2010年11月20日

先週&今週の授業(11月第2週&11月第3週)

今日から三田祭ということで、大学はとても楽しい雰囲気に包まれています。それでも変わらず大学院棟にこもる生活を続け…と思っているのですが、ついつい昼間から酒でも飲んでゆるりという誘惑に駆られてしまいます。悪友や卒業したゼミの後輩が三田に来たらいいような悪いような、そんな気分、と考えている時点でキャンパス内の浮かれ気分が伝染っているのでしょう。

そんな感じで、あまり目の前の課題に集中出来ていないので、ブログを更新することにしました。

◇◇◇

まずは先週(11月第2週)について。

<月曜日>

3限:地域研究・比較政治論特殊演習

「冷戦史」の授業のはずが、「冷戦」に絡まない修士論文構想報告が3週目に入りました(笑)

報告は、戦間期のイギリス外交のお話で、いつものことながら勉強させて貰いました。自分の専門(戦後日本外交史)から離れて水準の高い議論を日々聞くことが出来るのは、いまの我が大学のとても恵まれているところです。

それはそれで悪くないものの、これだけ続くと、せっかく「冷戦史」と銘打った授業を履修するのだから、自分の目の前の課題から少しでも離れて、「冷戦」と いう重要な問題に自分ならばどう取り組むのかという問題意識を持ってもいいのではないかなという気持ちが段々と強くなってきました。

と思いながらも、自分の報告予定の話は少なくとも正面から「冷戦」を取り上げるわけではないので、あまり大きなことは言えないですね。多少なりとも授業の趣旨を踏まえて、議論を膨らませていきたいと思います。

<水曜日>

2限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)

院生の研究報告予定が無いということで、一ヶ月ぶりにスキデルスキー『ケインズ』を読みました。

skidelsky

前回は、ケインズの生涯と哲学的背景がテーマの章を読みましたが、今回の範囲は「第3章 貨幣改革論者」&「第4章 『一般理論』」ということで、議論の中身はものすごく経済学的な話でした。

『貨幣改革論』(1923年)から『チャーチル氏の経済的帰結』(1925年)、『貨幣論』(1930年)を経て、『雇用、利子および貨幣の一般理論』(1936年)に至る経済学的な思索が、時代背景や議論の展開と共に跡付けられているので、この二つの章はとても勉強になります。ただ、論旨もすっきりしているので話の中身そのものを理解することはそれほど大変では無いと思うものの、これはどのように政治学の観点から議論出来るかというイメージが湧かず、発表者は大変だろうなと思いながら授業に臨みました。

議論好きかつ分からない箇所は分からないと言う面々が集まっているので、授業はとても盛り上がりましたが、やはりこの辺りの話は政治学的な議論にはならないのだなと再確認しました。今回取り上げた章で描かれる経済学的な知見を基にして、ケインズがいかに政策提言を行っていくのか、交渉に臨んだのかといったことが次の機会に取り上げるであろう章のテーマなので、今回はそれに向けた基礎知識の確認といった位置付けでいいのかもしれません。

<木曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

今回は、M2の修士論文中間報告×2でした。何か今期は「中間報告」ばかり聞いている気がします。

自分がM2だった頃を振り返ると、そんなに偉そうなことは言えないわけですが、やはり論文として仕上げるために必要な「作法」を踏まえているかどうかは、報告を聞くとすぐに伝わってきてしまいます。それを意識して研究を進めてきたかどうかが、修論の中間報告がうまくいくかどうかの分かれ目なのかもしれません。

この授業も、ひとまずこの回でM2の報告は終わりになるようです。

◇◇◇

続いて今週(11月第3週)の授業について。今週は、院ゼミが先生の出張の為に休講になり、さらに木曜日から三田祭に向けて大学全体が休みになってしまったので、月曜しか授業がありませんでした。ちなみに、院ゼミは先生の出張が重なり、次回は12月8日です。

<月曜日>

3限:地域研究・比較政治論特殊演習

5回目にしてようやく本来のテーマ(冷戦の検討―今何が、問題になりうるのか)にふさわしい授業でした。

報告は「ソ連の冷戦敗北は必然だったのか:ソ連による改革の試みの評価」と題したもので、いわゆる「新しい冷戦史(New Cold War history)」の研究成果を咀嚼した学術的なエッセイといった趣きで、とても面白かったです。報告者は、戦間期初期のイギリス外交が専門なのですが、幅の広さと練られた問題意識にとても刺激を受けました。

取り上げられた主な本は、Archie Brown, The Rise and Fall of Communism, (London: Bodley Head, 2009); Melvyn P. Leffler, For the Soul of Mankind: The United States, the Soviet Union, and the Cold War, (New York: Hill and Wang, 2007); William Taubman, Khrushchev: The Man and His Era, (New York: W. W. Norton, 2003); Odd Arne Westad, The Global Cold War: Third World Interventions and the Making of Our Times, (Cambridge: Cambridge University Press, 2005); Vladislav M. Zubok, A Failed Empire: The Soviet Union in the Cold War from Stalin to Gorvachev, (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 2007); 塩川伸明『冷戦終結20年――何が、どのようにして終わったのか』(勁草書房、2010年)で、自分も半分くらいは読んでいるものの、まだまだ「新しい冷戦史」を読み足りないと再確認しました。

これらの文献をうまく噛み砕いて紹介している日本語文献は無いので、もう少し幅を広げて書評論文を投稿してみたらいいのになあ…とこれは無責任なつぶやきです。

授業は議論もとても盛り上がりました。特に印象的だった点は、上記の文献を使ったことのある種の必然として浮かび上がる欧米中心的な見方に関する議論と、ゴルバチョフをどのように考えるかという議論です。「アーチー・ブラウンは世界最大のゴルバチョフ主義者」だとしても、それを超えて何を導くのかは実に難しい問題で、この問題に改革開放後の中国評価や、レーニンとスターリンの違いなどの議論が結びつくのだから面白くないわけがありません。

自分の研究に引き付けて、「戦後日本」という要因をどのように冷戦史の中に組み込めるかなあ、などと考えながら授業を終えましたが、各々がそれぞれの専門をある程度でも超えて試論的でも良いので「冷戦史」について考えられる時間が続くことを切に望みます。

…と書いたものの、次回の報告担当の自分がそれをでどこまで出来るかははなはだ心許ないです。


black_ships at 14:36│Comments(0)ゼミ&大学院授業 | 日々の戯れ言

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