2009年10月17日

今週の授業(10月第3週)

気が付けばいつの間にやら週末を迎えているという生活が続いています。

今週はアルバイトの関係で色々と面白いことがありました。中でも興味深かったのは、某研究所で行われた核戦略や核抑止、戦争研究の大家であるローレンス・フリードマン教授を招いての研究会です。最近では、ブレア・ドクトリンの起草に携わったり、イラク戦争の検証委員会のメンバーに入るなど政府関係の仕事でも知られているフリードマン教授ですが、そうした仕事のひとつにフォークランド紛争に関する公刊戦史(Official History)の執筆があります。

研究会の報告は「Writing Official History: The Folklands Campaign」で、公刊戦史を書くことになったきっかけや、執筆にあたっての苦労と苦悩が紹介されました。報告では省略されていましたが、事前に貰ったペーパーには、公刊後の反響や議論なども書かれており、こちらもなかなか興味を惹かれました。議論の中身については、ここに書いていいものなのかやや迷うので、興味がある人は個人的に聞いてください。

日本でも第二次大戦について旧軍人が中心となってまとめた『戦史叢書』という公刊戦史があります。また、どういう位置付けになるのかはしっかりと調べていないのですが、大蔵省の『昭和財政史』や通産省の『通商産業政策史』といった省史が研究者による分担執筆という形で刊行されています。戦後日本を対象に歴史研究を行う際には、こうした省史もひとつの重要な手掛かりを提供してくれるものなのですが、執筆者達の苦労や苦悩はなかなかうかがい知ることが出来ません。

誰か周りに経済史を専攻しているといいのですが……と、これはまた自分の研究に引き付けた話でした。



<水曜日>

2限:国際政治論特殊演習(院ゼミ)

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先週に引き続きDavid A. Welch, Painful Choices: A Theory of Foreign Policy Change の輪読。今週は、Chapter 2 A Theory of Foreign Policy Changeを読みました。先週読んだ序章&第一章は、本書の全体的な議論が提示されていましたが、第二章はもう少し突っ込んで本書の議論の理論的な前提が提示されていました。

前回と同じように簡単に中身を紹介しておきます。本書の議論の前提となるのは「重要な外交政策の変化は稀にしか起こらない」ということなのですが、それを支える根拠として、①組織理論、②認知心理学・動機[動機付け?]心理学、③プロスペクト理論の三つが提示されます。ポイントは、これら三つの理論から「国家の政策は惰性(inertia)に陥りやすい」ということが導かれるということです(pp.31-45)。

さて、この議論を前提として、外交政策はいかなる状況で変化するのかが検討されます(pp.45-51)。細かい議論は省略しますが、重要な部分をまとめれば、①独裁体制で官僚制が弱い国家は民主体制で官僚制が強い国家より政策変化が起こりやすい、②国家はわずかな利益や損失の見込みに基づいて政策変化をさせない、③指導者は損失を避けるためには同程度の利益を得るためよりも大きなリスクを受け入れる、という三点になると思います。①などは本当にそうなのか、といった点が授業でも議論になりましたが、ひとまずここでは置いておきます。以上をまとめたのが、50頁にある図2.2で、これさえ押さえておけば基本的にはこの章はいいのかもしれません。

こうした議論を提示した上で、ケース・スタディを進めるために本書が立つ「限定合理的」な前提について説明が行われ(pp.51-64)、最後に本書の議論のスコープが検討されます(pp.64-68)。個人的には、この最後の部分を一番面白く読みました。というのも、ここには書きませんでしたが、先週の授業で議論になったことのひとつが、本書の議論の射程で、それはヒトラーのような独裁者にも当てはまるのかといったところだったからです。

この部分の著者の議論は、やや甘いような気もするのですが、基本的に本書の提示する理論が適用できるのは「ありふれた国家のありふれた決定者」だというもので、機会主義的に拡張行動を取るような指導者には当てはまらないとされます。その際に挙げられるのが、ヒトラーや金日成には適用不可能だが、毛沢東には適用可能ということで、この部分などはややクエスチョン・マークを付けたくなりますが、これについてはケース・スタディを読んでからまた検討することにします。

先週紹介した部分と合わせると、本書の理論が適用できるのは、国家の一般行動ではなく、「ありふれた国家のありふれた決定者」による「外交政策の変化」ということになり、このように書くと理論研究としては射程がとても狭いように感じるかもしれませんが、個人的にはこれくらいの中範囲を志向する理論研究の方が信頼が置けるような気もします。

というわけで次回からいよいよケース・スタディに突入……とは行かず、来週は先生の学会発表の予行演習という院ゼミとしては異例の展開です。発表テーマに関連する文献の読書会を前期にやったこともあり、先生がどのような議論を展開するのか今から楽しみです。

<木曜日>

5限:プロジェクト科目(政治思想研究)

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今週は先々週の授業のフォローアップということで、イギリス政治思想史を専攻する二人の院生の報告がありました。それぞれが、先々週の報告の焦点であった「コモン・ロー」と「古来の国制」論を取り上げて、先生の報告とは異なる歴史的文脈の中に置いて再検討していたのは面白かったのですが、いかんせん専門が異なる人間の集まりの中では話の焦点が分かりづらいということなのか、議論は自然と「理論と歴史」といった方向へ行ってしまいました。

こうした議論は「国際政治史(外交史)と国際政治理論」といったものとして自分の専門分野でもしばしば行われることなのですが、話が一般的に過ぎていまいち消化不良気味というのが授業の正直な感想です。

いずれにしても、と授業の議論を聞きながら感じたことは、歴史的に特定の事象の検討を行う場合にせよ、長期的な文脈の中にある事象を置き直すにせよ、なぜそのテーマを取り上げる意義があるのかやテーマそのものの持つ面白さ(これは必ずしも現代的意義でなくともよいと思います)、ないしはそのテーマを取り上げる際に前提となる先行研究の整理、分析の視角といった点を、少なくとも狭義の専門家の集まりではない場所では行う必要があるだろうということです。

さて、来週は先週流れた講演を率直に言って面白くない報告ペーパーを基にやるという非常にそそられない授業の予定となっています。発表担当の後輩が不憫でなりません(笑)

at 12:45│Comments(0)ゼミ&大学院授業 

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