2006年04月

2006年04月30日

GW2日目。

GW、今のところ順調に色々なことがこなせている。図書館で『国際政治』の最新号に掲載されている論文を何本かコピー、その他論壇誌をチェックし、後は読書。比較的効率よく動けたんじゃないかな~。

リベラル・ナショナリズム論をプロジェクト科目で取り上げた時にも出てきたミラーの本↓

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デイヴィッド・ミラー『政治哲学』(岩波書店)

 岩波書店から<1冊でわかる>シリーズとして翻訳されている、オックスフォード大学出版局の"Very Short Introductions"の1冊。<1冊でわかる>という日本語シリーズ名はいかがなものかとも思うが、このシリーズはどれもコンパクトかつバランスがいい本が多い。
 本書は、ケンブリッジ大学のフェローであるデイヴィッド・ミラーによる政治哲学の入門書である。一般的な傾向としてこの手の思想系の入門書は、思想家を取り上げる政治思想史ではない政治理論や政治哲学などであってもやたらと固有名詞が羅列されている本が多い。それはそれでもちろん意味のあることなのだが、ともすると読者は固有名詞を覚えることに汲々として、より本質的な過去の政治哲学の営みを見失ってしまうかもしれない。本書では、そのような心配はいらないだろう。むしろ、あまりに固有名詞が出てこないことにこそ本書の特徴があるといえるかもしれない。ページを割いて説明されるのは、プラトン、ホッブズ、ミルくらいのもので、その他の思想家や哲学者について概説されているわけではない。かといって挙げられていない思想家や哲学者を無視しているわけではない。有形無形に様々な箇所で様々な思想家の顔が見えてくる。
 具体的な構成は、以下のとおりである。まず、政治哲学とは何かという根本的な問いを立て、それについて筆者の考えを述べられる。そして政治的権威、デモクラシー、自由、といった古典的な政治哲学のテーマについて論じられる。またそれにとどまらずフェミニズムや現在のグローバリズムなどについても本書は論じている。入門書や概説書に最も求められるのはバランスであるが、本書はこのバランスが非常に優れている。シリーズ名どおり政治哲学の「Very Short Introductions」としておすすめできる1冊。

俺が薦めなくても学部の政治哲学の授業でも参照文献として挙げられているわけだけど…。

at 23:08|PermalinkComments(0) 本の話 

2006年04月29日

GWスタート。

GWは映画三昧のつもりが、初日はBSでやっていた「タイタニック」をついつい観てしまいました。こんなスタートになるとは…。

去年のこの時期のブログを読み返すと…起床、読書、朝食、読書、昼食、読書、バイト、夕食、読書、就寝…とある。なかなか「有意義」なGWを送っていた、のかな? 結局、今年もこれとほぼ同じ生活になりそうだ。

起床、朝食、家庭教師、語学、読書、遅めの昼食、読書、語学、夕食、読書、就寝、といったところ。

でも今年はこの時期に約10日間の休みがあるのはとても有難い。授業で読まなければならない文献そのものは大体読んだので、1週間は「趣味」の世界に没頭できるからだ。

というわけで、ようやくロイヤル・ネイヴィーにたどり着きました。

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田所昌幸・編『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』(有斐閣)
一般的に19世紀から20世紀にかけての時代はパクス・ブリタニカと言われる。そして、そのパクス・ブリタニカを支えたのがロイヤル・ネイヴィー(イギリス海軍)である。本書は、このロイヤル・ネイヴィーに焦点を当てて19世紀のイギリス外交を検討している論文集である。各章を簡単に紹介しよう。序章では、本書全体の導入として総論的にロイヤル・ネイヴィーのイギリス外交における位置付けを論じ、さらに各章のテーマを紹介している。第1章は、奴隷貿易の禁止という問題を軸にパーマストン外交を紹介している。パーマストン外交は一般に「砲艦外交」というイメージが強いが、本章からはある種の「人権外交」をも行っていたことが見えてくる。第2章は、クリミア戦争に収斂する東方問題(オスマン・トルコ)に対するイギリスの対応を分析している。第3章は、帆船から蒸気船、木船から鉄・鋼鉄船への変化や、魚雷など新兵器の開発といった19世紀のRMA(軍事技術革命)が、ロイヤル・ネイヴィーにどのような影響を与えたかを論じている。第4章は、ロイヤル・ネイヴィーの人材供給や教育といった組織面に光を当てている。組織の近代化過程を分析することによって、広くイギリス社会の発展の中でのロイヤル・ネイヴィーの姿も明らかにされている。第5章は、1865年のパーマストンの死を1つの転換点として後期ヴィクトリア時代のイギリス外交(黄昏のパクス・ブラタニカ)を論じている。そして最後の第6章では、19世紀において常に世界第2位の海軍国であるフランスの海軍について論じている。19世紀のロイヤル・ネイヴィーを分析することには、様々な意味があることがこの短い紹介からも分かるのではないだろうか。入り口はロイヤル・ネイヴィーだが、出口にはもっと広いイギリス外交、世界の海軍力を巡る国際関係や、イギリス社会の発展、といった様々なものが見えてくる。このような各章の議論もとても面白いのだが、1冊の本として考えたときに本書が際立っているのはそのまとまりの良さである。日本では編著書というと、執筆者によって問題意識が大きく異なるただの論文集である事が多々ある。本書では、このような編著書の悪い点が一切姿を見せない。各章の論文はそれぞれ相互に有機的な繋がりを持っているし、各論文そのものの意味だけではなく、本書の中に各論文が収録されている意味が読んでいるとよく分かる。例えば、第6章の「フランス海軍とパクス・ブリタニカ」。この章があることによって、読者はロイヤル・ネイヴィーを絶対視することなく相対的に評価することが可能になる。また、文献目録・用語解説・索引といった付録も充実している(これらは学術書としては重要だろう)。このように、本書は各論文の内容も面白ければ、1冊の本としてもとてもまとまりがいいという素晴らしい1冊。何はともあれ一読をお薦めしたい1冊です。



自分の研究テーマに直接繋がるわけではないし(外交史という意味では同じだが)、この時代やテーマに興味はあったが特別詳しいわけでもなかったのだが、とにかく楽しみだった本。なぜかと言えば…執筆者のファンだという事に尽きる。

矛盾するようだが、自分の研究とは違うテーマ、だから素直に楽しめるともいえる。自分の研究に直接繋がるようなテーマであれば、読書というよりある種「史料読解」のようなものになってしまう。

もっとも、ただ「楽しい」だけではいけないのが大学院生。直接繋がらなくても自分の研究にどこかで繋げなければいけないんだろう。う~ん、楽しみにたどり着いたのにまたこうやって大学院生活について考えるとは。

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2006年04月28日

回復↑。

昨日から何となく調子が悪かったのだが、今日半日ほど寝た結果回復。何となく週初めから間接が痛かったような気がしたのだが、風邪? だったのだろうか。ま、とりあえず大したことも無く治ったのだからいいのかな。数年前まで風邪を引くなど数年に一度だったのに…。



6限、日本外交(GRIPS)

今日の課題本は↓

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波多野澄雄『太平洋戦争とアジア外交』(東京大学出版会)

いつもどーり、発表レジュメを載せときます。今日は内容報告担当だったのでいつもとはちょっと形式が違う。というか、いつも模索中なので形式は違う。今回、先生から「内容報告では各章を2~3行でまとめてほしい」と指示が出た。というわけで次回以降は形式に関してはあまり迷うこともなくなるだろう。


本書は、太平洋戦争期の占領地の処遇(アジア解放)という問題を、広義の「戦時外交(対ヨーロッパ外交と対アジア外交からなる)」の一環ととらえ、政府内政治における議論の詳細を戦争の全般にわたって検討している。また、戦時外交における重光葵の役割に着目し、重光の外交指導に関して多くの章が割かれている。このような本書の分析から明らかになるのは、戦時にすでに「脱植民地化」をめぐる外交が存在したことであり、それが戦後にまで影響を与えていることである。このような見方はクリストファー・ソーンの一連の研究でも指摘されている。もっとも、ソーンの研究は英米からの視点であり、本書はソーンの研究を日本側から捉えたものともいえるだろう。

対象期間…1941年9月(開戦3ヶ月前の御前会議)~1945年4月(小磯内閣の終わり)

目的………?太平洋戦争期の占領地の処遇という問題を、広義の「戦時外交」の一環ととらえ、政府戦争の全般にわたって検討する。?また本書は、戦時外交における重光葵の役割を重視している。

分析方法…占領地の処遇を中心とした各問題に関して、外務省、大東亜省、陸海軍などの主要なアクター間の葛藤・妥協・調整の過程としてとらえる(軸となるのは外務省と陸海軍の対抗)。

構成………重光の対ソ・対中外交を考察している第10章をのぞいて時系列順に並んでいる。

全般的には上記2つの目的がうまく消化されている。詳細には立ち入らないが、1つの政策的問題に関する各アクターの葛藤・妥協・調整の過程を争点ごとに明らかにするという手法は本書の大半において成功されているといえよう。戦時のアジア解放は、?日本と連合国?日本とその占領下に入ったアジア諸地域?日本国内の政治集団間、という3つの舞台で繰り広げられた。本書の対象は?であるが、本書は??にも十分に目を配っている。

戦時外交における「戦後の問題」を取り上げていることから、本書の問題意識は太平洋戦争終結後にも結びつくものである。日本の戦時外交がアジアの戦後にどのような影響を与えたのかは一読後にもっとも興味が湧くことの1つだろう。

とはいえ、いくつか問題もある。まず、本書が戦時外交を取り上げているとしたら、それを構成する対ヨーロッパ外交(対ソ含む)と対アジア外交の関係といった全般的な見取り図が必要なのではないだろうか。第10章における限定的な言及では不十分である。

また本書に描かれる海軍は常に外務省案への抵抗勢力であるが、その文脈は軍事戦術的(戦略的?)な文脈であった。戦史と外交史の関係についても本書のようなテーマを扱う際には重要ではないだろうか。

先述のように本書ではその2つの目的がうまく消化されているが、やはり未消化部分も残っている。重光葵が本書の該当時期以外にどのような立場でありどのように動いたのかという点を見なければ、太平洋戦争期の重光外交を評価することは難しいだろう。とりわけ、戦後の重光に関しては気になるところである。

 
上記のレジュメからは伝わりにくいかもしれないが、本書は日本外交史の傑作だと思う。何よりもこのような難しいテーマを扱いながら、非常に抑制された筆致であるし、文章も非常にうまい。が、前回の教訓を生かし、本としての構成、提示した課題と提示された回答、といったところに注目してレジュメでは批判を試みてみた。それに対する先生からの反応には納得させられた。こういったディスカッションを毎週自分の専門分野に関して行うことが出来るのは贅沢なことだ。

先生が言うとおり、こうやって毎週毎週、博士論文を基にした本を中心に毎週研究書を読んでいくと、概説書や通史を読むのとは違う歴史のダイナミズムを感じることが出来て非常にわくわくさせられる。前期を通して毎週研究書を読んでいくことは自分の修士論文テーマを決める際にもとても参考になるだろう。

次週以降は戦後に入る、いよいよ本格的に専門領域に入ってくるだけに非常に楽しみだ。

at 23:59|PermalinkComments(0) 本の話 

2006年04月27日

風邪気味?

午前中から腰が痛いな~、と思っていたら何やら寒気がしてきた。どうやら風邪気味らしい。が、明日の授業では発表もあるしやることはやらなければいけないのだが…。



4限、文献購読(中国語)。

先週に続き、先生の時事解説を聞いているうちに授業の大半が終わる。毎週こんな感じなのだろうけど、人数が多いから内職出来るし、先生には申し訳ないがBGMとしてはちょうどいいし(だって学部生向けの時事解説だからね)、まあいいのかもしれない。今日も進んだ文章は1つのみ。授業後先生から時事問題などに関する中国語の教科書を頂く。連休明けからはこれを使って内職しよう(まずいかな~)。

5限、プロジェクト科目(政治思想)。

先週の講演に基づいたディスカッション。テーマは「リベラル・ナションリズム」。提示された論点で一番議論が集中したのは、リベラル・ナショナリズムは「リベラル」か?、というもの。

先週の講演後の飲みで、ある先生は「この議論(リベラル・ナショナリズム)はテクネーの議論」だと言っていた。この言葉によっていくつかの疑問が解消する一方で、テクネーの議論として論じる場合にどんな問題があるのかな、とも考えてしまう。

う~ん、ナショナリズムが絡むと議論が途端にわかりづらくなる。そう考えると「ネイションという論争的な言葉を使う必要は無いのではないか」というある先輩の指摘はまさにそのとおりだろう。

at 23:28|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年04月26日

行ったり来たり。

午前中から大学に行き図書館とキャレルを行ったり来たり、図書館の中でも地下と3階を行ったり来たり、んで家庭教師がありその後外国語学校があったので大学と家庭教師先でまた行ったり来たり…とにかくよく歩いた1日。さすがにこれだけ歩くと疲れる。

それにしても小泉政権が5年も続くとは…高校3年~大学院修士課程1年まで、長いよな~。



3限、日本政治論特殊研究。

先週に引き続き映画鑑賞。今日観たのは「王道燦たり」。満州国建国10周年記念映画として昭和17年に製作された記録映画なのだが…。基本的には「大東亜戦争」時における戦意昂揚映画。しかし、色々と突っ込みどころがあって興味深い。例えば…この映画は満州暦で説明がされているなど、満州国内での公開を基にしているようなのだが、地図の中心は日本。また満州事変が「大東亜戦争の序曲」として描かれているし、さらに満州事変の主敵も中国やソ連ではなく英米となっている。張学良政権も英米の傀儡とされている、などなど。つまり、昭和17年という状況に基づいて過去50年近くの歴史が描かれているわけだ。ちなみにこの映画は貴重な映像も数多く収録されているのでそれを見るだけでも面白いです。

満州事変が「大東亜戦争の序曲」として描いている点などは、戦争中の日本の戦意昂揚プロパガンダの常套手段だったのだろうか。しっかりと実証したわけではないが、もしそうなのであれば、これが戦後の「十五年戦争」(鶴見俊輔)という表現の背景になっているのかもしれない。「十五年戦争」という表現は実証的な歴史を重視している人間からするとかなり問題のある表現なのだが…この表現が、仮に戦時中のプロパガンダに源流があるのだとすると、歴史の皮肉を感じてしまう。

連休明けからはいよいよ『西園寺公と政局』に入る。どーなることやら。

at 23:22|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年04月25日

ヤシはまだ辛うじて生きてます。

2限、地域研究論特殊研究?

いちおー、発表担当。ゼミ形式ではこの先生の授業を取ったのは初めてなので、先生のニーズが分からなかったので、様子見程度にまとめてみた。出した論点は以下の2つ。

?本書で明らかにされているとおり、胡錦濤政権はその成立直後に対日新思考外交を掲げるなど、日中関係を打開すべく動いていたようである。しかし、日本はこのような中国の動きに応えようとはしなかった。ここではやや広く同時期の日本外交を概観することにより、日本外交全体に対中外交を位置づけることにより、なぜ日本が「対日新思考」に応えなかったかを考えたい。

?小泉政権の対中姿勢は以上のようなものであった。本書の「中国を挑発するような外交態度や国内世論は中国の「対日強硬派」を勢いづけるだけだ」という主張は確かに納得のいくものである。しかし、中国との良好な関係を築くことは日本の国内事情としてはどのような意味を持つのだろうか。利益という点からは説明できない、日本国内の対中感情などを踏まえつつ現在の日中関係について考えたい。

今日は先生がキッシンジャーと食事するとかいうことで授業がちょっと早く終了。キッシンジャーと食事とはちょっとすごいな~。

3限、国際政治論特殊研究

この先生のゼミも今回で5コマ目。今回読む本は↓

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今日は全体のイントロダクションを読んでの議論。友人が要約担当だったのだが、簡にして要を得たまとめだった。イントロダクションは本全体の「骨組み」が提示されている部分。が、この本はそれをかっちりと示しているわけではない。英語でこのような本を読んだことが無かったので、授業では本書のような書き方が普通なのか聞いてみた。どーやら、イントロの書き方ひとつ取っても、アメリカとイギリスでは異なるようだ。今日は色々な人が発言していたので、今後も授業が盛り上がることには期待が持てそうだ。

5限、国際政治論特殊研究

授業の名前は3限と同じだが、こっちは指導教授の方だ。今日は「韓国からみた東アジア」、発表者は3人とも韓国からの留学生。東アジア共同体をめぐる議論を、1人は歴史的に概観、1人は盧武鉉政権の東アジア共同体論、1人は最近の韓国内での(学者を中心とした)東アジア共同体論、について発表。それぞれに興味深く面白かった。個人的に最も重要だと思ったのは、韓国の東アジア共同体論と北朝鮮問題は分かち難く結びついているということ。「北朝鮮問題は入り口であり出口である」ということらしい。日本が日韓関係の重要性を説くにしてもこの点を認識しなければ動かないということ。

6限、外国語学校

2週間ぶりの出席ということで見事に置いていかれている。特に会話はやる気が…、ということもありまずい状況に。いかんいかん。せっかく身近に留学生もいるんだし、会話も頑張ろう。

外国語学校終了後、院ゼミの先輩と図書館前で立ち話。研究テーマやら、最近出た研究書についてやら色々と話す。自分と興味関心が近い先輩と話すのは刺激になる。俺はなぜか某地域研究系のゼミや思想系のゼミの先輩に仲のいい人が多いので、こうやって院ゼミの先輩と話すと新鮮だ。普通はこれとは逆なんだろうけど。

at 23:19|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年04月24日

大根はすくすく成長。

どうやら火曜と水曜以外はけっこう時間がありそうだ。

授業は、

火曜:大学院の授業が3コマ+外国語学校
水曜:大学院の授業が1コマ+外国語学校
木曜:大学院の授業が1コマ+学部設置の文献購読(中国語)
金曜:他大学の授業が1コマ

という感じ。家庭教師やバイトで1週間で10時間弱の時間が使ってしまうのだけど、それほど忙しいわけでもない。授業はどれもゼミ形式だが、アサイメントがあるのは火曜1コマ、水曜1コマ、木曜1コマ、金曜1コマ、と毎日1つずつ。しかも金曜は毎週1冊研究書を読むのだが、他はどれも本の中の1章だけを読むという感じ。英語だと時間がかかるが、1章くらいなら何となる。むしろ、読まなければいけない量は去年の方がよっぽど多い。そもそも去年の方がゼミ形式の授業が多かったし。

というわけで、けっこう時間がありそうな大学院生活。今日は友人が大学に来たこと&夕飯をゼミの友人と後輩と食べたこと、などであまり勉強しなかったが、何となく大学院生活のリズムが掴めてきたような気がする。

at 23:20|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年04月23日

う~ん。

2週連続で大学に行かなかった日曜日。

よくよく考えると、今は院棟にキャレル(机)があるので別に図書館が開いていても開いていなくても関係ない。しかも、院棟は365日無休らしい。というと、俺は年300日くらいは大学に行くことになるんだろうか…。ちょっとそれは問題かな。

で、今日は何をしていたかというと桜木町で映画を観たわけです。「プロデューサーズ」…う~ん、微妙でしたよ。もちろんいいニュアンスをもつ「微妙」ではなく、最近の使われ方でいう「ビミョー」ということ。ミュージカルベースなのだが、明らかに歌はアフレコだし、笑いはアメリカンジョークだし、色々な映画や音楽を「パクって」劇中に使っているんだけど何か使い方が陳腐。う~ん。

まー、こんな日もあるでしょう。ちなみに今は観たい映画がやたらと多い、が、時間がない。GW中はとにかく映画を観て過ごしたい。

at 23:08|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年04月22日

NO MUSIC NO LIFE?

大学院に入学してから2週間、まあ色々と考えたりするわけです。

とりあえず、友人の大半が消えた大学で過ごすのにiPODは必須アイテム。毎日、充電が必要なほど使っている。先週のサンボマスターに続き、今週は真心ブラザーズのニューアルバムが発売された。これがまたいい。

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前作から5年も経っているだけにどんなアルバムになるのかなと思っていたのだが、結局直球の真心らしい作品。ややフォーク色が強いかもしれない。ただ…何というか、今まで以上に愛愛愛と言っているので恥ずかしい。何だろうサンボの愛よりも恥ずかしい。

そんなわけで先週今週はこの2枚のアルバムが中心だが、ずっとずっと同じものばかりでは飽きるので色々と聞いている。スチャから、チャック・ベリー、ルイ・アームストロング、といったところまで。たまに秀樹も聞いてる。今日は気付いたらヨーヨーマを聞いていた。

こんな生活をあろ2週間も送っていれば、多分iPODに入っている4500曲全て聞けるだろうな~。

at 23:51|PermalinkComments(0) エッセイ風 

2006年04月21日

キャベツも元気です。

大学院棟のキャレルは収容所みたいでいまいちかな~と思っていたのだが、実際に使ってみると、俺の席は窓際で眺めもいいので意外と悪くない(六本木の勝ち組タワーが見えるのは癪だが)。周りに人が少なければ図書館よりも快適かもしれないので、景色に飽きるまでは使ってみよう。

6限、日本外交(GRIPS)。

主として博士論文を基にした日本外交史の研究書を毎週1冊読んでいくという授業。少人数な上に、周りがすでにプロの研究者という環境なので、やや覚悟が必要。仕方がないので、「学部を出たばかりで社会常識が身についていない」ということにして生意気にどんどん好きなことを言っていくことにした。

今日の本は↓

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服部龍二『東アジア国際環境の変動と日本外交』(有斐閣)

今回出したコメントは以下のとーり。

1、資料の使い方について

方法論的な問題に関して言えば、本書はいわゆるマルチ・アーカイヴァル・アプローチを採用している。日本語(日本)・英語(アメリカ及びイギリス)は当然として、中国語(中国及び台湾)・ロシア語(ソ連)の一次資料を用い、さらにハングル語の二次資料も用いた上で、国際関係史として1918年から1931年の東アジア国際政治を、日本外交を中心に実証している。筆者自身が指摘しているとおり(14-15頁)、このアプローチの一つの問題点として、実証の対象である国際的な事象の全体像を描き出すことには適しているが各国の外交政策の諸潮流といった政治外交史的な分析には適さない。しかし、本書はこの問題点を、主要各国の外交文書や個人文書を丹念に読みこむことで克服しようと試みている(この試みが成功したか否かについてはコメント2で論じる)。このようにして構成された本書は、実証的な意味では他の研究の追随を許さない、限りなく完璧に近いものを有していると言えるだろう。具体例としては、中国の研究状況について触れている7-8頁を参照。

2、分析枠組について

本書では、?1918-1931年の東アジア国際政治の全体像を描き出すこと、?関係各国における対外政策の諸潮流を内在的かつ多元的に考察する、という二つの課題を設定している。そのうち後者を理解するために筆者は次のような分析枠組を設定している。

 本書では、研究史上しばしば争点となってきた中国への「干渉」という概念を定義しながら援用することで、錯綜する政策決定者間の立場の相違と変遷を長期的な視野から把握することを試みる。(中略)本書で「干渉」とは、軍事的な介入やその再編、および軍事力を背景とした威嚇という「軍事力による干渉」、または、親日化や権益の拡張といった一定の目的のために特定集団を排他的に援助して利用せしめんとする「政治指導者への干渉」、のいずれかに該当する対外政策をいう(13頁)。

そして、それぞれを四つの段階に分けてマトリックスを作成している(13頁)。果たしてこの分析視角は適切だろうか。小池聖一も指摘しているように(『国際政治』第133号)、そもそも日本の対中国政策は「関内」と「満州」でそれぞれ担当者が異なっている。両地域を担当する首相や外相の比較ならともかく、外交官や軍部を含めた上でこの両者を同一の座標軸に置くことには若干の無理があるのではないだろうか。また、スペースの関係上詳しくは述べないが、それぞれの評価に関しても大きなマトリックスを設定したがゆえに無理が生じているのではないだろうか。

3、第一次世界大戦と日本外交に対する影響

本書は、第一次世界大戦が日本外交に対して与えた影響を重視している。その理由としては が挙げられている。しかし、日本のとりわけ陸軍を中心とした北の脅威に備えるという側面は結局のところ日露戦争以来、第二次世界大戦に至るまで変化していないのではないだろうか。この点が、日露戦争以来の日本外交に決定的な影響を与えたと考えると、筆者はいささか第一次大戦の変化を強調しすぎており、筆者の問題意識に沿って1931年以降の「戦間後期」を分析することは困難であろう。もちろん本書が1918-1931年を分析対象としている点を考えれば、筆者の主張はもっともであるのかもしれない。しかし、筆者の先に挙げた問題意識?を考えれば、第一次大戦の日本外交に与えた影響に関してより広い戦間期全体を見渡すことが出来る可能な見方をすべきではないだろうか。

相変わらずどんなコメントを出せばいいのかが掴めないので試行錯誤中。が、今日の授業の議論で何となく掴めたような気がする。今回出したのはちょっと誉めすぎだった。ディスカッションを経ての感想として…史料の量に圧倒されずに、本としての読みやすさ、学会にとどまらない問題設定の必要性などにも目を配らないといけない。本書の手法を「局地戦における戦術パターン:先行研究が等閑視している(しかし存在した/重要な)事柄を取り上げる」とするコメントがあったのだが、これは秀逸。本書の問題点がよくあらわれていると思う。

at 23:58|PermalinkComments(0) 本の話