2005年11月

2005年11月30日

久々のゼミ。

2限、政治哲学?。「人道的介入」がテーマ。正戦論や無差別戦争観などを復習しつつ説明していたので分かりやすかった。先生の「私は人道的介入の議論を支持する、正しい戦争があることを認めずに絶対平和主義を掲げることは、不作為によって不正義に加担することになる」といった趣旨の発言は印象的だった。今回は前回に引き続き、とても興味深く受講した。でも、やっぱり俺は出来る限り「人道的介入」の概念は使わない方がいいと思う。例えばコソボ紛争などは「平和のための結集決議」などを用いて地域秩序の回復を目的としてもよかったのではないだろうか。コソボについては以前ゼミで発表した。発表内容などについては6月8日9日20日の記事参照。

5限、2ヶ月ぶりのゼミ(途中、ゲストスピーカーの回はあったけど)。今日からは論文の中間発表(?)、ある程度まとまった文章を書いて持ってくることが義務付けられている。今日は「アメリカの1988年通商法」「ドイツ統一」「ブッシュ・シニア政権の外交」をテーマにした発表。先生のコメントはまさに目から鱗。学部生の卒業論文に求められるものは玄人受けするものである必要はない、という当たり前の事を再確認させられた。論文には以下の4種類がある。

?面白く、証拠もある
?面白いが、証拠はない
?つまらないが、証拠はある
?つまらないし、証拠もない

そして先生の評価の順番は?→?。これは俺にとってはなかなか重い。戦後の日本外交の議論を「面白く」するのは難しい。例えばアジアへの進出に後付けで意味を見出すようなことが考えられるが、それが日本外交の実体を捉えているかということには疑問符が付く。?の議論をすることは比較的容易だが、これを?や?にしていくことは難しい。冷戦終結期の日本外交をどのように論じればよいのだろうか。なかなか大変な課題。俺の中間発表は来週、どうなることやら。まずは、現在の問題意識から過去を分析する、大きな歴史の流れの中に分析対象を位置づける、といった歴史分析の基礎に立ち戻って考えることにしよう。

at 23:43|PermalinkComments(0) ゼミ&大学院授業 

2005年11月29日

!。

一昨日のエントリーに対するコメントで後輩から「老婆心」という言葉を頂きました…!。ま、元から後輩とは思ってないんだけど、ちょっと面白い。さすが2年の時に合同ゼミ相手の4年に説教しただけのことはある(笑)。

「老婆心」云々のところについてはそんなに心配ないからご安心を(個人的メッセージ)。このブログには書いてないけど、自分とは異なる意見(色々な意味で)には誰よりも目を通しているし、常に自分を相対的に見ることが出来るように心がけているから。『国際関係論とジェンダー』とかね。反面教師の○○さんの本もちゃんと何冊も読んだし。最近の目標は、「可能な限り人に分かる言葉で話すこと」、つまり専門家にしか通用しない言葉を出来る限り使わないということ。

ちなみに読書をする際に最近心がけているのは、自分の専門分野(日本外交&国際政治)に関して「5分10分で要旨を理解すればいい本と、じっくり読む本を選別出来るようになること」だ。これは入江昭の本を読んで以来のこと。最近ようやくこのこつが分かってきた。もっとも、これは人によって違う基準なんだろうし、誰かに教えるつもりもないんだけどね。読まなければならない本は大学院に入れば莫大な量になるわけで、そこにづお対処するか、これは何とかなりそうだ。

軌道修正。ちゃんとコメントしないといけないのは、

分科会の報告を振り返ると、主に中国にたいするステイタスクオを「願望」するアカデミズム、スペシャリストによって、日本外交に対する政策に問題が生じている。それを踏まえた上で、戦略的政策を考察しなければならないのではないか。
 
 こういった内容だったと思うが、では「あの報告」の背景にはアメリカのステイタスクオを願望する背景が潜んでいるのではないか?と自身は考えています。すべての前提において日米関係は「現状」であることを仮定しているのではないか?もし、中国を「変数」として捉えるならば、なぜアメリカは「変数」として捉えないのか?捉えているならば、報告に含めて欲しかった。ぜひその点に関して聞いてみたいところであります。


という部分について。一応、話に補助線を付けておかないといけないと思うので簡単に週末の議論を紹介する。分科会テーマは「東アジア安全保障共同体を目指して」ということで議論が行われた。で2泊3日の議論後、俺と友人の意見を95%反映した報告を限られた10分という時間の中でやったわけです。というわけで、もちろんそれに合わせた分量の報告になった。

具体的な流れはちゃんとしたレポートを友人と共著で書こうと考えているので省略するが、議論の前提となる国際政治認識は…

?東アジアで安全保障問題を考える際に最も重要なのは米中関係であり、中国と米国が根本的に単独行動主義の国である、という点で将来的な対立の可能性があるということを常に意識しなければならない。
?現在の秩序は米国主導で成り立っている。一方、中国は(この秩序に挑戦する可能性を持ちつつも)米国主導の現行秩序の中で行動している。
?以上のような戦略環境にある東アジアにおいて、「同床異夢の戦略的共存」が成立している今は、協調的安全保障推進する戦略的好機にある。

と、どこかで聞いたことがある議論、というか俺の大学院での指導教授の議論にかなり乗っかっている。でも、ゼロから2人で考えた結果としてこの結論になったというのは重要。ようやく「ミドルパワー外交」論の入り口に立つことが出来た、といったところかな。

再び軌道修正。そこで引用したコメント「『あの報告』の背景にはアメリカのステイタスクオを願望する背景が潜んでいるのではないか」についての俺の意見は↓

米中関係そのものを考える上での、理論的問題関心という意味ではその通りだと思う。でも、現在の国際秩序は我々が考えている以上にアメリカ主導でつくられたのも事実であり、またそれは現在も持続している。この持続は中長期的なもの(中国の「現状維持政策」とは時間的な長さが全く異なる)。「あの報告」が現在を起点にした戦略について考えていることを考えれば、アメリカのステイタスクオを前提とすることは当然のこと。

ということ。ついでに1つ付け加えると、報告の重点はこの現状認識の先にあるわけで、そちらこそ個人的には重要だと思ってるんだよね。あと、アメリカ主導の国際秩序が失われる、ということはそうそう無いと言い切れる。もちろん「アメリカ主導の国際秩序」の定義によるわけだけど。アメリカを考える際に重要なのは、アメリカ主導の国際秩序の崩壊よりも、それにさえ反対することのあるネオコンが政策を動かしたケースの見極めなんじゃないかな。とはいえネオコンの過大評価も禁物。ブッシュ政権の政策形成過程をウッドワードの『ブッシュの戦争』『攻撃計画』や春原剛『米朝対立』あたりを参考に考えてみても、それなりに「合理的」な思考をしているんじゃないだろうか。

以上の話は具体的にどういった報告をしたのかが分からないとほとんど意味が分からないかもしれない。卒論&授業の発表に目途が付いたら、ここでの話も含めてレポートの形にまとめます。

◇◇◇

今日の地域研究論特殊研究?では、比較政治学と地域研究の関係、認識としての2元論と3元論の問題、西洋で生まれたデモクラシーを尺度に途上国を見ることの問題、などなど非常に興味深いテーマが議論になった。これは時間が出来てからちゃんとしたコメントをします。

at 22:22|PermalinkComments(2) アウトプット(?) 

2005年11月28日

歴史歴史歴史。

昨夜は早々に寝たのに気が付いたら朝10時…寝過ぎ。というわけで色々と荷物や資料なんかを整理しているうちに大学へ行かねばならない時間に。

3限、一番楽しみにしている授業である現代ロシア論特殊研究?。今日は「ノモンハン事件」。今回も予想以上に興味深い議論がいくつも提起された。従来日本でノモンハン事件が論じられる際には、シベリア出兵などと同様に「日本軍の失敗」として論じられる場合が多かった(もちろん個々の研究を見れば例外はあるのだけど)。基本的には今回の報告もそのような基調であった。しかし、このような見方から何が分かるのだろうか、と先生は言う。ノモンハン事件を考えるためには、まず1939年に日本とソ連という2つの帝国主義国家が満州とモンゴルの国境で戦争をした、という事実を見据える必要があるのだ。この2つの国家はその後どのような歴史を辿ったのか。

1939年9月  独ソ不可侵条約締結の影響もあり日本がノモンハンから撤退
1941年4月  日ソ中立条約締結
1941年6月  独ソ戦開始
1941年12月 日米戦開始
1945年8月  日ソ戦開始

大まかに見ればこんな感じ。1939年と41年と45年、この3つの年に日本とソ連は交錯する。この交錯は2つの国を見るだけでは理解できない。アメリカ、中国、ドイツ、イギリス、といった国々が当時どのような行動をしていたのかも見る必要がある。

と、ここまでが大まかなイントロ。これは基本的な前提としてより細かい話しが授業では色々と行われた。厳しすぎる授業、でもかなり面白い。

以上のような議論を踏まえれば、やはりこのノモンハン事件は1939年の様々な国際的な事件を抑えた国際関係史の中に位置付けなければならないだろう。と、思い立って12月の最後の授業で「1939年の国際関係史」をやることになりました。あくまで東アジアの分析をやるつもりだけど、ヨーロッパで進んだ裏番組も当然考える必要がある。去年の三田祭論文(要旨はここ参照)で天津事変を扱ったので、それも利用しながらやることにしよう。

この授業ではほんとに歴史を学ぶ上で必要な「筋肉」が鍛えられる。知識量はほぼ問われない。常に「今」の問題意識から「過去」を見ることが問われる。実はここで鍛えた「筋肉」は理論を学ぶ時にも使えるんだろうな~。国際政治を勉強している学生に一番お勧めの授業は間違いなくこれだな~。

その後、三田祭期間は休みだった外国語学校に。2週間ぶり&何もその間やっていない、ということで心配だったのだが…逆にリーディングは結構定着しているということを確認出来た。でも、会話はつらいな~。このままだとリーディングをやる月曜のみ優等生ということになってしまいそうです。

at 23:09|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2005年11月27日

帰還しました。

2泊3日の「インカレ国際セミナー」より帰宅。とにかく色々と疲れました。

ま、取り留めもない感想を、

・ある他大学の友人と頭を文字通りフル回転させて、「日本が東アジアにおいてどのような戦略を採るべきか」ということについて議論出来たことが最高の収穫。2人の連名で共同論文を書けるんじゃないだろうか。何はともあれ同学年にああいう友人が持てたことがうれしい。

・俺が参加した分科会の先生は、2人とも先生自身の意見とは関係なくバランスのいいコメントをしてくれたので、とても有意義でした。

・教育者としても学者としても反面教師が何人か…。

・ディスカッションイベントを有意義に行うのはとても難しいと思った。その点で「国際学生シンポジウム」はすごいんだな~。

多分、こういった形のディスカッションイベントに出るのも今回が最後になるんだろう。この3年半でそれほど多くのイベントに出たわけではないけど、全体としてはレベルの差はあれ、自分にとってためになったように思う。インプットだけでなくディスカッションという形でアウトプットすることは重要だ。これはこの3年半の経験からもそう思う。

◇◇◇

全く別の話。最近「授業で使った本 書評」といった形で検索をかけてこのブログにアクセスしてくる人がかなり増えている。あんまり授業の内容書いたりすると、レポートでそのままぱくられるんじゃないかと、ガクガクブルブル、なわけですが…。それは冗談としても、ネットに載っている情報でレポート書いても何の意味がない。ネット上の情報は99%は「使えない」。色々なものを参考にしながらも、自分の頭で必死に考えてようやく授業に出る意味があるんだと俺は思う。参考にするんなら、せめてマガジンプラスで書評を探したりした方がいいんじゃないだろうか。

これもまた別の話。有斐閣アルマから出ている『戦後日本外交史』の新版が出るらしいです。参考HP。俺の指導教授も書いているので聞いてみれば新版で何が変わったのか分かるんだろうけど…おそらく、読書案内が更新されたり、最新の研究成果を取り込んだり、というところなんだろう。国際政治を学ぶ日本人が、自国の外交史(せめて第二次大戦後だけでも)についてしっかり話せないようではいけないだろう、と日頃から強く思っている俺としては、是非この新版が広く読まれることを望みたい。

at 23:54|PermalinkComments(4) 日々の戯れ言 

2005年11月25日

東京脱出します。

今日の夕方から、2泊3日のインカレ国際セミナー「東アジア共通の家2005」に行ってきます。若干、怪しげな名前ですが、大学教授がコーディネーターをしてゼミ形式で行うセミナーらしいのでちょっと期待してます。

at 11:45|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2005年11月24日

休日、ちょっと仕事。

怠惰な一日。ちょっと朝寝坊、くるりのニューアルバムを流し、だらだら本を読んだり体を動かしたりしているうちに家庭教師の時間に。終了後はまた同じ。今回のアルバムはかなりいいです♪ ハイロウズショックから少しだけ回復。

朝、だらだらしながら読み終えた↓。これは卒論からの逃亡のつもりだったんだけど、それなりに参考になったな~。

高坂正堯『現代史の中で考える』(新潮選書)
本書には、大英帝国衰亡史に関する講演、天安門事件やソ連解体など同時代に起こった様々な出来事に関する講演、そして「日本」に対する考察などが収められている。同時代に関する講演は新潮社の社内勉強会でのものであり、筆者の没後でなければこうして刊行されることはなかったのかもしれない。またイギリス史に深い造詣を持っていることは広く知られていた筆者の大英帝国論もこういった形で刊行されなければ読まれることは少なかったかもしれない。その意味で、五百旗頭真が本書に「奇跡の書」と推薦文を付けているのも納得がいく。もちろん15年前の同時代分析であり今になってみれば、天安門事件後の中国のように予想が外れている点もいくつかある。しかし、筆者がどのように考えてそういった結論を出したのかというプロセスには深い含蓄がある。また、共産主義を「楽観主義と合理主義の極致」と評したり、東京裁判について「忘れること」というあたりは、非常に納得させられる。

戦後五十年にあたって、われわれは東京裁判を完全に忘れるべきである。それも日本だけが悪かったとする東京裁判史観だけでなく、東京裁判が間違っていたという批判も共に忘れられなくてはならない。大体、悪い議論に反発してもよいものは生まれない。

この主張はとても深い。が、この講演から10年経った今の日本はむしろ筆者の考えとは逆に行っているような気がしてならない。ここで取り上げたのは本書のごく一部である。本書には随所にこのように考えさせられる「言葉」が溢れている。

at 22:46|PermalinkComments(0) 本の話 

2005年11月23日

久々に飲み過ぎてしまいました。

三田祭最終日。昨日と同じく、大学到着後は真っ直ぐ「CAFE DE COMINTERN」に。今日は店のコンセプトが、中国茶、青島ビール、岩井俊二に変わっていた。この、ゆるい雰囲気が最高だ。店員の1人は4日目ということで肝臓が悲鳴を上げているらしい。自業自得。

今日はわりと色々回った。サークルにも顔を出しちょっと話す。そういえば今年の論文集を貰っていない気がする。ちゃんと読んでコメントしたいと思うんだけど、後輩から話が来ない。名目上は代表でも、4年になるとサークルでは隠居生活、若干寂しい。ま、潰れかけてたサークルがちゃんと続いているだけでうれしいものだ。

3年生の発表を見にゼミのブースへも行った。もっとも、うちのゼミの3年生は今年は展示をしていないので、知り合いがいるゼミを幾つか回っただけ。1年半くらい前にあるディスカッションイベントで一緒になったらしい後輩にも遭遇。あぁ俺は色々な所で悪名を振りまいてきたんだな~、とちょっと反省。結局、どこのゼミの論文集も買わなかったな~。知り合いの後輩の個人論文は読みたいんだけど…。

その後は、友人&後輩の4人で「CAFE DE COMINTERN」に。青島で乾杯、店員とも乾杯。楽しくなってきたところで、高校の友人のバンド「METAL GOD」のLIVEを見に行く。いや~メタルをやっている人たちのテクニックは半端じゃない。で、松永幹雄の聞く。「騎手が来ます!」には結局4年連続で行ったことになる。最後は、当然青島ビール。

これで三田祭は終わり、ではなく、友人2人と酒を飲みに行く。初めから青島ビールで酔っぱらっていたということもあるが、鍛高譚2本を空けてしまい、かなり酔っぱらう。何人かの後輩を相次いで召喚、気付けば10時半に。4時間もあの店にいたことになる。う~ん、駄目4年2人で大分迷惑をかけたような気がする。反省。

at 23:14|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2005年11月22日

いざ、三田祭へ。

3日目にして三田祭に初参戦。

といっても友人達がいるゼミの喫茶「CAFE DE COMINTERN」で昼間から青島ビールを飲んでいただけのような気がする。バイト後に大学へ向かい、到着後は真っ直ぐに「CAFE DE COMINTERN」に、途中南校舎のサークルのブースに顔を出したり、友人のライブを見に西校舎へ行ったりしたが、その1時間くらいを除いて全て青島ビール。いや~、飲んだ飲んだ。でも、あの店は店員が客より飲んでいる。

三田祭、足を踏み入れた瞬間に感じる違和感。この気持ち、一歩離れた立場からお祭を眺める感じるんだろうか。そんなわけで、友人の店の居心地の良さもあって、飲み続けたわけだ。中国茶、青島ビール、そしてキューブリック、という店のコンセプトはすごい。

卒論は…進まず。

at 23:07|PermalinkComments(0) 日々の戯れ言 

2005年11月21日

「脳=筋肉」→活性化。

脱線、といっても事故に巻き込まれたとかいうことではない。卒論ロードからちょっと脱線した一日。ある友人が、脳みそも筋肉だから鍛えれば強くなるし鍛えないと駄目になる、といったようなことをブログに書いていたが今日はそれを実感。頭の色々な部分を使ったからか、脳が活性化した気がする。何かに偏った鍛え方ももちろん必要なんだろうけど、学部生にとっては広く色々な「筋肉」を鍛えることが大切なんだろう。

卒論関係の本も読むことは読んだが、今日は先週発売された『アステイオン』、同じく先週送られてきた『国際問題』などを読み込み、さらに総合誌&映画雑誌&音楽雑誌&ロッテ優勝特集の『Number』などを読んだ。活字に偏っていることは間違いないが、「入院」する以上それは仕方ないだろう。その後は家庭教師。夜寝る前には「虎の尾を踏む男たち」をまた観る。勧進帳がどういった話かをちゃんと理解してると、面白さが全然違うんだろう。日本の古典芸能もはまれば面白そうだ。ま、その前に黒沢映画をとにかく観ることにしよう。

こんな感じで、色々とした一日。何となくやる気が上がった気がします。

今日読んだ『アステイオン』は、サントリー文化財団が関わっている総合誌の1つ。今は半年の1回の発行なのだが、統一テーマについて、様々な角度から豪華な執筆陣が論じている。先週のある授業で先生が薦めていたが全面的に同意。今回の「米中関係」、前回の「憲法改正」共にとても興味深い論考が数多く掲載されていた。今回は指導教授が「「名誉」の政治史」という書評論文を書いていた。前期の西洋外交史特殊研究?で読んだ『女王陛下のブルーリボン』について10頁にわたって論じている。通貨の歴史や国際機関の財政などについて研究をしつつ、「名誉」の政治における役割などに注目している学者は他にいるのだろうか。この書評論文はお薦めです。

日露戦争関係の本の書評が朝日新聞に載っていた、時間が出来たら読んでみようと思う。

たまには卒論関係の書評も↓

北岡伸一『日米関係のリアリズム』(中央公論社)
筆者は、現在国連次席大使としてニューヨークに赴任中の北岡伸一。本書は、筆者が1990年4月~1991年10月の約1年半の間に発表した論考を集めた論文集だ。まえがきで「これらの文章の背景にあるのは、冷戦の終焉である」(?頁)と述べているように、冷戦の終焉という状況で日本は何をすべきかが本書の主題である。収められている論考はいずれも「歴史を振り返りながら現在を考える」という方法論で書かれており、現代を考えると同時に過去をも考えている点が本書の面白さであろう。筆者の主張は、本書のまえがきに端的に記されており、また本文でより詳細に展開されているのでここでは詳しく紹介しないが、一言で表すとすれば、非軍事主義を排したリアリズム、と形容出来よう。そしてその具体的な方法として「日米提携の選択」を説いている。興味深いのは、このような主張をしている本書の論敵が「左の絶対平和主義」に置かれている点だ。このような筆者の主張を現在(2005年)の日本におけば、「左の絶対平和主義」が弱くなっているためその論敵は「右のナショナリズム」になるのではないだろうか。本書は、米ソ対立は解消したように見えるが(ソ連崩壊が起こる前であり)その後どうなるかが不透明であった「冷戦終結期」の論考を集めたものである。このような環境において「日米提携の選択」が説かれた意味は大きいといえるだろう。

at 23:05|PermalinkComments(0) 本の話 

2005年11月20日

ちょっと休息。

今日から三田祭、がちょっと用事もあったの今日は行かず。

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三田祭行くかわりに、前から気になっていた「TAKESHIS'」を観てきました。前評判どおり、というか監督自身の言うとおり、見終えた後は「あれ?」といった感じになった。ぐるぐる話が回るというか、妄想と現実の境がいまいちよく分からない。でも、こういう映画嫌いじゃないです。

そんな感じで一休みしつつも、卒論資料の読み込みで一日終了。これから、卒論をどうやって形にしようかが当面の問題だ。

全く話は変わるが、昨日東京競馬場で行われた東京スポーツ杯2歳Sをクロフネ産駒のフサイチリシャールが勝利。参考記事。高校の時に好きだった馬の産駒が早くも重賞初勝利とは…月日が経つのは早いもので。

at 23:58|PermalinkComments(0) 映画の話