2010年03月03日

エドウィン・O・ライシャワー、若泉敬、トニー・ブレア

いま、大学院棟の私のキャレルには以下の三冊の評伝(伝記)が並んでいます。

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左から、ジョージ・R・パッカード『ライシャワーの昭和史』(講談社)、細谷雄一『倫理的な戦争――トニー・ブレアの栄光と挫折』(慶應義塾大学出版会)、後藤乾一『「沖縄核密約」を背負って――若泉敬の生涯』(岩波書店)です。

このブログで紹介するまでもなく、新聞書評等で紹介された本です。『ライシャワーの昭和史』については、各紙に書評が掲載されましたが、先週末に毎日新聞に出た書評はとても読み応えがありました(リンク)。『倫理的な戦争』もいくつか書評が出ましたが、細谷先生自身がブログで紹介されていますので、そちらをご参照ください(リンク)。『「沖縄核密約」を背負って』は、東京新聞に先週末出ていましたが、これは全く書評・紹介の体を成していないですので参考にもならないかもしれません(リンク)。『エコノミスト』誌に五十嵐武士先生が書評を書かれているので、関心のある方はそちらをご覧ください。

書名・副題にあるとおり、『ライシャワーの昭和史』は、ハーバード大学教授としてアメリカの日本研究(ならびに東アジア研究)を開拓すると共に1961年から66年まで駐日大使を務めたライシャワーを、『「沖縄核密約」を背負って』は、少壮の国際政治学者として佐藤栄作の密使を務め、沖縄返還に際しての「核密約」作成に携わった若泉敬を、そして『倫理的な戦争』は、44歳の若さで英首相に就任し、「倫理的な戦争」の帰結であるイラク戦争の失敗によってその座を追われたトニー・ブレアを、それぞれ取り上げた重厚な評伝(伝記)です。

さて、この三冊を前にしてどうしたものかなと考えている内に更新が遅れに遅れてしまいました。

一冊一冊をそれぞれ書評形式で取り上げるのも何となく面白くない、かといって三冊を組み合わせて論じるのも難しい。そこで、例のごとく思いついたことを徒然なるままに書いてお茶を濁すことにしました(この文章をほぼ書ききったところで、ライシャワーと若泉敬の二冊に比較して戦後日米関係を論じることは出来るなと思ったのですが、文章を書き直すのが面 倒なのでやめました……それでいいのか)。

以前のエントリー(リンク)でも書いたように評伝好きの自分は、研究を除いた時に第一の優先順位を置いて読むのが評伝です。巷には、「評伝」や「決定版伝記」などと銘打ちながら、読み物としても面白くなく、学術的に読み得る水準を満たしていないものが数多くありますが、この三冊は、読み物としての面白さと学術的な水準の高さにおいて、なかなか手にすることのない高さにあると思います。

この三冊に共通するのは対象とする人物への著者の「思い入れ」ではないでしょうか。

ジョージ・R・パッカード氏は、かつては教え子として、そして1963年から65年にかけては駐日大使特別補佐官としてライシャワーの下で働き、その後は志を同じくする「知日派」としてライシャワーと共に「昭和」を歩んできました。また後藤乾一先生は、初めは国際政治学を志す一学生として若泉敬に接し、そして後には若泉の遺著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の執筆協力者として濃密な関係を築いています。

このように個人的な交友を通じてライシャワー、若泉をそれぞれ深く知り、その苦悩を共有してきた著者の「思い入れ」は読み手を圧倒するもので、『ライシャワーの昭和史』の「序文」、『「沖縄核密約」を背負って』の「跋」からは、著者の本にかけた思いが強く伝わってきます。二冊ともに、図らずも密約問題が世間を騒がせる時期に刊行される形になりましたが、時流に乗った便乗本とは全く異なり、長期間に渡って準備され、練りに練られた評伝に仕上がっています

※「便乗本」には違いありませんが、柏書房から刊行予定の石井修『ゼロからわかる核密約』だけは、個人的にとても楽しみにしています(リンク)。

人物に対する「思い入れ」が、評伝を書く際には必ずしも良い方向に作用するとは限りません。しかし、その人物の本当の良さを知っていればこそ示すことが出来る厳しさもあるのだということをこの二冊は教えてくれます。『ライシャワーの昭和史』では駐日大使としてベトナム戦争期に政権の政策を擁護し続けたライシャワーを、そして『「沖縄核密約」を背負って』は最晩年の若泉を、著者は厳しくかつ正確に描き出しています。陰影があればこそ光が輝いて見える、ということでしょうか。

戦後の日本政治外交史を研究している者にとっては、(とりわけ『ライシャワーの昭和史』について)資料面でもう少し詰められる部分があることを指摘することはそれほど難しくはありません。しかし、内外の様々な関連文書や著作を渉猟し、関係する様々な人物へ聴き取り調査を行い、プライベートな部分まで掘り下げて書かれたこの二冊の評伝(伝記)としての完成度はこれ以上はないレベルの高さにあるのだと思います。ライシャワーが自伝を刊行するに際して削ったことからも明らかなように、プライベートな部分は学術的な研究では軽視されがちですが、私人として苦悩を描かずして公人としての一人の生涯を描き切ることは出来ないのだと、この二冊の評伝(伝記)は証明しています。

とはいえ、ライシャワーと若泉が、生涯を通じて強い「思い入れ」をもって臨んだのは何と言っても日米関係です。二人の生涯を通して、読者は戦後の日米関係とは何だったのだろうかと考えさせられるのではないでしょうか。

続いて『倫理的な戦争』について。

細谷先生はブレアと個人的な交友関係を持っているわけではないと思いますし、ブレアはまだ政治家として「現役」であり、さらに「倫理的な戦争」としてのアフガン戦争・イラク戦争は形を変えながらも現在に至るまで続いています。そういった点で、一つの完成形を示している『ライシャワーの昭和史』『「沖縄核密約」を背負って』の二冊と『倫理的な戦争』を並べるのは適切ではないのかもしれません。

内容面でも、ライシャワーと若泉の生涯を辿る上記二冊と比べると、『倫理的な戦争』は、基本的に叙述がブレアの首相在任間に限定され安全保障の専門用語がやや多く、かつ細かな政策過程が描かれているため、一般書として読むには少し難しいかもしれません。また、目的として掲げられるのは「冷戦後の世界において倫理的な動機から、あるいは倫理的な目的を掲げて軍事力行使の必要性を説くことの意味を、国際政治学的な視座から同時代史的に検証すること」(i頁)であり、評伝というよりはトニー・ブレアという一人の政治指導者を中心に据えた評伝的研究といった方がいいのでしょう。政治指導者を中心に据えながら、より広範な国際政治を論じるという手法は、対象とする時代の違いから資料的な深さが異なるとはいえ、『外交による平和―― アンソニー・イーデンと20世紀の国際政治』(有斐閣、2005年)から引き継がれているものです。とはいえ、『倫理的な戦争』を通読すれば、コソボ戦争、アフガン戦争、イラク戦争を通して苦悩するブレア英首相の姿が見事に浮かび上がってくるわけです。

それでもやはり、『倫理的な戦争』を読んだ時に感じたことは、上記の二冊とは異なるもので、より国際政治学的な関心だったように思います。『倫理的な戦争』は、単にブレア政権期のイギリスが介入していった戦争を描く前段階として、ブレア政権初期に策定された外交戦略や安全保障戦略も検討しています。ブレア政権の外交・安全保障戦略は、軍事力の裏付けを持った外交戦略、言いかえれば軍事力と外交の組み合わせを重視するというものです。

しかし、政権前半の「成功」に対して、アフガン戦争辺りからブレア外交は暗転していきます。その過程は本書に詳しいので書きませんが、概して強力な軍事力を持つアメリカに対して、イギリスが限定的な影響しか与えることが出来ないというように私には読めました。ブレアの挫折は、アメリカが聞く耳を持たなかったからなのか(=イギリスにそれだけの力が無かったのか)、それともそもそもの目標が間違っていたのか、こうした点は読者に開かれた形で書かれており、細谷先生自身の結論は曖昧なままにされています。

ここで想起されるのは、益田実先生が『戦後イギリス外交と対ヨーロッパ政策―― 「世界大国」の将来と地域統合の進展、1945~1957年』(ミネルヴァ書房、2008年)の最後に書かれた次の一節です。

三つの軸があるがゆえに世界大国なのではなく、世界大国であろうとするがゆえに 三つの軸が必要とされたのであり、イギリスはその上で危うい均衡を保つ努力を強いられていた。しかし、政策決定者たちはあくまでも、イギリス自身が事態をコントロールする立場にあるとの自己認識から逃れることはできなかった。50年代後半までのイギリスの対ヨーロッパ政策の変遷課程は、この転倒した認識の下で政策決定者達が陥った自己欺瞞を示すものだったのである。(219頁)

この辺りをどう考えるかによって、戦後イギリス外交全体に対する評価が変わってくるのだろうな、と思うのですが、それは余談です。

ちなみに、「終章」で触れられるブレアの辞任表明演説の原文を当たってみたのですが、一読してすぐに思い浮かんだのは、マックス・ヴェーバー『職業としての政治』にある「責任倫理なき心情倫理」でした。この点を、ヴェーバーをよくご存じのはずの細谷先生が触れていないのは、やはりブレアに肩入れしたいという思いがあるからなのかと邪推していたところ、『外交フォーラム』2010年1月号に掲載されたエッセイ「オバマの戦争、ブレアの戦争――「正しい戦争」という苦悩」の中でしっかり触れられていました。国際関係の「倫理化」が一定以上に達してしまったこの21世紀において、倫理と政治がどう対峙すべきかという問題は普遍的に重要な問題なのだと、この論考を読んで思いを新たにしました。

以上、とりとめもなく思いついたことをダラダラと書き連ねてきましたが、この三冊の評伝はどれも素晴らしい、ということが言いたかったことです。『倫理的な戦争』は資料開示が進めば改訂される可能性もありますが、『ライシャワーの昭和史』と『「沖縄核密約」を背負って』は、今後これ以上の評伝が出ることはないだろうと確信する出色の出来であり、関心のある方だけではなく多くの方に読んで貰いたい本です。



がらっと話題が変わりますが、↓のMADは素晴らしい出来ですね。「閃光少女」と「時をかける少女」の世界観が見事にマッチしているので一見の価値ありです。




black_ships at 13:14│Comments(0)本の話 

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