けない。もちろん修士課程1年の学生ではあるが、一応学問を志すのであれば学生気分は抜いて自分の研究のことを中心に考えないといけないはずだ。…修士1年の前期は助走期間だと考えることにするしかないのかな。

at 23:57|PermalinkComments(3)日々の戯れ言 

2006年05月16日

謁見。

ちょっとハードな毎週火曜。

2限、地域研究論特殊研究

元駐ロシア大使で80年代前半には中国公使を務めた方がゲストスピーカー。3限に学部での講演をやる前に大学院の授業にも出ていただいた、ということらしい。講演は思い出話も交えつつ、自分の外交官人生を中国関連を中心に回顧する、というスタイル。個人的に去年外交官の回顧録やオーラルヒストリーを読み漁っていたので、こういった話は面白いのだが…、まとまった話では無かったのでディスカッサントとして用意していた質問はほとんど役に立たず、残念。質問の1つとして「80年代の中ソ関係の進展と日中関係にはどのような影響があったのか」ということを聞いたところ、「ロシアのことはロシア課、中国のことは中国課という縦割りで仕事をしている(大意)」という答えだった。また他のディスカッサントの質問に対しては「役人の悪いところだが、ある仕事を終えるとその仕事のその後というものはあまり見ずに次の仕事に集中する(大意)」という答えをしていた。なるほどそういうものなのか、と。勿論官僚も人によってそれぞれなのだろうが、こういった傾向は組織全体に存在する(少なくとも存在した)ということだろう。外交資料を読むときにも日本の外務省におけるこういった傾向を頭に入れておかないといけないようだ。

3限、国際政治論特殊研究

今週から本格的にテキストの本文に入っていく。今日は、Chapter1:Tensions in the Grand Alliance and the Growing Confrontation, 1945-1947。大体、ヤルタ会談からトルーマンドクトリンまでが範囲。議論の大枠は従来の議論の枠を外れるわけではないが、冷戦の発生プロセスを英ソ対立を中心に描いているのは本書の興味深いところだ。この授業は回を追うごとにサイレントマジョリティが増えていっているような気がする。来週は討論者なのでちょっと工夫をしないといけないのだろうか。

5限、国際政治論特殊研究

テーマ:ロシアからみた東アジア共同体

発表者が意図したのかどうかは分からないが、2人ともテーマに掲げられているよりも広くロシア外交やロシアの東アジア観といったことを取り上げていた。要は、ロシアにとって東アジアはヨーロッパや中央アジアと比べると力点が置かれていないということが良く分かった。つまりロシアの東アジア共同体観は、推して知るべし、ということ。ロシアの外交というのはやはり独自であるし、その歴史的地理的背景も面白い。突き詰めて考えてみると何か面白いものが見つかりそうだ。友人が修士の研究テーマにロシアの対外政策決定過程を取り上げるようなので、話を聞いてみたいところだ。

6限は外国語学校に出て、その後は飲み会をはしご。昨年度お世話になった先生に久しぶりに会うことが出来た。今度は是非ロイヤルネイヴィー研究会ファンクラブとのファンクラブ会合を、とお願いする。んで、その後は今週タイへ旅立つ院ゼミの友人の歓送会に合流。中国人留学生を中心に語学の話をしたりしていると、ほぼ無かった中国語会話のやる気も上がってくる(ような気がする)。普段、授業ではあまり喋っていないサイレント・マジョリティの話は実に面白い。授業でもっと喋って雰囲気変えて欲しいな~。

at 23:46|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2006年05月15日

前言撤回。

大学院生活は意外と時間がある、と以前書いたことがあったが…どうも、そんなに甘くは無かったようだ。各授業が本格的に始まり、発表なんかが重なったりすると、結構準備の時間を確保するのがしんどい。

それをこれから2週間くらいは実感することになりそうだ。

と言いつつも、またすぐに慣れてやっぱり時間があると言う気がする。基本的に要領がいいだけに、ついついサボってしまいそうなので注意しないとまずい。

以上。

at 23:40|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2006年05月14日

曇りがちは嫌いです。

曇っていると気圧のせいか古傷が痛む、体がどんどん老いてくな~。古傷は痛むし、風邪は相変わらず治りきらない、ということで去年ゼミで行ったタイフェスティバルには行けず、残念。

ちょっとリンク集をいじってみました。

今週金曜の課題書1冊目↓

石井修『冷戦と日米関係』(ジャパンタイムス)
シリーズ「日米関係」として、宮里政玄『米国通商代表部(USTR)』などと共に出版された1冊。第二次大戦中ではあるが連合国内での齟齬が目立ち始め冷戦の足音が近づきつつあった1943年から、冷戦の闘士であるダレスが死去しフルシチョフが訪米を果たす1959年までを対象とし、冷戦を背景に日米関係がどのように推移したかを、主として米国の資料に依拠しながら論じている。周知の通り冷戦は、その緊張の高まりと緩和を最終的に冷戦が終結する1989年まで数度に渡って繰り返した。本書は、その1回目の緊張の高まりから緩和までを対象としている。冷戦とは別の論理から始まった第二次世界大戦の途中から、対日政策が冷戦の論理によって変化していくものの、初期の対日占領政策は日本をパートナーと位置づけるものではなくあくまで日本の民主化非軍事化に焦点が当てられていた。しかし1947年頃からワシントンでは、対日占領政策の見直しが始まる。その後サンフランシスコ講和を経て、「独立」を果たした日本に対してアメリカがどのような政策を採ることになったのか。戦争によって荒廃した日本は朝鮮特需によって回復が見られたが、その後の日本経済の行く末は危ぶまれていた。この問題で重要だったのは共産中国と日本の関係であった。日本が立ち直るためには、資源の輸入先と製品の輸出先が必要であった。戦前の日本経済を考えれば当然その先は中国であるのだが、その中国が共産化したことによりこの問題は冷戦の論理に翻弄される。冷戦の論理を優先し、日本と共産中国の関係を絶とうとすれば日本経済が立ち行かなくなるのではないか。こういったディレンマに対応するアイゼンハワー政権の対日政策が本書の焦点となっている。本書は歴史書としてのバランスにも非常に優れ、上記の焦点が鮮やかに浮かんでくる好著である。残念なのは編集の都合上なのだろうが注が付されていないことだ。参考文献も書籍のみであり、一部は著者名および出版年が本文中に挙げられているものの、どういった基準で挙げられているのかがいまいちよく分からない。膨大な一次資料がし使用されておりながら、どの部分が筆者のオリジナルなのかが分からないのは、とてももったいない。これは著者が後に書いた『国際政治史としての二〇世紀』にも言えることだが…。とはいえ、こういった点は、専門的に本書を読む場合にのみ問題となることである。平易で分かりやすい文章で初期冷戦下の日米関係を描いた本書は、日米関係を専門とする読者以外にも大きな意義があるものであり、必読文献の1つと言えるだろう。なお、著者には「冷戦の55年体制」(『国際政治』第100号)というより広範な国際政治を対象とした非常に優れた論文がある。本書を読んだ後にまず手に取るべき文献の1つとして挙げておきたい。

at 22:16|PermalinkComments(0)本の話 

2006年05月13日

今月初。

山食でカレー食べました、今月初。相変わらず風邪っぽい喉にはきつい。が、やめられないんだな。

そんな山食で話していたことの続きを何となく考えながら、午後を勝ち組タワーのカフェと図書館で過ごす。大学院は専門分化が進んでいるから、何気なくその中で過ごしているとついつい視野が狭くなりがち。出来る限り分かりやすい言葉を使うことを心ががけないといけないんだよな~。もちろん、自分の専門の研究は常に頭の片隅に置く必要はあるわけど。

最近、新聞書評の紹介をあまりしていないんだけど…先週、読売新聞に出ていたのが非常に気になる。

・鶴見俊輔、加藤典洋、黒川創『日米交換船』(新潮社)…リンク
・シンシア・エンロー『策略』(岩波書店)…リンク
・斎藤憲『よみがえる天才アルキメデス』(岩波書店)…リンク

特に一番上のは早く読みたいところ。

at 23:13|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2006年05月12日

自転車でぐるぐる。

今日は色々と手続きをするために自転車で目黒区内を行ったり来たり…最終的には六本木まで自転車で行くことにした。帰りに計測してみると家まで約20分、急げば15分くらいだろうか。やっぱり都心は狭い。今日の感じだと、家から大学までは大体30分弱といったところだろう。

6限、日本外交(GRIPS)。

細谷千博『サンフランシスコ講和への道』(中央公論社)

概略は数日前の書評を参照。授業で出したコメント↓



1、サンフランシスコ講和の意義

 本書の出版以前には、国際政治史においてサンフランシスコ講和はさほど重要視されてこなかったようである(渡辺昭夫書評)。このような状況は現在でも同様なのかもしれない。例えば、イギリス人研究者による1945年以降の通史(John W. Young, John Kent, International Relations Since 1945: A Global History)でも、日米安保条約の締結は記されている一方でサンフランシスコ講和は触れられていない。以上のような認識は、冷戦を中心として国際政治を考えているといえるのかもしれない。冷戦中心に国際政治を考えれば、サンフランシスコ講和よりも日米安保条約の締結が重要でありそれをもたらしたものは朝鮮戦争である、という論理に導かれるからである。
 しかし、このような国際政治認識は一面的なものであろう。後述するように、本書では西側諸国間の交渉に焦点を当てながらサンフランシスコ講和への道程を描き出している。本書で明らかにされるように、サンフランシスコ講和への道のりは決して平坦ではなかったわけである。また、太平洋戦争の原因が日本にあるならば、その日本を戦後どのように東アジアの中で位置付けるか、ということこそ戦後処理の焦点となるはずである。

2、分析枠組み

 本書では「(サンフランシスコ)講和への道程における米英関係」(310頁)が分析の焦点に据えられている。より広い文脈で捉え直せば、冷戦という当時の状況の中で西側諸国内の対立や駆け引きに注目しつつサンフランシスコ講和への道のりを描く、ということである。冷戦といっても単純に西側対東側であったわけではなく、西側諸国内でも様々な駆け引きが展開されていたのである。とりわけ日本外交史を学ぶ者にとっては、このような西側諸国内の駆け引きはとても重要な意味を持つ。その上で、筆者はアメリカ・イギリス・日本の外交文書・政府文書を中心として膨大な一次資料を渉猟することによって、その目的を達している。
 このような本書の見方は米ソ冷戦史観に対する一つのオルタナティブを提示したものともいえよう。ちなみに米ソ冷戦史観に対するもう一つのオルタナティブとして脱植民地化を分析の中心に据えるものもある。もちろんこういった分析視角は相互に矛盾するものではないが、冷戦初期の時代を分析する上でどのような立場から分析するかということは非常に重要な問題の一つといえるだろう。

3、本書で描き出された基本構図の有効性

 本書では西側諸国について以下のような基本構図が明らかにされている。

アメリカ:自国の安全保障重視、政府内政治の拘束、中ロ不可分
イギリス:脱植民地化の途上、コモンウェルスの意向の拘束、中ロ可分
オーストラリア(+ニュージーランド):対日安保重視
アジア諸国:戦中の経験から賠償問題で対日強硬姿勢
日本:日米二国間条約による安全保障、急進的な再軍備拒否

 とでもなるだろうか。以上のように提示された戦後初期の環太平洋国際関係の基本構図はこの時代、そしてその後の徐々に変わりゆく時代を考える上でも有効なものである。



相変わらず舌足らずなコメント。授業でのディスカッションを踏まえて再定義すれば、1に関しては、サンフランシスコ講和というよりANZUSや米比条約、日米安保も含めた1951年夏に結ばれた一連の条約を含めたサンフランシスコ体制の重要性を指摘したということ。この点はもっと重要視されていいのではないだろうか。「冷戦の55年体制」(石井修)のようなグローバルな意味合いは少ないかもしれないが、冷戦が熱戦となったアジアの戦後を考えればサンフランシスコ体制は重要だと思うのだが…ハブ&スポークスの基本構造は今でも続いているわけだし。もちろん、アメリカがそれに対して好意的になるなど色々な変化はあるわけだけど。

もう1つ授業で話題になったのが3について。これは国名を外してその基本スタンスを考えるとどうか、という頭の体操。先生から戦前とどう変わったのかという問いがありしばし考える。が、なかなか難しい。もう少し考え直さないといけないかな。

at 23:08|PermalinkComments(0)本の話