2006年01月

2006年01月26日

日常に戻りつつある…。

卒論が終わり、友達と飲んだり、外国語学校に出たり、レポートをやるために色々な分野の本や論文を読んだり、小説を読んだり…ここ数日、急速に日常に戻りつつある。

結局、今日提出のレポートは朝起きて始めることになってしまった。1つ前の記事としてエントリーしておきました。レポート、というよりただの文献紹介になってしまった。一応、最後の部分が大学院の研究に繋がるような気がするんですが…。

色々な人に薦められていた『エリゼ宮の食卓』をやっとしっかり読みました。サントリー学芸賞の選評はここ。『エリゼ宮の食卓』は饗宴外交、『女王陛下のブルーリボン』(書評)は勲章外交の分析、力や利益だけでは捉えられない外交の一面を見るうえでどちらもかかせない本だろう。

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・西川恵『エリゼ宮の食卓』(新潮文庫)
かつて高坂正堯は国際政治を力・利益・価値の三要素から分析した(高坂『国際政治』)。ここに価値を含めた点が、高坂のバランス感覚であろう。国際政治を語るうえで、通常話題となるのは力と利益である。やはり、力や利益と比べた時に価値はあやふやな面があることは否めない。そもそも価値とは何か、イデオロギーなのか、それともソフトパワー(ジョセフ・ナイ)に通じる類のものなのか…。しかし、確かなことの一つは様々な価値の交錯する位相も現実の国際政治にも存在するのである。本書は、フランスのエリゼ宮を舞台に繰り広げられる数々の饗宴をとおして、外交について考えている。一見すると見逃してしまう、ワインやシャンパンの選び方一つに様々な思惑が隠されているのである。具体例は是非本書を読んで知ってほしい。フランスの大統領は安全保障と外交を専管事項とし、内政は基本的に首相が受け持っている。首脳外交は大統領の重要な職務であり、ここにかけるエネルギーは他国の比ではない。首脳外交にとって饗宴は需要な意味を持つ。ここに、国力以上の政治力を持つフランスの外交力があるのかもしれない。もっとも、このように外交や国際政治に引き付けるのは本書の良さを失わせてしまう危険が圧。本書は外交をとおして饗宴について考えていると考えることも出来るだろう。饗宴に人生の楽しみを見出す、そんなフランス人の生き方が本書からはにじみ出てくる。こう考えると、本書を読むうえでこんな仰々しい前置きは必要ない。上質のワインを味わいながらエリゼ宮の饗宴に思いを馳せながら読むだけで十分なのかもしれない。

at 23:51|PermalinkComments(5) 本の話 

日本外交史特殊研究?レポート

書評論文ではなく、ほとんど文献紹介…

日本外交史特殊研究?レポート

<書評論文>
戦後日本のアジア外交
~近年の研究を中心に~


 戦後日本外交は、一貫して日米関係を外交の基軸に据えてきた。小泉政権が成立して以降も、日米関係は良好に推移しているといえよう。現在、米軍のトランスフォーメーションの一環として在日米軍再編の作業が行われており、この作業に目処がついた段階で「何らかの政治的宣言」が出されるという。これは1996年4月に発表された「日米安全保障共同宣言」以来のことである。
 このように政策レベルで日米間の協調関係が強化される一方で、現在国民の関心が高まっているのはアジア外交である。これは、直接的には小泉首相の靖国神社参拝問題をめぐって中国および韓国との関係が悪化したことに起因するものである。しかし、アジア外交の問題は靖国問題にとどまるものではない。例えば昨年(2005年)12月にマレーシアで開催された、東アジアサミットで示されたように東アジア地域における地域統合も政治日程に乗りつつある。1990年代前半にEAEG構想が提起された際には、アメリカの強い反対もあって実現しなかった試みである「東アジア共同体」が一定の現実味を帯びてきたことを意味する。また、より長期的な課題として政治大国・経済大国として台頭しつつあり、今後も成長が見込まれる中国にどのように対処していくか、という問題もある。
 こうした現実の政策関心と関係があるのだろうか。近年、研究者の間でも日本のアジア外交に対する関心が強まっている。本稿では、限られた範囲であるが近年のアジア外交研究を中心に紹介していく。


 日本のアジアへの興味は戦前にさかのぼることが出来るが、戦後日本外交は戦前のそれとは異なるメカニズムで動いている。それは、主として二つの理由によるものである。一つは、日本が「あの戦争」(佐藤誠三郎)で大東亜共栄圏を掲げアジアを侵略し敗北したこと。もう一つは、日本の占領が事実上アメリカ一国によって行われ、さらに主権回復が冷戦開始後に行われたことによって戦後日本外交がアメリカの冷戦戦略の中に位置づけられたものとしてスタートしたこと、である。つまり、日本が再び軍事大国となることは周辺国との緊張を招くことが必至であり、さらにアメリカの冷戦戦略に反する選択肢を採ることは日本には不可能だった、のである。しかし日本は地理的にはアジアに位置する国である。この結果、日本外交のアイデンティティーはアメリカとアジアの間を揺れ動くことになるのである。
 このような日本のアジアとアメリカの間に揺れるアイデンティティーの形成過程に鋭く迫っているのが、波多野澄雄「戦後アジア外交の理念形成」(『国際問題』2005年9月号)である。この論文で波多野は、戦前のアジア外交は主として朝鮮・満洲・中国が対象であったのに対し、戦後は東南アジアがその主たる対象となったことを指摘したうえで、敗戦直後の日本で現在の「開かれた地域主義」へと繋がる「多角的地域主義」が提唱されたことに注目する。そしてその後の日本が、冷戦やナショナリズムに対処する過程で「アジアの一員」と「東西の架け橋」という二つの立場を模索していく過程を分析している。
 『年報政治学1998 日本におけるアジア主義』(岩波書店)に収録されている、井上寿一「戦後日本のアジア外交の形成」は、敗戦直後に外務省を中心に経済的地域主義に関する構想が存在したことを明らかにするとともに、その(短期的な)挫折の過程を描いている。井上は、この論考を発展させる形で「戦後経済外交の軌跡」(『外交フォーラム』2004年11月号~2005年5月号)を発表している。「戦後経済外交の軌跡」は題名のとおり経済外交が主題であるが、その経済的地域主義の「場」としてアジアが描かれている。短期的な挫折が長期的な成功に繋がる過程が描かれ、様々なエピソードも紹介されている興味深い論考である。


 『年報政治学1997 危機の日本外交 ―70年代』(岩波書店)は1970年代の日本外交特集であるが、アジア外交に関するいくつかの論考が収められている。添谷芳秀「一九七〇年代の米中関係と日本外交」は、国際構造上の「大国」として認識される日本と伝統的大国路線を拒絶した日本という「二重アイデンティティー」を中心的な分析視角として、米中接近とその日本外交への影響を分析している。『年報政治学1997』には、田所昌幸「ドル体制の再編成と日本」、村田晃嗣「防衛政策の展開」、中西寛「総合安全保障の文脈」など70年代の日本外交に関する先駆的研究が多数収められている。またこの他にも、須藤季夫「変動期の日本外交と東南アジア」なども収められている。河野康子「日本外交と地域主義」については後述する。


 日本外交の基軸はあくまで日米関係であったことにより、アジア外交研究も必然的に日米関係への洞察を含むものとなる。これは、外交文書の公開が進んだことによって大きく進んだ近年の研究でも同様である。例えば、宮城大蔵『バンドン会議と日本のアジア復帰』(草思社)は、1955年に開催されたバンドン会議の国際関係史であるが、ここではバンドン会議における日本がアメリカとアジアの間で揺れる姿を描き出されている。また 昇亜美子『ベトナム戦争をめぐる日米関係と日本外交』(博士学位論文、慶應義塾大学)は、1965年から1973年までの日本の対北ベトナム外交の分析であるが、ここでも独自のアジア外交を模索しつつもアメリカとの関係に苦慮する日本の姿が描き出されている。
 宮城大蔵『戦後アジア秩序の模索と日本』(創文社)は、1957年から1966年のインドネシアをめぐる国際関係史を日本・アメリカ・中国・イギリスそれぞれの視点から描き出した国際関係史である。この四者はそれぞれ、開発・冷戦・革命・脱植民地化の論理でインドネシアへ関与した。この四つの視点を提示したことによって、本書はアジアとアメリカを対置する傾向のあった従来の研究の分析視角を乗り越えることに成功している。この視点は、従来にない斬新なものであるといえよう。


 こうして、アメリカかアジアか、という矛盾を抱えてきた日本外交にとって転機となったのが大平政権であった。大平政権では外交安保政策として「総合安全保障」と共に「環太平洋構想」が提唱された。環太平洋構想は、日本外交にとって日米関係が死活的に重要である点を踏まえ、その上で地域政策を検討し「アメリカもアジアも」という日本の政策を示したものである。この構想はその後、アジア太平洋経済協力会議(APEC)創設へ繋がっていくものである。
 先に取り上げた『年報政治学1997』に収められている、河野康子「日本外交と地域主義」は、時代を1960年代前半までさかのぼりながらアジア太平洋地域概念の形成過程を分析しており、環太平洋構想の前史を考えるうえで有益である。渡辺昭夫『アジア太平洋の国際関係と日本』(東京大学出版会)は、環太平洋構想にも関わった著者による先駆的な研究である。雑誌等に発表した論文を一冊にまとめたものなのだが、どの論考もアジア太平洋という視点から日本に対する考察を行っており、冷戦終結前後の日本の選択の幅を考えるうえでも有益である。また、渡邉昭夫・編著『アジア太平洋連帯構想』(NTT出版)は、「環太平洋構想」の作成に関わった当事者を中心とした論文集である。一貫した問題意識に基づいた論文が収録されているわけではないが、当事者の回顧から現在の東アジア共同体をめぐる議論まで幅広いテーマについての論考が収録されており、資料的な意味もある論文集である。


 以上、近年盛り上がりを見せている日本のアジア外交研究を紹介してきた。しかし日本のアジア外交研究には特有の問題が付きまとう。それは、対米外交との関係である。宮城大蔵の表現を借りれば、日本は「開発」、アメリカは「冷戦」の論理でアジアへ対処してきた。いかに、日本のアジア外交の様々な側面を指摘したとしても、日本の外交の根本が対米関係にある以上、対米関係次第、もしくはアメリカの思惑にアジア外交は強く影響されるのである。
 この点を、どのように捉えるかが研究の分岐点になるのではないだろうか。日米関係を中心に行われた戦後日本外交研究を「立体的に分析する」(井上寿一)ためには、アジア外交や経済外交の分析は不可欠である。分岐点は、これらの研究に日米関係をどのように反映させるか、ということである。
 最後にこの点に関連する疑問に触れておく。1970年代後半から80年代前半の日本外交について、従来の研究では福田政権は「全方位外交」であったが、大平政権は新冷戦の高まりと共に「西側の一員」を強調したという見方が主流であった。アジア外交を論じる文脈ではないが、大嶽秀夫『日本の防衛と国内政治』(三一書房)、などはその代表例である。このような見方に立つと、福田ドクトリンと環太平洋連帯構想は区別して論じられる。確かに、防衛政策を55年体制下の日本政治に基づいて分析すればこのような見方も妥当かもしれない。しかし、福田ドクトリンと環太平洋構想は共にアジアを対象とした地域政策であったことに注目したい。日本のアジア外交が、対米関係の拘束を受けている以上、この両政権を異なる路線として論じることは適切とはいえないのではないだろうか。むしろ、福田ドクトリンが新冷戦の終結と共に「復活」し、環太平洋連帯構想の延長上に位置付けることも可能なAPECと共に日本の地域政策として推進されたことを重視するべきではないだろうか。福田ドクトリンと環太平洋連帯構想の二つには冷戦後に繋がる、日本の対アジア政策が存在していた。この両者を統一的に考察することは出来ないのであろうか。この点は、筆者の検討課題である。

at 23:50|PermalinkComments(0) アウトプット(?) 

2006年01月25日

試験終了。

政治哲学?の試験終了、ということで大学生活最後の試験は終了。でも、まだ外国語学校の試験はあるし、レポートもあるから解放感なし…というかそもそも試験勉強はゼロなので関係ないか。

こんな感じで、大学生活はあっという間に過ぎていく。

で、今日は外国語学校に行き、その後は明日提出のレポート(日本外交史特殊研究?)作成に取り掛かろうとするも断念。明日の朝から始めよう。書評を書くのは好きだけど、書評論文、それもアメリカ式の同時に何冊も取り上げるというのはなかなか難しい。今回は文献が指定されているだけに、尚更難しい。これは提出したらアップしようと思う。

at 23:17|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年01月24日

書き終えてから…。

飲んだり飲んだり飲んだりしているうちに、どんどん時間が過ぎていく。

論文を書き上げてから貴重な文献を手に入れるというのはよくある話。そんな一冊↓

西廣整輝『湾岸戦争と日本の対応』(社会経済国民会議)
昭和63年から平成2年まで防衛事務次官を務めた西廣整輝防衛庁顧問の講演会記録。小冊子で60頁弱ではあるが、後の樋口レポート作成でも重要な役割を果たした筆者が湾岸戦争前後の国際情勢をどのように認識していたのかを理解することが出来る重要な一冊。国際情勢認識としては、冷戦体制が予想以上のスピードで変化したこと、地域紛争の頻発は冷戦終結前から予想できたこと、を強調している。資料的な意味で重要なのは、防衛事務次官の立場から見た湾岸戦争前の日本の対応の問題点だろうか。とりわけ、筆者は情報収集力の無さを嘆いている。もっとも、ここでは「アメリカは対イラク戦争を早期に想定していたが日本は予想できなかった」ことなどが挙げられているが、アマコスト元駐日大使の回顧録によればアメリカ側の情勢認識や援助の申し出などは非公式に逐一、小沢自民党幹事長、栗山外務事務次官には伝えられていたという。この辺りの、認識ギャップはなかなか興味深い点だ。湾岸戦争時の日本について考えるうえでは外せない一冊。

今回の卒論は、結局野党を中心に見たからこの本が直接役に立つことは無かったんだろうけど、やっぱり書き上げる前に欲しかった。SFCの図書館から届いたのがちょっと遅かった。

at 23:15|PermalinkComments(0) 本の話 

2006年01月22日

労働日。

昨日は休養日だったわけだけど、今日は労働日。午前中、家庭教師。昼食後、スタバで読書。15時から21時半までバイト。久々だっただけに疲れました。最近、漱石ブームが再来してます。卒論終了後に『三四郎』『それから』を読み終えた。そんなわけで、今日は鼻から「哲学の烟」を出してみました。



それはそうと、最近検索エンジン経由でブログへ来る人がかなり多い。試験前だからだろうか、はたまたレポート提出前からか…。ちょっと面白いので今月のこれまでのトップ10を公開します。

1 吉田路線 ねじれ          
2 山田文比古 フランスの外交力  
3 大橋未保              
4 宮城大蔵              
5 2つのニクソンショック       
6 甲本雅浩
7 酒井哲哉
8 ウルカヌスの群像 書評
9 フランス 外交 論文
10 ウルカヌスの群像

さぁ、ここからどういう分析が出来るだろうか。とりあえず、慶應生が多すぎ…「ねじれ」とか(苦笑)。あとは女子アナパワーが凄い。4月の早慶レガッタの時にちらっと書いただけなのに、8ヶ月間ずっとアクセスがある。あー、フランスの外交力もちょっと怪しい。某授業の書評レポートに使ってるとか。

安易にネットの情報取ってるようじゃ、大物にゃなれないぜ。自分の頭を使おうよ。

なんて言いたくなる。



明日からは外国語学校に復帰予定。レポートもいくつかある。そういえば一科目だけ試験もある。休み欲しい。本が読みたい。映画が観たい。酒が呑みたい。

at 23:38|PermalinkComments(3) 日々の戯れ言 

2006年01月21日

卒論要旨。

冷戦終結と日本外交の「二つの選択」
~「野党」の変化に注目して~

<論文要旨>

 冷戦後の日本は二つの大きな選択をしている。一つは国際安全保障への参画という形で自衛隊を海外に派遣したことである。もう一つは、1996年の『日米安全保障共同宣言』(日米安保再定義)によって日米同盟を外交の基軸とすることを再び選択したことである。とはいえ、日本にとってこの二つの選択は容易ではなかった。「冷戦の勝者」とまでいわれた日本は、湾岸戦争で「敗北」した。また日米両国は80年代半ばから徐々に深刻な経済摩擦状態に陥っていた。さらに、冷戦終結期の日米関係修復の試みはことごとく失敗に終わったのである。

 従来の研究は、冷戦終結による国際環境の変化と北朝鮮の核開発問題などから「二つの選択」を説明することが多い。しかし、これらの研究では「二つの選択」を別個に分析されており、統一的に分析されているわけではない。このような研究に対し本稿では、「二つの選択」を統一的に理解することを目指し、選択の過程で「野党」の果たした役割に注目する。

  「野党」の変化の原点は1970年代にあった。ヨーロッパとは異なり東アジアの冷戦は多極間ゲームとして展開された。その多極間ゲームの転機となったのは1970年代であった。日本は、この過程で対米基軸と共に大国間の戦略ゲームには関与しないという冷戦後に繋がる外交路線の選択をしている。「野党」にとって大きかったのは米中接近の過程で中国が日米安保条約を積極的に肯定したことである。これは「野党」の対米観に根本的な修正を迫るものであった。この後、「野党」は徐々にその外交構想を修正していく。

 その後、新冷戦を経て冷戦終結となる。世界に冷戦終結を印象付けたのは湾岸戦争であった。湾岸戦争は日本にとっても転機となった。湾岸戦争は、日本の政府与党・「野党」・世論にそれぞれにとって「敗北」であった。この結果もたらされた変化は、まずPKOへの参加に代表される国際安全保障への参画をもたらした。この過程では公明党の変化が重要であった。

 同時期の日本は、経済摩擦の影響もあり日米関係の「漂流」という危機にあった。外務省が主導した日米関係修復の試みはなかなか実を結ばなかった。しかし、その一方で「野党」に大きな変化が起こりつつあった。そして、この変化は社会党の「政策大転換」に結実する。実は社会党の「大転換」の少し前から、実務レベルで冷戦後の安全保障のあり方を模索する動きが始まっていた。この試みの中から、日米安保再定義へつながる動きは生まれたのである。日米安保再定義は、日米同盟の役割を大きく拡大するものであり、従来であれば大きな抵抗が予想されるものであった。しかし、「野党」の70年代からの変化はこの時期には決定的なものになっており、日米安保再定義は大きな抵抗もなく達成されたのである。

at 23:09|PermalinkComments(0) アウトプット(?) 

2006年01月20日

卒論提出。

卒論提出。

約一ヶ月間の引きこもり生活から脱出。今週の月曜から結構軌道修正をしたので最後の数日はつらかった。…といっても、まだまだやることがあるだけに解放感もいまいち。卒論の要旨とかは気が向いたらそのうちアップします。

今日はこの後ゼミの打ち上げ。明日は休日。日曜日からまた頑張ります。

at 18:23|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年01月16日

単純なこと。

世の中、複雑なことだらけなようで意外と単純なもの。

例えば、友達がなぜ友達かといえば、それは(変な意味じゃなく)その友達のことが好きだからだろう。そうではない友達は本当の友達ではない。

例えば、彼女となぜ付き合っているかといえば、それは彼女のことが好きだから。そうじゃないなら、続かないと思う。

例えば、なぜ日本がアメリカと同盟関係にあるかといえば、それはその方が日本にとって「いい」から。まぁ、政治上はその「いい」が何かが問題になるんだけど…。

例えば、論文は何のために書くかといえば、それは分析に基づいた自分の主張を誰かに伝えるため。知的マスターベーションでは論文にならない。

じゃあ、論文を書くときに一番大切なことは何か、それは自分の主張を分かりやすく伝えるということ。ということは、まず自分の主張が何か、そしてそれを伝えるためにはどういった構成がいいか、と考えることが論文執筆の基本ということ。

そう、こんな単純なことがあと4日間の課題。

at 23:25|PermalinkComments(1) エッセイ風 

2006年01月12日

あと一週間。

昨日は、この2年間のゼミの最終回だった。が、まだ卒論提出もしていないし、その後3月に卒論発表会兼歓送会が残っている。そんなわけで、あまり実感が無い。ゼミで話したり聞いたりしたことは、少し時間が経った時に思い出して色々考えるんだろう。

来週の金曜日に卒論提出ということで、事実上俺に残された時間はあと一週間。量的な問題は無い、草稿は今のことろ3万5千字くらい、むしろ「贅肉」が多いから削らなければいけない。若干資料が足りない部分もあるので、そこ以外をとりあえず明日までに書き上げてしまいたい。あとは半日ほどGRIPSの図書館に行けば一応完成、という状態にしたい。

でも、問題はここから。今の段階の文章は極めて「叙述」的なのだ。やっぱり論文にする以上はちゃんと分析的な文章にしたい。といっても、こんなことを草稿が終わってない段階で言っても現実逃避なのでしっかり頑張ります。ん~、でも正直なところ一ヶ月前にこれくらい終わらせておきたかった。

卒論は「冷戦終結と日本」が大きなテーマということもあって、個人になかなか焦点が当たらない。評伝や伝記が好きな俺にとしてはとても残念。そんな、残念な気持ちの慰めになったのが、『外交フォーラム』の今月号。先月号の次回予告を読んで以来楽しみにしていた「ジョージ・ケナン特集」である。卒論もあることだしもう少し待とうかなと思っていたのだが、今日の西洋外交史特殊研究?で紹介されていたので、ついつい買ってしまった。五百旗頭神戸大学教授とエルドリッヂ大阪大学助教授の師弟対談で紹介されていた以下のエピソードは心に残る。

彼(ケナン)は「もし私に外交官としてよい仕事ができたことがあるとすれば、それは私が現実の外交に取り組んでいたからだ」と言っています。五里霧中の中で彷徨した経験のある人は謙虚になれます。不完全な情報の中ででも決断すべき局面に直面するのが人であり国であるわけです。その難しさがわかっていた。『外交フォーラム』2006年2月号、15頁。

「」の外は五百旗頭教授の言葉。ここに、人がなぜ歴史を学ぶのか、ということの一つの答えが詰まっているように思う。今回の特集はかなり面白いです。この他にも色々と興味深い記事が載ってるので、是非一読を。

at 21:05|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2006年01月08日

凍えながら頑張ってます。

ここ数日は卒論に専念している。家に引きこもって草稿を執筆しているわけだが…書けば書くほど、必要な資料も増えてくる。6日からは図書館も空いているので、図書館に行ってはコピー&借りる、家で読み込み&執筆、という生活。

自民党の活動方針やら社会党の運動方針やら、今まであまり読んだことのない資料を読むのは面白いのだけど、締め切りが近いので圧迫感もある。気付けば、草稿はあっさり2万字をこえてしまった。この倍くらいになると思うので、一旦書き上げて3分の2くらいに圧縮し、章立てを組み替えて、さらに分析視角を再構築して加筆する、というのが今後の予定かな~。

卒論は、ざっくり言ってしまえば、冷戦終結と日本、が大きなテーマなんだけど本論に入る前にある程度考えておかなければならないことがたくさんある。そもそも冷戦とは何か? みたいなことだ。本論以上にこっちの方が難しい。どうやってまとめようか思案中。

そんなわけで、外国語学校の勉強や他の授業のレポートをやる目処が立たない。う~ん、参ったな~。

at 19:02|PermalinkComments(1) 日々の戯れ言