2009年09月03日

北岡伸一『日本陸軍と大陸政策』

前回の更新から一ヶ月近く経ってしまいました。

この間、基本的には二本目の公刊論文に向けた関連資料や研究の読み込みをしていたのですが、友人とともに静岡へ帰省したり、陸上自衛隊の富士総合火力演習を観に行ったり、総選挙を肴に酒を呑んだりとそれなりに色々なイベントがありました。

ひとまず先週金曜日に行った読書会で取り上げた本について。



もともと冷戦史の古典を読むということで始めた読書会だったのですが、複数のメンバーの留学が重なったこともあり、少し趣向を変えて日本政治外交史の古典を読むことになりました。言い出しっぺの自分がやるしかないということで発表担当になったのはいいものの、この時代はあまり土地勘が無いのでまとめるのに非常に苦労しました。

なおサブテキストは、細かい専門的な議論をするよりはアプローチの違いについて考えた方が面白いだろうということで、小林道彦『日本の大陸政策』ではなく千葉功『旧外交の形成』の第III部と第IV部にしました。

北岡伸一『日本陸軍と大陸政策 1906~1918』(東京大学出版会、1978年)

<目的と視角>

 本書は、日露戦後から第一次大戦期(1906年~1918年)における「大陸政策の展開過程と陸軍の政治的独立過程とを、陸軍の大陸政策を中心として考察すること」を目的としている。大陸政策とは、「中国大陸に対する領土・権益・政治的影響力等の拡大を説く主張」の総体であり、分析に際しては、大陸政策を中国政策(大陸における利権獲得)と満州経営政策(実際の植民地経営政策)に相互の連関に留意しつつも二つに分けて検討すること、そして従来の通説である一体化した陸軍像の否定し、陸軍を「相互に対立をはらんだ複数の集団」として検討することという二つの視角が据えられている。
 以上にまとめられる本書の基本的な構図が全体を通して貫かれていることはその構成を見れば明らかであろう。日中関係の変容を軸として、第一章は日露戦後から辛亥革命勃発まで、第二章は辛亥革命勃発から第一次大戦勃発まで、そして第三章は第一次大戦勃発から終了までが取り上げられる。この間、日本の大陸進出を抑制する三つの要因(中国の抵抗、列国の牽制、日本経済の脆弱性)は急激に変化した。各章の時期区分は、要因が変化するターニング・ポイントを踏まえたものである。
 さらに、このように時代ごとに分けられた各章は、その内容によって?中国政策(対中政策及び対列強政策)を検討する第一節前半、?満州経営政策(鉄道問題、金融問題、経営機関問題)を検討する第一節後半、?陸軍をめぐる国内政治及び陸軍内の派閥対立を検討する第二節、の三つに分けることが出来る。また、?を分析するに際しては、陸軍の政策やその政治的位置が、他省庁(外務省、大蔵省)、関係機関(満鉄、正金銀行)、政党(政友会、同志会・憲政会)等との相互関係の中で分析されている。

<各章の概要>

 第一章では、冒頭で「明治四〇年帝国国防方針」について確認した上で、中国政策について検討されている。この時期の陸軍の政策目標は、それまで中国の抵抗と欧米列強の介入(+アメリカ資本の進出)によって実体化しえなかった満州権益の国際的正当性の確立を課題とした。その際には、日露協商を軸に日英同盟・露仏同盟を加えた日露英仏協調が重視された。国際的正当性を得た満州権益をいかに経営していくかという満州経営政策に関する陸軍の基本方針は、ロシアとの戦略的競争関係を踏まえた鮮満一体化政策であった。陸軍は、鉄道・金融・経営機関の核問題について以上の観点から自らの政策を主張し、関係各機関と対立したのであった。陸軍の国内政治的位置と派閥対立については、第一に陸軍が長州閥の拠点であり藩閥を代表する勢力であったこと、第二に陸軍内部には長州閥と陸軍省の優位に支えられた寺内体制が確立されていたこと、第三に反寺内勢力を内包する上原派が台頭しつつあったこと、第四に国内政治の中で陸軍独自の役割が否定されていたことが明らかにされている。陸軍は藩閥勢力(≒官僚閥)の有力な存在となることによって、もう一方の主要な勢力であった政党(政友会)との協調の任に当たったのだった。

 続く第二章では、辛亥革命勃発後が検討されている。当該期は辛亥革命勃発による中国国内の分裂にいかに対応するかが課題であったが、陸軍にとっては停滞期であり混乱期であった。この時期は、第三章で検討される第一次大戦期への過渡期的な性格が強いと言える。中国政策について、陸軍は中国国内の分裂を日中提携による満蒙進出の好機かつ日露英仏協調からの部分的な離脱を果たす好機だと捉えていたが、袁世凱による混乱の早期収拾及び列強の袁政権承認によって日中提携推進の道は閉ざされた。こうして中国政策について敗北を喫した陸軍であったが、満州経営政策については、この時期に陸軍の鮮満一体化政策が次第に優勢となっていった。陸軍の国内政治的位置と派閥対立については、陸軍内で長州閥に対する不満が鬱積していたことに加えて、対中積極政策の好機が訪れたという認識が高まったことによって、陸軍内部で主流派である寺内派と反主流派である上原派の対立が徐々に顕在化していったのがこの時期である。こうした対立の中で独自の地位にあったのが、政党との提携関係も視野に入れていた田中義一であった。しかしながら、大正政変によって政友会と陸軍が対立したことによって、この陸軍内部の対立は一旦は落ち着きを見せることになる。

 本書のクライマックスとなる第三章では、第一次大戦期が取り上げられる。大戦勃発によって日本の大陸進出を抑制する三つの要因は大幅に緩和されることになる。大戦勃発当初における中国政策の主要な担い手は陸軍や長州閥ではなく外務省であった。こうして対華二十一カ条要求が対中政策の焦点となったのであるが、陸軍内部には寺内を中心とする「援助=提携」路線と上原はや田中、宇垣一成らの「威圧=提携」路線が対立することになる。こうした路線対立の背後にあったのは、自国に対する評価と関係していた。寺内は大戦後における列強の介入を警戒していたのに対して、田中らは大戦勃発後日本は「強国化」したと判断し、列強との協調を重視せず「威圧=提携」路線を追求したのであった。陸軍内部の路線対立は、具体的な満州経営政策における対立や大隈内閣後の挙国一致内閣構想といった国内政治における対立も巻き込んだものとなっていく。寺内が政党はあくまで「協賛」する存在と考え、陸軍を非政治化された存在にすることによって藩閥支配の下に置こうとしたのに対して、田中はこうした寺内に対する反対勢力であった。田中は、大陸政策の積極化と長州閥打破を主張して台頭した上原はと提携し、陸軍を藩閥支配から解放していったのである。さらに政党との提携にも積極的だった田中は、寺内内閣後に成立した原敬内閣において陸相となり、名実ともに寺内後の陸軍指導者となった。こうした田中によって主導された陸軍の政治勢力としての独立は、ワシントン体制期の大陸政策と、政党政治の確立とを、藩閥勢力内部から準備・促進していったことにほかならなかった。

<評価と若干の疑問点>

 以上のように、本書は見事に日露戦後から第一次大戦終結までの日本の大陸政策の展開と陸軍の政治勢力としての長州閥からの独立過程を描き切っている。ここでは、陸軍内部の対立を中心に紹介したが、本文中で他省庁・関係機関・政党の政策構想も含めて立体的な分析がなされていることは、冒頭で紹介したとおりである。
 研究史的に見れば、それまで外務省中心の日本外交史が主流を占め、その対抗勢力として一枚岩なものとして描かれてきた陸軍像を、政策的な対立とも連動した内部の派閥対立を明らかにすることによって全面的に覆した点に本書の最も大きな意味がある。もちろん、本書は出版から30年以上を経ており、その後の研究(代表的な研究として、小林道彦『日本の大陸政策 1985-1914』)によって本書の主張が覆された部分も存在する。しかしながら、本書の描き出した陸軍内の派閥対立の構図の大枠はその後の研究でも受け継がれていると言って差し支えないだろう。

 以上のような研究史的な位置が本書に与えられるに至った大きな理由は、その体系的な議論の展開と徹底した史資料の読み込みに求められよう。後者について論じることは門外漢の評者の手に余ることであり、ここでは前者に絞って若干の論評を試みたい。第一に、本書では日露戦後から第一次大戦期を明確な時代認識に基づいて三つの時期に分けて検討されているが、それにとどまらず当該期が、より広い時期の中でどのような位置にある時期だったのかについても明確に意識されている。こうした明確な時代認識に支えられた研究は必ずしも多くない。第二に、本書のメインとなる検討対象は陸軍であるが、陸軍の藩閥からの政治的独立過程を描くという目的を置くことによって、藩閥や政党勢力といった日本政治の主要アクターが分析射程に入ってくる。さらに、大陸政策を中国政策とともに具体的な満州経営政策も含めて検討することにより、通常陸軍の反対勢力として取り上げられる外務省のみならず正金銀行や満鉄が分析されることになる。こうして本書は、陸軍を通して、この時期の日本の大陸政策と国内政治の全体像を体系的に描くことにかなり高いレベルで成功しているのである。

 このように高く評価すべき本書であるが、全く問題がないわけではない。まず考えなければならないのは「大陸政策」という本書の提示する枠組みであろう。「大陸政策」とは当該期の日本の対外政策を分析するいくつかある視点の一つに過ぎない(この点については千葉功の小林道彦『日本の大陸政策』に対する書評でも言及されている)。確かに日本の敗戦に至る歩みは「大陸政策」に導かれたものであった。しかしながら、こうした見方はあくまでも後の歴史を投影したものであり、果たして日露戦後から第一次大戦期の日本に「大陸政策」なる政策概念があったのかには疑問の余地が残る。
 以上の点とも関連するが、本書が暗黙理の前提として採っている内政と外交の連関を重視する政治外交史というアプローチについても検討する必要があるだろう。本書よりやや広い時代(1900年~1919年)を、あえて古典的な日本外交史の方法論に立脚して検討した千葉功は、日露戦後から第一次大戦期を「多国間同盟・協商網」(一般的な用語では「同盟協商体制」)の成立と崩壊過程として捉え、1900年以降を日本が「旧外交」に習熟していった時代と描き出している 。本書は、国内政治と対外政策を「大陸政策」という視角で繋げることによって捉えようとしているが、この時代における大陸進出の重要性は果たして後の1930年代以降と同様に捉えることは出来るのであろうか。

<おわりに>

 すでにアプローチに関して本書から離れた議論を展開しているが、最後に戦後を研究している立場から若干のコメントをしておきたい。まず政治外交史というアプローチに関してであるが、本書で明確にされたように、確かに戦前は政治外交史アプローチが有効であろう。戦前は、藩閥、政党、軍部、官僚が相互に合従連衡し、人材的にも相互に交流があったが 、戦後は官僚出身の政治家が重要な意味を果たしたとはいえ、政策の専門性がより上がり政策「決定」においても官僚の影響力は上昇し、年を経るごとに官僚から政治家への転身する者も高齢化していった。外交に関する官庁間の対立としては、大蔵省と他省庁、外務省と通産省、外務省と防衛庁の対立がしばしば強調されるが、それも戦前期とは異なるあくまで政策面の対立の側面が強く、政局を巻き込んだ対立が戦前期と比べれば明らかに少なくなっていることは間違いないだろう。こうした点を踏まえた時に、戦後を対象とした場合、政治外交史というアプローチの困難さが明らかになるのではないだろうか。戦後日本外交史研究をしている立場からは、政治外交史よりは国際関係史の方が相対的には意義を増しているように思われる。

at 16:57│Comments(1)本の話 

この記事へのコメント

1. Posted by がうあ   2014年08月06日 19:50
これが、東大の博士論文か。レベルが低い。
まず、「政軍一体」論の定義が曖昧。だから、各章は単に、明治政府内のチワ喧嘩程度の話になってる。
次に、なぜ歴史的なアプローチをとったのかが分からない。社会科学的に言えば、各時期に政軍が一体化しなかった要因を抽出して、その相互関係を検討するべきだ。
最後に、この時期の大陸政策が政軍一体ではなかったならば、大東亜戦争に突っ走った要因は何なのか。歴史的に検討するならば、その意義について考察すべきだ。

さらに、英語文献や脚注・引用が不十分。以上より、学術書籍としての体裁をなしていないと考える。

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