2010年04月09日

論文公刊

気が付けば2010年度も1週間以上が経過してしまいました。本年度もよろしくお願いいたします。



ようやく一本目の論文(「国際エネルギー機関の設立と日本外交――第一次石油危機における先進国間協調の模索――」『国際政治』第160号、2010年3月)を公刊することが出来ました。3月中に公刊予定であり、奥付は3月25日となっていますが、手許に届いたのは昨日のことです。

この論文は、修士論文の後半部分を切り出して、新規公開資料を加えた上で、大幅に圧縮したものです。字数の上限が2万字というのは、外交史研究にとっては思いのほか厳しいものでした。せめてあと5千字加筆出来ればと今でも思いますが、それは博士論文執筆時に行うことにしたいと思います。また、1箇所だけ痛恨の誤字が残ってしまいました(「世界第二の消費国」とするところを「世界第二の輸入国」としてしまいましたが、「輸入国」として日本は当時世界第一位です)。

ともあれ、ようやく自分の中での2009年度が終了といった気分です。心機一転、次なる課題に向けて邁進していく所存です。



今後も続けていく研究の一部なのであまり種明かしは出来ないのですが、参考までに和文の要旨を載せておきます。

国際エネルギー機関の設立と日本外交
――第一次石油危機における先進国間協調の模索――


<要旨>

本稿の目的は、1974年10月の国際エネルギー機関(IEA)設立に至る、第一次石油危機後の消費国間協調に参画する日本外交を、国際経済秩序変動期における先進国間協調の一環と捉えて検討することである。

従来、第一次石油危機における日本外交として主に注目されてきたのは、対中東外交の側面だった。「アブラ乞い外交」と評されることもあるように、そこで強調されるのは、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)の「石油戦略」によって「石油が入ってこなくなるかもしれない」とパニックに陥り、石油を求めて中東政策をアラブ寄りに転換する日本外交の姿である。しかしながら、こうしたイメージは日本外交の一側面に過ぎない。そもそも石油危機は、「石油戦略」のみによってもたらされたわけではなく、消費国と産油国の力関係の変化という中長期的な石油市場の構造変動を背景としている。それゆえ、OPEC(石油輸出国機構)としてまとまる産油国陣営に対して消費国陣営がどのように対応するかは、第一次石油危機に対処するにあたって極めて重要な課題であった。

石油危機発生以前から、消費国間協調を試みる動きはEC(ヨーロッパ共同体)やOECD(経済協力開発機構)を中心に存在した。しかし、危機発生当初、各国は自国の石油確保を優先する姿勢を示したため、消費国間協調はうまく機能しなかった。石油危機後の消費国間協調推進の動きは、危機発生から二ヶ月後の1973年12月のアメリカの呼びかけによって始まった。この提案が呼び水となり、翌74年2月に、先進石油消費国の閣僚級を集めたエネルギー・ワシントン会議が開催され、日本は会議参加をいち早く表明した。消費国間協調の具体的内容を詰めていく作業は、各国次官級を代表とするエネルギー調整グループ(ECG)に引き継がれ、九回の代表会合と各作業グループでの討議を経て、74年11月にOECD傘下にIEAを設立することが決定された。この過程で日本は、産油国との対決姿勢が色濃いアメリカ主導の消費国間協調を、より穏やかなものにすることをイギリスや西ドイツなど他の消費国とともに追求した。とりわけ、IEAをOECDという既存の国際機関の傘下に設置することによって、消費国間協調の枠組から外れていたフランスやアラブ諸国にも受け入れやすくするとともに、新たな条約批准を避けて国内政局を回避したことは、日本外交の大きな成果であった。

石油危機発生当初は、中東外交の転換を迫られるなど苦しい対応に迫られた日本であるが、以上の消費国間協調の動きには一貫して主要国として参加した。IEAは、先進石油消費国間における長期的な政策協調枠組を提供するとともに、加盟国に一定量の石油備蓄を義務付け、さらに加盟国間の緊急時石油融通を協定に明記した点で画期的な意義を持つものだった。第一次石油危機における日本外交は、これまで重視されてきた対中東外交や対米外交、さらには「資源外交」だけではなく、積極的に消費国間協調にも参画する多面的なものだったのである。

日本が消費国間協調に積極的だった理由は、石油問題の解決には消費国がまとまって脆弱性を低下させる必要があるという認識と、自由主義的な国際経済秩序を維持することが日本にとって重要であるという認識を、政府内の国際資源問題担当者が共通して持っていたからであった。

また、日本が石油危機後の先進消費国間協調に積極的に参画しIEA設立に携わったことは、既存の国際機関加盟を目指したそれまでの外交の枠を超えるものであった。日本の先進国間協調への参画としてしばしば強調されるのはサミットへの参加だが、石油危機への対処を通じて日本は先進国間協調の重要な一翼を担っていた。このように考えれば、第一次石油危機は、日本が先進国間協調に参画する重要な転機になったと言えよう。

black_ships at 10:53│Comments(0)アウトプット(?) 

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