2010年07月16日

前期終了

一昨日で、前期の授業が全て終わりました。

博士課程も二年目に入ると、生活に占める授業の比重はかなり下がり、それ以外の仕事のようなものに割く時間がかなり増えてきました。とはいえ、授業から吸収出来ることはとても多いので、後期も前期同様に授業の時間を大事にしていこうと思います。

夏季休暇中にやらなければいけないことが今年は尋常では無いくらいたくさんあるので、毎日を大切に過ごしていく必要がありそうです。



授業の話ばかり書いていても面白くないので、そろそろ最近読んだ面白い本の話を書きたくなってきました。といっても、今日やらなければならないことが溜まっているので、予告として、取り上げておきたい本を挙げておきます↓(順不同:例によって画像に版元HPをリンクしてあります)。

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3週間分も授業が溜まってしまったので、授業ごとに簡単にまとめておきます。

<水曜日>


2限:国際政治論特殊研究

Welch2

テキストは、David A. Welch, Justice and the Genesis of War, (Cambridge: Cambridge University Press, 1993)のChapter 7: Justice and Injustice in a Global ContextとConclusionを、6月第5週(=7月第1週)と7月第3週の二回に分けてやりました。

二回かけてじっくり議論したので、かなり本に対する理解が深まりました。大まかに言えば、まずケース・スタディのまとめがなされ、その上で英国学派の「国際社会」理解を下敷きにして、そこでjusticeはどのように働くのかが論じられ、その上で、ロールズ、ベイツ、ウォルツァーの議論の検討、というのがテキストの流れです。

著者の議論は例のごとく非常に穏健な線でまとめられているものの、本書の中身の部分の議論が「戦争の原因におけるjustice motiveの役割」を論じているのに対して、最終章でいきなり「国際秩序の形成・維持における正義の役割」を議論するのには、やや飛躍がある印象を持ちました。

授業では色々な議論が出ましたが、著者の「適切なレジームの発展を通じて、国際正義の概念のパッチワークを構築し、それを拡大・修正・維持することが重要である」という主張に関する議論が面白かったです。そもそも、最終章で突然レジーム概念が出てくることへの違和感、合意されればそれは正統なのかという根源的な疑問、レジーム形成における大国・小国関係、強制と合意に線引きは可能なのかという疑問、などが主な議論で、これらはいずれも国際政治学における重要な課題です。

議論も弾み、知的にも色々な刺激を受けた面白い授業でした。

本書全体に関する書評は余裕があれば書くことにします。

ちなみに、間に挟まれた7月第2週は、NATO事務局長補(政務・安全保障政策担当)であるDirk Brengelmann大使の講演会への出席が授業になりました。演題は”NATO: An Alliance for the 21st Century”ということで、それなりに興味深いものでしたが、冷戦期のNATOや現在の東アジアの国際情勢に関心があるものとして、本当にいまNATOが必要なのか疑問を覚えてしまいました。平和維持・平和構築活動や、サイバー・セキュリティ、エネルギー安全保障といった課題がいまNATOにはあると言われても、どうもピンと来ない気がします。この辺りの話も、30年くらい経てば自分の関心に入ってくるのでしょうか。質疑応答が1時間近くあり、NATOの存在意義やフランスが軍事機構に復帰したことの意味(やりにくいのではという意地悪な質問)等々、面白い質問が相次いだので、このやり取りはとても有意義でした。

<木曜日>

2限:政治思想論特殊研究

Heywood

テキストは、Andrew Heywood, Political Theory: An Introduction, 3rd Edition, (Palgrave Macmillan, 2004), Chapter 5: Power, Authority and LegitimacyのPower(pp.122-129)。実は先週、Authorityの部分が範囲だったのですが、所用があり出席出来ませんでした。

テキストは、基本的にルークスの権力論を土台にしたもので、これといって特徴的な部分はありませんでした。議論で面白かったのは、日本語の権力と英語のpowerの違い、ダールやガルトゥングの権力(暴力)論、あとは権力の行使を判断する主体の問題です。

これは授業でも提起したことなのですが、教科書的には政治学はpowerを取り扱う学問だと説明されるものの、ある時期以降の権力論の展開を考えると、それは政治学ではなく社会学の課題になっているのではないでしょうか。この辺りをどう考えるかは多分とても重要な問題なのですが、なかなかそこまで手が回りません。

この授業は、復習になる部分も多いですし、自分に欠けている政治理論や思想の素養を深めるためにはとてもいいのですが、後期は出るかどうかを迷っています。というのも、後期はやらなければいけないことが前期以上に多い上に、履修している授業が1つか2つ増えるので、時間的にかなり厳しいからです。いまのところは、履修していないし出るのはやめてしまおうかなと考えています。

5限:プロジェクト科目I(政治思想研究)

プロジェクト科目は先々週に1回あって、これが最終回でした。

内容は前週の講義(「ポストリベラル/ナショナルな政治共同体の模索―D・ミラー、J・ハーバーマス、A・ネグリの議論から―」)を受けての討論です。

授業で中心的に議論されたのは、何が「ポスト」なのかという前週の講義の基本的な前提と、「福祉」や「政治共同体」を取り上げることの難しさです。後者について言い換えると、思想が論じ得る「領分」のようなものが問題になったと言えるかもしれません。

熟議民主主義論と他の何か(ベーシック・インカムや福祉)を結び付ける議論には無理があるのではないかという漠然とした違和感を皆が持っている気がしました。

「思想の領分」の話については、上でも挙げた押村高先生の新著『国際政治思想』(勁草書房)を読んで考えたこともあるので、これはまた機会があれば書きたいと思います。



他にも、大学院の先輩&後輩と、Melvyn P. Leffler and Odd Arne Westad (eds.), The Cambridge History of the Cold War, Volume I: Origins, (Cambridge: Cambridge University Press, 2010) の読書会をやるなど、書いておくことが色々とあるのですが、ひとまずはここまで。

参議院選挙の話は、竹中先生の『参議院とは何か』(中公叢書)を紹介する時に合わせて書くことにします。


black_ships at 13:46│Comments(0)ゼミ&大学院授業 | 本の話

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