2005年05月

2005年05月21日

じぇねれーしょんぎゃっぷ。

異常なアクセス数はやっぱりサーバーがおかしいらしい。大丈夫かドリコム。やっぱりいきなり天下一武闘会からフリーザっていうのはないよね。スーパーサイヤ人にでもならなきゃ無理だよ。

昨日の記事への反応が意外とあってびっくり。みんな真面目だってことかなw

ネットでのものも含めて「情報」については時間が出来次第記事をアップするつもり、乞うご期待。

今日はサークルで、提携している早稲田の某サークルとの合同読書会があった。テーマは「朝鮮戦争」。色々と個人的に反省点があったんだけど、まぁそれは置いておいて今日感じたのはジェネレーションギャップ。早慶とも1年生が多かったんだけど、う~ん。彼らや彼女らは昭和天皇崩御の時の記憶がないらしい、ショック。あと数年すると平成生まれが大学に入ってくることを考えるとぞっとする。多分ブルーハーツの話は出来ない。

ま、くだらないことはそんなとこで…真の問題は、そんな後輩達との接し方。俺は常々自分の語る言葉が相手にとっても理解できるようにすべく努めてきた。つまり、難しいことを難しく話すことはまぁそんな大変じゃないし、簡単なことを難しく話すのは簡単、でも難しい話を簡単に話すのはとても難しい。この最後に出来る限り近づこうと日々努力してきたつもり。でも、これがかなり難しい。三田で3、4年生相手に授業で話すならこれは出来ると思う。でも新入生が相手となると…今日は少なくともうまく出来なかった。これって大変な問題だな~。これが続いたら、これから院生になると、院生同士でしか話が出来なくなってしまう。まずいまずい。

あとはサークルの違いについて。俺たちは当然のようにサークルの勉強会で歴史を扱っているんだけど、早稲田側は違ったらしい。今回はいい刺激を与えることが出来たみたいでうれしい。でも、これってよく考えたら普通に勉強している人も大半は歴史はやっていない、ってことなんだよね。う~ん、現代のことを考えるならば歴史見ないと分からないと俺は思うんだけどなぁ。ま、この辺はバランスの問題なんだろう。歴史歴史言っている人間はもっと現在進行形の問題にも目を配るべきだし理論を学ぶべき、逆に現在進行形の問題や理論ばかり論じている人間はもっと歴史を学ぶべきなんだろう。

なんてことを思いました。読書会の後は当然飲み会。ここではなんか若さを貰いました。やっぱり1年生ってパワーが溢れている。でも、多分俺もパワーは負けてないと思う。パワーに関しては、最近少しだけ隠せるようになってきたかなぁ。

何はともあれサークルに20人以上の新入生が来てくれたことがうれしい。viva!国際政経研究会。

at 23:50|PermalinkComments(1)日々の戯れ言 

2005年05月20日

将来的には会員制!?

アクセス数増加というか、これはまたドリコムがいかれちゃった気がする。だってドラゴンボールで言うと戦闘力が天下一武闘会からナメック星くらいまで上がっちゃってるからね。しかも、累計アクセス数までも計算がおかしくなってるし…引っ越ししますか?

そんなことはさておき、昨日の飲み会&今日の授業でえらく考えさせられることがあったのでちょっと書きたいと思う。それは学問における「生産」と「消費」の問題で、昨日の飲み会で先生に言われたのは、

「○○君は、学部生として相当勉強してるけど、まだ100%「消費」をしていて「生産」を全くしていない」

ということ。で、今日の国際政治理論特殊研究で先生は、

「大学院生なんかは、誰か自分が納得させられた学者がいると、その人の言うことばかりを繰り返したりする」

と言っていた。少し解説すると、学問における「消費」とは平たく言えば先行研究を利用したり読んだりすること、「生産」とは自分の研究を売る側にいくこと、である。つまり「生産」側にいくということは、現在いる一流の学者(俺の研究分野なら五百旗頭先生とかね)が自分の書いたものから何かを学ぶようになるということである。国際政治理論の先生が言っていたほうの含意は、人の研究の受け売りばっかじゃだめだ!ってこと。

ふむふむ。俺にとっては両発言をもちっとも痛くはない。学部4年の現段階で「生産」が出来るほど自惚れていないし、自分の力のなさも痛感している。天才じゃない限り「生産」に行く前にはやっぱり大量の「消費」が必要だとも思うし。この「生産」と「消費」の関係は、「大学院生~」の話と深く繋がっている。結局、自分がいつまでも消費者の立場から抜け出せないからこそ、先生が批判するような大学院生が大量にいるんだろう。実はこれって大学院生だけじゃない。サークルの1、2年生なんかと国際政治の勉強をしていると分からないなりに、自分の言葉で必死に語ろうとする。でもそれが3、4年生になると自分の言葉ではなく「人(=他の学者)の言葉」で語る人が増えてくる。これは勉強をしている、というかしていると思っている人間に特に多い。「これが通説です」「あ~、それは○○が言っていますね」「この人の立場は結局○○です」などなど。本当に学問をしているならば、誰かが言っているといったWHOではなく何故かというWHYこそ重要なはずである。これが自覚できれば、右や左といった分類など全く意味がなくなる。そもそも自分の立ち位置を先に規定してしまうことこそ、学問にとっての敵だと俺は思っている。それは右や左だろうと、誰か学者が言っていることだろうと、である。

な~んでことを考えました。誰が読むんだこの文章。

そうそう、それと関連してあとひとつ。それはこのblogについて。結局ここに書いてある戯れ言を、俺のこと知らない人間が読んでも何の意味もない。だって俺は何も生産してないから。本当に勉強したいなら、いい本をたくさん読むべきなんだろう。そうそうネット上の情報って本当に使えない。価値ある情報はやっぱり金を出して買うものなんだと思う(本にしろ、学費にしろ)。俺のことを知っている人間が読めば、「ぷぷぷ、こいつこんなこと考えてるんだ」とか「へ~あの授業をこう見てるんだ」みたいな使い方が出来るんだろうし、いいコミュニケーション場所になる。てことはこのblogの将来は知り合い限定の会員制か!?

at 23:34|PermalinkComments(3)日々の戯れ言 

2005年05月19日

???

なんでだろ~、アクセス数が今日急激に増加。どっかでアドレスでも晒されたのかな~怖い。ま、いいや。

今日は特殊研究の飲み会があった。具体的な内容はネット上で公開するのがもったいないので公開しないけど(笑)、ものすごく今後の自分がどう勉強を進めていくのか考えさせられた。自分の現時点での能力、今後もっとつけなければいけない能力…この辺がおぼろげながら分かったような気がする。

ゼミの卒論共通テーマが「冷戦終結」、そしてサブゼミのテーマも「冷戦終結」、ということもあって最近冷戦終結について考えることが多い。サブゼミは今のところ毎週1本論文を読んできて議論をする。ジョージ・ケナン、田中孝彦、藤原帰一、赤木完爾など。昨日は藤原帰一「冷戦の終わりかた」を扱った。サブゼミでも議論になったのだが、冷戦の終わり方に大きな影響を与えたものとして湾岸戦争を取り上げることの是非、や論文の前半部分と後半部分の内容の乖離などなど、批判出来る点もいくつかある。でも俺はこの論文に対する評価はかなり高い。なぜなら、この論文は冷戦の終結を「点」ではなく「線」で捉えているから。「点」として冷戦の終結を描くことは簡単である。ある冷戦の定義を立てて、その定義に当てはまらなくなれば冷戦終了。でも「点」としての冷戦終結はいくつもある。キューバ危機後、デタント、ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊、などなど。でも冷戦というものが、一つの国際秩序だったと考える時、その秩序の「点」としての終わりがすぐに次の秩序の構築を指すわけではない。国際秩序の変動には5年~10年くらいかかるのが普通である。つまりある国際秩序の終焉として冷戦を見るとき、それは「点」ではなく「線」で見るべきなのだ。これが藤原論文では行われている。そして「線」が「面」となれば、研究としては一流になるわけだ。

なんてことを考えました。ん~、これが出来るようになるのはいつのことなんだろうか。


at 23:50|PermalinkComments(4)日々の戯れ言 

2005年05月18日

変わらぬ日常。

最近、実感するのは俺の変わらぬ日常。というか変わらないから日常なのか??

友人達が様々な悩みを抱え苦悩しているときも、留学準備に走り回っているときも、就職活動をしているときも、俺は常に読書(あとたまに映画やスポーツ見たり音楽聞いたり)。俺の生活に変化があるときは、論文を書いているときくらいだろうか。あ~、でもこれもちょっと忙しくなるくらいで「道」が変わった訳じゃないな。

座右の銘は、かなり前から「継続は力なり」と「寛容と忍耐」。後者は池田内閣の標語ですが(爆)

あまりに変わらない、というか1つのことが長続きするのは俺の強みでもあるし弱みなんだろう。基本的に人より悩みが少ない。だから人の悩みに真摯に向き合うのがちょっと苦手だし、悩んでいる人に対してうまく接することも苦手。こんな俺が哲学をするのがありかなしか、ということは置いておこう。俺の周りには、生きてそして考えるというプロセスそのもので哲学をしている友人が何人かいる。たま~~に、あー彼らから見て俺ってどうなんだろ、と思うこともあるけど、まあここまでうまくやってきたんだろうし、まいっか、とまた普段どおりに戻る。これの繰り返し。

友人が
価値観の相異の克服は可能か?(ま、永遠のテーマ)
今のところの考え=無理。ただ異なる価値観の根底にあるものを考え抜いてから無理といいたい。でも結局無理。少なくとも今の俺には。そんでもって無意識に価値観の押し付けをする人にどう対処するかが最近の課題。

てなことをblogに書いていた(無断引用)。耳が痛い。でも、政治を学ぶってことはこういった価値観の相克をどうするのか、ってことでもある。

まずは周りの人間とうまくやっていこうと思います。

なんてことを発作的に考えた水曜の朝。今から大学へ。また変わらぬ日常の始まり。

at 09:22|PermalinkComments(0)エッセイ風 

2005年05月17日

本の感想、映画の感想…etc.

ようやく先週借りたDVDを観る時間が出来た。

昨日観たのはサリー・ポッター監督の”オルランド”。原作はヴァージニア・ウルフの『オーランドー』(ちくま文庫)。ん~、長編小説をわずか94分に収めるのはきついのかな、という印象。俺は原作を結構読み込んでいたから話は分かったけど、何も知らずに映画だけ見てもよく意味が分からないんじゃないかな。

ちなみに今、BSでやっているロバート・デ・ニーロ主演の「アナライズ・ミー」を観ている。これは2、3年前に公開した時に観た。相変わらずふざけた映画。デ・ニーロだけに「ゴッド・ファーザー」のシーンをパロディに使ってたり、ほんとふざけてる。でも何というか、ふざけながらバカやりながらもアメリカの本質に迫っているような気がしなくもない。

この後は「第三の男」を観ようと思う。今週は映画三昧。

ようやく添谷先生の本を読み終えた。あくまで限定的なものだが、簡単に書評。

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添谷芳秀『日本の「ミドルパワー」外交』(ちくま新書)

本書は戦後日本外交・東アジアの国際関係を考える上で必読文献となるだろう。一文一文から筆者の苦悩が伝わってくる。本書の大きな意義は、戦後日本外交について1つの問題意識に基づいて書かれたほぼ唯一の通史的研究であることだろう。学問的には通史ではなく通史的研究というのもポイント。入江昭『新・日本の外交』(中公新書)なども通史的研究ではあるが、冷戦終結直後に執筆されたということもあり、かなり楽観的な未来予測かつ議論の軸が曖昧である。この点で本書は際立っている。今後、戦後日本外交を考える際には必ず参照される文献の1つになることは間違いないであろう。

本書には大きく3つの分析視角がある。1点目は、言うまでもなく大国としての一国主義を放棄してという意味での「ミドルパワー」。2点目は、冷戦状況の発生前に作られた「日本国憲法」と冷戦状況の発生後に締結された「日米安保条約」、この2つを前提としたことによる吉田路線の「ねじれ」。3点目は、伝統的大国と平和国家という戦後日本の「二重アイデンティティー」である。以上3つを軸に本書は戦後日本外交を概観していく。「ミドルパワー」「吉田路線のねじれ」「二重アイデンティティー」「逆噴射改憲論」など、論争的なネーミングも本書の(というよりは筆者の)特徴であり、本書をより面白くしている。分析視角がしっかりと定まっていることから、本書の記述は安定的であると共に、他の研究とは異なる見解を提示している。福田ドクトリンや中曽根外交への評価の高さは本書の読みどころであるが、その「文脈」は従来の研究とは異なっている。かつて高坂正堯はそれまであまり評価されてこなかった吉田茂を評価した。そして本書で筆者は中曾根康弘を同様に評価している。その是非はともかく、今後中曾根外交を考える上で本書が出発点になることは間違いない。

本書でもっとも論争的な点は、やはり「ミドルパワー」だろう。この用語が誤解を生みやすい点は筆者も自覚しており、「まえがき」「あとがき」でも詳しく「言い訳」がされている。その言い訳はなかなか納得させられるものがあるので是非読んで欲しい。俺自身が「ミドルパワー」論についてどう考えているのか明らかにする段階ではないと考えるので、ここではこれ以上議論はしない。ただ一つだけ言うとすれば、筆者のいう「ミドルパワー」外交を実践するとすれば、日本の国際社会での役割は現在より数段重いものになることは、間違いない。この点は、筆者が五百旗頭真のコメントとして「あとがき」で明らかにしているとおりである。一つだけ不満をあげるとすれば、それは冷戦後に関する記述である。ポスト冷戦期はまだ「歴史」になっていないので仕方が無い面もあるが、冷戦期と比べて若干分析に「鮮やかさ」が感じられない。俺は、現在の東アジアを見る上では冷戦終結よりも米中接近をより重視すべきだと考えている。筆者が、ポスト冷戦期の特徴として挙げている点も、やはり原点は米中接近にあり、それは冷戦終結で大きく変わったとは言えないのではないか。ま、どう考えるかは人それぞれなんでとにかく読んで感想を聞かせて欲しい。

at 21:31|PermalinkComments(0)本の話 | 映画の話

2005年05月16日

原状復帰。

脳みそ筋肉痛&合宿+バイトでたまった疲労も、昨日寝て今日昼からカラオケ行ったら、あっさり回復。原状復帰しました。う~む、むしろ昼から歌ったりして緩みすぎたかも。

昨日久々にバイトして思ったんだけど、サービス業をバイトでやるのはいいことだね。場所柄か可愛いお客さんも多いし、やっぱり俺に欠けてる部分を直すことが出来る。まぁ接客しつつサンドイッチを作るだけだけど、仕事だと素直に謝るし何より腰が低くなる。普段から親に、感謝の気持ちと謙虚な姿勢が足りないと言われ続けてる俺には、これ以上いい事はない。ちなみに、もう今のバイトは3年半。何かと長続きする性格らしい。

添谷さんの『日本の「ミドルパワー」外交』は熟読している。普段の3倍以上時間をかけている。多分、しっかりと書評を書いたりはしないと思うけど、じっくり読まないとまずい。何せ大学院でも(少なくとも1年は)お世話になる先生だし、日本外交という専門分野も同じだ。でも早いとこ読み終えて国際政治から少し離れたい。

なんてことを思っていたんだけど、今の俺の生活では国際政治学から逃げることはなかなか難しい。月曜日はサークル、火曜もたまにサークル、水曜はサブゼミ&ゼミ、木曜は特殊研究3つ、金曜は特殊研究1つ…嗚呼。

ちなみに今日のサークルはナイ『国際紛争[原書第5版]』の第6章をやった。介入、主権、地域紛争などがテーマ。なぜか、国際法の役割の話からアメリカの外交政策やヨーロッパ統合の話に。国際法とはそもそも国際政治においてどのような役割を果たしているんだろうか。俺の中で押さえておきたい2つのことは、①国際政治の90%以上の事案は国際法によって解決される、②国際法はその他の国際秩序の形成要素(勢力均衡、外交、戦争、大国など)のあくまで1つでありその他の要素と相互連関している、ということ。もっとも②はほぼヘドリー・ブルの主張と同じだけど。実感として国際政治学を学んでいる人間でこの2つをちゃんと押さえている人間は少ない。いろいろと書きたいことは多いんだけど、あんまり考えすぎるとまた「脳みそ筋肉痛」になるからやめておこう。

一日遅れたが、祝!ジュビロ3連勝☆

at 20:41|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2005年05月15日

週末。

昨日から今日にかけてゼミの新歓合宿。別に勉強をするわけではなく、親睦合宿。結局、一日遊び喋り続け、夜は飲み続け、ニコチンを過剰摂取し、夜の日本橋を歩き回り、睡眠時間は3時間。で、帰宅後15時から23時半までバイト。脳みそ筋肉痛は完全に治ったけど、ほんとに疲労困憊。体が重い、そして眠い。なかなか面白い後輩達です、期待大。添谷先生の新著を読みつつ寝よう。

at 23:55|PermalinkComments(0)日々の戯れ言 

2005年05月13日

脳みそ筋肉痛。

昨日はなんと帰宅後断続的に14時間寝ました。まさに泥のように寝た、といった感じ。色々夢を見たような気がするがきれいさっぱり忘れた。この2週間くらい自分の能力の限界を超えて、色々なものを読み漁り考えた気がする。よく「脳みその筋肉で本を読む」と言うけど、今回はおかげさまで「脳みそ筋肉痛」ですよ。もしこれで俺がサイヤ人なら「超回復」するから、すごい強くなってるはずなんだけど…はい、妄想です。

3限、国際政治理論特殊研究

ヘドリー・ブル『国際社会論 アナーキカル・ソサイエティ』が課題本。本の要約&発表を3人で担当。どうもこの手の発表は得意になれない。ましてやこの本を3人で30分で発表するのはほぼ不可能。俺の担当は第三部だったんだけど、ここはこの本では一番重要でない気がする、選択を失敗した。ま、この前blogにも書いたとおり、この本はほんと面白い本。ちょっと疲れ気味なので内容紹介は割愛。この授業は先生のコメントが面白い。知り合いの後輩が第一部を担当して発表したけど、とてもいい発表だった。すごくよく読めていたと思うし、読んでいない人が聞いてもよく内容がわかったと思う。俺もそういう発表をしなければならないんだろうな、と頑張ろうと思った。

その後は後輩3人と共に、法科大学院棟で昼飯。それにしてもこの4月以降後輩と過ごす時間が長い。意識が高い後輩と話すと、刺激になっていいんだけど、やっぱり周りが後輩だらけというのは人格形成に深刻な影響を与えるんじゃないか、とふと思う。年下に囲まれ続けて大学生活を続けている友人の気持ちが少し分かった気がする。

その後は戦後日本政治史の授業。この疲労困憊した中、そして履修もしていない授業に真面目に出てる俺ってやっぱ変態だ、と思った。この授業は純粋な歴史の授業。授業で扱ってる90%は知っている話だけど、授業ではこうやって話すのか、とか、あ~あそこは飛ばしたな~、とかちょっとひねくれた楽しみ方をしている。でも5月中旬にもなってまだ1947年、2年間しか進んでいない。相当細かい授業しているは確か。

帰りにツタヤが旧作レンタル半額だったので、DVD&CDを少し借りた。先日のゼミ飲みで話題になったキェシロフスキの映画やオーソン・ウェルズ、ヴァージニア・ウルフの「オーランドー」の映画版、サンボマスターの新作、シュガーベイブ、東京事変など。映画はとにかく早く見たいが、今はとにかく疲れたのでゆっくり休みたい。でも明日はゼミの新歓合宿。そして明後日は合宿から帰宅後15時から約8時間バイト。いつ見りゃいいんだ。今度は脳みそではなく肉体が疲れそう。

帰宅後、久々に日本のプロ野球をテレビで見た。西武VS.巨人。西口9回2死までノーヒット!…そしてそこでジャイアンツ清水にホームランを打たれる。西口はとても好きな選手の一人。いいピッチングをして、そして最後の最後にホームラン。西口らしい、いい試合。そう言えば西口もいいスライダーを投げる。俺はなぜかいいスライダーを投げるピッチャーが好きらしい。

てわけで、怒涛の2日間は終了。普通は3ヶ月に4回くらいの発表を、奇跡的な巡り合わせによって2日間でやることになってしまったわけだが、脳みそは深刻な筋肉痛。生まれて以来かもしれない肩こりも深刻、予想以上のダメージ。やっぱ「超回復」しねーかなー、なんて妄想しながら風呂につかる。特にやることがなくぼ~っと風呂に入っているとき、こんな習慣が自然と存在する日本に生まれてよかったと実感する。

at 23:06|PermalinkComments(0)アウトプット(?) 

2005年05月12日

発表発表発表。

俺のGWを台無しにしてくれたのが、今日の発表。その成果がどうかといえば、それは発表を聞いてくれた人に聞くしかないわけだけど…まぁ、とりあえず一日を振り返りたいと思います。

・1限、国際政治経済論特殊研究

この授業は”Foreign Policy”から記事をいくつか扱う。今週はChina Rising特集、俺の担当は”WHY CHINA GROWING SO SLOWLY?”と”A GRAND CHESSBOARD”の2本。1本目は投資家向け情報といったところだろうか。中国の経済成長が特段驚異的なわけでもなく様々な成長阻害要因(約65兆円の不良債権とか!)もあるが、中国の成長はまだ中途段階である。というのが大きな流れで、先生によれば「現在の中国の経済情勢についてのオーソドックスな見方」とのこと。2本目は中国の「平和台頭論」について。今回読んでの印象は、雑誌は難しい、ということ。学術論文と違い、”Foreign Policy”のような雑誌は不特定多数の読者を想定している。どんなメッセージがその記事に隠されているのか読み取ることは学術論文以上に難しい。これは日本語でもそうなんだけどね。とりあえず今、友人の言葉を借りれば「英語の過剰摂取」で少し頭が痛いです。

2限、西洋外交史特殊研究

ピーター・クラーク『イギリス現代史』第4章~第6章。時代は1922年~1945年。俺は討論者ということで、内容を踏まえた上でディスカッション・ポイントを示すという役所。色々と考えたのだが、外交史の授業で現代史全体を包括している本書(外交史・政治史・社会史・経済史・文化史などが幅広く扱われている)を扱う意味を考えて、イギリス外交における国内要因を考えることにした。議論をしやすくするために「宥和政策」をそのテーマにした。大まかな流れは「宥和政策はとかく批判されがちであるが、その背景には国力が低下し全敵対勢力と相対することが出来ない、という当時のイギリスの状況や、戦争を回避したいというイギリス国民の雰囲気があった、ということを考慮すべきではないか」ということ。ちなみに俺はこの分野は去年の三田祭でかなり調べたんだけど、宥和政策には批判的、これは稿を改めて検討したい。というわけで、これは議論が結構盛り上がるんじゃないか、と期待したんだけど、あまり盛り上がらず。う~ん、テーマ設定があまりよくなかったのだろうか。でも戦間期のイギリス外交で宥和政策以上に議論が白熱するテーマはないだろう。まだ受講者が様子見をしているのだろうか。昨年後半から感じていたのだけど、この授業、実は先生がすごくコメントを工夫している。学生の発言に対して、その発言から抜け落ちている要素をうまく突いて、そこが次の議論のポイントになるように誘導している。かといって先生が全てを言ってしまうわけではない。先生はあくまで1つ要素を付け加えるだけでわざと議論に「穴」を作っている。この辺を何人かの学生が気付くようになると授業全体も活性化するのだろう。

4限、東アジアの国際関係特殊研究

この授業は何か1冊の本を輪読するのではなく、各自の研究発表を行う。俺のテーマは「ポスト米中接近の東アジア国際関係」。といっても具体的な事件やアクターを扱ったわけではなく、今回は具体的な研究に入る前の問題意識の整理のために、米中接近が東アジアの国際関係に与えた影響を冷戦終結などと比較しながら論じた。論争的なのは「現在の東アジアの国際関係の潮流を考えると、その原点は冷戦終結ではなく、米中接近にある」というもの。これは何も冷戦終結が重要でないと言っているわけではない。米中接近が東アジアの国際関係に与えた影響がいかに大きかったか、ということを主張したかった。米中接近の影響を考えるということ自体は、この地域を研究する上ではオーソドックスなことだろうし、しかも分析対象を絞っていないなど消化不足は明らかなんだけど、今回の発表は俺なりに結構苦心した。これは分かる人には伝わったと思う。先生は俺のこういった問題意識を大筋で理解してくれたように感じる。俺は東アジアに限定して考えたこのテーマを、より広く世界全体に広げても使えるかもしれないとコメントしてくれた。後期は日本外交史の特殊研究でお世話になるが、とても楽しみだ。というわけで、この発表は俺としては結構満足した。ん~、でもやっぱりもっとうまくプレゼン出来たろうし、もっとみんなにうまく自分の考えていることを伝えなくてはならないんだろう。俺の後は、サークルでも仲良くしている友人が発表した。テーマは「朝鮮半島から見た米中接近」。これ以上詳しくは著作権の問題もあるので紹介できません(笑)。彼の場合は問題意識がはっきりしている分、いいリサーチが出来る予感がする。ただ俺とは逆に分析対象が絞れている分、問題意識の相対化が必要なんだろう。この授業、予想以上に面白い。歴史的な発表が前半に固まってしまっているのが残念。

以上で発表終了。熱っぽかったので、初めて外国語学校の授業を休んで、帰宅。ほんとに疲れました。

at 20:01|PermalinkComments(0)アウトプット(?) 

2005年05月11日

ゼミ~。

水曜日は一日中ゼミ関係。

2限はゼミの先生の授業「国際政治経済論」。去年は政治哲学?を取っていたから今年出ている。今週からは「国際政治経済の歴史」がテーマ、今日は第一次大戦以前までしか行かなかったのであくまで「序説」だが、とても興味深く聴くことが出来た。「市場」というものは人類史上において当たり前のシステムではないこと、大航海時代の世界史的な意味、などなど知的に刺激される。あくまで西欧中心な「市場」の歴史において、日本というのはどのような意味を持っていたのだろうか、大いに考えさせられた。

3限は、サブゼミ。今日は田中孝彦「冷戦構造の形成とパワーポリティクス 西ヨーロッパvsアメリカ」という論文を扱う。このサブゼミの大テーマは「冷戦終結」。最初の数回は冷戦終結のいくつかの代表的な見方をやるということで、ケナン、藤原帰一、赤木完爾らの論文を扱う。内容に踏み込んだコメントをするつもりは無いんだけど…冷戦というものは定義も多様だし、学術的に(というよりも論理的に)考えることが非常に難しい。それはどの論文を読むにあたっても同じ。そもそも「冷戦」とは何か? そして自分の研究対象を見るときに「冷戦」という枠組みで見ることにどのように意味があるのか? これは常に問い直していかなければならないんだろう。余談ですが、田中孝彦と藤原帰一の論文は東大の社会科学研究所編集の『20世紀システム』というシリーズの中にある。この両者の論文だけではなく、幅広いテーマでそれぞれに「20世紀」に迫った論考が数多く掲載されている。図書館なんかで目次を見ているだけでも面白い。

5限は、ゼミ。アフガン最終回。「パキスタンから見たタリバン」というのが今回のテーマ。全く知らない内容が盛りだくさんだったのでとても興味深かった。中央アジアというのか、アジア・カフカースとでもいうのか、あの地域は非常に難しい。北にはロシア、少し東には中国、そして南ではハブとマングース、否パキスタンとインドが睨み合ってる。しかも10年位前からは宗教原理主義勢力のタリバンがアフガンに浸透。んでもって2001年からはアメリカが登場。大変な地域。そんな地域にも人間は当然住んでるし、国連の平和構築ミッションは現在も進行中、我が日本もDDRなどに関わってます。前にこのblogにも書いたように、この地域を考えると「国際社会における正統性」といったことの不確かさが明らかになる。ん~難しい、何より大変。でも、アフガンでもイラン近くの復興は比較的うまくいっているという情報もあるらしい。あまりに悲観的になってもいけないし楽観的になってもいけない。そしてこの地域を考える時には、宗教も大変重要。インド=パキスタン紛争はイスラム教国家と政治的世俗国家との宗教対立でもある。これってどうなんだろう。多分、欧米のようにキリスト教という宗教が社会の根底にある国家が、イスラム教(しかも原理主義的な)と対するのは難しいんだろうし、日本のように政治は極めて世俗的な国家(ちなみに社会はちっとも世俗的じゃないと俺は思ってる)が、宗教的な地域を考えることも難しいんだろう。あ~、ますます頭が痛くなる。ゼミの後半には、果たして9.11テロが起こらなかったらアフガンはどうなっていたのか、という歴史のifが途中から話題にも。

ゼミ終了後は先生&ゼミ員10人くらいで飲みに。あんなに上機嫌な先生を見たのは初めて。同じこと何回も言ってたり(笑)、何か変なことも言ってたけど、映画の話やゼミの話や色々と面白かった。オーソン・ウェルズの”第三の男”やポーランド映画、ソ連映画などが話題になった。”第三の男”は何度見ても面白い映画。今週末あたり観てみよう。

明日の1限の発表(これもゼミの先生の授業)の準備がまだ終わっていないので、泊まりに来たゼミ友人(オランダより一時帰国)と一緒にやる。ふ~なんか一日疲れました。

at 23:00|PermalinkComments(0)ゼミ&大学院授業