2006年05月

2006年05月31日

悲しくてやりきれない。

昨日の事件のショックがまだ抜けず…はぁ~。

3限、日本政治論特殊研究

テキスト:原田熊雄・述『西園寺公と政局』第三巻第三章

昭和33年の5月から7月。この時期に起きた出来事として一般によく知られているのは塘沽協定・滝川事件・神兵隊事件だろう。しかしこの原田日記には、この3つに関しての記述は少ない(ちなみに『木戸日記』には滝川事件については詳しく触れられているらしい)。それが当時の1つの雰囲気だったとも考えることも出来るが…やはりそこは各種史料を照らし合わせてみる必要があるのだろう。来週は発表なので少し考えなければ。



以前、授業でお世話になった先生の本です。

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竹中治堅『首相支配』(中公新書)
 細川連立政権の崩壊から昨年(2005年)の郵政解散までを対象に、日本政治が「首相支配」の構造へと変質していった過程を描いている。一般に、現在の首相が小泉政権の特徴はどのように理解されているだろうか。漠然と支持率の高さに依存する劇場型政治を実践するポピュリストである、といった印象が先行しているのではないだろうか。筆者はこのような漠然とした説明ではなく、55年体制崩壊以降に日本の政治制度が大きく変わったことから小泉首相の強大な指導力の理由を説明している。基本的には叙述的な文章であり事実関係や政治家の発言は新聞記事や回顧録等によっているが、本全体を通しても、また各章ごとの問題意識も非常に明確であり非常に分かりやすい。本書の要旨や核心をここにまとめることは比較的難しくないが、詳しくは是非本書を読んで知って欲しいのでここにはあえて具体的な内容は紹介しない。本書で示された「2001年体制」という枠組みは今後現代日本政治を論じる際に1つのキーワードとなるだろう。また、本書ではその要旨しか取り上げられていないが、1989年以降の参議院の力の上昇という問題は非常に重要な問題であり、今後の研究の進展が期待される問題である。本書は文章も平易で読みやすい。繰返しになるが分析も明晰であり新書として非常に優れた1冊である。

at 23:50|PermalinkComments(0) 本の話 

2006年05月30日

僕たちの大根が…。

ちょっとショックな出来事があって凹んでます。

そんなことに気が付かずに読み終えた1冊↓。一昨日に書評した『戦後政治と自衛隊』の関連文献。とても面白い本なのだが…値段が難点。いくらかは自分で調べてください。

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佐道明広『戦後日本の防衛と政治』(吉川弘文館)
 著者の博士論文を基にした戦後日本の防衛政策に関する歴史研究である。19 50年から1983年までを具体的な検討対象時期とし、自衛隊を軸に分析が行われている。分析視角には「自主と同盟」であり、日米安保と自主防衛の間を揺れ動く日本の防衛政策の変遷を明らかにすることが本書の課題である。最終的にこの自主と同盟の葛藤は、中曽根政権が日米安保中心の政策を採ったことにより解消すると主張して本書は終わる。
 そもそも日本では資料的政治的制約もあり、戦後の安全保障政策に関する研究そのものがあまり多いとはいえず、さらに自衛隊を正面から取り上げた本格的な研究は皆無と言っていい状況であった。このような状況の中で、本書が1950年から1983年という30年以上の期間を分析したことの意味は大きい。戦後の安保政策に関する優れた通史としては田中明彦『安全保障』(中央公論社)があるが、田中の著作は日米安保条約に関しても多くの記述を割いており、必ずしも自衛隊に分析の主眼が置かれているわけではない。それに対して本書は自衛隊をめぐる政治を分析の中心に据え、さらに公開未公開の資料を用いて従来明らかにされてこなかった戦後日本の安全保障政策の変遷を解き明かしている。
 従来の研究と比べた際に面白い点をここでは3点だけ挙げておこう。1点目は、内局と制服組の対立である。この主張そのものはすでに定説となった感もあるが、本書では内局の論理の「大蔵省的」な特徴を詳細に分析すると共に、この対立の歴史的な変遷を解き明かしている。2点目は、陸上自衛隊と海上自衛隊(+航空自衛隊)の対立、もしくは違いである。そもそも発足の経緯から違う両自衛隊は組織理念や目指す性格も異なり、この両者の違いが戦後日本の安全保障政策にも影響を与えたのだという。こういった大きな視点は従来の個別的な研究からでは感覚としては分かっても実証が難しい。3点目は1970年代の安全保障政策についてである。従来、「中曽根構想」と「久保理論」は相対立するものと主張されてきた。しかし本書では資料を丹念に調べその歴史的な文脈を明らかにすることによって、両者が対立するものではなく、むしろ「久保理論」が「中曽根構想」の失敗を受けたものであり多くの共通点を持っていたことを明らかにしている。
 これらの他にも本書は様々な知見に溢れている。もちろん、本書が十分に解き明かしていない点もあるし、また資料の使い方に若干の疑問を感じる部分もあるが、それ以上にこうして1冊の本として戦後日本の安全保障政策が分析された意義が大きい。著者の近著であり21世紀まで検討時期を広げた『戦後政治と自衛隊』(吉川歴史文化ライブラリー)と併せて一読をお薦めしたい。

at 23:57|PermalinkComments(3) 本の話 

2006年05月29日

おいおい。

今日の早慶戦で慶應が勝った結果、勝敗は五分に。明日は休講だそうです。発表がずれるのは面倒だし、どっちにしても外国語学校はあるわけで、何しようかな~。

at 23:58|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年05月28日

掃除してダービー観て…。

よく現実逃避のために、例えば試験前日とかに、掃除をしたりする人がいるらしい。それと関係するかは分からないが、掃除をするのが好きなんです。現実逃避の極みのような人生を送るということなのだろうか。

そんなわけで今日は久しぶりにがっつり掃除。卒論執筆中からコピーした論文の山がうず高く積まれ、増えていく本が本棚から本が溢れ、大学院関係の資料の置き場に困り、さらに親の荷物が整理されないまま放置、という悲惨な状態を改善すべく半日がかりで掃除掃除掃除。

まずは、漫画やサークルの論文集(部室が無くなって以来なぜか俺の部屋にある)をダンボールの詰めたり、入れ替えたりする。これがなかなかの大仕事。『ドラゴンボール』や『スラムダンク』や、ジャンプ系の完全版に場所を取られている。う~ん、漫画だけで軽く1000冊を超えているのはまずい。

ちょっと休憩し、しばしダービー観戦。去年はディープインパクトを観に友人と東京競馬場まで行ってきたのだけど、今年はテレビ観戦。去年と比べるとやっぱりレベルに違いがあるような気がする。結果はご存知のとおり二冠馬の誕生。

ダービー終了後はまた作業に取り掛かる。今度は本の入れ替え。新書がやたらに増えているのが目に付いたので、新書専用の本棚を1つ確保…入らないじゃないか。さらにこの2年で大量に増えた専門書のために大きな棚を1つ確保…こっちは何とか収容、でも一杯になるのは時間の問題。本を二重置きや二段重ねにしないでいいような広い部屋が欲しい。

そして掃除機をかけたりちょっとした拭き掃除をしているうちにタイムアップ。論文の整理には手が付きませんでした。また今度やろうかなー。

という働いた気がしたけどあまり実りが無い一日。

at 23:22|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年05月27日

ほーほー。

雨で早慶戦は中止、が心なしか大学に人が少ない気がする。野球は好きなんだけど、もう優勝も決まっている消化試合を見に行く気にはなれないなー。というわけで、今日は大学にこもって課題文献や関連文献をこなし文献リストを作り、と授業関係のことをしているうちに一日終了。

今日の成果の1つ↓

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佐道明広『戦後政治と自衛隊』(吉川弘文館)
 『戦後日本の防衛と政治』で知られる著者による、一般向けの戦後日本の防衛政策に関する通史。前著が博士論文を基にした学術書だったので、それを一般向けに書き改め、さらに時代も最近までカバーしたのが本書である。資料の引用が多かった前著とは一転して、戦後日本の防衛政策が自衛隊を中心にどのように変遷していったのかが描かれており、非常に読みやすかった。筆者が前著で明らかにした最先端の研究成果を踏まえた通史として本書の価値は非常に高い。具体的な内容は『戦後日本の防衛と政治』の書評に譲ることにして、ここでは前著と比べて本書がどのような点で有用であるかを述べたい。まず第一点目として、一般向けに書き改めることは内容的にも量的にも「贅肉を落す」が求められる。筆者が一般にも意味があると感じた研究成果がどの部分にあったのか、それが本書からは浮かび上がってくる。二点目は、前述のように時代を最近までカバーしていることである。前著は博士学位取得のための歴史研究であるという制約もあり、時代としては中曾根時代までしか検討対象としていなかった。しかし本書では、冷戦後の新防衛大綱の策定のみならず、記憶にも新しい新防衛大綱の改定についても検討している。資料が決定的に少ない本書の後半部分の記述がどれだけ専門家の評価に耐えうるかは未知数であるが、ひとまずは1つの形にしてまとめたことに意味があるのだろう。専門的な歴史研究といえども、その歴史的な知見や明らかにした事実が現在にどのように影響しているか、という点に読者の関心は行き勝ちである。そのような読者の関心に本書は応えたといえよう。さらに、本書には防衛計画の大綱に関する巻末資料も付されており有用である。前著『戦後日本の防衛と政治』との併読をお薦めしたい。

at 23:04|PermalinkComments(0) 本の話 

2006年05月26日

散歩する金曜日。

雨が降りそうで降らないという微妙な天気の中、三田から六本木まで歩く。サニーデイの「東京」を聴きながら、というのはちょっとベタというか古いというか…。

6限、日本外交(GRIPS)

テキスト:坂元一哉『日米同盟の絆』(有斐閣)

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コメントは以下のとーり

1、重要な研究テーマ&質の高い実証研究

 本書は、筆者が長年に渡って継続的に研究してきた1950年代の日米同盟関係についての既発表論文を再構成し、さらに最新の研究成果も盛り込んだ形で1冊の研究書としてまとめたものである。戦後日本外交にとって基本的な「かたち」を基礎付けたといえる日米同盟がどのように形付けられたのか、という極めて重要なテーマに真っ向から立ち向かった本書の試みは非常に意義深いものである。「安保条約と相互性の模索」という副題もその内容に適したものである。1950年代を細かく区切った個々の研究の論文集ではなく、旧安保条約の締結から安保改定までの約10年間を視野に入れて再構成されていることにより、読者は筆者の問題意識を自然と意識しながら読み進めることが出来る。さらに各章それぞれに解明すべき課題を設定し、着実にそれに応えているといえよう・このように研究テーマと共に本書で際立っているのが、その実証研究としての質の高さである。資料の使い方が非常に丁寧であることによって、本書の実証性が高く保証されている。ただ資料が存在すると引用するだけではなく、その資料の意味や公開状況や先行研究でどのように使われたのか、といった点まで詳細に検討している類書は少ないだろう。

2、安保改定の逆説?

 以上のように高い評価をした上で、ここでは本書の根幹部分に関して1つの疑問を提起したい。上記のように本書は、1950年代の日米同盟の変遷の分析という一貫した問題意識に特徴付けられている。しかし、一点だけこの問題意識に照らして気になることがある。それは「安保改定の逆説(安保改定の先に真の日米対等化を果たすという岸の意図に反して、安保改定によって安定化した日米関係が大きく動くことがなくなった)」についてである。果たして、筆者のいう「安保改定の逆説」は本当に逆説だったのだろうか。サンフランシスコ講和へ至る時期の吉田評価をめぐって筆者は「力の論理」で吉田の行動を正当化している。(このような筆者の「力の論理」による説明には議論があるだろうが、)岸の構想は「力の論理」を考えれば、もともとから無理な話だったのではないだろうか。吉田と岸で評価基準を変えることは、1950年代の日本外交評価を考える際にある種の歪みを生んでしまうのではないだろうか。

3、その他の疑問点

 その他いくつか疑問点を挙げておく。1つは前記の「力の論理」(62頁)の問題である。「力の論理」から当時の日米関係を説明することの妥当性も問題であるが、この論理から演繹すれば1960年代以降に日本が力を付けてからの日米関係はどのように説明されるのだろうか。この点は「はじめに」における筆者の強調する本書の現代的意義を考える際に重要になるだろう。2点目は、本書では条約論を中心に据えた結果として、条約を超えた先に両国(特に日本)が何を目指したのかが不明確なのではないだろうか。これは疑問ではないのだが、同時期のアジア外交を筆者がどのように考えるかは気になるところである。アジア外交の分析が筆者の目的ではないわけでこの点が足りないといって批判することはあまり建設的ではないが、同時期の日本外交を総体的に理解するためにはアジアに関する分析も必要になるだろう。



この本は下手に読みすぎているために論点を提示するのが難しい、と思っていたのだがそれだけではなくこの本そのものに論点を出しづらい構造が隠されていたのだな、ということが授業の議論を通して何となく見えてきたように思う。

at 23:55|PermalinkComments(0) 本の話 

2006年05月25日

長引く喉風邪。

やっぱり風邪がけっこう流行っているらしい。先輩、友人、後輩、調子の悪い人だらけ。そんなにひどくは無いけど、すっきりしないからさっさと治ってくれないと困る。今日は昼飯を、先生も含め10人くらいで食べたのだが何人かがごほごほ咳をしていた。ちなみに↓の授業も同様。

5限、プロジェクト科目(政治思想研究)

テーマ:「不確実性と政治―ポストモダンの二つの道:ニーチェとジェイムズ」
テキスト:?James T.Kloppenberg, Democracy and Disenchantment: From Weber and Dewey to Habermas and Rorty, in: Kloppenberg, The Virtues of Liberalism, Oxford University Press, 1998, PP.82-99.
?鏑木政彦「自己省察の多元主義 ウィリアム・ジェイムズ『信ずる意思』解釈の試み」『哲学論文集』(第41号、2005年)
?(参考、鏑木政彦「政治的ニーチェ 「自然」の政治学のアポリア」『思想』2000年6月号)

事前に指定されていたテキストが難しかったのでどうしようかな~、と思っていたのだが…テキストの各部分を再構成した形の講演だったので、講演内容そのものは思っていたより分かりやすかった。

「不確実性」というものはどの時代においても不変の概念なのか? ということを質問。答えは「時代によってその具体的な意味や対象は変わる」というものだったが、いまいち納得がいかない。某先生が俺の質問直後に発表全体を通して「時間」という概念が組み込まれていないということを指摘されていたふが、俺の疑問もそこに尽きる。来週の議論ではこの辺りの問題はどう扱われるのだろうか。

授業ではちょっとひと悶着あったが、まぁそれはいいとしよう。

授業後はいつものごとく懇親会。個々人の内在的なものよりも思想家と思想家の関係性に興味がある、という先生の言葉を聞いて今日の講演内容がよりすっと頭に入った気がした。

at 23:20|PermalinkComments(4) 日々の戯れ言 

2006年05月24日

豪雨。

家庭教師を終えて三田に戻ってくる途中、豪雨にやられました…背中から足からずぶ濡れ、萎えます。

3限、日本政治論特殊研究

テキスト:原田熊雄・述『西園寺公と政局』(岩波書店)第三巻第二章

昭和8年の前半、高橋蔵相が辞任の意向を示したことをめぐる関係が中心。結果的に高橋蔵相は辞めなかったので、政治史の概説書などでは空白期間となっているために議論がしづらい章だ。日記を読んでいくというのは面白いし、他の人の日記など資料を横に広げることも出来て面白いのだが、やはり日記が対象とする時期にその面白さが影響されてしまう。もっとも、細かい文章1つ1つにそれなりに発見もあるから隅々まで読むことも重要なのだろう。今回であれば、戦前の政治家の間での天皇観といったものが垣間見える記述があり興味深かった。

at 23:01|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年05月23日

一仕事終了。

相変わらず疲れがたまる火曜日。授業が続くとしんどい。

2限、地域研究論特殊研究?

テキスト:ジェームズ・リリー『チャイナハンズ』(草思社)

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一昨日の書評でも取り上げたが、とにかくエピソードに溢れ面白い読み物。授業では、1980年代の中台軍事バランス、天安門事件などの議論に。

3限、国際政治論特殊研究

テキスト:John W. Kent・John Young, International Relations Since 1945 : A Global History
Chapter2 : Two World East and West, 1945-1948

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発表(討論者)担当。一応3つの議論を用意したのだが、ここでは重点を置いた1つを紹介。

個別研究と通史

 国際関係史や外交史の個別研究に対して「これが足りない、こういう要素もある」と批判することは有益なのだろうか。基本的に、個別研究はある一定のテーマに対して一定の分析視角から分析することにその目的がある。つまり包括的にある事柄を理解するというよりは、ある事柄の一部分に関し、またはある視角から分析することこそ個別研究の目指しているものである。このような個別研究に対する有意義な批判とは「これが足りない、こういう要素もある」ではなく、分析視角に内在する問題を指摘することであり、その実証の達成度に向けられるべきではないだろうか。
 一方、本書のように国際関係史の世界でも数多くの通史や通史的研究が存在している。個別研究が個別部分での実証性や分析視角が問われることに対して、通史では全体としてのバランスや位置づけこそが問題となる。もちろん通史においても個別部分の正確さが問われることを否定しているわけではない。ここで強調したいことは、通史の目的がどこにあるかということである。ここには様々な考え方が存在するだろう。例えば、初学者向けに最低限の知識を与えることが通史の役割であるということも出来るだろう。しかしここではより研究的な意味に注目したい。通史は様々な領域を対象とした個別研究のマッピングを行い、基本的には時系列に沿った上でマッピングを行うことにその意味があるのではないだろうか。同時に個別研究から提示された視角を整理しその評価を行うことも目的といえる。例えば冷戦研究の観点から本書を読むとこういった通史の役割が明らかになるだろう。また通史は、個別研究が見落としがちな横の連関の重要性を強く意識していることも重要である。

あとの2つは、本章及び前章で示された各国の政策姿勢(?)についてと、日本がこの時期には本書で描かれるよりも重要であったのではないかということ。前者はともかく後者に関しては舌足らずであった。先生の言葉を借りると、日本というよりも太平洋の国際関係の重要性、といった方がよかったのかもしれない。自分の言いたいことを効果的に伝えるためにはどういった言葉を使えばよいのか、ということを実感させられた。

個別研究と通史、ということについてはこの本を読み始めてから漠然と考えていた。この点を明確にしないと議論がしづらいし、何より論点がぶれやすいのではないかと思ったので討論者として挙げてみた。上の文章に自分の伝えたいことは大体書いたんだけど、やっぱり舌足らずというか表現がよくなかった。例えば一番初めの通史に対する批判について。「これが足りない、こういう要素もある」というのはあまり効果的な批判ではないと書いたんだけど、もしそれが筆者の問題意識に内在する問題だとしたらそれを指摘することは非常に重要である。この点も先生に指摘されてしまった。まだまだ修行が足りません。

この問題は個人的にはとても重要なので期末レポートでもう少し詳しくまとめてみることにしようと思う。

5限、国際政治論特殊研究

テーマ:アメリカからみた東アジア共同体

質問はするものの基本的なスタンスが聞き手になってしまうこの授業。今日もまあそんな感じ。第二次大戦直後、冷戦後、9.11後までカバーといった感じで3人の発表がうまく時代順になっていたので分かりやすかった。最後の発表は院ゼミの先輩なのだったのだが、やはりアメリカの対アジア観は対中国観の従属変数なのだろうか。ふーむ。

at 23:47|PermalinkComments(2) アウトプット(?) 

2006年05月22日

音楽生活。

疲れが抜けない今日この頃、やっぱり老けたんだろうか。そんな俺を癒してくれる一枚↓

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東京スカパラダイスオーケストラ(ゲストボーカル:甲本ヒロト)「星降る夜に」…ハイロウズの無期限活動中止以来のヒロトの声に感動。どうやら、7月にはソロでの活動も始まるみたいだ。

それはそうとiPODを手に入れてから音楽生活が大きく変化した。同じものでもメディアが変わると云々というメディア社会論の話を地で行くようなことだが…。家にあるこれまで買ったCDを手当たり次第に入れたり、友人とシェアしたりしているうちに気付けば5000曲近くが入ってしまった。で、せっかく入れたから聞かないとな~、と思って何年ぶりかに聞いてみる曲多数。10時~22時で大学にいることが多かった4月は、とにかく音楽聴きまくってたからものすごい量の音楽を聴いたことになる。そもそも聴くジャンルもばらばらだし(特に洋楽)…ちょっと入れるのがはばかられるアルバムも何枚も入っている。それなのにある友人とは8割近くの曲が同じである。輩である証だろうか。

「星降る夜に」は購入後2週間にして、iPODだけで20回くらい聴いている。

というわけでiPOD生活を満喫しているわけだけど、やっぱり不満も。まずはみんなが挙げるバッテリー。クリッカーとバックライトを常時切って置いた状態で大体10時間ちょっと持つといったところだろうか。前使っていたMDは1回の充電で30時間以上は使えた。あとは音。別にそれほどこだわりがあるわけではないけど、やっぱりクラシックを聴くのはちょっとつらいかな。家のコンポでゆったり聴いた方がいい…当たり前か。

ま、何はともあれ音楽生活満喫中。ちなみに3月くらいからこのブログの副題は全てiPODに入れてある曲の題名。分かる人には分かる曲なんだが…。

at 22:43|PermalinkComments(0) エッセイ風