2009年09月13日

ゼミ合宿に行ってきました

火曜日から木曜日まで二泊三日でゼミ合宿@河口湖へ行ってきました。

昨年は、先生が帰国したばかりということで五期生(三年生)のみでしたが、今回は六期生が加わり賑やかな合宿でした。初日昼から二日目昼まで勉強プログラム(三年生はほぼ徹夜)、二日目の午後はスポーツ、夜は飲み会、三日目は各自で遊びつつ帰宅という流れは相変わらずで、輪読をしたり研究発表をやる普通のゼミ合宿とは異なるスタイルはほぼ定着したようです。

二日目から留学間際の後輩が一人参加してくれたので、良くも悪くも昨年のような「引率のお兄さん」気分を感じることもありませんでした。合宿全体については三年生の係を中心に、勉強プログラムについては四年生の学事係を中心にそれぞれに入念な準備がなされていたことには頭が下がります。ほとんどフリー・ライダーとして学生気分を味わった三日間だったように思います。

昨年の修善寺合宿に続いて、今回の河口湖合宿もいい思い出になりました。



勉強プログラムについて簡単に書いておきます。

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昨年も同じようなことを書いたような気もしますが、田所ゼミでは合宿初日から二日目昼まで勉強プログラムを行い、その中でヴァーチャル・ヒストリーに取り組むことが通例になっています。

ヴァーチャル・ヒストリーはカウンターファクチュアル・ヒストリーと称されることもあるように、反実仮想(=歴史のif)を取りいれた「歴史」であり、海外ではこの10年程の間に様々な研究者による成果が発表されるようになりました。もっとも、主導している歴史家はニーアル・ファーガソン(Niall Ferguson)やアンドリュー・ロバーツ(Andrew Roberts)といった毀誉褒貶のある歴史家達なので、学問的にどれだけ市民権を得ているのかは議論が分かれるところかもしれません。

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ちなみに昨年度後期に授業を受けたデーヴィッド・ウェルチ(Daivd A. Welch)先生も、ケネディがもし生きていたらベトナム戦争はどうなったのか、ということを検討したヴァーチャル・ヒストリーを共著で出しています。この本を原作とした映画があるのですが(公式サイト)、日本では公開されないのでしょうか。

閑話休題。研究手法としては賛否両論があるというか否定的見解の方が強いと思いますが、これは教育手法としては有用だろうということで、田所ゼミの夏合宿では恒例のプログラムとなっています。

「ヴァーチャル・ヒストリーの何が良いのか、それは正解が無いこと」というのが先生の口癖です。そもそも起こっていない歴史を考えるわけで、正しい答えがあるわけがありません。そもそも歴史に「正解」があるという立場を取る歴史家はほとんどいないと思いますが、それでも正しいとされる歴史に関する知識が他の人よりあれば、通常の授業で歴史を取り上げる際に有利なことは否定できないと思います。

しかし、このヴァーチャル・ヒストリーでは、歴史の知識があるものが有利とは限らないというのが面白いところです。私がこのプログラムに参加するのは、今回が四回目ですが、全体の印象としては歴史に関する知識が相対的にあるグループは、現実の歴史に引きずられ過ぎてしまい、いきいきとしたヴァーチャル・ヒストリーを描くことが出来ない傾向があるようです(事実、四年前に自分がいたグループもそうでした)。知識がない方が素直にifを受け入れて論理的に反実仮想の歴史を描けるというのは興味深いことで、いかに「知識」が柔軟な思考の邪魔をするのかを思い知らされます。これは普段のゼミの場で大きな顔をしている知識があるゼミ生が、案外とヴァーチャル・ヒストリーでは活躍が出来ず、逆に普段は知識があるゼミ生に押されがちな目立たないゼミ生が活躍を出来るということです。

こうしたヴァーチャル・ヒストリーそのものの特徴に加えて、グループを三つ~四つに分けて取り組むことが、この合宿のプログラムとして重要な点です。田所ゼミの場合、留学等で多少人数は変わりますが通常の授業は15人+先生で行います。普段はそれほど発言しない学生も3~4人程度のグループとなると、発言しないわけにはいきませんし、逆に普段喋っている学生もうまく周りを説得しなければいけません。

前置きが長くなりました。昨年は四年生がいなかったので先生が問題を作って三年生が取り組むという形でしたが、今年は三・四年が揃ったので、例年通り四年生が問題を作成し三年が取り組み、出された問題を含めた講評を先生と院生が行うという形式となりました。四年生が考えた今年の問題のテーマは「1930年代における対独宥和政策」でした。A4で20枚近い参考資料を含めて、四年生の事前準備には圧倒されました。問題は二段構えで、第一問は(ヒトラー政権発足以降)英仏の宥和政策が転換しえた時期を答えよ、第二問は第一問の解答を前提にその後20年程度のの仮想の国際関係史を記述せよ、というものでした。

やはり重要なのは、ifが指定された上でヴァーチャル・ヒストリーを考える形式ではなく、ifそのものをどのように設定するかも三年生に任されていた点でしょう。この形式は昨年も取られたもので、回答者がなかなか大変だなと思ったことを覚えています。この点はその他の点と併せて講評会でも指摘したのですが、ifも回答者が設定した場合は回答の幅が広がるという面がある一方で、そもそもどの条件を変えるのかという点がぶれるので、回答間の比較が難しいという問題があります。

といった問題点もあるものの、講評会での各グループのコメントを聴き、自分でも色々と考えてみると、ifそのものも回答者が設定する方が出てくるものがうまい具合にばらつくしいいのではないのかなとも思いました。講評会の際は院生の役割に徹して、やや微に入り際に入り厳しめのコメントと、四年生とは異なる採点基準を提示したりしましたが、それは役割に応じたご愛嬌ということで。

さて、ここまで思いついたままにダラダラと書いてきたのですでに文章が荒れに荒れているわけですが、ついでに合宿中にヴァーチャル・ヒストリーについて考えたことをさらにダラダラと書いておくことにします。

ヴァーチャル・ヒストリーの最も大きなポイントは、いかなるifを設定するのかということにあります。実際に起こった(とされる)歴史のどの時点を変えるのかによって、ヴァーチャル・ヒストリーの試み自体の意義のかなり大きな部分が変わってきます。

抽象的な話をしていても分かりにくいので、例を挙げてみます。一番分かりやすいのは、個人要因を変化させるということです。これは上記のウェルチ先生の本の引き写しですが、「もしケネディが暗殺されていなかったら?」というifは、指導者のパーソナリティを「ジョンソン→ケネディ」に変化させることによって歴史がどのように変わるのかを分析することに繋がります。この点についてはVietnam If Kennedy Had Lived が政治心理学のアプローチを採っていることからも明らかでしょう。個人要因を変化させるifとしては、他にも「もしスターリンの死去の時期がずれていたら?」といったことが容易に考えられます。

こうしたifを立てた場合、強硬なネオ・リアリストの答えは「何も変わらない」というものになってしまうと思われます。ここで重要なのは、そもそもこういったifを立てる時点で、どういった経路をたどるにしても個人要因が国際政治に効いているという前提がifに含まれているということです。全てを個人要因で説明する英雄史観を取る学者はほとんどいないと思いますが、強力な政治指導者の危機における決断を重視する政治心理学的なアプローチを取る学者や、媒介変数としての国内要因を重視する学者にとっては、政治指導者の変化は重要なものとして取り上げられることになるのでしょう。

あまりうまく説明が出来ていないのですが、要は国際政治観の違いによってifの立てられ方が異なるというのがここで強調したいことです。そして、その後のヴァーチャル・ヒストリーの展開も当然に国際政治観の違いを反映したものとなります。もし媒介変数として国内政治を考える必要がないと考えるのであれば、ヴァーチャル・ヒストリーの中で各国の国内情勢に触れる必要は全くないわけですし、逆に国際システムやパワー・バランスの重要性を認めない論者であれば、同盟関係の組み換えなどには触れる必要がなくなるわけです。

我々が通常研究を行う際には、「なぜ○○だったのか」といった形の問いを設定し、それに何らかの意味で「合理的」な説明をしていきます。実際には起らなかった可能性も含めて広く政策決定過程や政策構想を検討する必要性が強調されることもありますが、いずれにしても研究の結論としては「合理的」な説明が与えられ、明示的か否かは別にして独立変数が何かといったことが結論として提示されます。しかし、本当にそれでいいのか、ということを考える際にこの反実仮想やヴァーチャル・ヒストリーは有用です。

自分が前提としている国際政治観について深く考えることを、歴史を題材に研究しているとついつい忘れてしまいがちです。ヴァーチャル・ヒストリーによって浮き彫りにされる思考の枠組みのようなものに、自覚的であることは研究者にとっても重要なものなのではないでしょうか。

at 17:39│Comments(2)ゼミ&大学院授業 

この記事へのコメント

1. Posted by 不良椅子   2009年09月13日 21:38
お久しぶりです。
今年はHゼミから、M.R.さんがいなくなってしまったので、僕はまさに「引率のお兄さん」気分――といいますか、完璧なフリーライダーとして合宿に参加することになってしまいました(苦笑)1週間弱はやっぱり長いです。
門外漢が言うのもあれですが、田所ゼミの合宿の勉強プログラムのスタイルってやっぱイイですよね。
僕が思うに、Hゼミの合宿で一番の弱点というか改善の余地を感じるのが、まさにデスク上での勉強面で……。
(実際その場に居合せたわけではないので、憧れにも似た想像で、とりさんの文章から絵を補っているのですが)全員参加型かつ協働作業型で、しかも当該研究領野の意義(ないし自分のスタンディング・ポジション)を見凝めなおしつつ、実はプラクティカルな想像力(?)まで鍛えるとは――、なんて贅沢な教育だろう、と。
思想系で、似たようなプログラム立てられないもんかと考えつつも(学問領域の性格ゆえか?)なかなか思いつかず……。
なんというか「教育」ってすごく難しいですね。
(……僕の場合、むしろ、自分の研究にもっと気を配らねばならないのですが!orz)
2. Posted by 管理人   2009年09月15日 20:41
なぜにこのハンドルネーム??? Xデーの結末は??? という疑問はさておき、この悪文エントリーにコメントどうも。
毎年書いているようにこのプログラムはとても面白いんだけど、いくつか難点があるんだよね。まず、体力的にきついから、一度始めてしまえば事実上勉強のプログラムはこれしかできないし、一歩間違えるとおちゃらけに近いものになってしまうし、危ういバランスの上に成り立っているような気がしなくもないかな。
ま、何はともあれそのうちに飲みましょう。

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