2010年07月28日

課題が一つ終了!/日本外交史研究者向け情報(1)

前々回のエントリーで、この夏は大きな課題が6個あると書きましたが、ようやく一つ(課題その2)終わりました。順調に行けば、夏の間に報告書形式でオーラル・ヒストリー刊行まで行くのではないでしょうか。

もう一つ、この夏最初の課題である2本目の論文を投稿(課題その1)が、今日のやるべきことです。先輩にコメントを頂く関係で作業をストップしていたとはいえ、予定よりも少し時間がかかってしまいました。



そんな慌ただしい夏なのに(いや慌ただしいからこそか)、時流に乗ってtwitterを始めてしまいました。



従来、戦後日本外交史を研究しようすると必ず言われたことは、「資料が無い、資料が少ない」ということです。しかし、この後の数年でこの言い訳は出来なくなるのではないでしょうか。

この数年の間に日本の外交文書を巡る状況は大きく変わりました。民主党の政権交代によるいわゆる「密約」関連の調査や関連文書の公開ばかりが注目されがちですが、福田康夫政権下における公文書管理規則の検討も見逃すことが出来ません。

もちろん、2001年の情報公開法施行が大きな転機になったことは間違いありませんが、実際研究を見る限りでは、この法律をうまく使いこなせている研究は決して多くは無いというのが率直な感想です。うまく使っている研究は、従来と同じようにまずは外交史料館で「戦後外交記録公開」で開示された資料をチェックし、さらに諸外国資料を使っています。こうした資料群をしっかり使った上で、補足的に情報公開法を使えば、実はかなりの数の眠っている資料を引き出すことが出来ます。ポイントは、情報公開法を利用した研究の多くは、あくまで情報公開法で引き出した資料はメインではなく、追加的に用いていたということです。

なぜなら、戦後外交記録公開の原則はあくまで「非公開」で、例外として一部の資料が「公開」されていたからで、まだまだ外務省に眠っている資料があったからです。つまり、資料の大枠を「戦後外交記録公開」で出された文書で掴み、さらに諸外国資料を通して文脈を補強した上で、眠っている資料を引き出しているのが、これまでの「いい研究」の多くです。

これに対して、資料公開の実態をおさえずにただ情報公開法で引き出した資料で書いた研究は、断片的に資料を見ているに過ぎず、歴史研究としてはあまりに少ない資料しか見られていないわけです。もちろん、資料など無くても良質的な研究をすることは可能ですが、それならば「歴史研究」は必ずしも適した方法論ではなく、別のやり方があるというものです。

といったところが、2008年くらいまでの状況ですが、これがこの数年で大きく変わりつつあります。おそらく重要な転機となったのは、福田政権下で進んだ、公文書管理規則の検討だと思います。この検討後に、日本の外交史料はものすごい勢いで開示が進んでいる。

それまでの公開方法との大きな違いは、「原則非公開、例外公開」から「原則公開、例外非公開」へと変わったことです。ファイルごとの公開という限界はありますが、原則が変わったことの意義はとても大きい。なぜなら、それによって研究者が資料の全体を把握出来るようになるからです。ただし、資料の全体像を把握するには多少の経験とこつが必要です。この「こつ」を説明する前に現在の戦後外交記録の公開方法の全体像を概観しておく必要があると思います。

と、ここまで書いたところで疲れてしまったので、戦後外交に関する文書公開の全体像の概観は次回更新の課題にします。

※ちなみに、以上と矛盾するようですが、私の研究で使っているメインの資料は情報公開法で取得したものです。この点では上記の「いい研究」の条件を満たしていないわけですが、言い訳をすれば、第一に、「戦後外交記録公開」で公開される時代よりも後の時代を取り扱っていること、第二に、徹底して情報公開請求をかけており、資料の全貌は ほぼ掴んでいること、第三に、論文には使っていないものの諸外国資料もそれなりに読み込んでいる、ということは強調しておきたいところです。この辺りは、 情報公開請求のこつにも関わってくるところなので、これもまた次回の更新時に書きます。

black_ships at 13:46│Comments(0)日々の戯れ言 | アウトプット(?)

コメントする

名前
URL
 
  絵文字