2010年03月21日

『講和の代償――米国の冷戦戦略と吉田茂の選択』??

色々と日々の雑事に忙殺され、ブログを書く習慣が無くなりかけている今日この頃です。

例の「密約」問題について何か書いておこうと思ったのですが、金曜日に衆議院外務委員会で参考人招致があるなど現在進行形で話が進んでいるので、もう少し経ってから書くことにしようと思います。



と書いたものの、以下の話も「密約」の話と関係するかもしれません。先ほど届いたばかりの『国際安全保障』をパラパラと読んでいて思いついたことを、パッと書いたものなので、論旨がまとまっていないと思いますが悪しからず。

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『国際安全保障』(第37巻第4号、2010年3月)に、楠綾子先生の『吉田茂と安全保障政策の形成――日米の構想とその相互作用 1943~1952年』(ミネルヴァ書房、2009年)の書評が掲載されていました(107-111頁)。評者は、『再軍備と55年体制』(木鐸社、1995年)の著者であり、戦後日本の安全保障政策史、日米安全保障関係史研究を切り開いた植村秀樹先生です。

エントリーの表題に掲げた『講和の代償――米国の冷戦戦略と吉田茂の選択』は、この書評の末尾で「評者の問題意識に即して本書に表題を与えるならば」として挙げられているものです。さて、なぜこの表題が与えられることになるのでしょうか。

本書の内容については、既に『外交フォーラム』2009年12月号や東京財団のHPなどに書評も掲載されていますし(リンク)、植村先生の書評でも概要が紹介されているので、詳しくここで書く必要は無いと思います。というわけで、早速本題に入っていくことにします(以下、括弧内は『吉田茂と安全保障政策の形成』の頁数です)。

本書が、直接的な分析対象とする政策領域は、①(旧)日米安保条約、②日本の再軍備、③米国による琉球諸島の戦略的支配、の三つであり、それぞれについて日米両政府の政策構想からその実現に至る過程での交渉を1943年~1952年を対象に、日米両政府の一次資料を中心に丹念に追いかけています。既に多くの書評でも書かれているように、この時期の個々の政策については、様々な形で多くの研究が蓄積されているわけです。しかしながら、楠先生自身も書かれているように、これまでの研究はあくまでもそれぞれの政策領域を個別に論じてきたわけであり、少なくともこの三つの領域の相互連関を踏まえて包括的に捉えてきたわけではありません。

そうした研究状況の中で、本書は上記三つの政策領域に関する日米両国の構想、交渉を実に丁寧に検討しています。本文だけで286頁(2段組!)という分量に圧倒されてしまいがちですが、文章も読みやすく構成も分かりやすいので、本書を通読すれば講和に至る大きな流れと細かなポイントを的確に理解することが出来ると思います。その意味で、これもまたどの書評でも指摘されているように、本書はこの分野における最も信頼のおける研究書として今後長く読み継がれていくことになるのだと思います。

この部分までは、おそらく本書を手にした誰もが感じることなのだと思います。問題は、と植村先生がまず指摘していることは、本書における「吉田ドクトリン」論の位置付けです。広く知られているように占領期における吉田外交については、大きく二つの立場があります。簡単に言えば一方は吉田外交を評価する立場、他方は批判的に見る立場です。その意味で言えば本書は、吉田外交を高く評価する立場であり、植村先生の言葉を借りれば「一言でいえば本書は「吉田ドクトリン」論に立つ外交史研究の集大成の感がある」と言えるでしょう。

植村先生が問題にするのは、「吉田ドクトリン論」については様々な形で論争が展開されているにもかかわらず、著者がその論争に答えを与えられていないのではないかということです。以下は書評からの引用ですが、「著者は吉田の選択の必然性を協調し、その後「ドクトリン」化されたと述べ」、「本書を「『吉田ドクトリン』の起源を探る試み」(7頁)とし、吉田の選択が「合意」の中で成立した」としています。

詳しくは『国際安全保障』誌の書評を見て頂ければいいと思いますが、この後、植村先生は最近巷を騒がせている「密約」問題へと話を進めて、その起源の一つがこの吉田時代にあったことを示唆しています。この部分の議論には必ずしも同意しかねますが、全体を通して植村先生のような読み方が可能となるような詰めの甘さがあるのではないか、ということは私自身が本書を読んだ時に感じたことでもあります。

その「詰めの甘さ」のようなものがどこから来ているのか、それは本書が中身に即した問題設定の仕方が出来ておらず、それゆえ明確な結論を導き得ず、安易に「吉田ドクトリン」論に与したことによる、というのが私の率直な感想です。

再び植村先生の言葉を借りましょう。先ほど書いたように本書は「吉田ドクトリン」論に立つ外交史研究の集大成と言えるものですが、「それにはいくつかの「仕掛け」が」あります。それは「1943年から筆を起こし、52年で筆を置いている」ことです。「日米「合意」に至る過程を明らかにすることを本書の課題としているためにこのようになっているのであるが、この区切り方は、日米の周到なる研究・検討の末の「合意」との結論を印象づけるのに役立っているものの、その後の展開を知っているわれわれにとって、あまりにも予定調和的な大団円を演出しているようにも映る」。

たしかに、吉田外交に懐疑的な視座に立っている読者には、本書はこのような印象を持たせるかもしれません。しかし、私は大筋で本論中で展開されている議論は妥当だと思いますし、必ずしも本書が「予定調和的な大団円を演出している」とも思いません。にもかかわらず、植村先生の議論が私にとってそれなりに説得力を持ち、さらに『講和の代償――米国の冷戦戦略と吉田茂の選択』という評者なりの表題にも納得できます(話が前後して分かりにくくなってしまいましたが、『講和の代償――米国の冷戦戦略と吉田茂の選択』という表題は、「密約」問題の起源をこの吉田外交に見出すという議論がこの後で出てくるからです)。

「代償」でなくとも「帰結」でもいいかもしれませんが、私がここで納得がいった理由は「講和」という言葉が挙げられているからです。

本書の中身は、吉田外交論や「吉田ドクトリン」論として読めば、なぜ1954年までを取り上げていないのか、なぜ戦中から検討が始められているのかといった疑問を持たせるものです。また著者が扱うとして挙げている三つの政策領域の内、日本の再軍備についてはやはり自衛隊の発足までを取り上げる必要があるでしょう。

しかし、そこまで分析対象を拡散させなくとも本書は意義付けが可能なのではないでしょうか。それが「講和」です。講和の安全保障的側面を包括的に取り上げ、それに至る日米の双方の構想と交渉を丹念に描いた外交史研究として本書は超一流であることは間違いありません。それゆえ、序章と終章で、本論の内容とはずれかねない「吉田ドクトリン」論が取り上げられていることが浮いてしまっているのだと思います。

もし、本論の内容に即した序章と終章、そしてタイトルであれば、植村先生の提示した疑問の多くは解消されたのではないでしょうか。本書はある意味で不毛な吉田ドクトリン論争に終止符を打ちうる可能性があったにもかかわらず、その貴重な機会を逃してしまったという側面があると感じたのは私だけではないと思います。もし、私の問題意識と読み方に沿って、本書に表題を与えるとすれば……というような出過ぎた真似はしませんが、「講和」はもっと強く打ち出してしかるべきだった、ということが言えるでしょう。

植村先生の書評に触発されて、色々と無駄なことも書いてしまいましたが、いずれにしても本書の中身は素晴らしい研究です。専門外の読者であれば、これまで蓄積された様々な研究を参照せずとも、これ一冊を読めば全体像のみならず細かな論点に至るまで、よく理解出来るはずです。


black_ships at 11:00│Comments(0)本の話 

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