2010年12月10日

ここ3週間の授業(11月第4週~12月第2週)

11月下旬からいくつか〆切があったり奨学金の面接があったりと色々バタバタしており、とうとう3週間分まとめて授業記録を書くという小学生が書く夏休みの日記状態になってしまいました。あまり時間も無いので、簡単に記録だけ付けておくことにします。

◇◇◇

まずは先々週(11月第4週)の授業について。この週は三田祭の関係で水曜日まで授業が無かったので、木曜日しか授業がありませんでした。

<木曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

今回はGCOEのシンポジウムで来日されていたお二人の先生によるゲスト講義。

お一人はカナダからいらしたMargaret Moore先生で、「領域(territory)」について、もう一人はスウェーデンからいらしたLudvig Beckman先生で、"Is Residence Special? Democracy in the Age of Migration and Human Mobility"と題したグローバル化時代における民主主義のあり方について、それぞれ30分程度の講演でした。

日本にいながらこうやって海外からいらした先生の話を聞くことが出来るのは貴重な機会だとは思うのですが……国際政治を研究している自分にとって、グローバル正義論やグローバル・デモクラシー論のような政治理論家の議論は、率直に言って政治理論家のための政治理論にしか聞こえてきません。

確かにEUはその在り方をどのように考えるべきか難しい点もありますが、なぜ国際社会が依然として主権国家を中心に形成されているのかといった、国際政治学が前提とするような「そもそも」の話がすっぽり抜け落ちているからです。

あるべき姿を探る意味での政治理論に徹するのであればいいのですが、安易にグローバル化といった「変化」が現実に起こっていると過度に強調するので、余計に自分に合わないのかもしれません。

◇◇◇

続いて先週(11月第5週/12月第1週)の授業について。水曜日の院ゼミは師匠が出張のため休講、プロジェクト科目はゲストの先生の都合で土曜日にありました。

<月曜日>

3限:地域研究・比較政治論特殊演習

この回は私が報告担当でした。

日米関係をテーマにしたある本の一章としてまとめることを念頭に、国際政治学会で報告したペーパーをベースに「中東紛争と石油をめぐる日米関係――第一次石油危機の再検討」と題して報告をしました。

これまで「日本外交」の視点から研究を進めてきましたが、今回は共著企画に合わせて、9月の資料収集で見た米国の資料を使いつつ「日米関係」から報告を作った点が自分としては新しい点です。ポイントは、先行研究批判の観点から議論を作るのではなく、第一次石油危機と第四次中東戦争が日米両国に突き付けた課題を素直に検討してみようということで、政治・経済・安全保障の各面をバランス良く取り上げることを心がけました。また、日本と同じように石油危機に苦しんだEC諸国の対応や、石油危機の冷戦史における意味にも触れることによって、「中東紛争と石油危機をめぐる日米関係」を多少なりともグローバルな文脈に置いて考えることも意識した点です。

先行研究のイメージとはかなり異なる日米関係像を描いたのですが、この点についてはほとんど批判も無かったので、大体の流れはこれでいけるんじゃないかという手応えです。

先生や受講者からのコメントでは、日米関係や石油&中東紛争と最初にテーマを設定することによって見えなくなってしまうことがあるのではないか、ということが特に印象に残りました。もちろん、研究の焦点は定めなければいけないわけですが、なぜこのテーマを取り上げる意味があるのか、このテーマを研究することで何が見えるのか、ということはもう少し意識的に書いていく必要があるのかもしれません。

<土曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

この3月まで慶應にいらして4月に就職されたばかりの先輩がゲスト講師でした。テーマは、「対テロ戦争と正戦論――自衛概念の再検討を中心に」です。詳しくは、今週の授業の記録で書きます。

◇◇◇

そしてようやく、今週(12月第2週)の授業です。

<月曜日>

3限:地域研究・比較政治論特殊演習

さて、再び(というか4度目の)修士課程の学生による修士論文の中間報告でした。

サミット開始前後の米欧関係の話で、自分の研究にも関係するので、色々と勉強になりました。研究途中の話なので、ここにはテーマだけということで。

授業でも議論になったことを一般化して言うと、研究テーマをどのような文脈に位置付けるのかを意識するか、ということでしょうか。実は、私が修士論文を書く時にはこれをものすごく意識したのですが、どうもこの問題意識はあまり多くの院生には共有されていないのかもしれません。

一次資料を使う歴史研究の場合、修士論文で扱える時期やテーマはかなり狭くなってしまいます。だからこそ、自分の研究がどのような文脈に位置付けられるかを明確に意識して、書いていく必要があると思いますし、少なくとも論文にまとめる段階では、この点を押さえる必要があるのだと思います。

しかし、70年代の国際政治史を研究する院生が多いこと多いこと……。

<水曜日>

2限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)

3週間ぶりの院ゼミ。

修士2年の後輩による修士論文中間報告でした。これまた修論の話なので、詳細は省略。

キーワードを挙げれば「世界遺産」です。専修コースで入っている後輩ですが、テーマとしても報告としても実に面白かったです。まだまだ詰めないといけない点や、意義付けについて課題はあったと思いますが、とても面白かったので、こういう話もいずれ調べてみたいなと思いました。

と思って、行政ファイル管理簿で外務省の文書について検索をかけてみると、ばっちり関係しそうなファイルがありました。研究どうこうではなく関心があるので、余裕が出来たら開示請求をかけてみようかと思います。

<木曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

前回の報告(「対テロ戦争と正戦論――自衛概念の再検討を中心に」)を受けての討論を担当しました。

「自衛」が一つのキーワードとして出ていたということ、さらにもう一人の討論者が政治理論の専門ということで、今回は国際法について色々と復習&勉強しつつ討論をまとめてみました。

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もっとも、これは半分くらいは後付けで、実際には山本草二『国際法(新版)』(有斐閣、1996年)と、森肇志『自衛権の基層――国連憲章に至る歴史的展 開』(東京大学出版会、2009年)の二冊がとても刺激的で面白かったから、ちょっと国際法について自分なりに考えてみようと思ったからという事情もあり ます。

討論では、国際法の意義や自衛権の類型について色々と書いたのですが、正戦論との関係で自分が主張したかったことは、「自衛権など国際法の領域で深く議論されていることを入れてしまうと、正戦論が本来持つ規範理論としての力を失ってしまうのではないか」ということです。

国際法については、ずっと少しずつ勉強をしているのですが、もう少し本格的に勉強してみたいと思いました。


black_ships at 19:16│Comments(0)ゼミ&大学院授業 | 日々の戯れ言

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