2010年02月15日

佐藤卓己『ヒューマニティーズ 歴史学』

いまいち文章がうまくまとまらなかったのでボツにしようと思ったのですが、まあ何も書かないよりはいいだろうと思い直して、掲載。



岩波書店の企画「ヒューマニティーズ」(リンク)の第一弾として昨年5月に刊行された一冊。「学問の断片化、細分化、実用主義へのシフトなど、人文学をとりまく危機的状況のなかで、新たなグランド・セオリーをどのように立ち上げるのか」という企画趣旨に沿った読み方ではないような気がしますが、外交史という政治学なのか歴史学なのか立ち位置が難しい学問を研究している大学院生にとってもなかなか考えさせられる内容が詰まったいい本でした。

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佐藤卓己『ヒューマニティーズ 歴史学』(岩波書店)

読み手を誤解させない明快な主張と高い実証性が求められる学術論文とは異なり、良い本とはむしろ様々な読み方が開かれているものなのかもしれない。本書は実に様々な読み方が可能である。

歴史学にいかに取り組んでいくのか。この根源的な問題を、大衆宣伝、雑誌メディア、言論統制、終戦記念日、輿論(公論)と世論といった自らの「学問遍歴」と重ね合わせながら縦横に論じた本書は、著者にとっての「メディア史家」宣言であるという(137頁)。こうした本書は、「歴史学入門」としてはもちろん、メディア史というアプローチを取ることによって、様々な新しい視点を提示してきた著者の知的な「私の履歴書」とも読めるし、その議論のエッセンスを凝縮した「佐藤メディア史」の手引きとしても読める。

しかし、それにとどまらず、同時により広い学問そのものの意義やアプローチに繋がる議論をしている点が本書のさらなる魅力である。本書から印象深い一文を引いて紹介に替えよう。

歴史学とは対話の素材を用意し、対話を実践する学問なのである。特に、時間ばかりか空間を超えた外国史を学ぶことは、一国内では普遍的と思いこまれているものが、あるいは逆に独特な国民性と信じ込まれているものが、実は普遍とはいえず、あるいは特殊ではないという事実を明らかにする。それは、他者の立場で自己を客観的に見つめるための手助けとなる。
だが、このように歴史を学ぶ意味への問いを切実に感じるのは、歴史学科に所属する教員より、私のように社会学科や教育学部で歴史学を教えている教員だろう。歴史が好きで、それを学ぼうと志した学生が「何のためのアプローチか」と問うことは少ないからである。(30-31頁)

このように、定義される歴史学の意義そのものは決して奇をてらったものではなく、あえて言えば学問全般に当てはまるごく「常識的」なものであるが、それだけではなく、学問の意義に自覚的である点、そしてそれがアプローチの議論と繋がっている点が面白い。ある研究対象にいかにアプローチするか。アプローチを替えることを、著者は「接眼レンズを替えて見る」と表現する。「接眼レンズを替えて見る」と、ある物事が全く違った様相を見せる。自らの初期の研究を題材に論じるこの一節を読んで、思わず膝を付いた。

以上はほんの一例であるが、本書で提示される様々な議論の多くは、決して目新しいものではなくむしろ常識的なものである。しかし、その常識を積み重ねていった時に新たな歴史像が見えてくる。その一つが、佐藤卓己の「メディア史」なのだろう。「読み手」として、そして「書き手」として、歴史学を楽しむために、是非手にとって欲しい一冊である。


black_ships at 22:53│Comments(0)本の話 

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