2010年04月28日

今週の授業(4月第5週)

忘れない内に今週の授業について更新、といっても明日が祝日なので今週は今日あった1コマだけです。



<水曜日>

2 限:国際政治論特殊研究

Welch2

今週は、David A. Welch, Justice and the Genesis of War, (Cambridge: Cambridge University Press, 1993) の第1章(The Justice Motive and War)の残っている部分(pp.22-47)をやりました。

先週も書いたとおり、第1章では①問題意識の説明、②仮説の提示、③論証方法、④予想される反論への回答、がそれぞれ書かれています。今週は②③④が範囲です。正確に言えば、②の前に、なぜjustice motive をキー・コンセプトとして論じることに意味があるのかが書かれていますが、ここは問題意識の部分とかなり重なるので割愛します。

さて本書の仮説は何かということですが、これは重要なので紹介しておく必要があるでしょう(訳は後輩のレジュメが簡潔にまとまっていたので、それを参考にしつつ、日本語になりにくい冠詞は一部省いています)。31頁に挙げられている仮説は以下の6つです。

評価(Valuation)については、

仮説1:アクターが、ある価値を本来与えられている権利(entitlement)と考えているのであれば、戦略的・経済的利益以上にそれを高く評価する。

過程(Process)については、

仮説2:もしアクターが、justice を動機とするならば、本来与えられている権利(enetitlements)と実際に得ている利益(assets)との間の均衡を取るために、賭けに出る。
仮説3:もしアクターが、injustice な状態に置かれていると認識するならば、新たな情報や価値の妥協には関心を示さず、アメとムチを用いた交渉・説得にも応じなくなる。
仮説4:justice motive がアクターの解釈・認識に影響を及ぼすことによって、判断の誤りが増える。

行動(Behavior)については、

仮説5:アクターがjustice を求めて行動すると、その要求が絶対的であるために、妥協的な紛争解決の手段を進んで見出そうとしなくなる。
仮説6:アクターがjustice を求めて行動すると、他の国家が同じ利益を得る場合でも、それが本来与えられている権利(enetitlement)の回復を求めている時にはより寛容的に、それが自国の本来与えられている権利(enetitlement)を侵そうとする時にはより非寛容的になる。

ということが、それぞれ仮説として提示されています。

この本のポイントは、事例研究をパッと読めば分かるように、これは文字通り「仮説」であって、この仮説に当てはまらない事例も数多く取り上げられているということです。本論での分析が見事な仮説の検証作業になっているのは、昨年院ゼミで読んだPainful Choices と同様であり、これがWelch の研究の真摯な点かつ読んでいて面白い点です。

以上の仮説を提示した上で、ではどのケースを選択するのかということが説明されています(pp.32-37)。個人的にはこの部分がなかなか面白かったです。まず、本書が検討する「戦争」は大国(Great Power)が関与した戦争であることが説明され、その上で①資料がそれなりにあること、②いままでその原因がリアリズムから説明されてきたこと、の2つを判断基準として掲げられます。その結果として取り上げられるのは、クリミア戦争(1853-56年)、普仏戦争(1870-71年)、第一次世界大戦(1914-1918)、第二次世界大戦(1939-45)、フォークランド/マルヴィナス戦争(1982)です。

本当にこの事例選択が正しいかどうかは別として、説明の仕方がうまいなと感心させられます。特に、justice motive ということ絶対視しないことによって、逆にこれまでリアリズム的に説明されてきた戦争を検討する場、この議論の意義が伝わるだろうという辺りは、なるほどと思います。

事例選択に続いて実証方法や依拠する資料について説明がされますが(pp.37-40)、この部分は歴史を専門にしているとやや違和感があるかもしれません。が、説明が面倒なのでここは割愛します。

最後が、予想される反論にあらかじめ答えておくというもので(pp.40-47)、これもPainful Choices と同じです。ここでは7つの「反論」が挙げられていますが、この「反論」答え方も実にうまいです。7つと言っても大きく2つに分けられるというのが発表した後輩の説明で、私も基本的にそう読みました。

1つは、ざっくりまとめれば「justice motive と他の要因とを区別出来るのか」ということで、これに対する答えも同じくざっくりまとめれば「具体的にケース・スタディをやってみなければその反論が正しいかどうかも分からない」ということです。

もう1つは、「justice motive が他の要因と比べて重要だとなぜ言えるのか」ということで、これは定性的研究に対するお決まりの批判の1つだと思います。この「反論」に対する答えは、「相関関係≠因果関係」ということです。一般論に対して一般論で答えているのでややずるいような気もしますが、この見方は基本的に正しいのだと思います。

tago

この部分に関する発表者と先生の間の議論を聞いていて、思い出したのが先月読んでいた多湖淳先生の『武力行使の政治学――単独と多角をめぐる国際政治とアメリカ国内政治』(千倉書房、2010年)です。この本は、定量的分析と定性的分析を組み合わせて、第二次大戦後のアメリカの武力行使についてその要因分析をした研究書でとても読み応えがあるのですが、その定量と定性の組み合わせ方が「相関関係≠因果関係」ということを強く意識したもので、それをふと思い出しました。

いま手許に本が無いのでうろ覚えなのですが、基本的には、定性的分析によって導き出せる相関関係はある仮説が正しくないということは言えるが、その仮説や仮説間の因果関係を明らかにするためには過程追跡(process-tracing)が必要であり、そのために事例分析が必要だ、ということだったと思います。実際にこの本では、アメリカの武力行使の要因として10個の仮説を提示し、さらに4つの武力行使について詳細な事例分析を行っています。

Justice and the Genesis of War では定量的な分析は行われていないものの、その意識や方法論の部分では通じるものがあるのかもしれません。というよりも良質な国際関係論の研究であれば、当然の前提なのでしょうか。

最後は話が若干ずれてしまいましたが、今週の授業で取り上げたのは大体こんなところです。授業ではこの他に、時代によって異なる指導者の認識を一貫した枠組みで捉えることが出来るのか、挙げられている事例以外に仮説を検討するのにふさわしい事例があるのか、キー・コンセプトである「Justice」をどう翻訳するか、といったことも議論になりました。

次回はゴールデン・ウィーク明けで、クリミア戦争の章を読む予定です。

black_ships at 17:49│Comments(0)ゼミ&大学院授業 | 本の話

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