2010年07月18日
♪キラキラ!が聴きたい気分/本の話
昨日のエントリーで書いたように、この夏は課題に追われています。そんな現実から逃避したくなりつつも、それが出来ない時にはやはり好きな音楽を聴いて面白い本を読むに限ります。
何となく(…というか理由はよく分かっているのですが)、この数日は↓をはじめとした曽我部恵一をとても聴きたい気分です。
30代後半でこんな歌を書けるおっさんになりたいもんです。
◇
さて、日曜日に大学院棟にこもって粛々と課題をこなしているわけですが、どうも手許にある本が気になって集中が続きません。そんなわけで、課題7割・息抜き3割という緩い感じで今日は作業をしています。
その息抜きが↓
アメリカにおけるアジア研究の碩学の一人であるロバート・A・スカラピーノの自伝『アジアの激動を見つめて』(岩波書店、2010年)です。自伝・回顧録好きの自分としては外せない一冊であり、生協に並んでいるのを見て即購入しました。
若いころを除けば、通常の回想録のような編年体ではなく、バークレーに着任して以降はテーマごとの章立てになっていることが特徴で、著者が関わった各地域に関する自伝的回顧を踏まえたエッセイといった趣があります。
各章の題名にある国・地域は、ベトナム、日本、中国、朝鮮半島、北東アジアの周辺諸国、インドシナ三国、東南アジア、南アジアです。ここに著者の包括的な「アジア」への関心が現れています。どの章も読みごたえ十分ですが、今まで読んだ中ではやはりベトナム戦争に関する章が面白いです。
我々が後知恵でベトナムを論じるのとは異なり、アメリカを代表するアジア専門家としてベトナム戦争にいかなる態度を取るかはとても難しいことだったと思います。その中で著者が取った立場は、明確なベトナム戦争支持でした。それは、著者が南ベトナムを訪れた際の経験に基づくものです。ベトナムの多様性を指摘した上で著者は次のように書いています。
このような国で、開かれた政治体制のもとで政治的安定をはかることは、非常に難しいように思われた。しかし、ベトナムの人々と一週間ほど話をしてみて、私は違いこそあれ、南ベトナム人の大多数は共産主義政権を望んでいないのだ、という確信をもつにいたった。彼らの中には、すでに共産主義の弾圧ぶりを体験している者もいたのである。このように、私のベトナムに関する基本的な考え方は、さまざまな人々、主に一般民衆との交流によって形成されていったのだった。(71-72頁)
ジョージ・R・パッカード『ライシャワーの昭和史』(講談社、2009年)を読んだ時も同じような感想を持ったのですが、やはり歴史に取り組む以上は、後世の視点からだけでなく、当時の視点を踏まえることを忘れてはいけないのだと思います。もちろん、どちらかだけではいけないわけで、「過去」を無理に正当化する必要は無いわけですが、当時、どのような選択肢や考えの幅があって、その中でどういった判断が行われたのかを、歴史家は慎重に検討していく必要があります。
そんなことを考えつつ、続きを読むことにします。
◇
昨日のエントリーに書き忘れましたが、竹森俊平『中央銀行は闘う――資本主義を救えるか』(日本経済新聞出版社、2010年)も面白かったです。
前著『資本主義は嫌いですか――それでもマネーは世界を動かす』(日本経済新聞出版社、2008年)よりも、より議論全体が洗練された印象で、なかでもこの経済危機後の注目すべき変化として中央銀行の役割の変化を述べている点と、ハロルド・ジェームズを引きつつ大恐慌との比較を試みている点をとても興味深く読みました。
この本を読んで、現・日銀総裁の白川方明氏が日銀総裁に就任するとは夢にも思わっていないであろう時に書いた『現代の金融政策――理論と実際』(日本経済新聞出版社、2008年)を読み返したくなりました。ざっと目次を見返してみても、『中央銀行は闘う』でキー・コンセプトとして挙げらているイールド・カーブの話などが丁寧に論じられている節があるなど、議論を逐一対照しながら読むと面白いかもしれません。
が、残念ながら時間が取れずそこは断念。金融は自分の研究にも関係してくるとはいえ、現代の話は複雑過ぎて追いきれません。
◇
この他に、最近出たor出る本で気になるのは↓
この2冊は、刊行次第手に入れて読みたいと思います。
と、日本語の本ばかりチェックしているのですが、論文を書くためにももう少し洋書や英語の論文をしっかりとリストアップしていく必要がありそうです。
ここまで書いていて、現実逃避をしている場合ではないと気が付きました(汗)。もうしばらく日曜の大学で頑張ります。
何となく(…というか理由はよく分かっているのですが)、この数日は↓をはじめとした曽我部恵一をとても聴きたい気分です。
30代後半でこんな歌を書けるおっさんになりたいもんです。
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さて、日曜日に大学院棟にこもって粛々と課題をこなしているわけですが、どうも手許にある本が気になって集中が続きません。そんなわけで、課題7割・息抜き3割という緩い感じで今日は作業をしています。
その息抜きが↓
アメリカにおけるアジア研究の碩学の一人であるロバート・A・スカラピーノの自伝『アジアの激動を見つめて』(岩波書店、2010年)です。自伝・回顧録好きの自分としては外せない一冊であり、生協に並んでいるのを見て即購入しました。
若いころを除けば、通常の回想録のような編年体ではなく、バークレーに着任して以降はテーマごとの章立てになっていることが特徴で、著者が関わった各地域に関する自伝的回顧を踏まえたエッセイといった趣があります。
各章の題名にある国・地域は、ベトナム、日本、中国、朝鮮半島、北東アジアの周辺諸国、インドシナ三国、東南アジア、南アジアです。ここに著者の包括的な「アジア」への関心が現れています。どの章も読みごたえ十分ですが、今まで読んだ中ではやはりベトナム戦争に関する章が面白いです。
我々が後知恵でベトナムを論じるのとは異なり、アメリカを代表するアジア専門家としてベトナム戦争にいかなる態度を取るかはとても難しいことだったと思います。その中で著者が取った立場は、明確なベトナム戦争支持でした。それは、著者が南ベトナムを訪れた際の経験に基づくものです。ベトナムの多様性を指摘した上で著者は次のように書いています。
このような国で、開かれた政治体制のもとで政治的安定をはかることは、非常に難しいように思われた。しかし、ベトナムの人々と一週間ほど話をしてみて、私は違いこそあれ、南ベトナム人の大多数は共産主義政権を望んでいないのだ、という確信をもつにいたった。彼らの中には、すでに共産主義の弾圧ぶりを体験している者もいたのである。このように、私のベトナムに関する基本的な考え方は、さまざまな人々、主に一般民衆との交流によって形成されていったのだった。(71-72頁)
ジョージ・R・パッカード『ライシャワーの昭和史』(講談社、2009年)を読んだ時も同じような感想を持ったのですが、やはり歴史に取り組む以上は、後世の視点からだけでなく、当時の視点を踏まえることを忘れてはいけないのだと思います。もちろん、どちらかだけではいけないわけで、「過去」を無理に正当化する必要は無いわけですが、当時、どのような選択肢や考えの幅があって、その中でどういった判断が行われたのかを、歴史家は慎重に検討していく必要があります。
そんなことを考えつつ、続きを読むことにします。
◇
昨日のエントリーに書き忘れましたが、竹森俊平『中央銀行は闘う――資本主義を救えるか』(日本経済新聞出版社、2010年)も面白かったです。
前著『資本主義は嫌いですか――それでもマネーは世界を動かす』(日本経済新聞出版社、2008年)よりも、より議論全体が洗練された印象で、なかでもこの経済危機後の注目すべき変化として中央銀行の役割の変化を述べている点と、ハロルド・ジェームズを引きつつ大恐慌との比較を試みている点をとても興味深く読みました。
この本を読んで、現・日銀総裁の白川方明氏が日銀総裁に就任するとは夢にも思わっていないであろう時に書いた『現代の金融政策――理論と実際』(日本経済新聞出版社、2008年)を読み返したくなりました。ざっと目次を見返してみても、『中央銀行は闘う』でキー・コンセプトとして挙げらているイールド・カーブの話などが丁寧に論じられている節があるなど、議論を逐一対照しながら読むと面白いかもしれません。
が、残念ながら時間が取れずそこは断念。金融は自分の研究にも関係してくるとはいえ、現代の話は複雑過ぎて追いきれません。
◇
この他に、最近出たor出る本で気になるのは↓
この2冊は、刊行次第手に入れて読みたいと思います。
と、日本語の本ばかりチェックしているのですが、論文を書くためにももう少し洋書や英語の論文をしっかりとリストアップしていく必要がありそうです。
ここまで書いていて、現実逃避をしている場合ではないと気が付きました(汗)。もうしばらく日曜の大学で頑張ります。