2010年04月22日

今週の授業(4月第4週)

今週は――と木曜日の時点で振り返るのも変な気もしますが――、実り豊かな一週間でした。

自分にとって一番大きかったのは、月曜日に研究関係のインタビューに行ってきたことです。これまでもアルバイトでオーラル・ヒストリーのお手伝いをしたり、外交官へのインタビュー・プロジェクトにも参加しているので、それなりの数のオーラル・ヒストリーの聴き取りやインタビューはしてきましたが、今回のインタビューは、自分の研究にとってはこれまでで一番得るものが大きかったです。

その多くの部分はもちろんインタビュイーの方に負っているわけで、運が良かったということに尽きます。とはいえ、聞きに行ったタイミングが自分にとってはとても良かったなと思います。何も知らないままにインタビューをすれば、インタビュイーの考えや見方に引きずられてしまう。もう少し進んで、それなりに調べて自分の仮説を立てた段階であれば、どうしても自分の仮説に都合の良い証言を引き出そうという誘惑にかられてしまう。今回はひとまず論文を出した段階だったので、それなりに知識もありこの二つのマイナスは回避することが出来ました。加えて、この先に博士論文という大きな目標があるためにまだ柔軟に研究を修正する余地がある段階なので、「自分の見方と大きく違う証言を恐れる」ということもないというタイミングだったのも良かったです。

内容面では、史資料を読んでいては分からない人間関係や組織の雰囲気が聞けたことが大きな収穫でしょうか。次なるインタビューの対象が見つかったことも嬉しいことです。この辺りは、インタビュイーが文書管理の悪さに定評がある某省OBだっただけに、実にありがたいことです。

もちろん、口述内容は文書資料による裏付けが必要な部分もあるので、このインタビューに乗っかって全てを書けるわけではありません。ただし、今回の場合はどちらかと言うと逆で、自分が文書を読んでいて若干解釈に迷いながら論文に書いたことの裏が取れたという側面が強かったように思うので、いいタイミングで励ましの言葉を頂いたような気分です。

と、ここまでは良いことばかりですが、テープ起こしや次なるインタビュー、という作業が待っているのが悩ましいところです。今週はもう一つお手伝いしている研究プロジェクトのテープ起こし&議事録作りもあるので、明日はテープ起こしをしている内に一日が終わってしまいそうです。



課題は先送りにせずにこなしていこう、ということで授業内容をまとめておきます。今週は発表があったので、若干長めです。

<水曜日>

2限:国際政治論特殊研究

Welch2

前回はガイダンスだったので、今回から本格的に授業がスタートしました。テキストは、David A. Welch, Justice and the Genesis of War, (Cambridge: Cambridge University Press, 1993) の序章と第1章(The Justice Motive and War)でした。

第1章は本全体の枠組みを提示している箇所なのでじっくりやりたいということだったので、今回は第1章の途中で時間切れになりました。授業の最後に後輩が言っていた図式に従えば、第1章で著者は4つのことを説明しています。すなわち、①問題意識、②仮説の提示、③論証方法、④予想される反論への回答、です。今回は①問題意識まで進みました。

この本の問題意識を一言にまとめれば、リアリズムに対するオルタナティブの提示ということに尽きるのだと思います。具体的には、戦争の起源(or発生:genesis)においてJustice Motiveが重要な役割を果たしていることを実証するということです。(Introductionでは、「戦争の起源」ではなく「国際政治における国家の行動」と広く定義されていますが)。

ここでJusticeをどう訳すかがなかなか難しい問題で、日本語の語感からだと「正義」よりは「正当性」の方が近いとは思いますが、これは来週の授業でも取り上げられるようなので、ひとまず置いておきます。

Justice Motiveの定義は本書の核となることなので紹介しておく必要があるでしょう。該当部分を抜き出すと「the drive to correct an perceived discrepancy between entitlements and benefits」ということで、授業中に先生が言っていた訳を踏まえて自分なりに訳せば「本来与えられている権利と利益の認識された齟齬を是正しようとする衝動」といったところでしょうか。どうにも日本語としては不自然ですね。ともあれ、このJustice Motiveをキー・コンセプトに本書は展開されます。

今回取り上げたところまでは、基本的にリアリズム(クラシカル・リアリズムとネオ・リアリズムの双方を含む)に対する批判的検討が行われており、その批判の最も根本的なものはリアリストの多くが、国家行動の「動機」を不変とみなしていることにあります。これも説明し出せばかなり長くなることなので、来週余裕があればここに書くことにします。

<木曜日>

2限:政治思想論特殊研究

Heywood

テキストは、Andrew Heywood, Political Theory: An Introduction, 3rd Edition, (Palgrave Macmillan, 2004), Chapter 2: Human Nature, the Individual, and Society のHuman Nature(人間性)の部分(pp.16-26)でした。

政治理論の教科書で、独立した節として「人間性」を取り上げるのは英米では普通のことなのでしょうか。あまりにその辺りの知識が無いのでよく分かりませんが、「人間性」を単独で取り上げるとどういった議論になるのかが分かり、今週も勉強になりました。

この節は「人間性」理解を巡って3つの対立軸があることをそれぞれ紹介しています。これは、その対立軸を並べるだけで、大体の議論が分かると思います。第1の対立は「自然か教育か(Nature versus Nurture)」、第2の対立は「知的か本能的か(Intellect versus Instinct)」、第3の対立は「競争か協調か(Competition versus Cooperation)」です。

常識的に考えればこれらの対立はどちらが正しいというわけではなく、いずれも人間性の1つの側面を表しているものです。これは授業中に先生が言っていたことですが、人間性を無視して政治を論じればそれは制度論になってしまいます。それゆえ、人間性をどのように考えるかは政治理論にとっても重要な問題なのですが、それを単独で抜き出してしまっているので、具体的にどういう局面でどの部分の人間性が表れるといった議論にはならっていません。その結果、テキストの書き方はかなり自然科学的な人間性に偏ってしまっており、この辺りをどう考えるかということが授業では議論になりました。ざっくりとまとめてしまえば、なぜ人間性を問題にするのか、またはなってきたのかについてのコンテクスト無しに人間性を論じることに政治理論としてどれだけ意味があるのだろうか、ということです。

もっとも、この章では続いて「個人(the individual)」と「社会(society)」が取り上げられているので、章全体として読めば、今日の議論に対する答えは見つかるのかもしれません。

5限:プロジェクト科目I(政治思想研究)

前週の報告(「経済学の基礎としての人間研究:学史的考察」)を受けての討論をしました。討論担当ということで、ここにも議論をまとめて……と思ったのですが、長々と記事を書いて疲れてしまったので、これはまた日を改めて書くことにします。


black_ships at 20:19│Comments(0)ゼミ&大学院授業 | 日々の戯れ言

コメントする

名前
URL
 
  絵文字